アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: お会いしたいです。 8326へのコメント
No.8328  Fri, 26 Oct 2001 19:46:49 +0900  まろんす [この発言にコメントする]

pennpenn58 さんへ

そうですね。
いつかオフ会とかで会える日がくるといいね。

それといつか
自閉者達が助け合って生活できる場が出来るといいなあ。


Re: 失業してしまいました。 8325へのコメント
No.8327  Fri, 26 Oct 2001 19:13:53 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

シンタロウ wrote:
> そうそう、健常者なんていなくなっちゃえばいいのに・・・・・・

君!すこしは思いやりをもちたまえ!
 あからさまにそんなことを口にするな!
地球は君のためだけに回っているわけじゃないんだぞ!
 君が憎んでいるであろう身近な健常者である親御さんが、君のためにどれだけ苦労しているのかがわからないのか!
 自分は独りで生活しているようにみえても、多くの人に支えられているということがわからないのか!
 
まあ俺も人のこと言えないが・・・


お会いしたいです。
No.8326  Fri, 26 Oct 2001 18:12:38 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

私のつたない投稿にレスをありがとうございました。るおうさん、武田さん、マロンすさん。その他の私の文章を読んで下さったみなさん、ありがとう。私の惨めな体験に共感していただけたのでしょうか?
  
 私はうれしくて胸が熱くなって涙が出そうになりました。夫は私がかなり要領の悪い人間だということは最近になって理解して許してくれるようになったのですがでも夫にもいえない惨めな体験はいっぱいあるのです。
 
 でも責められたりあきれられたりしないで受け入れてもらえて私はほんとうにうれしいです。みなさんとお会いしたいです。私が今まで会うことのなかった人種のかたたちがここにいるのですね。


Re: 失業してしまいました。 8324へのコメント
No.8325  Fri, 26 Oct 2001 18:03:37 +0900  シンタロウ [この発言にコメントする]

まろんす wrote:
>pennpenn58 さんへ
>
>めげるな!!
>私も働いている時はあなたと同じような理由で何度も解雇されました。
>できることなら
>同じ自閉系の人たちと仕事できたらいいのにね。
>
>自閉の人の為のSOHOみたいなのって無いのかしら?
>
>ちなみに私も地球ジンの感覚についていけません・・。

 そうそう、健常者なんていなくなっちゃえばいいのに・・・・・・


Re: 失業してしまいました。 8307へのコメント
No.8324  Fri, 26 Oct 2001 15:29:57 +0900  まろんす [この発言にコメントする]

pennpenn58 さんへ

めげるな!!
私も働いている時はあなたと同じような理由で何度も解雇されました。
できることなら
同じ自閉系の人たちと仕事できたらいいのにね。

自閉の人の為のSOHOみたいなのって無いのかしら?

ちなみに私も地球ジンの感覚についていけません・・。


しまった!
No.8323  Fri, 26 Oct 2001 15:26:48 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

 しまった!!今日のコメントはハンドルネームの使い分けをするのを忘れて
いました。うう…、情けない。


Re: 質問(自閉症の人のケアのゴールはどうあるべきだと思いますか?) 8317へのコメント
No.8322  Fri, 26 Oct 2001 15:24:36 +0900  蝙蝠 [この発言にコメントする]

武田好史さん wrote:

> そこでみなさんに質問です。
>
> あなたは「自閉症の人のケアのゴール」というものは、どうあるべきだと思
>っていますか?

医学的な診断が確定していない身であるため、ムーミンさんのアンケートに
お答えすることはできませんでした。この場を借りてお答えします。

 ずばり、自閉者本人がケアを必要としなくなる状態になることが、ケアの最
終的な到達点だと考えます。

 この視点はヴィトゲンシュタインの哲学書を読んだ時にひらめきました。彼
は自身の著作を「読者が高い地点に到達するための階梯(はしご)」と捉えて
おり、「読者が高い地点に到達した時、この階梯(彼の著作)は捨て去られな
ければならない」と考えていました。

 発達障害の問題を置きかえると、高い地点というのは「発達障害者の自立」
であり、階梯とは「発達障害者が自立するためのケア」を指します。すなわち
、自閉人が自立を達成しケアを必要としなくなった時、ケアという名の階梯も
また、捨て去られるべきだと考えます。


Re: 自然主義的誤謬 発達障害 8315へのコメント
No.8321  Fri, 26 Oct 2001 15:09:01 +0900  蝙蝠 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
> この「自然主義的誤謬」とかいうものを防止するには、その「価値」という
>ものに対して、「なぜそういえるのか?」「本当にそれは正しいのか?」「・
>・・であるものは、どう扱うべきか」という、懐疑・検証・対策ということを
>意識しなければならないのではないでしょうか?

