アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
へりこ さんwrote:
>普通学級で、ケアをしつつ、というのが理想かな。
ハイ、通級制度が、ありますよ。(場所によるかな?)
>そうなると、教師の知識、力量が問われます。障害児のケアと共に、周りの啓蒙にも努めなければなりません。
ハイ、学校訪問という事も、やっているところ、ありますよ。
親へのカウンセリングや、教師へのアドバイスというのも、ない訳ではないです。
>クラスの少人数制、担任二人とかにすれば楽になるか。
T・Tという制度もありますよ。
>「障害は無縁ではない。自分の子供がそうなるかもしれない。自分自身も、病気、事故などでそうなるかもしれない。今はたまたま普通なだけ」という考えが浸透すればいいのにな。
結局、線引きであろうと、差別であろうと、『違いがない』ことにしたり『見ない=ない』ことしない事が大切。(誰かの“せい”や、何かの“せい”にしないの。だからどうしたらいいのだろうか・・?って、みんなで考えればいいのよね、つまり。)
制度として確立した後、真剣に運用するのは、結局現場の人間の『感性』と『力量』にかかってくるのでしょう。
へりこさんに、次の??一票。
(タレイヌ)
武田好史 さんwrote:
> なぜ『広汎性発達障害児』『ボーダーライン児』という言葉を作り、その子たちを障害児として他の子たちと区別するのでしょうか?
言葉だけが先行して、『広汎性発達障害児』と診断された子供たちの心は置き去りにされたまま、大人たちの価値判断で線引きされるのはかわいそう。
長男(AS)はずっと普通学級だったけれど、特殊学級に入ってもきっと浮いてしまっていたでしょう。
現場の教師たちや、専門家さえどう扱ってよいのか戸惑うことの方が多いのではないでしょうか?
> 教育の現場で、しかも最初の小学校で線引きをして、一人一人の価値判断でつぶしていく・・・・・それはその子たちの未来を奪うことになるのではないでしょうか?
> つぶされた子供は大人になって、豊かな経験として残るべき小学校時代の記憶が頭からすっぽりと抜け落ちてしまうのです。それほど辛い思いを大人たちは、その子たちにさせてはならないと私は思います。
私は上記の意見には同感です。怒りは湧きません。
問題を提起してくれる人たちが増え、この子らをどう守っていってあげたらいいのか、もっと議論してほしい。子供たちを見捨てないでほしいと心から願っています。
普通学級で、ケアをしつつ、というのが理想かな。
そうなると、教師の知識、力量が問われます。障害児のケアと共に、周りの啓蒙にも努めなければなりません。
クラスの少人数制、担任二人とかにすれば楽になるか。
現状では「特殊学級」に放り込むほうが教師にとっては楽そうですね。
それでこの投稿者は安易な「線引き」を恐れている、と。
今大事なのは「普通人」教育か。
「障害は無縁ではない。自分の子供がそうなるかもしれない。自分自身も、病気、事故などでそうなるかもしれない。今はたまたま普通なだけ」という考えが浸透すればいいのにな。
グルンサ wrote
>
>いいかげん、こんなすれ違いから脱却したいものです…。
>
ああ、これは私が若い頃、会社というものに勤めていたときの会話そのまんま。私がしばしば指示をまちがうので私自身も自信をなくしていたしいつも泣きたい気分でした。上司も私に指示を出すときは何も考えなくていいし悩まなくていいから、とにかく言われたことだけやればいいからと何度も言われたものでした。
自分の仕事のできなさが理解できず、会社の隣にあった精神神経科に一度行ったことがある。
私 : 「仕事をまちがえてばかりいるんです。なぜでしょうか」
医師; 「若いんだから仕事のことなんかで悩まないでボーイフレンドでも作っ たら?」
私 : 「・・・・・・」
どうも上司の指示に従って仕事をするというのは私の一番不得意な分野だったらしい。結婚してから老人ホームに勤めたが慣れるまではとんでもない苦労をしたが
いったん慣れて自分の裁量で仕事ができるようになってからはずいぶん楽になったと思う。人よりむしろ仕事ができたかもしれない。でも副主任という立場になってからはまた人間関係に悩んで結局仕事を辞めたのですが。
エー、ちょっと母を病院に送らなければ行けないのでまた書きます。
ぐるんささん、だいじょうぶ。あんまり自信をなくさないでね。といいつつ、今朝夫にしみじみとおまえは何だか知恵遅れみたいだなあと言われたpennpennでした。
グルンサさん wrote:
>いいかげん、こんなすれ違いから脱却したいものです…。
>
あは、私もそんな行き違いは頻繁にあります。
何か上の人が指示を出そうとしたときには、とりあえずメモするのだけど、
大体、メモした項目が10個あれば、3個ぐらいは忘れてやり残してしまいます。
指摘されても、ん?、覚えていない。
メモもよくなくすし。
秘書さんを雇える身分の人がうらやまし〜、今日この頃。
武田好史 wrote:
> この投書を見て烈火のごとく怒っているのですが、みなさんはどう思いますか?
最近、ADHDというものの存在が知れられるようになってきた。新聞でもASが取り上げられているのは見たことがないがADHDについては教育面などで取り上げられているのをよく見かける。そして学級崩壊のことも社会全体の問題として大きく問題になっている。
学級崩壊の原因を作る子供にADHDの症状を持つ子供が多いという記事を読んだことがあるが広汎性発達障害児の教育が問題になる背景には学級運営の問題があるのだと思う。学級崩壊は私の住む福島の田舎町でもある。
多動のある子供にかかりっきりになるわけにはいかないとかADHDの子供はほんとうは素直な子供が多いが学級がざわざわしてくるといっしょに騒いでしまい学級崩壊を進めてしまうという教師側の理論がこの問題の背景にはあると思う。
ADHDの子供の教育には教師の力量が問われるがそれ以上にADHDの子供に対する治療の遅れがもっと問題になってもいいと思う。専門家の養成の遅れを問題にせずただ広汎性発達障害児を別枠で教育しようと言う発想に私はうなずけない。
とある日の朝の会話。
上司:「1月末(口座)引落の申込書って送ったっけ?」
私:「いや…最近送った覚えはないんですが…。」
上司:「でも確かに(記録に)出てるんだよな…。ああ、別枠でか。でも、いつ送
ったんだっけ?」
私:「うーん…、最近送った覚えはないし…。」
上司:「一昨日、送ってない?」
私:「うーん、今週に入ってからの記憶はないなあ…。」
上司:「俺は一昨日のって言ってるの。」
私:「……(この後、業務日報を見に行く私)。」
もう1つ。他の上司から用件を頼まれて。
他の上司:「何も考えなくていいから、その通りにやってね(しょっちゅう人の言う事をとっ違えるから)。」 私:「……。」(この後、黙って用件をこなす。)
別の日の、また違う上司(上司3とします)との会話。 上司3:「さっき俺が言った事をもう1回繰り返してみて。(作業が1〜4まであるとします。)」
私:(その通りに繰り返し[た、つもり。ここで、1が抜けている事、もしくは言い忘れている事に気付かない。])
上司3:「最初にやる事(しかも一番大切な事、ここでは1です)を忘れてるだろ。何度も同じ事を言わせるなよ[既に何度も言わせている]。頼むからさあ…。」
私:「…(小さくなって)すみません…。」
いいかげん、こんなすれ違いから脱却したいものです…。
> なぜ『広汎性発達障害児』『ボーダーライン児』という言葉を作り、その子たちを障害児として他の子たちと区別するのでしょうか?私はこの言葉を目にしたとき、背筋が寒くなりました。
障害児とするのは別に問題ないと思うんだけど、それによってその子が普通学級に (入りたくても) 入れなくなってしまう、というのなら反対だな。つまりその点においては投稿者に同意します。
武田好史 wrote:
> 僕は、『むしろ普通学級に独りでそのような子をほっぽっておくほうが危険なんだよー!無理矢理普通扱いしても本当の意味で社会で役立つ能力が身に付かなくって、大人になってから苦心惨憺の末ぼろぼろになって、うつ病になって・引きこもりになるやつがいかに多いことか!』と、この投書を見て烈火のごとく怒っているのですが、みなさんはどう思いますか?
普通学級に入れることと普通扱いすることは別だと思うし。
まあ実際は普通学級に入れたらあとのケアはなし、ってくらいの実情なんだろうけど、じゃあ障害児学級が知能が高い子供の知的欲求に耐えられる状況かと言えばそうでもないと思う。
普通クラスのなかで苦労しながらも処世術を身につけられる程度の能力があるなら、それも一つのテなんじゃないだろうか。
それと同時に、なんらかのケアがあるべきだとは思うけど。
以上は本人側の問題。
逆の視点もあって、広汎性発達障害児を全部普通学級から除外しちゃうと、そこで育った子供は、広汎性発達障害の子供を知らずに大きくなることになります。
そうやって育って、大人になってからいきなりどこかで広汎性発達障害の大人と出会った場合の反応は、あんまり期待できない気がします。(「発達障害=>すごく特殊な人=>ナイフで殺人する人でしょ」みたいなわけわかんない偏見がまかり通る危険が増える)
これは発達障害に限らず、身体障害の場合なんかも、極力身近においといたほうが、無用な偏見はさけられるんじゃないかと思います。
武田好史さん wrote:
> 以下にお示しするのは、今月12日の毎日新聞朝刊の『みんなの広場』にあった、ある介護福祉士の女性の方の、最近の『広汎性発達障害児』の教育に関する意見です。
>
>************************************************************
> コミュニケーションの仕方だってこれから学んでいくことなのに、周りの子に比べて発達が多少遅いだけなのに、その分情緒面では他の子たちよりもよほど豊かだと思うのに、みんなどこかに障害があって当たり前なのに、だからみんなでかばいあっていくのじゃないですか?
>**************************************************************
>
> 僕は、『むしろ普通学級に独りでそのような子をほっぽっておくほうが危険なんだよー!無理矢理普通扱いしても本当の意味で社会で役立つ能力が身に付かなくって、大人になってから苦心惨憺の末ぼろぼろになって、うつ病になって・引きこもりになるやつがいかに多いことか!』と、この投書を見て烈火のごとく怒っているのですが、みなさんはどう思いますか?
武田さんに1票。子供ってかばいあうかなあ…?(周囲と「違う」子って、むしろいじめられそうな気がするが。幼稚園ぐらいだったらまだしも、小学校以上では、むしろ危険な気がするけど…。)
Mariaさん wrote:
> 『ただ一式陸攻の無防備翼内タンクが災いのもとであったが、これは設計者の責任ではない。“ワンショットライター”というあだ名について、本庄さんは腹だたしげにいっていた。
> 「あの名は日本人だけが使っているんだ」
> 実をいうと、航空評論家ウィリアム・グリーンの著書にこんな表現があるが、それは日本人の“かげ口”として引用してあるから、本庄さんの立腹は正しい。
> 日本の工業力としては四発が無理であったから、海軍が双発を要求したことも止むを得なかった。しかし、“攻撃機”であったから、分厚い装甲防弾を拒否し、疑いを抱く者に対しては、
> 「命が惜しいか!」
>の一喝で沈黙させた思想は批判に値する。
> タフなボクサーのように、たたかれてもたたかれてもダウンせず、最後の勝利を獲得する者がついに生き延びる冷厳な事実を認めなければ、論理の退却である。
> 真に本庄さんの独創を生かすため、信頼性のある二〇〇〇馬力を実現するか、または四発にして思いきり設計させたかった。
>ところが、自機の翼の中に火の海になる根源があっては、しょせんはスポンサーの発想からして食いちがっていた。それが本庄さんのために惜しまれるのである。』
> 佐貫亦男『ヒコーキの心 フライヤー号からエアバスまで』光人社NF文庫
えーっ?!初めて知った(ワンショット・ライターといわれる所以)。そこまで知らなかったとはいえ、とんでもない事を書いてしまった。(ますます頭を上げられなーい…。)Mariaさんのカキコ読むたび、身が小さくなるワタシ…。
それにしても、航空技術の喪失(というのかな?当時のですが。)は、やっぱりくやしい。
> ですが、社会は、そして世間は、そうした人々を「廃棄物」のように見ています。「そういう時代だったんだ」「もう済んだことだ」「しかたがなかったんだ」と、「終わったこと」として片付けようとしています。だけど、「傷跡」や「苦しみ」というのは依然としてそこに存在します。
> で、それ以上に、そうした問題を生んだ基本的な社会構造というのは、なーんにも変わってないんですよ。「終身雇傭制や年功序列の時代はもう終わった。これからは実力主義の時代だ」とか言ってるけど、そんなの企業側が信頼関係を一方的に放棄しただけの話であって、その「実力」を客観的に評価する方法だってなぁーんにも示されていないわけです。実力主義とか言ったって、他人の業績を横からつまんで自分の業績にしてしまう果実主義や、えこひいきの横行を招くだけなんじゃないの?
>
> 気安く「立ち直れ」なんて言ってほしくないぞ。正しいことが正しいと認められ、正直者が馬鹿を見ない世の中になるまで、あたしたちは自分の信ずべきことを行ない、「常識」に盲目的に従うことを拒否したいと思います。
我が身を反省…。(グルンサ)
私はASと診断されている者じゃないし、思春期時の発症と思っているから、どちらかといえば分裂病圏に属するだろうから参考にならない意見かも知れませんが、小学生段階で線引きするのは無理じゃないかなという点でこの先生の意見に賛成するんだけどね。
自分の保育園時代(幼稚園じゃない)には一時登園拒否してまして、泣いていやがる自分を無理やり母と園長先生が学校へ引っぱって連れて行ったのを今でもありありと記憶してます。登園するようになっても周囲にとけこまず一人ポツンと浮いていましたね。あの頃今の児童精神科医に診て貰っていたら発達障害と診断されていたかもしれないなあと思うんですね。
小学校に入ってからは登校拒否はなくなって、いじめられることなくまたいじめをするわけでなく一人おとなしくしている子供でした。だからといって学校生活が楽しかったわけでもなかったんですが。おかしな例えですが徴兵で兵役義務に服しているといった感覚でした。けど今にして思えば、それはそれで良かったと思うんですね。だって子供に理屈を言ったってわかるわけないし、躾なんて理屈ぬきで体で覚えるしかないと思うんです。それに反逆するのはもう少し大きくなってからでもいいわけでね。
日本の小中学校教育はそんなに悪くは無いと思います。悪いのは高校大学教育じゃないかなあ。自分の経験だけで言ってるんですけどね。
武田好史 wrote:
> 以下にお示しするのは、今月12日の毎日新聞朝刊の『みんなの広場』にあった、ある介護福祉士の女性の方の、最近の『広汎性発達障害児』の教育に関する意見です。
>
>************************************************************
> なぜ『広汎性発達障害児』『ボーダーライン児』という言葉を作り、その子たちを障害児として他の子たちと区別するのでしょうか?私はこの言葉を目にしたとき、背筋が寒くなりました。
> コミュニケーションの仕方だってこれから学んでいくことなのに、周りの子に比べて発達が多少遅いだけなのに、その分情緒面では他の子たちよりもよほど豊かだと思うのに、みんなどこかに障害があって当たり前なのに、だからみんなでかばいあっていくのじゃないですか?
> 教育の現場で、しかも最初の小学校で線引きをして、一人一人の価値判断でつぶしていく・・・・・それはその子たちの未来を奪うことになるのではないでしょうか?
> つぶされた子供は大人になって、豊かな経験として残るべき小学校時代の記憶が頭からすっぽりと抜け落ちてしまうのです。それほど辛い思いを大人たちは、その子たちにさせてはならないと私は思います。
>**************************************************************
>
> 僕は、『むしろ普通学級に独りでそのような子をほっぽっておくほうが危険なんだよー!無理矢理普通扱いしても本当の意味で社会で役立つ能力が身に付かなくって、大人になってから苦心惨憺の末ぼろぼろになって、うつ病になって・引きこもりになるやつがいかに多いことか!』と、この投書を見て烈火のごとく怒っているのですが、みなさんはどう思いますか?
全く同感です!!
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami