アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
武田好史さん wrote:
>みなさんこんにちは。
> 今日はみなさんが就労に関してどのような意識をもっているのか、お尋ねしたいと思います。
>4・その他
今回、保健所の勉強会で、病院でケース ワーカーをされている精神保健福祉士
の方の話を聞いて、生活支援センターなどの施設を利用するのも いいかな、と
思います。支援センターで働いておられる相談員に自分がどの程度、社会性に困
難をもっているかを理解してもらい保護的配慮を受けられる、職場を斡旋して
もらえるよう働きかけてみたらどうかともおもいますが……。
こうもり wrote:
> ちょっと追加です。わたしは償いには2種類があると思います。
>
>(1)過去に対する償い
>
> 過去のおこなった加害について、被害を受けた本人に直接償うこと
実際のところ、これが可能なケースはあまりない (特に内容が深刻なものは) と思うのですよね。
被害を受けた側は、加害者に関与されること自体が新たな被害となるかもしれませんし。
被害者が加害者を許せるようになるような行動を取るってのがせいぜいかなあと。
話が少しずれますが、私がいつも疑問におもうのは、誰かの家族を殺したとして、その家族に補償するってのはどういう根拠によるのかなあと。
本人への補償をしてそれを家族が相続するならまあわかるんですけど、どうもそうではないようです。
悲しみに対するものなら、なぜ家族なのか。家族以上に大切な友人は。籍を入れていなかった恋人は。被害者が抜けたおかげでつぶれちゃった会社は。それらのものをさしおいてなぜ家族だけが優遇(?)されるのか、私にはよくわかりません。
(家族を特別扱いすることに関する疑問はほかにもつきないんですが)
>(2)未来に対する償い
>
> 過去の過ちを反省し、二度と繰り返さないこと
この二つを、時間的なものととらえてもいいんですが、私は対象の違いと考えた方がわかりやすいかとも思います。
「悪」とされているものの多くは、そのものの善悪は別として、「それを悪いことにしておかないと社会的にいろいろまずい」という側面もあるわけです。
(私自身は「そのものの善悪」というのは誰にも決められない、もしくはそもそも存在しない、という立場をとっています。ただし自分が被害を受けたときにはその考えがふっ飛ぶので、ダブルスタンダードになってます。未熟者だ。)
ま、自分のことはさておいて、社会的にまずいことをしたのなら、第一の被害者は社会全般なわけで、償いも社会全般に対しておこなうことが可能です。
犯罪被害者の救済や、被害の未然防止に役立つ行動がこれにあたるかなと。社会的にはそれで許されていいんじゃないかと思います。
で、またも話がずれます。
反省については、反省自体はしてくれた方がいいんですけど、裁判での扱いにはいつも疑問があって、「計画的な犯行ではなく反省している」みたいな情状酌量って、どういう根拠から来てるのかなあと。「よく考えもせずやってすぐ反省しちゃえる」ような軽はずみな犯行なら、きっとまた繰り返すと思うんだけどなあ。
こうもり wrote:
> こうもりです。今日ようやくわたしの医学的な診断が正式に下されました。
>
>「視覚的認知に困難を持つAS」
おめでとうございます。
診断を聞いたときはどうでしたか? ほっとしました?