レスが遅れてすみませんでした。検査を受けた後、ちょっと疲れが出て…。

 この自然主義的誤謬は、学問の世界ではどのように事実から価値判断を導き
出すか、という点に重点が置かれています。例えば、以前に例として挙げた医
学的LDの場合なら、「AくんはLDである」という事実から「Aくんには治
療や療育が必要である」という価値判断を導き出すことができるかどうかが問
題になったりします。まだ、対策の方向性を論ずる以前の問題しか扱うことが
できないのです。わたしがLD児の支援に関わるような場合は、自然主義的誤
謬の問題についての結論はひとまず保留して、応用倫理学の次元で行動を決定
することにしています。応用倫理学とはわたしの哲学の師匠の定義では、絶対
的な価値観の問題は保留して、現時点で自分にとって最善と思われる行動原理
を導き出すための学問です。で、この応用倫理学の次元で導き出した結論に従
って、わたしは究極的には「AくんはLD児である」という事実から「故に支
援をすべきである」という価値判断を導き出すことができなくても、Aくんに
対して支援を行う場合がある訳です。

 で、この応用倫理学の観点から言えば、LD児に対してどのような支援を行
うかについて方向性を考えぬくことは極めて重要なことです。例えば、「LD
児に何のために勉強を教えるのか?」「そのLD児をどのような大人にするつ
もりなのか?」「LD児に社会の基準に合わせることを要求するだけでなく、
社会がLD児に合わせる必要がないのか?」など…。この場合、自然主義的誤
謬のような絶対性を求めるような基準に従って価値判断をしていくと、どうし
てもうまくいかなくなってしまうのです。

 一貫性のない態度のように見えるかもしれませんが、わたしの中ではそれほ
ど矛盾していません。わたしの哲学の師匠もボランティアの独善性を徹底的に
批判していましたが、本人自身は「国境なき医師団」にボランティアとして参
加していました。矛盾の中で生きていかなければ、学べないこともあります。


Re: 名加野さんのアイスクリームについて 8319へのコメント
No.8320  Fri, 26 Oct 2001 14:54:48 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

るおう wrote:
>pennpenn58 wrote:
>
>> この世の中には暗黙の了解がいっぱいあってなかなかそれを読みとるのは難しいけれどここまでがんばって生きてきました。あとどのくらいかなあと私はいつも空を見上げるのです。坂道のてっぺんを見上げるように空を見上げるのが私の癖になりました。 
>
>
>空は良いですよね。

探しても 探しまくっても この星に
居場所なく じっと空を見る
好史


Re: 名加野さんのアイスクリームについて 8318へのコメント
No.8319  Fri, 26 Oct 2001 13:32:21 +0900  るおう [この発言にコメントする]

pennpenn58 wrote:

> この世の中には暗黙の了解がいっぱいあってなかなかそれを読みとるのは難しいけれどここまでがんばって生きてきました。あとどのくらいかなあと私はいつも空を見上げるのです。坂道のてっぺんを見上げるように空を見上げるのが私の癖になりました。 


空は良いですよね。


名加野さんのアイスクリームについて
No.8318  Fri, 26 Oct 2001 12:22:53 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

 名加野さんのアイスクリームのエピソードはいたい。まるで私自身のトラウマのように意識にのぼってきます。

 私にも少し似た経験があります。ほんとうは匿名で投書したいぐらいなのですが大学時代のことです。私は友人の何人かと友人のアパートに泊まることにしました。友人がパジャマ代わりにドサッと洋服を出してくれて私は友人のジーパンを借りたのですが朝になってトイレに行ってみたら股の所に血が付いていたのです。私は生理になったのかと焦ったのですがそれはもともと友人がつけた血液でした。

 でも私はパニックになってしまったのです。もちろん友人は貸したジーパンに血が付いていたなんて思いもしないだろう。ということはこれは私の生理の血ということになる。私は焦りつつ黙ってジーパンを持ち帰りました。そして悩んで悩んで結局、血が付いたままのジーパンを友人に返してしまったのです。クリーニングに出そうか、どうしようか迷いつつ結局これは友人が汚したのだから私には何の責任もないのだという結論に達して黙って返したのです。
 
