アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 言葉が分からないこと・・・。 8951へのコメント
No.8958  Mon, 26 Nov 2001 08:51:20 +0900  みどり [この発言にコメントする]

truth さんの状況は、私が英語ネイティブに取り囲まれた状況にすごく似ているようです。

私の場合はそういうときは仕事のことが多いので、わからないときには「わからない顔」をしているのがいちばん問題は起きないように思います。
# お仕事の場合は、わかったフリをしているとあとで必ず困る。
# でもお仕事内容が交渉ごとの人にはおすすめできるかどうか??

でも、その場その場はなんとかなっても、頻度が上がるとだんだんつらくなってくるんですよね。

お気持ちはすごくわかります。
どう対処していいかはよくわからないんですが。


Re: 言葉が分からないこと・・・。 8951へのコメント
No.8957  Mon, 26 Nov 2001 08:35:29 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

truth wrote:
>あまり書き込みをしていないのに、すみません・・・。
>
>仕事で・・・プライベートで人と会っていて・・・例えば、会議の時とか・・・沢山の人達がいて、喋っていると、何言っているのか分からないときがあります。分かろうとして・・・一所懸命聞く努力をしていても、話は次の話に移っていたりするのです・・・。
>
>そんな時は、「うんうん・・・」と聞く努力をして、分かっているように頷いたりするのですが、全然分かっていない時があります。一対一だと比較的相手の話が分かるのですが・・・。後、概念的な話とか・・・物とかに対する話だったり、単純な話だと理解出来るのですが、全体を把握したりする話・・・現実的にどうするかという話だとほとんど全然分かりません。
>
>メールや文章だと理解でき、又、人間対人間でない方が理解しやすいです。人間だと、その人の印象とか・・・相手の存在感みたいなものに気を取られてしまい、言葉が出てこなくなってしまいます。
>
>無理して合わせるより、そういう時は、「分かりません」と言うべきでしょうか?又、「よく分からないので、ゆっくりもう一度言って下さい。」と言うべきでしょうか?
>
>沢山の人が喋っていると、色々な人達が喋っていて、誰が誰に喋っているとか・・そんな事が分からなくて、気が動転してしまうのです・・・。
>
>自分に対して話しているとか・・・そーいう事も分からないことがあります。
>
>そんな経験がある人がいたら、教えて欲しいのです。そんな時は、どう対処しているんでしょうか?

私も全くその通りの症状で悩んできました。ほうぜんとしたのは大学の授業のとき。授業は一時間半だったのですがその時間を私は集中力を維持することができなかったし、教科書のない教師の話すことを理解してノートを取ることができませんでした。
 
 社会生活ではtruthさんのおっしゃるとおりの状態です。どうしたらいいのかについては私もわからないのですがそれはこのページで聴覚認知障害と言うものらしいということを知ってなにか気が楽になりました。症状があることはつらいことだけれどそれが病気だということが分かればいくらか耐えるのが楽なような気がします。仕方がないのだ、それは自分の病気なのだからと人とのコミュニケーションのまずさを自分で許すのが私は楽になりました。
 
 どう対処したらいいのかはわからないのですがでもそこは年の功でひたすら図々しくいろんな話しに「あー、それはねえ」とか「エー、何何々?」とかいって話の輪に混じってしまうのが結構有効のようです。

 人って気さくに接すれば受け入れてくれるけどお高く(そんなつもりは全然なくても)とまっているように見える人とはつきあいが深まらないもののようです。

 なんかお互い大変だけれどこのありがたいホームページで気楽におしゃべりできるのはうれしいですね。


Re: とり 8946へのコメント
No.8955  Mon, 26 Nov 2001 07:15:51 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

みどり wrote:
>あれは本当におかしな話でしたねー。
>鶏を殺すのが残酷だっていうなら、給食は菜食にするんかいっ。
>
 それを言うなら、「自分の親指を傷つけて、血液を採取して自らの血球の様子を顕微鏡で観察する」生物学の実験も、なぜだめなんでしょうね。(自分で自分の病気<例えば白血病>とか見つけちゃったら、確かにショックでしょうけど・・・)
 僕もこの実験をやりましたが、自分の身体の中で酸素を運んでいる赤血球の小さな玉のような姿が、今でも目の奥に残っています。本当に小さな細胞で400倍の倍率でもわずかしか構造が判りませんでした。
 確かに親指を傷つけるのは痛かったけど、その代償として、自分の身体の真実・神秘を知ったことは、潜在的にどこかで、その後何度となく私の心に巻き起こった「自殺願望」を抑えてくれていたと思います。


Re: 言葉が分からないこと・・・。 8951へのコメント
No.8954  Mon, 26 Nov 2001 05:45:27 +0900  Maria [この発言にコメントする]

truthさん wrote:
>そんな経験がある人がいたら、教えて欲しいのです。そんな時は、どう対処
>しているんでしょうか?

 ちょっとポイントがずれているように思われるのを承知でコメントします。

 この問題は、以下のような形で、いくらか一般的に捉えられるのではないでしょうか。

 複数の人間関係にまたがる問題ではあるけれど、直接にトラブルを抱えているのは本人である。
 ところが、本人には問題解決能力がない(つまり、自分一人の努力で解決することができない)。問題解決には他の当事者の協力が不可欠である。
 さらに、本人が問題解決に向けて他の当事者に働きかけたとすると、それが感情的反撥を招き、さらに問題解決を困難にするおそれがある。
 本当なら権威ある第三者によって解決すればいいのだけれど、それすらも他の当事者の協力が不可欠であり、同じように感情的な反撥を招き、問題解決を困難にするおそれがある。

 たとえば、「優等生が先生にひいきされていると感じた生徒が、その優等生に対して『むかついた』結果、いじめを働く」みたいなケースも、問題構造としては同じです。優等生本人が暴力的な手段でいじめに対抗したら、親や教師は困ってしまいます。かといって、説得や買収(つまり、いじめっ子にお金を払って許してもらうわけです)といった「平和的な手段」で解決しようとしても、いじめをエスカレートさせるだけです。親や教師に「いじめをなんとかしてほしい」と要請しても、親や教師は決定的な解決策を持っていないし、それはいじめを激化させるだけの結果しか招かなかったりします。優等生は黙っていじめられ続けるか、さもなければいじめ以外の理由を持ち出して親に転校を申し出るか、いじめを避けるために登校を拒否して引きこもるかといった手段しかありません。この場合、親が子供の転校や登校拒否を認めてくれるとは思いません。必ず理由を問い質すと思います。かといって黙っていじめられ続けていると、うつ症状を引き起こし、発作的に自殺してしまう危険性があります。

 あたしは、「こうした論理的に閉塞した状況において、人間が理性的にふるまうことが本当にいいことなのか?」についてちょっと疑問に思っています。キレて大暴れをして、収拾がつかないほど大きなトラブルに発展させて、「当事者みんなの問題」にすることによってしか、こうした問題は解決しないんじゃないだろうか、とあたしは思っています。ただ、みんなが「これはわれわれ全員の問題だ」と納得してくれるとは、とても思えませんが。

 (Maria)


問題
No.8953  Mon, 26 Nov 2001 05:17:11 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 ちょっとした思考実験です。

 ここに、Mさんという、ぽっちゃりとした若い女性がいます。Mさんはお母さんと二人暮しです。

 Mさんが、心臓の病気にかかりました。心臓の筋肉が腫れて、膨らんでしまう病気です。医学的には突発性拡張型心筋症、それも非常に特殊なもの、という診断を受けました。この病気に関していくばくかの治療経験のある病院は、日本では一ケ所しかありません。Mさんはそこに入院しました。
 とはいえ、この病気は原因不明で、治療法も確立されていません。医師にできることは、症状を抑えて、経過を観察することだけでした。そこで、以下の二つをとりあえずの治療方針として出しました。

 カロリーを制限し、体脂肪を減らすことで、心臓への負担を軽くする。(安静、血管拡張剤の投与と酸素吸入を併用)
 心臓の周りや肺に水が溜るのを防止するため、水分の制限と利尿剤の投与を行なう。

 ただし、これらはあくまで対症療法でしかありません。

 Mさんはみるみるうちに痩せ、筋肉や骨格が浮き出し、鼻が高く飛びだし、目だけがぎょろぎょろと光り、同時に水分が減ったためにしわしわのカサカサになってしまいました。ですが、とりあえず危機的な状況は脱しました。

 ところがMさんのお母さんは、妹さんを神経性食志不振症で亡くしていました。家族(Mさんのお母さんのお母さんと、Mさんのお母さん)は妹さんになんとか食事をさせようとしましたが、妹さんはどうしても身体が受けつけないといって、出された食事をほとんど残していました。業を煮やした二人は、妹さんの食事につきっきりで、最後まで残さず食べるように促しつづけました。ところが妹さんは、食事を全部食べはしたものの、気分が悪くなって、家族にわからないトイレの中で食べた食事をみな吐いてしまっていました。その結果、体内のイオンのバランスが崩れ、トイレの中で心臓の発作を起こし、発見が遅れて亡くなってしまったのでした。

 そういう経験を持つMさんのお母さんは、「このままでは娘(Mさん)が死んでしまう」とパニックを起こし、担当の医師に対して、Mさんに「十分な水と栄養」を与えるよう要求しました。で、それが担当の医師に断られると、Mさんの病室に食べ物と飲物を運び、それを残さず食べるように迫りました。Mさんが「それは病院の治療方針に反するから」と断ると、お母さんはますます激昂して、担当の医師に喰ってかかりました。
 担当の医師は、病院の方針(というより、上司にあたる医師の指示)に逆らうことができません。それと同時に、家族の同意が得られなければ治療を行なうことができません。そんなわけで、病院側から、「なんとかお母さんに治療方針に同意してもらうこと」を求められています。
 Mさんのお母さんは、Mさんが「ほとんど飲まず食わずでいる」という現実を受け入れることができず、痩せ細ったMさんが食事を採ろうとしないことや、担当の医師がそれを認めていることが我慢がなりません。また、Mさんや担当の医師を認めるということは、妹さんとの関係が間違っていたことを認めることになりますから、そもそも心理的に無理があります。

 そんなわけで、担当の医師も、Mさんのお母さんも、自分で自分の態度を変えることができません。つまり、何かを判断できるとすれば、Mさん自身でしかないわけです。

 とりあえずの選択肢は三つ(ただし、これ以外の方法があるかもしれないことは考慮していいでしょう)。

1)医師の指示通り、カロリー制限と水分制限を守りつづける。ただし、その結果、お母さんと病院との間で深刻なトラブルが予想される。

2)お母さんの指示通り、お母さんの持ってきた食事を取る。ただし、その結果、Mさん本人と病院との間の深刻なトラブルに発展することが予想される。

3)お母さんの持ってきた食事を取ったふりをして、お母さんにわからないようにどこかで吐く。この場合、病気のために活動が不自由であるMさんがお母さんの厳重な監視の目を逃れて食事を吐くことに関するかなりの困難があり、(2)と同様にMさん本人と病院との間の深刻なトラブルに発展することが予想され、しかもMさんの健康にも深刻なダメージを与える危険性がある。

 とはいえMさんが何もしなければお母さんと病院との間のトラブルはますます深刻になり、またMさんがお母さんの食事を頑として拒絶すれば、お母さんはますます度を失って、同じようにトラブルを深刻化させます。

 Mさんはどうしたらいいでしょうか?

 (Maria)


タブー
No.8952  Mon, 26 Nov 2001 02:19:08 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 牽強付会と判断されることを承知で書くことにしました。なお、ごくごく個人的な理由(あたし以外の誰とも関係がありません。御心配は御無用のこと)で黒Mariaでございます。くろぐろ。

 生徒の前で鶏を潰すのを教育委員会が禁止した話。
 他人にはまったく気にならない音が気になってしょうがない人がいること。
 『Dr.スランプ アラレちゃん』で、博士がアラレちゃんがじつはロボットであることを隠す理由。

 これらは、たぶんすべて同じ理由で、そして、その(表向きの理由ではない)本当の理由は、生徒の前で鶏を潰すのを禁止した教育委員会の人々にも、他人にはなんということもない音が気になってしょうがない人にも、『Dr.スランプ アラレちゃん』の作者である鳥山明さんにも、おそらく解っていないと思います。

 この問題について、具体例についてもっとも詳細に分析した人は、おそらく哲学者の中島義道先生だと思います。ですが、その「理由」については、中島先生も明らかにはできませんでした。
 ついでに一冊紹介。中島義道『騒音文化論 なぜ日本の街はこんなにうるさいのか』講談社+α文庫。これ以外にも、偏食に関する著作があって、こちらもチェックしていただけると嬉しく思います。

 で、あたしがこの件について「これだ!」と思ったのは以下の一冊。

 やまうち・ひさし(姓は「山内」、「ひさし」は偏が「永」で旁が「日」)『タブーの謎を解く 食と性の文化学』ちくま新書

 で、その中の以下の一文。

 『「タブーとは、カテゴリーの明確な対立に関して異例なカテゴリーに適用されるというのが一般理論となろう。AB二つの言葉のカテゴリーがあるとして、Bは《Aでないもの》として定義され、その逆もまた真であるとき、この区別を仲介する第三のカテゴリーCがあって、AB両方の属性を共有すれば、そのときCはタブーであるだろう」というのが、リーチの命題だった。』

 つまり、「既存のカテゴリーの境界(リーメン)を犯す存在がタブーとなる」ということなんですね。

 まず、なぜ生徒の前で鶏を潰してはいけないか。
 多くの小中学校では、生徒の情操を育てるため、つまりは「命の大切さを教えるため」と称して、ニワトリを飼育しています。つまり、これらのニワトリは「家畜」ではなく「ペット」として飼われていました。
 さて、日本では、長いあいだ鶏を食用にする習慣がありませんでした。日本産の鶏の品種は、明治以降に食肉用に開発されたものを除き、ほとんどすべてが「愛玩用」「観賞用」品種でした。唯一例外と言えるのが、闘鶏に用いられた「軍鶏」です。
 つまり、(社会的な意味)での人間として未完成である子供に、「家畜」と「ペット」のカテゴリーを混乱させるようなものを見せてはいけない、という教育上の配慮が、おそらくは無意識のうちに働いたのだと思います。
 江戸時代に人間にとって「鶏を食う」というのは、「いかもの食い」を通り越して「変態」あるいは「秩序の破壊」以外の何物でもなかったと思います。ところが軍鶏の場合、ある種の食人習慣のように、「その生命力・活力を受継ぐ」という形で、通常の「食事」とは別の、「宗教的儀式」としての意味があったからではないか、と考えられます。

 次、騒音。
 あたしは暴走族の騒音が気になりません。「やかましい」とはもちろん思うんですけどね。ですが、彼らは「自分たちが社会にとって迷惑な存在である」ことを承知しており、自分たちがそうした存在だとみなされることをも引き受けたうえで、騒音を発しているわけです。
 これに対して選挙カーの騒音はめちゃめちゃ頭にきます。連中は自分たちが「正しいこと」をしていると見なされたがっており、自分たちの出している騒音がある種の人々に対して単なる騒音でしかないことを「当然のこと」あるいは「しかたのないこと」と(おそらくは)見なしているからです。

 あるいは降下する旅客機の中で子供が泣きわめいたとしても、あたしは気になりません。子供は内耳道が通じにくいため、気圧が上昇すると耳が痛くなることがしょっちゅうあります。で、泣きわめくと涙やら鼻水やらをすすり上げるため、その「呑み込み」の動作によって内耳道を通じて空気が中耳に入り、鼓膜の内外の気圧差が解消して耳の痛みが消えるので、一時的に泣き止みます。そんなわけで子供が泣くのはあたしにとって無害かつ無関係な物理現象であることがあたしには納得できているのね。ところが、子供の親にしてみれば、「子供を泣かせっぱなしにしている親」であることが不本意である、ということがあります。そんなわけで、親が騒ぐほうは鬱陶しくてしょうがない。レモン味とか梅干味とかのキャンディーでも与えておいて、「耳が痛くなったら、唾をゴックンしなさい」とか教えてやる親だったらぎゃあぎゃあ騒がないでしょうし。

 つまり、「騒音を発している→本人はそれが他人に不快感を与えていることを認識し、自身が不快な存在だと見なされるであろう事実を(なんらかの形で)引き受けている」という「文化的騒音」のカテゴリーから外れた音こそが、あたしにとっての真の「騒音」、つまり「タブーとしての騒音」なんです。

 最後に、人間そっくりのロボットについて。
 『宇宙戦艦ヤマト』には、アナライザーというロボットが登場します。で、このアナライザー、艦長に「最新式にしては型が古いな」と言われて、「コウシナイト ロボットラシクナイト 制作者ガヌカシヨリマシタネン」と答えています。
 「男だったら男らしくしろ!」「あーら、あたしがオカマだからって、あんたに迷惑かかる?」という会話も何かのマンガに出てきました。つまり、「男は男らしく、女は女らしく、ロボットはロボットらしくしろ」というカテゴリーがあり、これに反するから「タブー」になっちゃうわけです。

 「障害者は障害者らしくしろ!」というのは、「自分を含めた一般人=日常/障害者=非日常」というカテゴリーを犯すがゆえにタブーなわけです。で、「家族」は日常そのものであるのに対し、そこに「障害者」という非日常が侵入してきちゃったわけで、タブーになります。だから、家族は「障害」を隠そうとし、本人にも「健常者」として障害を隠して生きることを要求するんですね。

 障害者にとっては障害は日常の一部ですから本来タブーにはなりえません。したがって、他者から押しつけられることによってのみタブーになりうるわけです。

 そんなわけで、変わり者であるあたしは、日常と非日常の区分について、つねに社会との軋轢を感じていたりするわけです。くろぐろ。

 (Maria)


言葉が分からないこと・・・。
No.8951  Mon, 26 Nov 2001 01:49:00 +0900  truth [この発言にコメントする]

あまり書き込みをしていないのに、すみません・・・。

仕事で・・・プライベートで人と会っていて・・・例えば、会議の時とか・・・沢山の人達がいて、喋っていると、何言っているのか分からないときがあります。分かろうとして・・・一所懸命聞く努力をしていても、話は次の話に移っていたりするのです・・・。

そんな時は、「うんうん・・・」と聞く努力をして、分かっているように頷いたりするのですが、全然分かっていない時があります。一対一だと比較的相手の話が分かるのですが・・・。後、概念的な話とか・・・物とかに対する話だったり、単純な話だと理解出来るのですが、全体を把握したりする話・・・現実的にどうするかという話だとほとんど全然分かりません。

メールや文章だと理解でき、又、人間対人間でない方が理解しやすいです。人間だと、その人の印象とか・・・相手の存在感みたいなものに気を取られてしまい、言葉が出てこなくなってしまいます。

無理して合わせるより、そういう時は、「分かりません」と言うべきでしょうか?又、「よく分からないので、ゆっくりもう一度言って下さい。」と言うべきでしょうか?

沢山の人が喋っていると、色々な人達が喋っていて、誰が誰に喋っているとか・・そんな事が分からなくて、気が動転してしまうのです・・・。

自分に対して話しているとか・・・そーいう事も分からないことがあります。

そんな経験がある人がいたら、教えて欲しいのです。そんな時は、どう対処しているんでしょうか?


Re: カクテルパーティ効果 8929へのコメント
No.8950  Mon, 26 Nov 2001 00:54:31 +0900  truth [この発言にコメントする]

>> えーと、まんがで知ったのですがざわざわしているとことでも不思議に自分の悪口を言われたりしているとすぐに気がつくしはっきり聞こえると言うことのようです。

>> たしかにそういうことってあると思います。左耳失聴の他にも聞き取り能力に難のある私でもそういう体験をします。(もしかしていつも悪口ばかり言われているのだろうか・・・・)体中にアンテナが張ってあって耳ではなく体全体で自分に関することの話題を聞き取っている感じです。

全然・・・ここの掲示板に参加していないのに、突然にすみません・・・。私もかなり遠くでしている自分のうわさ話とかを聞き取る事が出来ます。でも、いつも、自分の錯覚とか・・・勘違いなのかな・・・と思ったりもします。

他の人達は・・・必要な事だけを聞き分けて、必要じゃない情報は遮断しているのかもしれません・・・。でも、私には色々な音というか、声とかが聞こえてしまうため・・・肝心の仕事の方がうまくいかなくなってしまう事があります・・・。

耳が聞こえなかったら・・・後、目も見えなかったら・・・(見えるものに対してねとても過敏だから・・・。)それはそれでとても大変な事なんだろうとは思うのですが、どんなに楽だろうって思います。

変なこと書いていたらすみません・・・。失礼しました・・・。


Re: カクテルパーティ効果 8947へのコメント
No.8949  Mon, 26 Nov 2001 00:48:59 +0900  るおう [この発言にコメントする]

百日紅(さるすべり) wrote:
>例えば学校の試験の時、他の学生の鉛筆を走らせているほうに気が行って、そっちの方に集中してしまったりします。

あ、、小さいころ、、そういうのがいつも気になって、となりのこにうるさい
と言って、、ということが良くありました。思い出しました。

やたら、そういう点で気に障る人が居ました。。他の人は気になっていないのだからと、、先生に注意されたりとかね。。


Re: とり 8946へのコメント
No.8948  Sun, 25 Nov 2001 23:34:07 +0900  るおう [この発言にコメントする]

みどり wrote:
>>あれは本当におかしな話でしたねー。
>鶏を殺すのが残酷だっていうなら、給食は菜食にするんかいっ。

脆弱な教育委員会の論理を誰か論破してくれないのかな?と新聞を読んで思いました。


Re: カクテルパーティ効果 8939へのコメント
No.8947  Sun, 25 Nov 2001 23:23:30 +0900  百日紅(さるすべり) [この発言にコメントする]

おひさしぶりです。
私は聴覚過敏、カクテルパーティー効果をもっています。
例えば学校の試験の時、他の学生の鉛筆を走らせているほうに気が行って、そっちの方に集中してしまったりします。こういう症状のない人は回りの音をシャットダウンして自分の集中していることに集中してこういうことは気にならないようです。
それから電話をしている時に相手の家のファンヒーターのガーっていう風の音が聞こえたこともありました。
とにかく、異様に聞こえすぎるらしく、それが一気に情報として入力されるので疲れます。


とり 8944へのコメント
No.8946  Sun, 25 Nov 2001 23:14:34 +0900  みどり [この発言にコメントする]

私は実は「ビルばかり」は、景色的には好きだったりしますけど (食糧自給率が低いのは困るけど)
…てなのはどうでもいい話。

るおう wrote:
>鶏をつぶすことを秋田だかどこかの教育委員会が中止させたというのも、おかしい話しだし。誰かがやるんだったら、、良いのかということまで踏み込んで考えてほしかったし。。

あれは本当におかしな話でしたねー。
鶏を殺すのが残酷だっていうなら、給食は菜食にするんかいっ。

# 菜食主義は菜食主義で疑問があるんだけどね。なんで動物殺すのはだめで植物はいいんだろう??


Re: 社会とは何か 8940へのコメント
No.8945  Sun, 25 Nov 2001 23:03:40 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]

慎言居士 さんwrote:

横から、ごめんなさい。タレイヌです。
>
> またちょっとずれたレスになるかもしれませんが、「生産者群」とか「非生
>産者群」というような分類の仕方は私にはイマイチピンと来ませんが

言葉どおりの意味にはなっておりませんので、申し訳ありませんが、タレイヌのカキコ見てください。(NO.8883だったと思います)

   (タレイヌ)


Re: 社会とは何か 8941へのコメント
No.8944  Sun, 25 Nov 2001 21:43:34 +0900  るおう [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
> 畑が全く無くってビルばかりで、食料自給率パーセンテージ一ケタ台の国だったら、みなさんは暮らしやすいと思いますか?


思うわけがないです。
食料自給率パーセンテージ一ケタ台というのも、心の深いところで
日本人の不安感と関連していると思いますし。

土を触れない子供がいると、新聞で読みましたが、本当に、、
生物だと自分で自覚しないような感じになるんでしょうね。

鶏をつぶすことを秋田だかどこかの教育委員会が中止させたというのも、おかしい話しだし。誰かがやるんだったら、、良いのかということまで踏み込んで考えてほしかったし。。


Re: きょうはもうみれないだろうか 8861へのコメント
No.8943  Sun, 25 Nov 2001 21:40:11 +0900  るおう [この発言にコメントする]

shaku さんwrote:
>るおう さんwrote:
>>>しし座流星群もう。今日。今はみれないのでしょうか?
>>みれなかった。
>
> すごいな,るおうさん.負けた。
いえいえ。見れた釈さんの方がすごいです。
良かったですね。見れて。
私は一瞬光ったようなのは見たのですが、自然の神秘をみると自分も改まる様で
本当は沢山見たかったです。

>>ホームが出来たら、入所したいし。

自己レスですが、年をかなりとってからかなと思っています。人に気を使ってしまって、自分の時間を持てなくなると、色々なことができなくなります。
今はまだ、、頑張らないといけないですね。

と言いつつ、今日も切れてしまいましたが、、
不条理なことがあって。。

>お寺っての、どうでしょうか?
悪くはないですね。
出来れば、お墓が無い方があり難いですが。
年をとったらそれも気にならないかもしれませんね。

>近くのご住職の話では、年に何件かつぶれたお寺を整理してるそうな。合理化に負
大切な話しを教えてくださって有難うございました。

> だいたい、真宗の信仰が頑なに形骸化してしまったのは、教団成長期(江戸時代)の封建制の悪影響と住職世襲制の固執によるのであって、本来の同朋思想を取り戻すためにも非血縁による寺族の形成には重要な意味があるのだわい。

それについてはそう思いますね。

返答が遅くなってスミマセンでした。
なかなか書けないことが多い私です。


「Dr.スランプ」の疑問点
No.8942  Sun, 25 Nov 2001 21:36:49 +0900  鷲羽丸 [この発言にコメントする]

 わしが小学生のころ、すごく人気のあるマンガがありました。
 鳥山明の原作の「Dr.スランプ」です。
 むちゃくちゃ力持ちのロボット少女、アラレが登場するマンガです。
 「んちゃ」「ほよよ」「うほほーい」「キーン」「おはこんばんちわ」などの言葉を目にして、「なつかしー!」と思う人もいることでしょう。(え?つい最近リメークでアニメ放送してた?あー、そうでしたね……)

 それはさておき、わしはこのマンガで強く疑問に思う点がありました。それは、

「千兵衛(アラレを作った人)が、アラレはロボットであることをしきりに隠す」

ことです。たとえば、こんな話がありました。
 アラレが通う学校で身体検査がある、と聞いた千兵衛。アラレがロボットであることがばれないようにと、わざわざ「心臓の音のテープ」を作って、アラレの体に入れました。「ロボットじゃいけない理由」がわしにはわかりませんでした。
 千兵衛はみどり先生と結婚したあとも、アラレがロボットであることを隠し続けました。アラレの体がバラバラになってしまったときも、千兵衛はみどり先生にばれないようにこっそりと家に入って、見つからないうちに修理にあたりました。

 当時わしは、「千兵衛は結婚したら、アラレがロボットだと告白するんじゃないかな?」と淡い期待を抱いていました。しかし、それはなりませんでした。

 次のようなストーリー展開だったなら、よりいい内容になっていたのではと思うのです。

 千兵衛は、結婚を機にみどり先生にアラレの秘密を告白する。
 実は、アラレは自分が作ったロボットで、人間ではない。本当は隠すつもりではなかったが、ロボットに周囲がどのような反応を示すかが不安だった。
 それを聞いたみどり先生。こう答える。
 「ロボットだろうが人間だろうが関係ないわ。だってアラレちゃんはアラレちゃんなんですもの。」
 そしてアラレがロボットだとペンギン村中に次第に知れ渡る。
 しかし、今までのアラレの破天荒、奇想天外な行動を見てきた村の人々は、何の疑いも持たず納得する。
 それを受けて、千兵衛は安心する。
 そうして今日もペンギン村は一日が過ぎてゆく……

 多少クサイ部分もありましたが……、このような展開を期待していました。
 しかし、実際は連載終了まで隠し通しでした。ロボットであることがそんなに「知られたくないこと」だったのでしょうか?

 これ、「見た目にわからない障害を抱える子供を、普通であるように見せる」親の考えとダブって感じてしまうんですよねえ……。

 鳥山氏の考えはどうだったか   鷲羽丸


Re: 社会とは何か 8940へのコメント
No.8941  Sun, 25 Nov 2001 13:51:38 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

慎言居士 wrote:
>> あの頃(つまり明治大正)の日本人にはまだ理想がありそれを求める人たちが
>多くいたんですね。他の白樺派のひとや宮沢賢治みたいな人が。裕福であったか
>ら理想持てたんだろうし、理想だからこそ現実に挫折したのかもしれませんが。
> なにをも夢みること許されない、しらじらとした現実の中で生きていくしかな
>い今の自分には、あの時代の人のほうが現代日本人より身近に親しみ感じるんで
>すね。

 本当です。IT・グローバル化・効率化・合理化・・・・世の中は確かに豊かになったけど、同時に失っていくことも多い。それに今私たちが気づかないと、どんどんこの国は文明砂漠化してしまうでしょう。
 
 今朝私は散歩に出たのですが、これまで一度も通ったことのない道を通ったら、
がけの下に農家があって、その前の畑でおじいさんとおばさんがなにやら掘り出している姿に、何かすごい安らぎを感じました。畑の傍らの赤紫の小菊の花も見事でした。

 畑が全く無くってビルばかりで、食料自給率パーセンテージ一ケタ台の国だったら、みなさんは暮らしやすいと思いますか?


Re: 社会とは何か 8921へのコメント
No.8940  Sun, 25 Nov 2001 03:19:37 +0900  慎言居士 [この発言にコメントする]


 またちょっとずれたレスになるかもしれませんが、「生産者群」とか「非生
産者群」というような分類の仕方は私にはイマイチピンと来ませんが、「富裕
者群」とか「貧民者群」とかいうつまり社会階級みたいなものは今の日本に生
まれつつあるかなという気はしますね。富める者やその仲間入りしようとする
者にとっては、後者の存在は眼に入らないし、貧者は自分のささやかな幸せを
守って社会から引き篭もろうとするしで、その両者におおきな溝が出来つつあ
るのかもしれません。今の日本人には共通の「目標」とか「理想」無くしてし
まってるんでしょうね。無くしたというか持てなくなったというか。理想の名
のもとにスターリンやポルポトは大量殺人しでかすし、インテリたちの理想で
あった社会主義はソ連崩壊とともに潰えてしまって、あとにのこるのは剥き出
しの欲望だけで、競争至上主義の資本の論理だけになってるのが現代社会なん
じゃないかしらん。いや資本の論理なんてのも大半の日本人は信じちゃいない
かもしれんですね。アメリカに従うしかないからそうしてるだけで・・・。
 私は明治後期から大正時代のころの小説好きでした。小説が好きとういうよ
りは小説家自身に興味があって自叙伝やら評論やエッセイのほうが好きだった
というべきかな。尊敬するのはなんといっても森鴎外です。もうただただ格好
がいい。Atype人なのに凛とした姿勢を死ぬまで貫きとおした人で、最後まで
崩れることなかったのは、明治政府建国という大義しょっていたからじゃない
かなと思うんですね。あの崩れに崩れた太宰治とそれとまたちょっと対照的な
三島由紀夫が共に鴎外を尊敬していたというのは面白いことのように思えます。
彼らに明治と昭和の時代差を感じるんですね。三島なんかは幕末か維新の頃に
活躍していたらもう少し「幸せな死に方?」できたんじゃないかなと思ったり
しますね(笑)。
 もう一人心惹かれるのは有島武郎です。彼の小説自体は少しもつまらない(笑
い)が彼の真摯な生き様には心打たれます。有産階級の出身でありながら基督教
との出会いから有産階級であることに疑問を抱き、小説を書くことで思い描く理
想を追い求めるのですが、所詮無力な知識人でしかない自分に絶望し、財産を小
作農に譲り渡し、女と情死してしまいます。自殺は社会的に認められることでは
ないですが、哀しいまでに社会正義に誠実な人で、死ぬことでしかそれを自分に
認めさせることできなかったという意味では悲劇の人だったと思います。
 あの頃(つまり明治大正)の日本人にはまだ理想がありそれを求める人たちが
多くいたんですね。他の白樺派のひとや宮沢賢治みたいな人が。裕福であったか
ら理想持てたんだろうし、理想だからこそ現実に挫折したのかもしれませんが。
 なにをも夢みること許されない、しらじらとした現実の中で生きていくしかな
い今の自分には、あの時代の人のほうが現代日本人より身近に親しみ感じるんで
すね。
 お話が大きくずれてしまってご免なさい。


Re: カクテルパーティ効果 8931へのコメント
No.8939  Sun, 25 Nov 2001 00:15:27 +0900  やんちゃん [この発言にコメントする]

みどりさん、こんにちは。
>
>耳に入ってくるいろいろな音のなかで、一部の音だけに注目し、それ以外の音を抑制する能力のことを指すようです。

↑要するにこのことなのですね。結果として悪口ばかり聞こえてしまったりすることもある、と。

ザワザワしたところについては、やっぱり聞き取れないことの方が多いです、私は。まあ周りがうるさければ当たり前なのかな。
私語の多い教室では隣の人と、そのまた隣の人が話している声が聞き取れない。
なんか私も含めて話しているような感じなので、よくわからないけど、とりあえず笑っていたりする。
カクテルパーティ効果とは別の問題かもしれないですね。

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