アスペルガーの館の掲示板(旧)
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武田さんへ
こんばんは。ムーミンです。いろいろと貴重な意見を聞かせていただいてありがとうございました。武田さんはノースカロライナ州やTEACCHのことを書かれていましたので、私はとても分かりやすかったです。私は大学院で主に自閉症とTEACCHプログラムについて勉強をしております。この夏は国際治療教育研究所が企画をしているツアーで10日間だけノースカロライナに行ってきました。ノースカロライナでは実際にジョブコーチの支援をうけながら仕事をしている人達の様子も見てきました。ノースカロライナでは小学校に行くと同時に将来の就職へ向けた取り組みや勉強を行っているということを聞きました。早期療育や早期介入が重要であるということを言われていました。早期よりTEACCHプログラムによる一貫した指導を受け、就職の場面でもTEACCHの「スケジュールの構造化」による視覚支援を用いることによって働いている方も大勢いらっしゃいました。TEACCHを用いることによって自閉症の方々が働きやすい環境を作ることができるのではないかと私は思います。しかし私達がそのように思うだけであって、自閉症の方々はどのように思っているのかは分かりません。私は修士論文で「自閉症の方々が働きやすい環境とはどのような環境k」ということを考察した上で就労支援に持っていこうと思っています。そのためには、自閉症の方々がどのような考えを持っているのかを伺いたいと思っています。
あさかぜさんwrote:
> 先生がおっしゃるにはパキシルとルボックスはほんの少しだけ違うもので、効果はほとんど変わりがないはずとのことでしたが、わたしは自分の体験から人によって違うのではないかと感じています。
グラクソ社のパキシル(Paxil)は塩酸パロキセチン水和物、藤沢薬品(ソルベイ)のルボックス(Lubox)はマレイン酸フルボキサミンで別の薬です。ルボックスと同じくマレイン酸フルボキサミンを成分とする薬には、明治製菓のデプロメールがあります。
抗精神薬を服用した場合、しばしばシンドロームマリン(悪性症状)と呼ばれる無動緘黙(カタレプシー)、強度の筋強剛(カタトニア)、嚥下困難、頻脈、血圧の変動、発汗などが発現し、それに引続いて発熱が見られることがあります。この場合は身体を冷やし、水分を補給するなどして、すみやかに処方医に連絡してください。
また、長期投与により、遅発性ジスキネジーと呼ばれる口周部などの不随意運動が現れ、中止後も持続することがあります。
現在のところ日本で自閉症をはじめとする知的障害の人の就労というと、福祉作業所・単調な作業をする工場・会社の雑用係というのが、一般的になっています。これは、働いてお金がもらえる=幸せという図式に乗っ取ったものだと思います。
しかしながら、この考えは時として彼らを追いつめてしまうことになります。ある塗装工場の人は、自閉症の人たちの仕事ぶりについて次のようなことを言っています。「パニックのある重いのほうがよく働くんだよ、鍍金の液に製品をつけるときには、網をつけたりはずしたりしなきゃならんが、わしらでも5分・10分は速くできるが、30分は持たないよ・・・ところがやつらは1日やっても疲れ一つ見せないね・・同じ仕事をやっても俺らの倍もうけやがる。」私はこれは大きな間違えだと思います。本当は彼らも疲れているのだと思います。しかし言葉が不自由なため「疲れたよー」ということができないのでしょう。
またある訓練施設で私はもっと恐ろしい光景を見ました。10数人くらいの子がただ黙々と、周りの人からの暖かいコミュニケーションなしに、「作業を速く正確にやれ!」という冷たい視線の中で、作業課題にとり組んでいました。魂が抜けたような顔でねじの箱詰めをしている女の子の顔が未だに目に焼き付いています。
では自閉症の人が働きやすい・・・もっと言えば暮らしやすいところは、どう作ればよいのでしょう?私は、その成功の条件は次のようなものであろうと思います。
まず第一に、自閉症という障害がいかなるものであるかという幅広い理解を有する人の養成だと思います。N.カロライナ州大でのteacchプログラムの創始者であるエリック・ショプラーさんは、「自閉症者のケアをする人は、ジェネラリストでなければならない・・・」と述べています。また自らが彼らから学び取った生きた知識を、彼らの親御さん・彼らを取り巻く地域社会の人に還元するということも、障害を有する人に対する偏見とか無理解というものを払拭し、優しい心を人々にはぐくみ、彼らを支え働きやすく・暮らしやすい環境に導いていくことにつながっているのだと思います。
