アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
武田好史さん wrote:
> 「いろいろな色彩を見てみたい!」と思う人には、次の本がお薦めです。
> 渋川育由・高橋ユミ著
> THE COLOR 色と配色の事典
> 河出書房新社 4854+税 円
> この事典には232色の色が載っています。印刷で色を指定するときに使う「濃度数字」もついています。
大森総研にあるのは、『色の手帖 色見本と文献例とでつづる色名ガイド』(小学館)です。こちらは三百五十八色。だけど、スカーレットとクリムゾンは出てたけどカージナル(“cardinal”)は出てなくて、「ナンズ・ベリー(“nun's belly”。尼さんのおなか)」なんていう色も出ていません。
池田光男・芹澤昌子『どうして色は見えるのか 色彩の科学と色覚』(平凡社自然叢書)も面白い本です。ライトアップされた東京タワーを見ると、赤い塔を白い光でライトアップしているはずなのに、白い塔を赤い光でライトアップしているように見えてしまうのはなぜか、みたいな話が出ています(百九十七ページ)。
(Maria)
いつも行ってるボランティア先で、ニッセンから送られてくる商品の仕上げをやってますが、
今日は3本ひもを揃えて縛らなければいけないうえに、丈も長くてたたむのには厄介な服が来ました。
私は時間をかけてたたみましたが、たたんだヤツが他の人に直された上に、他にたたんだヤツも「やりなおし」といわれてしまいました。
「やりなおし」と言った人は、見るだけでもイラついてくる人でした。私は腹が立って「私はどう頑張っても出来ないんだから、
もうやりません。みなさんにまかせます」と言いました。物を投げてやりたいくらいでした。
せっかく一生懸命たたんだものをやりなおしさせられるほど苦痛なものはないです。でも、商品として出されるものだし....
でも、どうやったらそういった感情をコントロールできるのかな?そんなことで腹を立てていたら、一生自動車に乗ることも
仕事につくことも無理ですよね。
インディゴ wrote:
>たしかパウル・クレーという画家がこういう色彩の立体モデルを考案しています。
>実物を見たことはありませんが、彼の「色彩論」の中にその話が出てきます。
>色相・彩度・明度を軸にしたグラフのようなもので、補完する(響き合う)色どうしを
>簡単に見つけられるようになっているらしい。
>若い頃本で読んでその立体モデルがすごく欲しかったのを思い出しました。
「いろいろな色彩を見てみたい!」と思う人には、次の本がお薦めです。
渋川育由・高橋ユミ著
THE COLOR 色と配色の事典
河出書房新社 4854+税 円
この事典には232色の色が載っています。印刷で色を指定するときに使う「濃度数字」もついています。
うつ病になると活字を読むのがしんどいという人の気晴らしにも、良い本です。
Maria wrote:
> 青色発光ダイオードも実用化されたし、プラズマディスプレイや有機ELも実用化されています。レンティキュラー・ビーズと蛍光剤の組合わせで「表面」を消しちゃうことだって、現在の技術ではわりと簡単にできるのね。
>
すでにお気づきの方が多いことと思いますが、バラという花には、「こい赤紫」はあるけど、「青」という色がありません。これはバラが「アントシアニン」という花を青くする色素を持っていないからだそうです。英語で「BLUE ROSE」といえば、「ありえないこと」を意味するようです。
現在世界中のバラのブリーダーが、この「青いバラ」の開発にしのぎを削っているようです。恐らくは数十年後、バイオテクノロジーによって、青バラは「ありえないもの」から「真実の存在」へと変貌していくでしょう。
「でも矢車草のような濃い青じゃなくって、シリウス星のような上品な淡い感じの青がベターだな」なんて、私も期待しています。
> 筒井康隆さんが、たしか『玄笑地帯』のなかで、ぼんやりしていた筒井さんが文房具屋さんでなんとなく「ブルーマウンテンを」と言ってしまったら、店員が黙ってモンブランのブルーブラックを出してきて、そのあと「あっ」と気づいて恥ずかしさにのたうちまわったと書いていました。わかるなぁ。
私が唯一持っている万年筆は、モンブランのふとい字(何mmか忘れた)で
色はお気に入りのブルーブラックだ。ちゃんとカートリッジじゃないんだよ。
一生この色と付き合おうと思っていた。
万年筆なくしたけどね・・・。
どの店員さんも、リアクションはとんちがきいている。
きいているなあ。店員さん大好きだー!
私がもし店員さんだったら、すぐさま、モンブランは出せまい。
ヤングマンとも言えまい。
はじめまして。いつもROMしてます。
下の図にレスしたかったんで、自己紹介は後回しでいいでしょうか。
Maria wrote:
> なんでこういうことを思いついたかというと、赤・赤紫・紫・青紫・青・青緑・緑・黄緑・黄とくると、なんとなく黄・黄橙・橙・赤橙・赤とつなげたくなってしまうからだったりする。そうすると、「色の十二方位」みたいな感じになるのである。
>
> 赤
> 赤橙 赤紫
> 橙 紫
> 黄橙 ○ 青紫
> 黄 青
> 黄緑 青緑
> 緑
この図にある秩序は対角線上がキレイに補色になっていることです。
「色の十二方位」っていう言葉に惹かれます。
たしかパウル・クレーという画家がこういう色彩の立体モデルを考案しています。
実物を見たことはありませんが、彼の「色彩論」の中にその話が出てきます。
色相・彩度・明度を軸にしたグラフのようなもので、補完する(響き合う)色どうしを
簡単に見つけられるようになっているらしい。
若い頃本で読んでその立体モデルがすごく欲しかったのを思い出しました。
Lingko wrote:
>くじゃくの羽根。玉虫。おはじき。玉砂利。貝殻。ハトの首。水たまりに浮いた機械油。中古車販売店の万国旗。仁丹。割れた体温計から散らばった水銀。アドバルーン。
>
私にとっても、全部、とても好きなものばかりでしたので、つい喜んで書き込みをさせていただきますね。銀色のもの、虹色のもの、そして空ではためくなんだかきらきら...としたものが、子供のころの私にひきおこした興奮を思い出すと、今でもかなり、どきどきします。
Lingkoさんがあげられたもののほかに、サザエの貝殻の中心にある、柱のような部分を石でがんがんと割ると出てくる、虹色の薄片。コンデンスミルク色なのに冷たく光る方解石。田んぼで光っている銀色と、裏はまたべつの色のねじれたテープ。ピースの箱の中の銀紙。アパートの三階の窓から見下ろすと、星型に光って見える、よくわからないものにもとても心を惹かれました。下まで駆け降りてみても、星型の光のもとは、いつもみつからなかったのですけれど。
BISさん wrote::
> 余談ですが、徹夜明けでDTPで作成した原稿を出力センターに持って行った時に、受け付けカウンターで大声で
> 『コレ、YMCAでお願いしますー!!』と叫んで場が凍りました。
> ええ。CMYKですね。
> 受け付けのお姉さんに
> 『お客様、それはヤングマンでございます。』とつっこまれて私も凍った。
筒井康隆さんが、たしか『玄笑地帯』のなかで、ぼんやりしていた筒井さんが文房具屋さんでなんとなく「ブルーマウンテンを」と言ってしまったら、店員が黙ってモンブランのブルーブラックを出してきて、そのあと「あっ」と気づいて恥ずかしさにのたうちまわったと書いていました。わかるなぁ。
もう十五年も前の話になりますが、1985年の10月号に『法学セミナー』『数学セミナー』『経済セミナー』の表紙が変わりました(デザインは杉浦康平さん)。以来1991年3月までの足掛け七年間『数学セミナー』の表紙には『数セミ』というタイトルが踊っていたのですが、その頃に感じたのが「白を印刷する時代」でした。
それ以前から白には蛍光剤が混ぜられていて、雪の上に白いシャツなんかを置くと青白く光っていたものです。夜光人間(江戸川乱歩にそういうネタがあります)みたいに黄緑やピンクに光るスキーウェアを着たスキーヤーをゲレンデで見たのもそのころだったように思います。スタビロの蛍光マーカー(『スタビロ・ボス』というコロッとしたやつ)が電算業界で普及しはじめたのもこの頃だったかもしれない。で、印刷物に、まず蛍光の白を乗せてから他の色を乗せる、というテクニックがひとつのスタイルとして一般化しはじめたのがその頃だったんじゃないかな? で、岡崎京子さんの『PINK』の表紙なんかがある意味完成型、ないし時代の終わり、という感じがします。
昨今のクラブ(昔はディスコと呼んだけど)はブラックライトが全盛で、女の子がニパッと笑うと歯が光ってたりするもんな。だけどまだまだ使い方が下手だよね。蛍光のスクリーンにブラックライトでシルエット作るとかさ、ケミカルライトや蓄光塗料やEL(エレクトロ・ルミネセンス)と組合わせるとかさ、ストロボ・ライトと組合わせるとかすれば面白いのに。下手するとミラーボールかなんかがぶら下がっててさ、「カラオケパブじゃないんだから」と思ったりします。とはいえ映画の『ブレードランナー』みたいなノリというのもけっこういいぞ。で、近所にエスニックな風情のカウンター式の「立食い」ならぬ「坐り喰い」うどん屋がある(^_^;)。「うどん四つ」「二つで十分ですよ。勘弁して下さいよ」。
もっともレイヴのノリに合わせてキメてくる客もそんなにいないだろうし、光過敏症かなんかで発作とか起こされてひっくり返られても困るといえば困る。
青色発光ダイオードも実用化されたし、プラズマディスプレイや有機ELも実用化されています。レンティキュラー・ビーズと蛍光剤の組合わせで「表面」を消しちゃうことだって、現在の技術ではわりと簡単にできるのね。
ステレオグラフもそうだけど、あたしたちの感覚はすでに自然を逸脱しちゃって「メディア」に向かって適応しつつあるように思います。これって、「自閉症方面の人間」であるあたしたちにとっては、プラスなんでしょうか、マイナスなんでしょうか。興味あるところです。
(Maria)
ターコイズの石が持っている、透けていないが石の表面にヌルリとした
とろみを感じる輝きは、ターコイズブルーの絵の具単色ではだせなくて
どうしても濁った色にみえてガッカリした。しかし絵の具の彩度をあげる
と違う色になるし。しかし、バックにウルトラマリンをぶつけるとがぜん
発光してくる。
ウルトラマリンを単色で使うと、紺の中に強く赤みが見えてしまう。
しかし黄色味をもった赤やバーンミリオンをぶつけてやると真っ青に見える。
とか、狂ったように色をぶつけるのに夢中になった時期があったです。
別に絵を書くのではなく色遊びですね。
反射光で色を出す絵の具という手法で、ビデオやモニター上のCGが持って
いる透過光ならではの彩度はどうやったら出せるか?とか。
私は単色では色をとらえられないです。組み合わせで『色味』を記憶して
います。
ウルトラマリンの絵の具って、カラーインクもポスターカラーもリキテック
スも、何故かシイタケの臭いがするんですけど、あれ染料なんでしょうか?
余談ですが、徹夜明けでDTPで作成した原稿を出力センターに持って行った
時に、受け付けカウンターで大声で
『コレ、YMCAでお願いしますー!!』と叫んで場が凍りました。
ええ。CMYKですね。
受け付けのお姉さんに
『お客様。それはヤングマンでございます。』とつっこまれて私も凍った。
という出来事を武田さんの印刷3原色で思い出しました。
いまだに言い間違える。頭では分かってんだけどなあ。
Maria wrote:
> 赤橙(あかだいだい)と黄橙(きだいだい)という色名を、どこかで見たような気がするのだけれど、周りの人に訊いてみても「知らない」という。それともこれはあたしの造語なのだろうか。
>
> 日本語には、「赤紫」「青紫」「黄緑」「青緑」といった、「色名+色名」という形をした名前の色名がある。「青白い」「赤茶色」なんていうのも、ある。外国語ではどうだかわからないけれど、あたしの知るかぎり、インクの色で「ブルーブラック」というのがあるくらいで、他にはちょっと思いつかない。
>
赤紫には「マゼンタ」青紫には「バイオレット」という名前があります。少し明るい感じのバイオレットが「モーブ」という色で、これが人工染料の「アリニン」の色だそうです。
印刷三原色の紅は「レッド」のことではなく、マゼンタのことを指しています。
マゼンタという色の名前は、イタリアのミラノの西にある町の名前に由来します。
去年あたりは、ややくすんだマゼンタ・シアン(印刷三原色の藍)が若い女性に受けていたようですが・・・
黄緑には他に「萌葱色」という名前があるようです。同じ感じの色を英語では、アップル・グリーンと呼ぶようです。
青緑は英語で「ターコイズ(トルコ石)・ブルー」と呼ぶようですが、本物のトルコ石は日本で「花浅葱」と呼ぶいわゆる水色・空色という感じの色です。
、、、。久しぶりすぎてパスワードわすれてしまった。
こんにちは。
素晴らしい贅沢風景です。満喫してください。ずるいどころかみせびらかしていいんじゃないでしょうか。
体温計を熱湯につけてガラスがパン!と綺麗に輪切り状にはずれて水銀が転がり出るのに夢中になったのとかおもいだしました。
(壊しまくりました。転がしまくりました。)
わたしは幼児期から『お墓』を作りまくる癖があって、団地中に墓をたてまくったのをいまだに周りに笑い話しにされています。
いまでも世界中に墓をたてまくりたいです。
初恋(?)の相手にも墓を送りました。超カッコイイ意欲作でした。
沢山作りました。
とか、いろいろ思い出しつつ、贅沢な世界にウットリしました。
リンコさん贅沢全うしてください。わたしもまっとうするのに人生をかけています。
(問題は勤労よりお墓のほうが優先という部分。わたしは甘やかされてしまったのか。)
あ。話飛ぶですが、あんくさんはザナディさんなのですね。
わたしは以前、書き逃げして失踪したんですけどあんくさん来たからちょっと寄りました。
私は普段、超多弁でやんなっちゃって、逆にここでは喋り難い。
あんくさんとキレイに逆なんだけど、どうも喋りたい事が近しいと思われる。
(勝手に思っているダケ。)
と、いうのを前に書きたかったのだけど休止に間に合わなかったので、今書いたです。
それだけなんですが。では。
Maria wrote:
こんにちは。
> 赤橙(あかだいだい)と黄橙(きだいだい)という色名を、どこかで見たような気がするのだけれど、周りの人に訊いてみても「知らない」という。それともこれはあたしの造語なのだろうか。
私も見たことがあります。色鉛筆だったような…とにかく、耳でなく、目で単語を見た記憶があります。
「スノーホワイト」は「純白」で「ジェットブラック」「真っ黒」ですか。
ホームセンターの、トールペイントコーナーの輸入絵の具で、「スノーホワイト」のとなりに「ホワイト」があるのはこういうことだったんですね。見た目ではほとんど同じ色にみえました。出して塗ってみたい。このコーナー、思わぬ色名とかあって、面白いですよ。でも「色名+色名」は多くなかったと思います。
こういう棚とかを、用もないのに眺めているのが好き。で、順番が乱れてるとムキになって直したり。家の整理整頓はしないのに。おもちゃ屋の「子供がぐちゃぐちゃにした怪獣ソフビコーナー」とか見たらもうダメ…一心不乱に並べてしまう。(マン系はこっち、セブン系はあっち、ゴジラと怪人は混ぜるな!とかね、こだわる。)
ご心配かけた皆さん、すみません。報告です。
ときどき思い出したみたいに襲ってくる罪悪感の発作みたいなモノに掴まってしまった状態で前回の書き込みをしてしまったんですけど、
