アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Lingkoさん wrote:
>DSMで併記を禁止する理由は、「発達障害者が単一の障害しか持っていない」
>という前提があるからではありません。
9745のコメントで紹介されていたサイトも調べてみました。勉強不足
ですみません。もっとも、DSMの解説を見ていて頭がおかしくなりそうに
なりました。決して厳密とは言えない診断基準に20年以上翻弄されていた
のかと思うと…、シクシク。この場ではまだ公表できませんが、わたしの子
供の頃からの通院歴や相談歴があまりにも異常だったので。
>DSMの障害・疾患分類方法は、病因にまでさかのぼらず、表面に表れた行動
>や困難の有無・頻度・程度だけから機械的に切り分けていきましょうという
>方針なので(これも、発達障害とは別の分野の精神医学の歴史の中で、過去
>にさまざまな困難があったため、それに対する解決策として生まれたもので
>す)、誤診を避けるためにこのような操作が必要なのだと思います。
この点については了解しました。もっともDSMを実際に適用していく場
面では、別の問題が発生してしまうような気がしています。このスレッドの
話題からは離れてしまうので、蝙蝠(狂人型)に別のスレッドでコメントし
てもらう予定ですが。
>つまり、PDDゆえの症状のせいで、ADHDの診断基準も満たしちゃう人と、PD
>DのほかにたまたまADHDも重なっている人とを区別することが、「DSMでは」
>できません。
>
>だから、「PDDゆえの症状のせいで、ADHDの診断基準も満たしちゃってるの
>かもしれないしPDDのほかにたまたまADHDも重なっているのかもしれない、
>どっちかわかんないんだから、わからないものをまるでわかったかのように
>言わないことにしときましょう」という趣旨なんじゃないかなあ。つまり、
>「道具としての自分の限界を良くわきまえている」と。
DSMを見ていていつも思うのは、どの点が医学的に解明されていないの
かが記述されていないことです。「分からないことについては沈黙してしま
う」ために、その障害の専門家以外には「どの点が未解決の問題として残さ
れているのか」が分からなくなってしまうのです。
分からないということをはっきり表明することも学術的には重要だと思い
ます。
(PS)
それにしてもやりきれない気持ちになること。まだ、ASと診断されず、
教育学的LDとだけ判断されていた時、医学の専門家から「教育学的LD
には信憑性がない」とニセ障害者呼ばわりされたことがありました。しか
し、当の医学的診断基準も主に患者の表面的な特徴によって決定されてい
るという話。なんか泣けてきます。
pennpenn58さん wrote:
> 三原順さんは何だか自殺なさったようですね。はっきりしませんが。晩年の作品を見ていると何だか自殺というのが腑に落ちるような気がします。
(『Re: 片づけ・・・掃除・・・。』、No.9699、22 Dec 2001)
三原順さんはご病気だったはずです。川原泉さんほかが分担して執筆された、遺作の……書名がよく思い出せないのですが、『××の森 ジュディの樹』のあとがきに、たしかそのあたりの事情が書かれていたと思います。川原さんも以来作品を発表されていません(月刊誌「プータオ」の『ブレ−メン』だったかな? あとはエッセイ風の商品を少々、だと思います)。
truthさん wrote:
> 最近では、同じ傾向・・・か分からないけど、同じように好きな作家さんで、「獣木野生」さんがいます。元「伸たまき」さんなんですけど、改名されました。彼女の「パームシリーズ」は大好きで全巻もっています。
獣木さんは現・オーストラリア在住。あたしもファンです。
(Maria)
武田好史さん wrote:
>私も同感です。あまり厳密にこだわって、ああだこうだ分けてしまうと、かえ
>ってこのような障害のキャリアの人たちの支援に対して、望ましくない結果を
>もたらすことが多いと思います。
患者の立場から見れば好ましくないということは言うまでもありません。治
療や支援の方針などに影響を与える場合は別ですが、それ以上の厳密な診断は
必要ではないと思います。
>むしろAD(H)D・LD・ASは、軽度発達障害あるいは自閉症スペクトラム障害の
>要素であると考えたほうが自然なのではないでしょうか。
軽度発達障害の要素としてまとめることには賛成ですが、自閉スペクトラム
としてまとめることには反対です。ASが非言語性LDやADHDとの関係に
おいてもめている背景には何かきな臭いものを感じます。邪推ながら専門の異
なる発達障害の専門家同士の暗闘の可能性も想定しています。特定の専門家の
肩を持つような概念は持ちこまない方がいいでしょう。
グルンサ wrote:
こんばんわ。横レスでごめんなさい。
もし、グルンサさんが、「ATOK12」があるパソコンなら、(文字変換の)ATOK12のクリックパレット(灰色の四角いキューブ)の中に「顔文字」というのがありますよ。でも、持っていなかったらごめんなさい。<(_ _)>
シンタロウさん wrote:
>
> ∧_∧
> -=≡ ( ~w~)<わ〜い♪ジンジャー
> -=( つ┯つ
> -=≡/ / //
> -=≡(__)/ )
> -= (◎) ̄))
↑これ、まじウケた。
し、しかし、前にあれだけ皆がこういうのの書き方についてあーだこーだ言ってたのに、いまだにわかってない私。
Milkywayさん wrote:
>以前、NHK「にんげんゆうゆう」で森口さんが出ていらしたとき、番組は他の外国産の手記の紹介ばかりを頻繁にする一方で、『変光星』の表紙はついに一度もでてきませんでしたよね。森口さんの出演も、番組の後ろの方で、いわば片隅に追いやられていたようものだったし。
>どうしてなのかな。国産の手記なのに。あまり取り上げたくないのかな。
以下の文章は、思いっきりわしの邪推です。
NHKは「公共放送」ではありますが、実はけっこう、放送スタンスが左寄りです。
で、「変光星」では、「小学校時代」の章にこんな担任教師が登場します。
・「あなたたちのため」と言って授業を途中やめにし、ストに参加する
・国語の時間に「北朝鮮の正式国名を書け」という問題を出す(国語の授業でやることか?)
・「人は皆平等」「『勤労者』になることが幸せなこと」と児童に説く
森口さんはこの教師の行動に対し、批判的なスタンスをとっています。そのコメントがかなり痛烈です。
「自分の国のやり方に反対する人たちが、公立の学校の先生として、公費をもらい、そして国家に反対する思想を、公然と授業で生徒たちに教えていたのである。そんな『国』が、他にあるだろうか。そういう意味では、『日本』は、とても自由な良い国である。」
NHKは、このような記述があることを知られたくないために、内容の詳しい紹介を避けたのではないでしょうか?
なんたって、NHKは公費同然の「受信料」が、制作費と職員の給料ですから。
ほんとに邪推です。あまり真剣にとらないでください。
でも、「プロジェクトX」はいいと思う 鷲羽丸
シンタロウくんにお願いがあります。顔文字スレッドのやり方を教えてくれないでしょうか?私は、皆さんがカキコしているような笑っているカオすら、まともに描けず、前に1度Mariaさん宛のカキコでやってみたらずれていました(くすん)。今までのスレッドを見て、驚かされることしきり、です。(妹にも頼んだのだけど、「フツーにやればいいだけじゃん」ととりあってくれませんでした。とほほ。
気が向いたら、ということで結構ですヨ。(ホントはこれも、コメントという形で入れたかったのですが、やってみたらせっかくの力作が総崩れと化していたので…。)具体的には、泣く、怒る、苦笑、(もちろん笑顔も!)を教えてもらえれば嬉しいです。
ぶちさん、truthさんへ。お2人に向けてすぐにでもお返事したいのですが、一時PCを離れなければならないため、改めてお返事します。すみません。
Milkyway wrote:
>あおびさん wrote:
>>注文すれば買えるんでしょうか?
>
>もちろん! 但し、在庫があればの話ですが。
12/15発売ばかりなので、在庫は問題なくあるでしょう。
本屋さんで注文すれば届くと思います。
ぼくは忙しくて、まだぜんぜん読んでません。
ぶち wrote:
> また割り込んで、ごめんなさい。ぶちです。
> 前のtruthさんのお話に返信しようと思ったら、見つからなくて・・・
返信してくれようとしてくれた事・・・嬉しいです。有り難う。こんばんわ、ぷちさん・・・。
>>truthさん wrote:
> 客観的に自分を見てくれる、もう一人の自分を作ると、いろんな事が見えやすく>なるかもしれません。嫌いでもなんでも、自分とは死ぬまでのお付き合いですか
>ら・・・「好き」っていうのとは、ちょっと違うかもしれないです。「なんとかし>てあげないと」っていうのに、近いかもしれません。
> 分析して特徴を捉えて、それをどう使ったらいいか対策を立てる・・・それがも>う一人の自分の役目です。
> 私のあちこちに興味が移る性格(よく言えば好奇心が強い。でもある程度極める>と、興味がうせる)も、今はあまり役にたってませんが、少なくとも働いていた時>の職種にはあっていたようです。同じ特徴でも、迷惑になる場や、有効に働く場が>あるようです。なるべく上手く動けるように、対策をたてたり、めげてる時には話>相手になったりと、「もう一人の自分」は大活躍です。うちの旦那さんとケンカし>ている時も、冷静な「もう一人の自分」が出てきて、問題を旦那に向かって解説し>たりしてます。もうここまで来ると、自分の人生を、ゲームのように楽しんでいる>のかもしれません。・・・私ってちょっと変・・・
>そんなこんなしているうちに、嫌いじゃなくなって来ました。
>(ぶち)
私は大分前、「もう一人の自分」っていう感覚を持っていました。いっつも、何していても、もう一人の自分が冷静に見つめているっていう感覚を持っていましたよ。どんなに興奮しても、どんなに悲しくても、見つめている冷静な自分がいて、背後から見ている感覚です・・・。(背後霊?って感じ・・・というか・・・よく考えたら全然違う気もするんですけど。)
それが高じて、私の場合、ちょっと、「私」と「もう一人の私」の分裂が酷くなってしまったようで、どっちが自分?ってちょっとわからなくなってしまいました。
でも、ぷちさんが言っている「もう一人の自分」っていうのは、私が自分で思っていた「もう一人の自分」とはちょっと違うのかもしれません。
知り合いに言わせると、「自分で自分を愛する事は出来なくて、神様が(その人は牧師さん・・・。)愛を注いで下さるから、自分を愛せるんだ」っていう事です。
私はそういうのは分からないですが、最近は、「このままでいいや」と思えるようになりました。ちょっと進歩・・・。
「環境で良い部分と評価されたり、悪い部分と評価されたり」っていうのはよく分かります。そーなんですよね。相対性理論じゃないけど、場所によって、自分の存在とか、自分の性格が、「良く思われたり、悪く思われたり」って事がしばしばありました。バカな私は、「どっちなの?悪いの、いいの?」とさんざん・・・悩んでしまいましたが、他人の評価って、私自身が変わらなくても、職場の価値観と、ニーズとか、雰囲気とか・・・色々な要素で変わるらしいです。
という事は・・・どちらにしても、私は私なんだし、評価は変わっても、私という存在は変化しないって事なのかもしれません。認めてくれる場所を見つければ、それでいい事で・・・どちらにしても、私は変化せず・・・私・・・。そーいう事を認めてあげて、評価に左右される事がなければいいのかもしれません。
知り合いが、「訓練」と言っていました。訓練して、冷静な目を身につけて、冷静に・・・落ち着ければいいのかな。ありのままって言っても、何にもしないでいい訳じゃないのかもしれません。どうも有り難う。
Lingkoさん wrote:
>だって、日本語での内容の発信に十分貢献していないのは確かだし(だってできないんだもん……申し訳ないけど。生きるのと仕事するのとで精いっぱいで)。
それでも、貴女は、ご自身に「できること」で、じゅうぶんにご活躍なさっておられるではないですか。訳書の「訳者あとがき」だけでも、大した「日本語に於ける発言」だと思いますよ。卑下なさる理由は、ぜんぜん、ないです。
>ま、いつの間にかこんな仕事をするようになったルーツは、もしかしたらその辺にあるのかもしれません。
これからも、海の向こうの最新情報を、待っています。
ご活躍を毎日応援しています。
(特に、海の向こうの自閉症者による手記は、欠かさず日本語で読んでみたいものですね)
Lingkoさんと直にやり取りできて光栄です。お返事をどうもありがとうございましたL。
グルンサ wrote:
>こんばんは、truthさん。
こんばんわ。グルンサさん。
>私も、自室の居心地が悪いのは同じなのですが、歩くスペース自体がなくなってし>まい(単なる積ん読状態の本の山です)、今は茶の間でこたつむりしてます(笑)。>鞄やトランク1つで身軽に動けるっていうのは理想ですね、ホントに。
こたつむり・・・って可愛いですね〜・・・。素敵です。言い方が・・・。最近聞いた「サンタフクロウス」に匹敵するかわいさです。
トランク一つで放浪〜あてどもなく・・・みたいなのが本当はしてみたいです。リュック一つでもいいかもしれないです。余計なものは一切持たず・・・必要なものだけの生活・・・シンプルライフ・・・憧れです。でも、私の部屋にも、本が沢山あり、もし・・・地震が起こったら、つぶされて死ぬかもしれません・・・。
> 携帯電話はあるにはあるのですが、めったに電源を入れません。(仕事の都合上>しぶしぶ買ったのですが、四六時中追いかけられているような気がして苦手なので>す。実際、車の運転中に着信音がなっても、すぐになんて取れないし…。もっと
>も、今は車の運転はしていませんが。)
本当は私も携帯をそんなに必要としていないのかもしれません。とっても便利で、待ち合わせの時とか、便利なんですが・・・。最近は、電車の中で愛おしそう?に携帯を持って、弄っている人を見かけるのですが、とっても不思議な光景に私には見えます。電車の中で・・・皆が携帯で「たたた・・・」とキーを打っている姿は、よく考えると、奇妙というか、不思議な光景です。でも、みんな寂しいのかなぁ。一人でいて、誰かと繋がっている感覚を持っていたいのかなぁ・・・って思ったりします。「いっつも、留守電・・・」って言われています・・・。へたすると、一日過ぎないと気が付かない時もあったりします・・・。
> 私も、えらそーに書きましたが、やっぱり時間はかかりそうです。(すぐに腰砕>け状態の自分が情けない、とは思うんですけどね…。うーん、私たちにとっての難>問かもしれませんね、この事って。…ってまた腰砕けな事を…。ごめんなさい。)
究極の難問かもしれないですね。それを求めて・・・流離っているような感じです。難しいなぁ・・・。でも、難しいと思っているだけで、結構簡単で・・・あんまり悩むのをやめた瞬間に分かったりする事かもしれないんですが・・・。あんまり深く考えるのをやめようと思います。
tudu wrote:
こんばんわ。
>ありのままの(現実に存在している)自分を認めて、自分の現在持っている能力、>自分の能力に自信を持つことだと思います。
>間違えていたらResをください。
全然間違っているとは思わないけど、レスしてしまいます。
ありのままに存在するという事がどういう事か・・・私はよく分からないのだと思います。今の自分の能力で自分を認めてあげるって事が・・・よく分からないのです。頭の中では分かっていても、現実としてそういう状態というのがよく分からないのでした。何だか長い間、ひょっとしたら、「ありのままの自分」っていうのを見ないで・・・というか、抑えつけてきちゃったのかもしれないです。何だか分からなくなってしまっているのかもしれません・・・。
他人の評価ばかり気にしていたり、人の目ばかり気にしていたり、他者の目で、(自分の中に世間という他者が存在するのかもしれません)自分を見ているのかもしれません・・。何だか「しれません、しれません」の文章になっちゃうんですけど。
自信っていうのもよく分からないんです。自信ってどうやってつけるのかな〜と。「自信」という加藤諦三さんの本を買ってしまうくらいですから。本読んでも分からないんだけど・・・。
とりあえず・・・分かるまで・・・というか、自然と「そっか」と思うまで、「ありのままの自分で、自分の能力に自信を持つこと」っていうの、探していきたいと思います。ありがとう・・・。
こんばんわ。pennpenn58さん、久しぶりで嬉しいです♪
pennpenn58 wrote:
> truthさん、あなたは私に似ている!好きなまんがの傾向も似ているし。私も
>『はみだしっこ』はバイブルでした。三原順さんは何だか自殺なさったようです
>ね。はっきりしませんが。晩年の作品を見ていると何だか自殺というのが腑に落ち>るような気がします。
自殺だったとは知りませんでした・・・。ちょっと吃驚・・・。晩年の作が、小さな漫画本で発売されていますよね。何か、絵柄が変わってしまって、私は「はみだしっこ」の頃の方が好きです。グレアムが・・・一番著者の三原さんに近かったのでしょうか?私は、グレアムの気持ちがよく分かりました。そんな風に考えちゃう習性みたいなのが・・・。鋭く世の中と人間について見てしまいすぎたのでしょうか?最近では、同じ傾向・・・か分からないけど、同じように好きな作家さんで、「獣木野生」さんがいます。元「伸たまき」さんなんですけど、改名されました。彼女の「パームシリーズ」は大好きで全巻もっています。最初の所に「世の中でありとあらゆる差別を受けている人に」って描かれていたのが印象的でした。その中の「アンディ君」は、アフリカの野生の中で育った世間知らずですが、「自分の好きな事しかしない」「好きな人としかつき合わない」「会話で「は?」と変な反応をしたり、テンポ・感覚が人と違う・・・」「動物(ライオン)を自分の仲間だと思っている」という所が・・・何となく親近感を持ちます・・・。20才過ぎても、思春期通り越していないような所とか・・・。
> 職場では気をつけていましたがやはり、どうも熱中傾向があり、老人ホームでお>年寄りのリクリエーションとして貼り絵をやった時はこれもコンクールに出そうか>という超大作にしてしまいました。まわりはあきれていたかも。でも、やめた老人>ホームの同僚から連絡がきて昔作った貼り絵で来年のカレンダーを作ってくれたと>のこと。(涙)
私もです・・・。ホームヘルパーをしているおばあさんの家では・・・おばあさんのお世話が主なのですが、掃除の方に熱中してしまい、おばあさんの方を忘れていたりしますよ・・・。(って軽く書いていますけど、大変な事ですよね。)好きな事だと熱中します。それで、「好きな事だけでなく、つまらないかもしれないけど、違う仕事もしてね。」と言われました。つまらない事が嫌いな訳ではないんですよ。しようという気持ちはあるんですが、やっぱり、好きな事はやっていて気持ちがいいし・・・。出来れば、ちゃんとそつなく、全部こなしたいんですが・・・。
> 私は何かに熱中しすぎる自分を警戒している。家族も同様。でも熱中するものがないとつらい。何か落ち着かない。なにかそわそわしてしまうのです。
すご〜くよく分かります。私は熱中するのが怖いです・・・。自分の世界に入ってしまうし、自分の世界から外の世界に戻るのがパワーいるので・・・。熱中するとあとで困るという事がよくわかっているんです。だから、何となく、自分をセーブします。それで、疲れたりもするのですけど・・・。頑張って、セーブしていると、やっぱり、落ち着かないし、手持ちぶさたです・・・。リラックスして、ボケーっとしているのも大好きなんですけど、そうなると、今度、緊張状態に戻るのがつらいので、又・・・抑圧してしまいます。
家にいて落ち着かないのは何故でしょうか?分からないんだけど、何か居心地が悪くて、カーテンを変えたり、「私の落ち着く部屋は・・」といつも暗中模索です。
> 何もすることがなく部屋に閉じこもっている今の私。ほとんど飲まず食わず、最低限の食糧補給のみ。もっともごく最近まで過食傾向が強くてすごく太ったから少々食べなくても死にはしないのだけれど。でも今の状態がつらい。することを見つけられないのがつらい。ああ。
辛いですよね・・・。やる事がないって、本当に辛いです。嫌な事ですら、やるべき事があると、幸せってことだってあるな・・・って思います。でも、この際・・とことんまで、何もしないでいるのもいいかもしれないですよ。(すごく嫌な気分になったらごめんなさい。)ずっと、何もしないで・・・ボケーっとしていたら、そのうち、その状態がいやになって、飽きて、又、突然パワー充電して、何かやりたくなるかもしれないです・・・。
でも、そんなのきれい事かもしれません。無職で辛い状態って・・・っていうか、仕事を辞めたばかりの時の放心感・・・って私理解できますよ。不安になったり、今までの働いていた生活が・・・突然毎日なくなっちゃって・・・。
そういえば、武田さんも書いていらした、「わかっているのにできない脳」を知り合いに勧められて買いました。すごくためになりました。食べ物・サプリメントの知識とか、少しでも状態をよくする方法っていうのがとても為になりました。一度、私も、画像診断とか、自分の脳味噌の状態を検査してみたいな。
変な・・・文章かも・・・ごめんなさい。
Milkywayさん wrote:
>Lingkoさん、ご気分を害してしまったならごめんなさいね。
いやー、それは別にないです。安心してください。
まー、発言者が私だってことで無用なプレッシャーになるのは悪いし、匿名で書いた方がいいのかなあとも思ったんだけれど、それも何だか卑怯な気がして。
だって、日本語での内容の発信に十分貢献していないのは確かだし(だってできないんだもん……申し訳ないけど。生きるのと仕事するのとで精いっぱいで)。
>私が言いたかったのは、公共放送に於ける伝統的体質(あるいは日本人としての体質、国産を見下げる国民性といったもの)を何とかして欲しいということです。
その体質があるかないかについては私は判断できないし、特に意見を持っていないので(日ごろあまり考えたことがなかったからです)、何とも言えないです。
>
>私のメディア批判はいつものことなので、もし、私の書き込みが、翻訳者の方への批判や当て付けと取れてしまったならば、この場を借りてお詫び申し上げたいと思います。
それは全然ないから安心してください(私の書き方がややこしかったですね。申し訳ありません)。私が翻訳を生業としていることとはとりあえず別に、本好きの一人として、もう一個の可能性もないのかなあって思っただけなんです。
テレビに限らず、限られた時間やスペースの中で何冊かの書籍を取り上げようと思ったら、やはり、現在流通している本、興味を持った人が容易に手にとれる本を優先的に扱うっていうのは、かなり重視されていることだと思うから。
たとえば、どっかの雑誌で、書評家や作家や大学の先生など10人くらいに、「働く女性におすすめのミステリを30冊あげてください」とか「中高生におすすめのSFを10冊あげてください」などというアンケートを依頼したとしますよね。そんな場合、依頼された人の中に、名作だからといって、現在絶版の本や版元で品切れの本、重版待ちの本などを平気で挙げてる人がいたら、「作品にはよっぽど愛着があるんだろうけど、読者には不親切な人だなあ」とか「作家の方を向いて、読者の方を向いてない人だなあ」とか「通ぶって差をつけてるのかしら」とか思われてもしょうがないです。
そんなことが頭にあったから、「扱われなかった理由は、日本人だからじゃなく、入手困難であるせいかも?」とか思ってしまいました。
私はふだんNHKをあまり見ていなくて、日ごろの観察と分析を全然していませんから、その部分だけを見てしまったのだと思います。
で、自分の職業のことに触れたのは、自分が翻訳本を出してるから言ってるわけじゃないですよと言い訳したかっただけで、これが余計な一言だったんですね。そのせいでかえって誤解を呼んでしまった。申し訳ありませんでした。
私は、どっちかというと、舶来を有難がる方かもしれません。でもそれは、舶来の方が価値が高いと思ってるからではなく、まだ見ぬ遠い地からラクダに揺られて(あるいは船にゆられて)届いた珍しい風物を手に、どこか遠くを夢見るような、そんな気分が子どものときから好みだったからですね。子どものときは、「モスクワ」とか「上海」とか「香港」とか「アメリカ」とか「ペルシャ」とかいう響きに空想をかきたてられたものでした。だけど、私は大阪育ちですので、「神戸」とか「横浜」とか「東京」とか「京都」なんかも「モスクワ」や「上海」と同様に「どこか遠く」の気分を乗せてくるものでありました(神戸が大阪から比較的近い都市であることは全然知らなかった……)。地理的にだけじゃないな。「明治」も「江戸」も同じだったかも。
その昔、神戸にロシア料理屋さんがありまして、そこのお持ち帰りのピロシキは、何やらキリル文字の印刷された耐油紙に包まれていました。神戸にも、そのお店にも、行ったことはなかったけれど、お客さまが手土産にこのピロシキを持ってくると、何かこう、包み紙のキリル文字を暗号か何かのように飽かず見つめたものでした。
ま、いつの間にかこんな仕事をするようになったルーツは、もしかしたらその辺にあるのかもしれません。
武田好史 wrote:
>Lingko wrote>
>>ADHDとPDDの間で、「根本の原因、発生機序は違うのに、表面的な現象が同じ」という症状がいくつもあるせいじゃないかな? と私は解釈しています。
>>つまり、PDDゆえの症状のせいで、ADHDの診断基準も満たしちゃう人と、PDDのほかにたまたまADHDも重なっている人とを区別することが、「DSMでは」できません。
>>だから、「PDDゆえの症状のせいで、ADHDの診断基準も満たしちゃってるのかもしれないしPDDのほかにたまたまADHDも重なっているのかもしれない、どっちかわかんないんだから、わからないものをまるでわかったかのように言わないことにしときましょう」という趣旨なんじゃないかなあ。つまり、「道具としての自分の限界を良くわきまえている」と。
>>だから、LDとPDDの併記は禁止されてませんよ。
>>ところが、併記が禁止されているというのをカタチだけ読むと、まるで併存が起こらないかのように思ってしまう医者が出かねません。だから、そんな誤解によるサービス過小を防ぐには、併記は解禁した方が得策なのでは、というのが私の意見です。
私も同感です。あまり厳密にこだわって、ああだこうだ分けてしまうと、かえってこのような障害のキャリアの人たちの支援に対して、望ましくない結果をもたらすことが多いと思います。むしろAD(H)D・LD・ASは、軽度発達障害あるいは自閉症スペクトラム障害の要素であると考えたほうが自然なのではないでしょうか。
とどのつまりなのですが私は、
ADD・・・注意力の維持継続の障害・気分障害・情緒障害など、行動や言動・感情のレベルの調節機能の障害
AS・・・見たもの*感じたことの言語化・最適な条件の検出・聴覚認知・言葉→動作系など、コミュニケーションにまつわる機能の障害
LD・・・目と手などの強調・物の細部の把握・左右の目からの視覚情報の統合・過去の視覚情報の記憶・順序や位置の把握・平衡感覚など、本質的な作業(勉強を含む)のに必要な『空間把握』機能の障害
というふうに捉えなおし、個々の障害と区別するのではなく、大本の「脳の機能不全」であろう「・・・症候群」の要素であるとみなしたほうが、無用な混乱を招くような事態を避けるのに有効な気がします。
( )
| ̄|三| ̄ ̄ ̄|\
TTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTヽ
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‐=≡ / ̄ (;~w~)ハァハァ
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‐=≡ / .__ ゛ \_∩(;~w~)ハァハァ < 今晩の夕飯が逃げたぞ ゴルァ!!
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 ̄ ̄ ‐=≡ / /レ ((( )))
‐=≡ (  ̄) (;TwT)<ママ〜 助けて〜
 ̄ ̄ / つ_つ
人 Y
し'(_)
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Lingkoさん wrote:
>その可能性もないではないけれど、単に、入手困難な書籍より、入手が容易な書籍を取り上げたかったという可能性も考えられません?
あの本自体、けっこうマスメディアを批判した記述が目立つので、それでNHKが積極的に取り上げたくなかったということは、「可能性として」考えられるかもしれません。
Lingkoさん wrote:
>Milkywayさん wrote:
>
>>以前、NHK「にんげんゆうゆう」で森口さんが出ていらしたとき、番組は他の外国産の手記の紹介ばかりを頻繁にする一方で、『変光星』の表紙はついに一度もでてきませんでしたよね。
>
>>(舶来を持ち上げるのは昔も今も一緒だね。昔も今も全然変わっていないね日本人)
>
>その可能性もないではないけれど、単に、入手困難な書籍より、入手が容易な書籍を取り上げたかったという可能性も考えられません?
>
>別にNHKの味方をしたいわけではありませんし、舶来モノ輸入産業にたずさわっている者の自己弁護ではありません(ちなみに、私は舶来モノ輸入産業にたずさわっていますが、舶来を持ち上げている意識はありません)。
Lingkoさん、ご気分を害してしまったならごめんなさいね。私は、Lingkoさんが海外の最新の情報をどんどん輸入してくれていることに、どれほど感謝しているか、そして貴女の手掛けられた書籍から、どれほど益を得ているか、それをまず分かって頂きたいと思います。
私は以前から、(『変光星』の件に限らず)NHKの福祉番組/報道番組のあり方について、大いに疑問を持っていたので、つい、あのような書き方になってしまいました。
ただ、それを逐一具体的に書くとなると、範囲が広がりすぎてしまい、「アスペの館の掲示板」の趣旨を大きく越えることになってしまうので、敢えてここでは書かないまでです。
私が言いたかったのは、公共放送に於ける伝統的体質(あるいは日本人としての体質、国産を見下げる国民性といったもの)を何とかして欲しいということです。
私のメディア批判はいつものことなので、もし、私の書き込みが、翻訳者の方への批判や当て付けと取れてしまったならば、この場を借りてお詫び申し上げたいと思います。
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