第二に、「どのような仕事・生活が向いているのか?」ということよりも、「いかに導けば、彼らは仕事・生活に適応していけるのか?」ということを真剣に考えて欲しいです。teacchの基本コンセプトには、「構造化」と呼ばれる仕事があります。これは自閉症の人たちが、仕事・日常生活・余暇をいかにすれば有意義に取り組んでいけるのかということを考えるアセスメントです。例えば軽度の人でも、部屋をほうきで掃除したり・草取りをしたり・食べこぼしで汚れた机をきれいに拭いたりという作業が苦手であることが多いです。そのために家族からいつもどやされて、自分は何もできないんだと思いこんだことがきっかけで、就労に踏み切るのに自信がもてないという人もいます。また、言葉が不自由だったりする重度の人はさらに深刻で、「あなたは、***なので・いつ・どこで・誰と一緒に・こんなふうなことをして欲しいの。」という具合に、ていねいに言い聞かせておかなければ、仕事に取り組もうとしない場合もあります。テーブルを拭くのが苦手な人には、「まず半分きっちり拭いたら、次の半分を拭くの。」と教えてあげれば良いですし、言葉の理解が難しい人には、絵カードを仲立ちにしてコミュニケーションをとるのがかなりの有効性を示しています。私もボランティア先にいた数の理解が困難な自閉症の人たちのために、板状のものを10個数えるための、三角柱型に牛乳パックを組み立てて頂点のところに10本の溝を切ってその下に数字を書いた道具を作ってやったことがあります。うるさい環境がダメな人には耳栓を・蛍光灯が苦手な人にはサングラスを・気が散りやすい人にはついたてをということは、気づけば直ぐにできる構造化であると思います。
第三に、ゆりかごから墓場まで一貫したケアの構築です。特にこれは教育・医療・余暇活動・居住といった分野において、大変重要なことだろうと思います。私がこれはすこいと思ったのは、N.カロライナ州では、自閉症の子どもの大人になってからの落ち着き先をあらかじめ確保しておく制度があるということでした。また日本ではことに軽度の子は、最近普通学級に入れることが多いのですが、これが仇となって、学年が変わった時に先生につらくあたられたり・いじめにあって孤立したことをきっかけに不登校になったり、そのトラウマが原因で大人になってからも何年もの間社会的引きこもりをつづけている子も多いのです。これにたいし、N.カロライナでは、teacchの専門家が学校で自閉症の子どもを指導する先生を選び・研修をして・個々の子どもたちの求めていることを伝え、その上で絶えず連絡を取り合って子どもたちの指導をしていて、教える内容も知識面だけに偏っているということはなく、コミュニケーションのスキルや社会的なルールもていねいに教え、中学生では花卉の栽培や木工製品の製作・ベルトコンベアー作業の実習もあるのです。さらには、職業指導も職場にジョブコーチという人が派遣されて、自閉症の人たちに実地訓練をしたり・事業所の人に対して彼とどのようにつきあうべきかということにたいして、指導を行ったりしてくれるというのです。そのせいかN.カロライナ州には、「職なし」の惨めな自閉症者は極めて少ないそうです。
さらに日本では、発達障害を一貫してみてくれる「児童青年精神科医」は、極めて少なくまだ120名ぐらいしかいません。これは私の持論ですが、各都道府県に発達障害児・者を専門的に・継続的に診てくれ・彼らが不安定な状態に陥った時には入院とかできるような病院が最低2,3カ所必要だと思います。自傷・他害をくりかえして家庭で手に負えなくなった青年が、精神病院に入院したものの服をトイレにに詰まらせてしまうという理由で鉄格子の中で裸にされ、親が面会の時に気づいて退院させたもの、発作を繰り返すようになって入退院を繰り返したあげく、極度に体調が悪くなって心不全で亡くなったという悲惨な例もあるようです。自閉症の本人・親御さんが泡をくわないような、信頼できる医療の充実も急がなくてはなりません。
タレイヌ wrote:
こんばんわ!pekoです、
>pekoさ~ん!タレイヌは、母で~~す。(アドレスは、ダンナの名前でぃっす、あしからずぅ。)
誠に申し訳ございません。 すっかり思い込んでました。根拠もなく
『ダディ』だなんて、素敵な『マミー』だったんですね!本当にごめんなさい。
pocks wrote:
はじめまして!pekoです。
>補足しますと、「距離が遠い」という比喩的表現の意味がわからないか、意味がわかってもどうすればよいかわからない可能性があります。そばに来て欲しい、腕を組んで欲しい、毎日メールして欲しい、何々の話を聞いて欲しいなど、彼にしてほしいことをできるだけ具体的に述べて下さい。
>好きな人の要求ですから、可能な限りかなえようとてくれるでしょう。
確かにメールで送っても何の返事もありませんでした。
いつも、私の話しは理解出来ないようです。一生懸命聞いては、くれるのですが、
最後の言葉は『解らない』なんです。
そう言えば、以前『いざとなったら素直に言ってくれれば何を置いても助けます よ』って言った事があったんです。その時は解らなかったんですが、
「ハッキリ言ってくれれば」って事だったのでしょうね!
> 高機能者の場合、要望に添いたいという気持ちは持っていることが多いのですが、どうすべきか察することができる人は希です。あつかましく大胆に要求をぶつけるのが自閉者とうまくつきあうコツです。
ACである私にはかなり難しい事ですが、ACを克服する為にも試して見る
価値はかなりあると思います。私のたっか~いハードルですね。
>この「好きだけじゃダメ」か、ですが、私も連れ合いに似たことを言っていてよく不満を漏らされていました。自閉者はただでさえ自分の感情をうまく表現できないことが多く、異性向けの豊富な愛情表現を身につけているということはまずありません。仮に知識として知っていてもうまく使うのはまず無理です。
納得できます。『あなたの解らない所であなたの事を思ってる・・・』とか
『心の中にあなたを受け入れる滑走路が・・・』とか語尾のハッキリしない
ような事を言ってました。
>「好き」というのはおそらく彼なりに精一杯の愛情表現ですから、素直に喜んであげて下さい。
解りました! 焦らずゆっくり、本当に少しづつ彼の事を理解していこうと思い ます。 ありがとうございました!
こうもり(包括性LD)です。これからは「こうもり」と「蝙蝠」という
2種類のハンドルネームのハンドルネームを使い分ける場合がありますので
ご了承ください。
で、ハンドルネームの使い分け方なんですが、当面は
(1)基本的に普段は「こうもり」というハンドルネームで投稿する
(2)激しい憤りを覚えた場合や、パニックが発生しかけている場合は「
蝙蝠」というハンドルネームで投稿する
という形をとります。「蝙蝠」というハンドルネームで投稿している時の
わたしの取り扱いにはお気をつけください。では
5月にASのことを知って目からウロコが落ちたみどりですが、今日になってやっと ADD/ADHD についても調べてみました。(トロい?)
診断基準を見て……うわ、なんでこの人(基準)、私の子供の頃のことを知ってるの?
ただ、程度で言えば、AS同様診断はつくかどうかあやしいくらいだろうな、どちらかというとASの方が強いだろうな、という印象を受けました。
関係ないんですが、最近髪を抜くようになってしまって困ってます。このままでは近いうちにハゲてしまう~と思いつつも、やめられないんです。これってなんで抜かずにいられないんでしょうね?