 最悪の結末。私は思いもかけないはじめての状況にパニックになってしまったのです。大学生にもなってなんと未熟だったことか。私は今でもそのことを思い出すと胸が苦しくなります。

 そんな人に言うのもばかばかしいような恥ずかしいことがいっぱいあります。でもさすがに年を取ると少し失敗が少なくなるかもしれません。でも慣れないこともいっぱいあります。社交辞令で言われたことを本気にしたり・・・・

 この世の中には暗黙の了解がいっぱいあってなかなかそれを読みとるのは難しいけれどここまでがんばって生きてきました。あとどのくらいかなあと私はいつも空を見上げるのです。坂道のてっぺんを見上げるように空を見上げるのが私の癖になりました。 


質問(自閉症の人のケアのゴールはどうあるべきだと思いますか?)
No.8317  Fri, 26 Oct 2001 09:53:41 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]
みなさんおはようございます。
 僕が最近疑問に思っているのは、みなさんが「自閉症の人のケア」というものに
対して、どのような到達点を求めているのかな?ということです。
 先週ごろムーミンさんが就労支援に対するアンケートをだしましたが、誰も答えませんでした。
 これはそれよりも重要なケアに対する課題があるということなのだろうと思います。
 そこでみなさんに質問です。

 あなたは「自閉症の人のケアのゴール」というものは、どうあるべきだと思っていますか?


 
 

Re: アスペルガーかも? 8306へのコメント
No.8316  Fri, 26 Oct 2001 08:54:30 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

えびす生 さんwrote:

>アスペルガーと診断されたわけではなく
>アスペルガーの状況とよく似ている点が多いとしか言えないのですが

診断は、とても難しいと思います。
ご本人、親御さん、その他、多くの人が時間をかけて行うものですから。

>そのように判断してから
>接し方が変わってきた自分がいます。

診断とは別に、どうやって接していくかは、力量のあるかただと、自力で、ある程度まで、こなす事は可能です。
(えびす生さんは、力量ありと、判断している、タレイヌ)

>そうして
>わがままだ、自己中だと思っていたのが
>素直な子だ
>という見方に変わってきました。

それは、とても素晴らしい事だと思います。視点の変換は、普通、とても難しい事で、どなたにでもできることではありません。

>
>でも、
>今日あまりにも丁寧な私の態度に
>ぎゃくに彼女は傷ついてしまったかもしないと今思っています。
>「わたしはばかじゃないのに」
>「私の障害 私の個性」に中に何度がでていた表現
>そんな気持ちにさせてしまったかもしれないと思って
>いま自己嫌悪中です。

(ちょっと、それますが、彼女が、そう感じる事自体は、これからもあるし、あって当たり前なのです。成長していくのには、必ず必要なステップです。ただ、おなじ状況は、此の先作らないですむほうがいいですよね。でも、自己嫌悪するくらい、えびす生さんご自身が認識できている事は、重要で、大切な事だと思います)

>ううん、教育って難しい。
>先生って難しい。

多くの力量ある先生方が、周りからの圧力や、たった一人で頑張りすぎて、潰れてしまうのを見てきました。

実は、タレイヌの長男は、LDでした。(過去形なのは、今なら、たぶん、アスペルガー症候群と診断されたと思うから)
小学校1年生で、運良く、力量ありの、担任にあたり、カウンセラーとのつながりをもてたことで、彼なりの生き方を、見つけて、今に至っています。(現在22歳)

先生お一人の力では、限りがあると思います。(えびす生さんを、せめているわけでは、ありません。)良い感性をお持ちなので、ぜひ、色々な立場の方と、上手に連携することで、えびす生さんがまず、自信を取り戻し、その上で、彼女の成長に、将来の見通しを持って「今」を接していってもらいたと、願っているのです、切に・・・。

お気持ちがあれば、上部「タレイヌ」の、ブルーの文字をクリックすれば、タレイヌ個人のアドレスに繋がります。もし、おいやでなければ、ご連絡ください。
現在の、えびす生さんの、悩みは、本気になっている先生方の、多くが、模索なさる事です。同様の経過を辿り、頑張りつづけている先生方を、ご紹介できるかと思っております。(因みに、長男の担任だった先生も、退職なさいましたが、いまだに教育にたずさわっておられますし、タレイヌとも親密な付き合いになっております)

  (タレイヌ)


Re: 自然主義的誤謬 発達障害 8308へのコメント
No.8315  Fri, 26 Oct 2001 08:34:30 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

 この「自然主義的誤謬」とかいうものを防止するには、その「価値」というものに対して、「なぜそういえるのか?」「本当にそれは正しいのか?」「・・・であるものは、どう扱うべきか」という、懐疑・検証・対策ということを
意識しなければならないのではないでしょうか?