こうもりさん wrote:
>ちょっと追加です。わたしは償いには2種類があると思います。
>(1)過去に対する償い
> 過去のおこなった加害について、被害を受けた本人に直接償うこと
>
>(2)未来に対する償い
> 過去の過ちを反省し、二度と繰り返さないこと
黒Mariaです。
あたしはこうもりさんが言う「償い」と、いわゆる「謝罪」との関係についてちょっと思うところがあります。
世の中には、自分が悪いことをしたときに、それを「生きてゆく上でしかたがないこと」と考える人がいます。したがって、「被害を受けた本人に直接償うこと」もないし、「同じことを二度と繰返さないよう心掛けること」もなく、それが「過ち」であるとも思いません。それは悪いことではありますが、必要なことだと考えているからです。で、それは社会的に認められていることであり、同時に説明する必要のないことでもあると考えていて、「謝る」という行為は、「私は自分が悪いことをした結果、あなたに迷惑がかかったことを残念に思っている」ということを相手に伝えることだと考えているようです。
つまり、一般に(「一般に」というのは研究者が使う俗語で、「傾向としては言えるが、無視できない例外がある」といった意味のようです)、「謝る」=「謝罪」とは言えないんですよ。すなわち、「謝罪」というのは、こうもりさんがいう「償い」を含んでいると考えられるからです。
加害者が、「自分は加害者ではあるけれど、それは被害者に被害を受ける当然の理由があるのだ。だから、そういう状況が発生したら、被害を受けるのは当然なのだ」と思っている場合、「謝る」ことはあっても決して「謝罪」はなされません。で、また同じことが繰返されます。そうすると、被害者の側は「ちゃんと『謝罪』」しろと要求するのですが、加害者は「悪いことをした」と「謝る」だけで、それに対して被害者側は「『謝罪』に誠意がない!」と腹をたてることになります。
この状況を、逆に利用して加害者を責め続ける被害者もいます。
中国(=中国共産党が支配する中国政府の中の主流派である対日強硬派)や韓国(=韓国政府の中の主流派である対日強硬派)がしつこく日本に「謝罪」を求めるのは、「日本は『謝って』いるけれど、ちゃんと『謝罪』していない」という解釈を日本に押しつけているのだと思います。つまり、「過去の過ちを反省し、二度と繰り返さないこと」を前提としない「過去のおこなった加害について、被害を受けた本人に直接償う」行為(中国が「本人」であるかどうかには大きな疑問がありますが)は、「口先だけの謝罪」と同じく「本質的な『謝罪』」ではないのだから、「謝罪」と解釈しなくていい、と考えているのでしょう。そんなわけで、中国や韓国は、何度でも「過去の過ちを反省し、二度と繰り返さないこと」を保証することを要求し、相変わらず「謝罪」を求めることができるということです。
「償い」っていうのは、具体的にはどのようなものなんでしょうか?
被害者が、「私の受けた苦痛はこんなもので購(あがな)えるものではない」と言ったら、「過去に対する償い」は不可能になります。子供を殺された親に対しては、いかなる「過去に対する償い」もできません。
「未来に対する償い」も同様です。「過去の過ちを反省し、二度と繰り返さないこと」といっても、その「反省」を具体的に示すことはできませんし、「二度と繰返さないこと」を保証することもできません。だとすれば、二度と繰返さないように、殺すしかありません。さらに「反省」を求めるとすれば、自分のやったことを後悔するように、できうるかぎりの苦痛を与える、といったことにならざるを得ません。
アメリカは異民族に対して開かれているがゆえに、「他者」を信じることができます。日本は異民族に対して長らく閉じていたがために、「他者」を「同胞」の延長と見ます。ですが、「異民族はしょせん異民族でしかない」と考え、「他者はしょせん他者でしかない」と思い、「最後に信じられるのは血族だけ」あるいは「最後に信じられるのは自分だけ」といったところまで後退しちゃう人々もいるのですね。そういう人々に対して、はたして「謝罪」は可能なのでしょうか?
障害者ならずとも、「私の苦しみは私にしかわからない」という断絶と絶望を抱えている人は多いと思います。そういう「恨」に対して、「償い」や「謝罪」はありうるのでしょうか。
「加害者と被害者の相互不信の構造」から抜け出さないと、真の「償い」「謝罪」はありえないのですね。ですから、「償い」「謝罪」は、加害者と被害者がどこかれ理解しあうところから出発したければなりません。それを拒絶したまま、「償い」「謝罪」を行なうこと、あるいは要求することはできません。
被害者として加害者を理解することは、それほど難しくないように思います。それは相手を赦すこととはまた別問題ですから。むしろ問題はその逆です。
あたしは被害者ヅラした連中、弱者ヅラした連中に対して、あえて加害者あるいは強者として対峙することに決めました。
寄生虫に身体を食い荒らされて死ぬのはごめんです。
(Maria)
昨日所沢市の図書館で読んだ、「Can I help? 援助する側とされる側の間で」という本の中に、次のような1節がありました。
助けることは、秤にかけ熟考したすえに起こるものではありません。
助けることは、そのもともとの自然発生的な表現を阻む障壁が崩れ落ちることから起こるのです。
日頃「思いやりがない・・・」と非難されてばかりの私には、本当に目からうろこが落ちるような言葉でした。
「同じようなことで生きる自信をなくしているアスペ人たちにも伝えてあげたい」と思いましたので、掲示板に記しました。
こうもり さんwrote:
> こうもりです。今日ようやくわたしの医学的な診断が正式に下されました。
>
>「視覚的認知に困難を持つAS」
>
おめでとう(?)ございます。
納得のいくもので,ありましたでしょうか・・・・それなら,本当によかったですけれど。
いろいろありながら,何とかここまで,たどり着けたのは,やっぱり,こうもりさんの努力のたまもの。その,バイタリティは,生まれつきのものかもね。よい,資質をおもちでした。
まだ,100歳までの(!)4分の1.(ちなみに,タレイヌ100歳までの2分の1)お互い,楽しみながら・・・(?)がんばりましょうね。
では、また。
(タレイヌ)
こうもりです。今日ようやくわたしの医学的な診断が正式に下されました。
「視覚的認知に困難を持つAS」
思えば、わたしが発達障害と初遭遇したのは3才児検診で小児自閉症の疑
いをかけられた時でした。なんか、話が振り出しに戻ってきたような…
ともあれ、名実ともに自閉人となれたことを素直に喜びたいと思います。
また、同朋に恥じぬ自閉人となれるよう、今後も精進を重ねてまいりたいと
思います。では
不肖こうもり wrote:
>>こうもりさんは、ここまで考えて悩んで、自分を責めたわけですから、贖
>>罪はすんでいると思います。次はこの経験を何かに生かせればいいんじゃな
>>いですか?
>
> 哲学者のレヴィナスは言いました。「償いは過去に与えた被害を元の状態に
>復することができる場合のみ、成立する」と。殺人とかのように元の状態に復
>することのできない(死者は蘇ってこない)罪ならともかく、相手が生きてい
>る状態ならば、かろうじて償いは成り立つと思います。もっとも、わたしが小
>学生の時に加害した子たちはみな学級内でのいじめを苦に地方に転校してしま
>い、消息さえ分からない状態です。本人に直接償うことができないのが心残り
>です。
ちょっと追加です。わたしは償いには2種類があると思います。
(1)過去に対する償い
過去のおこなった加害について、被害を受けた本人に直接償うこと
(2)未来に対する償い
過去の過ちを反省し、二度と繰り返さないこと
今は、(1)の償いができない状態と言ったところです。
皆さんこんばんわ。
このたびハンドルネームを「ミッドランド」から「鷲羽丸(わしうまる)」に変更します。
「ミッドランド」は元々わしが安易につけたHNであること、他のあらゆるサイトでもチラホラと見られる名前だったこと、が理由です。
新HN「鷲羽丸」の由来は、
1・自分のことを「わし」と呼んでいることへの引っ掛け
2・郷土・岡山出身の名力士、鷲羽山(現・出羽海親方)にちなんで
3・かつてあった宇高連絡船の名前
と、3つの要素が絡み合っています。
新しい名前、よろしくお願いします。 鷲羽丸
やんちゃん wrote:
自己レスです。
なんかずれたこと書いてますね。書きたいことにはすぐコメント付けたくなるので。すみません。
最初の話題に沿って言うと、つまり「ドラマの登場人物に感情移入?して、自分も同じ感情になってしまう。」ということですね?
私は特にそういうのはないです。
ドラマ自体あまり普段みないのですが、たまに見ても、直接自分に関わる感じにはならないです。
私の知人は小学生の時いじめで地方に転校しました。そして今彼女の息子は
いじめで、町に転校しました。その学校で彼はいじめっ子になっています。
横の連鎖だけでなく世代をわたる連鎖もあります。
> この連鎖を止めるのが難しいんです。で、わたしがいた小学校ではいじめ
>られっ子同士がお互いをいじめ合うという状態が続いていました。
>
もっとも、わたしが小
>学生の時に加害した子たちはみな学級内でのいじめを苦に地方に転校してしま
>い、消息さえ分からない状態です。
おこんばんわ、ぶちさん。こうもりです。
> 普通のいじめっ子っていうのも、実は別の所でいじめられているみたいで
>す。
この連鎖を止めるのが難しいんです。で、わたしがいた小学校ではいじめ
られっ子同士がお互いをいじめ合うという状態が続いていました。
>「いい子になって。私が望むようになって」というプレッシャーに喘いでま
>した。彼女達の辛い気持ちは分かるけど、それとうちの娘がいじめられる事
>とは「別問題」だと思いました(だから向こうの親に談判した)。
日本でも逆の問題が発生したりします。いじめられっ子の保護者が「子供
がいじめを受けているので、なんか診断を取って学校に配慮を求めた方がい
いのか?」と言っているのを見たことがあります。
子供に障害があろうがなかろうがいじめは止められるべきなのに。
> こうもりさんは、昔他の子がいじめられているのを見ていても、止めら
>れなかった自分を責めているんでしょうか?(止めなかった自分もいじめた
>のと同罪だって)
というか、正確にはいじめの側に加担してしまったことさえあるんです。ゆ
〜りさんのコメントを見てその事を思い出した後、わたしがシンタロウくんや
武田さんに語っていたことがひどく偽善的に見えてきたのです。ちょっと自己
嫌悪気味…
> こうもりさんは、ここまで考えて悩んで、自分を責めたわけですから、贖
>罪はすんでいると思います。次はこの経験を何かに生かせればいいんじゃな
>いですか?
哲学者のレヴィナスは言いました。「償いは過去に与えた被害を元の状態に
復することができる場合のみ、成立する」と。殺人とかのように元の状態に復
することのできない(死者は蘇ってこない)罪ならともかく、相手が生きてい
る状態ならば、かろうじて償いは成り立つと思います。もっとも、わたしが小
学生の時に加害した子たちはみな学級内でのいじめを苦に地方に転校してしま
い、消息さえ分からない状態です。本人に直接償うことができないのが心残り
です。
一穂(いちほ) wrote:
>とりあえず、挨拶だけ。
こんにちわ。
普段の生活でも挨拶、、といわれるとこんにちわと言います。
一穂(いちほ) wrote:
>久しぶりに来てみました。
>久しぶりすぎて、話題に入れないから、
>とりあえず、挨拶だけ。
>
>御無沙汰してます。
>一穂は生きてました。
>
>・・・ドリキャス、読み込むのにすごく時間かかる・・・。
>やっぱあんまり来れないかもしれない(oTwTo)
お久しぶりです。
おととい上野の国立科学博物館でやっている「日本人はるかな旅展」に行ってきました。
「黒潮に乗って日本にやってきた人たち」のコーナーで放映されているフィリピンの少数民族の人たちのビデオの中に、一穂さんにそっくりな女の子を見つけて、「そういえば最近カキコしないけど、元気なのかな・・・」と思ってしまいました。
今朝NHKの生活ほっともーにんぐでやっていたのですが、甲状腺がおかしくなった時も強い倦怠感やウツ状態などにみまわれることがあるようです。内分泌系が専門のお医者さんにも、診てもらったほうが良いと思います。
武田好史 wrote:
>あなたがどこかの町工場の上役だったとします。
> ある日のこと、一人の青年(30前後)が職安で進められたということで、「仕事をさせてください!」とやってきたので、雇うことにしました。
> 次の日から彼は働きはじめました。不器用なわりにがんばって働く人で遅刻をせずに毎朝きちんとやってきて、夜遅くまで働くのですが、一つだけ困ったことがありました。彼は朝礼で「おはよう」ということと仕事の打ち合わせ以外は全く周りの人と話さず、悲しそうに押し黙って黙々と仕事をしているのです。彼が控えめに笑うのは給料日の日だけでした。
> 半年後彼の様子が気になったあなたは、「・・君いっぱいお給料たまってよかったね!でも何に使うの?」と彼に聞きました。
> 彼は泣きながら答えました。「自殺するためです。僕は小・中・高と子供のときひどくいじめられていたけど、我慢して学校に通っていました。地球科学とかが好きで大学にいって博士になるのが、夢だったからです。でもいざ大学にいってみると、自分の浅はかさを思い知らされました。微分方程式も行列もお経の様で僕には全くわかりません。字を書くのが苦手な僕には板書もろくに取れないし、人間関係もうまくできないので孤立し、サークルでも浮いていました。そんなこんなでストレスがたまってうつ病になり、薬を飲みただ寝る日が学生時代の内で年間3ヶ月くらいで成績は赤点のもあったのですが、何とかがんばって大学院も卒業しました。
>でもそのあと僕は<こんな自分はどうせ会社に入っても3月も持つまい>と硬く信じ込むようになり、それ以来もう5年以上も引きこもりをして荒れては親に迷惑をかける日々でした。職業訓練にも半年ほど通いましたがかえって自分を追い詰めるだけでした。最近母が入院し父もそろそろ定年です。僕は<こんな罪深い自分は早く死んだほうがいい、死ぬんだったら最後に一生懸命働いてその金で睡眠薬を病院でもらってためるか酒を1升買って、冬の高い山の上でそれをあをって凍え死にたい。その前に残りの金はすべて親にありがとうの気持ちとして送ります。>と思ってここで働くことにしたのです。」
>
>さて、こう言った彼にあなたならどういう言葉をかけますか?