(いま鏡で見てみたら、実際一部ハゲかけている……ああんやめなくちゃ)
名加野 さんwrote:
自分の感覚に正直でありたいです。嘘で固めたような人間には決してなるもんかー(涙出てきた……
そうだよね。それと、はずしたのはずさないのってのは、りんご1個しか見てないんだよね。照準から目、外さなきゃ全体がわからないのに。
この頃の政治も、随分アスペっぽいよ。ケンカイコロー(ワッ漢字出た、狷介固陋。)っての。今の首相、こだわり強くて日本人ばなれの個性むき出し。和の国より、一心不乱の直情径行型になりたがって。
アメリカの腰ぎんちゃくやめて、難民救済で仏の国に徹すればいいのに。キリスト教徒にもわかりやすいだろうに。単一の視点に同調してついてくのは大人のすることじゃない。幼児が偉そうに武器振りかざしてるのが今の世界。鎧なんか、健康に悪いってば。国連のアナンさんみたいに、温和な子羊がいいな。
ADD的情深さ傾向、流行らせなくては。(俺も実は、かなりアスペ。昔、山中の孤城に一人で住みたがってた。人里離れた洞窟とか。)
あさかぜさん wrote:
> ただし環境要因によって、本人の意識がどの程度になるかは個人差が大きい
>ため、発達障害を背負っていても比較的楽(?)な人生を送ることのできる人
>もいそうな気がします。この場合は、本人の意識において健常者の側になるか
>もしれないです。
そうですね。成人LDの会とボランティア先の軽度発達障害者を比較してい
つも思うのは、「本当に同じ障害を抱えている人なんだろうか?」と首をかし
げたくなるぐらい、雰囲気が違うんですよね。障害観なんかもかなり違ってい
て、前者は「障害者であることを認めてほしい」という傾向が強く、後者は自
身の障害を認めようとしない傾向が強かったりします。
わたし自身が見る限り
(1)大人になってから障害を認定された人は障害者の側に所属意識を持つ場
合が多い
(2)子供の頃から障害を認定されていた人は健常者の側に所属意識を持つ場
合が多い
という傾向があるように思えます。(2)については、就労する時期になかな
か自分の障害を認めたがらない発達障害児が多く、問題にもなっています。
また、以前にもコメントした通り、発達障害の場合、軽度の方が自覚症状が
はっきり出てしまうせいか、高機能型とされる障害者の方が自分の障害に対し
て関心を持つ場合が多いような気がしています。
確かに一概には言えませんよね。
> すみません、わたしの文章って分かりにくいでしょうか?(今回はハズし
>ていないといいんですけど……)
いえいえ、そんな事ありませんって。
あさかぜ wrote:
> みどりさんの書き込みをよく読み返してみたら、わたしってハズしている(汗) 意味をよく理解しないまま書いていたみたいです。ごめんなさい。
いや、大抵の人はなかなかすーっとは理解できないらしいのが普通なので、お気になさらず。(フェミニスト運動のようなものと間違えられることも多い。)
> で、またハズすと思うんですが、実家で飼っていた雌犬の避妊手術した時、獣医さんが「雄でも雌でもない、わけの分からない変な生き物になります」と言ったことが妙に頭に残っています。
雄でも雌でもないってところはある意味納得がゆくのですが、なんらかの理由で不妊な人 (閉経後とか、ストレスで性欲がなくなっちゃった人とか) は、その獣医さんにとっては「わけのわからない変な生物」なのかしら。
こうもりさん、こんにちは。
「共感性の困難について」から発展的に進んできた部分だと解釈しましたので、こちらにレスさせていただきます。
こうもりさん wrote:
> ここでみなさんに質問です。医学的・教育学的に高機能の軽度発達障害者と
>認定されている人と健常者と認定されている人の違いはどこにあると思われま
>すか?
現時点では、すべてを網羅した推論はわたしには無理ですので、対人関係に絞って述べさせていただきますね。(社会性もかぶるかもしれませんが)
>(私見)
> 軽度発達障害者とは多くの人が自然に身につけていける事が自然には身につ
>いていかない人の事である。このため、社会性,注意集中,運動能力,学力,
>言葉などは意識的に学習していく事によって、習得する事になる。(この意識
>的に習得された物をわたしは「技術」と呼んでいます。)ただし、意識的な学
>習を続けていくことにより、自然に身につけていった人にはない洞察力や視点
>を獲得していく事も可能である。
上記には同感いたします。
意識的な学習が少なくて済むのが健常者(健常者でも、自然に身に付くだけでなく意識して学習する場合もあると思うのです)
意識的な学習を、困難や疲れを感じるほど数多くこなさなくてはならないのが軽度発達障害者と言えるかもしれません。
ただし環境要因によって、本人の意識がどの程度になるかは個人差が大きいため、発達障害を背負っていても比較的楽(?)な人生を送ることのできる人もいそうな気がします。この場合は、本人の意識において健常者の側になるかもしれないです。
下記のこうもりさんの場合とは逆の立場ですね。数は少ないでしょうけれど、まったくいないとは言い切れないと思います。
> しかし、意識的な学習は表面的な結果だけを見れば、「やっと普通の人と同
>じように行動できるようになった」としか評価されない場合が多い。このため
>意識的な学習に成功している領域においては、「そもそも障害などなかったの
>ではないか?」という疑惑にさらされてしまうのである。
すみません、わたしの文章って分かりにくいでしょうか?(今回はハズしていないといいんですけど……)
アトラさん wrote:
>http://www.tv-asahi.co.jp/bigwave/hanran/01.html
登場人物の一人が「自閉症気味」で「コンピュータが得意」らしい。
???
