アスペルガーの館の掲示板(旧)
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どうもこんにちは。まだ出てきてしまいました、ぶちです。
もしご存知だったらごめんなさい。
Maria wrote:
> 以前もこういうことがありました。「名伯楽」の「伯楽」というのは人の名前だというのが定説なのですが、その「伯楽」というのが星の名前だという話があるんです。「太歳白楽」といえば木星のことなのですが、「伯」というのは「お兄さん」という意味なのですね。「伯仲」といえば、「兄と弟」の意味です(こういうこと書いていると「伯父」と「叔父」の関係も調べたくなる)。でもって調べはじめたらわかんないんだよー! しくしく。
伯楽は天馬を司る星の名前でもあり、中国の周代の人で馬を見分け
るのにすぐれていた人の名前でもあるそうです(本名は「孫陽」)。
伯っていうのは、中国では尊称みたいなものですね。
両方とも似たような意味がありますけど、どちが最初だったんでし
ょうね?
少し話はずれますが・・・
伯も仲も、中国での兄弟の順序をあらわします。
伯は長男、仲は次男を通常表します。春秋の孔子は、仲尼ですから、
親にとって、男の子では2番目の子供だったわけです。男の子は長男
から順番に、伯、仲、叔、季と呼ぶ習わしだそうですが、4人以上い
た場合はどうするのかは知りません。季はちなみに「末っ子」という
意味だそうです。漢を起こした劉邦は、劉季で末っ子、お兄さん達は
みな、劉伯、劉仲と呼ばれていたそうです。お父さんは劉翁、劉おじ
さん的な呼び名です(きちんとした名前がなかったらしい)。
女性の名前にも叔や季が使われている場合もありますから(私が知
っているのは、古い時代のものですが)、兄弟の順序以外でも、姉妹
の順序を表す事も出来るのかもしれません。でも現在の中国では、姉
妹の順序を表す場合、これとは違った漢字が当てられていたと思いま
す。
ですから、普通日本では、伯父は自分の親の兄である「おじ」を表
し、叔父は自分の親の弟の「おじ」を表します。ちなみに舅という字
は、現代の中国では、母方のおじさんを表すようです。
本当の中国の親戚の呼び名は、もっとたくさんあって、すごく複雑
です(たとえば、母方のおばあさんと父方のおばあさんでは、呼び名
が違ったり。でもちょっと資料が現在手元になく正確には思い出せな
いです)。
中国では正式には、伯は父親の兄を呼ぶ場合につける呼び名です。
これから、父親より年長の男性を呼ぶ場合の(尊敬の意味を込めた)
敬称として用いられる事もあります。「伯伯」は血縁のない男性に尊
敬の意味を込めて呼ぶ場合に使ったりもします。これの逆に、「叔叔」
は子供が血縁関係のない人を、「おじさん」って呼ぶ場合に使ったり
するそうです。
調べるのが好きなMariaさんの事ですから、もう調べられた事かも
しれません。
Tienさんも、中国語や漢字には詳しそうなので、余計かな?と思い
つつ・・・(中国語は私にとって、第一外国語のようなもので、こう
いう所もまわりから見れば「変わっている」ようです)
あ、それと、いつも文章の先頭にスペース入れているつもりなんで
すが、入ってないです。今回も入ってなくて、読みづらかったらこめ
んなさい。(ぶち)
えーと、粘膜に異常は見つからなかったってことですよね。
名加野 wrote:
> こういう、すぐ気持ち悪くなると言う症状を治す所で、こうした方が良いというアドバイスがあったらお願いします。
> 神経質すぎるかなあ……でも自分では止められない……困りましたね。
私もそれ (神経質を止める方法)、知りたい……
一時期、自律訓練法の練習をしました。この訓練は簡単な条件反射づけだけなので割と気楽にできます。(というか、真剣にやってはいけない。)
20数えると全身から力が抜ける、というのまではできました。私にとって、多少なりとも「しようと思って脱力することができる」というのは初めての経験だったので、結構感動しました。