みなさんありがとうございました。
実は彼の語ったエピソードは、私自身の体験およびふと頭に浮かんだ自分の結末の姿をまとめたものです。
みなさんのような優しい人にどこかの職場なりでめぐりあえることを信じて、がんばって生きたいと思います。
みどり wrote:
>私が何かすると大抵かえって悪い方に転がるので
これで思い出した。
私が無意識に他人を傷つけてしまう理由の一つに、自分の言葉の影響力がわかってない、というのがあります。
「私なんかがなに言ったって、誰も気にかけるはずがない」と思いこんでいるのです。
人の話をきかない家族の末っ子として育って、すごく多弁だけど家族からの反応はまったくないか、適当に聞き流されるか、ハナから馬鹿にされるかという子供でしたから、まあそう思いこんだのも不思議はないなと。
30も近くなったあるとき、割と親しい上司と話をしていて、彼が私の発言で傷ついていたということを知って、ひどくびっくりしました。
特にその人は、「格が違う」というくらいに私が見上げている上司だったので、なんでその人が私なんかの言うことで傷つくのか、すぐには理解できませんでした。
私の方が傷つくことならあっても、逆が起こりうるなんて思いも寄らなかったのです。
幸運なことに、その人はすごく具体的に「どの発言でなぜどういう風に傷ついたのか」を言ってくれました。それを手がかりにいろいろ思い返してみて、やっと「なるほど確かに傷つくのかもなあ」とわかりました。
(実際にはこれ一度で気づいたわけではなく、その少し前にも別の人とのいくつかのびっくりがあって、私に受け入れる態勢ができていたからこのとき気づいたのだと思いますが、全部話すと長くなるのでそこは略)
ま、そういうきっかけでそういう「可能性」にはやっと気づいたわけですが、頭ではわかったとは言ってもなにせ慣れてないし、一方では「全身全霊を込めて言った言葉があっさり流される」なんてのもやはり続いてるわけで、どうも実感がさっぱりない。
そんなわけで、今でもやっぱり、「自分の言葉で相手を傷つけてしまう可能性」を考えずに発言してしまうことしばしば。
言い訳だね。でも、ま、こうやって書いてくと、だんだん記憶が強くなって、忘れずにいられるようになるかもしれないな、てことで。
一穂(いちほ)さん wrote:
>久しぶりに来てみました。
わぁ〜〜い!!
一穂さん、元気だった?!
気になっていたんだよー! 生きていたんだね!(汗。。。
あ、一穂さんだ。
一穂(いちほ) wrote:
>・・・ドリキャス、読み込むのにすごく時間かかる・・・。
ドリキャスでアクセスしてるのね… となるとやっぱり文章は短くした方がいいよね… がんばろうっと。
リゲルさん wrote:
>広末涼子 wrote:
>>あたし、そうかも
>
>本当に広末涼子さんですか?
