アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
冬は好き。
大阪はまだ寒くありません。
里辺華 wrote:
>Maria wrote:
>> あたしは冬型人間のような気がする。
>私も、冬型です。冬になって寒くなると、気分がシャキンとして、充実感が出てくるのです。神経が引き締まり、注意力が出るので物事がはかどります。
私も冬型です。秋の終わり、空気が澄んで、だんだんさむくなってくると、生きている感じがしてきます。
その冬で初めての「ほおに当たる氷のようにシャキンとした冷風」を感じると、うれしくて遊びに行きたくなります。
気温が上昇傾向にある春は、だるくてしかたありません。夏はどろどろのアメーバになった気がします。冷房にあたれば体温とともに精力を持って行かれる気がします。
冬なら、室内で暖房と加湿器で文明の利器にひたっても、外でコートの中まで染み込む寒さに震えても、なんとなく幸せでいられます。
職場から外に出て、そう遅くない時間なのにもう暗くなっているのも、わーい冬だーって思わせてくれて、背筋が伸びます。
一年中冬ならいいのに。
地球温暖化はなんとしても防止しなくっちゃ。
うちの兄貴は、自閉症なんです。
今年で、29歳になります。俺は1個下で、28歳になります。
「アスペルガー」と言う言葉、今になってはじめて知ったんだけど、うちの兄貴とは違うのかなぁ。
うちの兄貴はね、今、自分で仕事を探してフリーターをしています。でも、おかしな言動ばかりして、人とのコミュニケーションが取れないため、すぐ辞めてしまっている現状です。
小さい頃はね、完全な自閉症児でした。ろくに言葉を発する事も無く、意味不明な言動や、パニックを起こして、そう言う子と普通児を一緒に勉強させる私立の小学校に通っていました。
中学もそのつながりの中学に進学し、結構症状は改善されて、普段の生活に支障はなくなりました。
今では、週に2、3日アルバイトに行き、それ以外でも、家の洗濯物の仕事や、食器洗い、ゴミ出しなんかを自主的にやってくれています。
でも、やっぱり、人付き合いが普通の人のようにできないんですよね。相手の気持ちを考えられないみたい。それに、仕事の覚えも人一倍悪いみたい。
何とか、兄貴がまっとうな仕事につけるようになるのが、うちの家族の願いなんです。
うちの兄貴も、その、「アスペルガー」と言う奴に当たるのかなぁ?
何か、いいアドバイスがあったら、ご助言よろしくお願いします。
では、乱文でしたが失礼させていただきます。
Maria wrote:
> 冬だ。
>
> あたしは冬型人間のような気がする。
私も、冬型です。冬になって寒くなると、気分がシャキンとして、充実感が出てくるのです。神経が引き締まり、注意力が出るので物事がはかどります。
そして、寒さにふるえながら、外出から戻り、家の中でコタツに入って熱いお茶を飲み、このささやかな幸福を心から神に感謝するとき、とてもとても謙遜なつつましい人間になったような気がして、あぁ、嬉しいとなんとなくしんみりしたりするのです。
やんちゃん wrote:
>ちなみに、未治療ですが、今のところ支障無く来ています。口が開かないとか痛いとかも、今はありません。
>この場合、ほっといても大丈夫なんでしょうか。
私を診察した医師の話によると、私は何年も前から顎関節がおかしくなっていたのに、自覚症状がなかったが、ついに最近になって痛みが出始めたのだということでした。痛みは、最初のうちは軽いものでしたが、2週間ぐらいしたら、食事が出来ないくらいになり、肩の方まで痛くなったのです。痛みがないようなら、ほっといても大丈夫だと思いますが、ストレスなどがあったり、他の病気で、身体に異変が起きたときに、充分気をつけてください。あと、姿勢も正しくしないと,影響が出るようです。
>武田好史さん wrote:
>>最近僕は、右あごの関節がおかしくなってしまいました。
>>口を開いて閉めるときになんか「ガックン」という音がするんです。
>>先週パンを食べようとして大きく口を開けたとき、一時的に右側の奥歯がかみ合わせられなくなってしまいました。
>> これって最近よくちまたで聞く「顎関節症」なのでしょうか?
>>また歯医者さんでも治療してもらえるのでしょうか?
里辺華さん wrote:
>わたしは、今、治療中です。早く,早く,一刻も早く,口腔外科へ!そのままにしておくと、どんどんひどくなります。
私は高校生のころ(もう15、6年前)に同じような症状になって、かかりつけの歯医者に行ったところ「うーん、顎がはずれたら来て」と冗談交じりで言われ、全く相手にされませんでした。
しかし、1週間後新聞で「顎関節症」について書かれてある記事をみつけ、「これは私のことじゃないか〜」と思いました。一般的には知られていなかったとはいえ、まさか専門家の歯科医が知らない訳じゃないだろうに、全くひどい話だよ、と思った記憶があります。
ちなみに、未治療ですが、今のところ支障無く来ています。口が開かないとか痛いとかも、今はありません。
この場合、ほっといても大丈夫なんでしょうか。
Mariaさん wrote:
> あたしは冬型人間のような気がする。
私は冬を乗り越えるのにすごくエネルギーを使う。
冷えに弱いし、夜が長すぎて明日が来る前につかれはててしまう。
私はきっと夏型人間なんだ。
季節性のウツに気をつけないといけないな。
武田好史 wrote:
>最近僕は、右あごの関節がおかしくなってしまいました。
>口を開いて閉めるときになんか「ガックン」という音がするんです。
>先週パンを食べようとして大きく口を開けたとき、一時的に右側の奥歯がかみ合わせられなくなってしまいました。
> これって最近よくちまたで聞く「顎関節症」なのでしょうか?
>また歯医者さんでも治療してもらえるのでしょうか?
わたしは、今、治療中です。早く,早く,一刻も早く,口腔外科へ!そのままにしておくと、どんどんひどくなります。耳の前の関節に注射を打たれ,機械でガバチョと口を開けられ、痛みはほとんど絶叫ものでしたが、一時的なものですから大丈夫です。口にマウスピースのようなものを、はめるようになります。
武田好史さん wrote:
>最近僕は、右あごの関節がおかしくなってしまいました。
>口を開いて閉めるときになんか「ガックン」という音がするんです。
>先週パンを食べようとして大きく口を開けたとき、一時的に右側の奥歯がかみ合わせられなくなってしまいました。
> これって最近よくちまたで聞く「顎関節症」なのでしょうか?
ほぼそのように見てよいですね。顎関節症について書かれているページ(↓)を見つけたので、参考にしてみてください。
http://homepage2.nifty.com/uoh/12345/gakukansetsushou.htm
>また歯医者さんでも治療してもらえるのでしょうか?
まずは歯科医院で受診してみてください。
そこで様子を見るか、治療をすることになるか、場合によっては大学病院を紹介されるかと思います。
原因としては、かみ合わせの悪さや過度の開口などがありますが、精神的ストレスも要因のひとつとなっています。
鷲羽丸
Mariaさん wrote:
> こうもりさんは「自然主義的誤謬」に対して慎重なのではないでしょうか。
さすがに自然主義的誤謬は、日常わたしが何か行動を選択する場合には考慮
に入れないようにしています。そもそも、事実から価値判断を導き出すことが
できないという話になると、行動を選択すること自体ができなくなってしまう
からです。
どちらかと言うと普段は応用倫理学的な範囲で行動を選択している場合が多
いと思います。もっとも応用倫理学は
(1)倫理学的事実を正しく把握できているか
(2)考察過程に問題はないか
(3)判断の根拠が妥当であるか
などを結論以上に厳しく問われる学問で、この3つの項目のうちのどれかに誤
まりがあった場合はもう1度考えなおさなければならなくなります。
もっとも、今回のアドバイス自体は応用倫理学的に思考する場合でも参考に
なると思います。
> 純粋理性に対する実践理性の優位性を説く、プラグマティストという人た
>ちがいます。あたしもどっちかっていうとプラグマティストです。ですから
>、あたしは「結果は行為を正当化する」と考えています。「目的は行為を正
>当化する」とは考えませんが。
応用倫理学は「どの結論が正しく、どの結論が間違っているということはな
い。その問題についてどこまで多角的に真摯に考え抜いたかが重要である。」
という立場を取っています。それゆえにどうしても結果よりもプロセスが重視
されがちです。
緊急時には、わたしもプラグマティスト的な発想になりがちなのですが、普
段は応用倫理学派的な発想をしています。そして、あまりにも何度も思考を練
り直してしまうために、結論の一致を重視する人からは不安がられてしまうみ
たいです。
そんな訳で、倫理学的に慎重になりすぎるというのが、わたしの特徴だと思
います。そして、そのための対策として以下の提言はとても貴重であります。
> 「自分がどのように判断し行動するか」において、自然主義的誤謬を気にし
>なくていい場合と、気にしなければいけない場合があって、「いまはどっちの
>場合なのか」という判断は、「どうするか」の判断に先行します。「腹が減っ
>たら、喰う」という態度は、とりあえず、正しい。ただし、宗教的食物禁忌と
>か、糖尿病や腎臓病に対する食事療法とかいったケースに出会ったときに、そ
>の先の判断が要求される。
「自然主義的誤謬」という部分を「応用倫理学」と置きかえれば、話が納得
できます。つまり、応用倫理学的な価値判断をどんな場面においても適用しな
ければならない訳ではないという意味ですね?
確かに応用倫理学にはちょっと偏屈な部分があります。例えば、「子供が川
でおぼれているのを見て、何も考えずに助けようとするのは倫理的な行動では
ない」と言い出したりします。哲学の師匠によれば、「この人の行動には悪の
可能性が開けてないから」(行動を選択するのに葛藤を必要としていないから
)だとか…。まあ、それでも川でおぼれている子供を見かけたら、すぐに救助
をしようと考えるのが健全なあり方だとは思います。どういう方法で救助する
か(方向論)については、後から反省が必要になってくるとは思いますが。
> 「一般的な場合に対する基本的な態度をはっきり表明しておく」ということ
>をしておけば、「立場が一貫していない」「態度を明確にしてほしい」といっ
>た文句はだいぶ減りそうに思います。
一般的な状態や日常を掘り下げるのは哲学の一大テーマなので、考えてしま
うことは多いんですよね。でも、特に学問的な話をしている訳ではない相手に
対しては、上記の態度で接していた方が適切なような感じがしてきました。ど
もどもです。
釈さん wrote:
夕日にとけこんだり、木と一緒にいたり、鳥と話したりしています。
> 人間関係のほうは、できないことをはっきり言って様子をみたほうがいいでしょう。わがままな人というのは、へたに自信を見せると難題ふっかけてつぶしたくなるらしいですから。
いつも出る杭打たれるということをされてきたので、最近ではまったく自分を隠すようになっていた自分ですが、やはりそういうことが出てしまっているらしいです。たしかに。。
釈さん色々と有難うございました。
自分自身の現実がまだあやふやで、漠然としたことしかわからないのですが、
調和感覚は、それぞれの人が独自に創ることでつながりあうのだと思います。詳しく知らないのですが、るおうさんは今は無理に動かないほうがいいのではないでしょうか?評価のほうが悪くて誠実な仕事ができているのなら、評価が追いつくのを待てばと思います。
多次元とは私も大好きな自然や宇宙のことだけでなく、知覚できない高度な世界があるらしいということで、近頃とみにいかがわしがられる宗教の領域に、私は救いを感じています。誰もが組織宗教におもねる必要はありません。ただ、宗教的次元は軽視しないほうがいいのです。自然や宇宙の好きな人なら、夕陽に感動するなどで神秘的一体感を呼吸するだけでもいいのではないでしょうか。
人間関係のほうは、できないことをはっきり言って様子をみたほうがいいでしょう。わがままな人というのは、へたに自信を見せると難題ふっかけてつぶしたくなるらしいですから。
最近僕は、右あごの関節がおかしくなってしまいました。
口を開いて閉めるときになんか「ガックン」という音がするんです。
先週パンを食べようとして大きく口を開けたとき、一時的に右側の奥歯がかみ合わせられなくなってしまいました。
これって最近よくちまたで聞く「顎関節症」なのでしょうか?
また歯医者さんでも治療してもらえるのでしょうか?
I wrote:
> 慣れてくると、「ひとりディスカッション」ということができるように
>なり、さらに、そのときに意図的に「肯定的な立場からの視点」「否定的
>な立場からの視点」を使いわけることができるようになります。で、その
>経緯を第三者の視点で読み返してみることで、また新たな発見があったり
>もします。
こうもりさん wrote:
>正確に言えば哲学とはこれなんですよね。つまり様々な角度からの複眼的
>な考察であり、1度出した結論は新たな問題を考えるためのステップに過
>ぎないという考え方です。もっともこれをやりすぎて、「立場が一貫して
>いない」「態度を明確にしてほしい」と文句を言われることも多いのです
>が。
こうもりさんは「自然主義的誤謬」に対して慎重なのではないでしょうか。
純粋理性に対する実践理性の優位性を説く、プラグマティストという人たちがいます。あたしもどっちかっていうとプラグマティストです。ですから、あたしは「結果は行為を正当化する」と考えています。「目的は行為を正当化する」とは考えませんが。
で、あたしは「実効的な正しさ」というものを考えています。天動説というのは、日常生活における「実効的な正しさ」をもっています。あたしたちは、「日が昇る」「日が沈む」「日が高い」といった表現を日常的に使っていて、その時は天動説的な考え方をしています。
機械工学の分野においては、ほとんどニュートン力学の範囲内でしか物事を考えません。アインシュタインの相対性理論によるニュートン力学からのずれというのは、機械工学における誤差に吸収されてしまうからです。そんな訳で、機械工学の分野において、ニュートン力学は「実効的に正しい」と考えることができます。
「自分がどのように判断し行動するか」において、自然主義的誤謬を気にしなくていい場合と、気にしなければいけない場合があって、「いまはどっちの場合なのか」という判断は、「どうするか」の判断に先行します。「腹が減ったら、喰う」という態度は、とりあえず、正しい。ただし、宗教的食物禁忌とか、糖尿病や腎臓病に対する食事療法とかいったケースに出会ったときに、その先の判断が要求される。
ヘーゲルというひとは、「間違ったことを言わない」ことに慎重になるあまり、誰も理解できないというわりとイヤなひと(ヘーゲルが嫌いなのではなく、自分にそういう傾向があるのがすごくイヤ)なので哲学者としてはあんまり評価しないのですが、「つねに逸脱は生じうると考えよ」という警告としての「法則は変化するものである」という思想には学ぶべき点があると思っています。
そうすると、「法則は変化するものである」という発言は「法則は拡張されるべきものである」と考えたほうがいいのか、というとそうではなくて、天動説にはプトレマイオス的な素朴な世界観があり、ニュートンにはニュートン的な(ルネッサンス的な理性信仰、つまり「絶対的な真理としての神の摂理」「絶対的存在としての神や宇宙」にたいする憧れ)世界観があり、アインシュタインにはアインシュタイン的な世界観があり、そうした「世界観の発展」が「法則の変化」の背後にはあると解釈できるんじゃないかなー、と思っています。
「春分の日」は三月二十日だったり三月二十一日だったりします。これ、「法律上の春分の日」を三月二十一日に固定しちゃったほうがいいんじゃない?と言っている天文学者さんがいたりします(カトリックの教会暦はそうなってます)。自然現象と制度はまた別物であって、たとえば「法制度における暦」は太陽暦(グレゴリオ暦)、「生活暦としての暦」は太陰暦(旧暦)でいいんじゃないかと思うんですよ。まあ、そうすると一月一日は「元日」であっても「お正月」ではなくなっちゃうし、五月五日の「子供の日」は「端午の節供」ではなくなっちゃいますが、それはそれでいいような気はします。だいたい労働基準法は定期的に休みを取れとは言っているけど土日や祝日に休めとは言っていません(でないと看護婦さんや警察官や消防士さんの仕事に支障が出ます)。顧客や取引先と相談して営業日を決めたり勤務のシフトを組んだりとかいうのは大変でしょうけど、デメリットばかりではないと思いますし。それに、こういったらアレだけど、イスラム国家における「ラマダン」よりは大分マシという気はします。
「一般的な場合に対する基本的な態度をはっきり表明しておく」ということをしておけば、「立場が一貫していない」「態度を明確にしてほしい」といった文句はだいぶ減りそうに思います。
(Maria)
武田好史 wrote:
> 自分の思考を検証し発展させていくことは、哲学を形作る重要な作業の一つ
>だと思います。
正確にはこれこそが哲学なのだと言ってもいいぐらいです。
> 日本の地球科学者に信奉者が多いヘーゲルは、「法則は変化するものであ
>る。」と説いています。
ちなみにわたしの学生時代の専門であった歴史学ではヘーゲルの語る歴史法
則に基づいて歴史を語る人が多かったりします。ヘーゲル自身が「法則は変化
するものである」と認めているのに、その彼が作った法則に従おうとしてしま
うのはちょっと不思議です。
> 私たちは見聞きするもの特性にいろいろな価値観を抱き、それらの合理・不合理をつき合わせて、新たな思想なり・法則なり・理論を打ち立てられる、今のところ宇宙で唯一の生命体なのです。
>
>その営み全てが哲学なんだと私は思います。
後は恐るべき間の悪さをどうにかできればいいんですけど。当事者の方から
の助言、痛み入ります。
時間が微妙なので、おはこんばんわ。Mariaさん。
Mariaさん wrote:
>こうもりさん wrote:
> こうもりさんはナーバスになっていて、発想がネガティヴになっているので
>はないかにゃ?
1回、自分が練った考えを別の角度から再検討するということ自体は、とて
も大切なことだと思っています。しかし、それがタイミングよくコメントでき
ない…。
特に武田さんとのやりとりでは「正論」を吐いて論難した後に自説の前提の
誤まりに気がついてしまい、ちょっとブルー状態。
> あたしは「書く」「発表する」「ディスカッションする」といった表現活
>動自体も問題解決のプロセスの一部だと考えています。ですから、掲示板に
>アップすることで、「書いたもの」から「書かれたもの(発表されたもの)
>」になった時点で、その内容に向かい合う意識のありようが切り替わるので
>、それまで見えなかったものが見えてきた、ということなのだと思うのです
>よ。
今までもこの手の体験はよくやっていたのですが、後で気がついても沈黙
を通してしまっていたんです。で、今回はこりゃ間が悪すぎると思って、蝙
蝠の口を借りて公表した訳です。もっとも表現がきつすぎて、色々な人に心
配をかけてしまったようでしたが。
> 慣れてくると、「ひとりディスカッション」ということができるようにな
>り、さらに、そのときに意図的に「肯定的な立場からの視点」「否定的な立
>場からの視点」を使いわけることができるようになます。で、その経緯を第
>三者の視点で読み返してみることで、また新たな発見があったりもします。
正確に言えば哲学とはこれなんですよね。つまり様々な角度からの複眼的
な考察であり、1度出した結論は新たな問題を考えるためのステップに過ぎ
ないという考え方です。もっともこれをやりすぎて、「立場が一貫していな
い」「態度を明確にしてほしい」と文句を言われることも多いのですが。
> 「思いついてしまうことが多すぎる」というのは、さっぱり思いつかな
>い人にとっては、かなりうらやましいことだと思うのですが。
そう言っていただけると助かります。では
冬だ。
「冬」というのは、ほんとうに「季節」という気がする。「夏」というのは、冬にくらべると、ちょっと見劣りがする感じがある。「春」とか「秋」に至っては、「冬の終わり」とか「冬の始まり」とかいう感じでしかない。
「夜型人間」という言葉はあるけど、「昼型人間」ってあんまり聞かない。「朝型人間」だ。やっぱり夜は特別な時間だと思う。冬もたぶん同じだと思う。
あたしは冬型人間のような気がする。
(Maria)
■ LDの人の雇用ガイド 日本障害者雇用促進協会東京障害者職業センター ■
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日本障害者雇用促進協会・東京障害者職業センターから、「LD(学習障害)の
人の雇用ガイド」というパンフレットが発行されました。残念ながら残部が少な
くなっているとのことでした。東京障害者職業センターのご厚意により、東京L
D連絡会ホームページへ転載させていただきました。プリントアウトなどして利
用していただくことは支障ないとのことです。
HTMLバージョンをアップしました。20:16 2001/11/03
http://www.ne.jp/asahi/tokyo/ld/ld_koyou_html/
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