アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Mr.Moto wrote:
> 「ログ」というのは、丸太に縄をつけて「どぼん」と船端から投げおろし、船(帆船である)の速度を測ったことに由来する。
船の速度の単位としてノット(knot)が使われます。
ノットとは結び目の意味です。
丸太につないだ縄に、一定間隔で結び目を作り、流された距離を結び目の数で測ったことが語源です。
飛行機の速度にもノットが使われるんでしたっけ?
まさに青天の霹靂(こんな字でいいんでしょうか。辞書を確認する心の余裕もないんで、変換したまま)、えええええええええー!!!と言う感じです。
で、今日は文章もめちゃくちゃです。
敬語を気にしてたら書けません。許してください。
>鯨夢ミグさん wrote:
>それは置いておいて、白くんはASと女性心理の違いを認識しているか、というこ>とが少し気になったんです。
>それは、彼女に対しての特別な感情の話をしているのではなく、誰にせよ、深く関>わりたいと思えば、やっぱり根本的に分からないと、どうしようもなくなってくる>部分ってあると思います。
>>それは無理なことなんでしょうか。
>無理だと思いますよ。
>と言うか、そういう考え方は止めたほうが良いんじゃないかしら?
>白くんは、若くて、ロマンチストで熱血なタイプだと推測します。
>情熱は、大事です。
>けれど、人間関係で、深く関わりたいタイプは往々にして、男同士ならいい関係が>築ける性格ですが、こと、男女間の係わりに関しては、そうでもないほうが多い。
>なぜか?
>男同士では良しとされることが女性社会ではそう、取ってもらえるとは限らない。
>多分、白くんの躓きの原因はその辺にもあるのではないでしょうか?
これって、これって、武田さんが何度も書いてくださっていたけど、全然分かってなかった!
そういう意味だったんですかー???????!!!!!
それで、適正距離とか縄張りとかいうのも、一応理解したつもりだったんですけど、でも、でも、わかってなかった。
僕って、ASが理解できないんじゃなくて、女性心理が分かってなかったんですかー???!!!
さっき、他の方にもレスをしようとして、ふとミグさんの書き込みを読んで、ショックの余り、一時間ほどその辺を走りまくって来てしまいました。
その間ずっと考えていて、どこを走っていたのかなんかあんまり覚えていないくらいなんですが、確かに、そうかもしれない。
それでふっと思ったんですけど、僕は、恋人と言うものを、「女の子版の親友」のようなものだと思っていたかもしれません。
もちろんそんな風に意識はしていなかったけれど、お互いに分かり合って、何でも話せて、それで進路のことなんかも相談して、一緒に夢に向かって勉強しようとか、なんかよく考えれば、そんなことを考えていたと思うんですね。
それって・・・、男同士のノリだったのかも・・・。
でも、女の子は、そういうことは望まないんですか。
なんかよくわかりません。
相当動揺してます。
でもね、僕はアスペのことを信頼できる二人だけに話したんですけど、一人は、医学部志望で、自閉症のことなんかもちょっとは勉強したことのある僕の中学時代からの親友、もう一人はこれもまた、どういうきっかけからか心理学にちょっと興味を持っている僕の社会人の兄。
どちらも専門的なことなんか分からないけれど、「自閉症、なにそれ」と言うような人間ではなく、僕の性格も、もしかしたら僕自身より、客観的に見ているのではと言う人間で、その二人が僕の話をさんざん聞いて、それぞれ、「それはなんか普通の反応じゃないな」と言うんで、てっきり彼女の不可解な反応はひとえにASのせいだと思ってたんですが。
でも、よく考えれば、この二人も男だしなあ。
確かに今までは、女の子と真剣に関わりたいと思ったことがなかったんですよねえ。
>>分からないまま接していくのは、すごく不安です。
>>いちいち反応や態度を気にして、何かまた悪いことをしたんだろうかとか、なに>>か気に入らないんだろうかとか、やっぱり考えてしまうし。
>考え過ぎ。
>人間、機嫌伺いされて喜ぶ人もいますが、そうでない人も同じくらい多い。
>自分の機嫌を取ろうとしている相手なんて、下心ありありで気持ち悪い。
>あんまりにご機嫌取り激しいと、畜生、こいつ、何か貢がせて挙句に振ってやろう>か、くらいに考えたくなるくらい、人間としてのプライドを疑う。
確かに僕だって、ここには同感です。
何回か書きましたが、自分で納得していないことを、ASの人へのマナーだと思ってやろうとすると、なんか、そんなふうにして、相手に気に入られようとしている自分が、すごく情けないような気がして嫌なんですよ。
自分らしくないって言うか、こんなことしてなにやってるんだろうって。
でも、自分なりの誠意で接しても、相手に通じなければ失礼なだけですよね。
この辺りには僕にも相当の葛藤があって、だからわかりたい、理解できなければ、とても出来ないと思ってしまうところなんですね。
>>でまた、彼女はそんなふうに、気を遣われ過ぎることが嫌だとも言っていたらし>>いんですね。
>まあ、そうよね。
>それは、当然よね。
で、こういうことを聞くと、ええっ、当然なんですか、と思ってしまう。
またやってしまったと思うわけです。
今は、この辺りのことは少し理解したつもりでいますが。
>>でも、真剣に関わりたいと思えば、どうしても慣れるだけではすまないことがあ>>ります。
>その、「真剣」が問題。
>恋愛とか、はれた惚れたの次元では、人間つい、そう「真剣」とか、「必死」にな>ってしまいがちだし、それで恋人を手に出来る人もいる。
>だけど、恋愛小説じゃないんだから、そんなに根、詰めないほうが良いと思うんだ>よね。そういうのって、「重い」から。
>ライトな感覚の友達関係から、なんとなくの恋人関係を目指したほうが、いいよう>な気がするのは、白くんより人生10年ほど、長く生きているせい、かしらね。
で、ここに戻る訳です。
ライトな友達感覚?!
僕は友達にライトな感覚では接してないですよ。
ライトなヤツはただの知り合い、友達というなら、深くつきあうやつ。
だから、すごく好きなやつでも、場合によってはぶん殴ってやろうかと言う気になるほど腹が立つこともあります。
本当に殴り合いのけんかをした経験はまだありませんが。
でも、それで分かり合うって言うか、なんというかなので、当り障りのない話なら、してもしょうがないと僕は思っています。
それで、彼女との経過を書いていた前の僕の書き込みは消してしまいましたが、過去ログ9488みどりさんの所に引用で残っていたので、ちょっと見てください。
>「わざとだろ」と言うと、「え、わざと!?」と、一瞬すごく傷ついたような表情>をしたんで、あっと思ったんですが、つぎに「それでいい、そう思っているとおり>でいい」と言うので、僕もムキになって、「分かろうと思って聞いているのに」と>言ったんですが、今度は「わかってくれなくていい」と言われてしまいました。
>僕がわざとだと言ったのが傷つけてしまったのだと思いますが、普通ならここでけ>んかになっても、かえってお互いの気持ちをぶつけ合えると思うんですが、
これもあえて相手の心に踏み込むことで、本音の部分を聞き出したい、けんかになってもいいからぶつかってみたい、そのほうが逆にきっと分かり合える、自分ではそういう感覚だったのに、全く通じないんであれっと思ったんですが、これも男同士の感覚だったのかと。
僕的には、とにかく色々な駆け引き的なことは苦手なんで、ありのままの僕でぶつかってみて、自分を分かってもらうというやり方しか出来ないんですね。
人のこと、心の中で悪く思ったり、そういうことしているくらいなら、はっきり聞いてやろうと思うわけです。
そういう点、やっぱりかなり不器用ではあると思います。
でも、確かに男同士なら、それで結構やっていけるし、かえって仲良くなったこともあります。
ちょっと前にもどこかに書いたんですが、僕の今までの人間理解っていうのは、「話せば分かる、それでも気の合わないやつもいるけれど」だったと思うんですね。
でも、これも女の子には通用しないのかも。
要するに、僕は男であろうが女であろうが、アスペであろうが外国人であろうが、人間である以上、わかりあえないはずがないと、意識していたわけではありませんが、思っていたようです。
そして、そう長い人生を生きているわけではありませんが、いままでそれで何とかなって来たんですね。
でも、でも、そうじゃないのか・・とちょっとショックで余りまともに考えられません。
確かに、今までの成功パターンは全部男同士だったんですよねえ。年齢とかそういう違いはいろいろとあったけど・・・。
あー、今思い出したんですが、「どらえもん」の静ちゃんってご存知ですか。
もしご存じなかったら、
足立充の「タッチ」に出て来るヒロインの朝倉南、
ないしは、ポール・パーホーベン監督の「スターシップ・トルーパーズ」のヒロイン、
名前忘れましたが、その女の子。
誰か一人ご存知だったらそれでいいです。三人同じようなタイプです。
この三人は、僕にとって理解できない女の子で、やたらもてるのが不思議で、どこがいいのかと思っていたんですが、女の子に聞いたら、「別に普通でしょ」と言われて、それ以上言えなかったことがあるんですが、もしかしたら、あれはノーマルな女の子だったんでしょうか・・・。
すごくくだらないけど、この件に関しても、どなたかレスしてもらえますか・・・。(かなり力弱くなってます)
>彼女が無視している、イコールこれ以上距離を詰めないで下さい、のサインです。
>今までと同じに接する分には問題ないのですから、それを維持したら、どうでしょ>う?
じゃあ、ここは一応わかりました。
でも、あの、今までどおりに向こうが接してくれないんですよ。
こっちからは一切話しかけてないし、踏み込んだりしてはいないつもりなんですが。
僕としては、普通にしてくれれば、それでもう十分なんです。
もう好きじゃないと言えばいいんですか。
そんなこと言って、余計怒りませんか。(すっかり女性心理におびえている白)
>だからこその、ボランティアよ。
>お互いのボランティア。
>あさかぜさんの仰るように、動いてみるのが一番。
>本当に、ASだと診断され、生きている人間を見て下さい。
このことについては、今は時間的にどうしても無理があるので、無事大学生になれたら、挑戦してみようかと考えています。性格的にたくさんのことはやれないので、しかも中途なことは嫌いなので、じっくり腰を落ち着けて、取り組んでみたいと今は思っています。
あー、でも、ミグさん、はっきり言って下って、本当に有難うございました。
やっぱり抽象的な表現だと、適当に自分の概念で理解してしまっているんですね。
そうじゃないかと思っていたんですが、でも、まさか、アスペ以前のそんなところでわかってなかったなんて、かなりショックです。本当にショックです。
もう少し考えます。
誰でもいいから、一言でもいいからレス下さい。お願いします。
漢字に気を使っておられるようなので一言。
Maria wrote:
> こうした行動は、よく「脅迫神経症」の一部として捉えられることがあります。だけど、脅迫神経症における脅迫行動と、自閉症における儀式的行動とでは、質的な差があります。
(以下略)
「脅迫神経症(観念、行動)」(脅し迫ってくる)と書かれることも多いですが、本来は「強迫神経症(観念、行動)」(強く迫ってくる)ですね。
ミルラ、というとどうしても娼婦(その中でも「立ちんぼ」と言われる街娼に近い娼婦)を連想してしまいます。ごめんなさい。
ローマ時代の娼婦というとミルラの小枝を口にくわえているのがお約束だったようです。現代でいう楊枝ですね。「楊枝」という字からわかるように、本来の楊枝(爪楊枝ではなく房楊枝という一種の歯ブラシ)は柳の枝で作ったものでした。
これは大森総研のメンバーのひとりから聞いたのですけれど、あたしたち関係のオフ会が終わったあとに、特に名を秘す某氏と横浜・本牧のチャブ屋(いわゆる「チョンの間」)街を冷やかしてきたのですが、やっぱりなんとなく恰好がつかないのですね(このあたりの話は過去ログ参照。『「ばかちょん」起源考』なんかもできればお読みください)。娼婦と煙草、というのが記号だった時代もあるのですけれどね(マレーネ・ディートリッヒの『嘆きの天使』かなんかの頃かな?)、その起源はミルラの小枝であったようです。
あたしも子供のころはニッキ(肉桂。シナモンとはちょっと種類が違うとか)とか齧ったしな。今でいうならシュガーレス・ガムのたぐいだと思います。そういえばハリウッド映画だとガム噛んでるストリート・ガールって多かったな。で、ハンバーガー食べるときに、タマネギ除けて食べてたりするの。
あたしは自分のハンドルにこだわりがあるので、つい人のハンドルにも興味をもってしまいます。迷惑かもしれない、とは思っているのですけどね。
(Maria)
風呂糸 wrote:
>こんにちわ風呂糸です。
>最近「わかってるのに出来ない脳」を読んで、
>日本で、脳のSPECT検査をしてくれて、それをADDなどの検査に使ってくれる病院をさがしています。
>以前僕も3軒くらい精神科を訪ねましたが、僕の外見とかを見て、テストなどもせずに医者から「あーキミは違うねー」とかいわれ、そういうアホな医者に1から10まで説明して理解してもらう気力も失せて「あーそうですか(-"-x)」と帰ってくる状態で、未診断です。
>
それもそのはずです。日本でSPECTのような「脳シンチ」といえば「脳梗塞の診断に使うもの」で、まだまだ「大学病院で行う高度医療」の域を越えていないのです。
ADHDなどに使用をしようとしないのは、医者が「あほ」というのではなくって、SPECTで使う放射能で標識した「放射性医薬品」の値段が非常に高値であるという現実によるところがとても大きいのです。
なぜ放射性医薬品が高値かと言えば、人体への有害な放射線を極力抑えるために、半減期の比較的短いテクネチュウム99などの放射性核種が用いられ、薬の劣化が早く、そのため薬を注文して・生産し・供給するという流通が、速くスムーズに行われる必要があるからです。(そのため検査に遅刻してしまうと、病院側も患者側も大変な損をすることになります!!)
そういった値段の高い不安定な薬を使用するわりに、極めて明快な診断結果を得られる、いわば「デンカの宝刀」のような設備なので、お医者さんに「こんな何でもなさそうな患者に使うよりも、こっちの言葉が話せなくなったかわいそうな患者さんの脳の損傷部位を調べるのに使おう!」という意見が出るのは、当然のことといえるでしょう。
発達障害者や高次脳機能障害者・精神障害者専用のガンマカメラ(SPECT撮影機)を前処理になれた検査技師・脳機能に理解のある医師が活用している医療機関があれば、私たちが助かるばかりでなく、脳の感情制御や言語処理・視覚機能などのしくみの研究がさらに促進されるものと思います。
グルンサさん wrote:
> 今さらながらの質問ですみませんが、「レス」と「ログ」って、どう違う(もしくは、使い分け?)んでしょうか?
「レス」は「レスポンス(response)」の略で返答・返事・返信の意で、「ログ(log)」は「丸太」の意味だ。
……ここは「ちゃうやろっ!」とツッコミを入れる場面である。
「ログ」というのは、丸太に縄をつけて「どぼん」と船端から投げおろし、船(帆船である)の速度を測ったことに由来する。つまり、「速度×時間」と天体測量によって測った緯度から船がどこにいるかを推定したのである。天体測量から経度を割り出すには航海用クロノグラフの発明を待たねばならなかったのである(現在は電波航法や衛星航法や慣性航法が発達しとるからこんな面倒臭いことはしていない)。
で、こうした航海記録を記録した日誌のことを「ログブック」と呼ぶのである。そんなわけで、「日々の記録」のことを「ログ」と呼ぶ。とはいえ電算業界では「残作業」(積み残し作業)のことを「バック・ログ」と呼ぶ用法もある。
……しかし、電算業界も日進月歩(ドッグ・イヤーという表現もあったな)なもんだから、おれなんかは「古老」の部類だろうな、と思う。で、「わしらの若い頃はのう、RAMの価格が1ビット1円を切ったちゅうてなぁ、そりゃあ喜んだもんじゃ」とか「あれは島正利さんがインテルにおった頃でのう、i4004やら、i8080やら、そりゃあ憧れたもんじゃ。とはいえ、当時はまだお遊びみたいなもんでのう、TTLコンパチのi8080Aが出たときには『ついにわしらの時代が来た』と思ったもんじゃ。そのあとZ80が出たときにはそりゃあ感動してのう。知っとるか? あの『ゼビウス』はZ80が五個で動いとったんじゃぞ?」とかいった話を延々と語り続けて若い連中に嫌がられるのだ。
「バグ」の語源に至っては、もはや知るものとていないのではないか、と思う。そのうち書いておこう。
(Mr.Moto)
こんにちは、ミルラです。
オフのお話が早速具体化の運びとなりましたようで嬉しく思っております。
こうもりさま、鯨夢ミグさま、お手数をおかけいたしますがよろしくお願いいたします。
1月26日、ぜひ参加いたしたく思います。
2月23日も開催とのことになりましたら都合がつけばぜひにと思います。
17:00まえにはお暇せねばなりませんので
11:30もしくは13:30の早い時間のスタートを希望いたします。
ぴーまん、大歓迎です。しばらく足を運んでおりませんが
自然食好きとしては好きで、ありがたいお店ですので・・・。
それでは楽しみにしております!
今さらながらの質問ですみませんが、「レス」と「ログ」って、どう違う(もしくは、使い分け?)んでしょうか?というのは、白くん宛のカキコの文中(No.10341での「最新のレスの上に(以下略)」)を読み返して(投稿後というのが情けない…)、「あれ?これってもしかして『レス』でなく、『ログ』?」とやっとこ思ったわけです。お手数ですが、どなたか教えていただければ幸いです。
P.S.白くんへ。引用部分では「さん」にしたまま、気づかなかった…。失礼!
まずはおめでとうございます。
悩んでいらっしゃるようですが、まずはやってみましょうよ。
ただストレスで気が変になりそうになった時、周囲の雑音が入らない所(私の場合「トイレ」)を探さないといけないのかな?と思います。
競うわけでもないですし、マイペースが大事ですよ。
では。
白 wrote:
>他のレスして下さったみなさんにも、少しづつレスしていきますので、遅くなりますが、どうか許してください。
まあ、ゆっくり考えて下さい。
私は思ったことを、ゆっくりと書くまでです。
参考になるか、ならないか。
それは、全く分かりません。
白くんは、彼女はASではないかと思って、ここにたどり着いたんだと思った。
違ったかな?
私的には、どんな理由からであれ、ASという障害を認識し、理解しようと努める白くんが、こちらのH.P.に書き込みをして下さることは、とても良い刺激に、また、勉強になります。勿論、嫌だとは思いません。どんどん、果敢に考えていって下さい。
白くんは、高校生です。
私からみれば、青春真っ盛り、白くんも周りも。
それは置いておいて、白くんはASと女性心理の違いを認識しているか、ということが少し気になったんです。
ひどく率直に言えば、白くんは女性心理とASを勘違いしていないか、ということです。
もちろん、白くんも彼女も、先ずは人間です。
そして、白くんは男の子で、彼女は女の子です。
勿論、彼女がASだったり、自閉傾向のある性向であったりはするかもしれません。
白くんは、ASという性向の全体を掴もうと、頑張っていてくれます。
それは、この世の中の動きの中で、大いに歓迎すべき傾向だと思います。
ただ、その前に、気に掛かったことがあります。
>またまた私的な例になってしまって申し訳ありませんが、僕だって、例の彼女のこと、「なんとなく」わかっているつもりだったし、今彼女の友達の女の子なんかに聞いてみても、彼女のことを、僕以上に何か理解しているとはとても思えません。
>それはそれでいいんでしょうけれど、実際、僕だって、深く付き合おうとしなければ、それまで普通に楽しく話していたのだから、そのときは、多分、お互いちょっと変っているけど、オモシロイやつかなくらいの感覚だったんじゃないかとも思います。
それで良し、としていないのね、白くんは。(^_^;
女性にとって、特別な関係を求める人間にはある程度、カンも働きますし、警戒しますよ。さりげなく。あるいは無意識に。(男の人だって、そうだと思うけど)
特に、自分にとって、特別な感情を抱いていない相手の場合は、余計な波風は避けたいところです。
特に恋愛好きであったり、モテることが大事な人の場合は違うでしょうが、知り合いか友達の中で、特には望まない相手が、自分が思うより近い距離に入ろうとすれば、人間には縄張り意識というのがありますから、警戒態勢に入りますよ。
特に、正面から入ってくる相手に対しては、「敵」としての位置付けに入りますし、人によって、縄張りの広い人と、少ない人がいます。物理的な例を挙げれば、ラテン系の人間の距離で日本人が体を寄せられれば、間合いを取るため後ずさります。
それと同じように心理的距離、というものもあります。
卵を思い描いてみて下さい。
白身と黄身を包む膜(殻)があります。
まず、白身の部分は友達、という枠です。
黄身の部分は、親友、あるいは恋人、という枠です。
黄身の中心に彼女の心があります。
まず、白くんは卵を外側から彼女の心に近づき、白身の部分に入ります。
人によって、白身と黄身の分量、殻(膜)の硬さが大きく異なるわけですが、多分、白くんは彼女の黄身の部分に入ろうとして、その殻の硬さに戸惑っているようです。
>でも、最初はそれでも、人間である以上、僕は深く人と関わりたいんです。
それは、お互いの距離のとり方の違いです。
彼女が無視している、イコールこれ以上距離を詰めないで下さい、のサインです。
今までと同じに接する分には問題ないのですから、それを維持したら、どうでしょう?
将を射んとすれば、馬から。
彼女に詰め寄って、正面からぶつかるのも、若くて清々しいと言えなくもないけれど、今までどおりに話をし、その距離を保つことは重要では?
その上で、彼女の周りに声を掛け、全員と彼女以上に親しくし、自分をさりげなく売り込んでもらう。
直に自分一人でぶつかるより、勝率は上がるかも知れません。
彼女に、白くんの良さに気付いてもらうことも大切です。
なぜ、ここまで彼女の話を持ち出すか。
AS全体の話をしないか。
出来ないから、です。
もし、白くんの好きな彼女がASだったとしても、それ以前に個人という、パーソナリティーがあります。
>それは、彼女に対しての特別な感情の話をしているのではなく、誰にせよ、深く関わりたいと思えば、やっぱり根本的に分からないと、どうしようもなくなってくる部分ってあると思います。
>それは無理なことなんでしょうか。
無理だと思いますよ。
と言うか、そういう考え方は止めたほうが良いんじゃないかしら?
白くんは、若くて、ロマンチストで熱血なタイプだと推測します。
情熱は、大事です。
けれど、人間関係で、深く関わりたいタイプは往々にして、男同士ならいい関係が築ける性格ですが、こと、男女間の係わりに関しては、そうでもないほうが多い。
なぜか?
男同士では良しとされることが女性社会ではそう、取ってもらえるとは限らない。
多分、白くんの躓きの原因はその辺にもあるのではないでしょうか?
>だから実際の経験で、慣れるべきだと仰っているのはわかっています。
>でも、今のところ、模擬演習は難しく、即実戦に出るしか道がありません。
だからこその、ボランティアよ。
お互いのボランティア。
あさかぜさんの仰るように、動いてみるのが一番。
本当に、ASだと診断され、生きている人間を見て下さい。
彼女は本当にASですか?
>分からないまま接していくのは、すごく不安です。
人間同士、お互い様です。
>いちいち反応や態度を気にして、何かまた悪いことをしたんだろうかとか、なにか気に入らないんだろうかとか、やっぱり考えてしまうし。
考え過ぎ。
人間、機嫌伺いされて喜ぶ人もいますが、そうでない人も同じくらい多い。
自分の機嫌を取ろうとしている相手なんて、下心ありありで気持ち悪い。
あんまりにご機嫌取り激しいと、畜生、こいつ、何か貢がせて挙句に振ってやろうか、くらいに考えたくなるくらい、人間としてのプライドを疑う。
いままで通りが一番だと思うけど。
どうかしら?
>でまた、彼女はそんなふうに、気を遣われ過ぎることが嫌だとも言っていたらしいんですね。
まあ、そうよね。
それは、当然よね。
>ただ、適当に話をして、適当に付き合う関係なら、問題はないと思うんですよ。
良いじゃない。それで。
>でも、真剣に関わりたいと思えば、どうしても慣れるだけではすまないことがあります。
その、「真剣」が問題。
恋愛とか、はれた惚れたの次元では、人間つい、そう「真剣」とか、「必死」になってしまいがちだし、それで恋人を手に出来る人もいる。
だけど、恋愛小説じゃないんだから、そんなに根、詰めないほうが良いと思うんだよね。そういうのって、「重い」から。
ライトな感覚の友達関係から、なんとなくの恋人関係を目指したほうが、いいような気がするのは、白くんより人生10年ほど、長く生きているせい、かしらね。
それとも、今の彼氏のせいかしらね。
>慣れるまでに、決定的に関係が壊れてしまうこともあると思うし。
>(すでに僕の場合、そういうパターンですけどね。)
>唐突ですが、バベルの塔の話を思い出してしまいます。
バベルの塔の話は忘れてしまったけど、無理して積み上げないほうが良い、って言うのもあるんじゃないかしら?
あるいは、白くんの描く理想図に無理があるから、とか。
あ、それから。
得てして男性の方と言うのは、女性に対して、幻想を抱くように出来ています。
それは、なくてはならないものですが、あまり誇大な幻想だと、押し付けられる側は溜まったものじゃありません。美化するのは構いませんが、行き過ぎがないように、気をつけて。手に入りにくいものほど、欲しくなるものでは?
かなり、キツイ物言いで、ごめんなさいね。でも、言い切りなのは、あくまで、私個人の現時点での意見だから、です。文を短くしようと端的に書いた結果ですので、悪しからず。
ASである以前に、人間である、鯨夢ミグより。
やたら長くて、皆様、ごめんなさい。m(__)m
あんく wrote:
> そのかわり運動能力の発達は遅い方で、這い這いは一度もしたことがなく、シャッフリングの状態から、立ち、歩くまでは2歳を超えてからだったそうです。
「シャッフリング・ベビー」の情報は、こちら。
http://www.wise.or.jp/yuchan/new_ikuji/hatatsu/body/020.html
ボトムシャッフリングをする赤ちゃんすべてが、発達障害になるということはないということだが、発達系の専門機関において、その「兆候」としての判断基準になりうることはないんだろうか?
幼少期の私の「お尻這い這い」は、いにしえの8ミリ映写機に収められているのだが、デジタル処理化してくれるところを探して、観返してみようかな。
風呂糸さん wrote:
>また主観などに左右されそうなテストなどでの判定よりも、動かぬ証拠の画像、写真などによる判定、と処方を期待しております。
>
>僕は診断にはこだわりませんが、「わかってるのに〜」に書いて有るように、薬などで自分をサポートして、よりよい状態にもって行きたいと考えているので。
>
>そんなわけで、どなたか知っていたら教えていただけませんか?
さくらいクリニック>http://homepage2.nifty.com/ADD/data/map.htm
。。。というところがありますが、わたしはここに行ったことはなく、どういう検査をするのか知りません。ただ、ADDの専門病院ということで教えてもらっただけなので、電話で受け付けに確認してみてください。
I wrote:
>ここの、「ほかの掲示板へ」をダブルクリックすると、上から3〜4行目くらいのところに「おためし掲示板」の項がありますので、ここをダブルクリックすると、「おためし掲示板」が出てきます。
追加です。「ほかの掲示板へ」をダブルクリックすると、『掲示板Menu』という画面が出て、このタイトルの下(上から3行目)に、「おためし掲示板(書き込み練習用)」という項目があります。ここをダブルクリックすれば、「おためし掲示板」になります。
白さん wrote:
>(前略)実はグルンサさんの書き込みを見たときから、そうレスしようとしたんですが、「おためし掲示板」と言うのが何のことか分からなくて、ここのサイトにそういうものがあるのかと思って探したんですが、結局分からないからレス出来ませんでした。(^_^;)
>一回見てみてください。
こんばんは。せっかく丁寧に教えてくれたのに申し訳ないのですが、我が家のPCには、ATOKがないのだ。(しくしく。)また、「おためし掲示板」については、最新のレスの上に、《アスぺルガーの館に戻る〜WZ BBS対応について》という1行があります。ここの、「ほかの掲示板へ」をダブルクリックすると、上から3〜4行目くらいのところに「おためし掲示板」の項がありますので、ここをダブルクリックすると、「おためし掲示板」が出てきます。(ここで、カキコの練習ができます。最近、私もやりました。)
>それから、
>>本当はこれも、ここに引用したかったのですが、やり方がわからない…。
>
>これは僕は単純に、コピーでここに貼り付けていますが、それが一番いいのかどうかは、ちょっと・・・。
>でも、このやり方で、一応めんどくさくなく、どこの文章でも引用できます。(^.^)
>
>(中略)前にも一度質問したんだけれど、どなたかもう少し楽な方法を教えてくださると嬉しいんですが。m(__)m
↑これは私も知りたいです。
白くん、レスありがとう!(グルンサ)
P.S. 私も、ここに来るようになってまだ2ヶ月半くらいでしかないのです、実は(笑)。で、ここでしかカキコしたことがないというのも同じ。(というわけで、皆さんにいろいろ教わりながらやっています。)だから、緊張しないでね。
pennpenn58さん wrote:
>多重人格で被害妄想と自意識過剰があり、鬱病でナルコレプシーで引きこもりのpennpennです。
へえ、こんにちは。他人のレッテルを、そこまでていねいに貼り付けなおす必要というのは、どこにもないんですって。まあ、No.10276の発言は、Motoのおやじに「純情」呼ばわりされた、私への「援護射撃」と思って、前向きに受け取らせていただこうと思っている私も、相当な被害者意識の持ち主だあな(^o^)。
> 娘に言ったらお母さん、今度は嫌われないようにねと言われました。嫌いな人でもしゃべってみるとそんなでもないもんだよとのこと。お母さんは一人っ子だから人間関係を作るのが下手だよねと。トホホ。娘に説教される親。返す言葉がありません。
親というのがすべて、子供を救えるもんじゃないし、いまじゃ親の方が子供に救われる事だってめずらしくはないんだよね。いやどちらにしても、特別歴史の新しい話じゃない。うちの父なんて、その父親が、当時16歳だった父(つまり自分の子供)に死亡保険かけて、特別攻撃隊に出兵させるところだったんだから。日本が敗戦したことで、ほんの数日ちがいで、父は出撃を逃れ、保険は下りず、そうこうしてるうちに昭和天皇はゴネちゃって、あらゆることがどさくさまぎれになり、青春をめちゃめちゃにされた父に対して、責任とってくれる存在は、結局誰ひとりいなくなっちゃったわけ。
子供が、いろんな救いの言葉かけてくれているうちが花であり、あなたにとっての最大の幸せであるわけですよ。いつか機会を見て、「あんなこと言ってくれて、私を気遣ってくれてありがとうね」と、ひとこと微笑みつつ娘さんに言ってみましょう。
> ドキドキドキドキドキしてます。はあ、なんか運命って皮肉。ああ、迷う。ああ、どうしよう。ドキドキドキドキドキ。生き方をかえようかな。図々しく会社なんていくら首になったっていいんだと。そういう覚悟でないととても勤められない。ああ、どうしよう。ひきこもりで自分の部屋から出るのもトイレの時だけという状態なのに。
別にいいじゃないですか、多重人格だろうが淫乱だってなんだってさ。受付の人と目が合って採用なんていうのは、通常でもなかなかありえない縁ですよ。あんまり期待せず、中ぐらいに頑張ってみてはいかがなものでしょ。ぜんぶに頑張るというのがいけないんですよ。たとえば「仕事先でこれこれこういうことがあった」とか、家族との対話を絶やさないということは、頑張った方がいいけれど、イヤな思いしてまで、仕事場の人間の期待に添えるまでしがみつくっていうやり方はいいことない。娘さんにしゃべってもらえるということは、あなたの状況が、それほど悪いものだとは、私には思えないんですけどね。これで2つもラッキーなことがあったじゃないですか。仕事も決まった、子供に励ましてもらえた、幸せすぎて怖いってやつですかね(笑)?
グルンサさん、僕もPCはつい最近始めた素人なので、余計なことは言わない方がいいかもしれませんが、うちのPCでは、「かお」と入力すると、顔文字の一覧が出てきます。
うちの仮名漢字変換のソフトは「MS IME」なので、グルンサさんちのPCが「ATOK」を使用していたら、事情が違うので分かりませんが、そういう機能が着いていませんか。
僕も前は半角入力でやっていましたが、もしこれで出来たら、ずっと楽ですよ。
実はグルンサさんの書き込みを見たときから、そうレスしようとしたんですが、「おためし掲示板」と言うのが何のことか分からなくて、ここのサイトにそういうものがあるのかと思って探したんですが、結局分からないからレス出来ませんでした。(^_^;)
一回見てみてください。
それから、
>本当はこれも、ここに引用したかったのですが、やり方がわからない…。
これは僕は単純に、コピーでここに貼り付けていますが、それが一番いいのかどうかは、なんせど素人なんで、ちょっと・・・。
実は、ついこの間も、尊敬する人に送ろうとしたものすごく気合の入った長文のメールが、どこか闇のかなたへ消えてしまって、届いてないし、残ってないしで、再現不可能になってかなりメゲた、なんてこともありまして。(T_T)
でも、このやり方で、一応めんどくさくなく、どこの文章でも引用できます。(^.^)
それよりも僕は、レスするときに何故か引用部分(勝手にコピーした部分じゃなくて)が黒字になってしまい、毎回、引用部分の全てに、手で>マークを入れなおしているので、それで結構時間を取られてます。
皆さんこんなことをなさっているのかな?
前にも一度質問したんだけれど、どなたかもう少し楽な方法を教えてくださると嬉しいんですが。m(__)m
今日は、とある老婆の話を書く。
私が今働いている飲食店(勤続3年目)には、小さなイートインがあり、彼女は、店まで足繁く通ってきては、食べて行くのだが。小柄でひどく痩せており、いつもひとりきりで、よたよたと危なっかしく入ってくる。本当は真っ白なのであろう頭髪は、茶色に染め分けられていて―おそらく「おしゃれ」のつもりでもないのだろうが、その染め方というのがじつに、まあ、なんと言うか「独創的」で、私はひそかに“スカンク染め”と名付けている―返された食器は、トレイ中に紅茶がこぼれて海になっていて、販売員の人たちは、「遊んでんじゃないの?」などと、噂するほどだ。
ある日、店に、女子中学生の一団が入ってきて、イートインの一角を占領し、にぎやかにおしゃべりをはじめた。くだんの老女は、そこから1メートルほどはなれた席で、食事をしていた。女子中学生の、華やかなおしゃべりが最高潮に達したとき、老女は、まったくだしぬけに彼女達に声をかけたのだ。「あんたたち、ここに紙落ちてる。ほら紙。これあんたたちの」老女としては、彼女達の若やいだにぎやかで愉し気な雰囲気に誘われ、「自分もなんとかしてその雰囲気に関わらせてはもらえないか」と望んだあげくの行動で、けして悪意はなかったと思われるが、もちろん若い彼女らは、そのような動機など思い至りようがなかったと見えて、そんなふうに声をかけられた途端、あれだけ騒がしかった少女達は、ぴたりとおしゃべりをやめ、まじまじと彼女の方を注目した。老女は、さらに、「あんたたち、急に静かになったね。静かになった」としゃべりかけたのだが、(おそらくとにかく会話を続け、収支をつけようという彼女なりの努力?私はそちらへは背を向ける形で調理しているため、背中越しに雰囲気を察知するほかなかったのだが)少女達は、気味悪そうに老女の方を見返し、それほど時間をおかずそそくさと店を出てしまったのだった。
以上が私の見て取った、とある日の事実の一部始終だ。ほんとうにささいな出来事だったのだけれど、実をいえばこのバーサンというのは、この自分にとって“うちの店に来てほしくない奴ワースト”の一人なのだが(笑)(もう一人、こんどこっちにちょっかい出してきたら叩き出してやりたい、“カラオケおばさん”というのもいる)。自閉系の人間が、「変な奴はどこにでもいて......」などとエラソーに語るのは、笑止千万なのかも知れないけれど、実社会で働いている以上、きれい事じゃなにも語れたもんじゃない。もとより私は偏見だらけの差別主義者だしね。
しかしだ。上のエピソードによって、このスカンク頭のバーサンというのは、その性質行動において、この私という人間が、しばしばやらかしていた失敗の状態と、実にそっくりなのだと気付かされてしまったのでした(ただし、かれこれ5年くらい前までの)。
「人に関わろうとする、積極的な意思はあるのだが、その人に接するやり方が不適切であるため、結果的に相手に撥ね付けられてしまうことになる」老女は、店の者と、金銭のやりとり等をするときにも、けして相手と視線を合わせようとはせず、それでいてなにかしらしきりと話し掛けたがる。いまでは私は、話し相手は地面に埋もれているのかというような、目線をうつむけたまま、年が変わって最初の入店で、「おめでとうございます」のひとことも言わず、だしぬけに「マツモト※ヨシ、もう開いてるねえ、マツモト※ヨシ」などと話し掛けても応じられる人間は少ないということも知っている。今までの自分の人生のうち、数人(非自閉者のグループに混ざって)でしゃべっている中で、自分がしゃべり出した途端、その場の人間全員が、「えっ?」といった感じで固まったまま、異常に気まずい沈黙が流れてしまう原因というのが、話し出すタイミングの見極めがまずかったこと(たとえば誰かが話し終わり、言葉の流れが切れるのを待つとか、誰かの視線が、応答を求めるかのように、自分に当てられているのに気付くとか、「え〜っとあのさあ」みたいな、“クッション言葉”を、前置きに使うとか)、とにかく目を使う、アイ・コンタクトというものが、非自閉者達とのスムーズで好ましいと言える会話には、ぜひとも必要な技術なのだということも、知ってる(いつも100%実践できているかどうかは別として)。ただこの自分と、かのオバーチャンというのは、そういったことを知っていたか知らなかったかというだけの違いだったってことも、いまではようく知ってる。これは知りたくなかったけどな(^oT)。
私は自閉者よりも非自閉圏にある者達の方(「かた」でなく「ほう」と読んでいただきたい)に、さんざん義理があると思ってる。助けられてきてもいるんだ。だから「健常者をすべて消却してしまえ」などと思っている人間ではない。アスペによるアスペへのいじめもある?あって当然じゃないの。人間同士なんだから、3人以上集まれば、イヤな奴というのがひとりも出現しないという保証はどこにもない。どんな摩擦だってあるはずなのだ。そういうことに関しては、私はいっこうに動揺しないし、アスペ同士のイジメの話(個々のエピソードが真実なのかどうかは別として)で、私が傷つくこともないのだ。だから最後に一言だけ、言わせていただきたい。
「ババア、もう店来んな!!(大笑)」
風呂糸さん wrote:
>日本で、脳のSPECT検査をしてくれて、それをADDなどの検査に使ってくれる病院をさがしています。
>
>以前僕も3軒くらい精神科を訪ねましたが、僕の外見とかを見て、テストなどもせずに医者から「あーキミは違うねー」とかいわれ、そういうアホな医者に1から10まで説明して理解してもらう気力も失せて「あーそうですか(-"-x)」と帰ってくる状態で、未診断です。
>
>また主観などに左右されそうなテストなどでの判定よりも、動かぬ証拠の画像、写真などによる判定、と処方を期待しております。
>
>僕は診断にはこだわりませんが、よりよい状態にもって行きたいと考えているので。
私の経験になりますが、大学病院に問い合わせをしてみたところ「まずは診察をして、その上で医師が必要と判断すれば、脳SPECT検査をします」と回答されました。(で、1軒[というのも変ですが]某大学病院に行ったところ、相談したいことの要点にもたどりつかず、返されてしまう始末。[やれやれ。]てなわけで、私も未診断です。)他の方についてはわかりませんが、どうやら診察の方が優先されているのではないだろうか?と思います。でも、気持ちの上では私も同じです。(答えになっていなくて、すみませんが…。)
第1章 「自閉症」の謎を解く
ここで、「自閉症」という「病気」のことをお話ししておくことにします。ただし、自閉症が一般的な意味で病気といえるのかどうかは、とりあえず横に置いておきましょう。よいしょ。(←置いている)
「自閉症」は、「先天性」、すなわち生まれつきの病気だとされています。だから、成長の段階のどこかで「発病する」わけではなく、成長するに従って、普通の子供との「違い」がはっきりしてくる、とされています。
診断のきっかけは、おおむね「言葉の遅れ」です。つまり、三歳くらいになっても、ほとんど、あるいはまったく喋んないんですよ。ですから、最初は「ひょっとして、耳が聞こえていないのでは?」とか思ってしまいます。だけど、物音には反応するので、耳は大丈夫。
そうすると、「智恵遅れ」とか「失語症」とかいった言葉が頭にちらついてしまいます。だけど、態度を見ていると智能はそんなに遅れているわけでもなさそうだし、脳の検査をしてみても、多くの失語症に見られるような脳の損傷も見つかりません。はてさて、これはいったい何なのでしょう?
で、ここで「自閉症」の子供には特徴的な「症状」が出ます。これが、「視線が合わない」ということなんですね。「避ける」のではなく、「合わない」。とはいえ「無視する」のでもない。「関心がない」というのでも、ありません。話しかけたりあやしたりしても、なんだか相手にされていない……というか、なんだか「通じてる」という手ごたえがない。物理的・機能的な存在としては認めてくれてるみたいなんだけど、それ以上のものではなかったりします。
これが何度口で説明されてもさっぱりわからない、という人はとても多いです。自閉症の子供とじっくりつきあってみて、ようやく「おお!」と納得するくらいのものです。なにしろ「自閉症」の治療にたずさわっている小児科の医師の中にも、この「視線が合わない」ということがどういうことなのかが分かってない人がいたりします。で、「『自閉症』の子供は、自分の殻の中に引きこもっている」とかいったことを言い、「子供たちの心に訴えかける」とかいったことを真面目に提唱なさってたりします。
困ったなぁ。ぽりぽり。(←頭を掻いている)
「普通の人」は、自閉症の症状を「普通の子供」のリクツで説明しようとします。そんでもって、結果として間違った結論に至ってしまうんですね。ですから、「自閉症の症状」というのは、「普通の人」の振るまいと似てはいても、まったく別物と考えたほうがいい。
そんなわけで、この「視線が合わない」ことを、あたしたちは「アイ・コンタクトがない」と呼んでいます。まあ、「自閉症方面における俗語」くらいに思っててください。
で、次が自閉症名物(←名物なのか?)、「クレーン現象」。口で言わないのはともかく、せめて指差すなり身ぶり手ぶりで知らせるなりすればいいのに、と思うのだけど、しません。そもそも、自閉症児は「指差す」ということがありません。目の前の「これ」を示したいときには、相手の手を取って、「これ」という感じで、そのものの上に置く、ということをします。
ですから、「お母さん、冷蔵庫に入っているプリンを食べていいですか?」なんていうときは、けっこう手間がかかります。お母さんの手を引いて、台所まで連れていって、冷蔵庫を開けて、プリンに「これ」という感じでお母さんの手を置く、ということをします。
たいていの人は、ここまで来る前に「うちの子は病気なんじゃないだろうか」と思って子供を病院に連れてゆきます。で、「お子さんは『自閉症』です」と医者に言われます。とはいえ「自閉症」の診断を受けるまでの紆余曲折というのは並大抵のものではなかったりします。なにしろ、「この子は『自閉症』だ」と自信を持って診断をつけられるお医者さんというのは、本当に数えるほどしかいないからです。こっちの先生とあっちの先生で診断が違う、なんていうのはザラで、「詳しい診断がつきかねるから別のところへ行ってください」といった形でたらい回し・門前払いされるなんていうのも珍しくはありません。
で、診断されたらされたで、「自閉症」という病気は一生治らないこと、大人になっても一言も言葉を話さないケースがあること、現代医学ではほとんど解明されていないことなんかを告げられて、大きな衝撃を受けてしまったりするのですね。
まあ、あたしみたいに「だれも病気だとは思ってなくて、放っといたら治った」みたいな人間もけっこういます。で、大人になってどーも対人関係がぎくしゃくするので調べてみたら、どうやら自閉症だということに気がついて、「おお、そうだったのか」と思わず手を拍(う)ってしまったりもするわけです。もっとも、こういう場合は「自閉症」ではなく「高機能自閉症」とか「アスペルガー症候群」とかいった診断名がつくわけなんですが。
さて、「自閉症」の子供だからといって、まったく喋らないわけではありません。大きくなってくると、ほとんどの子供はそこそこ言葉を喋るようになります。だけど、ここでまたヘンな「症状」が出ます。それが「クレーン現象」と並んで自閉症名物と云われる「鸚鵡(おうむ)返し」です。
で、これは、単に同じ言葉を繰返すということではなくて、本当にテープレコーダーのような「鸚鵡返し」なんです。ですから、
「これ?」
「これ?」
「これでいいの?」
「これでいいの?」
みたいな噛みあわない会話になってしまいます。ふつうは「鸚鵡返し」といっても、
「これ?」
「これ。」
「これでいいの?」
「これでいいの。」
でしょ? こういうのは、相手と同じことを言っていても、「自閉症の症状としての『鸚鵡返し』」とはまったく別です(そんなわけで、「自閉症の症状としての『鸚鵡返し』」を一般の「鸚鵡返し」と区別して「エコラリア」と呼ぶこともあるんですが、「鸚鵡返し」のほうが定着しているのでそっちを使いましょう)。
ですから、猫とお話しする様子を見ても、自閉症の子供は違います。
「にゃー」
「にゃー」
「にゃぁぁぁあ」
「にゃぁぁぁあ」
「にゃー!」
「にゃー!」
……こんな感じで、やっぱり噛みあってません。ですから、
「にゃー」
「にゃ?」
「にゃああああ」
「にゃあ。」
「にゃー!」
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ!」
みたいなのは、自閉症かそうでないかの規準でいうと、「正常」な人間の会話と判定されます。まあ、猫とお話しする人間が「正常」かどうかは意見の別れるところでしょうけど。
さて、この「鸚鵡返し」の段階を脱して、普通の言葉を喋るようになる子供もいます。ですが、自閉症の子供は「赤ちゃん言葉」をすっ飛ばしていきなり大人のような喋りかたをします。
で、こうした「自閉症」の子供が大きくなって幼稚園や小学校のような集団生活の中に入ると、二つの大きな問題が出てきます。「こだわり」と「人間関係というものがよくわからない」です。
「こだわり」というのは、一見無意味に見える動作を何度も何度も(本当に何時間も、そして何日も)続けてみたりとか、お気に入りの物しか身に着けないとか、決まった道しか通りたがらないとか、そういうことです。毎日花壇に水をやるのが習慣だったら、雨が降ってよーが雪が積もってよーが断じて水をやる、というのが「自閉症」の子供です。
「人間関係というものがよくわからない」というのは、なかなかに説明が難しいものがあります。筋は通ってるんだけど、説明不能な「わからなさ」がある。これでは説明になってないような気がするけど、「なにか変」「どこか不自然」「妙にちぐはぐ」「ああっ、わからない。」こういう感じの「おかしさ」があります。そのせいで、家族にも馬鹿にされたり、面と向かって「キチガイ!」とか言われたりとかいった経験をしている人も多かったりします。
さて。
現在、「自閉症」という「病気」は、「先天性」、すなわち生まれつきのもので、成長の段階のどこかで「発病する」わけではなく、成長するに従って、普通の子供との「違い」がはっきりしてくる、とされており、しかも「治らない」とされています。
ところがです。ときどき「自閉症」の症状が、子供が成長するに従って、外見上消えてしまうことがあるんですね。で、多くのお医者さんは、これを「『自閉症』が治った」とは考えずに、「もともと『自閉症』ではなかった」と考えます。へ〜ん〜な〜の〜。じゃあ、それまで存在していた「自閉症様の症状」の原因は何だったのか、と訊いてみたくなります。
ここで、もういちど自閉症の「症状」についておさらいをしておきましょう。
1)言葉の遅れ。
2)アイ・コンタクトが欠如している。
3)クレーン現象。
4)指差しをしない。
5)鸚鵡返し。
6)赤ちゃん言葉がない。
7)こだわり。
8)人間関係というものが、よくわからない。
こうした症状を、統一的に説明する仮説がありうるだろうか、ということを考えてみてください。つまり、「あなたが仮にそうであったら、自閉症患者とまったく同じことをするだろう」と考えられるような原因、というのがあるとしたら、それはどんなものか?ということです。
……まあ、いきなり訊かれても困ると思います。そもそも、こういう疑問を持った人というのが、過去半世紀以上、ほとんどいませんでした。「自閉症」というものは、「ごくまれにしか存在しない、まったく異質なもの」であると考えられていましたので、「ふつうのひと」の延長で考えられることが、あんまりなかったようです。
しかしです。世の中には、成長する過程で自閉症の症状を克服し、「ふつうのひと」とまったく見分けがつかなくなっちゃった自閉症方面の人というのがいるわけです。そんなわけで、「普通の人間」と「自閉症の人間」のギャップというのは、そんなご大層なものではないのではないか、と結論するに至ったのですね、あたしは。
で、あたしが思うに、自閉症というものは、以下のようなものだと思うのですよ。
想像してみてください。
あなたがもし、宇宙のどこかにあるべつの惑星、自分以外の動物……人間を含めて、鳥や獣(けもの)といった動物がまったく存在しない環境で、生まれてからの何年かを過ごしたとしたら。
そして、ある日突然、この地球で、ふつうの子供として育てられることになったとしたら?
あなたは、あなたの周囲で動きまわり、規則的であるようなないような音を発する「何か」がなんであるか分かりません。その何かはあなたに近づいたり遠ざかったりします。
そのうちに、あなたはその「何か」が自分の動作に反応することを理解します。ただ、自分の何に、そしてどのように反応するかは謎です。
あなたは、その「何か」があなたの声に反応するのに気がつきます。そこで、あなたは「何か」の発する音を真似てみます。すると、「何か」はあなたに強く反応するようです。
あなたは、その「何か」が「人間」というものであることをまだ知りません。そしてあなたもまた「人間」であり、その「何か」もあなたと同じように、何かを感じ、考え、理解する存在であることを、まだ知りません。
その「何か」の上端にある構造の一部である二つの透明な部分が「目」と呼ばれるものが、あなたを「見て」いるということにも、あなたはまだ気がついていません。
……そう、これが<私たち>の出発点だったんです。
自閉症の子供にはアイ・コンタクトが欠如している。つまり、「視線が合わない」と云われます。
これはべつに、「視線を避けている」わけではないのですね。<私たち>は、そもそも視線というものを感じていない、あるいは「見られる」ということを理解していなかったんですから。
ですから、「見られる」ということを理解したあとでも、「視線というものを意識する」ということがどういうことなのかが、具体的にというか、感覚的にというか、そういうレベルではよくわかんない、というひともいます。だから、「薄化粧」とか「ストリップ・ティーズ」とか「勝負下着」とかいったら、ほとんど説明不能な概念のような気がします。「見せるのか見せないのか、はっきりしていただきたい」みたいなもんです。
あるいは、ときどき「見られる」ということを忘れちゃうひともいます。ぼんやりしているときに、人前でいきなり着替えを始めてしまうひとというのは、いそうに思います。どーせ誰も見てないんだから家の中では裸、という女性も、いるんじゃないでしょうか。そのまんま応対に出て、「あら、ごめんなさい」なんていう話もありそうです。「見られたら恥ずかしい」という感覚は、なかなか理解しづらかったりします。むしろ、「必要がない限り、人に見せてはいけないものだ」と説明されたほうが、わかりやすい。
ただし、電車の中でケータイで大声で喋ったり、お化粧したり、食事したりしている人が「自閉症」だという訳ではありません。念のため。
そんなわけで、「自閉症の子供は、指差しをしない」というのがあります。あたりまえです。注意を向けたい「他者」といものを意識してないんだから。あなただって、自分以外の誰かを意識してなかったら、指差しなんかしないでしょ? 「いや、私は鉄道会社に勤務していて、指差し・声上げは日々励行している」というひともいるでしょうけど、それはまた別の問題です。
指差しをしないもうひとつの原因は、「自閉症の子供は、障害者として育てられる」ということにある気がします。
最近の研究では、「『指差し』は『つんつん探索行動』から保護者の誤解を媒介にして派生する」という説が脚光を浴びています(『子どもはことばをからだで覚える』中公新書)。つまり、子供が何か未知のものを発見したときに、それを「つんつん」することで、その正体を知ろうとします。そんなわけで、自閉症の子供は「だんごむし」がだいすきです。「わらじむし」はつんつんしても丸くならないので、あんまり好きではありません。
でまあ、普通の子供だと、子供が何かをつんつんしていると、つんつんしているものについて興味があるのだな、と思って、保護者も子供と同じものに注意を向けます。
ところが、相手が「障害児」だと、親の注意は「子供が何かをつんつんしようとしていること」そのものに向かってしまって、「つんつんしようとしている対象」に向かわないんですね。まあ、果物屋さんの店先に並べられている桃を「ぶちゅー」とか潰されてしまったら、お母さん大弱りですから気持はわからないでもありません。ストーブをつんつんして火傷しても困ります。そんなわけで、「『つんつん探索行動』を模擬することで、他者の注意を探索対象に向けることができる」ことを学ぶ機会が奪われてしまうわけです。
次、「クレーン現象」。人の手を取って、よっこらしょ、と目的のものに導いてゆく行動です。
これはたとえば、ぜんまい仕掛けの玩具の自動車を自分の思った方へ走らせようとするのと同じことですね。ただし、これが亀だとかヤドカリだとかだとうまくいきません。頭と手足を引っ込めて、動かなくなってしまったりします。で、忘れたころになって、思ったのとぜんぜん違う方へ歩いていってしまったりします。<私たち>としては、「うーうーうーうーうー!」とかいって、やり場のない怒りに身悶えしてしまったりも、するわけです。
亀やヤドカリには、「亀の都合」や「ヤドカリの都合」というものがあります。だけど、あたしたちにはそれが理解できないから、イライラする†。
(†これと逆のケースが、コンピュータの初心者がコンピュータに抱く怒りだったりします。「おのれはわしを馬鹿にしとんのかぁ!」とかいって怒ってる人がいるけどさ、相手は機械なんだもん。怒ったってしょうがないと思うんですよね。「自閉症者は機械に対する親和性が高い」という話がありますが、その理由は「機械を機械と見る」というところにあるのかもしれません。)
そんなわけで、いま一度「自閉症の症状リスト」をチェックしてみましょう。これです。
1)言葉の遅れ。
2)アイ・コンタクトが欠如している。
3)クレーン現象。
4)指差しをしない。
5)赤ちゃん言葉がない。
6)鸚鵡返し。
7)こだわり。
8)人間関係というものが、よくわからない。
まず、(8)の「人間関係というものが、よくわからない」というのは、そもそも「他者」というものの認識が直感的にできなかった結果であるといえます。そうすると、(1)の「言葉の遅れ」も、語りかける対象としての他者のイメージに問題があったり、あるいは自分と他者の区別がはっきりしない、ということの帰結であると考えることができます。で、このうちの「『他者』のイメージに問題がある」ことと「自分と他者の区別がはっきりしない」ことについては、別の章でまとめて扱うこともします。で、(2)の「アイ・コンタクトの欠如」、(3)の「クレーン現象」、(4)の「指差しをしない」、(6)の「鸚鵡返し」も、同じ「自己」と「他者」の関係の問題でわりと簡単に区別することができます。
ところが、「赤ちゃん言葉がない」「こだわり」の二点に関しては、なぜそういう形で障礙が現われるのかが、わかりにくいんですね。
この二点はおそらくあたしたちが社会に適応してゆくアプローチのしかたに由来するのではないか、と考えています。で、次章はその点について詳しく述べてみることにします。
えー、ここで、余談ながら、この本が書かれるに至った事情についてちょっと述べたいと思います。
あたしたちの中には、それなりにいろんな方法で社会に適応して、中にはあらゆる検査によってもいわゆる「健常者」と見分けがつかなくなっちゃったひともいるわけです。だけど、「どっか違うんだよなぁ……」みたいな感覚は常に残っていて、たとえば恋愛関係みたいな「人間関係が深刻な影響を与える局面」においては、かーなーりー悩みのタネだったりするわけですよ。
だけど、そのギャップを埋めるものがありませんでした。いわゆる「健常者」と、<私たち>の間の橋渡しをするような手引き、というものが、ありませんでした。まあ、「まったくなかった」というと嘘になっちゃうだろうけど、少なくともふつうの人が読んで「なるほど」と納得できるようなものは、ありませんでした。あったら教えてください、ってなもんです。
いままで、『「自閉症」およびその亜型とみられる症候群』に関しては、「それが何であるか」というのがほとんど論じられてきませんでした。その意味であたしの見解はけっこう無謀かつ大胆、そしてひょっとしたらかなり画期的なものだったりします。
そもそもあたしは小児科のお医者さんでもないし発達心理学の専門家でもありません。「自然言語処理」という、あまり一般にはなじみのない分野で研究開発をしている一介の研究者でありエンジニアです。
だーけーどー、なんでか知らないけどいわゆる「自閉症」の原因に関する仮説を思いついちゃったのね。で、よぉーく考えてみたら、あたしも「そっち系のヒト」だったらしいのですよ。で、思いついたことを「そっち系の子供さん」のお持ちのお母さまがたに対してわりと無責任にくっちゃべっていたら、「わかる! 自分の子供がやっとわかった!」みたいに感謝されて面喰らってしまったわけです。
そんなわけで、「<私たち>が世の中で快適に生活でき、<私たち>以外の人たちとうまくやってゆくための手引き」みたいなものを書いてはくれないか、みたいな話になったわけです。
「な、なぜあたしが」みたいな思いはあるのですけれどね。「『誰かちゃんとした専門家に書いてもらいたい』とか言ってると、いつまで経っても出ない。『とりあえず書く』でいいから、叩き台だと思って書け」とあるひと(あたしが所属する、大森総合研究所というところの所長である、Joshyaさんというひとです)に言われて、こうして書くことになりました。しくしく。(ちなみに、この章のタイトルは、映画『博士の異常な愛情:またはいかにして私は心配するのをやめて、核爆弾を愛するようになったか』のタイトルのパクりです)
思うに、<私たち>というのは、本能というのがちょっと不足しているのだと思うのですよ。
人間が文明化してゆく過程で、「文化」というものによって前の世代から次の世代に行動原則を伝えてゆくようになり、それに従って「本能」というものを捨てさってきたわけです。本能に忠実に行動してたら、文化からは排除されちゃいますからね。
ところが、<私たち>というのはちょっと気が早かった。まだ捨てるべきじゃない本能まで、捨ててしまったわけです。で、この世に生まれてきた。
逆にいうと、時代を引っ張ってきたのは<私たち>みたいな人間だった、という自負も、ちょっとあったりします。えっへん。
そんなわけで、この本ができました。お役に立てれば光栄です。ダメだったら、せめて笑ってやってください。あはははは。
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☆コラム/「障碍」と「障害」と「障がい」と「障礙」☆
「障害」という言葉は、昔は「障碍(しょうがい)」と書きました。「障」も「碍」も、「さえぎる/立ちふさがる」という意味です。
ところが、「碍」という字はあまり使われないというので、「障碍」→「障害」という置換えが行なわれたんですね。とはいえ、電気の絶縁に使う「碍子(がいし)」は「害子」になったわけではなく、「がい子」。いやだなぁ、こういうの。「ガイシ」と片仮名で書くこともありますけど、これだとぱっと見て意味がわからない。
それに、「碍」と「害」では明らかに意味が違います。「害」というと、なにやら攻撃的な性格を帯びてしまうではありませんか。「障碍物競争」というと、「走路の途中に、さえぎったり立ちふさがったりするものがある」という感じになりますが、これが「障害物競争」だと、槍襖(やりぶすま)だの吊天井だの陥穽(おとしあな)だのが仕掛けてありそうでコワいです。
(ただし、「はっきり症状と呼べるような機能の低下や喪失があり、本人が苦痛を覚えている」場合は「障害」と呼んでもいいと思います。そこである種の“disease”に対しては、「障害」という言葉を使っていいと思います。)
だから、本当は「障害者」という表記は使ってほしくないのね。なんか、「邪魔になったり迷惑になったりする人」みたいなイメージになってしまいます。そこで、一部では「障がい者」という表記を使おう、みたいな動きもあります。だけど、はっきり言ってこういうのは「胡麻菓子(本来の表記はこれ。「誤魔化し」は当字)」でしかありません。
そんなわけで、“disorder”に相当する日本語として「障碍」という字を使おうかなー、と思ったんですが、<私たち>の多くはいわゆる「新字体」が嫌いなのですね。それより「旧字体」のほうが好き。だってなんか筋通ってないんだもん。
たとえば、「佛教」→「仏教」、「拂拭」→「払拭」という「弗→ム」の置換えが行なわれたのに、「沸騰」の「沸」がそのまんまというのはどういうことか、とか思ってしまうわけです。あるいは「廣大」→「広大」というのも気分がよくありません。
他にも、日本語表現にはいろいろと思うところがあったりします。
「日蝕」→「日食」、「波瀾」→「波乱」、「叛乱」→「反乱」なんていうのも気持悪いし、「えん罪(冤罪)」「すい星(彗星)」「ら致(拉致)」なんていうのもイヤです。「女子高生ら致さる」とかいう新聞の見出しとかを見ると、「女子高生ら」がイタされてしまったのかと思ってしまいます。不謹慎な話だけど。
あと、「行った」が「いった」なのか「おこなった」なのか、「入れない」が「いれない」か「はいれない」なのか、こういうところにもイライラします。ちゃんとルビを振ってくれぇー、とか叫んでしまうぞ。
そんなわけで、“disorder”を日本語で表現するときは、そもそも意味が違う「障害」でもなく、略字を使った「障碍」でもなく、正字を用いた「障礙」を使うことにします。
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