おはようございます。ムーミンです。
久しぶりに投稿させていただきます。
いきなりでとても申し訳ないと思うのですが、皆さんに
「質問」というか「お願い」というか協力していただきたいことがあります。
私は現在、某大学院で福祉を専攻しています。ちなみに修士課程1年です。
私は大学院の修士論文を『自閉症者の就労支援』というような
テーマで書きたいと考えています。
論文の内容は
1.自閉症者にとって望ましい就労形態はどのようなものか。
2.自閉症者にとって望ましくない就労形態とはどのようなものか。
3.援助者が自閉症者の就労を支援するのに適した方法とは
どのようなものなのか。
4.障害者の就労に関する制度や政策(障害者雇用制度など)は
どのようなものか
というようなことを研究していきたいと考えています。
協力していただきたいというのは、1,2,3の部分です。
私は、もし皆さんに協力していただければ、
この部分を(当事者の方を対象に)アンケートをとらせて
いただきたいと考えています。
たとえば、
1.あなたが「この仕事をしたい」と思う職種は何ですか?
またそれはどうしてですか?
2.あなたが「この仕事はしたくない」と思う職者は何ですか?
またそれはどうしてですか?
といったようなアンケートをとらせていただきたいと考えています。
私達がいくら「就労支援をする」といっても、
私達の発想だけで就労支援をしていては
自閉症の方々にとって、よい就労支援はできないと思います。
(僕は「支援」とか「援助」とかいう言葉はあまり好きではないのですが…)
「当事者の方々の意見と私達の意見が重なり合った時に
よい就労支援ができるのではないか」、と私は思っています。
そのためにはどうしても当事者の方の意見を聞きたいのです。
そういうわけで、もしよろしければアンケートに
ご協力していただきたいのですが、
よろしいでしょうか?
もし協力していただける方がいらっしゃいましたら
近日中に簡単なアンケートを作成しようと思っています。
お手数ですが、もしアンケートに協力していただける方がいらっしゃいましたら、
E-mailでも掲示板でも結構ですので、返信していただけると
大変嬉しく思います。
ぜひご協力をよろしくお願い致します。
こんにちは、みどりさん。
みどりさん wrote
>そこに「人間的に」という注釈をつけちゃうあたり、あさかぜさんは潜在的バイではないと思われます。(って私が診断してどーすんだ。)
診断ありがとうございます。確かにわたしは潜在的バイではなさそうです。
みどりさんの書き込みをよく読み返してみたら、わたしってハズしている(汗) 意味をよく理解しないまま書いていたみたいです。ごめんなさい。
で、またハズすと思うんですが、実家で飼っていた雌犬の避妊手術した時、獣医さんが「雄でも雌でもない、わけの分からない変な生き物になります」と言ったことが妙に頭に残っています。
生殖(種の保存)を抜きにすれば、生き物って雌雄は関係ないのかも……。人間だけすごく違っているということもなさそうだし。←ヒトゲノムと言ったって、ショウジョウバエゲノム(?)とたいした違いはないんだってことですしね。
あ……なんだか横へずれていってますね。これにて終わります。
大人になってからわたしは、周囲からの
「お前のどこが教育学的LD(軽度発達障害者なんだ?」
という質問に悩まされることがよくあります。(それは在日朝鮮人が「お前は
どこからどうみても日本人じゃないか?」と言われるぐらいショックだと言う
事を指摘しておきましょう。)
教育学的LDに限らず、健常者と発達障害者のグレーゾーンにあって軽度発
達障害と認定されている人にとって、医学的に健常者と認定されている人の差
異を説明するのは多くの困難を伴ないます。
サルトルのユダヤ人の定義のように「自分が軽度発達障害者だと思っている
人が軽度発達障害者なんだ」と言えないことはありません。しかし、やはり不
十分さを感じます。
ここでみなさんに質問です。医学的・教育学的に高機能の軽度発達障害者と
認定されている人と健常者と認定されている人の違いはどこにあると思われま
すか?
___________________________________
(私見)
軽度発達障害者とは多くの人が自然に身につけていける事が自然には身につ
いていかない人の事である。このため、社会性,注意集中,運動能力,学力,
言葉などは意識的に学習していく事によって、習得する事になる。(この意識
的に習得された物をわたしは「技術」と呼んでいます。)ただし、意識的な学
習を続けていくことにより、自然に身につけていった人にはない洞察力や視点
を獲得していく事も可能である。
しかし、意識的な学習は表面的な結果だけを見れば、「やっと普通の人と同
じように行動できるようになった」としか評価されない場合が多い。このため
意識的な学習に成功している領域においては、「そもそも障害などなかったの
ではないか?」という疑惑にさらされてしまうのである。
___________________________________
ちなみにわたし自身の定義に従えば、医学的・教育学的に軽度発達障害と認
定されていなくても、意識的な学習によって習得しなければならない領域を多
く持つ人は「軽度発達障害者」であるという事になります。
ayaさん wrote:
> なんというか、言いたかったことは、今まで私はうまく場所に応じた演技を
>やってるつもりだったけど、根本的な気持ちを理解しているわけではないので
>、実ははずしていたかもしれないな、と思ったんです。
「人生は演技である」
14才の頃に何となく思いついた一句です。一生演技的に生きていかならなけ
ればいきていけないのかな、という絶望感を持っていました。
本当に自分を踏みにじった奴と同じぐらいの対人操作能力を身につけたかった
です。
たあさん wrote:
> 人に話しかけられて、私が答えた内容に相手が機嫌が悪くなることが、時々
>あります。その時は、相手が不機嫌になったことには気がつくことはできます
>。ただ、その原因がわかるまで、時間がかかります。
議論とかをしている時はそんな事がよくあります。こちらがごく普通に議論
をしているつもりでいたら、相手がズタズタに傷ついていたり…。もっとも、
大概の相手は、わたしが好意・悪意を含めて感情的に接してこられるのが嫌だ
という事が理解できていないので、お互い様なんですけどね。
要するに、傷つくポイントがわたしとその人たちでは違ってしまっているだ
けなんだと思っています。
武田さんへ
武田好史さん wrote:
> 私も最近SSRIを横浜にある発達障害専門のクリニックで処方してもらっているのですが、「25㎎錠を寝る前に一錠飲んでください」といわれています。SSRIは抗うつ剤という薬の一種です。
武田さんが服用してらっしゃるSSRIは、精神不安、溜め込んだ感情の
爆発を抑える効果のあるものでしょうか?それとも、鬱で服用してらっしゃる
のでしょうか?
