アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
Mariaさん wrote:
>I wrote:
>> そうですね。「水漬く屍」が正解でした(^^;)。しかしこの歌、こんなヤケクソな意味だったとは…。
>
>---
> (略)
> 「げ。」
> 「どうしました?」
> 「『海行かば』っていうのは、『海へ行くと、水漬く屍が』だと思ってましたけど−」
> 「あの『行かば』は、『行ったならば』と訳すのが正解ですね。『海へ行ったら土左衛門、山へ行ったら野ざらしに』。相当にやけくそな歌ですわな、あれは。」
> 「そういうのって、軍歌って呼べるんですかね。」
> 「腹ぁ括った奴ぁ強いんですよ。死中に活を求めるというやつです」
> 「なんだかなぁ」。わかんないぞ。
> (『日本語文法の「なぜ」に答える』蘇好美)
>---
>
ここで質問になりますが、『海ゆかば〜草むす屍』の続き、『大君の辺 かへりみはせじ』の意味ってどんなものなんでしょ?(これまでも、ヤケクソなんてことはないと思いたいですが、どうなんでしょうね…?)
> アメリカなんかだと、アラモ砦みたいに死守・玉砕ということはあっても、あくまで「援軍が間に合わなくて全滅しちゃった」ということのようです。だから、「刺しちがえる」という発想はないのね。
> 宗教的な理由による自爆テロは「アサッシン(assassin)」にあたり、これは「殉教」、あるいは「思想に殉じること」です。日本が戦術として使った肉弾攻撃とは考え方として別。
これ読んで思い出しました(内容は違うけど)。昨年、米国テロの2日前、アハマッド・シャー・マスードが暗殺されていたことを、今年になって知りました。
アフガン情勢に興味がある方ではなかったのですが(興味・関心のある方には、すみません)、彼の死は悲しかったな…。
> とはいえ、「肉弾」という言葉を生んだ日露戦争の旅順要塞攻略戦では、乃木将軍は「とにかく人間を注ぎ込み続けて敵を撃滅する」という「人海戦術」という作戦ともいえない作戦を決行して、碌に戦果も挙げられずに六万人という死傷者を出しました。こういう大馬鹿野郎がいるから困るんだよな。
確かに、こういうやり方には同意できないな。
> (中略)ところが連合艦隊は敵の真正面でターンして敵艦隊と並走し、バルチック艦隊を「あの世の道連れ」にするという、『にっこり笑って「さあ、一緒に死のうね」とポンと肩を叩く』ようなマネをしました。「こっちは全滅したっていいんだもんね。とにかく主力を逃がさなければこっちの勝ちだもんね」という計算がそこにはあるのね。そんでもってパニックを起こしたバルチック艦隊は総崩れになって、結果的に連合艦隊はほとんど無傷、ということになっちゃったわけです。
> 硫黄島のほうは玉砕しちゃいましたが、アメリカ海兵隊戦史に残るイヤーな戦闘として記憶されています。「さあ、一緒に死のうね。いっぱいいっぱい道連れにしてあげるから、どんどん来てね」みたいな奴と喧嘩するのはイヤだったろうなぁ。
わたしもイヤだ、こんなの。
> 以来、アメリカは「こんな奴らと面突き合わせて戦争するのイヤだよう」ということで、「アウトレンジ戦術」(こっちからは殴れるけど向こうからは殴れない)という戦術を取るようになりました。
『アウトレンジ戦術』の言葉の意味を、これで初めて知りました。ホントにいろいろ勉強になるなあ、Mariaさんのカキコって。
るうさん wrote:
> それに(家に帰りたくないと思っていない日でも)違う道を帰りたいとか、あっちのお花が見たいとか、お散歩したいとか、近所のイヌが見たいとか、お魚とかザリガニが川底にいたとか、そういうことに気をとられると、忘れちゃうんです、「下校中」だってこと。
るうさんのカキコで思い出したこと。私、外出中にイヌ、ネコを見るとほっとするんですね。…で、それはいいのですが、私が中学か高校生だったころ(道からすると中学か?)、イヌを見て「わんっ」と鳴きまねをしたことがあるのですが、それを見た友人、「そんなことする?」といぶかしげに一言。私は逆に「へ?」としか思わなかったのですが、やっぱ私の方が変わってんのかしら?