いまでも、たまに全身がガチガチになってるのに気づくと、やってみたりします。が、練習してないせいか今では効果はかなり薄く、ほんのちょっとだけ筋肉が緩んで、一度あくびが出るくらいです。
でも私は緊張すると呼吸がひどく少なくなってしまうタイプなので、あくびが出るっていうのはいい方向なのだろうと勝手に思ってます。
しかし、問題は、本当にキツいときには、なかなかこれをやろうと思うところまでいかないってことだったりします。
持前のナゾの集中力で、キツいときにはキツいことに集中してるのかも。
うまく「望ましくない集中状態」から離れる方法を知りたいですね。
あと、「なぜか気持ちの悪くなる飲食物」っていうのもあります。私の場合は窒素充填の缶飲料。(カルピスとか)
なぜかはさっぱりわかりませんが、飲んでると気持ちが悪くなります。そういうときに外部からのストレスが加わるとテキメンだったりします。
なんかヨタ話になってしまいました。
とりあえず胃カメラお疲れさまでした。
今週の火曜日の日経新聞の夕刊に、精神分裂病の患者さんたちが「病名を変更して欲しい!」と学会へ申し出たということを紹介している記事がありました。「どんな人も精神は分裂なんかしていない。分裂病という呼称は、いかにもなんか人間がぼろぼろに壊れてしまったようであまりにひどい!他の呼び方を考えて欲しい・・・・」これが彼らの訴えです。
本当にそのとおりだと私も思います。この忌まわしい名前のために、多くの人が偏見にさらされ・仕事をする能力があるにもかかわらず職に就けなかったり・家族と縁を切られたり・何年もの間病院に缶詰にされてきたのですから・・・・
さてそれとは全く別の話ですが、私は自閉症を分類する用語の中に、「この表現は使用すべきでない!」と強く感じたものがあります。 それは、「高機能自閉症」若しくは「機能の高い」・「能力の高い」というものです。
これはおそらくは、ウェラクス式知能検査の結果の成績に基づいてそのようにいわれているのだと思いますが、そうだとすると、言葉が話せないとか・数が理解できないという人や検査に使うカードをくるくる回し始めてしまった子・「落ち着きたい!」と思うあまりに部屋に入るなり体を丸めて常同をし始めて悶々としている子は、容赦なく反対の「低機能自閉症」・「機能の低い」「能力の限られた」という範疇に入れられてしまうことになるのでしょうか?もしそうなら、これは彼らに対してばかりでなく、彼らの面倒を毎日一生懸命に見ている親御さんや兄弟対しても、非常に失礼なことだと思います。
言葉は話せなくても、美しいビーズ細工や精巧な刺し子を作る人がいます。逆に話せてもめちゃくちゃに不器用で、「自分の未来は真っ暗だ」と感じて何年も引きこもる私のような人物もいます。こうしてみると自閉症のハンディ・真の能力と言語を媒体とした知能の高低は、全く切り離されたものに感じられてなりません。
障害の程度は、「軽度の」「重度の」という表現を用いる方が適切だと思います。
いろいろあってヘコみまくりのみどりです。
なんだか、わけもなく、つらい。(いろいろあったのもつらいけど、それと関係あるのかどうかもよくわからない感じ)
どうしてこの世はこんなにわからないことだらけなんだろー。
どうして私がわかることわからないことと、他人がわかることわからないことは、こんなにも隔たりがあるのだろー。
うぎゃぁ。
Maria wrote:
> さて、ここで面白いことがあります。Joshyaさんの家ではかれこれ四十以上年前、Joshyaさんが生まれる前から擂鉢と鰹箱を使うのは男性の仕事でした。家業が塗師屋(ぬしや。渋屋(しぶや)ともいう。塗装業のこと)だったので、下地用の胡粉(ごふん)を摺るのに擂鉢は使うし、鉋だって研いだりします。だから包丁研ぎも男の仕事。
Joshyaさんちってそんなに大家族なの? それとも職人さんがみんな男性で、その奥さんたちも一緒に住んでたとか?