おれの思うところ、以下の三つ↓はすべて同一人物によるものである。
---
アホな男やな〜 君は。私がここに来ないわけがない。もうばれとるがな。
---
(『Re: 「わかりやすさ」について』、No.7566、20 Sep 2001、by ASの課長)
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こらー ASの課長
人のネタ勝手にパクルな
おまえ誰やねん
おれのなんやねん
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(『Re: 「わかりやすさ」について』、No.7577、20 Sep 2001、 by ことぶ)
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あたし、そうかも
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(『Re: 有名人のAS』、No.8451、1 Nov 2001、by 広末涼子)
ちなみにこういうタイプの奴を、精神医学の方面では「サロンの馬鹿(釣合痴呆)」というらしい。これが破綻を来すと、「利口ぶり阿呆」と呼ばれるものになる。単にノリがいいとか、演技性性格とか、衒奇とかいったものではものではなく、自己評価は高いのだけど傷つきやすく、そのために演技性が出る、ということであるようである。
自己評価が高いのだけどその根拠が薄弱で傷つきやすい人間というのは、暴力に走りやすいという話が『サイエンティフィック・アメリカン(日本語版)』に出ていた。つまり、自己評価の高さゆえに逆に自我が傷ついてしまったときに、それを「自分の人格に対する攻撃」と解釈して報復を行なうのが、いわゆる「キレやすい」タイプだというのである。
これに対して「サロンの馬鹿」というのは、自我が傷つけられたときに、「それは本当の私ではないのだ。ウケを狙ってわざとやっている仮の姿なのだ」という結論に逃げ込めるようにあらかじめエクスキューズを用意しておくものであるらしい。
なお、いじめを「冗談だ」「ちょっとふざけただけじゃないか」みたいなのもこの「サロンの馬鹿」の変形で、こうした輩は「俺はお前らのレベルに合わせてやっていたのだが、お前らが予想外に程度が低かったので、理解できなかったのだ」くらいのことを考えるから困ったものである。こういう輩は全員が示し合わせてヨイショして、有頂天になったところで大恥をかかせて一気に落っことす、というのを繰返していると、「ばかやろー! お前らなんか嫌いだー!」とかいって泣きながら逃げてゆきます。『Re: どうして憎いと思うのですか?』(No.8489、2 Nov 2001、by ぶちさん)に登場するBさんなんかは、この手が使えたと思う。なお、この手は「本人以外の全員が示し合わせて」というのが重要。「あなたはあなたが支えにしているところの共同体から排除されるわよ」というメッセージをきっちり伝えることが目的です。うまくキマると一気に腰が低くなってみんなに媚びるようにもなるしね。試してみろとは言わんけど、憶えておく価値はあるはずである。
(Mr.Moto)
「神仏」と、一緒くたにされることが多いですが、仏教では独善的な神を他化自在天の魔と呼びます。独善的でなく、悩み苦しむものだけを阿弥陀如来は救います。悪は生命に害をなすものですが、苦を受けない存在は救われず成長しません。どこまでの悪を許すべきかは重心の位置で決まります。
イカとタコのどちらにするか、よく迷うのです。生き物は呼吸します。拡大と収縮をくりかえします。”異化”で悪を吐きだし、”他己”で外の存在に同調して心をひろげます。成長の段階によって、害と益は変化します。並でない仕事を遂行する力をつけるために、並でない辛い体験を選ぶ人がいます。わざわざ、いじめの標的になる態度を強化することも多いのはその為です。混乱して、悪の側に同化してしまう人もいます。やりすぎて命を捨てて出直したり、多重人格障害で統合不能になることもあります。
私が十数年前にクライアントとよんでいた友人は、ヤクザに苦しめられた挙句、自殺しました。多重人格でした。偽装殺人の疑いがかなりあったのですが、結局、彼は殺すより殺されるほうを選んだのでしょう。
生き延びれば、受けた傷を悪として憎むことで、自己の存在を強めることもできます。成長すれば、目的意識や適格意識を得るためにいったん異化したものを、もっと上位の能力を身につけるために他己として懐かしむ段階にも至ります。どの段階にあって、何に帰属感を持つかで隋分違うのが世界です。
最終的には英知を手に入れて、この世からあがりです。この世にいる間は、愛するものを世話して命をいとおしみたいものです。
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