アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
みどり wrote:
>しかし、どうもなんかまだずれてる気もするなあ。「あ〜わかってないなぁ」と思ったら放っておいてやって構いませんので。
タレイヌさんへの返答を読んでどこがずれていたのかわかった気がします。が、それに対するコメントは特にありません。
ピントのはずれたことばかり言ってかき混ぜてしまってごめんなさい。
もの分かりの悪いやつですみません。
こうもりさん:
> という訳で、臨床的関与が成り立つまでが、非常に大変で今でも深い傷を
>受けているという点おわかりいただけたでしょうか?
だいたいわかったと思います。
えーただ、基本的には相手の無知のせいなわけで、こうもりさんはそのとばっちりを受けてきたということですよね。
今回も、結果がどうであろうとも、検査を受けるというこうもりさんの決断はまったく正当なものだと思います。
それに以前よりは状況が好転しているはずなので (世間の認識もこうもりさん自身の知識も)、万が一以前と同じような見当はずれのことを言われることがあれば、せせら笑うなり金かえせと言うなりして、とばっちりでこうもりさん自身が傷つくのは防げるといいなあと思います。
しかし、どうもなんかまだずれてる気もするなあ。「あ〜わかってないなぁ」と思ったら放っておいてやって構いませんので。
友人が私に相談事を持ちかけない理由がちょっとわかった気がする みどり
うう…。痛恨の誤読。
タレイヌさん wrote:
>タレイヌは、時間の進みで、文章を考えて居たのでした。つまり・・・
>まず現在の肯定です。今を、生活するのに、支障があるかどうかの判別で、病
>気説は、消えてしまいます。でも、明らかに、本人が『位置付けが必要』とい
>っているのですから、現在だけを取りざたしていては、解決しません。そこで
>、時間を『逆戻り』して、検証しなおす作業に入るのです。そういう「逆戻り
>」のつもりでした。
ただ一言、謝罪あるのみです。ちょっと、診断の事でナーバスになっている
ので、「蝙蝠」(わたしの負の感情を表出する裏のキャラ)で登場した方がよ
かったかな…。診断に関するコメントに過剰に反応してしまいました。
検査には3度行きましたが、ちょっと今の臨床像からは分かりにくいという
反応が多いんですよね。さらにまだわたしが考えていることを話す機会がない
ため、検査に立ち会っている医療関係者との意志疎通が十分にできていないと
いう問題もあって…。
なんか、わたしの所属意識と乖離してしまうような結果がでてしまわないか
不安を感じています。一部の医療関係者は「わたしが障害を持っているのでは
ないか」と不安を感じていると解釈しているようなのですが…。とりあえず、
わたし自身の受診の目的を正確に話す機会がほしいです。
わたしの現時点の目標は「独立した生活を営める障害者になることは望んで
いる。」という事です。そのための努力を惜しむつもりはありません。ところ
が、わたしが必死に努力している事は「健常者に近づいた」という風に評価さ
れることが多く、ちょっと落ち込んでいます。
わたし自身は子供の時に級友(正確には友達じゃない)やPTAに参加して
いる保護者から「特殊学級に行け!」とののしられていた事もあり、どうして
も「健常者の方が障害者よりいい」という価値基準になじめないのです。仮に
、この価値基準になじんでしまったとしたら、それこそ彼ら(級友やPTA)
に対する敗北です。
(P・S)
ちなみに、日本LD学会の雑誌に出したコメントはまだ刊行されていません。
また、字数の都合もあり、どうしても内容を縮小せざるを得ませんでした。下
書き段階のコメントの方が字数制限を無視した分、書きたいことが書けたので
ボランティア先でお見かけした時にでもお見せします。では
Mariaさん wrote:
> 恋をするのに理由はいらないけれど、別れるには理由がいります。
> 健常者の側に所属意識を持つのに理由はいらないけれど、障害者の側に所属
>意識を持つには理由がいります。
(中略)
> あたしの分類だと、「障害者としての痛み」が痛切に、切実に伝わるひとは
>、すべて「障害者」です。その人には障害者としての感性やメンタリティを身
>につけるに至ったそのひとの人生、つまりは「障害者としての人生」があった
>はずですから。
う〜む、Mariaさんの障害者としての自己定義はすごいなあ…。わたし自
身、医学的な障害者評価にはどうしても満足できない部分があって、自分の障
害について説明することに四苦八苦しています。
診断が確定するにしろしないにしろ、障害の自己定義みたいなものはもう少
し深めていきたいと思っています。では
タレイヌ さんwrote:
>時々、ADDとお書きになっていらっしゃられるのですけれど,『どうしようもなく,主体が不明瞭』というのは,どのような事・どのような感覚、なのでしょうか?
>感じているのが、何の心…とは,悲しい,とか,むなしいとか,そういう種類なんですか?それとも,全然別の次元で,混沌としている・・とかですか?
性格が外交的ならそんなことはないのでしょうが、内面に重心があると部屋の中以前に自分の心が散らかります。
鳥を見れば鳥に、猫がそばに居れば猫の気分がうつります。(猫の相手すると、への字の口が治るので好都合)
そばに居なくたって心の繋がりのあるものから影響が及びます。好きな樹が切られると、知らなくても心臓が苦しくなる。霊媒体質なのかも。
自分の気分の悪さが、誰のご機嫌のせいか悩みます。しっかり自分の仕事を、というのがとても困難で悲惨な生活ぶり。
私相手に敬語使わないでくださいな。おだてに乗る自尊心の、持ち合わせ無いです。(<いらっしゃられる>なんて、読んでて舌噛んじゃう)
胃カメラの詳細です。別の所で書いたので、ですます調でないのはご勘弁ください。
まず、待たされる事20分。その間テレビを見てた。「三匹が切る」がやってた。訳も無く笑うと言う発作が起きてた。
ゼリー状の喉の麻酔(5分間喉に貯めておくとじわじわ苦い味がしてくる)と筋肉注射(胃の緊張緩和。結構痛い)
それから、内視鏡を飲む前に、気持ちが悪くてうえうえ言ってた(4分ぐらい)。
最初は画面を見ていたが、すぐにこらえきれなくなり、目をつぶった。所々見てはいたが……
息が出来なくてあせった。ずっとうえうえ言ってた。喉にあたってるだけで気持ち悪い。
「息を止めて置いてください。これで終わりです。」この作業は結構辛い。息をするのも辛かったが……
結局異常は出なかった。終わりに写真を下さいといったが、
「もう次の人始まってるから消しました。もっと早く言ってくださいね(苦笑」といわれて、落ち込んだ。今日はブルーだ。
こういう些細な所で、人生の終わりを感じる僕って一体。
タレイヌ wrote:
>KILROYさんwrote:
>ありがとうございました!!
昨日、何とか、進行していると、言ってきました。
本当にありがとうございました。
(タレイヌ)
こんにちは、名加野です。
タイトルのとおり、胃カメラ飲んできます。
今日の午前9時40分からです。大丈夫かな……死なない事を祈りつつ。
それでは。
みどりさん wrote:
>しかし位置づける相手が他人でなくこうもりさん自身だということであれば、
>それは納得がゆくというか、したいならさっさとすればいいじゃないというか
>、いったいなんでそんなこと悩んでるの? て感じです。(要は私は全然理解で
>きてないってわけだな)
説明不足ですみません。
わたしが位置付けと言う場合、医学的定義と自己定義の両方を含んでいます。
そして、最終的に自己定義が必要です。だから、今は医学定義抜きに自分の障害
について考えているような状態です。
ちなみに現在、わたしがナーバスになっているのは、子供の頃から発達障害
専門の相談機関で門前払いになったり、未診断個のまま別対応になったり、か
なり検討違いな診断が続いていたからです。
>まったく正当なんじゃないですかね。むしろなんでそんなことが質問として
>出てくるのか不思議なくらい。
>あ、過去に誰かに反対されたことがあるのかな。
ま、子供の時から、発達障害関係の相談機関で色々と悲惨な目に遭ってい
た訳です。専門家から「親のしつけのせいだ」と頭ごなしに言われた親が反
発して臨床的関与を止めてしまったり、という具合に却って事態を悪化させ
てくれるような…。でも、わたしが子供の頃に抱えていた困難は今では明ら
かに軽度発達障害の範疇に含まれています。(だから、教育学的LDと判断
された)
という訳で、臨床的関与が成り立つまでが、非常に大変で今でも深い傷を
受けているという点おわかりいただけたでしょうか?
こうもり wrote:
> 内容がわたしの診断の問題に移ってしまったようなので、スレッドを移項
>します。
見当はずれなこと書いちゃってごめんなさい。
> 以前、あさかぜさんにコメントした通り、わたし自身は「治療と支援と保
>護は必要としていないが、障害者としての位置付けとインフォームド・コン
>セントだけは必要としている」という立場です。逆に「わたしは支援はいら
>ない」と発言して、Makichanさんたちから反発をくらっていますね。
すみません、私は人に関する記憶力が異様に弱くて、過去の発言は (少数の例外を除いて) ほとんど覚えてないか、誰の発言なのかわからなくなってます。
インフォームドコンセントが必要なのは簡単にわかるのですが、私がわからなかったのは「なぜ障害者としての位置づけが必要なのか」でした。
しかし位置づける相手が他人でなくこうもりさん自身だということであれば、それは納得がゆくというか、したいならさっさとすればいいじゃないというか、いったいなんでそんなこと悩んでるの? て感じです。(要は私は全然理解できてないってわけだな)
別の投稿でこうもりさん:
>従って、わたしが自身の所属確認のために検査を受けに行く事は正当だと思うのですが、いかがでしょうか?
まったく正当なんじゃないですかね。むしろなんでそんなことが質問として出てくるのか不思議なくらい。
あ、過去に誰かに反対されたことがあるのかな。
結局、みどりは根本のところでさっぱりわかってなかったということでした。お騒がせしてごめんなさい。
シンタロウさんこんにちは
シンタロウさん wrote:
>>新しくはじまった金八先生の新シリーズ
>>3年B組の中に 製作者サイドが「軽い自閉症」(?)として
>>キャラ付けしたいのかな?風の生徒がでてきました。
>>
> 確かに居たね〜。なんか「知恵の輪」(?)らしき物をいじってたな〜。
あれが、制作サイドの自閉症観なのか・・・と思ってしまいました。
前の「多動児」の時も思ったけど
障害を持つ子供の葛藤なんかはどうでもよくて
「障害児がいる風景」がほしいだけじゃないのかなって。
あの子は「障害を持つ子に優しい 金八先生」をえがくために
キャラとして存在しているんだろうか?
ARAです。 議論の流れには関係ないけど、書かせてくださいね。
こうもりさん wrote:
> 以前、あさかぜさんにコメントした通り、わたし自身は「治療と支援と保
>護は必要としていないが、障害者としての位置付けとインフォームド・コン
>セントだけは必要としている」という立場です。逆に「わたしは支援はいら
>ない」と発言して、Makichanさんたちから反発をくらっていますね。
>
> 少し、補足しておくならば、これはわたし自身が障害者として困難を抱え
>ていないという事を意味している訳ではありません。「わたしについてだけ
>言えば、社会に適応できなければ野垂れ死にしてもいい」という特異な価値
>観を持っているためです。当然の事ながら、この価値観はわたしにだけ適用
>されるべき、私的ルールです。
>
> 以前、やはり「わたしは生きなければならない根拠を持っていない」とい
>うコメントをこの掲示板でしたことがあります。(自殺したいわけではない
>のであしからず)生きる根拠を持たない人間に治療や支援や保護はそれほど
>必要ではないのです。
>
> という訳で、今回の検査は障害者としての「所属」の確認とインフォーム
>ド・コンセントを受けに行くという目的が全面に押し出されています。
>
> 最後に面白い障害観を提供してくれてありがとうございました。
最近私は、こおもりさんに近い理由で検査に行きました。
ただ、偶然とっても良い先生にあたったので「治療」になだれこんで
いますが・・・
本当に最初は検査目的で、「治療」という発想はゼロでした。
『現代のエスプリ/LD特集』の対談で村瀬嘉代子さんが
LD児は、操作されること嫌がる・・・的趣旨の発言をなさっていますが
「治療」というものに、それに近い感覚がありました。
たまたま、先生がニュートラルなかんじの方だったんで
「私が私のコンディションをコントロールできる」と思えたわけです。
(先生の管理下のもとにだけど)
ただ、内側の問題にも入ってくる先生だったら
治療なんか絶対受けつけなかったと思います。
客観的にみて治療的なものが、かなり必要なLD者でさえ(私)
一番大切なものは所属確認のダメ押しの検査で
治療や支援は「発想に無かった」のです。
介入されることに対する嫌悪感とか不信感とかは
子供時代の経験により、あったと思いますが。
ただ、私は幸せに長生きしたいタイプなので
軽度発達障害者自身の自己コントロール感を奪わない
治療や支援があればいいなと思っています。
でも、自分が発達障害を持っているとの確信が一番
自分自身を安定させるものだと思います。
こうもりさん wrote:
> 発達障害を「逆戻り」と考える点についてはわたしの障害観とは一致しま
>せん。じっさい、英米圏では成人の軽度発達障害者向けに刊行された出版物
>や情報網がいくつかあります。また、支援する側からみれば就労までを乗り
>きればOKなのかもしれませんが、診断された本人にとっては一生付き合っ
>ていくべき問題です。わたしから見れば、日本の発達障害の相談機関が原則
>として18才以下の事例しか扱っていない事の方がよほど非合理的です。
申し訳ないです。タレイヌの表現が、違っていました。
タレイヌは、時間の進みで、文章を考えて居たのでした。つまり・・・
まず現在の肯定です。今を、生活するのに、支障があるかどうかの判別で、病気説は、消えてしまいます。でも、明らかに、本人が『位置付けが必要』といっているのですから、現在だけを取りざたしていては、解決しません。そこで、時間を『逆戻り』して、検証しなおす作業に入るのです。そういう「逆戻り」のつもりでした。
紛らわしい言葉を書いてしまったようです。本当に、ごめんなさい。
18歳以下しか扱わないのは、よく存じております。タレイヌも非合理的と思います。(でも、実際には、障害の実像をきちんと把握する、方法論が、確立されていないのですよね、たぶん…とても難しい・・特に、おとなは・・・。確定診断の方法が、ルーチン化されるのには、もう少し、時間が居るでしょうね)
> この点についてはもう少し言及したいのですが、わたしが日本LD学会の
>雑誌に出す予定のコメントと重なってしまう恐れがあるので、ちょっとコメ
>ントを控えておきます。では
お忙しかったのに、厄介な事に、巻き込みました。ごめんなさいね。
雑誌探してみます…ぜひ、読んでみたいですから・・・。
(タレイヌ)
こうもりさん wrote:
>(1)大人になってから障害を認定された人は障害者の側に所属意識を持つ場
> 合が多い
>
>(2)子供の頃から障害を認定されていた人は健常者の側に所属意識を持つ場
> 合が多い
みどりさん wrote:
>こうもりさんは線をイメージしていらっしゃるようですが、私のイメージは
>円、もしくは球です。
>中心部に近いほうの人が健常者、いろんな方向にはずれた人が障害者。
>健常者の集団は、境界のあいまいさはあれど、まあひとつにまとまるのです
>が、障害者の集団というのはまとめて扱うには扱いにくい形状をしています。
>(中心が抜けてるから)
恋をするのに理由はいらないけれど、別れるには理由がいります。
健常者の側に所属意識を持つのに理由はいらないけれど、障害者の側に所属意識を持つには理由がいります。
あたしには、「障害のない障害者」という立場もあると思うんですね。あたしがしばしば使っている、「高度な社会適応を果たした自閉症方面の人間」というのは、ここに分類されそうに思います。
狂牛病の安全性をアピールするために、武部農林水産大臣と堂本千葉県知事が牛肉を食べるというパフォーマンスを演じてみせましたが、あたしはあれを見て生理的不快感を覚えました。ですが、「生理的」不快感を覚えるには、それ以前に「知性による理解」が必要という意味で、その「生理的」不快感は「生得的」なものではありません。
つまり、「障害者として生きる」という経験があり、「障害者」としての自分を自我の一部として組込むことで「障害者として生きた自分の人生」を「自分の人生」として受けいれ、その結果「障害者」としての感性やメンタリティを身につけた結果、あたしは「障害者」になったように思います。
牛肉を食べることで「牛肉は安全だ」とアピールするというのは、「かりにその牛が狂牛病に感染していても、(眼球や骨髄以外の)肉を食べるぶんには安全だ」ということのはずです。「市場に出回っている牛肉は安全だ」とアピールするためには、その防疫システムの安全性について論じられなければなりません。ところが武部大臣や堂本知事は、おそらくは安全性が確認された牛の肉を食べてみせただけなんですね。
だとすると、彼らは「狂牛病であることが検査で明らかになった牛」の牛肉を食べてみせなければならないと思います。あえて言うなら、本人がそれで発病して死んじゃっても、それはしかたのないことだと思うんですよ。彼らは牛肉の安全性を保証する側の人間なのだから。そうではなくて、「狂牛病に感染した牛の肉を、自分の子供や孫に食べさせることができるのか?」ということが問題にされるべきなんじゃないでしょうか。
武部大臣や堂本知事には、生産者や消費者の「切実さ」が伝わっていません。伝わっていないからこそ、ああいった無神経なパフォーマンスができる。
あたしの分類だと、「障害者としての痛み」が痛切に、切実に伝わるひとは、すべて「障害者」です。その人には障害者としての感性やメンタリティを身につけるに至ったそのひとの人生、つまりは「障害者としての人生」があったはずですから。
(Maria)
syakuさん wrote:
>横RES、悪いですが。
いえいえ,全然そんな事はありません。
>
>タレイヌ wrote:
>>個々人は、『自分の認知方式』から、離れる事はできません。(体から、精神が抜け出したりはしないので…本来ならば。つまりこれができたら、病気!!)そして、他者と接触する時に、当然誰にでも均等におきる事が『自分の認知方式はいつも危険に晒される』ということです。
>
> これは、正常な人の常識なのでしょうね、多分。私には最も違和感を感じた文章でした。悲しい話です。
すみませんでした。
でも、正常な人の常識であるかどうか,タレイヌ自身にも、わからないのです。つらい事があると,タレイヌも,自分という入れ物から,抜け出したいと思ったことは多々あります。それが無理とわかったとき,今度は,じっとこもった事もあります。
><誰にでも均等におきる>
>は正しくなくて、ADDはどうしようもなく主体が不明瞭だったりします。感じているのが、何の心か判別できずに苦しみます。
ええと,よくわからないので,お聞きしたいのですが・・・・
時々、ADDとお書きになっていらっしゃられるのですけれど,『どうしようもなく,主体が不明瞭』というのは,どのような事・どのような感覚、なのでしょうか?
感じているのが、何の心…とは,悲しい,とか,むなしいとか,そういう種類なんですか?それとも,全然別の次元で,混沌としている・・とかですか?
均等に起きる・・・・というのは,『状況として,誰でもが,同じリスクを背負います』というつもりで書きました。リスクは同じ“量"でも,受け取る側の,認知のやり方や,感じ取り方の違いによって、深く傷ついてしまう場合もあれば、早めに撥ね返すことで,本人には、カスリもしない場合もあると思いつつ書いてはいたのですが・・・・。
>『自分の認知方式』を壊したいのが遊びです。開放欲求です。よく人のしたがる恋というのは、本質的に消滅願望です。それが浅いとストーカーで終わります。
>犯罪にまでならなくても、暴力なだけです。自分以上の存在に融けたいのが恋愛であり、その先が宗教です。
ああ、そういうことなのですね。きちんと考えてみた事がありませんでした。
ありがとうございます。
>存在の小ささへの嫌悪を捨てたくて、生き物は、関わりを肯定します。
> 理性で世界を捉えることは純粋ではあるけれど、純粋というのは何かに勝つことではありません。
>それなのに、いのちをゲームにして勝ちたいと思えば、何かを傷つけます。誰かの自由は、ゲームを生きる人を必ず傷つけてしまいます。辛いことです。ほんとうに。
ええ、ほんとうに。
ミッドランド wrote:
>>http://www.anzu.or.jp/com/byoki/byoki08.htm
> 「自閉症」の項、はっきり言ってムチャクチャです。
> 早速、メールで訂正要望してきました。 ミッドランド
わしが上のHP管理者にメールを出した翌日、管理者から返事が来ました。
当該箇所は削除したとのことです(こんなあっさりと受け入れられるとは……少し拍子抜け)。
しかし、気にかかることがありました。
返信メールによると、あの間違いだらけの自閉症に関する記述は、あるメルマガの内容を転載許可をもらって掲載したものと言うのです。
いったい、そのメルマガは如何なるものなのでしょうか?
過去ログにそんなメルマガに関する内容があったような…… ミッドランド
こちらも話題が変わってきたので、スレッドを変更します。
タレイヌさん wrote:
>ここからはタレイヌの単なるイメージなんですけど。
>医学的に「健常者と認定される」って、とても範囲が広い気がします。どちら
>かといえば、支障さえなければ、どんなに偏っていても、健常範囲内となって
>、健常側に、分類されるのではないのかしらねぇ・・?
この点についてはみどりさんへのコメントの時に指摘したように、わたしは
困難を抱えていない訳ではありません。
ただし、それにしてもわたしが「診断を取得できるか?」ということと、「
支援を受けたいか」ということは別問題です。それは、末期ガンの患者が延命
治療を受けることを希望するか,苦痛を和らげる治療を受けるか,従容と死を
受け入れるか,を選ぶ権利があり、どの答えが間違っている訳ではない事と同
じです。言うなれば、障害者の自己決定権という奴です。
>それをあえて、「非健常」である・・と本気で訴えてくる場合は、何故、そ
>う思うのかについての検証が必要となって、「通りいっぺんの病気分類上で、
>診断はできない事」に、逆転してしまいませんか?
ちなみに、わたしが軽度発達障害に着目しているのは、決して根拠がない
ことではありません。家族への聞き取り調査,わたしの記憶,子供の頃に受
けた検査の記録などにより、子供の頃に合計200項目にも及ぶ発達上の困
難を抱えていた事が明らかになっているからです。診断こそされていないも
のの「自閉症」「てんかん」「発達遅進」「MBD」「肢体不自由」の可能
性を指摘されていた事も事実です。さらにわたしが相談機関を転々としてい
た時はASはおろか、LDやADHDの事を知らない専門家も多かったので
す。従って、わたしが自身の所属確認のために検査を受けに行く事は正当だ
と思うのですが、いかがでしょうか?
この点について、今の社会適応状態がどうであるかは、一切考慮に入れて
いません。
>だからこそ、「発達障害」のところまで、逆戻り(=深入り?)する事に
>なってしまうんでしょうけれど。(というよりは、そこに、原因を探そうと
>している、というべきかしら?)
発達障害を「逆戻り」と考える点についてはわたしの障害観とは一致しま
せん。じっさい、英米圏では成人の軽度発達障害者向けに刊行された出版物
や情報網がいくつかあります。また、支援する側からみれば就労までを乗り
きればOKなのかもしれませんが、診断された本人にとっては一生付き合っ
ていくべき問題です。わたしから見れば、日本の発達障害の相談機関が原則
として18才以下の事例しか扱っていない事の方がよほど非合理的です。
この点についてはもう少し言及したいのですが、わたしが日本LD学会の
雑誌に出す予定のコメントと重なってしまう恐れがあるので、ちょっとコメ
ントを控えておきます。では
みどりさん wrote:
>憶測になりますが、相手にとって、こうもりさんのイメージと障害者のイメー
>ジがかけ離れすぎているので、こうもりさんを障害者と認めることは、その人
>の中の障害者のイメージを打ち砕く必要があるわけで、それには当然心理的抵
>抗があるのです (もちろん本人は無意識)。それでなかなか理解してもらえな
>いのではないかと思います。
よく言われます。今検査を受けている病院でも、ある心理カウンセラーが「
子供の頃の臨床像が今のこうもりの様子からは想像できない。」述べていまし
た。逆に子供の頃の臨床像を記録などで見ると、現在、支援を受けている成人
の軽度発達障害者よりも、はるかに重症に見えるそうです。つくづく、子供の
頃に特異性発達障害や広汎性発達障害の概念が普及していなかったことが悔や
まれます。知的障害を伴なわない発達上の困難はみんな「親の教育の問題だ」
と言って、切り捨てられるような病院の多い時代でしたからね。
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