まー、罪悪感の波はまだ去っておりませんで、「診断を求めて相談に行った先で、屈辱的な扱いを受けず、1回めからすぐまともに話を聞いてもらえた自分はずるいのだから許してはいけない」っていう思いがずっと引っかかってはいるのですが、一応、「これは病気のせいで、一時的なものだ」といちいち頭で思い出しては対抗し、防衛することに成功しております。
そもそも、私は本来、贅沢者のはずなんです。子どものときは自分はお姫様で絶世の美女で(ハゲてたくせにね)で天才(折り紙ができなくて保母さんに体罰受けてたくせに)だと思い込んでいたし、ゴキブリの卵のヌケガラを「大判小判だ!」と思い込んで集めまくり(大判だと思っていたのはクロゴキブリの卵、小判だと思ってたのはチャバネゴキブリの卵のヌケガラ)、「私は大金持ちなのだから、これで世界中のどんぐりは私の物だ」と思ってうっとりしてたような物欲娘だったのですから(おそらく、ゴキブリ事件当時の野望は、世界中のどんぐりを自分の物にすることだったと思われます。どこに置くんだ、そんな物)。
うちの両親は「単純素朴な上昇志向」の持ち主だったと思います。欲しいものがあったら、がんがん残業して、どんどん出張に行って、倹約して貯金して買っちゃえ! って感じの。だから、私の実家では、ほどほどの贅沢は「楽しいこと」として位置づけられてました。むだ遣いは厳しく叱られたけど、「贅沢を楽しみに長時間労働をし、倹約する」っていうのは、正しいこととして、疑われたことがなかったように思います。
私も、「お姫様」として、贅沢はすてきなことだと思い込んで育ちました。毛糸の切れ端、阪神高速の灯、木津川や土佐堀川の水面のきらめき、ビー玉、ダイヤブロックの中に入ってた透明のやつ(レゴは買ってもらえなかったんだな)、糊のチューブのフタ、阪神百貨店の「アラスカ」に連れて行ってもらうこと、タクシーの後部座席。Nゲージは買ってもらえなかったけど、本物の環状線、本物の京阪線はうっとりするほどきれいでした。
何よりもきれいだと思ったのが、近鉄の石切あたりの車窓から見おろす夜景。良い子は死んだら極楽に行くと信じていたから、石切が極楽だろうかとも思った。でも、極楽は西にあるというから、石切(東大阪)は西ではあり得ない。石切は極楽ではないのだと思うと悲しかった。代わりに、極楽は六甲山牧場に違いないと考えることにした。今になって地図を見たら、六甲山牧場は当時の住まいからは西ではなく北西にあるのだけれど、当時は、駅のきっぷ売場に貼ってある料金表の路線図の形を頭に思い描いていたから、六甲山は西と信じて疑わなかったのです。
石切から見る夜景の次に美しいと思ったのが、天満橋のOMMビルの側面についていた、千鳥格子のような形の東洋ベスロンのネオン。
そして、梅田にあった、オッペン化粧品の、あじさいのようなネオン。
当時はまだ、フェリシモの300色(だったっけ?)の色鉛筆は売り出されていませんでした。でも、母が外国出張のおみやげに買ってきたクラヨラの24色クレヨンは外国の匂いがしました。
ボタン。刺繍糸の残り。フェルトの切れ端。母は既製服を買うのがもったいないと言っては、フルタイムで週に6日働いていたというのに日曜は私や父の服を足踏みミシンで縫っていました。母はセッカチだったから、今思えばかーなりすごい物ができていたとは思うけど。当時はまだ、既製服が安くなる前のことで、布を買って縫った方が安かったのです。
ボタンがとめられなくて、リボンが結べなくて特訓されたのはつらかったけど、ボタンもリボンも嫌いにはならなかった。ボタンとリボンでバッテンボー。母も父も「舶来物の気分」が好きで、だから私も、「舶来物の気分」は好きでした。外国製品の方が優れていると思っているからではなく、開封するときの両親の言葉が幸せとか憧れとかを伝えていたのだと思います。
母はかなりまじめに浄土真宗を大事にしていて、父は曹洞禅に親しみがあったみたいだけど、それとは関係なく、「ヒカリモノと鳴り物と買い物と甘い物」のお祭りとしてのクリスマスを大事にしていて、私はツリーの点滅電球が好きだし、色とりどりの銀紙が好きだし、金属打楽器が好きだし、西洋語の歌のレコードが好きだし、クリスマスといえば私にとってはダイヤブロックが増えたりプラレールの部品が増えたり(そう、Nゲージはもったいないと言って、両親が代わりに買ってくれたのはプラレールだったのだ)する日で、洋楽のレコードがかかる日で、鶏肉が手羽先ではなくもも肉になる日で、不二家のパラソルチョコがもらえる日でした。両親にとっては、クリスマスといえば買い物シーズンで、下着や箸を買いだめする日だったらしく、どうも昔ながらの「正月前に下着や箸を新調」と混ざっていたと思われます。
くじゃくの羽根。玉虫。おはじき。玉砂利。貝殻。ハトの首。水たまりに浮いた機械油。中古車販売店の万国旗。仁丹。割れた体温計から散らばった水銀。アドバルーン。
私はお姫様なんだから将来は王様になって石切にお城を建てて忙しく働いて善政を行なうのだ、戦争も飢餓もなく風船もしゃぼん玉も割れない理想社会を作るのだ、お城の庭ではくじゃくを飼って、私は鶏の丸焼きを食べて、民が善政に感謝してNゲージを寄進してくれて、石切のお城では舞踏会を開いてみんなで葡萄を食べるのだ(舞踏会とは豪華な衣裳を着て葡萄を食べる会だと思っていた)、そして死んだらお葬式ではキャブ・キャロウェイのレコードがかけられて、私は六甲山牧場の西方浄土で泡風呂に入るのだ。
そうなるんだと思ってた。小さいころは。
だから本当は、私は謙虚でもないし、恥じらいのある人間でもないの。白菜とハムのコンソメスープ煮とか、沸騰後6分ゆでたゆでたまごとか、キャベツのバタ炒めとか、カブの茹でたのとか、イチゴとか、桃とか、鶏肉とか、すぐき漬けとか、柴づけとか、いかと梅肉と青じそを巻いた細巻とか、ミスドのエンゼルショコラとかが大好きで、フローラル系の香水が好きで、切り花が好きで、貝殻や真珠やオパールが好きで、スチールケースやら内田洋行やらストッケやらレカロやらの座りやすい椅子が大好きで、天井の高い場所、タテ長の窓のある場所が大好きで、で、本当は街のまん中に住みたい、夜はおうちの窓から向かいのオフィスビルが見えて、残業している人たちが見えて、土日は店が閉まって買い物にも困るような所に住みたい。子どものとき、父が技術関係の仕事をしてて、夜でも呼び出しに応じられるようにってんで街のまん中に住むことを強制(奨励?)されていたせいか、私は今でも街のまん中が恋しい。
街のまん中で天井の高い所に住んで、スチールケースやら内田洋行やらストッケやらレカロやらの座りやすい椅子を買って、香水を買い集めて、お花を活けて、ハムやイチゴやドーナツを食べようと思ったら、きっとすごいお金がかかると思うわ。街のまん中は家賃が高いなんて、小さいころの私は知らなかったんですけどね。社宅は家賃安かったから若いころの両親にも住めたわけだけど、ってことは、会社が差額を負担してるわけで、でもそんなこと、私は知らなかった。
私は、元はといえば、贅沢な人間なんです。ハゲ娘のくせに自分はお姫さまだと思い込み、世界中のどんぐりを自分の物にする野望を目指してゴキブリの卵を集めてたようなやつなんだもの。そして、両親の背中を通して「贅沢を楽しみにがんがん働き、倹約して貯金すべし!」と教えられて、そのまんまにすくすく育ってきたのだもの。学校を続けられない、就職できないっていう現実にぶつかるまでは。根は謙虚でもなければ、恥じらいも知らないヤツなのです。
だからこそ、ときどき、「できる仕事があるってことは、それだけで恵まれているんだから、働きたくても働けない人に申し訳ない」っていう意識に襲われると、身動きがとれなくなるのですよ。元はといえば「がんがん働く」のは正しいこと、楽しいこと、自分にも他人にも役だつこと、って思っているのに、「働けることは申し訳ないのだ」「仕事があるから、ずるいんだ」となると、働いた方がいいのか働かない方がいいのか、わからなくなってしまうでしょ。
でも、結局のところ、「申し訳ない」「ずるい」のは、「働くこと」ではなくて、「働けること」なんだから、働ける以上、働いても働かなくても私は「悪い」「ずるい」ことに変わりはないんですよね。
で、いろいろ考えたんだけど、「働けること」を、「申し訳ない」、「ずるい」、だから「悪い」って思ってしまうのは、働きたくても働けない人や、自分に合わない環境で無理をして働いている人たちを置き去りにしてると思うからなんだけど、それはきっと、自分が働けなかった当時の不甲斐なさ、無力感、不全感を、まだ覚えているからじゃないかと思うのです。だって、学校でもバイトでもしくじって鬱々と暮らしていたのがだいたい10年。その後、見習いとして仕事始めてからまだ3年と少し。自分の名前で仕事をとれるようになって2年たってない。まだ軌道に乗ったとはいえないし、ずっと続いていく保障もない。たまたまめちゃくちゃにラッキーで、恵まれまくってる私でさえこの程度。
で、「恵まれている自分を、ナイフでメッタ刺しにしてやらなくてはならない」って思うのは、「たまたまよっぽど恵まれてないと働ける条件が整わない状況」に対しての怒りを、まちがって自分に向けちゃってるんじゃないかなと思うの。
私はたまたまよっぽど恵まれてたから、楽に働ける環境を掴めたけど、私みたいに「たまたま」「よっぽど」恵まれてなくても、これが最低ラインとして当然保障されるように、ホントはなってほしいの。私が本当にナイフでメッタ刺しにしたいのは、たまたまよっぽど恵まれてた私じゃなくて、たまたまよっぽど恵まれていないとがんがん働けない状況の方だったんじゃないかって気がついたんです。でも、状況は抽象的でつかみどころがないから、人なら形があって見やすいから、で、私は人だから形があるでしょ。
本当は、「たまたまよっぽど恵まれていた私」だって、いつ転ぶかわかんなくて(自由業、自営業なんてそんなもんでしょ?)、ぎりぎりぶら下がっている感じで、しんどくてしんどくて、不安で不安でたまんないんだけど、恵まれてるくせに私が文句を言う資格ないなって思ってしまう。でも、「たまたまよっぽど恵まれていてもこの程度」でしかないから、恵まれている私でさえもたまには文句を言いたくなってしまうわけで、全員がもっと恵まれてたら、私だって、たとえ恵まれていても苦しいときは正直に苦しいって言えるのに。
まあ、そんなわけで、自分の面倒を見るのは悪いことではないという言葉を、外からかけてもらうことを私は必要としてたと思います。私の持って生まれた気質とも、子どものときに教えられてきた価値観とも、本当は、その方が合ってるの。というのか、そこに立ち返らないと、私は私じゃなくなってしまうのです。
「実践障害児教育1月号」を私は読んでいないのですが、幼い頃から療育を受けて来て、周囲の手厚いサポートの元に就労できている若い人たちの座談会をお読みになって怒りを感じられた方々、どうか、彼らを許してあげてください。小さいときに診断されたことも、療育を受けられたことも、彼らが就労にあたって周囲の理解やサポートを受けられていることも、療育の結果、対談ができるくらいに言語能力が発達したことも、彼らの罪じゃないんです。
そして、誰だか知らないけど、座談会という形式で彼らの発言を紹介した専門家の方のことも、どうか許してあげてください。たまたま、分かり易い人たちを例にあげることで、療育の関係者や、職場関係者、就労の援助に当たる人たち、教育関係者、医療の関係者等に、ASの人たちには何が必要かを説明しやすかったのではないかと推測します。
その専門家の目的は、置き去りにされている人たちに、恵まれている人たちの姿を見せつけて、見せびらかして傷つけることというよりは、全体的なサービス水準を底上げしたいということの方がメインだったのじゃないかと推測するわけにはいきませんでしょうか。
私も、洋書を翻訳することくらいしかできないから(それも、出版社が出す気になった本を、受注することしかできないのだから)、できることは限られているのだけれど、置き去りにされている皆さん、14年前から4年前までの私と同じ立場にいる皆さん、どうか、歩みののろい私を許してください。これでも私はがんがん働きまくってるつもりなのです。
そして、少しでも、明日また働く励みにするため、好きなゆで卵や白菜や鶏肉を食べたり、お花や香水を買ったりすることを許してください。いつか、街のどまん中で天井の高い部屋に住むぞなんて空想することを許してください。高い椅子を買うことを目指して貯金することを、足が冷えてるのに気がついたら、すぐに靴下を重ねばきすることを、こまめにトイレに行くことを、脱水の兆候を感じたらあわてて水を飲むことを、道ばたでよそん家のサザンカに鼻を突っ込んでニオイをかぐことを許してください。
私が診断を受けに行ってすぐに信じてもらえたことを、鼻で笑われなかったことを、見るからに目立つ症状が丸出しだったことを、許してください。あなた方を傷つけるためにしたことではなかったのです。当時の私は、診断を求めて相談に行って、普通に丁重に扱われることが、そんな特権的なことだとは知らなかったのです。誰もが、普通に丁重に扱われるのかと思っていたのでした。
これから、診断を求めて相談に行った人が、屈辱的な扱いを受けずにすむよう、そんな「全体的な状況」を作るため、何か役に立つ仕事をしたいと思っています。でも、相手は「全体的な状況」ですから、そんなに直接に急な効果が上がるとは思えません。だから、もう少し、もう少し待っていただけますでしょうか。
そして、白菜のコンソメ煮や、鶏のソテーや、イチゴを食べることで、フリージアを活けることや、都会のまん中に大邸宅を持つ夢を空想することで、仕事がたくさんできるなら、実は、かえってお役に立てるかもしれないのです……。
だから私、一昨日、端ハムとハクサイのコンソメ煮を作りました。ちゃんと、おいしいもの食べてます。今朝も、ブロッコリの塩ゆでと、ゆで卵を食べました。ちゃんと、おいしいもの食べてます。以上、報告です。
この話、そもそもは日本語文法に関する資料を見直していたところから始まったのだけど、「色名」のファイルを整理していたら、「黄赤」という耳慣れない色名が「色」という扱いで入っていた。「色」というのは「グレー」「オールドローズ」とかと同じように「グレー色」「オールドローズ色」とならないような色名。
なんでなんだろう、と思って資料をチェックしたらJISでも使われているマンセル値の定義に使われているのが、以下の五原色(十色)なんですね。
赤(R)
赤紫(RP) 黄赤(YR)
紫(P) 黄(Y)
○
青紫(PB) 黄緑(GY)
青(B) 青緑(BG) 緑(G)
赤紫と黄赤と青緑がそれぞれRPとYRとPBで、青紫と黄緑がそれぞれBGとGYというのがまた不思議です。どういう規則になっているんだろう。
マンセル値にはこれ以外に明度と彩度があるのですが、「明るい/暗い/あざやかな/くすんだ/白に近い/白っぽい/黒に近い/黒っぽい」といった言葉と組合わせてだいたいのマンセル値との対応が表現できるかどうか、とちょっと考えています。たしかJISの規格に入っていたんだけどな。『色の常識』という資料があるはずなんだけど見つからない。ちゃんと整理整頓(それに掃除も)しないとなぁ。
なお、JISの色規格には「ジェット・ブラック」という色があって、対応する日本語の色名は「まっ黒」でした。たぶん「スノーホワイト」は「純白」なのではないでしょうか。色にはイメージがつきまとっており、単に物理的特性だけでは語れない、というお話。
さーて、本職の日本語処理の仕事に精を出さなくちゃ。
(Maria)
こうもり wrote:
> で、話を元に戻しますと、これからのオフ会はアスペの館について
>は独自開催にしようかと思っています。そんな訳でミグさんの側に希
>望があれば、その都合でオフ会を開催するという形にしてもいいと思
>っています。2月9日〜11日以外の土日なら大丈夫なので、都合を
>教えてください。
私的には、土曜日のほうが良いです。(2月9日〜11日は私も予定あり)
1月26日(土)か、2月23日(土)あたりはどうでしょうか?
時間的には、昼か昼過ぎくらいが適当でしょうか?
場所的には、新宿中心で。
予定の融通は利きます。
ミルラさんも、参加を希望してくださっています(ありがとうございます)し、他にも参加を希望してくださる方がいれば、ある程度あわせても良いかと思っています。こうもりさん的には、どうおもわれます?
私的には1月15日まで、参加日程希望日を集ってもいいかな、という気もありますが…。(これ以上長いと、見きれない、決められない、となってしまいそうなので、)ま、参加はある程度「どた参加」O.K.みたいな感じで。
急ぎのカキコなので、おかしいと思ったら、どうかそうお返事下さいませ。
では、取り急ぎ。
赤橙(あかだいだい)と黄橙(きだいだい)という色名を、どこかで見たような気がするのだけれど、周りの人に訊いてみても「知らない」という。それともこれはあたしの造語なのだろうか。
日本語には、「赤紫」「青紫」「黄緑」「青緑」といった、「色名+色名」という形をした名前の色名がある。「青白い」「赤茶色」なんていうのも、ある。外国語ではどうだかわからないけれど、あたしの知るかぎり、インクの色で「ブルーブラック」というのがあるくらいで、他にはちょっと思いつかない。
なんでこういうことを思いついたかというと、赤・赤紫・紫・青紫・青・青緑・緑・黄緑・黄とくると、なんとなく黄・黄橙・橙・赤橙・赤とつなげたくなってしまうからだったりする。そうすると、「色の十二方位」みたいな感じになるのである。
赤
赤橙 赤紫
橙 紫
黄橙 ○ 青紫
黄 青
黄緑 青緑
緑
橙と紫を混ぜても赤にはならないし、緑と紫を混ぜても青にはならない。基本はあくまで赤・青・黄という色の三原色。それを考えると、
赤
橙 紫
黄 緑 青
という三角形(でなかったら六角形)を考えるのが本当かもしれない。これに「藍」を加えると、「赤橙黄緑青藍紫」という「虹の七色」になるのだけれど、こう考えてみると虹って六色だとしてもおかしくないよな、と思う。だけど、今度は赤と紫がつながらないのがちょっと不快。
こういう中途半端な秩序にイライラしてしまうのは、自閉症方面の人間の特性ではないかと思うのだけど、どうなんだろう。
ついでながら、今使っているコンピュータのタコな「かな漢字変換システム」(市販のもの)は「ろっかっけい」と「はっかっけい」で「六角形」「八角形」が出なかった。これもイヤ。
(Maria)
あさかぜ さんwrote:
> PMS(月経前症候群)については、こんなサイトがあります。
> http://homepage2.nifty.com/maika_/index.html
ご紹介、ありがとうございます。
> PMSは主にホルモンのバランスなどが原因で生じるようです。が、わたしはSSRIを服用するようになってから、PMSの症状も軽減しました。体調と精神状態のリンクはあると感じています。
なるほど。
そういう方法もあるんですね。
対処法があると少し分かってほっとしました。
レス、ありがとうございました。
私は多重人格者である。信じていただけようがそうでなかろうが私自身は私をそう規定している。では、なぜ多重人格者がこのサイトにいるのか。それは多重人格者のサイトがほんとうの多重人格の人もいるにはいたがそうでない人もいるおちゃらけたサイトだったからである。
そして私がこのサイトに来たのは私が多重人格者になったそもそもの原因がアスペルガー症候群とADHDにあると思えたからである。私は人と接する時常にストレスを感じてきた。保育園、小学校時代はストレスで髪の毛が白髪になった。中学校の時はうんちもおもらしが癖になってしまいずいぶんいじめられた。そのいじめはなかなか強烈だったので私はそれに耐えきれず多重人格者となった。(強烈に臭いのは私?あ、どうもすみません)
気がつくと自分で知らないうちに変な行動や言動をしてしまいそれは私には恐怖だった。若いときの私は自分がいつか知らないうちに殺人をしてしまうのではないかといつも脅えていた。でもずいぶんたってから自分の他人格を把握してみると私の人格に殺人をするような凶悪な人格はいないということがわかった。
殺人をする人格はいないが困ったのは淫乱な人格が存在したことである。若い頃の私は中学の時のいじめが原因で男性恐怖症だった。しかし、他人格が出現すると男性恐怖症なんてどこかにいってしまい、実に巧妙に男性を誘うのである。気がつけば知り合いの男性のアパートで朝を迎えていたということが何度かあった。実際の私は男性恐怖症なものだからそうなると恐怖である。その後、親しげに私に声をかけてくるその男性達に(複数形である)私は徹底的に無視を決め込んだ。困ったもんである。申し訳ないことである。きっとみんな訳が分からなかったことだろう。
私はできるだけ男性とかかわらずに生きていこうと決心した。それでも失敗は繰り返されたのだが。私の唯一の趣味は読書である。で、ある男性作家にファンレターを出したことがある。一度遊びに来なさいといわれ私は喜んでお宅におじゃました。70歳を越えた人だったので私も油断したのである。しかし70歳を過ぎても男性は男性。セックスを誘われてその時は他人格でなく自分自身だったが孤独なその作家が気の毒でセックスに応じた。
エー、皆さん、すみません。2チャンネルじゃあるまいしセックスセックスとここはきちんとした方たちのまっとうなサイトなのに。でももう少しおつきあい下さい。私はまじめなのです。で、私はその経験から男性作家にファンレターを出すのはやめようと決心した。しかし、またやってしまったのである。結婚して離婚問題に悩んでいた私は精神世界の著作を何冊か書いている作家の方に相談してみたのである。当時の私は前世という概念にかぶれていたので夫との不仲も何か前世の因縁かと悩んでいたのである。その作家の方は親切な方で小さい子供がいる私が遠くに外出できないと言うとでは、近くまで来てくれて直接相談にのってくれると言う。
で、どうなったか。ホテルに誘われました。夫とは離婚しようかとは考えてはいたもののまだ実際に離婚していたわけではなかったので婉曲にお断りしたらその方は大変機嫌を損なわれたようでした。当たり前です。私が悪いのです。重々承知しています。わざわざ忙しいなか逢いに来て下さったその方に申し訳ないことをしました。
そんなわけで私は男性作家にファンレターを出すのをやめることにした。相手に失礼なことをするのが目に見えているので。気のあるそぶりをして実は全然その気がない相手に男性がどれほど腹を立てるか私はよくよく懲りているのである。いやこの表現はまずい。男性にどれほど失礼なことか私はよくよく理解しているのであるといいかえよう。
皆さん、私ははた迷惑な多重人格者です。自意識過剰で被害妄想です。43歳のトドのようなおばさんです。この掲示板で男性か女性かわからないような名前を付けている方。一番ご迷惑をおかけする危険性があるのは女性のような名前の男性です。私に誘われることがもしかしたらあるかもしれません。無視して下さい。
あんくさん、私はあなたの文章のおもしろさに感激しました。思わずメールを送ろうかと思いましたがいやいや男性にメールなど送ってはいけないと考え直しました。でもあんくさんは女性の方だったのですね。安心しました。才気の感じられる文章でほんとうにほんとうにおもしろい。私はこの掲示板が好きです。ご迷惑をおかけするかもしれませんがもうしばらくここにカキコをしてもいいでしょうか。よろしくお願いします。あ、図々しいかな。
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