アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
一口にアスペと言っても、自閉に近い人もいれば、普通(?)に近い人もいるだろうし、私みたいに分裂病っぽい人もいる。いろいろいていいんだから、何もここで用語の定義をすることも無いんじゃない?
何か、悲しくなってしまう。
私も人間相手の仕事をしています。もっとも、いままでいろいろうまくいかない点がありました。ASだと自覚したことは仕事の上で強力な支えになっています。何に気をつけなければならないか、何について努力すればよいのか、はっきりしたからです。いままでは霧中を歩いているようなものでした。同時に、仕事で接する人々にもいろいろな発達障害がありうることが理解できるようになりました。
心の理論の欠如というのがどういうことかよくわからないのですが、他人の気持ちをあとで考察することは私にだってできます。ただし、とっさに対応したり新しい状況が生じたときにまちがえるわけです。このギャップがいつもいつも落ち込む羽目になる原因です。あとで、失敗したと感じるから。
またこういう場だから正直に言いますが、「人と心を交わす」「親密になる」というのがどういうことか私にはわかりません。私は言葉を選びながら人と話していて、いつも安心できないので、それでは心を交わしているとか親密とは言えないような気がします。みなさんにとって「人と心を交わす」「親密になる」というのはどんなことですか?
みなさんは言葉づかいのこと、どうされていますか?私の場合、ていねいな言葉づかいをするときと、そうでないときの使い分けがうまくできません。
昔、口が悪いといわれたことがありまして、そのあとほとんど誰に対しても同じように、かなりていねいな言葉づかいで話しているというのが現状。そのほうが安全ですし。いつも言葉をくずさない人ですね」とほめられたけど複雑な気分です。あと、人をあだ名で呼ぶことがありません。困難です。でもほかの人はあだ名でよびあって楽しそうだし、そろそろ試してみようか?
掲示板のたくさんのご発言に返事したいのだけど、うまくできないことがあります。たとえば、職場などでASの(ような)人同士、互いに相手の考えていることがわからなくて気を使いあって疲れてしまうことってありませんか。それで引っ込み思案になるのも具合が悪いので、提案です(あくまで提案)。
1.主旨は明瞭に書いてもいいでしょう。基本的マナー(それが何かはそれなりに問題ですが)に反していないなら、だれかがそれを読んで、個人的事情でいやなことを思い出しても発言者の責任でないと思います。それより婉曲に書きすぎてわけがわからないほうが読んで混乱します。
それを読んだ人は、思ったことがあったら書いたらいい。「あなたの発言を読んで気分が悪かった」という人がいてもかまわないと思います。気分が悪いと思う人がいる、ということがわかることも大切だから。
2.自分のこと(症状とか、対人関係で起こっている現象とか、幼少の頃のこととか)、もっと書いたほうがいいと思います。このごろ書いてくれる人が多いのでいい。ASといっても、ある部分は共通でも、一人ずつちがうところがあるでしょう。とくに障害とどう折り合っているかという点になると非常に多彩なのでは?科学的研究もまだまだこれからのようですし、この掲示板でいろいろな面から追究したいと思います。
3.管理人さんの指示に従うのは当然として、それ以外は「こうでなければならない」という暗黙の習慣はなるべくないほうがいいですね。都合・不都合の点があれば明示して議論するのがよいでしょう。
さんどる wrote:
>ここを読んで誤解をされる方もでそうな気がしたのですが、自閉症の3割くらいは知的障害が伴いません。その3割の方達は、「高機能自閉症」と呼ばれますが医者は必ず「高機能」と付けてくれるわけでもありませんし、症状的に軽くても(学校側にに特に告げずに普通学級で過ごせる程度)親御さんも「うちの子は自閉症」とおっしゃいます。
>アスペでも問題行動やこだわりの強い方もありますし。
>それでは高機能自閉症とアスペの違いは?というと「3才までの言語の発達遅滞の有無」が最もポイントになるそうです。(ひとことで言えば無し、がアスペ)
説明をおぎなってくれてありがとうございます。
でも「高機能自閉症とアスペの違い」というのは、研究者の間でもいろいろもめていることのようです。さらに、LD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動症候群)との関係(どこで区別するか、重複を認めるか)ということもはっきりしません。
どういう生き方ができるかということは、医者がどういう診断名をつけたかとは別のことだと思います。
たとえば私のつれあい(ゆみっち ですが)は4才まで言葉が出ず、「高機能自閉症」などといわれました。そのときの診断としては、それが正しかったかもしれません。
でも現在の彼女は、社会に出て、人間が相手の、とても自閉症らしからぬ仕事をしています。人づきあいは、かなりまめです。その今の彼女を自閉症と呼ぶことに意味があるでしょうか。
自閉症の特徴として専門家からいわれていることに「心の理論の欠如」(人の心を理解できない)ということがあります。(「自閉症だから人の心は分からないだろう」などと言われたらとても働きにくいでしょう)
私は2年前、アスペルガー症候群=高機能自閉症(同じもののように書かれていた)の記述を見て自分はそれだと思ってから自閉症について書かれたものを読み「自閉症=心の理論の欠如」という説を知ったのですが、そのときの私の気持ち、「心の理論」がある方ならわかっていただけるでしょうか。
「自分が今まで人と心を交わしていたと思っていたのはすべて幻だったのか」
「だれかと親密になったりすることは、永久に不可能なのか」
「このさき一生を孤独に生きなければならないのか」
そんなふうに絶望的気分になったりもしました。
まあ最初情報があまりなかったうちは混乱して、「自閉症の自分には心の理論がないのだ」と思いこんだりしてたのですが、もっと知るうちにその間違いにも気づいてきました。
アスペルガー症候群では「心の理論」の獲得時期が普通より遅れるために問題が起きるということはあっても、それがずっと欠如したままというわけではない、というのが本当らしいです。
アスペと自閉症との区別ということでも「心の理論」の獲得の有無によるほうがより本質的であると思います。ですから子供のとき言葉の遅れなどで「自閉症」と診断されても、大きくなってもずっと「自閉症」といわなければならないかというと、それは違うと思うのです。
「人の心がわからない」と私たちが嘆いたとしても、それはほんとうにまったくわからないというのではなく、すくなくとも人の心を理解することの難しさを自覚できる程度には人の心をわかっているのです。
もちろんアスペも自閉症もいろいろです。どちらと言っていいのかわからない部分もあります。自閉症的特徴がいろいろあるにもかかわらず、言語能力などすぐれたものを持っている人たちもいます。そういう方は「自閉症者」として語る資格があると思いますが、私がそれをやろうとしたら、自閉症についての誤解を生むだけだと思うのです。
掲示板の管理人です。パスワードを忘れたというメールをもらったのですが、ちょっと困ってます。まず、掲示板に書きこんでいるときの名前がそのメールに書かれていません。それから、メールの返事を出そうとしたのですが、メールの差出人のアドレスが不正確なのか、メールが届かないというエラーが返ってきてメールが送れません。
パスワードを忘れてしまったというメールを管理者に送るときは、掲示板に書き込みをしたときの自分の名前を必ず書いてください。そして確実に本人がメールを受け取れるメールアドレスを添えてください。
掲示板管理者が、発言の削除やパスワードの変更を代行することはできます。もしそのような依頼をするときは、その理由と、書いた本人からの依頼であるということがわかるようにお願いします。
私はアスペルガーで6歳の自閉症の息子がいます。旦那は、妄想型の分裂病です。
アスペルガーで一般社会を生きてくのって、本当っに辛いですね。無理があります。普通学級でやっていくのって、死ぬほど大変だった。
先生の言葉が頭に入らず、何か指示があるたびに、自分の近くにいる人を目印にしては見よう見まねをしてました。
授業中、その教科の教科書は開きませんでした。どうせ先生の話を聞いても、とびとびの単語でしか聞こえなかったりして、つまらないからです。家で、自分で勉強した方が効率的で、テストでは、好きな教科だけとてもいい結果が出ました。