> うつ病はいろいろな要因が絡んで起こる疾患ですが、生理学的な要因として挙げられているのが、脳の中でのセロトニンという物質の不足です。脳の中にはセロトニンを使って、信号をやり取りしている神経のネットワークがあって、感情や睡眠活動・食欲などの欲求をコントロールしています。またこのネットワークは、危機感や意識の覚醒をコントロールしているノルアドレナリンという物質の量を調節し、それを信号のやり取りに使っている別の神経のネットワークをコントロールする役目があります。
> うつ病はちょっとややこしいのですが、「セロトニンが減るとノルアドレナリンが減る、ノルアドレナリンが少なくなると積極的な活動ができない状態すなわちうつ状態になる」という機構で発症しているといわれています。抗うつ剤はこの理論に基づいて作られた薬で、どれも脳内のセロトニンの量を増やす働きがあります。
> ではどのようにしてセロトニンを増やしているのでしょうか?ひとつの神経の細胞は軸索という腕のような部分でほかの細胞とつながりあって、情報をやり取りしています。軸索の先端とほかの細胞がつながった場所のことを「シナプス」といいます。つながっていると書きましたが、ぴったりとくっついているわけではなく、軸索の先端とほかの細胞の間にはわずかな隙間があります。神経の信号は電気信号ですから、この隙間をそのままでは通れません。そこでここでは特別に「神経伝達物質」という物質が軸索の先端から分泌されて、他の神経細胞側に流れることによって信号が伝わっていくのです。
> セロトニンはこの神経伝達物質の一種です。シナプスを流れる神経伝達物質の量は多すぎても少なすぎてもよくありません。そこで軸索の先端には、余計なセロトニンを吸い取るポンプがついています。しかしながらうつ病の人は、このポンプがあだになって、シナプスを流れるセロトニンの量が極端に減ってしまうのです。SSRIをはじめとする抗うつ剤の多くははこのポンプをふさぐ働きがあります。セロトニンが増えると、それが引き金になってノルアドレナリンの量が増します。
> セロトニンが増えるとノルアドレナリンが増すということは、SSRIを過剰に摂取するとノルアドレナリンも過剰に増えるということになります。ノルアドレナリンが過剰になると、眠れない・不安でたまらない・気持ちの抑制が効かない・いらいらするといった「そう転」という副作用が出る場合があります。
> とにかく一度主治医の先生と相談して、薬の量を調節してもらったほうがよいと思います。
『薬ミシュラン』(太田出版:本体価格1600円)のSSRIの解説にも同じ
ようなことが書かれてましたが、武田さんは本当に博識な方ですね。敬服して
おります。
パキシルを服用しているリゲルです。
みるさんへ(チャットでは「みるちゃん」「みるたん」と呼んでいますが
大勢の人が見ている公の場では、「さん」着けで呼ばせて下さい)
みるさん wrote:
>こんにちは。ADDのみると申します。
普通の精神科医に、ADDかどうか診てもらって、通信簿まで見せた
けれど「ADHDにしては軽すぎる」と診断名をもらってないけれど、
性格がADDに近いリゲルです(^^;
(小学校2年の時に、AS的性格で忘れ物がひどくて、私のことを
目の敵にしていた担任(あだなは「ジャイ子」)は、私が叫いた
時に、クラス全員に「リゲルをしばらく相手にしないように」と
呼びかけた。小学校教師が生徒に集団シカトを呼びかけた。
「ジャイ子」は私の母に「こんなに困った子はいません」と言った
そうだ。20年以上前の話だが、仮に街で「ジャイ子」に会ったら
「確かに私はあなたを困らせたけれど、集団シカトを呼びかける
なんて、教師として最低ですね。今でも恨みは忘れませんよ」と
笑って言ってやるだろう。(私怨入ってしまいましたね)
>不安神経症を併発して、
私は、会社を辞めて一ヶ月近くになりますが、アメリカ同時多発テロ
の日を境に、過呼吸と今にも発作が起こるのではないかという不安で
不安神経症気味になりました。
今では、発作が起こるのではという不安は収まったのですが
過呼吸と肩こりと無気力が続いています。
普段は、精神神経科に32条で通院しているのですが、診断名は出ずに
パキシルを服用しています。
心療内科の先生(塩爺みたいな感じの人)に「私は不安神経症でしょうか」と
訊いたところ、「そうだね。精神面での不安神経症だね」と言われました。
>その治療のためにSSRI(ルボックス)を服用して2年目(?)位になります。
>確かに不安感はキレイサッパリなくなったのですが、
>イライラ、そわそわ、せっかちになり、思い通りにならないと、
>「もう、まわりはなんでこんなにチンタラ行動してんのかしら!」
>という気持ちになってしまいました。
私は、強迫性障害、精神不安、自殺思念がひどかった時に、ルボックスを
服用していたのですが、あまり効き目を感じませんでした。
(当時は、身体面での支障はありませんでした)
パキシル(=デプロメール)を飲んでしばらくすると、身体面での、
不調は収まるようになりました。
AS的、ADD的性格を直すと同時に、早く過呼吸収まってよ~。
話が逸れてしまいましたが、SSRIを含めた精神科の薬(抗鬱剤、抗不安剤
睡眠薬)のことは、
『薬ミシュラン』(太田出版:本体価格1600円)という本に詳しく
書かれています。(高機能自閉症関係の情報はありませんが)
http://www.tv-asahi.co.jp/bigwave/hanran/01.html
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