アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
いや〜、ありがとう!
「新しい話題を投稿」をクリックするのに抵抗があったので、レスつけていただいたのをこれ幸いと、ここに書きます。
タレイヌさん wrote:
>なんか、元気ジャン?どしたの?おばさんたちが、あんまり騒ぐと、男の子達が、ビビルよ・・・(ちと、ふあんげ)
そうかぁ。わたしってば、器はおばさんだったんだ〜。中身が青年期まっ只中なんで忘れてた。ストッパーになってくれて感謝します。「誰かわたしを止めて〜」の状態なもんで……。
あらためまして。タレイヌさん、冷静な分析力をお持ちの理論派とお見受けしました。感覚派のあさかぜとはかなり違う、その違いに惹きつけられて出てまいりました。冗談が通じないって?通じてるじゃん! あさかぜは「冗談の通じるタイプ」の人でないと、こわくて話しかけられんのよ、ここでは。(←これでも遠慮している……つもり)
なにせAD(H)D入ってますけん、疲れているときは不注意優勢型だけど、元気になると多動が出てくる困り者。静かで生真面目な雰囲気のこの掲示板では、きっぱり異端者なのでござるよ。ついでに言葉が乱暴!「汚言」大好きっ子だし、「うんち・しっこ・おなら」の三種の神器はもとより、思いつくかぎりの言葉を発して娘とはしゃいでいる時は三歳児そのものですわな〜。
って、自己紹介ばかりしていてどうする?本題にはいらねば!
「混沌袋」が気に入ったのでござる。おわり。←これでは、「話」というものになりませんな、いやはや。
えーっとですね、わたしは「わからないもの箱」とよんでいるモノを持っていて(心の中にですよ)、タレイヌさんの「混沌袋」という言葉が印象に残ったんですよ。同じようなものかな?って。それに響きがいいなって感じで。
わからないものは「わからないもの箱」に放り込んでフタしておくというのが、わたしのやりかたです。一例を上げると「愛」とか入ってますね。漠然とした概念というか、そういうものが多いかな。それと人の態度なんかも。
フタに鍵はついていません。中は底なし井戸みたいになっていて、昔に放り込んだものもぺちゃんこにつぶれたりしながら存在はしてるはずです。
時々勝手にフタが開いて、中からぴょんと飛び出してきたものが「そうか、あの時のあれはこういうことだったのか!」と叫びながら消滅してしまったり、放り込んだ上からたくさん別のものが積みあがっているはずなのに「考えろ〜、ほっとくな〜、考えろ〜」と闇夜のケミホタルみたいにぼうっと光りながら自己主張するものがあったりと、状態はさまざまです。
「考えること」は「言葉」でおこなっているとは思うのだけれど、頭のなかに画像というかイメージとして「わからないもの箱」みたいなものを持っているのって、「イメージ・シンキング」(確かこういう言葉だったと思う。画像でものを考えるというやつ)の一種なんでしょうかねぇ?
「イメージ・シンキング」は先日こども病院で娘の主治医が言った言葉なんです。なんでそれが出てきたかというと、娘のことを話したのはほんの二〜三分で、あとはほとんど自分の話をしていたので、質問を受けて答えているうちに「しゃべりだしたら止まらない状態」になってしまって、まだまだ話したいことはたくさんあったのに時間がたりなくて……その状態を今にひきずっているわけでして。(ああ変な文だ)
要するに、なんだな、「混沌袋」をきっかけにして誰かと話をしたかった、と。(←ちょっと自己分析)で、白羽の矢を立てられたのがタレイヌさんだったというわけなんだな。
ほ〜ら〜ぁ、おばさんてさぁ、話好きじゃ〜ん?だからさぁ〜(うわー、こういうのってキライかも>わたし。だったら何で書く???)もう、何でもありのあさかぜです。わたしって流動体だから。ところどころに固体もはいっていますけど、ついでに核は硬いとは思いますけど、常にへろりんへろりんと動いていて捉えどころがないんざーます。だから観察してて楽しいんだけどさ、自分のことも。
う〜む。どうやらまた「練り」がイマイチの内容を書いてしまったようだ。しかし今回はこれが限界らしい……。
というわけでタレイヌさん、次回もあり?かもしれません。よろしくお付き合いのほどを。(な〜に、ケリいれてくれたって構わね〜ぜ。たいていのコトには免疫できてるからよ。しぶとい野郎なのさ、おいら)
ところで、器がおばさんで中身が青年してるってことは……。青年のまま成人せずにばーさんになって、アバヨってぇことになるのかも。そんときゃ墓石に「線香はいらねぇ。酒飲んで一曲歌ってけ。でなきゃ墓参りには来るな」と刻んでおこう。これはなかなか好みかも♪ 飲めない人には別の方法を考えておくとしますか。(わたしって親切!)
一見能天気に見えて(タレイヌさんの言葉)、実は芯から能天気のあさかぜ、どした。
グルンサ wrote:
さきほど、「おまけに私は未診断。」 ↑
と書きましたが、「私も診断名をもらっていません。」が正解です。ごめんなさい。
リゲルさん wrote:
>私は、口頭での議論でしたら、相手の論点がはっきりしているから、
>まだ判るのですが、上司からの指示を理解するのに非常に困難が
>あります。特に、「最初の仕様はこうだったけれど、こういう様に
>変更しよう」というような話があった場合、最初の仕様を理解する
>ことに思考が集中しているのですよね。
>
>特に困るのが、遠回しの言い方を使った指示。
>リタリンを処方されないので、現在、ピラセタムという集中力のつく
>合法ドラッグを個人輸入して持ちあるいています。
>
>元上司の、一度に多くのことを指示する内容を一回で理解できる
>元同僚の「地球人」たちが羨ましいです。
>「聴覚認知障害」のために、今までずっと「ぼーっとしている」とか
>「人の話をちゃんと聞いてない」と言われ続けてきました。
>
>後天的に取得したもので、診断名も貰ってなくて、一見普通の
>「地球人」に見える私も、実は「地球人」と根本的な思考回路が
>違う、「連邦市民」なのだなぁ、とよく思います。
>
>
>なぜ、「地球人」と一緒に仕事をしなければならないだろう。
>「地球人」の中でいつも孤独を感じている、「地球人と連邦市民の
>合いの子」(なぜ合いの子かといいますと、正式に診断を受けてない
>から)の戯れ言でした。
こんばんは。はじめまして。
私も、職場での上司とのやりとり、電話の向こうの相手とのやりとりに苦労する時があります。(単に仕事の基礎ができてないだけじゃないの?といわれたこともありました。確かに、それもないわけではないんだろうけど...。)何せ、目の前の上司ともまるで伝言ゲームのような、中身の違った話(やりとりか?)になることも。(実際、2日ぶりにやってしまいました。)中には、他の仕事のミスも手伝ってか、「何もしなくていい」とまで言う上司もいるし...。(あ、話がずれちゃいましたね。)私も、「人の話をちゃんと聞いてない」といわれたことがあります。話を聞いていないわけではないのですが、なぜかどうしても、相手の話の要点(全容)をきちんと掴み取れない。その上、私も言いたいことをきちんと1度で伝えられない。(頭の回転が早過ぎて、言葉をはしょりすぎてるんじゃない?と言った人もいました。確かに、言いたいことが口の動きと合わない時もありますが。)他の人は、無意識のうちに必要なことをちゃんと掴みとって必要なことをさっさとやっていくのに、なぜ私だけ皆と同じようにできないんだろう...と思うこともあります。(そのせいもあってか、私1人取り残されてるな...と思うこともしょっちゅう。) 「元上司の(長い中略)戯れ言でした。」というあなたの気持ち、とてもよくわかります。今のままの状態が続くのもとてもつらいし、おまけに私は未診断。(リリフターで経過観察中だけど、なーんもかわんない。)早く自分にシロクロつけて、自分に合った対処法(というのかな?)を獲得したいです。自分が何なのかわかんなくて、いつまでもさまよっているみたいな感じがすごくもどかしくて、もういや、こんなの。(あ、また話がずれちゃった。おまけに、泣き言...。〔実際、カキコしてて泣きたくなってしまいました。ごめんね、皆さん。お許しのほど。])
リゲル wrote:
>pennpenn58さん wrote:
>> 「あのう、わたし、ナレコプシーではないかと思うのですが・・・・」「ナルコレプシー」医師は私の顔を見つめて言い直しました。「ナレコプシー?」「ナルコレプシー」「ナレコプシー?」「ナルコレプシー」「・・・ナレコプシー・・・」最後に医師は「ナルコレプシー」と紙に書いてくれました。そして私はやっとナルコレプシーということばを会得したのです。
>ナルコレプシー(急に眠くなってしまう症状)という言葉自体、地球人
>(非自閉圏)でも一回聞いただけでは覚えられませんね。
あぁっ! そういうことでしたか。
pennpenn58さんの投稿を何度読んでもさっぱり意味がわからず、悩んでいたのです。(違いに気づいてなかった)
>武田好史さん wrote:
>>軽度発達障害者に、グループホームは必要でしょうか?
欲しい。
必要。
小学生の時も、特殊学級の、あの自由で温かい雰囲気(カーペットだったんです)が好きで、良くそっちの
部屋に遊びに行っていました。
自由で暖かい所が良いです。
後は、以前も話題にでたけど、音楽室と体育館もね。欲しい。
外国の紹介とか見ると、TVで、、
なんだか心地よさそうな良い所が多い。
pennpenn58さん wrote:
> でも私の心の中にある聖書の一場面はカインとアベルの逸話です。
(中略)
> でも私はごく私的な信仰を持っているのでこの逸話に対して別な解釈を持って
>います。
>
> 私はカインは神に試されたのだと思うのです。時に私は神に愛されていないの
>ではないかと思うことがあります。人の幸福をうらやむことがあります。その時
>私はカインのことを思い出すのです。
>
> カインは神が自分の供え物を顧みなかったときも神への信仰を失ってはいけな
>かったと思うのです。だから私も自分が不幸に思えるとき、神は私を試している
>のだと思うことにしています。難しいこともあるのですが・・・・
里辺華さん wrote:
>「信仰とは、望んでいる事柄に対する保証された期待であり、みえない実体に
>ついての明白な論証です。」
> ヘブライ11章1節
『Re: ミヒャエル・エンデの問題提起』(No.8740、13 Nov 2001)
『信仰とは、臨んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰ゆえに神に認められました。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって想像され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。
信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを献(ささ)げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。』
『ヘブライ人への手紙』、11:1−4(共同訳・聖書より)
『カインは主に言った。
「わたしの罪は重すぎて負いきれません。今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会うものはだれであれ、わたしを殺すでしょう。
主はカインに言われた。
「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。」』
『創世記』、4:13−15
あたしは、神はカインを常に愛しておられた、と思っています。里辺華さんはそうは思っていないようですが。
> 里辺華さん。すてきな名前ですね。聖書から取った名前ですか?それとも本名
>ですか?
リベカはアブラム(アブラハム)とサライ(サラ)の子イサクの妻です(『創世記』24)。
リベカは双児を産みました。兄エサウは赤くて全身が毛皮のようでしたが、弟ヤコブは滑らかな肌をしていました。
父イサクは年をとり、目がかすんで見えなくなってきたので、上の息子エサウを呼んで、「こんなに年を取ったので、わたしはいつ死ぬか分からない。今すぐに野に行って、獲物を取ってきて、わたしの好きなおいしい料理を作り、ここへ持ってきてほしい。死ぬ前にそれを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えたい。」と言いました。
それを盗み聞きしたリベカは、ヤコブに「家畜の群れのところに行って、よく肥えた仔山羊を二匹取ってきなさい。わたしが、それでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、それをお父さんのところへ持ってゆきなさい」と命じました。
そしてリベカは家にしまっておいたエサウの晴れ着をヤコブに着せ、仔山羊の毛皮をヤコブの腕や頚に巻きつけ、父イサクの祝福を盗み取らせました。
父イサクは健常者である弟ヤコブよりも障害者である兄エサウを正当な後継者と考えたようです。しかし、母リベカは健常者である弟エサウを愛したので、夫を騙して健常者である次男ヤコブに財産を相続させました。健常者である弟ヤコブは、父親が「お前は本当にわたしの子エサウなのだな?」と質問したときに、「もちろんです」と偽りを述べました。
ですが、彼女にも理屈があるみたいです。それは、神が「兄が弟に仕えるようになる」と言ったからだ、ということだそうです。そして、健常者である弟ヤコブにも理屈があるみたいです。狩をして疲れきって帰ってきた障害者である兄エサウが、弟が作った煮物を食べさせてくれと言ったときに、「だったら長子の権利を譲れ」と迫ったら、「そんなものはどうでもいい」と答え、「長子の権利をないがしろにした」からだそうです。
リベカにとっては、信仰は倫理に優先するものだったみたいですね。あんまり言いたくありませんが、「自分が赤痣だらけで毛むくじゃらな息子を、しかも長男として生んだ」という罪悪感を、信仰の名のもとに正当化しようとしたんじゃないかなぁ、と勘ぐってしまいます。
あたしはこういう人は嫌いです。
(Maria)
仲間の中におれば、休むにも立つにも行くにも旅するにも、常に人に呼び掛けられる。他人に従属しない独立自由を目指して、犀の角のようにただ独り歩め。
四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。
もしも汝が、「賢明で共同し行儀正しい明敏な同伴者」を得たならば、あらゆる危難に打ち勝ち、心喜び、気を落ち着かせて、彼とともに歩め。
人が生まれた時には実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を伐り裂くのである。
悪意をもって他人をそしる人々もいる。また他人から聞いたことを真実だと思って他人をそしる人々もいる。そしる言葉が起こっても、聖者はそれに近付かない。だから聖者は何ごとについても心の荒むことがない。
スッタ・ニパータ(ブッダのことば)より
武田好史さん wrote:
>軽度発達障害者に、グループホームは必要でしょうか?
わたしには個室は必要でしたね。人とうまく接していくためにはどうして
も1人でいる時間を十分に確保しておかなければならなかったためです。
同志でお金を出し合って、アパートや小さいビルなどを貸し切りにすれば
実現できないことはない案だと思います。問題はそのお金をどうやって集め
るかなんですけど。
リゲル@ASかADDかはわからないけれど、間違いなく「聴覚認知障害」です。
pennpenn58さんの書き込みのタイトルを読んで「私のハンディ(障害)は、
聴覚認知障害なんだ!!」と、目からうろこが落ちました。
pennpenn58さん wrote:
> 「あのう、わたし、ナレコプシーではないかと思うのですが・・・・」「ナルコレプシー」医師は私の顔を見つめて言い直しました。「ナレコプシー?」「ナルコレプシー」「ナレコプシー?」「ナルコレプシー」「・・・ナレコプシー・・・」最後に医師は「ナルコレプシー」と紙に書いてくれました。そして私はやっとナルコレプシーということばを会得したのです。
ナルコレプシー(急に眠くなってしまう症状)という言葉自体、地球人
(非自閉圏)でも一回聞いただけでは覚えられませんね。
私も、「ナルコレプシー」という言葉を覚えるのに、『精神科のお薬
オタク』の友人に何度聞き返したことか(^^;)
> 口頭での議論は自分が正しいと思っていても最初から負けることにしています。相手の言うことを理解するのが難しいのです。
私は、口頭での議論でしたら、相手の論点がはっきりしているから、
まだ判るのですが、上司からの指示を理解するのに非常に困難が
あります。特に、「最初の仕様はこうだったけれど、こういう様に
変更しよう」というような話があった場合、最初の仕様を理解する
ことに思考が集中しているのですよね。
特に困るのが、遠回しの言い方を使った指示。
リタリンを処方されないので、現在、ピラセタムという集中力のつく
合法ドラッグを個人輸入して持ちあるいています。
元上司の、一度に多くのことを指示する内容を一回で理解できる
元同僚の「地球人」たちが羨ましいです。
「聴覚認知障害」のために、今までずっと「ぼーっとしている」とか
「人の話をちゃんと聞いてない」と言われ続けてきました。
後天的に取得したもので、診断名も貰ってなくて、一見普通の
「地球人」に見える私も、実は「地球人」と根本的な思考回路が
違う、「連邦市民」なのだなぁ、とよく思います。
なぜ、「地球人」と一緒に仕事をしなければならないだろう。
「地球人」の中でいつも孤独を感じている、「地球人と連邦市民の
合いの子」(なぜ合いの子かといいますと、正式に診断を受けてない
から)の戯れ言でした。
武田好史 さんwrote:
> >
>さてここまで踏まえたところで、みなさんに質問です。
>
>軽度発達障害者に、グループホームは必要でしょうか?
>
また余計なお世話かもしれません。話は少しずれますが一言書かせていた
ただきます。発達障害者の為のグループホームではありませんが、農業を主
体とする生活共同体というのが、日本あちこちにあるんです。私の地元には
ヤマギシ会の実顕地(要するに農場)があります。一時マスコミにバッシン
グされてましが、私にはそれほど悪い所とも思えないんですがね。自分は交
通事故の後遺症でもう肉体労働できないから無理だけど、体さえ悪くなけれ
ば案外そんな所に居たかも知れません。埼玉県には、かの武者野小路実篤が
はじめた「新しき村」が今でも存続してるみたいです。ご存知かもしれませ
んが・・。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sin_mura/
自分の就労の時もさんざん悩みました。80年代でしたから日本経済は絶
好調で日本中が浮き足立ってましたね、大学中退だけどまあなんとかなるだ
ろと軽く考えてまして本格的に就職活動始めたんだけどなかなかうまくいか
ない。中退が悪いのか、「障害」が悪いのかすべて断られました。まあ親父
が零細企業(中小企業とも言えない)経営してましたから最悪そこで働ける
かなという甘い気持ちもありましたが、建築関係でまるで肌に合わなくって
嫌だったんです。結局今はそこで働いているですけどね(笑)。ともかくそ
のころはなにもかもが嫌で、こうもりさんじゃないが、事故でも起こして死
んじゃえば親もそれ程気に病まないで、自分も楽になれるのになあなんて本
気で考えてましたね。実際30過ぎて半死半生の憂き目にあっても生き延び
ちゃうんですがね・・。それはともかく。
自分は外国のほうが合うのかなあと思いったって、イスラエルのキブツ
(集団農場)に行きました。別に皆さんと違って基督教に関心があったわけ
ではなく、中東問題に関心があったわけでもないんですがね。ただ日本を逃
げ出したかったのと、集団農場に関心もったからです。8ヶ月ぐらいいまし
たね。今では良い思い出になってます。そのころのイスラエルは非常に平和
な時期でした。隣のレバノンでは内戦やってましたが、国内はなんともなか
ったです。インフレはひどっかたけどキブツにいる以上お金はかからないし
広い農場で外国の若い人たちとグレープフルーツのピッキングやってたら鬱
なんかどっかにいっちゃいましたね。イスラエル本国の人とより外国から来
るボランティアとのほうが付き合いやすかったですね。あちらの女性とも結
講親しくなれましたよ。(笑)今のイスラエルはあの頃と随分事情か変わっ
てると思います。その後湾岸戦争ありましたし、首相(だれだっけ)暗殺さ
れたし、タカ派のシャロンが首相になったし、今のテロ騒動ですからね。今
は多分キブツでは働けないと思います。
日本にもキブツに影響されて集団農場やっているところあると聞きます。
どの程度成功してるかは知りませんがそういう方面検討されるのもいかがか
なと思い書いてみました。興味ございましたらこちらでも調べて見ますけど
ね。余計なお世話でしたら無視してくだされ。
里辺華 wrote:
>
>
> *私の好きな聖句
>
>「愛する者たちよ、これからも互いに愛し合ってゆきましょう。愛は神からのものだからです。そして、すべて愛する者は神から生まれており、神について知るのです。愛さない者は神を知るようになっていません。神は愛だからです。」
>
>
> ヨハネ第一4章7,8節
>
> どんな聖句が好き?
里辺華さん、ごめんなさい。実は今は聖書も持っていないのです。ですから引用できる聖句をあげることはできないのです。
でも私の心の中にある聖書の一場面はカインとアベルの逸話です。カインとアベルは兄弟でカインはアベルより信仰深く暮らしていたけれど二人がそれぞれに神に供え物をしたとき神はアベルの供え物を喜びアベルを愛でたのでカインは神に向かって怒りの言葉をはき、そのためカインは神の怒りをかい楽園を追放されたというものです。
すみません。記憶に頼っているので少しちがうかもしれません。この解釈は様々ありますがおおむね、カインとアベルの供え物はそれぞれ農耕民族と狩猟民族を象徴しているという解釈が主流のようです。
でも私はごく私的な信仰を持っているのでこの逸話に対して別な解釈を持っています。
私はカインは神に試されたのだと思うのです。時に私は神に愛されていないのではないかと思うことがあります。人の幸福をうらやむことがあります。その時私はカインのことを思い出すのです。
カインは神が自分の供え物を顧みなかったときも神への信仰を失ってはいけなかったと思うのです。だから私も自分が不幸に思えるとき、神は私を試しているのだと思うことにしています。難しいこともあるのですが・・・・
里辺華さん。すてきな名前ですね。聖書から取った名前ですか?それとも本名ですか?
まろんす wrote:
>一つのマンションの各部屋に一人づつ住むとか
>近所に自閉系の人達みんなで各家やアパートに住んで、
>一つだけどこかに寄り合い所みたいな所を作って
>人恋しくなったりしたときや
>交流会などのイベントをする時に集まりたい人だけ
>集まるというのがいいです。
>
> もし、私や他の自閉のみんなにお金があったら
>一緒に「コーポラティブ・マンション」を作って
>住みたいです。
>
>
あ、こういうのっていいな。
一人暮らしをいつかしてみたいと思っているのですが、こういう所だったら安心して住めそう。
あさかぜ さんwrote:
> 今回はMariaさんに呼びかけてみました。懐きたくなるんだわ、この姉さんには。
あははは!よ〜〜くわかるぞ!!
>
> 次はタレイヌさんだっ! 「タッレイッヌさぁ〜ん、ご指名よぉ〜」「ゥオオォ〜〜ン」なんて返事してくれるとうれしいかも。(←冗談ですってば!)
ゥオオォ〜〜ン……(アア、おんなじにするのって大変。)
タレイヌに冗談は通じません、あしからず。
> ドキドキしながら次回を待て!! シュタッッ!(←これは何かというと、ヒーローがその場を立ち去る効果音だ。何?あたり前すぎる? こういうのは決まりがあるんじゃよ。形式が大事なのじゃ)
>
なんか、元気ジャン?どしたの?おばさんたちが、あんまり騒ぐと、男の子達が、ビビルよ・・・(ちと、ふあんげ)
> さらば!
はい、まってる。
(タレイヌ)
ごめんなさーい!
打てば響くようなフォローができませんでした。
『未来警察ウラシマン』は大好きでビデオにとってあるけど……「説明しよう」は別の番組だったような気がします。戸隠流忍術の初見さんは、実写の特撮ものに出演なさっていたこともあったと思うけど、タイトルが思い出せません。うぅ、記憶が……。
実家行ってビデオ棚を探してみるべな。(捨てられてなきゃー、見つかるだろう)
戦隊シリーズのマスクマンでブルーマスク役の男の子は中国武術をやっていました。「型」のほうだったと思ったけど。かっこよかったので、好きだった。ポーズがひとつひとつ決まるのよね♪
掲示板がイカレてると気づいたときから昨日(だったかな?忘れた)カキコした時まで、パソコンの前に座りませんでした。浜に座って海を見ていたりはしたけど……。(←カッコつけてるみたいだな) ホントは必死で投げていたけど。何をって?釣竿さ〜。やっと前に飛ばせるようになってきたのだ。なにごとも練習、練習。しかし、お魚さんの顔を見ていない(ボウズです)。
ここの掲示板の「居着き」状態になってしまったわたしは、次から次の発見で興奮しているのかもしれないです。とりあえず「わからないということが、わかっていなかった」のだとわかったので、舞い踊り〜(るんルンルン)♪
うれしいけれど、困ったちゃん。
どうやら「わたしの本質」に近づきつつあると感じているけど、それにつれて「慎重さ」が欠け落ちていく……。わたしのようなヤツというのは、始末におえんのだな、これが。「気配り」「他者配慮」とかいったものが、ガラガラガラとひび割れてはがれてくる。
「生きる傍メイワク」の復活じゃ〜!! 元気が戻ってきたぞ〜!!
(みなさん、近づかないでください。お気をつけください)
↑と言っているそばから、「あたし、興味のあることにはどんどん近づいちゃうんだもん。それが人だって、おんなじよ」なんて思って近寄って行くのであった。ここの掲示板だって、興味のある人はいっぱいいるぞ!
(実害ないから許してくださる? ホントにそばに寄ってにおい嗅いだり、さすったりなめたりしないから>みなさん。だめ?)
今回はMariaさんに呼びかけてみました。懐きたくなるんだわ、この姉さんには。
次はタレイヌさんだっ! 「タッレイッヌさぁ〜ん、ご指名よぉ〜」「ゥオオォ〜〜ン」なんて返事してくれるとうれしいかも。(←冗談ですってば!)
ドキドキしながら次回を待て!! シュタッッ!(←これは何かというと、ヒーローがその場を立ち去る効果音だ。何?あたり前すぎる? こういうのは決まりがあるんじゃよ。形式が大事なのじゃ)
さらば!
Lingkoさん wrote:
>ときどきはっと我に返るための装置、人が謙虚になるための装置としては、「なにか大きなもの」は有用だと思う。
>
>それが神様であっても太陽であっても水の循環であっても暦であっても生命の不思議さであってもかまわないのだけれど。
同感。
「なにか大きなもの」につつまれている感じは、素敵。
とりあえず今は「しし座流星群」に期待しています。次は、未定。
里辺華 さんwrote:
> 聖書的に云う信仰とは、神の霊の実としての保証された期待なので、人間くさい考え方としての希望、野望、野心、邪心、あるいは敵意悪意憎悪にもとずく期待ではありません。
人間が地球つくったわけはない。でも,そんな態度の人が多い。人は,創造ぬしじゃなくて寄生むしだけど,自分がどうにかできるものだけを信じて,他のものは無視していいと思ってしまう。自力信仰です。信仰だと,全然自覚できないのが怖い。
他力への期待は,自己の限界への謙虚さに基づいて有効になります。拒むのは救いようがないから,ないと思えばないんだろうね。感じ取れる限界を超えた救いの力。
みえないものより,見える人に頼りたいときもあるけども。
武田好史 さんへ
> それは「親亡き後、どこで暮らしていこうか」ということです。
私も主人亡き後、一人になるので困ります。
『グループホーム』は必要だと思います。
しかしプライバシーを守りたい人もたくさんいると思うし
私自身、
同じ屋根の下に他人と長い間暮らすのは苦痛です。
ですから
一つのマンションの各部屋に一人づつ住むとか
近所に自閉系の人達みんなで各家やアパートに住んで、
一つだけどこかに寄り合い所みたいな所を作って
人恋しくなったりしたときや
交流会などのイベントをする時に集まりたい人だけ
集まるというのがいいです。
もし、私や他の自閉のみんなにお金があったら
一緒に「コーポラティブ・マンション」を作って
住みたいです。
名加野さん wrote:
> アルバイトやってた時は、どこへ行っても「お疲れ様です」しか言いません
>でした。というか、内部ではその挨拶しかありませんでした。
「お疲れ様です」というのは、ふつう「お先に失礼します」の返礼として使います。だから、「先に職場を出てゆく人」を送る言葉です。「お疲れ様でーす」とかいって職場に出てくる人はあんまりいません。朝っぱらから疲れていたのでは困ります。「お疲れ様です」とかいって帰宅する人もあんまりいません。残った人がどっと疲れてしまいそうです。
「お疲れ様」には、「ひとつの仕事を分担している」という連帯感のようなものが、ありそうに思います。
「ご苦労様です」というのは、これから仕事を始める人にも、いま仕事をしている人にも、仕事を終わった人にも使うことができます。職場に出てきて、もう仕事を始めている人に「ご苦労様です」。外から戻ってきた人に、「ご苦労様です」。仕事を終えて帰ってゆく人に「ご苦労様です」。で、務めを終えて会社から出てきた人に「ご苦労様です」。最後のは刑務所みたいだけど。
「ご苦労様です」というのには、「あなたと私はそれぞれ別の仕事をし、それぞれ別の役割を果たしていますよ」という思いがあるように思います。よく言えば「個人の尊重」、悪く言えば「他人事」。そういう感じ。
「自閉症方面の人間は、ちゃんと挨拶ができない」ということが、云えるかもしれません。その場の雰囲気に合った挨拶ができないというか、型通りの挨拶にしか聞こえない、通り一遍な感じに聞こえてしまう。「心がこもっていない」とかいう指摘を受けてしまいそうに思います。
ですが、それは「自閉症方面の人間」の特性ということではなくて、「挨拶」というものが、形骸化しているからだという気がします。どういう状況のときには、どういう気持を込めて、何を言うかというところを、ちゃんと教えてくれていなくて、形だけになってしまっています。で、多くの人は形に囚われています。
空手をやっている人どうしだと、「押忍(おす)」というとても便利な挨拶があります。だけど、使える場面が多いだけに、「押忍」の一言に込める情感を声に表わすことに、難しさがあったりします。
欧米の作法では、訪問先で相手が「どうぞお入りください」と言う前にさっさと帽子やコートを脱ぐことは厚かましいこととされています。紹介状や身分証明証があったら、帽子やコートを脱ぐ前に出します。
ところが、日本では「脱ぐ」のが作法に適ったこととされています。日本の場合、蓑笠を着けて訪れてくるのは「神様」なんです。だから、人間の場合は自らを顕(あらわ)して訪問しなければなりません。
ですが、映画『エクソシスト』でメリン神父が登場する場面を見て以来、「狙ってハズす」というやりかたもあると知りました。
礼にも「守・破・離」があるように思います。要は、どう気持を伝えるか、ではないでしょうか。作法というのは、その一側面でしかないと思います。
(Maria)
最近僕は、「働こうか」「働くまいか・・・」ということの他にも、悩んでいることがあります。
それは「親亡き後、どこで暮らしていこうか」ということです。
「それは消極的過ぎる!!!」と非難なさる方がいるかもしれませんが、一案として、「グループホーム」というどっかの施設に入れてもらうのも、やむをえないのかも知れません。いえ軽度発達障害者にとって、場合によっては「グループホー
ム」こそ安住の地になりうる場所かもしれません。
グループホームというのは、「世話人の介助を受けながら、障害者が居住し、彼らができるだけ自立して社会活動を行っていくための拠点となる施設」というシロモノです。でも我々軽度発達障害者は、ほぼ自立しているので、世話人の人が引き受けなくてはならない仕事は、居住者の悩みを聞いてあげる・施設の使用料の徴収・掃除がしっかり行き届いているか監視するくらいだと思います。
我々の側に対してのメリットとしては、もしものときの落ち着き先が確保される・同じ悩みをもった仲間と自分の苦しみ*楽しみを分かちあえる・コミュニケーションの能力の鍛錬ができるがあげられ、デメリットとしては、プライバシーを守ることが難しい・強い行動障害の人がますます嫌われてしまう・居住者みんなが「うつ病」でダウンしないためにかなり規則正しい生活が必要といったところがあります。
さてここまで踏まえたところで、みなさんに質問です。
軽度発達障害者に、グループホームは必要でしょうか?
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