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Re: どなたか、教えてください。(別件追加!)これでおしまい。 7883へのコメント
No.8088  Tue, 16 Oct 2001 09:59:54 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

タレイヌ wrote:
>KILROYさんwrote:

>ありがとうございました!!

昨日、何とか、進行していると、言ってきました。
本当にありがとうございました。
 (タレイヌ)


胃カメラ……
No.8087  Tue, 16 Oct 2001 09:15:51 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

 こんにちは、名加野です。

 タイトルのとおり、胃カメラ飲んできます。
 今日の午前9時40分からです。大丈夫かな……死なない事を祈りつつ。

 それでは。


Re: 不肖こうもりの診断について 8085へのコメント
No.8086  Tue, 16 Oct 2001 06:41:34 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

みどりさん wrote:

>しかし位置づける相手が他人でなくこうもりさん自身だということであれば、
>それは納得がゆくというか、したいならさっさとすればいいじゃないというか
>、いったいなんでそんなこと悩んでるの? て感じです。(要は私は全然理解で
>きてないってわけだな)

 説明不足ですみません。

 わたしが位置付けと言う場合、医学的定義と自己定義の両方を含んでいます。
そして、最終的に自己定義が必要です。だから、今は医学定義抜きに自分の障害
について考えているような状態です。

 ちなみに現在、わたしがナーバスになっているのは、子供の頃から発達障害
専門の相談機関で門前払いになったり、未診断個のまま別対応になったり、か
なり検討違いな診断が続いていたからです。

>まったく正当なんじゃないですかね。むしろなんでそんなことが質問として
>出てくるのか不思議なくらい。
>あ、過去に誰かに反対されたことがあるのかな。

ま、子供の時から、発達障害関係の相談機関で色々と悲惨な目に遭ってい
た訳です。専門家から「親のしつけのせいだ」と頭ごなしに言われた親が反
発して臨床的関与を止めてしまったり、という具合に却って事態を悪化させ
てくれるような…。でも、わたしが子供の頃に抱えていた困難は今では明ら
かに軽度発達障害の範疇に含まれています。(だから、教育学的LDと判断
された)

 という訳で、臨床的関与が成り立つまでが、非常に大変で今でも深い傷を
受けているという点おわかりいただけたでしょうか?


Re: 不肖こうもりの診断について 8075へのコメント
No.8085  Tue, 16 Oct 2001 01:16:16 +0900  みどり [この発言にコメントする]

こうもり wrote:
> 内容がわたしの診断の問題に移ってしまったようなので、スレッドを移項
>します。

見当はずれなこと書いちゃってごめんなさい。

> 以前、あさかぜさんにコメントした通り、わたし自身は「治療と支援と保
>護は必要としていないが、障害者としての位置付けとインフォームド・コン
>セントだけは必要としている」という立場です。逆に「わたしは支援はいら
>ない」と発言して、Makichanさんたちから反発をくらっていますね。

すみません、私は人に関する記憶力が異様に弱くて、過去の発言は (少数の例外を除いて) ほとんど覚えてないか、誰の発言なのかわからなくなってます。

インフォームドコンセントが必要なのは簡単にわかるのですが、私がわからなかったのは「なぜ障害者としての位置づけが必要なのか」でした。
しかし位置づける相手が他人でなくこうもりさん自身だということであれば、それは納得がゆくというか、したいならさっさとすればいいじゃないというか、いったいなんでそんなこと悩んでるの? て感じです。(要は私は全然理解できてないってわけだな)

別の投稿でこうもりさん:
>従って、わたしが自身の所属確認のために検査を受けに行く事は正当だと思うのですが、いかがでしょうか?

まったく正当なんじゃないですかね。むしろなんでそんなことが質問として出てくるのか不思議なくらい。
あ、過去に誰かに反対されたことがあるのかな。

結局、みどりは根本のところでさっぱりわかってなかったということでした。お騒がせしてごめんなさい。


Re: 金八先生 8052へのコメント
No.8084  Tue, 16 Oct 2001 00:00:59 +0900  ARA [この発言にコメントする]

シンタロウさんこんにちは

シンタロウさん wrote:
>>新しくはじまった金八先生の新シリーズ
>>3年B組の中に 製作者サイドが「軽い自閉症」(?)として
>>キャラ付けしたいのかな?風の生徒がでてきました。
>>
> 確かに居たね〜。なんか「知恵の輪」(?)らしき物をいじってたな〜。

 あれが、制作サイドの自閉症観なのか・・・と思ってしまいました。
前の「多動児」の時も思ったけど
障害を持つ子供の葛藤なんかはどうでもよくて
「障害児がいる風景」がほしいだけじゃないのかなって。

あの子は「障害を持つ子に優しい 金八先生」をえがくために
キャラとして存在しているんだろうか?


Re: 不肖こうもりの診断について 8075へのコメント
No.8083  Mon, 15 Oct 2001 23:50:28 +0900  ARA [この発言にコメントする]

ARAです。 議論の流れには関係ないけど、書かせてくださいね。

こうもりさん wrote:
> 以前、あさかぜさんにコメントした通り、わたし自身は「治療と支援と保
>護は必要としていないが、障害者としての位置付けとインフォームド・コン
>セントだけは必要としている」という立場です。逆に「わたしは支援はいら
>ない」と発言して、Makichanさんたちから反発をくらっていますね。
>
> 少し、補足しておくならば、これはわたし自身が障害者として困難を抱え
>ていないという事を意味している訳ではありません。「わたしについてだけ
>言えば、社会に適応できなければ野垂れ死にしてもいい」という特異な価値
>観を持っているためです。当然の事ながら、この価値観はわたしにだけ適用
>されるべき、私的ルールです。
>
> 以前、やはり「わたしは生きなければならない根拠を持っていない」とい
>うコメントをこの掲示板でしたことがあります。(自殺したいわけではない
>のであしからず)生きる根拠を持たない人間に治療や支援や保護はそれほど
>必要ではないのです。
>
> という訳で、今回の検査は障害者としての「所属」の確認とインフォーム
>ド・コンセントを受けに行くという目的が全面に押し出されています。
>
> 最後に面白い障害観を提供してくれてありがとうございました。

最近私は、こおもりさんに近い理由で検査に行きました。
ただ、偶然とっても良い先生にあたったので「治療」になだれこんで
いますが・・・
本当に最初は検査目的で、「治療」という発想はゼロでした。

『現代のエスプリ/LD特集』の対談で村瀬嘉代子さんが
LD児は、操作されること嫌がる・・・的趣旨の発言をなさっていますが
「治療」というものに、それに近い感覚がありました。
たまたま、先生がニュートラルなかんじの方だったんで
「私が私のコンディションをコントロールできる」と思えたわけです。
(先生の管理下のもとにだけど)
 ただ、内側の問題にも入ってくる先生だったら
治療なんか絶対受けつけなかったと思います。

 客観的にみて治療的なものが、かなり必要なLD者でさえ(私)
一番大切なものは所属確認のダメ押しの検査で
治療や支援は「発想に無かった」のです。
 介入されることに対する嫌悪感とか不信感とかは
子供時代の経験により、あったと思いますが。

 ただ、私は幸せに長生きしたいタイプなので
軽度発達障害者自身の自己コントロール感を奪わない
治療や支援があればいいなと思っています。
でも、自分が発達障害を持っているとの確信が一番
自分自身を安定させるものだと思います。


Re: 不肖こうもりの診断について 8077へのコメント
No.8082  Mon, 15 Oct 2001 23:05:33 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

こうもりさん wrote:

> 発達障害を「逆戻り」と考える点についてはわたしの障害観とは一致しま
>せん。じっさい、英米圏では成人の軽度発達障害者向けに刊行された出版物
>や情報網がいくつかあります。また、支援する側からみれば就労までを乗り
>きればOKなのかもしれませんが、診断された本人にとっては一生付き合っ
>ていくべき問題です。わたしから見れば、日本の発達障害の相談機関が原則
>として18才以下の事例しか扱っていない事の方がよほど非合理的です。

申し訳ないです。タレイヌの表現が、違っていました。

タレイヌは、時間の進みで、文章を考えて居たのでした。つまり・・・
まず現在の肯定です。今を、生活するのに、支障があるかどうかの判別で、病気説は、消えてしまいます。でも、明らかに、本人が『位置付けが必要』といっているのですから、現在だけを取りざたしていては、解決しません。そこで、時間を『逆戻り』して、検証しなおす作業に入るのです。そういう「逆戻り」のつもりでした。
紛らわしい言葉を書いてしまったようです。本当に、ごめんなさい。

18歳以下しか扱わないのは、よく存じております。タレイヌも非合理的と思います。(でも、実際には、障害の実像をきちんと把握する、方法論が、確立されていないのですよね、たぶん…とても難しい・・特に、おとなは・・・。確定診断の方法が、ルーチン化されるのには、もう少し、時間が居るでしょうね)

> この点についてはもう少し言及したいのですが、わたしが日本LD学会の
>雑誌に出す予定のコメントと重なってしまう恐れがあるので、ちょっとコメ
>ントを控えておきます。では

お忙しかったのに、厄介な事に、巻き込みました。ごめんなさいね。
雑誌探してみます…ぜひ、読んでみたいですから・・・。

  (タレイヌ)


Re: 軽度発達障害者と健常者の違い 8070へのコメント
No.8081  Mon, 15 Oct 2001 22:40:42 +0900  Maria [この発言にコメントする]

こうもりさん wrote:
>(1)大人になってから障害を認定された人は障害者の側に所属意識を持つ場
>   合が多い

>(2)子供の頃から障害を認定されていた人は健常者の側に所属意識を持つ場
>   合が多い

みどりさん wrote:
>こうもりさんは線をイメージしていらっしゃるようですが、私のイメージは
>円、もしくは球です。
>中心部に近いほうの人が健常者、いろんな方向にはずれた人が障害者。
>健常者の集団は、境界のあいまいさはあれど、まあひとつにまとまるのです
>が、障害者の集団というのはまとめて扱うには扱いにくい形状をしています。
>(中心が抜けてるから)

 恋をするのに理由はいらないけれど、別れるには理由がいります。
 健常者の側に所属意識を持つのに理由はいらないけれど、障害者の側に所属意識を持つには理由がいります。
 あたしには、「障害のない障害者」という立場もあると思うんですね。あたしがしばしば使っている、「高度な社会適応を果たした自閉症方面の人間」というのは、ここに分類されそうに思います。

 狂牛病の安全性をアピールするために、武部農林水産大臣と堂本千葉県知事が牛肉を食べるというパフォーマンスを演じてみせましたが、あたしはあれを見て生理的不快感を覚えました。ですが、「生理的」不快感を覚えるには、それ以前に「知性による理解」が必要という意味で、その「生理的」不快感は「生得的」なものではありません。
 つまり、「障害者として生きる」という経験があり、「障害者」としての自分を自我の一部として組込むことで「障害者として生きた自分の人生」を「自分の人生」として受けいれ、その結果「障害者」としての感性やメンタリティを身につけた結果、あたしは「障害者」になったように思います。

 牛肉を食べることで「牛肉は安全だ」とアピールするというのは、「かりにその牛が狂牛病に感染していても、(眼球や骨髄以外の)肉を食べるぶんには安全だ」ということのはずです。「市場に出回っている牛肉は安全だ」とアピールするためには、その防疫システムの安全性について論じられなければなりません。ところが武部大臣や堂本知事は、おそらくは安全性が確認された牛の肉を食べてみせただけなんですね。
 だとすると、彼らは「狂牛病であることが検査で明らかになった牛」の牛肉を食べてみせなければならないと思います。あえて言うなら、本人がそれで発病して死んじゃっても、それはしかたのないことだと思うんですよ。彼らは牛肉の安全性を保証する側の人間なのだから。そうではなくて、「狂牛病に感染した牛の肉を、自分の子供や孫に食べさせることができるのか?」ということが問題にされるべきなんじゃないでしょうか。

 武部大臣や堂本知事には、生産者や消費者の「切実さ」が伝わっていません。伝わっていないからこそ、ああいった無神経なパフォーマンスができる。

 あたしの分類だと、「障害者としての痛み」が痛切に、切実に伝わるひとは、すべて「障害者」です。その人には障害者としての感性やメンタリティを身につけるに至ったそのひとの人生、つまりは「障害者としての人生」があったはずですから。

 (Maria)


Re: 軽度発達障害者と健常者の違い 8074へのコメント
No.8080  Mon, 15 Oct 2001 22:34:04 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

syakuさん wrote:
>横RES、悪いですが。

いえいえ,全然そんな事はありません。
>
>タレイヌ wrote:
>>個々人は、『自分の認知方式』から、離れる事はできません。(体から、精神が抜け出したりはしないので…本来ならば。つまりこれができたら、病気!!)そして、他者と接触する時に、当然誰にでも均等におきる事が『自分の認知方式はいつも危険に晒される』ということです。
>
> これは、正常な人の常識なのでしょうね、多分。私には最も違和感を感じた文章でした。悲しい話です。

すみませんでした。
でも、正常な人の常識であるかどうか,タレイヌ自身にも、わからないのです。つらい事があると,タレイヌも,自分という入れ物から,抜け出したいと思ったことは多々あります。それが無理とわかったとき,今度は,じっとこもった事もあります。

><誰にでも均等におきる>
>は正しくなくて、ADDはどうしようもなく主体が不明瞭だったりします。感じているのが、何の心か判別できずに苦しみます。

ええと,よくわからないので,お聞きしたいのですが・・・・
時々、ADDとお書きになっていらっしゃられるのですけれど,『どうしようもなく,主体が不明瞭』というのは,どのような事・どのような感覚、なのでしょうか?
感じているのが、何の心…とは,悲しい,とか,むなしいとか,そういう種類なんですか?それとも,全然別の次元で,混沌としている・・とかですか?

均等に起きる・・・・というのは,『状況として,誰でもが,同じリスクを背負います』というつもりで書きました。リスクは同じ“量"でも,受け取る側の,認知のやり方や,感じ取り方の違いによって、深く傷ついてしまう場合もあれば、早めに撥ね返すことで,本人には、カスリもしない場合もあると思いつつ書いてはいたのですが・・・・。

>『自分の認知方式』を壊したいのが遊びです。開放欲求です。よく人のしたがる恋というのは、本質的に消滅願望です。それが浅いとストーカーで終わります。
>犯罪にまでならなくても、暴力なだけです。自分以上の存在に融けたいのが恋愛であり、その先が宗教です。

ああ、そういうことなのですね。きちんと考えてみた事がありませんでした。
ありがとうございます。

>存在の小ささへの嫌悪を捨てたくて、生き物は、関わりを肯定します。
> 理性で世界を捉えることは純粋ではあるけれど、純粋というのは何かに勝つことではありません。
>それなのに、いのちをゲームにして勝ちたいと思えば、何かを傷つけます。誰かの自由は、ゲームを生きる人を必ず傷つけてしまいます。辛いことです。ほんとうに。

ええ、ほんとうに。


その後…… 8056へのコメント
No.8078  Mon, 15 Oct 2001 21:25:12 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

ミッドランド wrote:

>>http://www.anzu.or.jp/com/byoki/byoki08.htm

> 「自閉症」の項、はっきり言ってムチャクチャです。
> 早速、メールで訂正要望してきました。   ミッドランド

 わしが上のHP管理者にメールを出した翌日、管理者から返事が来ました。
 当該箇所は削除したとのことです(こんなあっさりと受け入れられるとは……少し拍子抜け)。

 しかし、気にかかることがありました。
 返信メールによると、あの間違いだらけの自閉症に関する記述は、あるメルマガの内容を転載許可をもらって掲載したものと言うのです。

 いったい、そのメルマガは如何なるものなのでしょうか?

 過去ログにそんなメルマガに関する内容があったような……   ミッドランド
 


不肖こうもりの診断について 8062へのコメント
No.8077  Mon, 15 Oct 2001 18:38:07 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

 こちらも話題が変わってきたので、スレッドを変更します。

タレイヌさん wrote:

>ここからはタレイヌの単なるイメージなんですけど。
>医学的に「健常者と認定される」って、とても範囲が広い気がします。どちら
>かといえば、支障さえなければ、どんなに偏っていても、健常範囲内となって
>、健常側に、分類されるのではないのかしらねぇ・・?

この点についてはみどりさんへのコメントの時に指摘したように、わたしは
困難を抱えていない訳ではありません。

 ただし、それにしてもわたしが「診断を取得できるか?」ということと、「
支援を受けたいか」ということは別問題です。それは、末期ガンの患者が延命
治療を受けることを希望するか,苦痛を和らげる治療を受けるか,従容と死を
受け入れるか,を選ぶ権利があり、どの答えが間違っている訳ではない事と同
じです。言うなれば、障害者の自己決定権という奴です。

>それをあえて、「非健常」である・・と本気で訴えてくる場合は、何故、そ
>う思うのかについての検証が必要となって、「通りいっぺんの病気分類上で、
>診断はできない事」に、逆転してしまいませんか?

 ちなみに、わたしが軽度発達障害に着目しているのは、決して根拠がない
ことではありません。家族への聞き取り調査,わたしの記憶,子供の頃に受
けた検査の記録などにより、子供の頃に合計200項目にも及ぶ発達上の困
難を抱えていた事が明らかになっているからです。診断こそされていないも
のの「自閉症」「てんかん」「発達遅進」「MBD」「肢体不自由」の可能
性を指摘されていた事も事実です。さらにわたしが相談機関を転々としてい
た時はASはおろか、LDやADHDの事を知らない専門家も多かったので
す。従って、わたしが自身の所属確認のために検査を受けに行く事は正当だ
と思うのですが、いかがでしょうか?

 この点について、今の社会適応状態がどうであるかは、一切考慮に入れて
いません。

>だからこそ、「発達障害」のところまで、逆戻り(=深入り?)する事に
>なってしまうんでしょうけれど。(というよりは、そこに、原因を探そうと
>している、というべきかしら?)