さすがに今はやりませんが、それでも通勤中(正確にはその際の歩行中)にネコたちを見ると声をかけたく(?!)なります。(さすがに、[配属先の]場所が場所なので、実際にはやりませんが…。)
pennpenn58 wrote:
>あさかぜ wrote:
>> pennpenn58さん、ぶちさん、レスありがとうございました。
>>
>> 急に思い立ってよく考えもせず質問をしてしまうあたりがADDなわたしです(汗) 最近なんとなく、わたしの母がADD方面の人ではなかったかと考えるようになっています。AS方面は父方の血かな……。(勝手にそう思っているだけですけど)
>>
>そうなんですよねー。子供がADDとかASとかいってる親の自分もADDでASでさかのぼれば自分の親もよく考えればそうだったりする。よく観察すれば夫も怪しい。あんくさんのおとうさんもADDっぽい感じだし、こりっこさんのおとうさんもなんかそんな感じがする。(すみません。勝手な憶測でものをいって)我が家はAファミリー。唯一、Aじゃないと確信が持てるのは7人家族のうちただひとり末っ子の次男のみ。
僕は最近気になったことがあります。
それは「どうもADHDやADDの特徴の「片づけられない」というのは、日本の田舎ではありふれた存在であり、そんなに苦にすることなく、生活できたのでは?」ということです。
僕は部屋を片づけるのがおっくうです。僕の母も片づけるのがおっくうで、同じガテゴリーのものを仕分けして収納するという習慣がありません。そのお母さんの
母であるおばあちゃんも、やはり片付けるのがおっくうで、台所のテーブルの下からは賞味期限オーバーに近いお菓子なんか出てきたりします。
この「片づけるのがおっくう」という癖のルーツをたどると、どうも農村の暮らしに行き当たるようなのです。
まずなんといっても大きな違いは家の広さでしょう。僕のおばあちゃんの生家はかなりの豪農で、かやぶき屋根の立派なお屋敷であり、土間でも7ないし8畳はあります。炊事場ですら板張りで6畳ぐらいはあります。これだとある程度まとめて分かりやすいようにおいて置きさえすれば、まず食料品を腐敗させたり・道具*本などを紛失したりということはないのです
それから農業というのは、何よりおてんとうさま任せの仕事で、晴れ・くもりの日が勝負ということで、そんな日は田畑での作業最優先で、力いっぱい肉体運動をした後は、もう「めし→ふろ→ねる!」で、いっつも片づけは「雨のときしようや・・・」ということになってしまうでしょう。また作物を多く取ることが、収入を決めるので、ややこしい経理関係の書類は会社ほど頻繁に見たり・書いたりする必要はないでしょう。(最も最近はそうはいかなくなってきたようですが・・・)
またごみも紙くずなどは焚き火で燃してしまえばいいし・生ごみは肥料にすればよいし、ビンも酒屋さんへもっていけばよいので、家が立てこんだ場所でない限りは、収集は缶とプラスチックと危険物だけで済みます。その分収納場所がとれます。
こんな暮らしですから、物を一定のルールにしたがって配列したり・分類したり・必要か否かを見極めたりという「片づけ」の能力は、そんなに問われないということになるでしょう。
「部屋を片づけなさい!」とか「片づけられないやつは、人格を疑うね!」というショーニズムは、都会の狭い居住スペースになれた人が多くなってから出てきたものだと思えてなりません。いや「片づけられない・・・」というのは、「都会」が生み出した、WHO(1980)が言うところの「不利のレベル」にあたる障害であると言えるでしょう。
みどり wrote:
>るう wrote:
>>同じ高さの本が整然と並んでいる本棚とか新品の36色色鉛筆の展示とか見ると、もうついジーっと見つめ続けてしまいます。
>>視覚的に安心するんです(?自分でもよくわかりませんが?)。
>
>同じ形の色ちがい商品が大量に整然と並んでいるお店。ふらふらと足が寄って行ってしまいます。
