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Re: DSM(Re: ADD(注意欠陥障害)の6タイプ) 9793へのコメント
No.9798  Mon, 24 Dec 2001 19:00:18 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

Lingkoさん wrote:

>DSMには、強制力はないんです。患者さんと向き合って治療の計画を立てると
>きにこれを使いなさいなんてことは言われてない。
>
>新しい道具を発明するときって、誰もが数式や設計図から始めるわけじゃない
>でしょ。設計図から始めるのが向いてる思考スタイルの人はそうだろうけど、
>粘土で模型を作る人、バルサで模型を作る人、ひたすら紙にスケッチを描いて
>いく人、パソコンのお絵かきソフトで構想していく人。
>
>でも、製品ができて、試作品ができて、特許を申請するってなったら、何かそ
>れなりの図面の描きかたってあると思うんです(こういうことには詳しくない
>んで、想像なんだけど)。その、特許申請のときの書き方の約束ごとみたいな
>ものじゃないかなあ、というのが、私が調べたり考えたり迷ったり悩んだりし
>た末にたどりついたDSM観。

DSMの理念としてはそれで正しいと思うんですよね。でも、運用時には別
の問題が発生してしまうような気が…

 元々、診断マニュアルというのは精神医学に携わる人たちの臨床的活動が蓄
積されてできたものだと思います。そして、それをパターン化して整理したの
が診断マニュアル。

 でも、医学の世界には国際的な診断マニュアルに沿って、診断していること
を標榜する医師も多いです。診断マニュアルが重視されすぎてしまうと、診断
が患者の困難に合わせて決定されるのではなく、診断マニュアルに患者の状態
像が一致しているかどうかによって決定されてしまうという転倒が発生してし
まう危険性があるような気がします。(特定の医師を批判している訳ではあり
ません。あしからず)

 このように、診断が患者よりも先行する理論(マニュアル)によって決定さ
れるような事態を科学哲学では規約主義的誤謬と言います。わたし自身が子供
の頃に未診断であった原因の1つは、当時、診断マニュアルに書かれていない
発達障害を診断しなかったばかりか、検査もせずに「親の教育のせいだ」と断
じて臨床的関与を拒否した一部の医師たちにもあります。子供の時にわたしと
出会ったほとんどの専門家が発達に異常があること自体は認めていただけに、
残念でした。

 診断の正確さを追求して作られたはずの診断マニュアルをすり抜けて大人に
なって診断されたわたしって一体…。

 医学的評価にしがみつきすぎかな…


Re: カテゴリーとしての信憑性と存在の信憑性(was: ADD(注意欠陥障害)の6タイプ) 9794へのコメント
No.9797  Mon, 24 Dec 2001 18:24:08 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

Lingkoさん wrote:

>つまり、本来は、「教育学的LDに信憑性がない」という言葉の意味は、
>
>「教育学的LD」という名でくくられている範囲に含まれる内容は、それぞれに
>医学的な診断名を付けることが可能なものなので、改めて「教育学的LD」とい
>う名前を別にこしらえる必要がない
>
>という意味か、
>
>「教育学的LD」という名でくくられている範囲に含まれる内容は、それぞれに
>医学的な診断名を付けることが可能なものなので、「教育学的LD」という言葉
>を使用することの便利さは、教育の議論をする場所だけに限られ、医学的な議
>論をする場所で使うには不便である。だから、「教育学的LD」という言葉は教
>育学用語に留めるべきである
>
>という意味か、2つに1つだと思うのです。
>
>先の場面の場合、考えられる可能性は2通りあると思います。

とりあえず、医療の専門家が主催する軽度障害者向けのイベントへの参加を
申しこんだ時に、「教育学的LDには信憑性がない」という理由で参加を拒否
されました。(2年前のこと)

 医療機関が主催の障害者向けイベントには診断確定者限定というのが意外に
多いんです。従って、「教育学的LDには信憑性がない」という言葉は、単に
「参加お断り」という意味で言われたのだと思います。

 その時点で教育学的LDと医学的LDの違いを知らなかったことが痛恨でし
た。(泣)

 そんな事があって、わたしは軽度発達障害者限定の活動にはほとんど参加し
なくなってしまいました。なんとなく障害を持っているという理由で特別扱い
されることに嫌悪感を覚えてしまったんです。