ちなみにうちでは包丁とぎは私の仕事です。父は母と同じくらいの頻度で料理をしますが (母より後から始めたのに、母よりうまく手早い)、包丁は絶対研ぎません。母はたまに研ぎます。
でも別に「包丁研ぎは女性の仕事」ってわけでもないしなあ。以前ここに住んでた親戚などを入れても10人程度しかいないのでよくわからない。
>以前も、、アスペは大変。こちらは直ぐ忘れるから楽ですと言う人のコメントを見ましたが。
私の発言かしら。
みどりさん wrote in 『Re: 神経質について』(No.8114、17 Oct 2001)
>森田療法の本を読んだら、好きでもない掃除をきっちりと延々、気がおかしく
>なりそうになりながらも続ける自分を想像して、どっと疲れました。
>私は絶対近づいてはいけない世界だ…
あたしも「おけらの呪い」にハマってしまいました。「おけら」と「こけら」が似ていると思ったら、「おけら」の根は火にくべて衣類の虫除けにするのだそうで、その虫除けに使う「おけら」の根のスライスが「こけら」に似ているところから「こけら」→「おけら」となったんだそうです。で、「もちあわ」はのぎへんで、「おけら」は草かんむり。だけど「薄い木の板」の意味の「木へんに朮のテンのないやつ」にはテンがないんだよー! そのうえ発音は「ハイ」なんだよー! なのに「おけら」の発音は「ジュツ」なんだよー! なんでだー!
以前もこういうことがありました。「名伯楽」の「伯楽」というのは人の名前だというのが定説なのですが、その「伯楽」というのが星の名前だという話があるんです。「太歳白楽」といえば木星のことなのですが、「伯」というのは「お兄さん」という意味なのですね。「伯仲」といえば、「兄と弟」の意味です(こういうこと書いていると「伯父」と「叔父」の関係も調べたくなる)。でもって調べはじめたらわかんないんだよー! しくしく。
コンピュータ用の辞書編纂なんかをしていると、こういう細かいところまで首を突っ込んでいると仕事が進みません。だから、「近所の図書館まで調べて調べがつかなかったら諦める」という歯止めをかけています。だけど、やっぱり気になって気になってしょうがない。
自閉症方面の人間は研究者に向いているのか、それとも研究者っていうのがそもそも自閉症的なのか……
(Maria)
>名加野 wrote:
>> 逆です。遊んでばかりです。時間間隔が無いのでゲームすると、ずっとやり続けるでしょう。
>> それがストレスをためると、親は言いますが、逆にそれで横槍を入れられる方が、ストレスになると思うのは、詭弁ですか?
私の場合は、飽きても疲れてもそれに気づかずに続けてしまい (というか多少気づいたくらいではやめられない)、結局ストレスをためてしまいます。ま、それでも最初が好きで始めたのなら救われるのですが。
武田好史 wrote:
>森田療法の本でも読んでみる?
森田療法の本を読んだら、好きでもない掃除をきっちりと延々、気がおかしくなりそうになりながらも続ける自分を想像して、どっと疲れました。
私は絶対近づいてはいけない世界だ…
名加野 さんは、アスペですか?
名加野 さん、この間もとても気遣いのあるコメント有難うございます。
気持ちはわかります。。ものすごく気を使って生きているんでしょうね。
もし、、アスペだとしたら、、ですが。。ワカラナイ分、、色々と気を回して、
補ってしまうことってありますよね。。
私もそうだったけれど。。
そうでない人が、、結構世の中には居て、、ブルドーザーのようにやって来ることを知ってから、、出来るだけ、、応対は、、それ向きにと思うのですが、、中々
細かくなってしまいますね。
きっと名加野 さんも、この人はこんな人ではないだろうって、、人から失礼を受けても、(例えば、、、食べ物を要る要らないを,直ぐ言わないような失礼のような軽いものでも、、)勝手に人を判断しないで、気を回すのでしょうね。。
それは、、本当に神経を使います。
私も、、以前は、、神経を使ってカラ回りをしていたように思います。
神経を細かく使っても、、細かい人にしか伝わらないのです。気配りなどは。。
大分、馬鹿らしいと思うようになったり、やっぱり使ったりそのハザマです。
