アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
鷲羽丸さん wrote:
> ここでわしは、アスペルガーと似たような境遇の、ひとりの人物を思い
>出しました。
> ドイツの気象学者、アルフレッド・ウェゲナーです。
> 「大陸移動説」を最初に唱えた人です。
(中略)
> しかし、大陸を動かす力が何なのかの説明がなかったため、ウェゲナー
>の説は軽視され、やがて語られなくなりました。
地球物理学者の竹内均先生や天文学者でSF作家でもあったフレッド・ホイルの師匠だった、サー・ジェフリースという人がいました。
この人は、ウェゲナーが「大陸が移動する力は何なのか」という説明を提出するたびに、その説を否定しつづけた人です。地球物理の世界では、「たった一人で半世紀の間、地球物理学の進歩を止めた男」として知られていると、竹内均先生が言っていました。
> この両者、「生きている間には認めてもらえず、死んでから認められた」
>という共通点があります。
> ふたりとも、業績を認められないまま死んだことで、どう感じたのでしょ
>うか。
>「私の研究が世に受け入れられなかったのは、無念だった」という「後悔の
>死」だったか、それとも
>「いつか私の考えは間違いではなかったと、証明されるときが来るだろう」
>という「わずかな希望をいだいての死」だったでしょうか……
> あ、大きなお世話ですかね、おふたりにとっては。
研究者として、学問上のフェアな戦いで雌雄が決した以上、おそらく悔いはないと思います。
ところが、それ以外の部分でいろいろと問題があったりするのですね。特に日本では。
青色発光ダイオードの発明者、中村修二さんの『怒りのブレイクスルー』(集英社)には、こんなことが書いてあります。
『私はまだ日亜化学から退職金を受け取っていません。なぜなら退職時に会社から、ある契約書にサインするよう求められ、私がそれを断ったからです。
その秘密保持契約書には、「窒化ガリウムに関する研究と特許申請を三年間しない」と書かれていました。そんな理不尽な内容の契約書にサインする義務があるとは、とても思えません。大学の顧問弁護士も「サインしなくてよかった」と言ってくれています。』(P.248-P.249)
その後、中村さんは日亜化学から訴えられています。とはいえそれは予想されていたことでした。
『九九年十月の終わりごろ、ある学会でスティーブが私に助言してくれたのです。「中村、日亜化学から君が訴えられる可能性は高いぞ」と。
一瞬「アキューズド・オブ・トレードシークレッド・リーキッジ」という英語の言葉を日本語に訳すのに時間がかかりました。なるほど「企業秘密漏洩で訴えられる」……。
ビックリしました。米国企業といえども同業他社へ転職する場合、企業秘密漏示罪に問われる可能性があるというのです。
私の表情がよほど強張っていたのでしょう。すぐにあわてて「しかし大学へ転職するなら、直接的に利潤を生み出す製品を作るわけじゃないから、訴えられる危険性はないんだ。もう君は、うちの大学へ来るしかないな」と続けます。
日本の場合、どこからどこまでを企業秘密とするか、その範囲はひどくあいまいな上、判例もあまりありません。拡大解釈されれば、社員が同業他社に移っただけで、秘密などなにも漏洩しないのに罪に問われてしまうのです。
また、旧態依然とした日本の法曹界の例に漏れず、企業側にばかり有利で個人や社印の側には不利な判決が出ることも珍しくありません。
一生同じ企業に人生を捧げるという終身雇用システムがずっと機能してきた日本の場合、法的にも就業の流動化にはまだまだ対応していません。つまり個人にとって、転職しにくい、とても硬直化した制度が残っているわけです。』(P.202-203)
この話はわずか二年前の話です。この間に就業の流動化に対応した法案ができあがり、国会に提出され、承認され、発効したという話をあたしは聞いたことがありません。
そんなわけで、わが大森総合研究所が誇る汎用日本語処理系JAI-Parserはこうした法的なトラブルに絡んで「塩漬け」され、日本語処理技術というのは五年以上も停滞したままなのだな。
非営利の研究機関に所属し、研究成果を無償で公開するのは自由だけれど、研究そのものはビジネスにはなりえず、製品化まで一貫して行ない、それを研究者に還元する企業(そんなものがあればですが)の保護の下でしか、研究者は「研究すること」で日々の糧を得ることができない、というのが現在の日本です。戦前には「理研(理化学研究所)」という組織があったんですがね。
だから、あたしはエジソンやビル・ゲイツが嫌いです。「特許戦争」をビジネスにしたのは彼らですから。
(Maria)
>蝙蝠(混乱型 )さん wrote:
>> 不快な経験が好奇心に変わって、その問題に没頭しつづけるというのはボク
>>には分からない…。みんなはどう思う?
