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> なぜ『広汎性発達障害児』『ボーダーライン児』という言葉を作り、その子たちを障害児として他の子たちと区別するのでしょうか?私はこの言葉を目にしたとき、背筋が寒くなりました。
障害児とするのは別に問題ないと思うんだけど、それによってその子が普通学級に (入りたくても) 入れなくなってしまう、というのなら反対だな。つまりその点においては投稿者に同意します。
武田好史 wrote:
> 僕は、『むしろ普通学級に独りでそのような子をほっぽっておくほうが危険なんだよー!無理矢理普通扱いしても本当の意味で社会で役立つ能力が身に付かなくって、大人になってから苦心惨憺の末ぼろぼろになって、うつ病になって・引きこもりになるやつがいかに多いことか!』と、この投書を見て烈火のごとく怒っているのですが、みなさんはどう思いますか?
普通学級に入れることと普通扱いすることは別だと思うし。
まあ実際は普通学級に入れたらあとのケアはなし、ってくらいの実情なんだろうけど、じゃあ障害児学級が知能が高い子供の知的欲求に耐えられる状況かと言えばそうでもないと思う。
普通クラスのなかで苦労しながらも処世術を身につけられる程度の能力があるなら、それも一つのテなんじゃないだろうか。
それと同時に、なんらかのケアがあるべきだとは思うけど。
以上は本人側の問題。
逆の視点もあって、広汎性発達障害児を全部普通学級から除外しちゃうと、そこで育った子供は、広汎性発達障害の子供を知らずに大きくなることになります。
そうやって育って、大人になってからいきなりどこかで広汎性発達障害の大人と出会った場合の反応は、あんまり期待できない気がします。(「発達障害=>すごく特殊な人=>ナイフで殺人する人でしょ」みたいなわけわかんない偏見がまかり通る危険が増える)
これは発達障害に限らず、身体障害の場合なんかも、極力身近においといたほうが、無用な偏見はさけられるんじゃないかと思います。
武田好史さん wrote:
> 以下にお示しするのは、今月12日の毎日新聞朝刊の『みんなの広場』にあった、ある介護福祉士の女性の方の、最近の『広汎性発達障害児』の教育に関する意見です。
>
>************************************************************
> コミュニケーションの仕方だってこれから学んでいくことなのに、周りの子に比べて発達が多少遅いだけなのに、その分情緒面では他の子たちよりもよほど豊かだと思うのに、みんなどこかに障害があって当たり前なのに、だからみんなでかばいあっていくのじゃないですか?
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>
> 僕は、『むしろ普通学級に独りでそのような子をほっぽっておくほうが危険なんだよー!無理矢理普通扱いしても本当の意味で社会で役立つ能力が身に付かなくって、大人になってから苦心惨憺の末ぼろぼろになって、うつ病になって・引きこもりになるやつがいかに多いことか!』と、この投書を見て烈火のごとく怒っているのですが、みなさんはどう思いますか?
武田さんに1票。子供ってかばいあうかなあ…?(周囲と「違う」子って、むしろいじめられそうな気がするが。幼稚園ぐらいだったらまだしも、小学校以上では、むしろ危険な気がするけど…。)
Mariaさん wrote:
> 『ただ一式陸攻の無防備翼内タンクが災いのもとであったが、これは設計者の責任ではない。“ワンショットライター”というあだ名について、本庄さんは腹だたしげにいっていた。
> 「あの名は日本人だけが使っているんだ」
> 実をいうと、航空評論家ウィリアム・グリーンの著書にこんな表現があるが、それは日本人の“かげ口”として引用してあるから、本庄さんの立腹は正しい。
> 日本の工業力としては四発が無理であったから、海軍が双発を要求したことも止むを得なかった。しかし、“攻撃機”であったから、分厚い装甲防弾を拒否し、疑いを抱く者に対しては、
> 「命が惜しいか!」
>の一喝で沈黙させた思想は批判に値する。
> タフなボクサーのように、たたかれてもたたかれてもダウンせず、最後の勝利を獲得する者がついに生き延びる冷厳な事実を認めなければ、論理の退却である。
> 真に本庄さんの独創を生かすため、信頼性のある二〇〇〇馬力を実現するか、または四発にして思いきり設計させたかった。
>ところが、自機の翼の中に火の海になる根源があっては、しょせんはスポンサーの発想からして食いちがっていた。それが本庄さんのために惜しまれるのである。』
> 佐貫亦男『ヒコーキの心 フライヤー号からエアバスまで』光人社NF文庫
えーっ?!初めて知った(ワンショット・ライターといわれる所以)。そこまで知らなかったとはいえ、とんでもない事を書いてしまった。(ますます頭を上げられなーい…。)Mariaさんのカキコ読むたび、身が小さくなるワタシ…。
それにしても、航空技術の喪失(というのかな?当時のですが。)は、やっぱりくやしい。
> ですが、社会は、そして世間は、そうした人々を「廃棄物」のように見ています。「そういう時代だったんだ」「もう済んだことだ」「しかたがなかったんだ」と、「終わったこと」として片付けようとしています。だけど、「傷跡」や「苦しみ」というのは依然としてそこに存在します。
> で、それ以上に、そうした問題を生んだ基本的な社会構造というのは、なーんにも変わってないんですよ。「終身雇傭制や年功序列の時代はもう終わった。これからは実力主義の時代だ」とか言ってるけど、そんなの企業側が信頼関係を一方的に放棄しただけの話であって、その「実力」を客観的に評価する方法だってなぁーんにも示されていないわけです。実力主義とか言ったって、他人の業績を横からつまんで自分の業績にしてしまう果実主義や、えこひいきの横行を招くだけなんじゃないの?
>
> 気安く「立ち直れ」なんて言ってほしくないぞ。正しいことが正しいと認められ、正直者が馬鹿を見ない世の中になるまで、あたしたちは自分の信ずべきことを行ない、「常識」に盲目的に従うことを拒否したいと思います。
我が身を反省…。(グルンサ)
私はASと診断されている者じゃないし、思春期時の発症と思っているから、どちらかといえば分裂病圏に属するだろうから参考にならない意見かも知れませんが、小学生段階で線引きするのは無理じゃないかなという点でこの先生の意見に賛成するんだけどね。
自分の保育園時代(幼稚園じゃない)には一時登園拒否してまして、泣いていやがる自分を無理やり母と園長先生が学校へ引っぱって連れて行ったのを今でもありありと記憶してます。登園するようになっても周囲にとけこまず一人ポツンと浮いていましたね。あの頃今の児童精神科医に診て貰っていたら発達障害と診断されていたかもしれないなあと思うんですね。
小学校に入ってからは登校拒否はなくなって、いじめられることなくまたいじめをするわけでなく一人おとなしくしている子供でした。だからといって学校生活が楽しかったわけでもなかったんですが。おかしな例えですが徴兵で兵役義務に服しているといった感覚でした。けど今にして思えば、それはそれで良かったと思うんですね。だって子供に理屈を言ったってわかるわけないし、躾なんて理屈ぬきで体で覚えるしかないと思うんです。それに反逆するのはもう少し大きくなってからでもいいわけでね。
日本の小中学校教育はそんなに悪くは無いと思います。悪いのは高校大学教育じゃないかなあ。自分の経験だけで言ってるんですけどね。
武田好史 wrote:
> 以下にお示しするのは、今月12日の毎日新聞朝刊の『みんなの広場』にあった、ある介護福祉士の女性の方の、最近の『広汎性発達障害児』の教育に関する意見です。
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> なぜ『広汎性発達障害児』『ボーダーライン児』という言葉を作り、その子たちを障害児として他の子たちと区別するのでしょうか?私はこの言葉を目にしたとき、背筋が寒くなりました。
> コミュニケーションの仕方だってこれから学んでいくことなのに、周りの子に比べて発達が多少遅いだけなのに、その分情緒面では他の子たちよりもよほど豊かだと思うのに、みんなどこかに障害があって当たり前なのに、だからみんなでかばいあっていくのじゃないですか?
> 教育の現場で、しかも最初の小学校で線引きをして、一人一人の価値判断でつぶしていく・・・・・それはその子たちの未来を奪うことになるのではないでしょうか?
> つぶされた子供は大人になって、豊かな経験として残るべき小学校時代の記憶が頭からすっぽりと抜け落ちてしまうのです。それほど辛い思いを大人たちは、その子たちにさせてはならないと私は思います。
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> 僕は、『むしろ普通学級に独りでそのような子をほっぽっておくほうが危険なんだよー!無理矢理普通扱いしても本当の意味で社会で役立つ能力が身に付かなくって、大人になってから苦心惨憺の末ぼろぼろになって、うつ病になって・引きこもりになるやつがいかに多いことか!』と、この投書を見て烈火のごとく怒っているのですが、みなさんはどう思いますか?
全く同感です!!
武田好史 さんwrote:
この投書を見て烈火のごとく怒っているのですが、みなさんはどう思いますか?
はい。
怒っている、武田さんに一票。優しさの、押し付けは、迷惑!
(タレイヌ)
以下にお示しするのは、今月12日の毎日新聞朝刊の『みんなの広場』にあった、ある介護福祉士の女性の方の、最近の『広汎性発達障害児』の教育に関する意見です。
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なぜ『広汎性発達障害児』『ボーダーライン児』という言葉を作り、その子たちを障害児として他の子たちと区別するのでしょうか?私はこの言葉を目にしたとき、背筋が寒くなりました。
コミュニケーションの仕方だってこれから学んでいくことなのに、周りの子に比べて発達が多少遅いだけなのに、その分情緒面では他の子たちよりもよほど豊かだと思うのに、みんなどこかに障害があって当たり前なのに、だからみんなでかばいあっていくのじゃないですか?
教育の現場で、しかも最初の小学校で線引きをして、一人一人の価値判断でつぶしていく・・・・・それはその子たちの未来を奪うことになるのではないでしょうか?
つぶされた子供は大人になって、豊かな経験として残るべき小学校時代の記憶が頭からすっぽりと抜け落ちてしまうのです。それほど辛い思いを大人たちは、その子たちにさせてはならないと私は思います。
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僕は、『むしろ普通学級に独りでそのような子をほっぽっておくほうが危険なんだよー!無理矢理普通扱いしても本当の意味で社会で役立つ能力が身に付かなくって、大人になってから苦心惨憺の末ぼろぼろになって、うつ病になって・引きこもりになるやつがいかに多いことか!』と、この投書を見て烈火のごとく怒っているのですが、みなさんはどう思いますか?
グルンサさん wrote:
> 別名「ワンショット・ライター」。
『ただ一式陸攻の無防備翼内タンクが災いのもとであったが、これは設計者の責任ではない。“ワンショットライター”というあだ名について、本庄さんは腹だたしげにいっていた。
「あの名は日本人だけが使っているんだ」
実をいうと、航空評論家ウィリアム・グリーンの著書にこんな表現があるが、それは日本人の“かげ口”として引用してあるから、本庄さんの立腹は正しい。
日本の工業力としては四発が無理であったから、海軍が双発を要求したことも止むを得なかった。しかし、“攻撃機”であったから、分厚い装甲防弾を拒否し、疑いを抱く者に対しては、
「命が惜しいか!」
の一喝で沈黙させた思想は批判に値する。
タフなボクサーのように、たたかれてもたたかれてもダウンせず、最後の勝利を獲得する者がついに生き延びる冷厳な事実を認めなければ、論理の退却である。
真に本庄さんの独創を生かすため、信頼性のある二〇〇〇馬力を実現するか、または四発にして思いきり設計させたかった。
そのとき、夢の一式陸攻はけっして火を吹かなかったであろう。そして利きの鋭い補助翼と昇降舵、失速性のよい主翼はますます輝きを増し、世界に無敵であったろう。
一式陸攻の乗員は七名で、四発なみの武装すなわち七・七ミリ機銃三挺、二〇ミリ機関砲二門で身を固めていた。これだけの武装を持っていたら、攻撃する敵戦闘機に火の雨を浴びせることができたはずである。ところが、自機の翼の中に火の海になる根源があっては、しょせんはスポンサーの発想からして食いちがっていた。それが本庄さんのために惜しまれるのである。』
佐貫亦男『ヒコーキの心 フライヤー号からエアバスまで』光人社NF文庫
(なお、本庄さんは「鳥人間コンテスト」にも出場されておられました。他の参加者はさすがに「もう駄目だ」と絶望のズンドコに落っこっていましたが、飛行機は設計だけで何とかなるものではない、ということが分かりました。)
日本には、私権を制限して公共の利益を優先する伝統があります。それはそれで明治時代の日本の近代化や、戦後の復興に大きな力を果たしたということも認めます。そもそも江戸時代にすでに大都市だった江戸を、たかだか二十人程度の人間で管理していた(町奉行が二人に同心が二十人くらい。あとは全員民間人)わけだから、民営化というか、自治に頼るほかなかったわけです。そうした「自己管理能力の高さ」が、日本の強みだとあたしは思います。
ただ、組織が正常に動いているときはいいのですが、状況が急変したときには、組織そのものが暴走してしまい、この伝統、つまり「自己管理能力」がマイナスに作用します。日中戦争から大東亜戦争に至る軍部(特に参謀指令部)の暴走、バブル経済から平成大不況に至る政界・財界の腐敗(不良債権問題やオレンジ共済事件などなど)なんかがそれです。警察不祥事や外務省の不祥事もありました。これは「身内を庇う伝統」があったればこそ、起きてしまったわけです。
そうした混乱期の中、自分の職務に忠実であったがゆえに不幸になった人が大勢います。中高年の自殺が多発して社会問題になっている現状は、まさにそのことを端的に表わしています。
ですが、社会は、そして世間は、そうした人々を「廃棄物」のように見ています。「そういう時代だったんだ」「もう済んだことだ」「しかたがなかったんだ」と、「終わったこと」として片付けようとしています。だけど、「傷跡」や「苦しみ」というのは依然としてそこに存在します。不良債権問題だってまだ片付いてはいないし、出版や製造業の空洞化は深刻です。
で、それ以上に、そうした問題を生んだ基本的な社会構造というのは、なーんにも変わってないんですよ。「終身雇傭制や年功序列の時代はもう終わった。これからは実力主義の時代だ」とか言ってるけど、そんなの企業側が信頼関係を一方的に放棄しただけの話であって、その「実力」を客観的に評価する方法だってなぁーんにも示されていないわけです。実力主義とか言ったって、他人の業績を横からつまんで自分の業績にしてしまう果実主義や、えこひいきの横行を招くだけなんじゃないの?
気安く「立ち直れ」なんて言ってほしくないぞ。正しいことが正しいと認められ、正直者が馬鹿を見ない世の中になるまで、あたしたちは自分の信ずべきことを行ない、「常識」に盲目的に従うことを拒否したいと思います。
(Maria)
pennpenn58 wrote:
> 推定AS、ADHDの私の特徴
> 中略
> などの傾向があります。
ひぇー、これってまんま私の特徴になってしまうー!
> 次男(AS、ADHDの傾向なし!!)密かに母親はツーアウト、ワンストライクと心の中でつぶやいている。中略
私、3人兄弟(兄、私、妹)だったんですけど、このパターン。兄(AS気味?)私(AS、ADHDは?)妹(ノーマル。常識人)。ノーマルな母(私はあやしいと思っているが、本人は疑わない)は、やはり妹と気が合うらしい「この子が一番理解できるわー。上の二人は冷たいというかわけ分からんというか…」
> 私の場合、AS、ADHDより鬱状態の方が問題になってしまってるのですがなんとか人生を立て直したいと思っています。・・・・・・できるかな。
私も…二次障害と言うんですか、昔のいじめとか、性的いやがらせのPTSDとかがネックになっているようです。pennpenn58さんは精神科とかかかられたことはおありですか?私は昔、まだ小さかった娘のバギーを押しつつ長いこと電車に揺られ、やっとたどりついた「女性の悩み相談所(保健所で紹介された)」で、相談したことがあるのですが…何を言っても「そーですか、大変でしたねー」ばっかで挙句に「でも、レイプされなくて本当によかったですね」。でもって1時間かそこらで1万円…帰りの電車賃がなくなりますからと、思わずねぎってしまった。♪そーよレイプされなかった私はとっても運がいいの〜もっとかわいそーな人はいっぱいいるんだから〜運命に感謝♪いやがらせでやめてくれた男に感謝♪なんてできるかー!ばかばかー!…それっきり恐ろしくて、相談所とかいけなくなってしまいました。話しの仕方が悪かったのかなー?
なんか関係ない話しに脱線してしまってごめんなさい。
Mariaさん wrote:
> 昭和十六年(一九四一)型・川崎航空機製・三式戦闘機「飛燕」(キ六一)の設計者は土井武夫さん。陸軍の九五式戦闘機(キ一〇)の設計者でもあります。
> 「飛燕」は運動性こそ「隼」に劣るものの、速度に関しては「隼」「鐘馗」やメッサーシュミットBf109E−3型やカーチスP−40Eよりも上でした。
> バトル・オブ・ブリテンの覇者、イギリス空軍機を血祭りに上げたのが、この機体。それまで日本の戦闘機に共通の欠点だった急降下性が改善されていたため、一九四三年に「飛燕」がニューギニアの戦場に現われたとき、急降下逃避を一般的な戦法としていた連合軍機は手痛い教訓を得たのでした。それに、厚い装甲に防弾タンクも日本の戦闘機としてはちょっと異色。エンジンがスピットファイアの宿敵・メッサーシュミットBf109Eと同じダイムラーベンツD601エンジン(のちに三菱のハ一一二空冷複列十四気筒に換装され、五式戦闘機(キ一〇〇)になりました)というのにも、因縁を感じます。
こういうのを、後に特攻機にしちゃうんだからもったいない。(いくら、「当時はしょうがなかった」と言われてもね…。)
> 「葉巻」と綽名された一式陸上攻撃機は名人と云われた本庄季郎さんの設計。初飛行は昭和十四年。エンジンは火星十四気筒二重星形。同じく本庄さんの作品『双舵の美女』、九六式陸上攻撃機(中攻)より全長で二割増、全備重量も二割増、馬力は五割増、最大速度は一割ちょっと増、巡航速度は二割増以上。長距離爆撃向きの機体。
> レパルスとプリンス・オブ・ウェールズを屠り、ウィンストン・チャーチルを死ぬほど落胆させた代表的な機体がこれ。
別名「ワンショット・ライター」。これも、特攻機に変身させられちゃいました。悲しいな…。
> なお、鹿屋にある九六艦上攻撃機は、おそらく特攻用に粗製濫造されたもの。オリジナルは固定ピッチプロペラの全金属製。二枚羽根だったけれど、二型からは三枚羽根。住友伸銅所の設計・製作。試作一号機は一九三五年(昭和十年)一月にロールアウト。最高速度二四三・五ノット、上昇力は五千メートルまで五分五十四秒。これは当時としては世界最高水準。設計はもちろん天才といわれた「零戦」の掘越二郎さん。
> 日中戦争時、日本の航空技術の優秀性を見せつけた機体がこれ。
これは初耳。(「初見」かな?)
> 数字の陰には、ドラマがあります。
いろいろありがとうございました!おもしろかった!!
武田好史さん wrote:
>昨日手話サークルでこのことを講師の先生に聞いてみました。どうもさいたま市が
>、新しく合併によってできたことと「ひらがな表記」の名前であるので、特別にそのように分けることにしたというのが、本当のところのようです。他の所では、名前の表現の後に『県』『市』の表現をつけて区別します。
そっか…。さいたま市の方が特例だったんですね。わざわざご確認とお返事、ありがとうございました。
へりこ wrote:
>子供たちを見ていると本当に、人はそれぞれだと思います。生まれながらにして、しっかりと「一個人」なのだと。生後2、3ヶ月の赤んぼでもしっかり個性があります。
うんうん、私もそう思います。我が家には子供が3人いますがほんとうにそれぞれ個性があって観察しているとおもしろいです。
推定AS、ADHDの私の特徴
(1)人の顔と名前を覚えるのが苦手である。
(2)時間にルーズである。
(3)整理整頓が苦手でしばしばものをなくしてしまう。
(4)人が話しているとき衝動的に口を挟んでしまうことがある。
(5)忘れ物が多い(不注意である)
(6)やらなくてはいけないことをさきのばしにする傾向がある。
(7)好きなことには熱中する。
(8)同時進行で物事を行うことが苦手である。
(9)暗算が致命的に不得意である。
などの傾向があります。
それに対し、長女(推定ADHD)は、私に似て整理整頓が苦手で忘れ物が多く、成績も好きな科目と嫌いな科目の差が激しいです。衝動的で待つことが苦手、ジュースが飲みたいとなったら寝ている私を起こしても近くのコンビニに買いに行かせる。でも人付き合いが好きで上手。友人が多い。
長男(推定AS、ADHD)は、ひとり遊びが好きでゲームをやっているか、本を読んでいるかどっちかの姿しか見ない。いつも何かそわそわしている。成績は良く特に数字に強い。いつも距離の計算をしたり、お金の計算をしてりしている。暗算が得意。時間にルーズ。忘れ物が多い。宿題をしない。整理整頓に全く興味なし。彼のまわりはいつも散らかっている。
次男(AS、ADHDの傾向なし!!)密かに母親はツーアウト、ワンストライクと心の中でつぶやいている。この子は時間に几帳面で遅刻なし。忘れ物なし。いわれたことはきちんと守る。人付き合いもうまく、末っ子の例に漏れず親分肌。
一番下の小学校3年の子供と外国映画を見ていたりすると私は外人の顔を見分けるのが難しいのに子供の方は、すぐにあ、この人はさっきボートに乗ってた人だとかこの人はさっき隠れていた人だとか脇役の顔まできちんと覚えているので感心してしまいます。ああ、普通の子供だなあと思えてうれしい。
でもこの掲示板をみても思うのですがAS、またはADHDのある人って基本的には普通の人より頭がいいような気がするのです。うちの子供もAS、ADHDのある子供の方が頭はいいです。成績には直結しませんが。それぞれのよいところをのばしてあげたいと思っています。AS、ADHDの人の生き方ってあると思います。ということを私自身にも言い聞かせてあんまり落ち込まないように気をつけようと思っています。
私の場合、AS、ADHDより鬱状態の方が問題になってしまってるのですがなんとか人生を立て直したいと思っています。・・・・・・できるかな。
Lingkoさん wrote:
> 「く、食ったのかっ!」
> は、もはや定番……。
正確にいうと、イグサや藁に生えるカビを食べるのです。
べつに人を刺したり噛んだりすることもなく、静かに暮しています。
アレルギー活性も低いし、あまり人様には迷惑をおかけしないよう、心がけております。
……私の名前はササラダニ。(←違うって)
(Maria)
グルンサさん wrote:
> そっかー。Mariaさんは、こういうのも好きなんだ。(わたしはむしろ、飛行機本体と、それにまつわる話が好きだな[人も含めてね]。といっても、機影を見ただけで、たとえば、「あれは飛燕だ」「それは一式陸攻だ」なんていうふうに答えることはできませんが。余談ですが、鹿屋で九六艦攻のプロペラが木だということを知った時は驚いた。)
昭和十六年(一九四一)型・川崎航空機製・三式戦闘機「飛燕」(キ六一)の設計者は土井武夫さん。陸軍の九五式戦闘機(キ一〇)の設計者でもあります。
「飛燕」は運動性こそ「隼」に劣るものの、速度に関しては「隼」「鐘馗」やメッサーシュミットBf109E−3型やカーチスP−40Eよりも上でした。
バトル・オブ・ブリテンの覇者、イギリス空軍機を血祭りに上げたのが、この機体。それまで日本の戦闘機に共通の欠点だった急降下性が改善されていたため、一九四三年に「飛燕」がニューギニアの戦場に現われたとき、急降下逃避を一般的な戦法としていた連合軍機は手痛い教訓を得たのでした。それに、厚い装甲に防弾タンクも日本の戦闘機としてはちょっと異色。エンジンがスピットファイアの宿敵・メッサーシュミットBf109Eと同じダイムラーベンツD601エンジン(のちに三菱のハ一一二空冷複列十四気筒に換装され、五式戦闘機(キ一〇〇)になりました)というのにも、因縁を感じます。
「葉巻」と綽名された一式陸上攻撃機は名人と云われた本庄季郎さんの設計。初飛行は昭和十四年。エンジンは火星十四気筒二重星形。同じく本庄さんの作品『双舵の美女』、九六式陸上攻撃機(中攻)より全長で二割増、全備重量も二割増、馬力は五割増、最大速度は一割ちょっと増、巡航速度は二割増以上。長距離爆撃向きの機体。
レパルスとプリンス・オブ・ウェールズを屠り、ウィンストン・チャーチルを死ぬほど落胆させた代表的な機体がこれ。
なお、鹿屋にある九六艦上攻撃機は、おそらく特攻用に粗製濫造されたもの。オリジナルは固定ピッチプロペラの全金属製。二枚羽根だったけれど、二型からは三枚羽根。住友伸銅所の設計・製作。試作一号機は一九三五年(昭和十年)一月にロールアウト。最高速度二四三・五ノット、上昇力は五千メートルまで五分五十四秒。これは当時としては世界最高水準。設計はもちろん天才といわれた「零戦」の掘越二郎さん。
日中戦争時、日本の航空技術の優秀性を見せつけた機体がこれ。
数字の陰には、ドラマがあります。
(Maria)
Mariaさん wrote:
> 「国産はええわ〜。中国産とはひと味違うもんねぇ。やっぱ琉球か備後産やねぇ〜。」
>
> ……それは畳表。
>
「く、食ったのかっ!」
は、もはや定番……。
グルンサ wrote:
>武田好史さん wrote:
>> 手話での『埼玉県』の表現は、「左手で支えたボールを右手でなでる」仕草をします。
>> 『さいたま市』の表現も、最初のうちは同一だったようですが、それでは後に『県』『市』にあたる表現をつけない限り区別ができなくて不便だということになり、地元の『聞こえない人』の協会の協議の結果、最近になって、「左右のこぶしを十文字に合わせて、上にある右手のほうを開く」という、『サクラ草』をモチーフにした表現にすることに決定したようです。
>
> これに関連して。市名(府県庁所在地含む)と府・県名が一致している所(例えば秋田県・秋田市等)も同じような表現をするんでしょうか?(まったく手話をやったことがないので…すみません。)
昨日手話サークルでこのことを講師の先生に聞いてみました。どうもさいたま市が
、新しく合併によってできたことと「ひらがな表記」の名前であるので、特別にそのように分けることにしたというのが、本当のところのようです。他の所では、名前の表現の後に『県』『市』の表現をつけて区別します。
Mariaさん wrote:
> 「第二次世界大戦中の航空機の諸元」なんていうのはけっこういい。「全長」「翼弦長」「アスペクト比」「重量」「使用原動機」「航続距離」「最高速度」「上昇性能」だとかが並んでいるだけで、「うふふふふ」な気分になってしまう。
そっかー。Mariaさんは、こういうのも好きなんだ。(わたしはむしろ、飛行機本体と、それにまつわる話が好きだな[人も含めてね]。といっても、機影を見ただけで、たとえば、「あれは飛燕だ」「それは一式陸攻だ」なんていうふうに答えることはできませんが。余談ですが、鹿屋で九六艦攻のプロペラが木だということを知った時は驚いた。)
> だけど、「平方根」とか「立方根」とか「対数」とかいった「数表」が好き、とかいうのは、自分でもちょっと逸脱してるかな、と思う。コンピュータ使ってちまちま計算して、「うん、合ってる」とかいってにやにやしているのは、やっぱり普通ではない。だけど止められないんだよー! 「百万未満の素数の表」とか作っちゃうんだよー!
わはははは!読んでる方はおもしろい!!(夜中でなければ、声上げたかった。)
うーん、コンピュータにやらせれば、(プログラムを書く手間はともかくとして)一秒でできちゃうようなことなんだけどな。これをちまちまちまちま手で求めてゆくのがまた楽しい(←あんた馬鹿?(-_-;))。で、コンピュータで求めた結果と突きあわせて、「おお、合ってる」とかいってほくそ笑んでいたりするわけです(_ _)zzZ。病気だ!病気だぁ!……って、そうか、アスペルガー症候群だもんな。うん。(←そこで納得するなってば(-_-X))
(↑すみません。まちがって>を消しちゃった。)
でも、だからこそのASでないかい?(なんちゃって。答えになってないか…。)
>(中略)で、そういうものが好きなひとというのが、世の中にはひっそりと隠れ棲んでいるのですね。「数値計算マニア」というか、「有限組合せ数学における数え上げマニア」というか。で、「ベルヌリ数の第26項と28項」「渋いな」とかいって値を見せあって、「合ってる」とかいって二人して「うふふふふ」とか笑ってたりする。わけわかんないぞ。
うーん…。確かに、端から見るとヘン(失礼!)かも…。でも、こうして読んでると笑える。
> そんなわけで、こういう趣味がもっと認知されていいんじゃないかなぁ、と思うあたしだったりします。
>
> 風邪がつらいので現実逃避しているあたしだったりする。みなさんもお気をつけ下さい。m(_ _)m
Mariaさんの方こそ、お体お大事に。(あれだけ書くの、大変だったんじゃないんだろうか…?と思うグルンサ. [読ませていただく方は楽しいんだけど…。])
Maria wrote:
> あたしは、「ツールを作る」という手をよく使いました(コンピュータのプログラミングに詳しくないかた、ごめんなさい)。どんなプログラムを書いてるかなんて、傍で見てたらわかんないからね。
ツールを作るとか関連の勉強をするってのは「ちゃんと働いてる」側に分類してるからなあ。
さぼり状態のときというのはそういうことをする気力や集中力がさっぱりないので、椅子に座ってたかと思うと次の瞬間にはお茶を入れようとしていて、コップを探そうとしては机の散らかりが気になって、散らばったメモ用紙に書かれた内容を忘れないようにと思ってオンラインの業務日誌を開くと別の仕事を思い出して、そっちの仕事のファイルを開いて、でも頭は動いていないので30秒くらい呆然とただ画面を眺めて、ちょうどそのとき届いたメールを読んで、急ぎでもないのにすぐ返事を書きはじめて、そこで日ごろから感じていたかな漢字変換への不満を思い出して、変換プログラムをいじろうとして、でもちょっと見たらもう自力で読む気力がなくなったのでネットサーフィンで情報を探すことにして、でも検索の途中で違うもの見つけちゃって、散々よりみちして、いつのまにか仕事とまったく関係ないネットサーフィンになっていて、ふと我に返ると喉が乾いてることに気づいて、コップを持って部屋を出て、給湯室に着いたところでティーバッグを持ってくるのを忘れたのに気づいて、取りに戻る途中で通りすがりの同僚とヨタ話をして、そこで出てきた疑問を別の相手に聞きに行って、でも相手が別の人と話し込んでいるので邪魔するのが面倒でやめて戻って、……
# あれ私ってもしかしてちょっと ADHD も入ってる??
少し落ち着いているときは、机をきれいに片づけてみたり、新しい仕事を立ち上げてみたり、それこそツール作ったりまともに環境を整えたり、前進が見られることもあります。
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