>一つだけ連れて帰ってもこの魅力はないのよって自分にいい聞かせないと、つい買ってしまいそうになります。
>36色のサインペンをもらって、ものすごく嬉しかったの覚えてます。お絵かきはしないんだけど。
>バラして使う気になんかなれない。きれいなまま並べておいて、使おうと思えばいつでも使えるんだって思ってる状態が最高。
>
そういえば5歳くらいのとき私は、ソリトンの紙容器入りのジャム・シリーズを全種類食べてみたかったので、店内カゴの中に5種類もぶち込んで、母に叱られたことがありました。
中学高校時代の愛読書は「講談社のブルーバックス」でしたし、学生時代にはガーネットの安い標本を色違いで買いあさりましたし、現在お気に入りのハーブといえば「シソ科」のラヴェンダー・ミントといった一群です。どうもセリーとかシリーズというものには、自分も目がないほうみたいです。
あさかぜ wrote:
> pennpenn58さん、ぶちさん、レスありがとうございました。
>
> 急に思い立ってよく考えもせず質問をしてしまうあたりがADDなわたしです(汗) 最近なんとなく、わたしの母がADD方面の人ではなかったかと考えるようになっています。AS方面は父方の血かな……。(勝手にそう思っているだけですけど)
>
そうなんですよねー。子供がADDとかASとかいってる親の自分もADDでASでさかのぼれば自分の親もよく考えればそうだったりする。よく観察すれば夫も怪しい。あんくさんのおとうさんもADDっぽい感じだし、こりっこさんのおとうさんもなんかそんな感じがする。(すみません。勝手な憶測でものをいって)我が家はAファミリー。唯一、Aじゃないと確信が持てるのは7人家族のうちただひとり末っ子の次男のみ。
次男からすると癇癪持ちのADDの姉は「なんであんなにわがままなの?」となり、ASでADHD傾向の兄は衝動的に弟のゲームや本を取り上げるので「むかつく」のだそうだ。だから彼は姉や兄と一緒に行動したがらない。そして頭の中できちんといますべきことが整理されていてみんなでビデオやさんにいくときも「僕は宿題があるからいい」と留守番しながら宿題をしている。付和雷同しないのだ。
我が家では彼だけが異質。でもほんとうはそれが普通。なんか違いすぎ。でも頭がいいのは兄や姉のほう。でも好きな科目と嫌いな科目がはっきり分かれてしまう。次男は平凡な成績ながらも嫌いだからと言ってやらないということはない。だから極端に悪い学科もない。そして時間を考えて行動する。約束を守る。我慢ができる。
親の私でさえできないことができる。次男が宇宙人に見える。私は時間を守るのが苦手。我慢も苦手。熱中すると時間関係なし。次男が友人の家に遊びに行くとき必ず「何時に迎えに来てね」と言う。そしてそう言ったら当然、その時間に親は迎えに来るものと信じて道ばたで待っていたりする。親は必死だ。その時間に遅れてはいけないとすごい緊張。ADDの子供を育てるのも大変だがADDの親が普通の子供を育てるのも大変だ。気を使う。疲れる。でもがんばらねば。親だから。
あさかぜさん、子育てはまだ長いですがほどほどに頑張りましょうね。
ひとつ書き忘れました。
Maria さんwrote:
> 美術というのは必ずしも作品を鑑賞するものではない、というのが分ってしまいました。
このことなんです。これがわかるのが怖かったんです。ある物事に対してきちんとした知識を持ってしまうと、今までは知らないことだから輪郭がうすぼんやりしてたのに、急に輪郭だけでなく色や形まではっきりしすぎて、「神秘性」みたいなものが失われそうで。私は美術品の観賞は、自分の身体で感じたものが全てであって欲しいタチなので、技術的にどうこうだとか思いたくないのです。理解が浅くなってしまうのは承知なのですが、美術を技術という言葉で翻訳してしまった時点で、もう私の中ではそれまでとは違った事柄になってしまう。決して以前のような認識はもてない。(クオリア問題?)
