アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
pennpenn58さん wrote:
> 私も混ぜてー。失踪するときは住所をここに書いていってね。
その時はメール送りまーす。(前に、送り方を書いてくれましたし。)
私は去年、失踪騒ぎを起こしたことがあります。職場に行きたくなくて行けなくなって、なんとか風邪で休みますと電話してそのまま精神科に直行したら職場で心配して(?)電話をよこしていないのがばれて日頃まじめだった私、失踪かと職場で大騒ぎになったらしい。そのまま一年間休職してあげくやめてしもうた私。
相当追い詰められていたんじゃありませんか?!当時。(今までのカキコでも驚かされましたが…。) これを機会に失踪仲間が増えたりして?!(何て書いたらいいんでしょ?)
> 今年の5月、浦和・大宮・与野の3市が合併し、「さいたま市」が誕生しました(ラジオで聞いたところでは、この話、昭和の始め頃からあったそうな)。 しかし…元・大宮市近辺在住の身でも、「さいたま市」というのがピンとこない。このこと(3市合併)については、鷲羽丸さんはいかがでしょうか?(数日前にプリントアウトしたカキコ読んでたら、つい聞いてみたくなりました。すみません。)
> わたしってひねくれモン?(グルンサ)
手話での『埼玉県』の表現は、「左手で支えたボールを右手でなでる」仕草をします。
『さいたま市』の表現も、最初のうちは同一だったようですが、それでは後に『県』『市』にあたる表現をつけない限り区別ができなくて不便だということになり、地元の『聞こえない人』の協会の協議の結果、最近になって、「左右のこぶしを十文字に合わせて、上にある右手のほうを開く」という、『サクラ草』をモチーフにした表現にすることに決定したようです。
あまのじゃくさん wrote:
>このサイトすげー!!
そうだよ!
超、すげーよ!
はじめまして、タレイヌです。
今、一応休眠中ですが・・・ときどき、でてきます。(謎ですねぇ・・・・?)
ここでのたくさんの文章を、読み続ける事が、できる人は、それだけでも、素晴らしい、そう思っています。
多種多様な文章を、是非、お読みください。
では、そのうち・・・・・どこかで。
(タレイヌ)
グルンサ wrote:
>>
> 私も上の文とまったく同じ。
>みどりさ〜ん、そのうちいっしょに失踪しませんか?(冗談だけど)
>でも、いっしょに息抜きだけでもしたい!!
私も混ぜてー。失踪するときは住所をここに書いていってね。私は去年、失踪騒ぎを起こしたことがあります。職場に行きたくなくて行けなくなって、なんとか風邪で休みますと電話してそのまま精神科に直行したら職場で心配して(?)電話をよこしていないのがばれて日頃まじめだった私、失踪かと職場で大騒ぎになったらしい。そのまま一年間休職してあげくやめてしもうた私。
若いときは自殺願望が強くて誰かが死にたいなんて口に出そうものならじゃあ、いっしょに死のうよなんて本気で言ってました。なんか自分一人ではうまく死ねなかったので。
今、私の心のふるさとは横浜の春日町というのかな。ホームレスの人がいっぱいいるところ。あー、いいなあなんて。ホームレスの人にシンパシーを感じてしまう私なのです。今は自宅でホームレスみたいな生活をしています。
ちょっと意地悪な質問になりますが…。
鷲羽丸さん wrote:
> 古い番号簿や地図を開くと、知らぬうちに名前が変わっている市があったりして、なかなか興味深いものを感じます。
今年の5月、浦和・大宮・与野の3市が合併し、「さいたま市」が誕生しました(ラジオで聞いたところでは、この話、昭和の始め頃からあったそうな)。 しかし…元・大宮市近辺在住の身でも、「さいたま市」というのがピンとこない。このこと(3市合併)については、鷲羽丸さんはいかがでしょうか?(数日前にプリントアウトしたカキコ読んでたら、つい聞いてみたくなりました。すみません。)
わたしってひねくれモン?(グルンサ)
みどりさん wrote:
> 実は会社員にあるまじきぐうたら生活してるんだけどね。なんせ会社をさぼりまくるだけでなく、「会社で日がなダラダラする」というずるい手まで使うからね。(でもこれを長く続けると自分が情けなくなってきて悪循環入るんだけどさ)