僕にはワカラナイというのは、こうもりさんにはわかっているという意味なのでしょうか?僕っていうのは、、小さい時に一緒に心の中に居た人ですよね?
たしか。。
私は、「不快な経験が好奇心に変わって、その問題に没頭しつづけるという」
わかりますよ。きっとそういう人多いと思いますが。
どうなんでしょうか?私も知りたい。
私も探求し続けてきました。どうしてこうなるのか。。ずっと悩んできたからね。
アスペルガー症候群の発見者(と言っていいのか?)、ハンス・アスペルガー。
彼が「知能・言語が標準的だが、自閉症の特徴を持つ子供」について論文を発表したのは1944年。ところがこのアスペルガーの考えは、他の自閉症の専門家からはほとんど受け入れられることはありませんでした。
1980年代にローナ・ウィングが「アスペルガー症候群」の名を世に出してからも、認知されるまでは至りませんでした。その頃、アスペルガーはすでに天に召されていました。
そのアスペルガーの研究は、近年になってようやく受け入れられ、「アスペルガー症候群」は発達障害の一種との位置付けが、50年以上の時を経てなされました。
ここでわしは、アスペルガーと似たような境遇の、ひとりの人物を思い出しました。
ドイツの気象学者、アルフレッド・ウェゲナーです。
「大陸移動説」を最初に唱えた人です。
彼はある日、地図を眺めていて、アフリカ大陸と南アメリカ大陸の形が、ちょうどひとつのものをふたつに引き離したように見えることに気づきました。
そして、氷河分布や動植物の化石の分布などから、
「大昔、大陸はひとつだったが、時を重ねるにつれ、それらが動いて現在の形になった」
との「大陸移動説」を唱えました。
しかし、大陸を動かす力が何なのかの説明がなかったため、ウェゲナーの説は軽視され、やがて語られなくなりました。
その後ウェゲナーはグリーンランドへ探検に行きましたが、そこで帰らぬ人となってしまいました。
それから20年ほど経ってから、手のひらを返したようにウェゲナーの説は見直され、大陸移動は肯定されることとなりました。
この両者、「生きている間には認めてもらえず、死んでから認められた」という共通点があります。
ふたりとも、業績を認められないまま死んだことで、どう感じたのでしょうか。
「私の研究が世に受け入れられなかったのは、無念だった」という「後悔の死」だったか、それとも
「いつか私の考えは間違いではなかったと、証明されるときが来るだろう」という「わずかな希望をいだいての死」だったでしょうか……
あ、大きなお世話ですかね、おふたりにとっては。
「大陸移動説」の言葉を小学校5年のとき知った 鷲羽丸
みなさんこんばんは。
私は今日よこはま発達クリニックへ行ってきました。
カウンセリングの日でした。
カウンセラーの方の話によると、私の場合、もしものときのために手帳を取得しておき、障害者年金がもらえるようにしておいたほうがよかろうということでした。
しかし私は以前、地元の役所に手帳が取れるかどうか尋ねたところ、「検討はしてみますが、おそらくは取得できないでしょう。」という話でした。
また精神保健センターでも相談にのってもらいましたが、そこのソーシャルワーカーの人の話では、「アスペルガー症候群は精神保健手帳の対象になるが、知的障害者の療育手帳の対象となると難しいでしょう。」ということでした。
もっともこれらの手帳の取得条件は、都道府県によって考え方がばらばらで、関東では東京都や神奈川県では、ASは療育手帳の取得条件に含まれているようです。 また大阪府では、地元のLD児・者親の会が、福祉当局に「手帳の取得に対して、求める人には、弾力的に対応してください!」という意見書を提出したようです。
ここまで踏まえて頂いたところで、みなさんに質問です。
軽度発達障害者に手帳は必要でしょうか?