知識をもってしまったがために最近は現実世界の輪郭がはっきり感じられ過ぎるようになってしまいました。社会のしくみのことも自分自身のADDのことも。感受性がつよいから、クタクタになることが多いです。
みどりさん wrote:
>一応念を押しておくと、全部買っても、きれいに並べるスペースも必要です、たぶん。
↑うわぉ、気付いてなかった!あぶなかった〜。
…いや、でも、大丈夫です、財力がともなってないので。120回ローンとか組まなければ。
>そういえば私は他人が着ているものをよく見た覚えってないなあ。(だから垢抜けられないのか。)
>(あ、ついでに他人の顔もよく見ないから名前が覚えられないのかなあ)
私は他人のことをめちゃめちゃ観察します。その人個人には興味がまったくないけれど、人間の行動観察大好きです。あと、表情を変えるときの筋肉の動き方とか見るのも。だから電車とか喫茶店とかでつい人をジロジロ見ちゃいます(やな奴)。だから、顔を覚えるのは割と得意なのではないかと思います。名前はまったく覚えられないけれど。でも、その衣装を参考にしようなんてことは考えていません。その人に似合っているとかいないとか、勝手にファッションチェックみたいなことを頭の中でやってます。だから、自分自身は全く垢抜けません…。7年ぶりくらいに会った人に「まったく変わってないね」とか言われて。ショック。
>自分の服も、着てても似合うかどうかとかあんまり考えたことがなくて (とくに小さい頃は)、つい、「単に好きな服」を買っちゃう。(だから垢抜けられないのか)
>で、タンスを開けてはにやにやするの。(おでかけ服だから滅多に着ないし)
「着て似合う」なんて考えて買い物し始めたのは、つい最近です。好きな色の好きな服しか買わなかったから、いつもセンスないという評価をもらってます。
↑自分を客観視できない証拠。他人のことならよくわかるのに、自分のことはさっぱりだ!
私 wrote:
>テレビショッピング見るのってほんとにいい時間つぶしだけど、
>今日、「通販生活」という雑誌を買いました(160円)。
>今日は写真だけ見ることにして、明日から商品説明をじっくり読むつもりです。
>ああ、ちいさなシヤワセ〜。
なんて書いたけど、「通販生活」があんなに左?に偏った内容の雑誌とはつゆしらず…だから、160円という破格の?値段なのか。納得。商品説明だけならシヤワセだったのになあ。がっくり、です。商品を買うつもりは初めからなかったけど、もう見るものいやになってきました。
やっぱり、テレビの通販のほうがたのしいな〜。アブなんとかとか強力な掃除機とか。
あさかぜおかあさん wrote:
> *pennpenn58さん*
> 集団登校の強制っていうのも、なんだかなーって思ってしまいます。「個性を大切に」「生きる力を育てる」とかお題目が立派な学校って、やってることの考え方が大人中心のような感じなので。他の子と一緒に登校するのがいやで朝早く行く子は「7時30分までこの昇降口は開きません」なんて張り紙を見ることになったりするしなー(いや、うちの子の学校の話ですけど)
> 遅刻しそうになって突っ走って行くのも学びのひとつと捉えることのできる大人が少なくなってます。つまんない世の中だ。
今ごろ書いている私(ADD)です。
私は子供の頃、「宵っぱりの朝寝坊」と祖母にいつもいわれてました。夜十時頃まで眠れなくて、寝付かせようと添い寝してた母の方が先に寝てしまって、「ちょっと〜、おばけこわいんだから、勝手に寝ないでよう!」と思ってました。そのくせ(低血圧も関係?)朝は遅刻ギリギリまで寝ていて(もちろん何度も起こされている)、小学校五年生でもまだ制服を母親に着せてもらってました(ビンタされながら)。
「集団登校」とか「集団下校」はあってよかったと思います。あれがなかったら、それこそ学校や家にたどり着けなかったから。特に朝はまったく寝ぼけていて、朝食に何を食べたかとか、どこを通って通ったとか、午後になって意識がはっきりしてきても、全く覚えていなかったのです。あれ?今日起きたっけ?(学校にいるんだから、起きてるに決まってる!)とか思ってた。
それに(家に帰りたくないと思っていない日でも)違う道を帰りたいとか、あっちのお花が見たいとか、お散歩したいとか、近所のイヌが見たいとか、お魚とかザリガニが川底にいたとか、そういうことに気をとられると、忘れちゃうんです、「下校中」だってこと。
あと、ちょっとズレますが、食べ物のこと。油のつよいものとニオイのつよいものは嫌いでした。だから生クリームたっぷりのイチゴのショートケーキなんてなんで皆「わ〜い!!」なの?と思ってました。和菓子が大好きでした。あんこサイコー!あとお肉よりはお魚が好きでした。焼いたのよりも煮付けたもの。お刺し身も好きでした。そして、パンより米!!!ご飯大好きでした。
でも、ASの兄は肉ばかり食べてました。あと、ケーキも。兄とは食べ物の好き嫌いがかみあわなくて、母はいつも食事メニューには困っていました。
そんなとこかな、子供時代の睡眠と食事って。
武田好史さん wrote:
>> 皆様の参加を心よりお待ちしております。では
>
>やっぱ俺も参加できるが、今申し込みでも大丈夫か?
おお!!よかった〜。ミグさんとも「このままの日程でよかった
のかな〜」と話し合っていたところでした。参加の件は確かに承り
ました。当日お会いできることを楽しみにしております。
(他のみなさんへ)
掲示板での申しこみ受付は1月24日までとさせていただきま
す。現時点で参加申しこみをされたのはわたしを入れて7名とな
っています。(東京オフ会のみの話)
(連絡先)seijinld@msg.biglobe.ne.jp
けいさん wrote:
> こんにちは。けいです。皆さんは”あれ”、”これ”、”それ”、
> ”だいたい”など、曖昧な表現はわからない事がありますか?
武田好史さん wrote:
> 「これ・この・・・」というのは案外自分に近い感じのもの・・「あれ・あの・・・」はかなり遠くのものやなんとなく軽蔑した感じ・・「それ・その」は何か断定的とか書き言葉というふうな感じが、私はします。
「これ」は話し手に近いもの、「それ」は話し手から遠くて聞き手に近いもの、「あれ」は話し手と聞き手の両方から遠いもの、です。
問題は、話し手と聞き手の認識がズレているときに、なんだかわからなくなることです。特に、何らかの問題の責任の所在についての認識とかね。相手は話し手・聞き手双方にとって「これ(二人の問題)」だと思っているのに対し、自分は「それ(相手の問題)」だと思っていたり、相手は「それ(相手から見た「相手」の問題)」だと思っているのに自分は「あれ(他人事)」だと思っていたりするし。
「だいたい」「そこそこ」「まずまず」「おおむね」「一応」なんかも、自分の中で「定義」を考えて、それから納得する、という手続きを経てから、ようやく違和感なく使えるようになりました。
「だいたい」は単に量的なもので、「そこそこ」「まずまず」は「満足度」のようなもの(「そこそこ」<「まずまず」<「十分」<「上等」<「ばっちり」<「最高」)が感じられます。「おおむね」というと不足している部分が問題になっているような気がするので、「おおむね」+「いまひとつ」=「完璧」という関係が成立つような気がします。
あたしの中では「一応××である」は「身分としては××であるけれど、××の本分である○○を果たしていない」という意味なのですが、省略されている「○○」の内容を推定するのにちょっと困難があります。