大抵の人は、、直ぐにこの人こうだ。。とか短絡的に、、簡単に慣れるように
簡単にしか慣れない様な構造になっていますもの。。。楽ですね。。神経的には。
以前も、、アスペは大変。こちらは直ぐ忘れるから楽ですと言う人のコメントを見ましたが。
お大事に。。
tuduです。
>1・コミュニケーションの障害
> 自閉症の人はどんなに軽度といわれる人でも、音声言語を聞いてメモを取ることや体の動きを作るということが困難です。また同時に自分が考えたことや見たことを正確に音声言語や文字情報へと表現していくことが苦手です。
> これは結構深刻な問題であると思います。特に迅速で正確な判断のもとに行動しなければならなくては事故が起こりやすい職場、外回り・電話応対がスムーズいかないと会社に甚大な損害が及ぶ恐れがある営業部門などは、多くのアスペの人は「嫌だ!」と答えるに違いありません。
> またどもりや吃音を「しっかりしろ!」と上司にいわれたり・杓子定規なことをとがめられたり、しっくりいく企画書を期限内に出せなかったり・昇進で後輩を教えることになって、自信をなくして会社を辞めてしまう人も少なくないと思います。
>
あと付け加えると、形式ばった話し方をしたり、自分が考えたこと、見たこと、聞いたことを簡潔に、迅速に話すことが苦手なところがあります。
>2・社会性の障害
> これはもっとありていに言うと、常識や正常から逸脱した行動どうしてもしてしまうということです。ある人は不意に人の話の中へ割り込もうとしてくるでしょうし、またある人はその人が自分のことを嫌っていると知らずにきれいだと思った女の人を見つめ「やめてよ!」といわれるでしょうし、またある人は会社の机にあるものを何でも自分の思いどおり並べようしたりするでしょうし、ある人は自分のぎこちない表情を直そうとして休み時間をすべて鏡を見つめて過ごし周りの人から「滑稽だ」と冷笑さたり、ある人はお金を節約したいということでコンパの2次会ということでカラオケとなると「あたしこれで帰る!」と帰ってしまうので友達ができなかったりします。さらには同じ話題について延々と話し続ける人もいますし、書類をワードに入力するときに1ページごとに「ね!ちゃんとできてる・・・」と確認を求める人もいます。
> また鬱状態になると風呂に入る・歯を磨く・ひげを剃る・服装を整える・机の周りを片づけるということがおっくうになってくるということも、男性の場合は問題になるでしょう。
> さらに時間の感覚のなさも問題になるでしょう。何でものんびりと丁寧やろうとする人は「速く!」という言葉に著しい抵抗を感じると思いますし、締め切りに追われることには極めて強いストレスを感じてしまうと思います。反対にものすごくせっかちで、だらだらしている後輩を見ると「何やってるんだ!」癇癪を起こす人もいると思います。
>
つまり、周りからどのように見られているかということが気にならないと思います。
>3・チック・常同運動・不随意運動
> これはかなりの自閉症の人が世間の人から「奇妙だ」といわれる大きな原因であるにも関わらず、未だに十分な治療や周りの理解が得られにくいハンディです。この前も横浜の病院に行ったときに、げんこつに握った左手の回りで右手をぐるぐる回している青年を見かけました。のどが「グーッ」となり続けたり・人前で言ってはいけない言葉を不意に言い出してしまったり・顔が引きつったようになったり・速い瞬きをしたりというのもあります。たいていは周りの人がそっとしてやることで治まることが多いのですが、頻繁に起こってしまう時は抗精神病薬の投与が必要な時があります。
これに関しては、人の目を見て話さないという所があります。
僕が思いつくことはこれくらいです。
タレイヌ さん wrote:
>すみませ〜〜〜〜〜〜ん!!
>噛んだところから、血は出ませんでしたかぁ・・・??
>
>殆ど、無意識に近く、<いらっしゃられる>と、打った、タレイヌでした。
>すみません。気をつけたいと、思います・…が。(あんまり、自信ない・…またやったら、チェック(!)入れてください。よろしくお願いします。)
いや〜〜〜〜〜ん! 本気にしたのー?
冗談だってば。確かに私はみんなに嫌われて、死ねって言われて受け取りたい保険金の金額まで言われて夜道で寝たりしたことあるけど。
”二人で聖書を”(明窓出版)がシリアスプロレタリアアートに見える人だけど。
だからって、タレイヌさんが一人でそんなに謝ってくれなくっても、猫5匹がちゃんと慰めてくれてるからぁ。
名加野 wrote:
>> また、努めて一日に一時間でよいから「仕事を忘れる時間」を設けること。
>
> 逆です。遊んでばかりです。時間間隔が無いのでゲームすると、ずっとやり続けるでしょう。
>
> それがストレスをためると、親は言いますが、逆にそれで横槍を入れられる方が、ストレスになると思うのは、詭弁ですか?
>
> どうでしょうね?
森田療法の本でも読んでみる?
次の本がお薦めだよ。
大原健士郎著 子どものための精神医学 講談社ソフィアブックス
「こけら落し」とか「こけら葺き」なんていう言葉があります。
この「こけら」という字はふつう「柿」と書かれているのですが、漢和辞典で引くと、本当の字は「柿」ではないのですね。右側の「市」の部分が、「なべぶた+巾」ではなくて、「一+巾」になっているわけです(意味は、木を薄く剥いだ板のこと)。だから、「柿」は九画だけど「こけら」は「八画」。
なお、木へんに「朮(おけら)」のテンのないのを書くこともあります。「述語」の「述」のしんにょうのないやつです。「こけら」と「おけら」で似てるんだけど、意味は「もちあわ」。手に米粒がねばっている象形文字だそうです。なんだかなぁ。
で、ここでちょっとイヤなことに気がついてしまいました。
「柿(かき)」の音読みは「シ」です(なるしまゆりさんの『となりの町で死んだひと』の主人公の名前は「落柿(らくし)キタ」君です)。ところが「肺」の音読みは「ハイ」なんですね。
「ま、まさか」と思って調べてみたら大当り。右側は「一+巾」が正字でした。「沛然(はいぜん)と」の「沛」も同じ。
これから一生「柿落し」とか「柿葺き」とか「肺」とか「沛然と」とかいった表記を見るたびに、「違うんだー! そうじゃないんだー!」と心の底でのたうち回るのかと思うとちょっとイヤ。
そんなわけで悔しいからここに書いちゃいました。(←こらこら)
(Maria)
Maria さんwrote:
> アンケートによれば、「知らない調理器具」の代表として「焙烙(ほうろく)」と「片口(かたくち)」があり、焙烙は二十代・三十代の八割、四十代の五割が「知らない」と答えているそうな。うちのJoshyaさんは番茶をアルミの片手鍋で炒り、掻玉汁(かきたまじる)をパイレックスのメジャーカップで作っているのですが、「ああ、焙烙と片口が欲しい」とぼやいています。じつは焙烙はあるんですけどね。お盆の迎え火・送り火を焚くやつですけど。ちょっと違うと思う。注ぎ口のない急須のような恰好をしたのがいいようです。で、持ち手のところから炒ったものを取り出すようになっているのが便利とか。
「片口」は、わかります。タレイヌ自身の離乳食(ウフフ、ふる〜いお話!)に、使ったやつが、食器棚に残ってたから。うーーん、子供らにみせてやらねば・・・・
でも、「焙烙」は、胡麻を煎る(?)フライパン・・のレベルしかわからない。(なさけな。)
> 「昔使われていた懐かしの調理器具」の代表としては「擂鉢(すりばち)」(保有率73.2%、使用率16.5%)「鰹箱(かつばこ。アンケートの項目としては、『かつお節削り箱』)」(保有率22.2%、使用率1.7%)「七輪」(保有率8.2%、使用率0.4%)が上げられていました。うーん、Joshyaさんちでは七輪こそ使ってないけど擂鉢と鰹箱は現役バリバリだぞ。
これは、同じく。子供の頃は、時々、七輪使ってるのをみた。今ごろは、アウトドア流行で、色んなパターンのレンジ(って言うかな?)あるけど。バーベキューだって、焼き鳥だって、まさか、焚き火じゃできないし。擂鉢は、年中使う。かつお削り箱は、2―3年前までは使っていましたが、お返しで頂く、削り節消費のために、使わなくなりました。1本の鰹節を、いただければ、使いこなせる道具の準備はできてるんですけど・・・。(子供に鰹節をみせても、なんだかわからなかったっけ!教えて、削らせるんだけどね)
> さて、ここで面白いことがあります。Joshyaさんの家ではかれこれ四十以上年前、Joshyaさんが生まれる前から擂鉢と鰹箱を使うのは男性の仕事でした。家業が塗師屋(ぬしや。渋屋(しぶや)ともいう。塗装業のこと)だったので、下地用の胡粉(ごふん)を摺るのに擂鉢は使うし、鉋だって研いだりします。だから包丁研ぎも男の仕事。
なんでか、うちも、包丁研ぎは、ダンナがやる。子ども達もやる。タレイヌはぜったいやらない。やったら、かえって切れなくなるんだって!!怒られるから・・それに、タレイヌが不自由を感じる前に、他の皆が不自由を感じるらしくて。全然へっちゃらな、タレイヌです。
> 「郷愁(ノスタルジー)はそれと意識されている限りにおいて無害である」と、昔ある人に教わりました。こだわりも「こだわり」であると意識している限りにおいて、「遊び」や「粋」に通じる部分があります。
ふーーん。そういうことか。なるほど、なるほど。
> 「道具の手入れから洗い物・片付けまできちんとやる」「どこに何をしまうかきっちり決まっている」までやるのが「職人的こだわり」です。男の料理もそこまで貫くとカッコいいぞ。
ああぁ、そこまでやってくれると、うれしいなぁ。途中で、やめられちゃうと、その後片付けるのが、結構大変なんだけど、気が付いているかな・…??→我が家の皆さんへ。
(タレイヌ)
武田さん おはようございます。
> ちょっときつい言い方かもしれないが、「僕は大丈夫だ」と開き直ること。
>どんな困難もいつかは、結末は良かれ悪かれ、終わりが来ると思うこと。
そうですね、そこが一番無い所でしょう。
体のちょっとした変化にさえ、緊張してるんですから。
例えば心臓の鼓動がちょっと違うだけで、「むなしい(ぽっかり心が空いている……違うかな……)」とか「不安」になってしまうようです・・・
今回の結果に、親は「早く寝りゃなおる」とか「座禅を組んで集中してろ」とか言うのですが。直るのかなあ……直ったら22年間は一体何?
> また、努めて一日に一時間でよいから「仕事を忘れる時間」を設けること。
逆です。遊んでばかりです。時間間隔が無いのでゲームすると、ずっとやり続けるでしょう。
それがストレスをためると、親は言いますが、逆にそれで横槍を入れられる方が、ストレスになると思うのは、詭弁ですか?
どうでしょうね?
名加野さん wrote:
名加野さん、昨日はお疲れぇ〜〜〜〜!
大変でしたね。読んでるだけでなんとなく息苦しくなったもん!
>その間テレビを見てた。「三匹が切る」がやってた。訳も無く笑うと言う発作が起きてた。
きっと、名加野さん、すごく緊張していたんだね。ASの息子もそうなんだけど、
緊張が強いと、妙に笑いが止まらなかったり、傍目からは『ふざけてる』と受け
とられてしまいがちな行動をとってしまうんですよね。
たぶん、名加野さんは、自分で気付かないくらい周りに気を遣ってしまって
いるんじゃないかな?ストレス度が強くなるほど、胸やけなどの胃酸過多症に
悩まされるらしいから、気をつけないとね。難しいとは思うけど・・・・・・
うまく気分転換できる趣味を見つけられたらいいですね。
>結局異常は出なかった。
何はともあれ、異常がなくてよかったじゃないですか!
>今日はブルーだ。
今の気分は何色?
武田好史 wrote:
>ムーミン wrote:
>>武田さんへ
>私は修士論文で「自閉症の方々が働きやすい環境とはどのような環境k」ということを考察した上で就労支援に持っていこうと思っています。そのためには、自閉症の方々がどのような考えを持っているのかを伺いたいと思っています。
>
> これは私の持論に過ぎませんが、自閉症の人たちが就労していくには、次のようなことがマイナス要因になると思います。
1・コミュニケーションの障害
自閉症の人はどんなに軽度といわれる人でも、音声言語を聞いてメモを取ることや体の動きを作るということが困難です。また同時に自分が考えたことや見たことを正確に音声言語や文字情報へと表現していくことが苦手です。
これは結構深刻な問題であると思います。特に迅速で正確な判断のもとに行動しなければならなくては事故が起こりやすい職場、外回り・電話応対がスムーズいかないと会社に甚大な損害が及ぶ恐れがある営業部門などは、多くのアスペの人は「嫌だ!」と答えるに違いありません。
またどもりや吃音を「しっかりしろ!」と上司にいわれたり・杓子定規なことをとがめられたり、しっくりいく企画書を期限内に出せなかったり・昇進で後輩を教えることになって、自信をなくして会社を辞めてしまう人も少なくないと思います。
2・社会性の障害
これはもっとありていに言うと、常識や正常から逸脱した行動どうしてもしてしまうということです。ある人は不意に人の話の中へ割り込もうとしてくるでしょうし、またある人はその人が自分のことを嫌っていると知らずにきれいだと思った女の人を見つめ「やめてよ!」といわれるでしょうし、またある人は会社の机にあるものを何でも自分の思いどおり並べようしたりするでしょうし、ある人は自分のぎこちない表情を直そうとして休み時間をすべて鏡を見つめて過ごし周りの人から「滑稽だ」と冷笑さたり、ある人はお金を節約したいということでコンパの2次会ということでカラオケとなると「あたしこれで帰る!」と帰ってしまうので友達ができなかったりします。さらには同じ話題について延々と話し続ける人もいますし、書類をワードに入力するときに1ページごとに「ね!ちゃんとできてる・・・」と確認を求める人もいます。
また鬱状態になると風呂に入る・歯を磨く・ひげを剃る・服装を整える・机の周りを片づけるということがおっくうになってくるということも、男性の場合は問題になるでしょう。
さらに時間の感覚のなさも問題になるでしょう。何でものんびりと丁寧やろうとする人は「速く!」という言葉に著しい抵抗を感じると思いますし、締め切りに追われることには極めて強いストレスを感じてしまうと思います。反対にものすごくせっかちで、だらだらしている後輩を見ると「何やってるんだ!」癇癪を起こす人もいると思います。
3・チック・常同運動・不随意運動
これはかなりの自閉症の人が世間の人から「奇妙だ」といわれる大きな原因であるにも関わらず、未だに十分な治療や周りの理解が得られにくいハンディです。この前も横浜の病院に行ったときに、げんこつに握った左手の回りで右手をぐるぐる回している青年を見かけました。のどが「グーッ」となり続けたり・人前で言ってはいけない言葉を不意に言い出してしまったり・顔が引きつったようになったり・速い瞬きをしたりというのもあります。たいていは周りの人がそっとしてやることで治まることが多いのですが、頻繁に起こってしまう時は抗精神病薬の投与が必要な時があります。
青い風さん wrote:
>私は、周りの人を信じていたから「棒」になりきれたのではなさそうに思う。
>回りの人がその状況で手を離すということがあるという可能性が頭になかった
>だけなのだ。
「バディ・システム」というものがあります。軍隊や警察、あるいはスキューバ・ダイビングなんかで、二人ひと組でお互いをフォローするシステムです。ソフトウェア開発の世界でも、ごくまれに採用されるシステムです。
とはいえパートナーに対して友情だとか愛情だとかいった感情を抱いているわけではありません。「相手を見捨てて自分だけが助かろうとしたら、世間に何を言われるかわからない」とかいった、世間体の問題でもありません。「相手に軽蔑されたくない」という感情でもなかったりします。ただ、「相手を見捨てて自分だけが助かる」というルールが、あたしにはないだけです。だって、恥知らずのエゴティストとバディを組まされることだってあるでしょう? そういう場合、「契約」以外に、相手に自分と同じ行動を取らせる方法はありませんから。ユダヤ教やイスラム教における神と人間の関係は、これに近かったりします。パートナーを見捨てて自分だけが助かろうとした人間は、見せしめのために公衆の面前でなるべく惨たらしく殺されて当然、とあたしは思います。それを赦すことは、たぶん死んだひとの家族にしかできないことだと思います。
ユダヤ教やイスラム教における「結婚」という概念は、これに近かったりします。あたしはそうした考え方を正しいことだと思います。ただし、制度として相手に押しつけるというのは非常にみっともないと思うし、自らに科すべきルールとしては当然のことだと思います。自分から望むことであっても、押しつけられるような性質のものではないと思います。「結婚」という制度は、自らを相手にコミットしたいと思った男女が発明したものであって、「結婚」という制度が先にできて、「結婚」という習慣ができたわけではないと思います。
>同僚の一人のお母さんが亡くなった。お悔やみの気持ちがどうしても出てこ
>ない。何もその人に言う言葉が見つからなくて、結局何も言えなくて唯普通
>に仕事の話しをするだけだった。相手の人の気持ちなど想像もつかない。
「大往生(だいおうじょう)」とか「本望(ほんもう)」という言葉があります。「(議場で死んだとしても)男子の本懐である」と言い放って、重傷をおして議会に臨んだ総理大臣がいます。「死=不幸」というのは、短絡的だとあたしは思っています。上辺(うわべ)だけの言葉を発して「この人は、何もわかっていない」と軽蔑されるよりは、言葉を保留したほうが、誠実なんじゃないでしょうか。
(Maria)
こんなゲームがあった。
一人の人が5、6人で輪をつくった、その真ん中に入って、その中で自由に倒れて、回りの人の一人に倒れ込んだら、倒れ込まれたその人が自由に好きなほうにその真ん中の人を押して、押されるままにまた別の方にいる人に倒れ込んで、その人にまた押してもらう。こんだけのことなのだけど、みんなうまくできなくて、体がぐにゃぐにゃしていた。でも、私はうまくできたんだ。初めてだったけど、自然に体がまるで一本の棒のようになったのが自分でわかった。押してくれた人の一人が、こんな風に倒れることができたら気持ちがいいだろうなと思った、と感想を言っていた。
このゲームは普通、人を信頼できるかどうかを示す1つのバロメーターだとか言う。でも、果たしてそうだろうか。私は、周りの人を信じていたから「棒」になりきれたのではなさそうに思う。回りの人がその状況で手を離すということがあるという可能性が頭になかっただけなのだ。
人が自分を悪く思うかもとかいう考えが頭の片隅にもなければ、挨拶ができなくても恥ずかしいという気持ちが起こらない。
同僚の一人のお母さんが亡くなった。お悔やみの気持ちがどうしても出てこない。何もその人に言う言葉が見つからなくて、結局何も言えなくて唯普通に仕事の話しをするだけだった。相手の人の気持ちなど想像もつかない。
これも体を一本の棒にして、その人に委ねてるだけなのだ。それが私。
こうもりさん wrote:
>
> 以前、あさかぜさんにコメントした通り、わたし自身は「治療と支援と保
>護は必要としていないが、障害者としての位置付けとインフォームド・コン
>セントだけは必要としている」という立場です。逆に「わたしは支援はいら
>ない」と発言して、Makichanさんたちから反発をくらっていますね。
私は反発なんかしてませんよ〜。こうもりさん(旧くるとさん)の障害者問題
に対する姿勢、考え方には尊敬の念すら感じています。私がぐうたらで、だらし
ないのです。
>
みどりさんwrote:
>だいたいわかったと思います。
>えーただ、基本的には相手の無知のせいなわけで、こうもりさんはそのとばっ
>ちりを受けてきたということですよね。
はい、今回の検査でひとまず「親のしつけが悪いせいだ」という線だけは消
されました。親は親なりに子育てには相当力を入れていたと思います。家族関
係で問題になったことがあったとしたら、むしろ過干渉や強引すぎる健常化の
圧力でしたから。(そのためのこじれはちょっとだけある)
で、今はわたし自身が「あなたのは個性なんじゃないの〜?」と言われて苦
しんでいます。うう…
>それに以前よりは状況が好転しているはずなので (世間の認識もこうもりさ
>ん自身の知識も)、万が一以前と同じような見当はずれのことを言われること
>があれば、せせら笑うなり金かえせと言うなりして、とばっちりでこうもり
>さん自身が傷つくのは防げるといいなあと思います。
要するにわたしの自己評価がきちんとしていれば、医学的評価がどうであれ
問題にはならないと思います。心配してくださってありがとうございました。
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