アスペルガーの館の掲示板(旧)
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やんちゃん wrote:
>pennpenn58さん wrote:
>>
>私も。いつもそう。失聴はしてないのだけど…。
>聴き取りは苦手だし、それに対する気の利いた返答をするのも苦手(そもそも相手の発言を理解するのに時間が掛かる)。
>ところで、「カクテルパーティ効果」というのが、どうしてもわからない。
>「ザワザワしたところでも、話している相手の話がちゃんと聞き取れる現象」らしいのですが?どういう物かわかる人いますか?
えーと、まんがで知ったのですがざわざわしているとことでも不思議に自分の悪口を言われたりしているとすぐに気がつくしはっきり聞こえると言うことのようです。
たしかにそういうことってあると思います。左耳失聴の他にも聞き取り能力に難のある私でもそういう体験をします。(もしかしていつも悪口ばかり言われているのだろうか・・・・)体中にアンテナが張ってあって耳ではなく体全体で自分に関することの話題を聞き取っている感じです。
I wrote:
>Mariaさん wrote:
>> あたしのMariaという名前はベタニアのマリアから取られているのですが、この「ベタニア」というのも、エルサレムの東側に三か所あったという、癩病患者を隔離した村の名前です。
>
> この項でもう1度。「ベタニア」というのが、ハンセン病患者を隔離した村の名前だとは...!聖書に書かれている頃から、ハンセン病患者って隔離されていたんですね。相当長い歴史があるんだなあ...。(日本でなんか、ようやく最近ハンセン病患者への対応が変わり始めた〔というにはまだ早過ぎるか?〕ことを思うと...。)
「聖書に書かれている頃から」と思わず書いてしまいましたが、これってホントに聖書に書いてあるのかな?Mariaさんのカキコ読んで、勝手にそう思ってしまったのですが...。(よく調べてから書くべきでしたね、この文章。)
あさかぜさん wrote:
> どうするったって、あーた……(^^;)
>
> 沈黙は金!! とか言ってそそくさと逃げる今夜のあさかぜ(ぴゅーーー)
えーん、逃げないで下さいませ。(勝手に横ヤリ入れてしまったようで、その点は失礼なことをしてしまったと思っていますが...。)でもやっぱり見たいですー!さて、余談(というより蛇足)ですが、数日不在となるため皆さんのカキコ読めないのが残念。帰って来てから、読むのを楽しみにしています。(出先でインターネットできればなあ...。)
あさかぜさん wrote:
> 伸びきってませんか、首?
はい、おもいっきりのびていました。(びろ〜ん。なんちゃって)
>
> 宮仕えって、もしかして公務員さんかなと思ったのですが、違いましたですか……。
そーです、正解は...といきたいところですが、事情あって書けませんのでお許しくださいませ。(会社員でも公務員でもない、とだけ申し添えておきましょう。)
武田好史さん wrote:
> 現在の軽度発達障害者の雇用は、単独で企業に送り込んで、そこに何とか適応できたら安心、「あとは面倒は見ないよ」ということになっている。だから多くの人が孤独で、仕事につまずいて疲れ果て、うつ病の地獄に落ちていく。せめて同じ訓練を受けた仲間同士を2・3人送り込むとか、職業センターの職員が定期的に仕事振りを見に行くとかして欲しいものだ!
武田さんのカキコを見て、現実というものを初めて知りました。ひどい話...。なんか、いかにもお上(でなかったら、すみません)の発想という感じでやだな、こーゆーの。社会に適応していくために適度に、そして長期的にサポートが必要なのは、障害の軽重を問わないと思うんだけどな。ホントに福祉というものを考えているように思えない、かつ、人と違うことを認めない(もしくは、認めたがらない)この国で、障害者が健常者と対等にやっていけるのにはどのくらいかかるのやら?カキコしながら、思わずため息ついてしまいました。 前に、他の方が(すみません、どなたでしたっけ?)金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」という言葉をここで書いていたことがありましたが、本当にそうであってほしい、心からそう思います。
Mariaさん wrote:
> あたしのMariaという名前はベタニアのマリアから取られているのですが、この「ベタニア」というのも、エルサレムの東側に三か所あったという、癩病患者を隔離した村の名前です。
この項でもう1度。「ベタニア」というのが、ハンセン病患者を隔離した村の名前だとは...!聖書に書かれている頃から、ハンセン病患者って隔離されていたんですね。相当長い歴史があるんだなあ...。(日本でなんか、ようやく最近ハンセン病患者への対応が変わり始めた〔というにはまだ早過ぎるか?〕ことを思うと...。)
pennpenn58さん wrote:
> 私は左耳を失聴してておおぜいで話すのがとても苦手だったのです。一対一くらいだとそんなに困らずにはなせるのですが大勢だと何が話題になってるのかよくわからないことが多かったのです。
>
> だから何だかわからないまま話を合わせてみるのですがほんとうはとてもそういう状況が苦痛で苦手なのです。おまけに人の話の裏読みをするのも苦手だし。
>
私も。いつもそう。失聴はしてないのだけど…。
聴き取りは苦手だし、それに対する気の利いた返答をするのも苦手(そもそも相手の発言を理解するのに時間が掛かる)。
ところで、「カクテルパーティ効果」というのが、どうしてもわからない。
「ザワザワしたところでも、話している相手の話がちゃんと聞き取れる現象」らしいのですが?どういう物かわかる人いますか?
武田好史さん wrote:
> 僕はかねてから思っているのであるが、「軽度発達障害者」の場合、単独で
>企業に就職して仕事をするよりも、あるていど団結してベンチャー的に仕事を
>するようにした方が、より良い社会貢献ができるような気がする。
社会人にももう少し多様性があった方がいいとは、わたしも思います。職場
で正式採用されていて、職場を中心に活動を続けるという形にとらわれること
はそれほどないでしょう。
社会人のイメージそのものを変えていくということもある意味では重要です。
タレイヌさん wrote:
>> よくありがちな社会人と非生産群のトラブルとしては、社会人の側が「社会
>>のルールや常識」を説くことに対して、非生産群の側の人々が反発する場合で
>>す。
>
>これって、典型的な親子の関係だよね。『一体誰が、食わせてやってるんだ!
>』式。
けっきょく、親の意見が正しいかどうかは関係なく、社会や世間や常識を後
ろ盾に物事を語ると、子供の方はそれだけで権力的な匂いをかぎつけて、聞く
耳を持たなくなってしまうということがよくあります。
勤務先の学習塾なんかで生徒を叱りつける場合も、これだけは禁句にしてい
る今日この頃です。架空の多数派(社会や世間)の援護射撃を受けて安全なと
ころから発言をするのはちょっといただけないです。
タレイヌさん wrote:
>あっさかっぜさ〜〜ん!!楽しみにされてるよ〜〜〜?!どうするのぉ?
どうするったって、あーた……(^^;)
沈黙は金!! とか言ってそそくさと逃げる今夜のあさかぜ(ぴゅーーー)
グルンサさん wrote:
> 成果を楽しみにしてます。ぜひとも、ご報告下さい!首を長くしてお待ちしてま〜す。
伸びきってませんか、首?
いや〜、今日は実践講座まで辿りつけませんでした。運転手くんと御用聞きだけしていました。鍼灸院に行く日でもありましたので。
宮仕えって、もしかして公務員さんかなと思ったのですが、違いましたですか……。
pennpenn58さん wrote:
> 私ってすぐ暗くなりやすいから困ってしまう。まあ、鬱病治療中だけど。私も3児の母。全然自覚が足らないのだけれど。こんな風ではだめですよねえ。
気楽になれるまで時間がかかるかもしれませんが、うつ病は治りますよ。わたしは一年半ほどかかっていますが、信じられないほど元気になりました。病んだことで見えてくる新しい発見もあります。
子育てと病気療養は気長にやるのが一番でしょう。
ホームページ検索をしてたら、12月に東京で成人ADHDのセミナーがあるらしいです。
どなたか出席されるかた、いらっしゃいますか?
http://www.adhd.jp/i
こうもり wrote:
> そして発達障害と関係のあるところでは、発達障害における社会性というの
>が、「どんな対人交流にも対応できるようになること」を指しているのか、小
>社会で生きていくために必要な対人交流に限定して話をしているのか分からな
>くなってしまったのです。
> 前者の場合、そもそも発達障害者,健常者を問わず、実現できるかどうかさ
>え怪しい部分があります。残念ながら自分の立場を捨ててあらゆる対人関係に
>対応できる人と出会ったことはありません。どんな共感性の高い人でも対人交
>流能力にはでこぼこがあるためです。
> 後者の捉え方をする場合、社会人と非生産群の関係が極めて一方通行になっ
>てしまいます。非生産群の人が社会人との交流ができなければ社会性に困難が
>あると評価されるのに、社会人が非生産群の障害者のことを理解できなくても
>なんら問題がないことになってしまうからです。
>
僕はかねてから思っているのであるが、「軽度発達障害者」の場合、単独で企業に就職して仕事をするよりも、あるていど団結してベンチャー的に仕事をするようにした方が、より良い社会貢献ができるような気がする。
頭が良くてもグルーミー(不器用)のために、ちっちゃな町工場で働くしかない人もいるし、逆に器用なのに頭が悪く、そこで働くことを余儀なくされている人もいる。これらの人が集まれば、お互いに刺激しあってより良い事業ができると思う(弁証法的な発想)。
現在の軽度発達障害者の雇用は、単独で企業に送り込んで、そこに何とか適応できたら安心、「あとは面倒は見ないよ」ということになっている。だから多くの人が孤独で、仕事につまずいて疲れ果て、うつ病の地獄に落ちていく。せめて同じ訓練を受けた仲間同士を2・3人送り込むとか、職業センターの職員が定期的に仕事振りを見に行くとかして欲しいものだ!
あさかぜさん wrote:
>Mariaさん wrote:
>> あれは「がんばって」できるものではないのですね。しっかりとコツがあります。
>
> コツを教えて下さって、ありがとうございます。思わず、ノリました。
>
> 実に楽しい。
>
>> なお、途中でついつい血迷って三つ編みとかしたくなります。そこは堪えてください。
>
> ぎゃははははー! なぜわかったんだー? ↑ここを初めて読んだときは、大笑いしました。やっちゃうんだよねぇ、ついつい。
>
> うー、ログを読んでいる時間がない〜! 他の皆さん、また後で〜!
成果を楽しみにしてます。ぜひとも、ご報告下さい!首を長くしてお待ちしてま〜す。
こうもりさん wrote:
>
> よくありがちな社会人と非生産群のトラブルとしては、社会人の側が「社会
>のルールや常識」を説くことに対して、非生産群の側の人々が反発する場合で
>す。
これって、典型的な親子の関係だよね。『一体誰が、食わせてやってるんだ!』式。
>どんな共感性の高い人でも対人交流能力にはでこぼこがあるためです。
そうそう、タレイヌにも、おおあり!!
> タレイヌさんが提示してくださった引き算のおかげで少し頭がすっきりして
>きました。どもどもです。
いえいえです。
単純頭のタレイヌでも、役に立ってよかったなぁ。
こうもりさんが絡んでるボランティアって、中間体かも(?)ね。私らは、正確には稼がないんだけれど、税金払える「小社会」人口を、なるべくたくさん育てるべく、動いてるわけ。何故って、育成手当てや、失業保険料なども、税金収入でまかなわれるから。そして、それらの補助金が、社会を循環することで、「小社会」で活動できる次の世代の人材を、作り出そうとしているわけ・・かな。
小社会人も、非生産群人も、みーんな、必要なんだよね。それぞれの、役割がちゃんとある。自分のポジションを見極めて、やれることをやれる範囲でやりたいものです。
ああ、やっぱり、この辺で、もうだめみたい。
(国語、社会、超苦手だった、タレイヌ)
なごり花 紫つゆ草 露にぬれ
黄金色 桜葉光る 霞川
菊花は 今日も鮮やか 日に光り
風弱く 薔薇や山茶花 生きる朝
さっそうと 落ち葉踏みしめ 吾歩く
Mariaさん wrote:
> あれは「がんばって」できるものではないのですね。しっかりとコツがあります。
コツを教えて下さって、ありがとうございます。思わず、ノリました。
ででで、できん……。
母にTELして、縄綯い実践講座を開いてもらうことにしました。わたしの身内では、母だけができそうでしたので。藁を叩いて柔らかくする必要のあることや、霧吹きの水を用意すること(昔はツバだったそうな)、正月用の注連飾りに使うものは青刈りしたということなど、いろいろ知りました。
実に楽しい。
> なお、途中でついつい血迷って三つ編みとかしたくなります。そこは堪えてください。
ぎゃははははー! なぜわかったんだー? ↑ここを初めて読んだときは、大笑いしました。やっちゃうんだよねぇ、ついつい。
うー、ログを読んでいる時間がない〜! 他の皆さん、また後で〜!
はい、こんばんは。私のいらぬ一言が、皆さんに混乱を招いてしまったようで、どうもすみませんでした。
実は、「お宮で(以下略)」という文、カイシャづとめのことを「宮仕え」と称することがあるように、それにひっかけて書いたのですが、どうも使い方が適切でなかったようで...ごめんなさーい。(でも、おかげでまたMariaさんから勉強になりました。)
ところで、Mariaさんが教えてくれた「ふたりで聖書を」、こちらは出版社か、書店に注文することにしました。(最初からそうすればよかったのよね。うだうだ悩むことなかったな。) さてもうひとつ。私がここにお邪魔するようになって、毎回いろいろ読ませていただいていますが、この掲示板のカキコ、最初から全部素直に読んだらどのくらいかかるんだろう...?(時間とお金と両方ね。)やってみたくはあるけれど、コワい気も...。今日はこれまで。
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