あたしは、「ツールを作る」という手をよく使いました(コンピュータのプログラミングに詳しくないかた、ごめんなさい)。どんなプログラムを書いてるかなんて、傍で見てたらわかんないからね。
あとは、「とにかくなんかしら表示してるプログラムを走らせる」という手もあります。円周率百万桁でもなんでもいいんだけどさ(以前書いた「完全ゴロム環」というのはあたしのサボリネタの一つでした)。で、「うーん」とか言いながら、用事に立つふりをして失踪して、一時間とか二時間とか時間つぶして帰ってくる。あるいは、「資料捜してくる」とかいって会社を出て、末広亭で落語聞いて、ついでに紀伊国屋の専門書の新刊をチェックして、ついでに(ついでか?)レコード売り場で新譜をチェックしてくるとか……
コンピュータ扱う仕事って、さぼりやすいです。ただ、「前向きにサボる」というのをあたしは心がけています。どーせ仕事のことは頭のどっかに引っかかってるんだしさ、自分の中で「これは仕事の上で必要な時間なんだ」と納得できる部分がけっこうあるわけです。自分の置かれている場所からちょっと離れて、遠くから見ることで見えてくるということは、あります。
KJ法だとかPERT/CPMみたいな問題解決技法の勉強をちょっとしてみたりとか、ふだん使ってるアプリケーションのふだん使わない機能を試してみるとか、いままで使ったことのないアプリケーションを使ってみるとか、いっそ古い資料の大掃除を始めちゃうとか、「サボっていないとは言いがたいが、仕事をしているとも言いがたい」みたいなグレーな部分は活用すべきだと、あたしは思ってます。人間、一日八時間とか、どーせ集中力保たないんだし。
(Maria)
こうもりさん wrote:
> 診断は存在してもその診断が成人になった障害者本人の利益にはつながりに
>くい気がします。そして、周囲の人に対する秘密だけはどんどん増えていく…
そうなんですよね…正に。そして、何かあると「あんたたち(フツー人)に何がわかるーっ?!」と言いたくなります(涙)。(未だ診断のつかない身で言うのも何ですが…。)
みどりさん wrote:
>「一緒に失踪」…いいね。(物理的には)初対面の相手と一緒に失踪って楽しそう。
>いやだいやだ病はしばらく治りそうにないけど、いざとなったらグルンサさんと一緒に失踪するぞ、と思うとちょっと楽しくなるね。
ホント―?!ありがとう。いずれ、一緒に失踪しましょうね!!(大笑)
へりこ wrote:
>我が家では長女(小学1年)は変わり者とみなされています。
(中略)
>結局「普通」って、人数で決定するのだと思う今日この頃です。
この場合の診断は「対人関係過剰発達」とかになるんですかね。おもしろいな。
ところで、へりこさんところではご両親がともに顔色をよめないということですよね。それでも子供は、素質があれば顔色を読むように育つことが可能ってことですね。
つまり、へりこさんのお嬢さんは、「顔色が読めない」とか「一人でいるのが好き」とかは家族の状況による後天的なものとは限らない、っていう生き証人なのかも。
#なんかちょっとうまく表現できてないんだけど勘弁して。
Mariaさん wrote:
> 最近つくづく思うこと。
>
> 精神の働きの大部分は、意志の力ではどうにもならないこと。
>
> 精神の状態を変えるには、結局は行動によるしかないこと。で、行動するには、体力が要るということ。つまり、しんどいときにはじたばたせずに、とりあえず食って出して寝て体力を回復するのが上策であること。
はい、正にこの通りなのですが…まずは睡眠時間がほし――い!!それもたっぷり!!(名加野さん、みどりさん、お願い、私に睡眠時間をわけて…って、何書いてるんだ、まったく。[汗])
「一緒に失踪」…いいね。(物理的には)初対面の相手と一緒に失踪って楽しそう。
いやだいやだ病はしばらく治りそうにないけど、いざとなったらグルンサさんと一緒に失踪するぞ、と思うとちょっと楽しくなるね。
混乱型の蝙蝠くんもどうもありがとう。
実は会社員にあるまじきぐうたら生活してるんだけどね。なんせ会社をさぼりまくるだけでなく、「会社で日がなダラダラする」というずるい手まで使うからね。(でもこれを長く続けると自分が情けなくなってきて悪循環入るんだけどさ)
Maria ちゃんも気遣いありがとう。
なんだかちょっと泣けてくるよ。
るかさん wrote:
> そうなんですよね、直接2人で話すのが
> 一番良い方法なんですよね。
るかさんの彼氏の側がもう少し、正面から問題と向き合ってくれて
いるといいんですけどね。いいかげんなことができないというのが多
くの自閉人の持つ美徳なだけに…。
> この間、書き忘れてしまったのですが、
> 彼にはお姉さんが作った、
> 架空の女性が存在していて、
> 彼との距離が近しくなると、
> その近しくなる相手が男女どちらでも、
> その架空の女性の話が出てきます。
> どうやら彼は男というものを、
> 勘違いしているようで、
> よく『俺の女が、、、』とか、
> 『俺の事で泣いた女は沢山いる』とか、
> これはまだまだ序の口で、
> かなりヘビーな話しをします。たとえそれが、
> 私の母にでも。(苦笑)
(中略)
> 本人も
> 「自分を好きだった人は、最後には自分を凄く嫌う。」
> そう言っていました。
> そうする事で
> 人との距離を保とうとしているのでしょうか?
単に周囲への気遣いができないのか,あえて距離を置こうとして
いるのか、判断するのが難しいです。医学的には自閉人は一般的に
「周囲に気遣いができない」と評価されることが多いのですが、裏
問題児的なASであるわたしなどは故意に距離を置くために変わり
者な部分を前面に押し出す場合があるからです。
後者について言えば、わたしがこの世界で生きていくためには、
発達障害的な特徴をカモフラージュするための周到な配慮がどうし
ても必要でした。自分の変な部分を前面に押し出して相手と距離を
置くというのも、そのような処世術の1つだったのです。そのため
に恋愛とは無縁な人生を送り続けていましたけど。
> 彼の話す内容は哲学なのに、
> バスに乗るのが苦手だったり、
> 女の子も苦手みたいで、(私は彼の縮小版みたい!?)
> そんな所を見ていると、、、
でも、るかさんの彼氏はもうちょっと対人関係に不器用な印象も
受けます。本当に判断が難しい。
しもうた…。武田さんのレスにリプライするのを忘れていました。
武田好史さん wrote:
>これはむしろ現在の障害の分類法に問題があると思います。知的障害・発達障
>害はもちろん、精神障害や身体障害でも脳の機能不全によって生ずることが明
>らかなもの、頭部外傷・卒中・低酸素脳症などによる高次脳機能障害などにつ
>いては、包括的に「脳機能障害者」として、適切な社会福祉的支援の受け手と
>認め直せば、このようなややこしいことで悩まなくても済むのではないでしょ
>うか?
支援や保護という観点から検討してみましょう。現在、軽度発達障害者の多
くは発達障害者という立場での支援や保護を受けることが困難です。特に生活
保護などを申請する場合、知的障害を伴なう発達障害者に比べて明らかに不利
です。就労が困難な軽度発達障害者の場合、精神障害の診断を取得することに
より生活保護を申請する場合もあります。
まだ、診断としての軽度発達障害は支援や保護につながりにくい性質を持っ
ていると言えるでしょう。特に18才以上になると。
> N・カロライナ州立大医学部のTEACCH部は、『CARS』という判
>定基準を作成して、いわゆる「IQ」の他にも、感覚の過敏性・物との関係
>・体の使い方など13項目の観察診断を、発達障害のキャリアの疑いがある
>と思われる子供に行うようです。TEACCH部の創設者であるショプラー
>博士は、「ピネー法やウェックスラー法の知能検査は、自閉症児に一番欠け
>ている言語の領域に依存した検査であり、明らかにそれによって不適切な処
>置をされてしまう恐れがある」と警告しています。
やはり、現行の発達障害全体の診断基準は知能検査に依存しすぎていると
言えます。自閉症に話を限定するならば少なくとも
(1)知能の高さ
(2)自閉症によく見られる障害の重さ(シュッツさんの意見を採用。CA
RSの検査はこれを測定するのに有益)
(3)適応状態の良し悪し
を見て障害の重い・軽いを判断すべきでしょう。聞く所によると、一部の有
名な自閉者が自閉関係者から「お前は恵まれている」「お前のどこが障害者
なんだ」とバッシングを受けることがあるそうです。わたしから見ると、こ
れらの著名な自閉人たちは(1)については恵まれているかもしれませんが
、(2)(3)についてはむしろ重い困難を抱えている場合が多いように思
えます。
みどりさん wrote:
>私もシゴトしたくない〜!!
>
>ここのところ、大きな嫌なこと少しと小さな嫌なことたくさんが続いて、すっ
>かりへこんでます。
>もう失踪してしまいたい気分。
>
>実際に失踪するような気力はないんだけど。
>
>みどり @ いやだよう、いやだよう。なにがいやなんだかよくわかんないけど
>いやなんだよう。
みどりおねえちゃん、だいじょぶ???こうもりおにいちゃんみたいにグー
タラ生活をしている人じゃないから、ちょっと心配…。嫌なことがあったら色
々この掲示板に書きこんでみてね。
こうもりおにいちゃんは人のことを心配するセンスがないから、ボクが代わ
りに書きこんだよ。じゃあね。
あさかぜ wrote:
> 頭が痛いです。
> 今日は実家の階段の手すりの角に、右前頭部を思いっきりぶつけました。どうしてこうなるのか分かりません。
>
> 洗濯物を干す時に竿掛けに頭ぶつけるのはしょっちゅうだし、この間は車の掃除をしていて後頭部をガン!とやり、目から火花が散りました。
> 昔、自転車に乗っていて看板の角に顔をぶつけ、左ほほにL字型の傷ができたことも……。子供の頃から、頭をぶつけた記憶と自転車で衝突した記憶がやたらと多いのです。自転車で走行中にコケて道路で顔面強打、救急車で運ばれて11日間入院したこともありましたっけ。
>
> 距離感が分からなくなる瞬間があるってことなんでしょうか、これって? 何か認識に問題があるのかしら……。
こんなことはありませんか?
1.疲労したときに視野が狭まる。
2.文庫本のような似たような本の中から、「これだ」と思った本をとるとその本の隣の本をとってしまう。
3.スケッチを取ったり・写真のピントを合わせたり・絡み合った紐を解くという作業をすると、肩がこったり頭がボーっとしてくる。
4.99%同じで1%違うような物、例えば「幸福」と「辛福」というような違いを一瞬で見極めることができない。
5.子供の頃、隣の子が机の上に置いていた教科書を自分の物と勘違いして持ち帰っって、「しまった!」と思ったこと何回となくある。
私は幼少のときから上記のようなことで悩んでいました。未だに週に一度は足先や頭を壁や戸棚の戸にぶっつけて痛い思いをします。
去年の今ごろですが、千葉県幕張の障害者職業訓練センターで視野の測定検査を受けたところ、私の目に大変珍しい障害が発見されました。
私の目は、なんと一点に長い間焦点を定めておくことができず、激しく揺らいでいるというのです。「これは[注視障害]といって比較的まれな障害で、そのために君の場合は正確な視野の測定が不可能なんだ・・・」と検査技師の先生はおっしゃって、僕を助手にして、双方が視野計の「真ん中の大きなランプを見据えながらその周りの小さなランプが点灯したときにボタンを押す」というワークをしているときの目の状況を、大ランプと目の焦点をあわせるモニターにビデオカメラを取り付けて見せてくださいました。
再生されたビデオ見た私はびっくりしてしまいました。先生の目は全く動いていないのに、私の目は本当に激しく揺らいでいました。映像はそんなに鮮明なものではなかったのですが、それでもはっきりと違いが読み取れました。
こんな場合もあるので、もしどうしても「ぶつかり癖」が気になるのであれば、眼科と神経科のある大学病院等で検査してもらったほうが良いと思います。
こんばんわです、あさかぜさん。
あさかぜさん wrote:
> 洗濯物を干す時に竿掛けに頭ぶつけるのはしょっちゅうだし、この間は車の
>掃除をしていて後頭部をガン!とやり、目から火花が散りました。
> 昔、自転車に乗っていて看板の角に顔をぶつけ、左ほほにL字型の傷ができ
>たことも……。子供の頃から、頭をぶつけた記憶と自転車で衝突した記憶がや
>たらと多いのです。自転車で走行中にコケて道路で顔面強打、救急車で運ばれ
>て11日間入院したこともありましたっけ。
>
> 距離感が分からなくなる瞬間があるってことなんでしょうか、これって?