 発達障害を「逆戻り」と考える点についてはわたしの障害観とは一致しま
せん。じっさい、英米圏では成人の軽度発達障害者向けに刊行された出版物
や情報網がいくつかあります。また、支援する側からみれば就労までを乗り
きればOKなのかもしれませんが、診断された本人にとっては一生付き合っ
ていくべき問題です。わたしから見れば、日本の発達障害の相談機関が原則
として18才以下の事例しか扱っていない事の方がよほど非合理的です。

 この点についてはもう少し言及したいのですが、わたしが日本LD学会の
雑誌に出す予定のコメントと重なってしまう恐れがあるので、ちょっとコメ
ントを控えておきます。では


Re: 軽度発達障害者と健常者の違い 8067へのコメント
No.8076  Mon, 15 Oct 2001 17:57:45 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

みどりさん wrote:

>憶測になりますが、相手にとって、こうもりさんのイメージと障害者のイメー
>ジがかけ離れすぎているので、こうもりさんを障害者と認めることは、その人
>の中の障害者のイメージを打ち砕く必要があるわけで、それには当然心理的抵
>抗があるのです (もちろん本人は無意識)。それでなかなか理解してもらえな
>いのではないかと思います。

よく言われます。今検査を受けている病院でも、ある心理カウンセラーが「
子供の頃の臨床像が今のこうもりの様子からは想像できない。」述べていまし
た。逆に子供の頃の臨床像を記録などで見ると、現在、支援を受けている成人
の軽度発達障害者よりも、はるかに重症に見えるそうです。つくづく、子供の
頃に特異性発達障害や広汎性発達障害の概念が普及していなかったことが悔や
まれます。知的障害を伴なわない発達上の困難はみんな「親の教育の問題だ」
と言って、切り捨てられるような病院の多い時代でしたからね。


不肖こうもりの診断について 8066へのコメント
No.8075  Mon, 15 Oct 2001 17:42:24 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

 内容がわたしの診断の問題に移ってしまったようなので、スレッドを移項
します。

みどりさん wrote:

>助けが必要な人と必要でない人の境界線は、助けが必要かどうかでしかひけ
>ないんです。弱者だからどう、弱者じゃないからどう、とグルーピングする
>のは、差別のもとになるだけです。

ええと、わたしの方は今回、支援という視点はほぼ視野に入れずにコメン
トしています。「障害者」という言葉は、わたしの特徴をうまく捉えている
概念が「軽度発達障害」に分類されていることが多いため、便宜的に使用し
ております。説明不足ですみません。

>で、やっと理解したんですが、こうもりさんがもともと必要なのは障害の認
>定よりも、障害による困難を他人に理解してもらう方策、なわけですよね。
>(そういえば手帳が欲しいって言ってたのはこうもりさんでしたっけ)

 以前、あさかぜさんにコメントした通り、わたし自身は「治療と支援と保
護は必要としていないが、障害者としての位置付けとインフォームド・コン
セントだけは必要としている」という立場です。逆に「わたしは支援はいら
ない」と発言して、Makichanさんたちから反発をくらっていますね。

 少し、補足しておくならば、これはわたし自身が障害者として困難を抱え
ていないという事を意味している訳ではありません。「わたしについてだけ
言えば、社会に適応できなければ野垂れ死にしてもいい」という特異な価値
観を持っているためです。当然の事ながら、この価値観はわたしにだけ適用
されるべき、私的ルールです。

 以前、やはり「わたしは生きなければならない根拠を持っていない」とい
うコメントをこの掲示板でしたことがあります。(自殺したいわけではない
のであしからず)生きる根拠を持たない人間に治療や支援や保護はそれほど
必要ではないのです。

 という訳で、今回の検査は障害者としての「所属」の確認とインフォーム
ド・コンセントを受けに行くという目的が全面に押し出されています。

 最後に面白い障害観を提供してくれてありがとうございました。


Re: 軽度発達障害者と健常者の違い 8070へのコメント
No.8074  Mon, 15 Oct 2001 15:51:16 +0900  syaku [この発言にコメントする]

横RES、悪いですが。

タレイヌ さんwrote:
>個々人は、『自分の認知方式』から、離れる事はできません。(体から、精神が抜け出したりはしないので…本来ならば。つまりこれができたら、病気!!)そして、他者と接触する時に、当然誰にでも均等におきる事が『自分の認知方式はいつも危険に晒される』ということです。

 これは、正常な人の常識なのでしょうね、多分。私には最も違和感を感じた文章でした。悲しい話です。私の根底的願望はタレイヌさんが「これができたら、病気!!」ということです。11才ぐらいから痛切にそうなりたいと思いはじめました。人の認知方式に囚われてゲームの駒にされるのは自殺したいくらい不愉快なことで、何とか逃れようと人は悟りを求めます。
<誰にでも均等におきる>
は正しくなくて、ADDはどうしようもなく主体が不明瞭だったりします。感じているのが、何の心か判別できずに苦しみます。
『自分の認知方式』を壊したいのが遊びです。開放欲求です。よく人のしたがる恋というのは、本質的に消滅願望です。それが浅いとストーカーで終わります。
犯罪にまでならなくても、暴力なだけです。自分以上の存在に融けたいのが恋愛であり、その先が宗教です。
存在の小ささへの嫌悪を捨てたくて、生き物は、関わりを肯定します。
 理性で世界を捉えることは純粋ではあるけれど、純粋というのは何かに勝つことではありません。
それなのに、いのちをゲームにして勝ちたいと思えば、何かを傷つけます。誰かの自由は、ゲームを生きる人を必ず傷つけてしまいます。辛いことです。ほんとうに。


こだわり料理道
No.8073  Mon, 15 Oct 2001 15:20:04 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 「味ぽん」のメーカーとして知られる「ミツカン」が東京の主婦二三一人を対象に行なった、調理器具に関するアンケート結果を見ていたら、うちのJoshyaさんがとても珍しいひとだというのがわかってしまってちょっとびっくりしました。

 アンケートによれば、「知らない調理器具」の代表として「焙烙(ほうろく)」と「片口(かたくち)」があり、焙烙は二十代・三十代の八割、四十代の五割が「知らない」と答えているそうな。うちのJoshyaさんは番茶をアルミの片手鍋で炒り、掻玉汁(かきたまじる)をパイレックスのメジャーカップで作っているのですが、「ああ、焙烙と片口が欲しい」とぼやいています。じつは焙烙はあるんですけどね。お盆の迎え火・送り火を焚くやつですけど。ちょっと違うと思う。注ぎ口のない急須のような恰好をしたのがいいようです。で、持ち手のところから炒ったものを取り出すようになっているのが便利とか。

 「昔使われていた懐かしの調理器具」の代表としては「擂鉢(すりばち)」(保有率73.2%、使用率16.5%)「鰹箱(かつばこ。アンケートの項目としては、『かつお節削り箱』)」(保有率22.2%、使用率1.7%)「七輪」(保有率8.2%、使用率0.4%)が上げられていました。うーん、Joshyaさんちでは七輪こそ使ってないけど擂鉢と鰹箱は現役バリバリだぞ。

 さて、ここで面白いことがあります。Joshyaさんの家ではかれこれ四十以上年前、Joshyaさんが生まれる前から擂鉢と鰹箱を使うのは男性の仕事でした。家業が塗師屋(ぬしや。渋屋(しぶや)ともいう。塗装業のこと)だったので、下地用の胡粉(ごふん)を摺るのに擂鉢は使うし、鉋だって研いだりします。だから包丁研ぎも男の仕事。
 で、女性の場合は台所仕事というのは「日常の一部」ということで、ついつい忙しさに紛れて手を抜いてしまうことが多いのだそうです(あたしが言うんじゃありません。主婦の皆さんの中にそういうことを主張される人が散見される、ということです。あしからず)。だけど、男のひとの料理って、そうじゃないんですね。なにか儀式のように、きちんとした手続きを踏まえてゆく。焙じ茶を淹れるときに、いちいち焙烙で炒るというのもそうした手続きの一部だし、行平なべでお粥を炊きながら、鰹節を掻くのも手続きの一部。葛を引いたお汁(つゆ)の中に、すぅーっと糸のように玉子を垂らして、天女の羽衣のように玉子が広がってゆくのを楽しんでしまうのも、また手続きの一部だったりします。で、研ぎすました包丁で薄く薄く削ぎ切りにして、茗荷の断面がきれいに見えるように、そして生っぽくならないようにするのもこだわりです。

 「郷愁(ノスタルジー)はそれと意識されている限りにおいて無害である」と、昔ある人に教わりました。こだわりも「こだわり」であると意識している限りにおいて、「遊び」や「粋」に通じる部分があります。

 「道具の手入れから洗い物・片付けまできちんとやる」「どこに何をしまうかきっちり決まっている」までやるのが「職人的こだわり」です。男の料理もそこまで貫くとカッコいいぞ。

 そんなわけで、家の中に自閉症的こだわりを受けとめる役割が用意されている、というのは、けっこう重要なことかもしれないと思うあたしでした。まる。

 (Maria)


横レス、普通に成りたい 8053へのコメント
No.8072  Mon, 15 Oct 2001 13:33:25 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

シンタロウ wrote:

> そのおかげでいじめられました。そんな自分が嫌でいつも「普通になりたい」と思い続けてました。でも、いくら普通になろうと努力しても普通にはなれなかったです。

 こんな例があります。僕は「普通に成るにはどうしたらいい?」と友達に問いました。色々話し合いました。

 結論的には、「君は普通に成りたい成りたい言うけど、自分から実践して無いし、同じ過ちを繰り返す。結局君は、普通には成れないよ。なぜなら、普通の人がやってる事を否定するのだから。」んでもって、「君は君の生き方(やり方)があってるんだよ、誰もそれを止めることが出来ない。君自身でさえ制御できないんだから。」

 っつーことらしいんですが、確かに思う所があります。シンタロウさんはどう思いますか?


Re: どなたか、教えてください。(別件追加!) 7901へのコメント
No.8071  Mon, 15 Oct 2001 11:24:03 +0900  Lingko [この発言にコメントする]

Mariaさんこんにちは。
>
> Lingkoさんもうちのメンバーが出汁に使ってしまったことがあります。ごめんなさい。

いえ、今、さがす余裕がなくて、味わったりウケたりを先送りにさせていただくけど、きっと楽しい話のようだから、素材として自分がお役に立てたんだと想像されるので。まだだしがらにはなっていないようですし。

> ぜんぜん関係ないけど、バンブルビー・フィッシュというハゼの仲間の熱帯魚がいます。かわいいぞ。

「余裕があることが確実にわかっているときに検索するもの」の項目に、貼っときます。そのときまでのお楽しみだわ。マルハナバチやクマバチのように丸っこいのかな。ミドリフグみたいな形状を勝手に想像して、あとはお楽しみとしておきます。

> 「Lingko」は「銀杏(gingko)」を意識しているのではないか、と勝手に想像しています。

してますしてます。それがすべてではないですけど。「lingo」と「link」を合成してみたってのもあるし、ちいさいときから「L」って字は好きだったし、いちょうはだいすきな木だし。最初の「筆記体のg」→「筆記体のy」の転記ミスという事情からいえば(このエピソードの真偽は知らないのですが、真偽はともかくとしてもお話としては気に入ってる)「ginkgo」の方が正式なのが残念だけど、私は「gingko」の方が自然っぽくて好き。

> 「銀杏(いちょう)」を「公孫樹」と書くのは「公孫」の代まで実がならないとか花が咲かないとかいったところに由来があるとかいった話を書こうと思ったら、「子」「孫」「曾孫(ひまご)」「玄孫(やしゃご)」まで調べたところで探索が尽きてしまいました。手元の漢和辞典にはこれ以上載っていません。しくしく。

私は「鴨脚樹」っていう表記も好きなんです。だってぇ。そのまんまでしょ。
>
> 「梅(むめ)遠近(をちこち) 南(みんなみ)すべく北すべく」。「ええですなぁ」と吐息(といき)してしまいます。

ああそうか。遠近を「をちこち」とあらわすのに揃えるなら梅は確かに「むめ」が相応しいですよね。実はこの句、音声でだけ覚えていて、表記を覚えていないのです。リズムが気に入って記憶に残ったからだと思うのですけれど。音だと、「むめ」でも「んめ」でも「うめ」でも、結局は、「ある音」になっちゃうものだから、区別したいという動機が私の側になかったのでしょうね。

と言いながら、膝の屈伸感覚、両手の羽ばたき感覚といった運動感覚と、予定の決まらない目移り気分(少しの加減で快感にも苦痛にも展開しうる)はすぐに再生されるのに、においはすぐには想起されないんです。まちがって沈丁花の方が出てきたり。

私の場合、すんなりと正しいにおいを想起できるのは、ある一連の体調の悪さに困っているときに多いことなので、それができないのは良いしらせでもあるのですけど。今はほかの部分が不調なので、これまでが重なったのでは大変ですから。

それでは、また当分ゆっくり読んだり書いたりできないと思いますので、しばらくさようなら。


Re: 軽度発達障害者と健常者の違い 8066へのコメント
No.8070  Mon, 15 Oct 2001 10:57:11 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

みどり さんwrote:

>こうもりさんは線をイメージしていらっしゃるようですが、私のイメージは円、もしくは球です。
>中心部に近いほうの人が健常者、いろんな方向にはずれた人が障害者。

正式に、はじめましての、タレイヌです。
タレイヌも、円、または球のイメージをもっております。

今、『人間であること』という限り在る平面(?)で、イメージしていくとするなら・・・・・在る一人の人間を、同心円、あるいは楕円、さらには、正多角形とは言い切らず、ゆがんだ多角形?でもいいから、仮にそれぞれ個々人を、描き、重ねていったとすると(そんな事できない!といわれたら、それまでですが)微妙に重なり合うこと、一部がかさなりあうこと、すぐ隣に在ること、全く離れてしまう事、という風にいろいろな場所に、描いていく事になるでしょう?それを、できることとして無限個(?)に近く重ね合わせていった時、なんとなく、色濃く線が重なっているところが、たち現れるんじゃないかな?タレイヌのイメージでは、『健常範囲』あるいは『正常範囲』とは、そんな形でしか、見えてこない。
そして、始めに、書いた、『人間であること・・平面概念』も、広さや、形自体が、その時代背景や、地域、文化に、左右されている・…のだろうと思う。

(追加。この平面を、時間に従って、縦方向に移動すれば、単純図式で(!)球体あるいは、立体形で、立ち上ってくる『形』が、見える気(?)がしているタレイヌ)

そこで、これがタレイヌにとって、何を意味しているかというと、
何を正常であると認識させられるのか!・・・・なのです。

個々人は、『自分の認知方式』から、離れる事はできません。(体から、精神が抜け出したりはしないので…本来ならば。つまりこれができたら、病気!!)そして、他者と接触する時に、当然誰にでも均等におきる事が『自分の認知方式はいつも危険に晒される』ということです。
ですから、みどりさんが、お書きになっている、

> 「人は自分の信じたい事だけを信じる」
>この言葉で、周囲の理不尽な行動のうち、かなり多くの部分に納得がゆきました。なにを言っても聞き入れてもらえなかったり、わかりきった内容をいつまでも誤解している人がいるのは、その内容がその人の信じたくないことだからなんだなあ、と。(>と同時にあきらめというか、悲観的な考え方が強くもなっちゃったんですが。)

という形で、なるべく、簡単に自己不安を、解消する人たち(=できる人達)が居るんですよ。自己検証もしないまま誰かに教え込まれた『普通は…』を、丸呑みする事で疑問をもたない(ことにしている)人達が、きっと。(手抜き処理だぞ!!わたしゃ、むかつくぞーーー!と思ってるタレイヌ)
まぁ、疑問を持つことは、さらに自己不安が広がる事では、ありますけど…確かに。

で、つまり、そこまでで、真剣に関われる段階は、終了するわけです。それ以上突っ込むと、「普通は、もめる」と、相手の側が判断するので、こちらとしては、諦める・・という事にならざるを得ません。

そうやって、あちこちで、「行き止まり」を、経験しながら、『ああぁ、この辺がつまり限界ってことか』って、タレイヌの場合は、思った。

ところが、ずるい奴・・というかMariaさんが、お書きになってる、『勝ちたいという欲求が、暴走する奴』は、その、行き止まりを、真剣に模索中の真面目な人達の前で、突然、『普通の側』に立ち、勝利の凱歌を、嬉しそうに上げたりするんだよ、「君は、昨日は違う論点で、喋っていたぞ?!」って、いぶかしげに見ている私らの視線にも気づかないで・・??だって、こいつの、昨日と今日をつなげてみると、言ってる事が矛盾するぜ!!でも、この人の中心に『何が何でも、目の前に登場する奴のうちで、勝てる奴には勝ってやる』というものがあるなら、一見ばらばらな主張であっても、「一纏まりな人格」には、成り得ますから。(こわ〜〜い)

この例が、決して正常であるとは言いませんが、でも、こんな事が繰り返されて、外側から眺めてみると、『健常者群』らしき概念が、個々人に出来上がってくるのかな・・と、思うわけです。

タレイヌ自身は、自分が、どの変に位置しているのかを、いつも、探しています。こうもりさんが、仰っているところの、『距離感を、量る』に、当たるところだと思います。もし、特に付け加えるならば、『健常者』あるいは、『健常者群』に対して、というよりは、むしろ、目の前に居る「一人の人間」に対しての、距離を個別にはかり、タレイヌなりの、図面に書き込み加えていっている…というのが、一番当たっているかもしれません。

なんか、いろいろ書いて、長くなってしまった・・・おしごとしなくちゃ。
それでは。

   (タレイヌ)


Re: SSRI(デプロメール又はルボックス) 8047へのコメント
No.8069  Mon, 15 Oct 2001 07:27:04 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Toxさん wrote:
> 抗精神薬を服用した場合、しばしばシンドロームマリン(悪性症状)と呼ばれる無動緘黙(カタレプシー)、強度の筋強剛(カタトニア)、嚥下困難、頻脈、血圧の変動、発汗などが発現し、それに引続いて発熱が見られることがあります。この場合は身体を冷やし、水分を補給するなどして、すみやかに処方医に連絡してください。
> また、長期投与により、遅発性ジスキネジーと呼ばれる口周部などの不随意運動が現れ、中止後も持続することがあります。

 詳しい情報をありがとうございました、Toxさん。

 SSRIをパキシルに戻してもらってから、見違えるように症状が改善しました。体調が悪いのは薬のせいだともっと早く気づいていれば、こんなに苦しまなくて済んだのですね。
 元々ぼーっとしているから、さらにぼーっとして異変に気づくのが遅れました。

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