Re: 自然主義的誤謬 悪について 8311へのコメント
No.8314  Fri, 26 Oct 2001 06:43:38 +0900  蝙蝠 [この発言にコメントする]

みどりさん wrote:

>そういえば、善悪の判断って、どうしてもしなきゃいけないものなんですかね?
>なんで私は (おそらく他の人も?) 普段、「これは悪いことじゃない!」とか、
>そういうことを考えてるんだろう。悪くなかったらなんだっていうんだろう。

もう1つの顔であるこうもりの個人的事情について言えば、あやふやな状態
に耐える耐性が極端に低いためもある…。こうもりは「自分の障害が発達障害
のどこに位置付けられるのか分からず、混乱している」という理由で、とある
病院を受診して検査を受けた…。今月のことである…。

 悪の問題についても、善悪のあやふやな関係に耐えられずに学び始めた可能
性が高い…。それがわたし蝙蝠の「悪に対する異常な興味」と結びついて、今
に至っている…。

 話は変わるが、「なぜ、悪いことをしてはならないのか?」「なぜ、道徳的
でなければならないのか」というテーマについてはニーチェがすぐれた分析を
行っている…。原典を読むのは難しいが、永井均氏と笹澤豊氏が面白い解説書
を出しているので参考にされたい…。

永井均『これがニーチェだ』(講談社現代新書)
笹澤豊『道徳とその外部』(勁草書房)


Re: 自然主義的誤謬 発達障害 8312へのコメント
No.8313  Fri, 26 Oct 2001 06:13:56 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

こうもり wrote:

>>こうもり wrote:

> 実はこの定義に引っかかるようであれば、立派に自然主義的誤謬に基づく解
>釈をしていることになるんです。上記の1文はあえて自然主義的誤謬に抵触す
>るような形で表現しています。

 表現を誤まりました。「この定義に引っかかるようであれば、自然主義的誤
謬の概念を正しく理解している」というのがより正確な表現です。


Re: 自然主義的誤謬 発達障害 8310へのコメント
No.8312  Fri, 26 Oct 2001 06:09:31 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

みどりさん wrote:

>こうもり wrote:
>> ここで使用している正常と異常は
>>(1)正常…通常はこうあるべきである
>>(2)異常…通常はこうなるはずはない
>
>(いきなり話がそれますが、「通常」と「べき」がセットで書かれると、すご
>ーくひっかかるんですよね。警報がなる感じ。)

実はこの定義に引っかかるようであれば、立派に自然主義的誤謬に基づく解
釈をしていることになるんです。上記の1文はあえて自然主義的誤謬に抵触す
るような形で表現しています。

>
>> 当然のことながら、自然主義的誤謬の世界ではこのような価値判断は一切無
>>効になります。それは性による差別の問題とは一切関係なくです。
>(中略)
>> つまり、臨床的な事実から診断を下すという行為も自然主義的誤謬の範疇に
>>入ってしまうのです。
>
>このあたり、なぜかわかりませんが、読んでるとなんとなくトートロジーな感
>じが沸いてきてしかたがないのです。きっとなにかを大きく見落としているの
>でしょう。

自然主義的誤謬も徹底的に排除していくと、トートロジーにつながっていく
のかもしれませんよ。ヒュームは「である」から「べきである」という結論を
導き出すことによって「(これまで論じてきたこととは違う)新しい世界が開
けてしまう」と述べています。

 また、ムーアという近代倫理学の祖ともいうべき倫理学者の著作はヒューム
の影響を受けているのですが、トートロジーなのではないかという批判が絶え
ません。だからみどりさんの理解は意外に正しい理解なのかも。

 どうも、ややこしい文章ですみません。


Re: 自然主義的誤謬 悪について 8290へのコメント
No.8311  Fri, 26 Oct 2001 02:49:10 +0900  みどり [この発言にコメントする]

蝙蝠 wrote:
> 哲学を学んでいるうちに価値判断が成り立たない領域に入りつつあるため、
>これまで考案してきた倫理思想をもう1回再構成しなければならなかなってき
>たからである…。感情に訴えて善悪を判断する方法はもはやわたしには通用し
>ない…。そして今、理論による善悪の判断も自然主義的誤謬の存在によりいき
>づまりはじめている…。

そういうことでしたか。

そういえば、善悪の判断って、どうしてもしなきゃいけないものなんですかね?
なんで私は (おそらく他の人も?) 普段、「これは悪いことじゃない!」とか、そういうことを考えてるんだろう。
悪くなかったらなんだっていうんだろう。

ああそういうことか。こうもりさん (or 蝙蝠さん) はとっくの昔にこういう道を通ってここへ至るわけなのかな。


Re: 自然主義的誤謬 発達障害 8303へのコメント
No.8310  Fri, 26 Oct 2001 02:31:01 +0900  みどり [この発言にコメントする]

(やはりというべきか) 付け焼き刃ではこの話を続けるのは難しそうですね。
本題については本を読んだりしてもう少し考えてからまた (忘れた頃になるかもしれないけど) 出直してきたいと思います。

こうもり wrote:
> ここで使用している正常と異常は
>(1)正常…通常はこうあるべきである
>(2)異常…通常はこうなるはずはない

(いきなり話がそれますが、「通常」と「べき」がセットで書かれると、すごーくひっかかるんですよね。警報がなる感じ。)

> 当然のことながら、自然主義的誤謬の世界ではこのような価値判断は一切無
>効になります。それは性による差別の問題とは一切関係なくです。
(中略)
> つまり、臨床的な事実から診断を下すという行為も自然主義的誤謬の範疇に
>入ってしまうのです。

このあたり、なぜかわかりませんが、読んでるとなんとなくトートロジーな感じが沸いてきてしかたがないのです。きっとなにかを大きく見落としているのでしょう。

> 発達障害の診断ではBの寄り道がどうしても必要です。仮に医学的に健常と
>評価される子供の発達と違いがあったとしても、事実のみを記述する場合は、
>「健常児とは発達においてこの点が違う(あるいは遅れている)」という記述
>しか行うことができません。これに「障害」とか「困難」とか言う価値判断を
>加えた時にはじめて診断は成立します。しかし、「障害」とか「困難」という
>価値判断を加えた時点で、診断は自然主義的誤謬の範疇に含まれてしまうので
>す。

ああ、それだとなんとなくわかる気がします。
しかしまだなにかが気持ち悪い。なにが気持ち悪いのかよくわからなくてさらに気持ち悪い。

>従って、自然主
>義的誤謬は他者に向かって語りかけられた事実ではなく、ヒューム自体が抱え
>ていた違和感なのです。ヒューム自身は真理を追究する学究の徒であったため
>にこの問題にひどく苦悩していたと言われています。

なるほどね。調べてみるのがさらに楽しみになってきました。

> 今のわたし自身はとてもじゃないが、自然主義的誤謬を犯さない形でコメン
>トをすることはできません。わたしのコメントから価値判断を排除してしまえ
>ば、何もコメントすることができなくなってしまいます。

「自然主義的誤謬を犯すコメントをする」というのは、少し前の「間違いであることと実際するかしないかは別だ」という話に見事にマッチしていて素敵です。


Re: ちょっと聞いてもいいですか? 8296へのコメント
No.8309  Fri, 26 Oct 2001 01:59:57 +0900  ぶち [この発言にコメントする]

どうもあさかぜさん、こんにちは。

あさかぜさん wrote:

> そうなんですよ。効率が効果的なときは、そうするのがいいと感じます。でも、効率がすべてではない事柄って、世の中には多いように思います。人間関係なんかはそれが典型的ですね。夫婦関係・親子関係・家族関係なんかは「濃い」関係なので、時間がかかっても仕方ないと思います。

あ、このあたりは大丈夫です。人間関係に関してはなぜか気が長いですから。
私の詰まる原因って、実はとんでもなく簡単な事だったりするから。どう目的地にどう行ったらいいのかわからないのに、まわりの人に聞けないとか、問い合わせの電話がかけられないとか。特に私は電話が苦手。
後で、「さっさとやれよぉ(自分に)」「もっと早く頼めば良かった」って思うのに、やってしまうんです(現在英語圏で生活しているので、コミュニケーションで、ケッコウ苦労している。あの手この手でかろうじて目的は達しているんですが、落ち込むこともしばしば・・・)。

(ぶち)

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