 診断のことで、絡んでしまったような形になってしまい、申し訳ありません
でした。


Re: ADD(注意欠陥障害)の6タイプ 9785へのコメント
No.9796  Mon, 24 Dec 2001 18:06:35 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

武田好史さんwrote:

>どうもこの「自閉症スペクトラム」という言葉は、くせものだな・・・
> たとえば川崎医療福祉大の佐々木正美さんは、「LDは最も軽度の自閉症であ
る」と講演会でおっしゃった。
> この考えでは、「IQの凹凸が見られる発達障害の症例=自閉症スペクトラム
>」ということになるような気がする・・・WAIS-Rのな・・

IQの凸凹というのは、むしろ特異性発達障害(医学的LD,発達性言語障
害,発達性協調運動障害など)の問題なんですよね。もっとも、わたし自身は
発達性協調運動障害についてはASと同様、診断基準を満たしているので両者
を完全分類することはできないと思いますが。両者の関係について、わたし自
身の見解はアプローチの角度を変えれば、両方に当てはまる軽度発達障害者は
たくさんいるのではないか、という感じです。

>「授業が分からないのがLDで、授業のあげあしをとるのがAS」という見方も
>ある。

わたしはどちらの立場になったこともあるので、単純には言えない気がしま
す。でも医学的なLDである可能性は否定されました。神経心理学的な意味で
の非言語性LDには該当しているようですが。

> これに対しADDは、IQの高低ということよりは、むしろ注意力や「情緒」の
>障害ということに力点をおいた見方で、LDや自閉症スペクトラムという概念か
>ら隔絶した物のような気がするが・・・

 ボランティア先に情緒的に非常に安定したADHD児がいます。情緒的な不
安定は二次的な障害のような気がします。むしろ、多動,注意欠陥,衝動性と
いうのは行動面の困難なんでしょうね。もっとも、ADHDの人に見られがち
な認知の特徴みたいなのはあるみたいです。


しばらくお返事できません
No.9795  Mon, 24 Dec 2001 17:21:39 +0900  Lingko [この発言にコメントする]

ちょびっと仕事と生活に専念するので読みに来ません。お返事がなくても「気を悪くしたから黙っているのか」と思って心配することはありません。

大事な話のある方、ごめんなさい。


カテゴリーとしての信憑性と存在の信憑性(was: ADD(注意欠陥障害)の6タイプ) 9768へのコメント
No.9794  Mon, 24 Dec 2001 17:17:14 +0900  Lingko [この発言にコメントする]

こうもりさん wrote:

> それにしてもやりきれない気持ちになること。まだ、ASと診断されず、
>教育学的LDとだけ判断されていた時、医学の専門家から「教育学的LD
>には信憑性がない」とニセ障害者呼ばわりされたことがありました。

これは、その専門家の方か、こうもりさんか、どちらかが誤解されていたのではないでしょうか。

つまり、本来は、「教育学的LDに信憑性がない」という言葉の意味は、

「教育学的LD」という名でくくられている範囲に含まれる内容は、それぞれに医学的な診断名を付けることが可能なものなので、改めて「教育学的LD」という名前を別にこしらえる必要がない

という意味か、

「教育学的LD」という名でくくられている範囲に含まれる内容は、それぞれに医学的な診断名を付けることが可能なものなので、「教育学的LD」という言葉を使用することの便利さは、教育の議論をする場所だけに限られ、医学的な議論をする場所で使うには不便である。だから、「教育学的LD」という言葉は教育学用語に留めるべきである

という意味か、2つに1つだと思うのです。

先の場面の場合、考えられる可能性は2通りあると思います。

こうもりさんにその発言をされた専門家の方が、他の専門家が上の2つのどちらかの意味で使ったはずのそのフレーズを短絡的に誤解して、よく意味がわからないままにくり返していたか、

その専門家の方は、上の2つの意味のどちらかの意味で正しく使ったが、当事者にとっては時に診断名がアイデンティティの問題にもなりうることを知らなかったため、誤解を避ける必要性に気づいておらず、鈍感な言い方で大丈夫だと思い込んで結果的に無神経な言いかたになったために、こうもりさんの耳にはあたかも困難を否定されたかのように聞こえてしまったか、

どちらかの可能性が高いように思います。


DSM(Re: ADD(注意欠陥障害)の6タイプ) 9791へのコメント
No.9793  Mon, 24 Dec 2001 17:03:11 +0900  Lingko [この発言にコメントする]

まあ、この書き込み自体、私がだいぶ前に迷ってあれこれ調べた結果と、私なりにこの人だったら信用できると思った専門家たちの使い方を見聞きした感触で「こうなんだろうなあ」と何となくこの辺で落ちついた、っていうくらいに思ってください。

DSMには、強制力はないんです。患者さんと向き合って治療の計画を立てるときにこれを使いなさいなんてことは言われてない。

新しい道具を発明するときって、誰もが数式や設計図から始めるわけじゃないでしょ。設計図から始めるのが向いてる思考スタイルの人はそうだろうけど、粘土で模型を作る人、バルサで模型を作る人、ひたすら紙にスケッチを描いていく人、パソコンのお絵かきソフトで構想していく人。

でも、製品ができて、試作品ができて、特許を申請するってなったら、何かそれなりの図面の描きかたってあると思うんです(こういうことには詳しくないんで、想像なんだけど)。その、特許申請のときの書き方の約束ごとみたいなものじゃないかなあ、というのが、私が調べたり考えたり迷ったり悩んだりした末にたどりついたDSM観。


Re: ファンだからあえて言わせてくれ 9787へのコメント
No.9792  Mon, 24 Dec 2001 16:56:17 +0900  Milkyway [この発言にコメントする]

Lingkoさん wrote:

>すみません、急いで調べなくてはと思いながらも、なかなか気力がわかなくて。お返事が遅くなりました。

いえいえ、十分に早いですよ。ありがとうございますぅぅぅ。

>この本については、私が診断を受けるよりもずっと前、北米の雑誌(発達障害や特殊教育とは無関係の、一般の雑誌)の読者投稿欄で論争の種になっていたのを覚えています。今も探せばその雑誌はあるはずなのですが、引っ越しの後、まだ目先の仕事と無関係の段ボールは開封していないので、探すのはちょっと辛いです。

出てきたらまたいつか、お話をお伺いさせていただきたいものですね。

>しかたがないのでアマゾンで検索しました。お捜しの本はこちらでしょうか? まちがっていたら、お許しください。
>
>http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/0671761110/qid=1009174670/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/002-4055639-8029602

確かにこれに間違いありません。ご気力のないところ、わざわざご検索をありがとうございました。

取り急ぎ 普段は超遅レスの Milkyway


Re: ADD(注意欠陥障害)の6タイプ 9768へのコメント
No.9791  Mon, 24 Dec 2001 16:52:20 +0900  Lingko [この発言にコメントする]

こうもり wrote:
>Lingkoさん wrote:
>
> 9745のコメントで紹介されていたサイトも調べてみました。勉強不足
>ですみません。もっとも、DSMの解説を見ていて頭がおかしくなりそうに
>なりました。決して厳密とは言えない診断基準に20年以上翻弄されていた
>のかと思うと…、シクシク。この場ではまだ公表できませんが、わたしの子
>供の頃からの通院歴や相談歴があまりにも異常だったので。
>
> DSMを見ていていつも思うのは、どの点が医学的に解明されていないの
>かが記述されていないことです。「分からないことについては沈黙してしま
>う」ために、その障害の専門家以外には「どの点が未解決の問題として残さ
>れているのか」が分からなくなってしまうのです。

これは、DSMが本来、専門家が現場で道具の一つとして使うために作られたものだからだと思います。現場で使いやすいように、道具としての機能に特化しているってことでしょうね。

DSMだけが独り歩きすることを想定して作られていないのでしょう。

DSMの最大の功績は、専門家同士が情報交換する必要に迫られたとき(何らかの事情で主治医が交替する、単独ではなくチームで診た方が良いからと考えて応援を要請する、自分だけではわからないから先輩や同業者に質問する、珍しい症例を経験したから他の医師が似た人を診たときに一から迷わずにすむようみんなに報告する、保険の請求をする、患者の通う学校や職場に配慮を要請する、等々)、共通語ができたということだと思います。「似たような状態の人には似たような名前が付く」という当然の状態が保障されたわけだから。そして、そもそもDSMはそのための道具として作られたのだと思います。要するに、連絡用のコード。

> 分からないということをはっきり表明することも学術的には重要だと思い
>ます。

どこまでわかっていて、どこはわかっていないかを知っている人たちどうしの間で使うつもりで作ったせいかもしれませんね。

治療やケアはあくまでも目の前の患者さんの状態やニーズに応じて計画し、実行していくものだから、DSMが登場するのは、保険を請求するときや、職場に配慮要請のための診断書を書き送るとき、調査・統計の収集に協力するとき、他の専門家と連絡をとるとき。

現場での診断には自分たちなりの経験の蓄積で自分たちなりのスケールを使っている専門家が多いでしょう。でも、そんな人たちも、その症例を学会で報告するときには、「DSMでいえば、ちょうど○○○に相当するあたりだと思ってもらえれば」と
いう言い方を使います。これが本来の使い方だと思うんですが。

>(PS)
>
> それにしてもやりきれない気持ちになること。まだ、ASと診断されず、
>教育学的LDとだけ判断されていた時、医学の専門家から「教育学的LD
>には信憑性がない」とニセ障害者呼ばわりされたことがありました。しか
>し、当の医学的診断基準も主に患者の表面的な特徴によって決定されてい
>るという話。なんか泣けてきます。

私の書き込みのために辛い思いをさせてしまってすみませんでした。傷つけるつもりで書いたわけではなかったのですが。


Re: 質問(もし生まれ変わったら・・・??) 9788へのコメント
No.9790  Mon, 24 Dec 2001 16:30:55 +0900  Lingko [この発言にコメントする]

武田好史さん wrote:
>もし生まれ変わったら、あなたは、どこで・どのような生活をしたいですか??

生まれ変わらなくても、大阪市の西区で、川の見える老朽マンションの最上階で暮らしたいです。バルコニーは北向き、北西向き、西向き、東向きがいいです。

そして、バルコニーにプラスチック製の漬け物の樽を置いて赤いさざんかを、発泡スチロール製の魚のトロ箱を置いて黄色のフリージアを植えたいです。

今は、いくら働いても大阪市西区でマンションの家賃を払う経済力はないし、夫の職場が大阪市から遠いので、通勤してもらうのは無理ですから。

もっとお金があったら、東大阪市の石切に週末用の家を持ちたいです。

生まれ変わったら、猫アレルギーのない体質に生まれたいですね。白黒ぶちの牛柄の猫をたくさん飼いたいです。


Re: ファンだからあえて言わせてくれ 9770へのコメント
No.9789  Mon, 24 Dec 2001 16:23:05 +0900  Lingko [この発言にコメントする]

グルンサさん wrote:
> ちょっとこの場をお借りして。今まで、ASの女性の手記を目にすることはあっても(グニラ・ガーランド、ウェンディ・ローソンetc.)、男性の側からの手記を目にしたことがないのはさびしい。(成人男性のものについて。)

ないわけじゃないみたいですけど、点数は確かに女性に比べ少ないです。発生率を考えると男性の方が圧倒的に多いはずですが、それでも出版点数は女性の方が多いです。

そして、男性の当事者の著書は、「手記」になるよりも、何らかのテーマについての議論、つまり、各論になるものが多いという感触を得ています。自閉に限らず、いろんな障害、疾患を通しての印象なのですが。

(これは仕事のために調べたわけではなく、たまたま元気でヒマな時にどこからか情報が入ってきたときに、ふんふんと眺めたときの印象を元に言ってます。今はきっちり調べる時間も気力も体力もないので、根拠をあげることができないんですが。

>単に私が知らないだけだとしたら話は別ですが、どなたかご存知の方は教えて下さい。(男性と女性では、社会に対してのものの見方、感じ方、捉え方等違うのではないだろうか、と思うので。別段、ジェンダー論をぶつというわけではありませんが…。)

内容として書かれる「意識」や「気分」、「経験の種類」以前に、「本を書く」ということに対する姿勢や意識からして違いがあるような気がしています。自閉者に限らず、発達障害者に限らず、障害者や患者にも限らず。健常者の旅行記やエッセイ等でも、一つのテーマを設けない身辺雑記や日記風の作品は女性著者のものに多いような気がするのですが。

それともう一つ、これは私が直接・間接に知っている自閉者の場合なんですが、読み書き障害は圧倒的に男性に多いです。しかも、読字障害の重なっている自閉の方は、ものすごーく視覚思考に頼っている方が多いです。絵や彫刻、写真、建築、解剖学、発生学、鉱物学や結晶学、錯体化学などに打ち込んでおられる方、レゴや手芸、下水の配管、タイル工事、測量などに夢中の方を知っています。全員、スペルに困難をかかえておられる男性です。読書もあまりなさらない方が多いです。読書や掲示板やメーリングリストよりも映画やゲーム、レゴ、錯体化学などの方が楽しいのでしょう。

どうしても、本を書いたり読んだりということは、画像よりも言語に重きを置く人が手がけることが多くなりがちだと思います。そして、そのタイプの方の中には、女性が多いようなのです。道に迷ったり、人の顔が見分けられなかったり、手先が不器用で困っていたりして、日記を書いたり、本を読んだり、詩を作ったり、外国語を学んだり、というタイプの方で、男性もいますが、女性に多い気がします。

> Lingkoさんへ。もし、そういう本を見つけましたら、ぜひとも翻訳をお願いします!!(…というのはわがままでしょうか…?)

わがままではないけれど、出版社から頼まれたら、とお返事しておきますね。私自身は男性の手記をやってみたいという興味も意欲もあるけれど、私の希望だけで決めることじゃないですから。

こういうことは私には良く分からないんですけど、もしかして、男性の訳者さんの方が、男の人に特有の気持ちを深く、正しく理解できるのであれば、あるいは、男性の名前が付いていた方が、男の読者さんが思わず手にとりやすく、必要としている方の元に届きやすいのであれば、その方が結局は世の中のためになるのかもしれない。

でも、障害関係に限らず、訳者さんって、男性が少ないんですよね(ミステリ、SF、ハードボイルドは男性が多いですけど)。翻訳って圧倒的に女性の多い職業らしいです。


質問(もし生まれ変わったら・・・??)
No.9788  Mon, 24 Dec 2001 16:19:53 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

みなさんこんばんは。
今日はクリスマスイブ・・・よし・いくぞうさんの歌じゃないけど、今年の暦もあと少しで終わりですね。

今日はみなさんに次のようなことをお尋ねしたいと思います。

もし生まれ変わったら、あなたは、どこで・どのような生活をしたいですか??


Re: ファンだからあえて言わせてくれ 9784へのコメント
No.9787  Mon, 24 Dec 2001 15:40:24 +0900  Lingko [この発言にコメントする]

Milkyway wrote:
>思い出しました。シェーン・バロンとおっしゃる人です。NHKが自閉症の番組での取材で取り上げていました。ご本人とともに、せっかくその手記も紹介されていたのですが、英語だから読めないし。
>
>Lingkoさん、ご本人とお心当たりはございませんか?

すみません、急いで調べなくてはと思いながらも、なかなか気力がわかなくて。お返事が遅くなりました。

この本については、私が診断を受けるよりもずっと前、北米の雑誌(発達障害や特殊教育とは無関係の、一般の雑誌)の読者投稿欄で論争の種になっていたのを覚えています。今も探せばその雑誌はあるはずなのですが、引っ越しの後、まだ目先の仕事と無関係の段ボールは開封していないので、探すのはちょっと辛いです。

しかたがないのでアマゾンで検索しました。お捜しの本はこちらでしょうか? まちがっていたら、お許しください。

http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/0671761110/qid=1009174670/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/002-4055639-8029602

私自身は、ご本人とは面識はありません。ご本人が自閉についての啓蒙や自閉者の地位向上のための運動に関心をお持ちかどうかも知りません。

このように手記を書いたりする当事者の必ずしも全員が啓蒙や運動に関心を持っているとは限らず、ご自分の生活や職業、あるいは趣味を優先している方も決して少なくないので、私にもよくわかりません。

特に発達障害関係に限ったことではありませんが、手記を書く動機も、必ずしも啓蒙が目的とは限らず、自分の内面を整理し終わって次の生活に乗り出すため、普通の生活によりよく専念するため、という方もいますから。

また、私の交流している当事者で、たとえば自分でウェブサイトを作り、運営している人たちの中にも、プロフィールの中に「私は自閉者です」と一言書いてあるものの、内容は完全に趣味だけのサイトを運営している人も多いですね。

また、親御さんたちから聞く話では、そもそも同じ自閉者仲間との交流を望まないご本人もたくさんおられます。


絵文字・顔文字 9771へのコメント
No.9786  Mon, 24 Dec 2001 14:37:22 +0900  Maria [この発言にコメントする]

るうさん wrote:
> し、しかし、前にあれだけ皆がこういうのの書き方についてあーだこーだ言ってたのに、いまだにわかってない私。

グルンサさん wrote:
>  ↑いつのことでしょうか?もし、ご記憶でしたら教えて下さい。

 えー、この件については『健常者警報(テストです。あまり気にしないで下さい。) 』(No.7614、23 Sep 2001、by シンタロウ)から始まって延々と論議されていましたが、複数行にまたがる(つまりは二次元的な)絵文字表示にはひとつ問題があるのですよ。

 携帯メールの絵文字表示なんかの場合は、「半角文字二個分の幅が全角文字一個分に相当する」というお約束がある(こういうのを「等幅フォント」といいます)のですが、多くの人が使っているパーソナル・コンピュータのブラウザではデフォルトが「プロポーショナルフォント」というものになっているので、縦の線がまっすぐに出ないんです。なお、インターネット・エクスプローラー(IE)では、メニューの「ツール(T)」から「インターネットオプション(O)」を選び、全般タブの「フォント(N)」ボタンをクリックしてフォント画面を開き、Webページフォント(W)の設定をプロポーショナルフォント(MS Pゴシックなど)から等幅フォント(MS明朝やMSゴシックなど)に変えればいいんです……が、そうすると半角文字を表示するときにIとWが同じ幅に表示されてしまって、あんまり読みやすくありません。(このあたりの情報はウィローモスさんの情報提供によります。ありがとうございました。)

 さらに、この掲示板には書込みのモードが2つあって、「ウィンドウ幅でテキストを表示」(HTMLのタグとして<p>を使う)と「桁折り整形を自分でする」(HTMLのタグとして<pre>を使う)の二種類があって、前者では行頭の半角スペースは消え、連続する半角スペースは一個の半角スペースに置き換えられてしまいます。そんなわけで複数行にまたがる絵文字を表示しようと思ったら後者の「桁折り整形を自分でする」モードで書込みをすることになるわけですが、そうすると書込みを見ている側のウィンドウの幅に関係なく表示がされてしまうので、行末に間の抜けた空白ができたり、横スクロールをしないと行末の部分が読めなくなったりしてしまうんです。

 そんなわけで「複数行にまたがる絵文字」を嫌う人は多かったりします。昔のキャラクタベースの表示システムだったら幅80文字(半角)固定で等幅フォントが当たり前だったから難しいことはなぁーんにも考えなくってよかったんですがね。

 でまあ、中にはこうした制限の中で、「汎用性を考慮しつつ、なおかつ複数行にまたがる絵を書きたい」という人もいて、「プロポーショナルフォントを使いながら、なおかつきっちり縦の線を出す」とかいった(もっとも、ごく限られた図形しか表示はできないんですが)極めてトリッキーなテクニックなんかもあったりするわけです。

 たとえば、こんな感じです。

---
 基本的には、「全角文字は等幅文字(つまり、全部幅が同じ)」「半角文字はプロポーショナル・フォント(つまり、文字の幅が「i」と「w」では違うということ)」というのが基本になっているのである。ただし、プロポーショナル・フォントでも、同じ文字はいつでも同じ幅で表示される。

 また、この掲示板システムに使われているHTMLというシステムが、「行頭の半角空白文字は、これを削除する」という仕様になっているので、行の頭に空白を入れようと思ったら、半角スペースではなく全角の空白文字を使う必要がある。また、「行中の複数個の半角スペースは、一個の半角スペースで置き換える」ようになっているので、そこんところに工夫が必要だったりもするのである。

    全半角混在     全角九文字
      ↓         ↓
            |−−−−−−−|
            |       |
            | 全角文字は |
            | 全部同じ幅 |
            | だったりも |
            |  する。  |
            |       |
            |−−−−−−−|
              ここ↑が中心 (-_^)b~*

            |−−−−−−−|
           |   だから   |
          |    こんな    |
         |     ことも     |
          |    できる    |
           |   わけだ   |
            |−−−−−−−|
              中心↑は動いていないぞ。(^_^)

 念のため、半角スペースを「_」で置きかえて表示する。

   _ _ _ _ |−−−−−−−|
   _ _ _  |_  つまり  _|
   _ _   |_ _ こんな _ _|
   _    |_ _ _具合に_ _ _|
   _ _   |_ _ なって _ _|
   _ _ _  |_  いた。  _|
   _ _ _ _ |−−−−−−−|
   _ _ _ _   ここ↑が中心 (-_^)b~*

 おわかりいただけたか。
---
 『Re: ワ〜ぃ☆』(No.7665、26 Sep 2001、by Mr.Moto)

 ついでながら、顔文字を使うコツについては、『顔文字使用マニュアル』(No.3672、26 Mar 2001、by KILROY)があります。

 なお、管理人さんからは、「掲示板の機能についての実験などは、『おためし掲示板(http://www.nadita.com/bbs/otamesi/ )』のほうにお願いします』とのコメントがありました。

 (Maria)


Re: ADD(注意欠陥障害)の6タイプ 9766へのコメント
No.9785  Mon, 24 Dec 2001 14:17:27 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

こうもり wrote:
>武田好史さん wrote:
> 軽度発達障害の要素としてまとめることには賛成ですが、自閉スペクトラム
>としてまとめることには反対です。

どうもこの「自閉症スペクトラム」という言葉は、くせものだな・・・
 たとえば川崎医療福祉大の佐々木正美さんは、「LDは最も軽度の自閉症である」と講演会でおっしゃった。
 この考えでは、「IQの凹凸が見られる発達障害の症例=自閉症スペクトラム」ということになるような気がする・・・WAIS-Rのな・・
 またある本ではLDについて、「LDは他の能力は平均的な水準にあるが、あるひとつの能力が著しくそがれている感じのWAIS-RのIQ分布を示す症例を指す」というふうなことが書かれてあった。またこれは、静大の杉山登志郎さんが著書の中で述べていたことであるが、「授業が分からないのがLDで、授業のあげあしをとるのがAS」という見方もある。
 これに対しADDは、IQの高低ということよりは、むしろ注意力や「情緒」の障害
ということに力点をおいた見方で、LDや自閉症スペクトラムという概念から隔絶した物のような気がするが・・・


Re: ファンだからあえて言わせてくれ 9783へのコメント
No.9784  Mon, 24 Dec 2001 13:54:53 +0900  Milkyway [この発言にコメントする]

I wrote:

> また、海の向こうでも、やはり、(英語圏の)自閉症の男性の方がすでに手記を出版しておられます。タイトルや書いた方のお名前は失念しましたが、だいぶ前にNHKのテレビでやっていたので覚えています。

思い出しました。シェーン・バロンとおっしゃる人です。NHKが自閉症の番組での取材で取り上げていました。ご本人とともに、せっかくその手記も紹介されていたのですが、英語だから読めないし。

Lingkoさん、ご本人とお心当たりはございませんか?


Re: ファンだからあえて言わせてくれ 9770へのコメント
No.9783  Mon, 24 Dec 2001 10:45:43 +0900  Milkyway [この発言にコメントする]

グルンサさん wrote:

> ちょっとこの場をお借りして。今まで、ASの女性の手記を目にすることはあっても(グニラ・ガーランド、ウェンディ・ローソンetc.)、男性の側からの手記を目にしたことがないのはさびしい。(成人男性のものについて。)単に私が知らないだけだとしたら話は別ですが、どなたかご存知の方は教えて下さい。(男性と女性では、社会に対してのものの見方、感じ方、捉え方等違うのではないだろうか、と思うので。別段、ジェンダー論をぶつというわけではありませんが…。)

あります、ありますよ。一つは、

『自閉症克服の記録』山岸裕、石井哲夫 編著、三一書房、isbn4-380-88218-7、という本です。初版が1988年に出ているので、これが我が国で最初で書かれた手記ではないかと思います。こちらの方は既に何度もテレビ(もちろん表紙も)で紹介済みです。
 また、海の向こうでも、やはり、(英語圏の)自閉症の男性の方がすでに手記を出版しておられます。タイトルや書いた方のお名前は失念しましたが、だいぶ前にNHKのテレビでやっていたので覚えています。ちゃんとご本人への取材と共に、手記の表紙もためらう事なく、きちんと映像で映していましたよ。

> Lingkoさんへ。もし、そういう本を見つけましたら、ぜひとも翻訳をお願いします!!(…というのはわがままでしょうか…?)

まあ、Lingkoさんは以下のように書いておられますが、

>その可能性もないではないけれど、単に、入手困難な書籍より、入手が容易な書籍を取り上げたかったという可能性も考えられません?

>たとえば、どっかの雑誌で、書評家や作家や大学の先生など10人くらいに、「働く女性におすすめのミステリを30冊あげてください」とか「中高生におすすめのSFを10冊あげてください」などというアンケートを依頼したとしますよね。そんな場合、依頼された人の中に、名作だからといって、現在絶版の本や版元で品切れの本、重版待ちの本などを平気で挙げてる人がいたら、「作品にはよっぽど愛着があるんだろうけど、読者には不親切な人だなあ」とか「作家の方を向いて、読者の方を向いてない人だなあ」とか「通ぶって差をつけてるのかしら」とか思われてもしょうがないです。

本の紹介の番組ではなく自閉症枠の番組であるならば、本が絶版状況などかどうかに拘らず、本人を取材したならば、(まして本人以外の著作の類書の表紙を紹介するのであれば、)その著作についてもきちんと表紙込みで紹介するというのが、公正な番組作りではなかったかな、と思っています。

(これは、放送のあり方についてについての苦情です。くれぐれもお間違えのありませんように)

Lingkoさんごめんね。次の手記の訳出を、待っています。


冬休みが始まった!!
No.9781  Mon, 24 Dec 2001 10:05:19 +0900  pennpenn58 [この発言にコメントする]

 学校の冬休みが始まった。ゆううつである。夫の3連休もいっしょである。私の引きこもりには引きこもりの生活スタイル、リズムというものがある。それが乱されるのが辛い。夫も私がぼーっとしているので超不機嫌になって色々グチグチと文句を言う。私は何が苦手といって文句をグチグチ言われるのが一番いやなんである。

 「もっと明るい女と結婚すればよかった」「結婚したのは失敗だった」
 そんな私がさばけた明るい女じゃないことはわかっていたことではないか。見合いの時だって一言もしゃべらなっかったはずである。いまさら何を言うのか。今からだって明るい女の人と結婚すればいいじゃないか。もう私のもって生まれた性格を批判するのはやめてほしい。私だって努力してるんである。

 昨日は古本屋さんにいらなくなったまんが本を子供に選ばせて売りに行った。我が家の物置はまんが本で埋まっている。少し整理したくなったのである。ところで私は暗算が極端に苦手である。特にお金の計算は説明されてもされても訳が分からない。で、だいたい相手の言いなりになることに決めている。

 ところが長男は私に似ず計算が大好きでいつも何かの計算をしている。で、本を売りに行ったのに対し、長男が1400円。次男が1800円。売った本には私の本も混じっていた。で、長男がなんとかかんとか言って「ぼくに600円くれないとおかしい」と言い出した。次男の本の中にはぼくの本も入っていたe.t.c・・・。私には理解できなかった。でも、長男は言い出したら絶対後に引かない頑固さがあり、私は長男の論理を論破できず、言われるがまま、600円を長男に渡す羽目になった。本を売りに行ったことがなぜ私の出費になるのか。なんか納得できない。今度は売り方を考えなければ。私の本は私のおこずかいにするとか。

 冬休みよ、早く終わってくれ。私は辛い。苦手な親戚づきあいもあるし。ああ、冬来たりなば春遠からじとはいうものの、春は遠いんである。

 


Re: 私信です。 9762へのコメント
No.9779  Mon, 24 Dec 2001 09:09:40 +0900  マザー [この発言にコメントする]

グルンサさん wrote:
 

画面右下の一般の『般』をクリックして話し言葉優先(H)にします。
『般』が『話』になったら『かお』と打ってスペースキーを2回押す
と顔文字がでますよ。(^o^)

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