アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
・グルンサさんへ
どうもありがとうございました。
どうも謝謝です。(^o^)。
・一穂さんへ
どうぞオフ会にいらしてください。
メールだしたんで読んでおいてください。
・まろんすさんへ
オフ会は何回もやるのでぜひきてください。
今日も、とつぜんやってきてOKです。
pp.さん、こんにちは。ぶちっていいます。
pp. wrote:
>その彼女の“ADHDの2人の息子”とやらを、ナイフでメッタ刺しにしてやりたい。
>もちろん、彼女自身をも。
>彼女を殺すまでは、私の心は癒されない。
その人を殺しても、その人のお子さんを殺しても、心は癒されないかも・・・
私もある人の事を、とても憎んだ事があります。その人の人生がめちゃくちゃになれば良いと思いました。数年後、彼女に私が当時望んだような事が起こりました。彼女はもとより、彼女と一緒に私を攻撃しつづけていた人達も、みんな巻き込まれて、とても悲しい思いをしました。
じゃあ、私の心が癒されたかっていうと・・・そうじゃなかったみたい。
なんか私もさびしくなってしまいました・・・
憎しみとか恨みは、誰にとってもいいことは生み出さないかもしれないって、思いました。お互い傷つくような・・・
pp.さんの気持ちが穏やかになる日が、早く来る事をお祈りしています。
(ぶち)
一穂(いちほ)さん wrote:
>みるさん wrote:
>>■「発達チャット」オフ会のお知らせ■
>>
>>2002年1月5日(土)に横浜でオフ会を行います。
>・・・オフ会あるんだ、行きたいなぁ〜・・・
>って思ったけど明日じゃん!
>何時からなのかしら。
>近いので行ってみたいな。
いきなりの横レスで失礼します。
時間はPM1:00から、集合場所はJR桜木町駅の改札とのことです。
(ここに、うみねこさんがいるとのこと。[私自身はお会いしたことはありませんが…。]黒いコートを来て、『ガイドブック アスぺルガー症候群』の本を手に持っている、とのことでした。ドタ参加OK、とも。)
詳しくは、No.10007とそれ以降のカキコに詳細が書かれていますので、そちらをお読み下さい。いらぬお節介かとは思いましたが、これが(正確には、みるさんたちのお知らせの方が)一穂さんに届くことを祈ります。(お願い、間に合って!もう届いていれば、このレス、忘れて下さって結構です。)
P.S.みるさんたちへ。私が企画したわけでもないのに、デカいカオしてすみません。
pennpenn58 さんwrote:
> ピアニシモさんの心がどうしたら癒されるのかわからないけれど>人を許さないとは自分が傷つくこと。自分の魂を傷つけること。と>ても苦しいことです。人生はなぜ苦しいことが多いのでしょうか。>よろこびは少なく、苦しみのみが多い。
>
> 私達の障害はわかりづらく理解してもらえない。自分自身でさえ>いったいどうしたら自分の心が楽になるのかわからない。どうした>ら苦しみから逃れることができるのかわからない。
>
> 神に祈ってさえ苦しみから逃れることはできなかった。傷ついた>魂は一生、癒されないのかもしれないですね。人間の一生がいつか>は終わることのみを信じるしかないのかもしれません。
なにがあってどうゆう流れでこうゆう話になったのか、詳しいことは知らないのですが、
pennpenn58さんの言葉、自分に重なる・・・。
わたしも子供の頃・・・そして大きくなってからも・・・
たくさんいろんないじめにあいました。
とくに中学校のときのWってゆう子のいじめはひどかったので、ずっと引きずってました。怨み続けてました。
でも、今はもう怨むのをやめた。
怨むためのエネルギーをその人に費やすことがもったいない、バカバカしいと思うようになったからです。
たぶん当の相手は私のことなんぞとっくに忘れているでしょう。
そんな相手のためにこれ以上心も時間も費やしたくないのです。
できれば許して楽になりたい。
でも絶対に許すことなんてできません。
ただできるのは、怨むのをやめることでした。
それが一番、自分のためになると思ったから。
・・・なぜ怨むことをやめられたのか、どんなきっかけだったかは自分でもはっきり覚えてないけど、
加藤諦三著の「いじめに負けない心理学」という本は役に立ちました。
相手の悪意を見破れなかった自分にも責任があったのだ、と・・・。
そして、ただそうゆう事実があったんだと、冷静に受け止められるようになりましたね。
以前は思い出すだけで涙が出て、体が震えてましたが。
でも、今でも辛いことだらけです、
どうしようもない・・・・。
辛くても生きていくしかないの?
とか思うけどね、
でも今のところしぶとく生きてます。
こんなに遅くなって、いいんだろうか?と思いつつ・・・ちょっとまた出てきました。みなさん、あけましておめでとうございます(この言葉も話題になってますが、言いたいんで言っておきます)。るおうさん、初めまして。ぶちと申します。
るおう wrote:
>私も問題を解説したりします。でも私は人生ゲームを楽しむ気になれないのは、
>
>問題を解説すると、大抵の人は理解できず、もっと怒り出したりするので、
>そういうのをわかってくれる頭を持っている人に解説したいと、いつも思います。
うーんと、私も昔よく「自分としては、きちんと順序だてて説明しているはずなのに、逆に相手との溝が広がる」っていう事がありました。相手との相性なのかもしれません。うちの旦那さんの場合は、解説して最後にはわかってもらえるので、この手を使ってますが、同じやり方だと突然拒絶される相手もいます。
るおうさんの場合と同じかどうか分からないんですが、私の場合をちょっと話してみます。
この世の中には、「感情派」と「理論派」のようなものがあって、感情派の人に理論立てて説明すると、極端に嫌がられる場合があります。これはバランスですから、感情が強くて理論が弱いとか、感情も強いけど理論も同じくらい強いとか、理論が強くて感情が弱いとか・・・人それぞれのようです。私は昔、感情の強い人達に、理論的に説明を続けて、いたーい目に会いました。「ロボットみたい」「人間じゃないんじゃないの?」「気持ちがない」「女じゃない(その人達に言わせると、女の人は例外なく感情的で情緒的なんだそうな。でも女らしくないという所はagree)」・・・そのうちに理解するしない以前に、信用されないっていうか、拒絶されるっていうか、もう話が出来る土台さえなくなってしまいました。何を言っても聞く耳持ってくれないし、何を言っても悪く取られるし。そのうち言ってもいないひどい事を私が言ったとか、してもいないひどい事を私がしたとか言い出して・・・もうメチャクチャになってしまいました。
これから私が学んだ事・・・相手に受け入れてもらわないといけない主張がある場合、相手によって戦略を変える事。感情的な人には、理論で押し通すだけではなく、戦術を変える。特に、理論で逃げ道を作らずに、攻め立てて追い詰めると「窮鼠」にかまれる。
もちろん「長い付き合いをする人か、今回限りか」とか、「身近な人か、それとも会いたくないなら会わないですむ人か」などによっても、やり方を変えます。長い付き合いの身近な人なら、少しずつ自分のやり方、話し方に慣れてもらった方がいいので、自分の姿勢をどんどん見せます。逆に「何がなんでもこれだけはウンって言って貰わないと」という場合は、相手に合わせて、相手が受け入れやすい話し方(口調とか)、内容にします(ただ相手を絡め取るために嘘を言うのは、自分の中では禁じ手にしています)。
感情派の人には、まず自分を受け入れてもらわないと、言っている事がどんなに理論的に正しくても拒絶される事があるようです。
戦略を変えて、これでなんとか生き延びてます。目的をはっきり持った会話は、私にとって、これまた「ゲーム」みたいなものなのかもしれません。もう一人の私は大忙しです(この戦略も担当している)。
(ぶち)
みるさん wrote:
>■「発達チャット」オフ会のお知らせ■
>
>2002年1月5日(土)に横浜でオフ会を行います。
>桜木町の近辺でお昼頃からお茶を飲んだり公園を散歩したり、
>山の手の洋館、みなとみらい21に行ったりして
>のんびりすごしましょう。\(^.^)/
>参加希望のかたは、
>miru_3@hotmail.comにメールをを送るか
>http://www.netlaputa.ne.jp/~oyama/chat/《おむにさんの発達チャット》
>に書き込んでください。
>AS、ADHD、LDの本人、発達障害に興味がある人、そうでないひと
>みなさんの参加をお待ちしています。(^^)。
こんばんは〜(o^w^o)
すごく久しぶりの登場です。
知らない名前と知ってる名前が半々くらいかな。
はじめましての人、はじめまして。
お久しぶりの人、お久しぶりです。
あ〜やっぱここは落ち着く・・・。
自分と似たような悩みを持ってる人って、まわりにはいないから・・・。
ここに来るとやっぱりホッとする。
(ドキドキしちゃうこともあるけどね。)
・・・オフ会あるんだ、行きたいなぁ〜・・・
って思ったけど明日じゃん!
何時からなのかしら。
近いので行ってみたいな。
みなさま あけまして おめでとう? ございます
ふれ wrote:
>
>わたしは子供の頃、夏に海に連れて行ってもらった時、必ずやっていた遊びがあります。浮き袋に身をまかせ、グルグル回転しながら、波間を漂う遊びです。このとき必ず、空を見つめるのが好きで、自分が回るのに合わせて空の雲もグルグル回るので、なぜかそれが楽しくて、かなりの時間それに没頭していました。ずっと同じ方向に回ると気持ち悪くなるので、右まわり、左まわりと変えながら、ただひたすらグルグルグル。。。
グルグルまわるのは楽しいですね。 僕は30代ですけど良く公園でグルグル回ってます。 はたから見たらおかしな人でしょうけど。 いいんです。
http://homepage2.nifty.com/per/useless6/index.htm
pp.(ピアニシモ)さん wrote:
> 私は、いじめる人間が、存在する事が、許せない。また、そういう人間が、発達障害に於けるネットで相当な発言力を持っているのが許せない。そういう人間が、掲示板やHPで、もっともらしい偽善を世の中にまき散らすのが許せない。
済まぬ。悪かった。赦してくれい。
「いじめ」というのは基本的に「自分なりの正しさの押しつけ」である。ただし、意識のレベルと無意識のレベルでの「正しさ」っちゅーものの乖離があると、これは加害者側にとっての「いじめ」であり、加害者が押しつけてくる「正しさ」っちゅーものと被害者が信じている「正しさ」ちゅーものが乖離してると、これが被害者にとっての「いじめ」だったりするのである。
おれやMariaは自分の主張する「正しさ」ちゅーものに自信が持てない。そもそも「正義」なんちゅーものがおおむねうさん臭いものである以上、何かを「正しいこと」として主張するとかいうのはもともとうさん臭い行為なのである。Mariaは自分のことを「取るに足りないキャラ」と主張しておるし(過去ログ参照のこと)、おれも好き放題を吼えている無責任なキャラとして存在しておるつもりなのだが、それなりに「権威」として君臨しとるように思われとるようなのだ。
そんなわけで、我々の発言は人を傷つけざるを得ない。とはいえ、それが「なるべく傷つけんようにしよう」という方面に向かわずに、「どーせ傷つけるんだったら思いっきりやったれ」みたいな方面に向かっちゃうのが我々の悪いトコなのである。
おれとしては(およびMariaとしては)、自分らは「荒らし」となんら区別のない存在だと思っている。で、なまじ「七八割がた確信犯」であるだけに、そこいらの自己欺瞞的な「荒らし」(つまりは意識と無意識の乖離のある連中)よりよっぽど始末が悪いとも思っている。
わしらが「荒らし」めいた行為に過敏に反応するのは、多分に近親憎悪なのである。わしらは自分の自己欺瞞が嫌いなのだ。自己欺瞞をしないとかいうのではなく、自己欺瞞によって現実から逃げている自分らが嫌いなのだ。で、そういう自分が見えてしまう自分が嫌いなのだ。
わしらはそういう穢い人間だから、自分のサディズム(その根源には、「世間に対する恨み」みたいなものがある)をあたかも社会正義みたいものでむりやり合理化して人をいじめる連中の穢さがよく見える。で、そういう連中に自分と同じものを見てしまうので、ついつい叩いてしまうのである。はっきり言って、これは「いじめ」でしかない。おれは警官なのだから犯罪者はぶっ殺していいのだ、みたいな心理と変わりゃあせんのである。
おれには「もっともらしい理屈」で武装し、人をいじめることでしか自分を主張することができない奴の気持がよくわかる。だからといってそいつらを赦す気にはまったくなれない。なぜかといえば、それはおれにとって「自分にとってもっとも嫌いな自分」だからだ。
連中は、おそらく我々にとって「影」なのだ。まかり間違えばというか、ほんのちょっとの差でそういうふうにならずに済んだ我々なのだ。
人間はライオンが人間を喰ったところで「そんなもんだろう」と思うが、人間が人間を喰ったら「なんてこったい」と思う。つまりは、「自分が相手と同じことをしてしまう可能性」に恐怖し、相手が自分と同じ「人間」であることに恐怖するのである。
できうれば、そういう浅ましい人間にならずに済んだことを感謝する気分になってくれればうれしい。赦せ、というのではない。単にそのほうが精神衛生上よろしかろうという配慮からだ。下衆の始末はおれみたいな人間がすればいい。
そんなわけで、おれは多くの人を傷つけてきた。ことしはなんぼかマシな人間であろうと、一応は思っている。あくまで「一応は」だが。
(Mr.Moto)
オレンジブルー さんwrote:
>あ、でもワカンナイ。
>離れ向こう岸で一人で黙々やっているとちょっと怪しいかも(笑)
わたしは、結果的に一人で黙々とやることにきっとなると思います。
やっぱりかなりアブナイ性質なのでしょうか?電波系キティちゃんではないつもりなのですが、本人としては。
truthさん wrote:
>自分探しの旅・・・私はそれがテーマでした。何だか・・・人生の三十路も過ぎたというのに・・・まだ彷徨っている感じです。人生のスタートが自分を知り、自分の出来ることを知り、行動に移す事だとすれば・・・私はまだスタートラインにいるような・・・気がします。
わたしも、未だにさまよっているような感じです。(既に30代なんだし、いいかげんに答えを出したい!とは思うんですけどね。でも反面、答えが出たらtruthさんもわたしも、それに向けて一気に[と行くかどうかはわからないにしても]動き出せるのではないか、とも思うのですが…。いかがなものでしょう?)
>私も大学(通信教育の・・・)をしたり・・・何だか色々手を出しました。出しすぎて、資格が沢山貯まりました・・・。履歴書に書ききれない・・・です。資格も経歴も・・・。でも、果たして・・・何を得たのだろう。黙々と勉強するのが得意だったりするので、勉強は出来るけど、仕事に結びつかないのでした・・・。経歴と資格だけ見ると凄いんですけど・・・。
わたしもいろいろ手出しはしたのですが、この点truthさんとは逆に、終了まで行きついたのは2つだけ。(うち1つが大学卒業[通信課程]だったわけです。)あとは、ものによりけりでした。「学んだことを活かして仕事をしたい」という思いは学生のころから変わっていないのですが、何をすればいいのかがわからない。(それだけに、理想と現実の乖離ぶりには泣けます。ホントに。まあ、メゲてばかりいてもしょうがないのは充分わかってはいるんですけど…ね。)
>今までは、本に押しつぶされて死ぬかと思いましたが、今度は、押入のものが落ちてきて・・・(下の段なのです。)死ぬとか・・・寝ていて考えます。地震が起こったら、埋まってしまうかも・・・。
いらぬお節介だとは思いますが、せめて寝るのは上段にした方がいいのでは…?(確かドラえもんも、上に寝ていたと思いますよ。…記憶違いでなければ。)
>「サンタフクロウス」とは・・・先日行った「寺門孝之」さんという画家の方の個展で・・・(天使の絵を描いている人なのですが。女の人がとってもきれいな絵です。)変な顔したサンタさんが描かれていて、「変な顔・・・」と思っていたら、題名に「サンタフクロウス」と書いてあったのでした。梟人間のサンタさんだったんです。結構・・・そういう言葉遊びが好きなのですが、「これは・・・いい・・」と感激してしまったのです。
「サンタフクロウス」が寺門さんの作品とは、初めて知りました。(わたしも、雑誌か何かで数点だけ作品を見たことがあります。ご回答ありがとうございました。)
また今年もよろしくお願いします。できれば、1度お会いしていろいろお話ししてみたいですね。
お正月にはりきって?たくさんカキコしたので、しばらくお仕事に没頭します。
そういうわけで、カキコ休み(有給ならいいのに)いたします。
…というのは建前で、
いつぞやのぺんぎんさんとこでの騒ぎの前頃、
ここでもなんかいろいろあったなあ。
あの時はなんかわからんけど疲れたなあ〜。
読んでるだけで、なんや、もやもやしたものが溜まっていったよ。
あ〜、なんか気持ち悪い…
ぐお〜、このもやもやを吐きだしたい!!!
が、本音のようです。
ここでのお仲間さん達に被害が及ぶ前に逃げますぅ。「イジメ」をしてしまうといけないので。
では、諸君、サラバじゃ〜。ふはははははは。
るう
Milkywayさん wrote:
>JR京浜東北線の車内アナウンス。
>
>次はー、かんない
>次、わーかんない
↑わはははは!こういう感覚をお持ちの方、好きだわ〜。
ユーモア精神(と言うのかな?)って、持っていたいものですね。
(それとも、失礼ですが単なるダジャレかな、これ?
いずれにしても、読んでる方は楽しい♪)
それにしても、加速度を増してるような気もするこの掲示板。
松の内の間に10,100件に行き着きそう…。
pp. wrote:
>「いじめ」というのは、いつの時代でも、
>「誤解だ」の一言によって、真相が闇に葬り去られてしまうものらしい。
それはいつも良くある話しです。
Maria wrote:
> 明けない夜、満ちることのない月、長くなることのない昼の不安から解放される日が、「元日」なんです。夜はまた明ける。月はまた満ちる。昼はまた長くなって、暑い夏が来る。そうした安心感が、「おめでとう」なんです。
グルンサさん wrote:
> この一節を読んで。「わたしは何?(「誰?」ではありませんよ、念のため)」の問いに答えを出して、心の底から「明けない夜や闇はない」と言えるようになりたい…と思いました。いろいろあれど、まだ人生をあきらめたくない!今までの、いろいろな人たちのカキコを思い返し、しみじみそんなふうに思いました。
じつのところ、Mariaはああ言うておるけれども、人類っつーのは「今年はいよいよダメかもしんない」という不安と戦いつづけておるわけで、めでたかろーがめでたくなかろーがムリヤリにでもめでたくしてしまおう、という鞏固なる意志をもって「めでたい」と言い続けているのである。だから、「めでたいですか? 本当にめでたいですか?」とか訊き返すと、「めでたいっ! 何が何でも、断固として、めでたいっ!」みたいなことになってしまうのである。
アステカ文明では、太陽の勢いが衰えることを怖れて生贄を捧げつづけた。古代ローマでも、うやむやのうちに新年を迎えるためにどんちゃん騒ぎをし、「愚者の王」と呼ばれた生贄を歓待したうえで磔にして天に返した。「イエス・キリストの処刑と昇天」はこれを元にしているとも云われておる(詳しくはフレイザーの『金枝篇』あたりを参照のこと)。だいたい「節目」っつーのは二〇〇〇年問題じゃないけどおおむねヤバいのである。古来、「境界」つーのはおおむねろくでもないものが出ることに決まっているのである。それが証拠に狐狸妖怪幽霊のたぐいはトンネルだの踏切だの橋だの交差点だのといった境界に、おおむね日付の変わる真夜中に出るのである。現代社会においても都市伝説だの怪談だのが生き残っているように、人間は「境界」を怖れる心理からいまだ解放されていないのである。
だから言っておく。薮をつついて蛇を出す愚を犯してはならない。「めでたくないんじゃないか」と思っても、気合を込めて、「めでたいっ!」と断言すべし。でないと、不安をかきたてる「不吉」な存在として、社会から排除されてしまうのである。
ただし、鬱の人間は無理をして「おめでとうございます」につきあう必要はない。パワーを失って鬱を悪化させるだけである。「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」とか呟いて、世間の喧噪を避けて「何がめでてぇんだバカヤロウ」とかいってやさぐれていたほうがむしろ心身の健康には適ったりするのである(ただし静養と栄養と清潔は心がけたほうがいい。酒・煙草・刺激物・暴飲暴食も、なるべくならストレス解消の範囲を超えない程度(あるいは精神の崩壊を食い止めるのに必要な程度)には控えること。ついでながら、緊急非難的に向精神薬に頼るのも有効ではあるから、本格的にやばいと思ったら、あらかじめ懇意にしている医師と相談して頓服として処方しておいてもらうといい)。
夜明けは時が来れば確実に来るのが分っている。だから、まだしも待つことができる。おれはときどき自分が氷河期を前にした恐竜であるかのような気分を感じたりもする。あるいは吹雪がおさまるのを待って雪洞でビバークしている冬山登山者のような気分にもなる。
しかし、我々は恐竜のように愚かでもなければ登山者のように孤独でもない。いや、登山者ではあるかも知れないけれど、少なくとも「無線機」に相当するインターネットという通信手段を持っているのである。その意味で、我々は孤独ではない。もちろん「真の意味で解りあえない孤独」というものを抱えてはいるのだが、それでもこうして繋がっているのである。
今すぐ立ち上がれとは言わない。体力を貯え、気力をふるい起こし、前に進むだけの力が湧いてからでいい。あえて言おうではないか。「あけましておめでとう」。
支えあう力は弱いかもしれない。けれど、微力ながらお互い支えあおうではないか。その決意を込めて言おう。「ことしもよろしく」。
……似合わない。そう思う。厭世家で皮肉屋の私としては。
(Mr.Moto)
あけましておめでとうございます♪
今年もなんとか生き抜いていきたいと思います。
みなさんにとってもよい年でありますように!
>pennpenn58 さん
さいきん思うのは、自分をいじめた人間、自分を軽蔑した人間に対しての
いちばんの復讐は、
「自分が幸せになること」だということです。
大人になって有名になったり成功した人の中には
小さい頃いじめられていた、という人がすごく多い。
それは、自分の不幸を不当なものとして、運命に挑戦する気構えが
生まれていくからだと思う。
だから、「運命」に復讐したいのなら、まず自分が幸福になること。
幸福になるために、生き抜いて、闘わなければならない。
そうして「幸福」を手に入れたとき、
はじめて、今まで自分を迫害した人間を哀れみ、許すことができるのでしょう。
今年の一年を、めでたい、しあわせなものにしていきましょ♪
pp. wrote:
>
>実際に、他のアスペの方と出会うまでは、「同病、相哀れむ」だと思っていただけに、現実に、あるアスペの方から喧嘩を売られてからは、実際、死ぬほど落ち込んだ。
>中略
>二度とそのようなイジメが生じないためにも、その掲示板は永久にこのまま封鎖していて欲しいです。 (ピアニシモ)
ピアニシモさん、まだ落ち込んでいますか。まだつらいですか。私はこの掲示板でずいぶん救われたところがあるので掲示板で傷つくこともあるのだと初めて知りました。でも掲示板で心をさらすって考えてみるととってもこわいこと。心をオープンにした状態で攻撃されたら私も死ぬほど落ち込みます。落ち込んでいます。この掲示板は優しい人が多いのですが。
ピアニシモさんの心がどうしたら癒されるのかわからないけれど人を許さないとは自分が傷つくこと。自分の魂を傷つけること。とても苦しいことです。人生はなぜ苦しいことが多いのでしょうか。よろこびは少なく、苦しみのみが多い。
私達の障害はわかりづらく理解してもらえない。自分自身でさえいったいどうしたら自分の心が楽になるのかわからない。どうしたら苦しみから逃れることができるのかわからない。
神に祈ってさえ苦しみから逃れることはできなかった。傷ついた魂は一生、癒されないのかもしれないですね。人間の一生がいつかは終わることのみを信じるしかないのかもしれません。
pp. wrote:
>去年の春頃、そこの管理人ご自身による、ひどいイジメがありました。
>(今は一連のカキコは削除されていますが。)
その管理人によるイジメというのは誤解です。特定の個人やそのまわりの人を非難する書き込みがつづき、ペンギンさんは疲れてしまってその掲示板を終わりにしてしまいました。
>
>関係ないけど、どうして上記のサイトは penguin ではなく“pengin”なのだろう。
>
>“pengin”だと“ペンジン”になってしまうと思います。
いいえ、日本語のローマ字表記では、ペンギンは pengin で正しいのです。
ある言語から別の言語に外来語として入るとき、その言語にあわせてつづりが変わるというのは普通のことです。たとえば、英語の football(フットボール)がスペイン語に入って、futbol (フトボールと読む)となるなど。
ふれさん wrote:
>ところで、二年参りとは、何のことですか?差し支えなかったら教えてください。
すみませーん、信仰心なくて……。
なんか、書くのも申し訳ない気がしますが、年末と年始に近くの神社へお参りに行くことを「二年参り」と呼んでいました。「ゆく年くる年」(テレビ番組)が始まる頃に家を出ててくてく歩いていくと、ちょうど年末に一回お参りができました。じきに年が変わって、もう一度お参りしたら家路につきます。わたしの場合はそれが二年参りでした。
正しい二年参りがどんなものかは、実は知りません。(知っている方いらしたら教えてくださいな〜)
話変わりますが、海でぐるぐるはわたしもやりますよー♪ 浮き輪にだら〜んと身をまかせてぐるぐる回っていると気持ちいいですもの。浮き輪なしでただ浮いているのも好きです。上を向いて身体の力を抜いて「水死体。うふふふふ」とかって独り言いいながら、ゆらゆらと波にゆれる……カ・イ・カ・ン!(変!ですか、やっぱ?)
遊園地のコーヒーカップも身をのけぞらせて大笑いするほど好きだし、回転ドアもぐるぐる何回もまわるの好きだなぁ。らせん階段は気持ち悪くなってしまうので、歩くのは苦手です。上から見下ろすのは好きかも。
万華鏡は手作りキットをいくつか買ってみたり(娘も好きなので)自作してみたりしました。いいものになると値段もハンパではないので、ネットで見つけたサイトの写真を見て我慢していますが。きれいな模様といったら、フラクタルとカオスの館の画像なども好きです。
わ、なんか余計なことばかり書いてしまいました。すみません。
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