また必要とすれば、既存の手帳で良いのでしょうか?
蝙蝠(混乱型 )さん wrote:
それに、こうもりおにいちゃんには年の離れた弟が1人いるんだ。で、その
>子が胎児であった時、こうもりおにいちゃんのお母さんは産婦人科で出産前診
>断を受けている。次男も障害児になるんじゃないのか心配だったんだ。大学の
>時にそのことを聞いたこうもりおにいちゃんはそのことに苦しんでいた。「自
>分が胎児の時に出産前診断を受けていたら、中絶されていたのかもしれない。
>自分が生まれこなければ、弟がこんな不安にさらされることはなかった」って
>ね。なんか言っていることが混乱しているみたいけど。
>
私は23歳で長男を妊娠し、24歳で出産しました。
医師に妊娠を告げられた時、喜びよりも戸惑いのほうが大きくて
子供が子供を産んでいいのだろうか? なんて思ったりもして……。
ドラマでよく奥さんがご主人に妊娠を告げて、ご主人が大喜びをするシーン
を見たりすると、白けてしまうんです。なぜ、そんなに喜びを表現できるのか?
私の主人も喜びよりも、戸惑い気味の表情だったから。
私は妊娠自体を喜べなかったのに、はじめて心音を聞いたとき涙がでたんです。
生命の鼓動が自分の中で息づいていることを実感したから。
そのとき決心したと思います。この子を産もう、と。
二人目を妊娠した時、長男がまだ、1歳半で障害のことは分からなかった。
もし、その時点で分かっていたらどうしていただろう。
あの頃の私は二人目を産む勇気があっただろうか……。
> 不快な経験が好奇心に変わって、その問題に没頭しつづけるというのはボク
>には分からない…。みんなはどう思う?
こうもりさんは、人間の本質を暴きたくなるタイプ?
蝙蝠(悪魔型)である。混乱型の小僧がわたしの考えに従わず、余計なこと
をコメントしたようだな。ここではこの件に関するわたしの考えだけを述べて
おこう。
蝙蝠(混乱型 ) wrote:
> この話は本当にあったことだったんだって。こうもりおにいちゃんのお母さ
>んは「子供がどんなに障害を抱えていても、わたしは立派に育ててきている」
>ということを言いたかったみたい。でも、中学の時のこうもりおにいちゃんは
>この話を「僕は殺されても仕方のない子だったんだ」と理解しちゃったんだ。
>障害のことに気がついたこうもりおにいちゃんはだんだん子殺しの問題にのめ
>りこんでいった。
こうもりの奴が勝手に誤解していただけの話である。混乱型の小僧がなぜそ
のことを心配しているのか理解できない。また、仮に親から生きることを望ま
れていなかったとして、それがなぜ悩む理由になるのか?多くの親は自分の子
供がよりよい状態で生まれることを期待して子供を産み落とす。赤子であった
こうもりは単に親の期待するような形で生まれてこなかっただけの話。悩まな
ければならない理由はどこにもない。
また、本人がその経験に基づいて子殺しや堕胎の問題に没頭しているのなら
ば、わたしにそれを止める理由もない。どんな目に遭おうが好きなだけ考えて
いればよい。生命と精神を削って格闘しながら身につけたものでなければ、そ
の知識は虚無である。そのために破綻することがあってもやむを得ないであろ
う。
究極的な真理は本人を幸福にはしない。どんどん泥沼に引きずり込んでいく
だけである。
あさかぜさん wrote:
> 没頭するのはわるくないなと思うけど、破綻するまえに働くストッパーが内
>在していることを祈るな〜。
悪魔型と内省型のおにいちゃんにはストッパーがないんだよね〜。狂人型の
おにいちゃんがいくら止めても止まらないんだ。なんでだろう…??
悪魔型のおにいちゃんがコメントを引き受けてくれたので、ちょっとだけ言
い分を聞いてあげてね。
> 自分の経験からしか今は語れないけど(それが一番わかりやすいから)、わ
>たしはマル高出産ということで、医師に羊水検査をすすめられたが断った。
> 事前に障害があるとわかったからって、それがどうしたというのだ?って感
>じでかなり頭にきたことは確かだ。障害があろうとなかろうとわたしは産むに
>きまっていたからだ。胎内に芽生えた命を自分の都合で抹殺することなど、わ
>たしにはできはしないと、当時は確信していたからだ。
こうもりおにいちゃんの家庭ではおにいちゃんを含めて2人の障害児を育て
るのは無理だという判断だったんだ。他にも未診断だったけど自閉人の兆候が
おにいちゃんより濃い大人の家族がいたし…。シクシク。
どうもお話してくれてありがとう。じゃ。
今日もスーパーへ行って、他の店で買うもののことを考えていたら、店内用のカゴを持って、店の外へ出てしまって、慌てて戻ってきました。
これは単に性格がぼーっとしているせいなのか、注意力欠損なのか、それとも単なる不注意なのか…
タレイヌさん wrote:
>蝙蝠にいちゃんは中絶されなかったはずです。なぜなら、ASは、診断できませ
>ん。DNAチェックが可能になってきている現在でさえ、無理とおもうよ。
>ダウンちゃんとかは、分かるけどさ。(詳しくは知らないけれど、少なくとも、
>弟君の時代に、やれたことは、羊水チェックだったと思うよ。今ほど、分析技
>術も進んでなかったはず)
うん、技術的にはね。大学時代のこうもりにいちゃんはとにかく生まれる前
の弟がチェックされていまったことがショックだったみたい。
>ここからは、タレイヌの主観のみ。
>不快な経験に対して、わりとあっさり避ける方法論をとるタイプと、どっぷり
>浸かって『整理に整理を重ねた』上、有機的な問題だったものを、無機的なと
>ころまで、ばらばらに消化(昇華?)してしまうタイプが、いるように思う。
ん〜と、悪魔型と内省型とおにいちゃんは誰が何と言おうとどっぷり浸って
考えるタイプだと思う。激怒型のおにいちゃんはそもそも考えている姿なんて
想像もできない。こうもりおにいちゃんと狂人型のおにいちゃんはどっぷり考
える方だけど、周りの人が心配しているのを見たら、考えるのをやめちゃうタ
イプかな。
大人って難しいよね。
>蝙蝠(混乱ちゃん)と、蝙蝠(内省くん)が一緒に、こうもりさんの中に、住ん
>でるんだからさぁ・・・・たいへんだね???
この件については悪魔型のおにいちゃんにもコメントしてくれるように頼ん
でいるよ。でも、でてきてくれるかな〜???
タレイヌさん wrote:
>がむばつて(頑張って)くださいませませ。
ありがとうござりますです。今はまだ借り物の寄せ集めばかりではござるが、いつの日か自分の芸ができるよう努力を重ねる所存にござります。
>にんげん、もって生まれた「才能」があります。タレイヌ匂いは、だめみたい。
赤ちゃんていい匂いがするんだよ〜。うふふ。子供の匂いも好きだな〜。幼児くらいまでだけど……。頭のてっぺんから嗅ぐ。娘から「かぐなー!!」って、しょっちゅうおこられているのよ、わたし。つい嗅いでしまうもので。
小学校の低学年くらいになると匂いが変わってくる子がいる。男の子に多い感じがするね。あさかぜは、化粧の濃いのと香水のキツイの以外は基本的に女の人の匂いは好きです。男の人は匂いが変わるときがあるから、苦手ね。←危険度感知能力のひとつ。匂いが変わったら、そそくさと逃げる。二度と近づかないように心がける。これで若い頃、「ふった」ことがあるらしい。(人から言われたのだけど、わたしはそんなふうに思わなかった)
>時々、山に行ってるのが、「タレイヌ自身」かもなあ・・・・。
うむうむ。自身というやつは、隠れ蓑かぶって寝てたりするから、なかなか会えないこともあるかもなぁ。いつか確実につかまえてみたいものじゃよ。
「女性である」ということは自身にあまり強い影響を与えてはいないかも?と、あさかぜは思う。まったくないわけではないが、生物学的性別のほうだけだろうな。社会的なほうは後から学習するだけに、抜け落ちるのも早いかもしれないという感じがする。
きょうは不調でした。
蝙蝠(混乱型 )さん wrote:
> 今のこうもりおにいちゃんは昔ほど、この問題には苦しんでいないと思う。
>でも、子殺しと堕胎の問題にのめりこんでいることが多い。蝙蝠(悪魔型)の
>おにいちゃんに言わせれば「どんどん泥沼に入っていけばいい。本人自信が破
>綻するまで没頭しつづければいい」ということなんだけど、ボクはちょっと心
>配なんだ。
没頭するのはわるくないなと思うけど、破綻するまえに働くストッパーが内在していることを祈るな〜。
> 不快な経験が好奇心に変わって、その問題に没頭しつづけるというのはボク
>には分からない…。みんなはどう思う?
好奇心は何に対して持ってもいいと思うよ。不健全かどうかなんて、他人の評価かもしれないし、わたしだったら気にはならない。没頭するのだって、できる環境があるのなら喜ばしいことだと思う。
子殺しと堕胎については、興味はある。優先順位が低いので、好奇心というところまでいかないかもしれないけど。考えるためのアプローチが多方面にわたるので、それを統合してまで考えられないせいかもしれない。
自分の経験からしか今は語れないけど(それが一番わかりやすいから)、わたしはマル高出産ということで、医師に羊水検査をすすめられたが断った。
事前に障害があるとわかったからって、それがどうしたというのだ?って感じでかなり頭にきたことは確かだ。障害があろうとなかろうとわたしは産むにきまっていたからだ。胎内に芽生えた命を自分の都合で抹殺することなど、わたしにはできはしないと、当時は確信していたからだ。
しかし、今はすこしだけ考えかたがぐらついている。パートナーとの関係性やその他の数多くの要素を抜きにしては、答えが出せない場合もあると学んだから。
それにしても蝙蝠くん、カワイイね。おばさんと一緒に釣り行かない?(←こらこらこら! こういうのを「あぶないおばさん」という)
佐藤淑子(さとう・よしこ)、『イギリスのいい子 日本のいい子 自己主張とがまんの教育学』(中央公論新社 中公新書1578)が面白かったです。
『目の前のブルーの小さな瞳が険しくなった。イギリスの幼児学校の一室でイギリス人の男児に心理テストを行っているときのことである。幼児にいくつかのトラブル場面を描いた図版を提示しながら状況を説明し、「こんなとき君だったらどうするかな」とたずね、幼児の対人行動における自己主張と自己抑制の発達を見るテストを実施中であった。課題は「花瓶」と題されるトラブル場面で、自分が工作で作った粘土の花瓶を友達が誤って壊してしまった状況である。これは花瓶を壊されてしまった子どもが、壊してしまった子どもの立場になって、思いやりを発揮し、泣いたり怒ったりして感情を爆発させずに相手を許せるかどうかを見る自己抑制の課題である。
Why do you ask me about this? I dit't do anything. He is to be blamed.
「なぜこのことについて“ぼく”にたずねるの?」と毅然とした表情で男の子は言った。そしてテスターである私の目をしっかり見据え、「しつもんなら、こっちのこわしたほうの子どもにたずねればいいじゃないか。ぼくはなんにもしていないよ。せめられるのはこっちの子のほうだよ」と続けた。
また別の子どもであるが、
Well, he himself would be upset.
即座に「さあね、かびんをこわした子はじぶんであせってるんじゃないの」とさらりと答え、見事にきっぱりと自分と他者の間に線を引いてみせるイギリス人の男の子もいた。
また、あるイギリス人の女の子は
I'll tell all my friends.
「わたし、おともだちみーんなにいいつけちゃう」とあっけらかんと答える。
対照的に、日本人幼児の解答に多かったのは次のようなプロトコール(発話のありのままのことば)である。
「おこったらこの子めそめそなくから」
「ちいさい子ならなくよ」
「おこるとおかあさんにしかられる」
「あんまりなかすとおこられる」
このように答える日本人の子どもたちの複雑な表情からは、相手の気持ちになる、あるいはトラブルが大きくなったときのことを考慮し、くやしい悲しいという自分の率直な感情を人間関係の調和のために抑制するプロセスが見て取れる。日本人が子どものときから感情移入能力を発達させてきていることは、恒吉の研究でも明らかにされている。対照的に、イギリス人の子供は相手に即座に感情移入するよりも、まずはトラブル発生時に自己が原因となることと他者が原因になることの事実関係を客観的にはっきりさせようとしているのである。感情より理性が先に立つイギリス人幼児の特性を表わしているといえるだろう。
上記の日本人幼児とイギリス人幼児の課題に対するプロトコールの違いから、日本人とイギリス人のどちらが「いい子」かと問うことはできない。なぜなら、これこそが、第二章で述べた自己と他者の心理的距離が異なる日本人とイギリス人の基本的人間関係を構築する土台の差なのだから。もし私たち日本人が、日本人幼児はいい子でイギリス人幼児はとんでもない子供だと感じるならば、それは私たちが、自分の国の対人関係の文化規範に基づいて主観的に判断を下しているからなのである。』(p.78-80)
自閉症者が健常者に「溶けこむ」ということは、自閉症者の対人関係の規範を捨てて健常者の対人関係の規範を受け入れるということだと思います。
「自閉症者の文化」というものは、日本という国では認められるのでしょうか。
Mariaさん wrote:
> ちょっとToxさんの真似をしてみたMariaでございました。
Mariaさんに真似されてしまったToxでした(^_^)。
(Tox)
SSRIを服用するといらいらして困るという人は、朝ご飯を済ませた後にウォーキングをすると良いかもしれません。
エイメン博士の「わかっているのにできない脳」の中に、「薬+定期的に運動を」という文言があったので、もしかしたら運動不足ということもあるのかもと思い、ここ2,3日朝食後、1時間くらいウォーキングをするようにしたところ、格段にいらつきがおさまりました。
特に引きこもり中・専業主婦という人は、この点を意識したほうが良いと思います。
蝙蝠(混乱型 )さん wrote:
> それに、こうもりおにいちゃんには年の離れた弟が1人いるんだ。で、その
>子が胎児であった時、こうもりおにいちゃんのお母さんは産婦人科で出産前診
>断を受けている。次男も障害児になるんじゃないのか心配だったんだ。大学の
>時にそのことを聞いたこうもりおにいちゃんはそのことに苦しんでいた。「自
>分が胎児の時に出産前診断を受けていたら、中絶されていたのかもしれない。
>自分が生まれこなければ、弟がこんな不安にさらされることはなかった」って
>ね。なんか言っていることが混乱しているみたいけど。
蝙蝠にいちゃんは中絶されなかったはずです。なぜなら、ASは、診断できません。DNAチェックが可能になってきている現在でさえ、無理とおもうよ。
ダウンちゃんとかは、分かるけどさ。(詳しくは知らないけれど、少なくとも、弟君の時代に、やれたことは、羊水チェックだったと思うよ。今ほど、分析技術も進んでなかったはず)
> 不快な経験が好奇心に変わって、その問題に没頭しつづけるというのはボク
>には分からない…。みんなはどう思う?
そう言う事って、無いとはいえない。不快な経験というのは、何かを考えるきっかけには、充分なる。あまりに重すぎる不快(?)は、拒否が起きるし、不適応状態になったり、乖離したり・・ってなる。あとは、時間があくと、小さい頃には受け入れられない話が、年齢が上がって、客観的にとらえなおせるように成るとか。
ここからは、タレイヌの主観のみ。
不快な経験に対して、わりとあっさり避ける方法論をとるタイプと、どっぷり浸かって『整理に整理を重ねた』上、有機的な問題だったものを、無機的なところまで、ばらばらに消化(昇華?)してしまうタイプが、いるように思う。(どっちつかずも、いっぱいいますけどね・・)
蝙蝠(混乱ちゃん)と、蝙蝠(内省くん)が一緒に、こうもりさんの中に、住んでるんだからさぁ・・・・たいへんだね???
(タレイヌ)
Toxさん wrote:
> 金原克憲(かねはら かつのり)著『<子>のつく名前の女の子は頭がいい 情報社会の家族』(洋泉社 新書Y)が面白かったです。
今読んでいます。なかなか考えさせられます。
「メディアミックス」にも興味はあったし……自分が漠然と感じていた違和感みたいなものが、はっきりとした形になって説明されるのが何よりうれしいです。
Toxさん、おもしろい本を教えてくださってありがとうございました。
お礼に一曲……(というのは冗談です)←SSRIの効き過ぎでハイになっているかもしれないと自分を疑っていました。
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