>何か認識に問題があるのかしら……。
わたしは視空間認知が悪いという理由で頭をぶつけることがあります。要す
るに周囲に存在する人や物の位置をうまく把握できないと聞かされました。2
6年生きているうちに多くの障害が消滅してしまったのですが、この視空間認
知の困難だけはしっかり残ってしまいましたとさ。
頭が痛いです。
今日は実家の階段の手すりの角に、右前頭部を思いっきりぶつけました。どうしてこうなるのか分かりません。
洗濯物を干す時に竿掛けに頭ぶつけるのはしょっちゅうだし、この間は車の掃除をしていて後頭部をガン!とやり、目から火花が散りました。
昔、自転車に乗っていて看板の角に顔をぶつけ、左ほほにL字型の傷ができたことも……。子供の頃から、頭をぶつけた記憶と自転車で衝突した記憶がやたらと多いのです。自転車で走行中にコケて道路で顔面強打、救急車で運ばれて11日間入院したこともありましたっけ。
距離感が分からなくなる瞬間があるってことなんでしょうか、これって? 何か認識に問題があるのかしら……。
ああ、頭が痛いです。右目の上が痛い……。すみません。失礼しました。
私は自分がAS+ADHDであるという認定を受けて以来、ちょっと気になる言葉の表現があります。
それは、「***ちゃんは、障害を克服してがんばっているね!」というふうな感じで使われる『克服』という言葉です。
『克服』という言葉を辞書(岩波国語辞典第五版)で引いてみると、「努力して困難を乗り越えること」と書いてありました。
しかし、障害には「乗り越えられるもの」と「乗り越えられないもの」の2つがあります。その点の障害者を取り巻く社会全体における理解不足が、日本の障害者福祉を大きく滞らせている要因でもあり、我々軽度発達障害者・事故*病気による高次脳機能障害者・精神障害者が苦しい思いを強いられている元凶だと思えてなりません。
「あなたもヘレン・ケラーやオトタケくんみたいに、障害を克服して社会でがんばりなさいよ・・・ほら幼稚園で一緒だったお話ができない++君も、今ではお漬物の工場で働いているんだからね!」
という人がいますが、みなさんはこういった話がナンセンスなことだということが分かりますよね。そうですへレン・ケラーは一生目が見えなかったし、オトタケ君は肢体欠損で一生車椅子で生活しなければならない負い目を背負っているし、++君もコミュニケーションの障害であったり・疲れやすくてやっとの思いで仕事をしているかもしれないのですから。こういった面があるので、私は『障害』という言葉に対して、『克服』という言葉を使うのは不適切で誤解を招きやすいばかりでなく、良好な条件下での障害者の社会参加を奪うことになると思えて仕方ないのです。
むしろ障害というものに対しては、「向き合う」とか「つきあう」・「たすけあう」といった表現がふさわしく、またそれらを普及させ社会全体で実践していくことが、今始まったばかりのこの新世紀における日本の障害者に対する福祉を、よりいっそう充実させ、本当の意味での生きがいをもって障害者が生きられる社会を築いていくことになると思います。
もちろん我々自身も、自分の障害だけでなく、他の障害者のハンディーにもきちんと目を向ける必要があることを忘れてはいけません。がんばらなくても良いですから、とにかくあんじょう障害とつきあって生きましょう!
You don't have to try such your best all day.You may walk your new way little by little i.e. slowly.
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami