アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
年末年始の休み明け。やっとまともに休めた(というより眠れた)…と、幾分か力が出てきた思いで出てみれば、待ってましたと言わんばかりの電話と書類の嵐。(この辺は皆さん、多かれ少なかれ似たよーなモンかと思いますが…。)
1週間近くかかり、やっとこ半分は片付いたかなと思ってみれば、この3連休明けで、またも容赦ない電話と書類の山。ただでさえ、「複数の仕事を要領よくこなす」ということが不得手な身としては、2週続きの嵐はつくづくこたえる…。
ああ、自分のやりたいこと、得意なことに専念できる人はいいなあ(秘書がつけばなおさら!)、と思うことしきり。もちろん、うらやましがってばかりいないで動け!ということもよくわかる。しかし…目の前のことをさばくだけで、今のところ、せいいっぱいの身としては、まずはまっとうな時間に帰りたい…と思うのである。
現場を離れたからといって、体力的に楽になっても、別のハードさがまたありき…。
うーん、自分を知らないというのはこわい、と思った年明けの、とあるボヤキでした。(自分に不向きなことでも、気がつかないまま過ごしてしまうととんでもない結果に…という実例でした。)もーたくさんだいっ!!『電話と紙の山たくさん→いつまでたっても収集つかない→そして、なかなか帰れない→挙句、睡眠不足→そして、また遅刻→(…以下略)』の悪循環。ネコならぬ、たくさんの人の手を貸してーっ!!と、マジに叫びたい今日このごろ。どこかで、この悪循環を断ち切る方法はないものでしょうか…?(しかし、収集のつかない文になっちゃったな、これ。…いつものことだと言われれば、返すセリフもありませんが…(−−;)。)
どなたか、良い方法がありましたらアドバイスを下さいませ。(「夜中にカキコすんじゃねー!!」ってのは、なしでお願いします(笑)。)
Mariaさん wrote:
> “脅威”ってあーた(^_^;)。あたしは何者だ。
すみません。…言葉が悪かった。要は「Mariaさんは博識だ」と言いたかったのですが、確かに『脅威』と『博識』では違いすぎる…(というより、全然違う)。まことに失礼しました。(せっかくのMr.Motoさんのアドバイスを、早くもパーにしてしまった…。ぐすん。)
> (中略)ミステリーを書きたいなぁ、と思い、いろんな文章をちまちまと書きためていました。で、そういうときに心の支えになったのが、ゴーギャンであり、ゴッホであり、伊能忠敬であり、バーナード・ショウでした。ゴッホが二十七歳のときの作品で『大工』というのがあります。下手だぞぉ? それで八年後には死んじゃうんだぞ?
えっ?ゴッホって、35歳で死んじゃったの?!わたしはもう少し長いかと思ってました。(実は、40歳より少し前くらいと思っていたので…。)
> あたしの技能や知識というものは、毎日の仕事の中で培われ、磨かれてきたものです。(中略)「このネタで一本書けるな」というのをストックしておくのは大事なことです。(中略)で、過去に大森総研で運営していたBBSには雑誌に連載を持っているプロのもの書きがネタ漁りのためにうろうろしていました。
>そうやって「何か使えるネタは」と思ってものを見るようになれば、いろんなものが見えてくるはずです。あたしは「石橋を叩いて渡る」タイプだけど、「走りながら考える」「手なりで指してゆく」「先へ行って考える」というアプローチもよく使います。もっともそれには先行予測と下準備が欠かせませんけどね。それでも「それほど大きな失敗をしないように」くらいの用心程度でいいと思えば難しくないし。(後略)
うーん…。Mariaさんが書いていたようなことを考えたことが全然なかった身としては、一言一言が身にしみました。(と言ったばかりで、また同じ失敗をすぐにやらかしては、おバカなだけですが(笑)。)でも、Mariaさんの今までのカキコ(『ふたりで聖書を』も)は、こういう基盤の上にあるんだな…と興味深かったですね。(この表現が適切かどうか、よくわからないけれど…。)
> このところ、(中略)違いについてちょっと考えていたりします。(中略)
> で、こういう定義を国語辞典の記述と比べてみるとか、これだけで「研究」は始まってしまいます。面白かったらちゃんとまとめて教育雑誌や新聞に投稿してみるとか、ホームページ作って公開するとか、まあ、楽しみ方はいろいろです。東京ディズニーシーやユニバーサル・スタジオに行くより安物の顕微鏡一台買って子供とああでもないこうでもないとかいって遊んだほうが安上がりで教育的だし。
>
> 面白いと思うんだけどな、こういうの。
ここの部分を読みながら、もしかしてMariaさんはこんな子供時代・学生時代を送ってきたんだろうか、とふと思いました。(もちろん、わたしの勝手な想像にすぎませんが。)ここの内容からは外れますが、楽しみながら何かをやれるっていいことだなあ…と思います。今までにやってきたこと等思い返して、楽しめる何か(『こと』、というべきかな?)を探してみようか、という気になってきました。(わくわく。)
また本筋から外れますが、ここのカキコを読んでいて思い出したこと。篠田正浩監督が、ゾルゲ事件を映画に、といった新聞記事を去年(だったかな?)読んだけれど、どんな映画になるのかな?これも楽しみです。(グルンサ)
P.S.できれば外国語学部生時代に、Mariaさんに日本語の先生をしてもらえていたらなあ…とも、ふっと思ってしまいました。
鷲羽丸さん wrote:
> 日本社会を形容するとき、よく言われるのが、「“みんな同じ”の横並び」。
> わしはこのような社会を形成する一翼を担ったのは、教育現場の一部の教師たちではないかと思えてならないのです。(中略)
> 「みんな同じ」が、「異質なものを排除」の考えを生み出してしまったのです。
>
> いつだったか、一部の教師たちの大会で、東京都の教育長が来賓(つまり、教師たちが招待した)として挨拶に立ったところ、なんと彼らは「帰れ」コールを浴びせました。自分たちの気に入らないものを排除する、ということを率先してやったわけです。
> こんな人たちが教師の中にいるのですから、「多様な考えを認める」ことなど望めはしません。
「人は違って当たり前」と言いながら、ウラではこんなんじゃ…。(この表現が正しいかどうかわかりませんが。)多様な考えを認めることを大切なこと、必要なこととして捉えている人も確かにいます。しかし、教師がこんなでは、ね…。
> 不思議なのは、こういった教師たちの実態を、なぜマスコミはあまり取り上げないのでしょうか? ということです。
わたしは、鷲羽丸さんのカキコで上記のことを初めて知りましたが、『社会の木鐸』なんて言葉はどこへやら、と思うのはこういうとき。(そもそも、マスコミ自体が「第4の権力」とも言われるくらいなんだから、その「権力」を使うべきところに使え、と思う。[『使う』という表現が必ずしもぴったりはまるとは思っていないのだけれど、適切な表現が思い浮かばなかったため、あえてこの言葉を使いました。)
現在とは違う意味で、かつて人と「違う」ということに悩まされた身としては、違うということに寛容性のある所に身を置きたい…と思うこともあります。(グルンサ)
P.S.このレス、的外れになっていなければいいんだけど…。(さんざんやらかしてきた身としては臆病になっています、実は。)
武田好史さん wrote:
> 「緑柱石(アクアマリン・エメラルドの原石)」
崎川範行先生によれば、同じベリリウム鉱物(ベリル)ではあっても、エメラルド以外の「緑柱石」はペグマタイト(火成岩の一種である花崗岩の成分鉱物の結晶が大きく発達した岩石)の中で最大何十トンとかいうサイズで発見されるのに対し、エメラルドは方解石の熱水鉱床かなんかの中に黄鉄鉱かなんかと一緒にちまちま発見されるだけ(世界最大のエメラルドは、アンデスのガチャラ鉱山で採掘された1.4キログラムくらいの石です)だし、一般のベリルがけっこう頑丈なのに対してエメラルドはすぐ欠けちゃったりするので、化学組成は同じでも鉱物学的には別の鉱物と考えたほうがいいのではないか、みたいな話をしておられました。だから、アクアマリンやモルガナイトやヘリオドールとは別の宝石、と考えたほうがいいと思います。
(Maria)
みどりさん wrote:
>しかし、普段会話をしているとき、なぜか話がずれていってしまうことがよくあります。
>私は A ということを主張したいのに、なぜか相手にヘンな反論をされてしまいます。そこまでは単なるすれちがいですから (あまり) 問題ありません。
>「違うのよ〜」というわけで、私がA をサポートするためにもちだす B という主張が、大抵、「自分にとって」トンチンカンなものなんです。
>B が A をサポートするという点では大抵あってるんですが、それは私の主張とはかけ離れたものだったりします。
>
>話が終わってから、「ああ私はCという話をもってこなきゃいけなかったのか」と気がついて、愕然とします。
>
>話してる最中、なんでBをがんばって主張していたのか、さっぱりわからないんです。
>
>いやんなっちゃいます。
↑今日はほとんど、このまんまの内容そのものでした…。(電話の会話も、目の前の上司にも。とほほ。)
(配属先をつくづくまちがえたと思う。 グルンサ)
百日紅さん wrote:
> 久しぶりです。
お久しぶりです。m(_ _)m(←つい低姿勢)
> 皆さん何か好きな博物館、美術館、ありますか?
やっぱり「東博」でしょうか。東京国立博物館。あのスケールはやっぱり凄い。千葉県立博物館もスケールが大きくてすごかったです。
目黒寄生虫館は「ぜひ行け」という友人が多いのですが、まだ行っていません(←意外に臆弱者)。
個人的に好きなのは庭園美術館。ああいう洋館って好きです。住むとなると別ですが。「こういう洋館って住んでみたいと思いませんか?」「だけど、一日中掃除してて終わっちゃうような気がしません?」「それは掃除する人を雇うんです(-_-;)」。そんなわけでゲストとして招待されるんならいいな。で、そうすると嵐がやってきて道路が崩れて電話が不通になって殺人事件が起きるんだ。坂口安吾の『不連続殺人事件』みたいなのもいいな。映画『ヘルハウス』や『血と薔薇』みたいなのも好きだぞ。
マイナーだけど気にいっているのは龍子記念館。タツコ記念館ではなくて、日本画家の川端龍子(かわばた・りゅうし)の美術館で大田区の馬込にあります。
日本海海戦の旗艦、『三笠』が博物館になっています。好きです。帰りに売店で「アミラーリ(提督)」という名前のビールを買い、横須賀名物海軍カレーを食べて帰りましょう。博物館じゃないけど、猿島は島全体が博物館みたいなところです。面白いぞ。海水浴場があって、夏場は泳げます。
(Maria)
白さん、こんばんはです〜(←今夜はヘロヘロです〜)
>あさかぜさんのお考え、確かに今の僕は受け止めました。頑張って考えていきます。
ありがとうございます。ぼちぼちやってくださ〜い。あまり深刻に考えると老け込むぞ。(なんちって)
>でも、ここはまだ同意しません。
>間違っているかもしれないけれど、僕は「通じない」ことはないと信じます。
>信じてます。
信じることができるのは、いいことだと思います。自分の立っている場所をきちんと認識しておかないと、考えがあやふやになってしまうことってあると思いますから。土台がぐらつく経験からも学べるはずですし、ね。
>多分、この部分は僕の基本なので、「重い」とか何とかいわれても、人を信じて真剣に関わっていきたいという思い、それは僕を僕として成り立たせる重要な要素だと思うんです。
そうですね。「自分」というものに対して問いかけることは時にはしんどい(うつの時にやると、穴を掘りまくる感じです。はかあな……でもって深さがないと、浅墓。ひゃははは)ものですが、いくつになっても忘れないで習慣にしたいと思っています。若いときの感性と違っている部分もあるけど、意外と基本て変わらないかも……。
>あ、はい、先輩、すいませんです。m(__)m
>でも、女の子の心理には、基本的に別に興味ないんで、それこそそんなことを研究して、機嫌取りたくないわけで、微妙な心境なんです。
>それじゃやっぱしダメでしょうか。(笑)
にゃ?にゃにゃにゃ?(←犬が好きなのに猫のマネ。混乱中)
「熱中女の子一直線」でも別にかまわんと思うのだが……。からだが求めるものだし(あら、エッチ?そう?Mariaさん)。「からだの声を聞く」ことも重要だよ〜ん。男女交際も対人交流のひとつでござんすからね。
そういえば、静ちゃんと朝倉南の件ですけど「ごく平均的な一般像」という印象しかありませんね。スターシップ・トルーパーズは見てないです。(わたしはサムライ・トルーパーのほうが好き♪) なんというか、可もなく不可もなく……どこにでもいそうで実はどこにもいない虚像というか。原作はどちらも男性ですね。作者の幻想が入っているのか、いくつかの女性パターンを組み合わせて作ったのか(両方かも)、結論は出せないです。個人的には特に魅力的とは思いません。
青春期の女の子のバイブル的なものでは『赤毛のアン』ていうのがあったけど、今の女の子は読むのかなぁ? ちなみにわたしは読んでいません。(笑)
いっつも集中できない状態でカキコしてて、内容がないような気がして……この際ひとこと謝っちゃいます。ごめんなさい!
これにて、当分は顔を出さなくなると思いますので(と言っておいて出したら、あざ笑ってやってくれ!)、ま、元気でやってください。
「目覚めよ、冒険心!」は近頃自分にむかって心でつぶやき続けている言葉。角川アニメ『カムイの剣』のCMで使われたフレーズです。気に入っているもので。第一期ヤマト世代の人間なもので、古いアニメに好きなものが多いです(苦笑)な〜の〜に〜「お母さん、昔のアニメの歌うたって」と娘にリクエストされたら、ちーとも思い出さなくて……「頭のどこかには記憶しているはずなんだが、回路が切りかわらなくてさ〜」とごまかす始末でした。年だな〜〜〜。
むずかしいことを考えすぎると身動きとれなくなってしまうんで、「渓流シーズン解禁まであと一ヶ月!うふふふふふふ、ふふふ……我慢だ、ガマン!」これが目下の楽しみよ〜〜〜♪
「子を持って知る親の損」(元ネタは知ってますよね?)←うまいっ、座布団いちまいっっ!! 笑は百薬の長ですぅ〜〜と言いつつ、さらばじゃ。(分裂気味ですね。あまりマネしないように。…しないか)
pennpenn58 wrote:
>武田好史 wrote:
>> 運が良かったですね。無理しないでマイペースでがんばってください。
>>私も先週流通センターのようなところで、13:00から18:00までの仕事があったので面接を受けに行きましたが、採用責任者の「うちは誰かが20%しか仕事ができないと、みんながとばっちりを食らうんだよね・・・」の一言で、あきらめざろうえませんでした。
>> ああ・・なんでノーマリゼーションなんていって、障害者に「働け!働け。働くやつが立派なんだよ!」って、この国はろくな支援もせずに俺たちの尻ばかりたたくんだろう・・俺たちは奴隷か??このままじゃ本当にお先真っ暗だ!
>> ノルウェーのヴィダー・オースンみたいな、「障害者村」でも作ってくれたほうがまだましだ。
>
>武田君、ありがとう。でもあんくさんのレスにも書いたのだけれどやっぱり自信がないし夫も私がナルコレプシーで居眠りばかりしてるのに、外回りの車に乗ることが多い仕事は危ないんじゃないかと反対したので今回は断ろうかと思っているのです。一応明日、主治医に相談に行こうかと思っているのだけど。武田君は優しいね。自分は仕事の面接に行ってうまくいかなかったのに私の就職が採用になったことは「がんばってください」と言ってくれる。自分が障害を持っていると自覚してる人って優しい。競争社会からはずれて生きてる人は人をうらやまない。
>
今日も職安へ行ってきました。コンピューターのティスプレイを見て、「どこか良いところは・・・」と探しましたが、不器用で動作がとにかくトロイ自分には、できそうな仕事はありませんでしたので、30分という制限時間が来る前にそそくさとやめ、職安がある町の市役所の展望レストランで昼食をとり、近くの広い公園の中をさまよい歩きました。
1時ごろ職安に戻って、障害者担当の職員と面接しましたが、「どう見ても積極的とはいえない自分は、もうあきれられているな」という感じだったので、「あまりないね!」と言われた瞬間に、「来週また来ます・・・」と吐き捨てるように言って家路につきました。
ああ・・・ほんとにもう・・・なんで障害者専用の職安を、国は作ろうとせんのか!ノーマリゼーションなんて、程遠いぞ!どあほめが!
武田好史さん wrote:
>>>1.日取り 1月26日(土) OR 2月23日(土)
>>
>> 現時点までの参加希望者は1月26日が大丈夫みたいですね。
>>
>あいにく俺は、どちらの日も都合が悪くて行けないな。
>日曜日ならば行くことができるが・・・
すみません。今回は発起人どもの都合により土曜日の開催とさせ
ていただきます。
次回は日曜日あるいは祝日の開催とさせていただきますので、よ
ろしくです。
武田好史 wrote:
> 僕のお薦めは、「神奈川県立生命の星地球博物館」と「茨城県立自然博物館」です。神奈川のほうは箱根登山線の「入生田駅」の前で、茨城のほうは東武野田線の「愛宕駅」からバスで30分+徒歩で15分ぐらいでしょう。
> いずれも美しい鉱物の標本が見られます。神奈川はブラジル産の「曹長石・リチヤ電気石」「緑柱石(アクアマリン・エメラルドの原石)」などの大型のものがあり、茨城のほうは紫外線で蛍光を発する「蛍光鉱物」のコレクションと日本の愛媛県産の銀色の長い「輝安鉱(アンチモンの鉱石)」が見事です。
オフ会会場に使えそうですね。
百日紅(さるすべり) wrote:
>久しぶりです。
>皆さん何か好きな博物館、美術館、ありますか?このあいだ小田原城に行ってみたら中の展示品がとてもよかったです。
僕のお薦めは、「神奈川県立生命の星地球博物館」と「茨城県立自然博物館」です。神奈川のほうは箱根登山線の「入生田駅」の前で、茨城のほうは東武野田線の「愛宕駅」からバスで30分+徒歩で15分ぐらいでしょう。
いずれも美しい鉱物の標本が見られます。神奈川はブラジル産の「曹長石・リチヤ電気石」「緑柱石(アクアマリン・エメラルドの原石)」などの大型のものがあり、茨城のほうは紫外線で蛍光を発する「蛍光鉱物」のコレクションと日本の愛媛県産の銀色の長い「輝安鉱(アンチモンの鉱石)」が見事です。
またどちらにも、豊富な動植物に関する標本が展示してあり、神奈川のほうには動物愛護派が「ウニ」になりそうなほど、生々しい・立派な・「わしらはどうどうと生きておったぞ!」と語りかけてきそうな動物の剥製が展示されています。
Maria wrote:
> こんな感じかな? で、こういう定義を国語辞典の記述と比べてみるとか、これだけで「研究」は始まってしまいます。小麦粉からグルテンを抽出してみたり、じゃがいもをすりおろしてでんぷんを取り出して顕微鏡で観察し、かたくり粉やコーンスターチと見比べてみるとか、ごぼうやにんじんやだいこんや玉ねぎやタンポポの根っこからも澱粉は取れるのかとか、本当にでんぷんかどうかをうがい薬(ヨードが入ってます)を垂らして調べてみるとか、面白かったらちゃんとまとめて教育雑誌や新聞に投稿してみるとか、ホームページ作って公開するとか、まあ、楽しみ方はいろいろです。東京ディズニーシーやユニバーサル・スタジオに行くより安物の顕微鏡一台買って子供とああでもないこうでもないとかいって遊んだほうが安上がりで教育的だし。
>
> 面白いと思うんだけどな、こういうの。
>
> (Maria)
何でもかまわないから、「WHY?WHAT?HOW?」という5W1Hのうちの3つの関心を持つことは、きっとストレスに対する強い防衛力をみなさんの心にもたらしてくれるでしょう。
私も最近は、脳科学関連の本をなけなしの小遣いをはたいて買って読んでいます。ASはどうも頭頂葉・前頭葉・側頭葉・小脳・辺縁系などに関係するものらしいということが、わかりました。
ここ2ヶ月はほぼ毎日1時間以上の散歩に出て、世の中の様子を見ています。雑木林をごみ捨て場にするのが、最近悪しきブームのようです。
インターネットで天気の様子を見るのは、すっかり習慣になりました。最近では「高層天気図」の見方も、おぼろげながら分かるようになりました。
ベランダで花を育てています。観察記録などはつけていませんが、花が種から育っていく様子は見ていて楽しいです。(時たま枯らしてがっかりすることもありますが・・・)
ピアノも「耳コピー式」「自己流」で楽しんでいます。
久しぶりです。
皆さん何か好きな博物館、美術館、ありますか?このあいだ小田原城に行ってみたら中の展示品がとてもよかったです。
タレイヌ wrote:
>>これは反発を受ける覚悟で書いているのだけれどAS、ADHDの子供を産んだら子供がかわいそう。
>
>タレイヌ、反発するよ。
>子供が可愛そうなんじゃないよ、ぺんぺんさん自身が、自分を、『可愛そう』って思っているのさ。(きつくて、ごめんなさいです。)
>
>中略
>
>理想論かもしれないけれど(というほど、はずれてるとも思ってないタレイヌ、変わり者同士で、業績をあげてるひとたちって、結構いるって、ほんと)ぺんぺんさんの、年齢からすると、すでに、社会の次の「人材育て」に入っているのね。ただただ、なげいたり、『社会』に期待するのではなくて、自分のできること、見つけて、一つでもやってみたらいいよ。(・・・うふふふ、童話を、書くとかさぁ・・・?謎?)
>
タレイヌさん、レスありがとうございます。ウーン、そうですね。私自身が私を不幸だと思っているのはその通りです。AS、ADHDの人間が親になってAS、ADHDの子供を育てる。なかなか大変でめげそうになっています。学校への提出物、いっぱいあります。子供も親もそれが苦手。すぐものをなくす。いつも何かを捜している。親も子供も。親は泣きたくなってしまいます。子供はけろっとしてるのだけれど。親はADHDの2次障害の鬱をこじらせてしまっているので子供に何かを捜してといわれるたびに絶望的な気分。ああ、私は捜し物が苦手。捜すくらいなら物を買ってしまいます。買ってすむ物ならいいけれど売ってない物は困るなあ。子供は親に任せておけば安心と思っているらしいけれどそろそろこの親は頼りにならないと気づいてほしい。
ADHDの子供、ASの子供、人生を楽しむことを覚えてほしい。そう思いながら子育てしています。私にはできないことだったので。私は人の悲しみ、苦しみはわかるのだけれど喜びやうれしさには共感が難しい。私にはない感情なので。でも子供が喜ぶ顔を見るのはうれしいのでやっぱり少しはそういう感情もあるのかな。子供がつらいとき、私もほんとうにつらい。夫がよく子供をからかう人で子供を怒らせるのが見ていてつらい。胸が潰れそうな気がします。子供を傷つけないでと言いたくてなかなか言えない。
仕事は今日正式に断ってきました。まだもう少し、専業主婦でいようかと思います。AS、ADHDの長男が今春、中学にあがるのでそれをちょっと見届けるのもいいかなと。頭はいい子供なのだけれど。集団生活になじめるのかちょっと心配。
はあ、私の夢は童話作家なのですがこの掲示板で皆さんの文章を見ているとなんかすごいなあ、私なんかとてもだめだなあと言う気分になります。ADHDの注意力散漫で誤字脱字も多いし。カキコを投稿してからトホホな気分になります。皆さん、ほんとにすごいですよね。私、タレイヌさんのいうことわかります。AS、ADHDの子供の潜在能力ってすごい。必ずしも成績には反映しないけれど。ああ、でも子供にばかり期待しないで自分も何かを見つけなければ。会社を首になってもそう悪いことばかりではないと子供に知ってもらいたい。幸せなお母さんにならなければ。
タレイヌさん、アドバイスどうもです。せめてよく寝て楽しい夢でも見ることにします。
白 wrote:
>武田好史 さん wrote:
>
>>ASの女の子の心理を知りたかったら、鬼束ちひろの「INJECTION」という歌を聴い>てごらん。
>>これほどまでに近いのは、俺も聴いたことがない!
>
>夕方から外へ出てたので、借りてきました。
>「infection」でいいんでしょうか。それしかなかったんで、多分これだろうと思って聞いてみました。
>
そうだね、俺は視機能・聴覚両方悪いから間違えてしまった。それが正確だね。
みどり wrote:
こんにちは。私も自称です。(最近あやしいと思っている)。
>しかし、普段会話をしているとき、なぜか話がずれていってしまうことがよくあります。
私もよくあります。それも相手が口を挟んだわけでもないのに。そんなわけで「ちゃんと文章組み立てから話してる?」と言われます。答えは…「NO」。話すのに夢中になってると、頭に浮かんでくる「単語」や「映像」を次から次へとしゃべくってしまい、「…で、それをやったのは結局誰だったの?」「…何時の間にか話し変わってない?」ときかれることになります。
あと、名詞を全く意味の違う「よく似た響きの言葉」と言い間違えたり、正反対の意味の言葉を使ってしまったり。どうも「使いたい単語」を思い浮かべる時に一緒に浮かんだ言葉らしいのだけど。同じような「聞き間違い」もよくやって、「極楽耳」と言われたものでした(最近減りました)。
他には、同じ話しを何度もしてしまう。
気を引き締めて会話に挑まないと、無残な結果になってしまいます。私が「楽しんで、夢中になって」話をするとロクな事になりません。(単に頭がボケてるだけかも。)
>いやんなっちゃいます。
>
># こういうことがあると、もう誰かとまじめな話をするのはやめて、こっそりひっそり生きて行こうって思うのだけど、それもできないのは性格らしい。
こういう事態を回避するために、人の笑いを取ることを心がけております(う〜ん大阪人)。「オチ」をつけるためには起承転結をしっかり立てねばなりませんし、「ツッコミ」をいれるには人の話しをよく聞かねばねりませんからね。(「ボケ」になってる場合も多いけど。
上手く笑ってくれると「やった!」って気分になるし、楽しいですしね。大阪では真面目な話しにも「ボケ」「ツッコミ」「オチ」が出てくることはよくあるので、私には助かります。(「大阪の笑い」といっても「吉本」みたいなのがすべてじゃないですよ、あれはどちらかと言えば「幼稚」で「洗練」されていません。日常的にはもっとヒネリが効いたものでないと…。)
Maria wrote:
こんにちは。
> このところ、「ぼろ」「くず(古くは、「くづ」)」「くそ」「ごみ」「かす」「ちり」「あくた」の違いについてちょっと考えていたりします。.「かす」は「炊汁(かしきじる=米の研ぎ汁)」のように、「細かく砕いた植物からアルカロイドや繊維質の不可食部分を洗い流し、残った(澱粉質などを多く含んだ)残滓」が語源のように思うし、「くづ」は「くずほる(「頽る」)」が語源、みたいな気がします。「ぼろくそ(に貶す)」「ぼろくず(のように捨てる)」は使うけど「ぼろごみ」とは言いません。「ぼろかす」はあまり使いませんが、これは地域的なものでしょうか。「ごみくず」は使うけれど、「ごみかす」はあまり見かけません。「ぼろかす」との関連が疑われます。「ちりあくた(塵芥)」というのもあります。だけど、これは漢語起源のような気がします。「じんかい」と音読みもしますし。
「ごみ」「ぼろ」「くず」「かす」「ちり」の順に質量が小さくなっていっていると思います。「くそ」はやはり「糞」なので、違う扱いになるのではないでしょうか。ちなみに関西では「ぼろかす」は結構使います、「カスども」とか、「かす」の出番も多いようです(地域差があると思いますが)。
「芥」ですが微細なものという意味もあるそうです。「芥子(からし)」と読みますが粉塵を連想させます。「芥川」といいますが、ごみの浮かんだ川という感じでしょうか。あまり粗大ゴミという雰囲気ではありませんね。最も今様の粗大ゴミは昔の日本には存在しないと思います。リサイクルで上手く回っていたのでしょうね。
それにつけても「しらべもの」は楽しい行為ですね!(なにか作るのも。「なにか製作するために調べものをする」にはまると、当初の目的から逸脱することが良くあります。)
自称 AS のみどりです。
ここで返信するときにいつも本筋とずれてしまうのは、まあ意識があるというか、もとの興味が本筋とずれているからで、しかたないのです。
しかし、普段会話をしているとき、なぜか話がずれていってしまうことがよくあります。
私は A ということを主張したいのに、なぜか相手にヘンな反論をされてしまいます。そこまでは単なるすれちがいですから (あまり) 問題ありません。
「違うのよ〜」というわけで、私がA をサポートするためにもちだす B という主張が、大抵、「自分にとって」トンチンカンなものなんです。
B が A をサポートするという点では大抵あってるんですが、それは私の主張とはかけ離れたものだったりします。
話が終わってから、「ああ私はCという話をもってこなきゃいけなかったのか」と気がついて、愕然とします。
話してる最中、なんでBをがんばって主張していたのか、さっぱりわからないんです。
Bの内容は、自分が思ってもないことだったりします。
別に相手の反論とも関係ないし、どこからBが出てきたのかよくわからないんです。単にその場でふと、別の誰かが以前話していたことを思い出したとか、そういう感じで、どちらかというと自分は反発するような内容だったりもします。
そんなヘンな主張を自分がしてたと思われることを考えると、はずかしくてたまらなくなります。
しかし次の日になってから訂正に行くのも間が悪く、はずかしい思いだけが残ります。
いやんなっちゃいます。
# こういうことがあると、もう誰かとまじめな話をするのはやめて、こっそりひっそり生きて行こうって思うのだけど、それもできないのは性格らしい。
グルンサさん wrote:
> 吉野さんをはじめとして、ゴーギャン、伊能忠敬の前職、『ピグマリオン』が90歳を過ぎて書かれたこと…全部初めて知りました。やはり、Mariaさんの頭は脅威的だなあ…と思います。
“脅威”ってあーた(^_^;)。あたしは何者だ。
「きっと何でも知ってる気になってるんでしょうね」とか「他人がみんな馬鹿に見えるんじゃないの?」みたいな厭味を言われたりするのですが、あたしはべつに特殊な素質の持ち主ではないし、特に努力をしてきたという訳でもありません。暗記ものだって苦手です。ただ、「このネタは使えるかも」と思ってストックしてきただけだったりします。
学校の勉強の場合、あんまり「このネタは使えるかも」と思って勉強する人はいないのね。だから、試験が終わったらみんな忘れちゃう。だけどあたしの知識は基本的に「自分のもの」です。
大学院に進むか企業に就職するか、というときに、「働きながらでも研究はできる」と思って就職しました。業務系のシステム開発の仕事は三十代半ばを過ぎたらたぶん体力的に無理だろうと思って、学会に入ってアルゴリズム開発その他の基礎研究の分野に触覚を伸ばしていました。ミステリーを書きたいなぁ、と思い、いろんな文章をちまちまと書きためていました。で、そういうときに心の支えになったのが、ゴーギャンであり、ゴッホであり、伊能忠敬であり、バーナード・ショウでした。ゴッホが二十七歳のときの作品で『大工』というのがあります。下手だぞぉ? それで八年後には死んじゃうんだぞ?
あたしの技能や知識というものは、毎日の仕事の中で培われ、磨かれてきたものです。日本語文法やステレオグラムの研究も、「パッケージ・ソフトウェアとして売って利益を上げられるもの」という明確な目的があって行なってきたものです。「金の取れる文章を書く」というのは、広告宣伝費がろくに使えない小企業にいたからで、雑誌に投稿して採用されれば宣伝費ゼロどころか原稿料貰って宣伝ができる、というスケベ根性があったからです。「このネタで一本書けるな」というのをストックしておくのは大事なことです。で、内輪のBBSでそうしたネタを発表してはレスの付き加減を見て、「ここんところはこうしたほうがよかった」「ここはいまいちヒネリが足りなかった」「おお、このネタは使える」みたいに修正するのね。だからこの『アスペルガーの館の掲示板』での大森総研がらみのネタで、コラムやエッセイだったら軽く百本くらい書けるはずです。で、過去に大森総研で運営していたBBSには雑誌に連載を持っているプロのもの書きがネタ漁りのためにうろうろしていました。
グルンサさんだって「じつは私がしばしば顔を出す掲示板に『アスペルガーの館の掲示板というのがあって』」とかいって小ネタの一本もものするくらいはできるだろうし、障害関係や地域のミニコミ誌みたいな書き手の不足しているところを狙って読者投稿から始めて常連ライターを目指す、くらいのことはできるはず。でなかったら『ほぼ隔月刊グルンサ』とかいったメルマガを自分で出版して、知ってる人に勝手に送っちゃう。文章に自信がなかったら、うち(大森総研)にメールで送って「頼むー! 原稿チェックしてくれー! タダとは言わんからー!(←ここんとこ重要)」とかやっちゃうことだってできる。なにしろあたしはプロのリサーチャーにしてアナリストにしてリライターですからね。そうやって「何か使えるネタは」と思ってものを見るようになれば、いろんなものが見えてくるはずです。あたしは「石橋を叩いて渡る」タイプだけど、「走りながら考える」「手なりで指してゆく」「先へ行って考える」というアプローチもよく使います。もっともそれには先行予測と下準備が欠かせませんけどね。それでも「それほど大きな失敗をしないように」くらいの用心程度でいいと思えば難しくないし。
あたしはそれほどご大層なことをしているわけでもないし、大したことをしているわけではありません。もともとそんなにご大層な存在でもありませんし。ただ、「素人でもやってみるとけっこう何とかなるものだ」という健全なアマチュアリズムを信じているだけだったりします。
このところ、「ぼろ」「くず(古くは、「くづ」)」「くそ」「ごみ」「かす」「ちり」「あくた」の違いについてちょっと考えていたりします。.「かす」は「炊汁(かしきじる=米の研ぎ汁)」のように、「細かく砕いた植物からアルカロイドや繊維質の不可食部分を洗い流し、残った(澱粉質などを多く含んだ)残滓」が語源のように思うし、「くづ」は「くずほる(「頽る」)」が語源、みたいな気がします。「ぼろくそ(に貶す)」「ぼろくず(のように捨てる)」は使うけど「ぼろごみ」とは言いません。「ぼろかす」はあまり使いませんが、これは地域的なものでしょうか。「ごみくず」は使うけれど、「ごみかす」はあまり見かけません。「ぼろかす」との関連が疑われます。「ちりあくた(塵芥)」というのもあります。だけど、これは漢語起源のような気がします。「じんかい」と音読みもしますし。
ぼろ:本来の私用に差し障りが出るほど傷んだもの。例)「ボロ屋(や)」「ボロ布(きれ)」
くず:必要な部分を取り去った残り。ただし、材質等は同じで、固体で破片状態。「かけら」に近い。例)「おがくず(大鋸屑=製材によって出た粉末上の木片)」
かす:水によって(有効な/不要な)成分を分離した残滓。例)「酒粕」
こんな感じかな? で、こういう定義を国語辞典の記述と比べてみるとか、これだけで「研究」は始まってしまいます。小麦粉からグルテンを抽出してみたり、じゃがいもをすりおろしてでんぷんを取り出して顕微鏡で観察し、かたくり粉やコーンスターチと見比べてみるとか、ごぼうやにんじんやだいこんや玉ねぎやタンポポの根っこからも澱粉は取れるのかとか、本当にでんぷんかどうかをうがい薬(ヨードが入ってます)を垂らして調べてみるとか、面白かったらちゃんとまとめて教育雑誌や新聞に投稿してみるとか、ホームページ作って公開するとか、まあ、楽しみ方はいろいろです。東京ディズニーシーやユニバーサル・スタジオに行くより安物の顕微鏡一台買って子供とああでもないこうでもないとかいって遊んだほうが安上がりで教育的だし。
面白いと思うんだけどな、こういうの。
(Maria)
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