先生は自信たっぷりに「皆さん。この人の点数は、日頃真面目に授業を受けていた結果です。」と言いました。先生は、私が数学の時間に先生の声をシャットアウトして、単独で好きな教科の勉強をしていた事を見ていなかったのです。
自閉症の息子の事に関して調べなかったら、私は一生、自分の事を対人恐怖症と思っていたことでしょう。
でも、対人恐怖症とアスペルガーは、はっきり違うところがあります。
アスペルガーはいい意味でも悪い意味でも正直で、思ったことを言わずにはいられず、相手を怒らせてしまいます。結果、本当の事を言っただけなのに、どんどん人から嫌われたり恨まれたりします。
そして、自分ではとても真面目にしている事でも、普通の人から見たら、たいへん非常識な事をやっているようにも思われたりします。私にとっても、何が常識か非常識か、いまだによくわかりません。人から指摘されてようやく理解できるという感じです。
私の今までの生き方で、間違っていたのは、いわゆる一般の普通の人になる事を目指してきた事です。その為に話し方教室やセミナーや福祉の専門学校に通ったりなど、無駄な時間を費やしてきました。
アスペルガーは、自分の個性に逆らわず、何かに固執する才能を徹底的に生かす生き方をすべきです。私は、アスペルガーの範囲内の生き方をこれからしていきたいと思っています。
はじめまして。アスペの子を持つ親です。このような場があることは素晴らしいことだと思いますし、小二の息子もいずれ参加できる日が来たら..と思います。管理人さんはお忙しいと思いますがよろしくお願いいたします。
>ぼくには自分が「自閉症」であるという病識は持てない。自閉症のなかまのアスペルガー症候群とはいえるか
>もしれないけど、それだって絶対的なものではない。診断名なんて専門家の立場によるものだし。
>言葉をもたない、あるいはたいへんに困難な「ほんものの」自閉症者とぼくと、似ているところはあるかもし
>れない。でもぼくは彼らではない。
ここを読んで誤解をされる方もでそうな気がしたのですが、自閉症の3割くらいは知的障害が伴いません。その3割の方達は、「高機能自閉症」と呼ばれますが医者は必ず「高機能」と付けてくれるわけでもありませんし、症状的に軽くても(学校側にに特に告げずに普通学級で過ごせる程度)親御さんも「うちの子は自閉症」とおっしゃいます。
アスペでも問題行動やこだわりの強い方もありますし。
それでは高機能自閉症とアスペの違いは?というと「3才までの言語の発達遅滞の有無」が最もポイントになるそうです。(ひとことで言えば無し、がアスペ)
自閉症が世間に正確に認識されていないので、私も自分の子が「アスペ」と言われてちょっとラッキーだったと思っているいやな部分もあります。まわりに「自閉症」と言うと「知的障害で、症状も重い」とか、「親の育て方が悪い」と思われがちですが、
アスペというとほとんどの人が知識がないので、「症状はこういうもので」と言うところから入って最後に「自閉症の一種または親戚」ともってこれるので。特に息子は2年前から「家族と祖父母以外の人の前では恥ずかしいのでしゃべらない」のが基本ですから、口が利けない、知的障害だ、と思われるので。
>「早速、村上様の文章について、保護者や先生方から『言葉をもたない、或いはもっていても上手に伝えられ
>ない子供達の心の声を聞いたようで深く感銘した。』との言葉を聞きました。さらに、もっと知りたいという
>声も多く寄せられ……」
>ということでいくつか質問が書かれてあった。
子供の視点から物事を見れば、村上さんに聞かずにもっと我が子の心の声を聞けるのじゃないかなあと思います。私自身もそういうのが苦手なダメ母なので、努力するしかないのですが、私も以前就学の時に質問したことがあって、もしかして失礼があったかも...と思ってしまいました。
管理人さんのメッセージを読んで、この方面の診断がとても難しいという事が
よくわかります。 息子の事ですが、かぎりなくAS的で、脅迫性神経症もあると
思うし、そんな息子を理解せずヒステッリクに育てた結果、ACの傾向にも
なってしまったと今さら自責の念に陥っています。
そして今は、これまでの反省から、息子のこころに一生懸命よりそい、受け入れ
て、大きな体で甘えてきても、よしよしと頭をなでてあげるのですが、これから
この子が自立していくにはどうすれば良いのだろうかと悩んでいる毎日です.
館の管理人 wrote:
>ぼくには自分が「自閉症」であるという病識は持てない。
>言葉をもたない、あるいはたいへんに困難な「ほんものの」自閉症者とぼくと、似ているところはあるかもしれない。でもぼくは彼らではない。
>アスペルガー症候群という範疇にしてみても、ぼくはそれを代表できるわけじゃない。
私が、「自閉症」「注意欠陥障害」「LD」の子供とその親達に囲まれて生活するようになったのは、運命なのかもしれない。でも、私は上の診断のどれにも当てはまらない。私は、そのどれでもあってどれでもない「何か」なのだ。そして、それがASかどうかさえ、本当はどうでもいいことなのだ。
ただ、「自閉症」が理解できずに悩んでいる人達に敵対するかのように「自閉症」の子供達の味方をしてきた。何故か解らないけれど、楽だ。そして、一般には奇妙と思われることにもすんなり説明ができた。
それは、私の使命ではあるかもしれないけれど、私自身ではない。本当のキマイラさんは、ただ、誰でもない誰かに向かって日記を書いていたいだけの人だった。人に係わりたくないし、人が恐いキマイラ。そして、校長だろうと教育長だろうと、物怖じしないペンギンの二人を、私は使い分けているわけではない。ましてや、演じているわけじゃない。ドナ・ウィリアムズさんには3人いたキャラクターが、私には二人いるのだ。そのどちらもが私なのだ。
でも、最近キマイラさんは頭が痛い。いったい、私って、何者なんだろう?
2年前書いてこのアスペルガーの館のどこかにも置いてる「アスペのことを知って」というような文章を、某自閉症児親の会が会報に載せたいというので承諾していたが、数ヶ月前、送られてきたのを見たときはちょっと後悔した。「心の声/自閉症者からのメッセージ」という見出しがつけられていた。
また同じとこから次のような手紙。
「早速、村上様の文章について、保護者や先生方から『言葉をもたない、或いはもっていても上手に伝えられない子供達の心の声を聞いたようで深く感銘した。』との言葉を聞きました。さらに、もっと知りたいという声も多く寄せられ……」
ということでいくつか質問が書かれてあった。
なんか違和感があるのだ。
ぼくには自分が「自閉症」であるという病識は持てない。自閉症のなかまのアスペルガー症候群とはいえるかもしれないけど、それだって絶対的なものではない。診断名なんて専門家の立場によるものだし。
ぼくはたまたまアスペルガー症候群の記述に出会って自分はこれだと思い、「アスペルガーの館」を作ったけど、もしもそれよりさきに○○症候群の記述を見つけていたら「○○の館」にしていたかもしれない。そうしていたら、「自閉症者の心の声」などとしてぼくの書いたのが載せられるというようなことは決してなかっただろう。
言葉をもたない、あるいはたいへんに困難な「ほんものの」自閉症者とぼくと、似ているところはあるかもしれない。でもぼくは彼らではない。
アスペルガー症候群という範疇にしてみても、ぼくはそれを代表できるわけじゃない。
ほかのアスペだろうという人とぼくとでは、一致するところばかりじゃなく、ぜんぜん違うところも正反対のところもある。人間だれかとだれかとを比べれば、いっぱい共通点もあれば違うところもたくさんあってあたりまえ。アスペであろうがなかろうが。(だからこの範疇がそれほど意味があるかもほんとは疑問なんだ)
まあ某親の会がぼくにいろいろ訊きたいわけもわからないではない。
ぼくだって、ほかの人がどうなのかって知りたいと思う。
そのうちアンケートでも作ろうかな。「アスペルガーの館」に来てくれている人たちにどんな傾向があるかとか、同じアスペの傾向をもつものでもここのところはいろいろ違うとか、アスペであろうがなかろうがこれはいろいろだとか、いろいろ分かってくると面白いかもね。
「わたしは自分で理解している限り、世の中から疎外されて生まれてきた。さらに後には、その「世の中」にかかわろうとするたびに、今度は自分自身から疎外されることとなった。」
ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』エピローグより
ドナさんと私、そんなにはっきりと自閉症らしい症状を持っているわけじゃないのに、けっこういっぱい共通点がある。いったい、私って、なにもの?
ゆみっち wrote:
>ペンギンクラブの掲示板を見て両方の話題をチェックして、やっと「ああ,皆さんペンギンクラブの方に移っているのね」とやっと納得がいきました。
これ、言われると辛いんですが…。こうなってしまった理由は二つあると思います。
ひとつには、「やさしさ」という親心。
親といっても、「自閉症」やASの子供が理解できないでいる人もいれば、多少は「わかる」という人もいます。(親自身にも「身に覚え」がある場合は、言葉や学習上の困難があまりなかったけれど、人付き合いに苦労している人だと思います。)いずれにしても、自分の子供を見ていて、ASの人達が傷つきやすいのを十分解っている人達です。その親心から場所を移したというのは、解っていただけると思います。
親の方々は自分の子供を念頭において話しています。自分のことしか知らない人には、今病院などで診断を受けている子供達の様子がよく判らないでしょう。そして、親同士でやり取りして行くうちに、≪本人≫にしてみれば身にしみて辛いフレーズが、どうしても出てしまう。個人的に言うと、私=キマイラは、この中で一番年上で子供もいて治療教育もしているし、≪本人≫としてどうなるかも解っているので、みんなを「守りたかった」んです。例えば、
#「変わっている」
といった表現。(書いた方、気を悪くしないでね!)「自閉症」のことが解らない人にとっては素直な気持ちだけれど、言われた方にしてみればいい言葉じゃない。頭では、違う人のことを言っていて、その状況も違っていると解っていてるけれど、自分が言われた時の悪意のこもった口調でその言葉を読んでしまって、一瞬のうちにその時の自分に戻ってしまう。みんな同じかどうか知っているわけじゃないのに。よけいなおせっかいかもしれないけれど…。そういう会話は「ペンギンくらぶ」でしてもらって、傍観者として思いついたことを「アスペルガーの舘」で話題にしてくれたら、と思っているんですけれど、迷惑だったでしょうか?
もうひとつは、「見守りたい」という親心。
言葉の遅れがあったり、書くのが苦手だったり、うまく表現できない子供を持っている人は特に、ですが。あまりこの点に問題がない人達がお喋りしまくっていると、そういう困難を抱えた人達は気後れして、書きたいことも書けなくなってしまうのではないかという気持ちです。
>話の展開が早いので中には何が起こっているのか理解しづらい方もいらっしゃると思います。何日かに1回でいいですから,「現在掲示板ではこういう話題が中心になっている」という簡単なあらすじなり要約なりつけていただけるとありがたいです。
誰か、やっていただけませんか! キマイラさんには、ちょっと荷が重いです。
エアリス wrote:
> 「助けてくれ〜ぇ!」
>
> そう言えば、昔、よく犬に言ったっけ。
ぼくのばあい、昔、絶望的な気持ちになったりしたとき猫に助けを求めてたかな。
(その猫:http://www.asahi-net.or.jp/~fe3s-mrkm/neko.htm)
でも飼い主が思いつめた顔してたりすると猫もおびえちゃって、逃げちゃうんだよね(;_:)
仕事が忙しくてここ5日ほどまじめに掲示板を見ていなかったら、話題が変わっていて何が起こっているのかよくわからなかったです。ペンギンクラブの掲示板を見て両方の話題をチェックして、やっと「ああ,皆さんペンギンクラブの方に移っているのね」とやっと納得がいきました。
話の展開が早いので中には何が起こっているのか理解しづらい方もいらっしゃると思います。何日かに1回でいいですから,「現在掲示板ではこういう話題が中心になっている」という簡単なあらすじなり要約なりつけていただけるとありがたいです。
エアリス wrote:
>「助けてくれ〜ぇ!」
>
>そう言えば、昔、よく犬に言ったっけ。
エアリスさん、おめでとー!
あなたはNo.100をゲットしましたね!
「助けてくれ〜ぇ!」
そう言えば、昔、よく犬に言ったっけ。
謎、その5。
No.49 さるさんが言っていたこと、
#大抵、一人ではできず、徒党を組んでいます。
どうやら、大抵の人は、一人になりたくないから徒党を組むらしい。
ということは、徒党を組まない人は"強い"のかな?
こうやって、共感できる人を探しているのは"心細い"から?
でも、だからといって、徒党を組んで何かやろうとは思っていない。
謎、その6。
こっちは、見ているだけの人が多いみたい。
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© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami