アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Maria さんwrote:
> アンケートによれば、「知らない調理器具」の代表として「焙烙(ほうろく)」と「片口(かたくち)」があり、焙烙は二十代・三十代の八割、四十代の五割が「知らない」と答えているそうな。うちのJoshyaさんは番茶をアルミの片手鍋で炒り、掻玉汁(かきたまじる)をパイレックスのメジャーカップで作っているのですが、「ああ、焙烙と片口が欲しい」とぼやいています。じつは焙烙はあるんですけどね。お盆の迎え火・送り火を焚くやつですけど。ちょっと違うと思う。注ぎ口のない急須のような恰好をしたのがいいようです。で、持ち手のところから炒ったものを取り出すようになっているのが便利とか。
「片口」は、わかります。タレイヌ自身の離乳食(ウフフ、ふる〜いお話!)に、使ったやつが、食器棚に残ってたから。うーーん、子供らにみせてやらねば・・・・
でも、「焙烙」は、胡麻を煎る(?)フライパン・・のレベルしかわからない。(なさけな。)
> 「昔使われていた懐かしの調理器具」の代表としては「擂鉢(すりばち)」(保有率73.2%、使用率16.5%)「鰹箱(かつばこ。アンケートの項目としては、『かつお節削り箱』)」(保有率22.2%、使用率1.7%)「七輪」(保有率8.2%、使用率0.4%)が上げられていました。うーん、Joshyaさんちでは七輪こそ使ってないけど擂鉢と鰹箱は現役バリバリだぞ。
これは、同じく。子供の頃は、時々、七輪使ってるのをみた。今ごろは、アウトドア流行で、色んなパターンのレンジ(って言うかな?)あるけど。バーベキューだって、焼き鳥だって、まさか、焚き火じゃできないし。擂鉢は、年中使う。かつお削り箱は、2―3年前までは使っていましたが、お返しで頂く、削り節消費のために、使わなくなりました。1本の鰹節を、いただければ、使いこなせる道具の準備はできてるんですけど・・・。(子供に鰹節をみせても、なんだかわからなかったっけ!教えて、削らせるんだけどね)
> さて、ここで面白いことがあります。Joshyaさんの家ではかれこれ四十以上年前、Joshyaさんが生まれる前から擂鉢と鰹箱を使うのは男性の仕事でした。家業が塗師屋(ぬしや。渋屋(しぶや)ともいう。塗装業のこと)だったので、下地用の胡粉(ごふん)を摺るのに擂鉢は使うし、鉋だって研いだりします。だから包丁研ぎも男の仕事。
なんでか、うちも、包丁研ぎは、ダンナがやる。子ども達もやる。タレイヌはぜったいやらない。やったら、かえって切れなくなるんだって!!怒られるから・・それに、タレイヌが不自由を感じる前に、他の皆が不自由を感じるらしくて。全然へっちゃらな、タレイヌです。
> 「郷愁(ノスタルジー)はそれと意識されている限りにおいて無害である」と、昔ある人に教わりました。こだわりも「こだわり」であると意識している限りにおいて、「遊び」や「粋」に通じる部分があります。
ふーーん。そういうことか。なるほど、なるほど。
> 「道具の手入れから洗い物・片付けまできちんとやる」「どこに何をしまうかきっちり決まっている」までやるのが「職人的こだわり」です。男の料理もそこまで貫くとカッコいいぞ。
ああぁ、そこまでやってくれると、うれしいなぁ。途中で、やめられちゃうと、その後片付けるのが、結構大変なんだけど、気が付いているかな・…??→我が家の皆さんへ。
(タレイヌ)
武田さん おはようございます。
> ちょっときつい言い方かもしれないが、「僕は大丈夫だ」と開き直ること。
>どんな困難もいつかは、結末は良かれ悪かれ、終わりが来ると思うこと。
そうですね、そこが一番無い所でしょう。
体のちょっとした変化にさえ、緊張してるんですから。
例えば心臓の鼓動がちょっと違うだけで、「むなしい(ぽっかり心が空いている……違うかな……)」とか「不安」になってしまうようです・・・
今回の結果に、親は「早く寝りゃなおる」とか「座禅を組んで集中してろ」とか言うのですが。直るのかなあ……直ったら22年間は一体何?
> また、努めて一日に一時間でよいから「仕事を忘れる時間」を設けること。
逆です。遊んでばかりです。時間間隔が無いのでゲームすると、ずっとやり続けるでしょう。
それがストレスをためると、親は言いますが、逆にそれで横槍を入れられる方が、ストレスになると思うのは、詭弁ですか?
どうでしょうね?
名加野さん wrote:
名加野さん、昨日はお疲れぇ〜〜〜〜!
大変でしたね。読んでるだけでなんとなく息苦しくなったもん!
>その間テレビを見てた。「三匹が切る」がやってた。訳も無く笑うと言う発作が起きてた。
きっと、名加野さん、すごく緊張していたんだね。ASの息子もそうなんだけど、
緊張が強いと、妙に笑いが止まらなかったり、傍目からは『ふざけてる』と受け
とられてしまいがちな行動をとってしまうんですよね。
たぶん、名加野さんは、自分で気付かないくらい周りに気を遣ってしまって
いるんじゃないかな?ストレス度が強くなるほど、胸やけなどの胃酸過多症に
悩まされるらしいから、気をつけないとね。難しいとは思うけど・・・・・・
うまく気分転換できる趣味を見つけられたらいいですね。
>結局異常は出なかった。
何はともあれ、異常がなくてよかったじゃないですか!
>今日はブルーだ。
今の気分は何色?
武田好史 wrote:
>ムーミン wrote:
>>武田さんへ
>私は修士論文で「自閉症の方々が働きやすい環境とはどのような環境k」ということを考察した上で就労支援に持っていこうと思っています。そのためには、自閉症の方々がどのような考えを持っているのかを伺いたいと思っています。
>
> これは私の持論に過ぎませんが、自閉症の人たちが就労していくには、次のようなことがマイナス要因になると思います。
1・コミュニケーションの障害
自閉症の人はどんなに軽度といわれる人でも、音声言語を聞いてメモを取ることや体の動きを作るということが困難です。また同時に自分が考えたことや見たことを正確に音声言語や文字情報へと表現していくことが苦手です。
これは結構深刻な問題であると思います。特に迅速で正確な判断のもとに行動しなければならなくては事故が起こりやすい職場、外回り・電話応対がスムーズいかないと会社に甚大な損害が及ぶ恐れがある営業部門などは、多くのアスペの人は「嫌だ!」と答えるに違いありません。
またどもりや吃音を「しっかりしろ!」と上司にいわれたり・杓子定規なことをとがめられたり、しっくりいく企画書を期限内に出せなかったり・昇進で後輩を教えることになって、自信をなくして会社を辞めてしまう人も少なくないと思います。
2・社会性の障害
これはもっとありていに言うと、常識や正常から逸脱した行動どうしてもしてしまうということです。ある人は不意に人の話の中へ割り込もうとしてくるでしょうし、またある人はその人が自分のことを嫌っていると知らずにきれいだと思った女の人を見つめ「やめてよ!」といわれるでしょうし、またある人は会社の机にあるものを何でも自分の思いどおり並べようしたりするでしょうし、ある人は自分のぎこちない表情を直そうとして休み時間をすべて鏡を見つめて過ごし周りの人から「滑稽だ」と冷笑さたり、ある人はお金を節約したいということでコンパの2次会ということでカラオケとなると「あたしこれで帰る!」と帰ってしまうので友達ができなかったりします。さらには同じ話題について延々と話し続ける人もいますし、書類をワードに入力するときに1ページごとに「ね!ちゃんとできてる・・・」と確認を求める人もいます。
また鬱状態になると風呂に入る・歯を磨く・ひげを剃る・服装を整える・机の周りを片づけるということがおっくうになってくるということも、男性の場合は問題になるでしょう。
さらに時間の感覚のなさも問題になるでしょう。何でものんびりと丁寧やろうとする人は「速く!」という言葉に著しい抵抗を感じると思いますし、締め切りに追われることには極めて強いストレスを感じてしまうと思います。反対にものすごくせっかちで、だらだらしている後輩を見ると「何やってるんだ!」癇癪を起こす人もいると思います。
3・チック・常同運動・不随意運動
これはかなりの自閉症の人が世間の人から「奇妙だ」といわれる大きな原因であるにも関わらず、未だに十分な治療や周りの理解が得られにくいハンディです。この前も横浜の病院に行ったときに、げんこつに握った左手の回りで右手をぐるぐる回している青年を見かけました。のどが「グーッ」となり続けたり・人前で言ってはいけない言葉を不意に言い出してしまったり・顔が引きつったようになったり・速い瞬きをしたりというのもあります。たいていは周りの人がそっとしてやることで治まることが多いのですが、頻繁に起こってしまう時は抗精神病薬の投与が必要な時があります。
青い風さん wrote:
>私は、周りの人を信じていたから「棒」になりきれたのではなさそうに思う。
>回りの人がその状況で手を離すということがあるという可能性が頭になかった
>だけなのだ。
「バディ・システム」というものがあります。軍隊や警察、あるいはスキューバ・ダイビングなんかで、二人ひと組でお互いをフォローするシステムです。ソフトウェア開発の世界でも、ごくまれに採用されるシステムです。
とはいえパートナーに対して友情だとか愛情だとかいった感情を抱いているわけではありません。「相手を見捨てて自分だけが助かろうとしたら、世間に何を言われるかわからない」とかいった、世間体の問題でもありません。「相手に軽蔑されたくない」という感情でもなかったりします。ただ、「相手を見捨てて自分だけが助かる」というルールが、あたしにはないだけです。だって、恥知らずのエゴティストとバディを組まされることだってあるでしょう? そういう場合、「契約」以外に、相手に自分と同じ行動を取らせる方法はありませんから。ユダヤ教やイスラム教における神と人間の関係は、これに近かったりします。パートナーを見捨てて自分だけが助かろうとした人間は、見せしめのために公衆の面前でなるべく惨たらしく殺されて当然、とあたしは思います。それを赦すことは、たぶん死んだひとの家族にしかできないことだと思います。
ユダヤ教やイスラム教における「結婚」という概念は、これに近かったりします。あたしはそうした考え方を正しいことだと思います。ただし、制度として相手に押しつけるというのは非常にみっともないと思うし、自らに科すべきルールとしては当然のことだと思います。自分から望むことであっても、押しつけられるような性質のものではないと思います。「結婚」という制度は、自らを相手にコミットしたいと思った男女が発明したものであって、「結婚」という制度が先にできて、「結婚」という習慣ができたわけではないと思います。
>同僚の一人のお母さんが亡くなった。お悔やみの気持ちがどうしても出てこ
>ない。何もその人に言う言葉が見つからなくて、結局何も言えなくて唯普通
>に仕事の話しをするだけだった。相手の人の気持ちなど想像もつかない。
「大往生(だいおうじょう)」とか「本望(ほんもう)」という言葉があります。「(議場で死んだとしても)男子の本懐である」と言い放って、重傷をおして議会に臨んだ総理大臣がいます。「死=不幸」というのは、短絡的だとあたしは思っています。上辺(うわべ)だけの言葉を発して「この人は、何もわかっていない」と軽蔑されるよりは、言葉を保留したほうが、誠実なんじゃないでしょうか。
(Maria)
こんなゲームがあった。
一人の人が5、6人で輪をつくった、その真ん中に入って、その中で自由に倒れて、回りの人の一人に倒れ込んだら、倒れ込まれたその人が自由に好きなほうにその真ん中の人を押して、押されるままにまた別の方にいる人に倒れ込んで、その人にまた押してもらう。こんだけのことなのだけど、みんなうまくできなくて、体がぐにゃぐにゃしていた。でも、私はうまくできたんだ。初めてだったけど、自然に体がまるで一本の棒のようになったのが自分でわかった。押してくれた人の一人が、こんな風に倒れることができたら気持ちがいいだろうなと思った、と感想を言っていた。
このゲームは普通、人を信頼できるかどうかを示す1つのバロメーターだとか言う。でも、果たしてそうだろうか。私は、周りの人を信じていたから「棒」になりきれたのではなさそうに思う。回りの人がその状況で手を離すということがあるという可能性が頭になかっただけなのだ。
人が自分を悪く思うかもとかいう考えが頭の片隅にもなければ、挨拶ができなくても恥ずかしいという気持ちが起こらない。
同僚の一人のお母さんが亡くなった。お悔やみの気持ちがどうしても出てこない。何もその人に言う言葉が見つからなくて、結局何も言えなくて唯普通に仕事の話しをするだけだった。相手の人の気持ちなど想像もつかない。
これも体を一本の棒にして、その人に委ねてるだけなのだ。それが私。
こうもりさん wrote:
>
> 以前、あさかぜさんにコメントした通り、わたし自身は「治療と支援と保
>護は必要としていないが、障害者としての位置付けとインフォームド・コン
>セントだけは必要としている」という立場です。逆に「わたしは支援はいら
>ない」と発言して、Makichanさんたちから反発をくらっていますね。
私は反発なんかしてませんよ〜。こうもりさん(旧くるとさん)の障害者問題
に対する姿勢、考え方には尊敬の念すら感じています。私がぐうたらで、だらし
ないのです。
>
みどりさんwrote:
>だいたいわかったと思います。
>えーただ、基本的には相手の無知のせいなわけで、こうもりさんはそのとばっ
>ちりを受けてきたということですよね。
はい、今回の検査でひとまず「親のしつけが悪いせいだ」という線だけは消
されました。親は親なりに子育てには相当力を入れていたと思います。家族関
係で問題になったことがあったとしたら、むしろ過干渉や強引すぎる健常化の
圧力でしたから。(そのためのこじれはちょっとだけある)
で、今はわたし自身が「あなたのは個性なんじゃないの〜?」と言われて苦
しんでいます。うう…
>それに以前よりは状況が好転しているはずなので (世間の認識もこうもりさ
>ん自身の知識も)、万が一以前と同じような見当はずれのことを言われること
>があれば、せせら笑うなり金かえせと言うなりして、とばっちりでこうもり
>さん自身が傷つくのは防げるといいなあと思います。
要するにわたしの自己評価がきちんとしていれば、医学的評価がどうであれ
問題にはならないと思います。心配してくださってありがとうございました。
名加野 wrote:
> こういう、すぐ気持ち悪くなると言う症状を治す所で、こうした方が良いというアドバイスがあったらお願いします。
>
> 神経質すぎるかなあ……でも自分では止められない……困りましたね。
>
ちょっときつい言い方かもしれないが、「僕は大丈夫だ」と開き直ること。
どんな困難もいつかは、結末は良かれ悪かれ、終わりが来ると思うこと。
また、努めて一日に一時間でよいから「仕事を忘れる時間」を設けること。
胃潰瘍が悪化して血を吐いてしまったという人は、「ノルマを達成しなければ!」
「仕事はきちんとしなければ!」「自分は・・・であるべきだ!」と思って、「楽しいことをすることは最大の罪悪である!」と思いこんでいる人が多いという。とにかく何か趣味を持つこと。一番直ぐできるのは、大きめの本屋の美術本のコーナーで色見本を買っていろいろな色を眺めてみること・・・あるいはウォークマンで好きな音楽を聴くことかな。ペイントでコンピュータ画を描くのも良いかもしれない。
こうもりさん wrote:
>(P・S)
>また、字数の都合もあり、どうしても内容を縮小せざるを得ませんでした。
うーん、残念ですねぇ、でも、楽しみにしています。ありがとうございます。
21日は、参りません。お出かけになるときは、あらかじめ知らせていただけると、嬉しいです。
(絶対、面白いはず!と思ってるタレイヌ)
名加野さん wrote:
> もう飲みたくないですね、胃カメラ。
ごくろうさまでした。
精神的にも、肉体的にも、つらいことです、ほんとにねぇ・・・。
実は、タレイヌも、1度だけ、やったことがあります。殆ど、名加野さんと、同様。
何か、説明してもらえましたか?
「時々、こういう人がいるんです。胃の、入口のところに、何らかの、弁(?)みたいなものがある人がいて、ずっと、刺激になりつづけるんですよ。なんともない人は、全然起きないんですけどね。」だって、言うんです。だから、タレイヌも、2度とやりたくないです!!
バリウム飲むのも、すッごく苦手。人間ドックで、渡されたのの、半分で、泣きを入れて、許してもらった事がある・・・・(すごいっしょ!)だって、責任取るのは、タレイヌ自身だもの。いいにしてもらったのでした。
まあ、ちょっとゆっくりして、次の方法を考えてください。
それでは・・・
(タレイヌ)
syakuさん wrote:
> 私相手に敬語使わないでくださいな。おだてに乗る自尊心の、持ち合わせ無いです。(<いらっしゃられる>なんて、読んでて舌噛んじゃう)
すみませ〜〜〜〜〜〜ん!!
噛んだところから、血は出ませんでしたかぁ・・・??
殆ど、無意識に近く、<いらっしゃられる>と、打った、タレイヌでした。
すみません。気をつけたいと、思います・…が。(あんまり、自信ない・…またやったら、チェック(!)入れてください。よろしくお願いします。)
(タレイヌ)
名加野です。食べながら見てる方申し訳ございませんでした。
結局の所、精神内科だか神経内科にいって見て貰った方が良いと言う事でした。
こういう、すぐ気持ち悪くなると言う症状を治す所で、こうした方が良いというアドバイスがあったらお願いします。
神経質すぎるかなあ……でも自分では止められない……困りましたね。
親は、絶対胃がおかしいといってましたが……。
もう飲みたくないですね、胃カメラ。
みどり wrote:
>しかし、どうもなんかまだずれてる気もするなあ。「あ〜わかってないなぁ」と思ったら放っておいてやって構いませんので。
タレイヌさんへの返答を読んでどこがずれていたのかわかった気がします。が、それに対するコメントは特にありません。
ピントのはずれたことばかり言ってかき混ぜてしまってごめんなさい。
もの分かりの悪いやつですみません。
こうもりさん:
> という訳で、臨床的関与が成り立つまでが、非常に大変で今でも深い傷を
>受けているという点おわかりいただけたでしょうか?
だいたいわかったと思います。
えーただ、基本的には相手の無知のせいなわけで、こうもりさんはそのとばっちりを受けてきたということですよね。
今回も、結果がどうであろうとも、検査を受けるというこうもりさんの決断はまったく正当なものだと思います。
それに以前よりは状況が好転しているはずなので (世間の認識もこうもりさん自身の知識も)、万が一以前と同じような見当はずれのことを言われることがあれば、せせら笑うなり金かえせと言うなりして、とばっちりでこうもりさん自身が傷つくのは防げるといいなあと思います。
しかし、どうもなんかまだずれてる気もするなあ。「あ〜わかってないなぁ」と思ったら放っておいてやって構いませんので。
友人が私に相談事を持ちかけない理由がちょっとわかった気がする みどり
うう…。痛恨の誤読。
タレイヌさん wrote:
>タレイヌは、時間の進みで、文章を考えて居たのでした。つまり・・・
>まず現在の肯定です。今を、生活するのに、支障があるかどうかの判別で、病
>気説は、消えてしまいます。でも、明らかに、本人が『位置付けが必要』とい
>っているのですから、現在だけを取りざたしていては、解決しません。そこで
>、時間を『逆戻り』して、検証しなおす作業に入るのです。そういう「逆戻り
>」のつもりでした。
ただ一言、謝罪あるのみです。ちょっと、診断の事でナーバスになっている
ので、「蝙蝠」(わたしの負の感情を表出する裏のキャラ)で登場した方がよ
かったかな…。診断に関するコメントに過剰に反応してしまいました。
検査には3度行きましたが、ちょっと今の臨床像からは分かりにくいという
反応が多いんですよね。さらにまだわたしが考えていることを話す機会がない
ため、検査に立ち会っている医療関係者との意志疎通が十分にできていないと
いう問題もあって…。
なんか、わたしの所属意識と乖離してしまうような結果がでてしまわないか
不安を感じています。一部の医療関係者は「わたしが障害を持っているのでは
ないか」と不安を感じていると解釈しているようなのですが…。とりあえず、
わたし自身の受診の目的を正確に話す機会がほしいです。
わたしの現時点の目標は「独立した生活を営める障害者になることは望んで
いる。」という事です。そのための努力を惜しむつもりはありません。ところ
が、わたしが必死に努力している事は「健常者に近づいた」という風に評価さ
れることが多く、ちょっと落ち込んでいます。
わたし自身は子供の時に級友(正確には友達じゃない)やPTAに参加して
いる保護者から「特殊学級に行け!」とののしられていた事もあり、どうして
も「健常者の方が障害者よりいい」という価値基準になじめないのです。仮に
、この価値基準になじんでしまったとしたら、それこそ彼ら(級友やPTA)
に対する敗北です。
(P・S)
ちなみに、日本LD学会の雑誌に出したコメントはまだ刊行されていません。
また、字数の都合もあり、どうしても内容を縮小せざるを得ませんでした。下
書き段階のコメントの方が字数制限を無視した分、書きたいことが書けたので
ボランティア先でお見かけした時にでもお見せします。では
Mariaさん wrote:
> 恋をするのに理由はいらないけれど、別れるには理由がいります。
> 健常者の側に所属意識を持つのに理由はいらないけれど、障害者の側に所属
>意識を持つには理由がいります。
(中略)
> あたしの分類だと、「障害者としての痛み」が痛切に、切実に伝わるひとは
>、すべて「障害者」です。その人には障害者としての感性やメンタリティを身
>につけるに至ったそのひとの人生、つまりは「障害者としての人生」があった
>はずですから。
う〜む、Mariaさんの障害者としての自己定義はすごいなあ…。わたし自
身、医学的な障害者評価にはどうしても満足できない部分があって、自分の障
害について説明することに四苦八苦しています。
診断が確定するにしろしないにしろ、障害の自己定義みたいなものはもう少
し深めていきたいと思っています。では
タレイヌ さんwrote:
>時々、ADDとお書きになっていらっしゃられるのですけれど,『どうしようもなく,主体が不明瞭』というのは,どのような事・どのような感覚、なのでしょうか?
>感じているのが、何の心…とは,悲しい,とか,むなしいとか,そういう種類なんですか?それとも,全然別の次元で,混沌としている・・とかですか?
性格が外交的ならそんなことはないのでしょうが、内面に重心があると部屋の中以前に自分の心が散らかります。
鳥を見れば鳥に、猫がそばに居れば猫の気分がうつります。(猫の相手すると、への字の口が治るので好都合)
そばに居なくたって心の繋がりのあるものから影響が及びます。好きな樹が切られると、知らなくても心臓が苦しくなる。霊媒体質なのかも。
自分の気分の悪さが、誰のご機嫌のせいか悩みます。しっかり自分の仕事を、というのがとても困難で悲惨な生活ぶり。
私相手に敬語使わないでくださいな。おだてに乗る自尊心の、持ち合わせ無いです。(<いらっしゃられる>なんて、読んでて舌噛んじゃう)
胃カメラの詳細です。別の所で書いたので、ですます調でないのはご勘弁ください。
まず、待たされる事20分。その間テレビを見てた。「三匹が切る」がやってた。訳も無く笑うと言う発作が起きてた。
ゼリー状の喉の麻酔(5分間喉に貯めておくとじわじわ苦い味がしてくる)と筋肉注射(胃の緊張緩和。結構痛い)
それから、内視鏡を飲む前に、気持ちが悪くてうえうえ言ってた(4分ぐらい)。
最初は画面を見ていたが、すぐにこらえきれなくなり、目をつぶった。所々見てはいたが……
息が出来なくてあせった。ずっとうえうえ言ってた。喉にあたってるだけで気持ち悪い。
「息を止めて置いてください。これで終わりです。」この作業は結構辛い。息をするのも辛かったが……
結局異常は出なかった。終わりに写真を下さいといったが、
「もう次の人始まってるから消しました。もっと早く言ってくださいね(苦笑」といわれて、落ち込んだ。今日はブルーだ。
こういう些細な所で、人生の終わりを感じる僕って一体。
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