「一応、学生です」というのは「身分としては学生であるけれど、学生の本分である学業をおろそかにしている」だし、「一応、社会人です」というのは「就職して給料を貰っているけれど、社会人としての常識が完全に身についているとはいえない」だったりするのだけれど、「一応、女です」とか言われると、「女であることの本質ってなんだろう」みたいなことを考えてしまって深く深く悩んでしまいます。
「ちょっと」とか「いくらか」とか「だいぶ」とか「ずいぶん」とか「ずっと」とか「すごく」とか「ものすごく」とか言っても具体的にどれだけ、とか言えないので、何となく雰囲気で無意味に桁数の多い(というか、有効数字という概念を無視した)値を言う、というつまんないネタがうちの研究所では横行しています。「どう? おいしくなった?」「うん。おいしさ13.8%増(当社比)くらいおいしくなった」とか。
(Maria)
るう wrote:
>よし、次からは全部買う覚悟で行こう(そんな財力はございません、覚悟だけです、あくまでも。)。
一応念を押しておくと、全部買っても、きれいに並べるスペースも必要です、たぶん。
>自分の服には千鳥格子がありません、一枚も。他人が着ているのなら、全体(服としての)が見渡せるから。母の千鳥格子のスカート大好きでした。誰か着てくれないかなあ、千鳥格子。最近は流行ってないから見ませんね〜。さみし。
そういえば私は他人が着ているものをよく見た覚えってないなあ。(だから垢抜けられないのか。)
(あ、ついでに他人の顔もよく見ないから名前が覚えられないのかなあ)
自分の服も、着てても似合うかどうかとかあんまり考えたことがなくて (とくに小さい頃は)、つい、「単に好きな服」を買っちゃう。(だから垢抜けられないのか)
で、タンスを開けてはにやにやするの。(おでかけ服だから滅多に着ないし)
(けい wrote:
>こんにちは。けいです。皆さんは”あれ”、”これ”、”それ”、
>”だいたい”など、曖昧な表現はわからない事がありますか?
>私はしょっしゅう解らないです。人に”あれ取って”といわれたら、
>”あれってこれ(物を持ったり、指さしたりしながら)ですか?”と
>確認してばかりなので、仕事先、学校では”この人(けいの事)変だ”
>と言われています。
>初めて精神科を訪れた時、医師から”ここで治療しましょう”と
>言われて”ここってどこですか?”と聞いてしまいました。
>私は、他の病院で治療するのかな?どこの診察室で治療するのかな?と考えて
>いたのです。
>人に”あれこれじゃなく名称で言って欲しい”と私の心の中で
>叫んでいます。
>”あれこれそれ”を理解するのは困難です・・・。
「これ・この・・・」というのは案外自分に近い感じのもの・・「あれ・あの・・・」はかなり遠くのものやなんとなく軽蔑した感じ・・「それ・その」は何か断定的とか書き言葉というふうな感じが、私はします。
案外ASの人は嫌いな言葉で、「より手がかりの多い表現のほうが分かりやすいのではないか?」と私も感じます。
こうもり wrote:
> こうもりです。鯨夢ミグさんとの間でオフ会の大まかな予
>定が決まりましたので、ここに告知します。
>
> 日程:1月26日(土曜日)
> 時間:11時30分集合(お店に11時50分を目標)
> 集合場所:JR新宿駅南口(改札を出た辺り?)
> 開催場所:「ぴーまん」
> 集合時の目印:不肖こうもりが中国で買った人民解放軍の
> のコートを着て立っております。
>
>>
> 皆様の参加を心よりお待ちしております。では
やっぱ俺も参加できるが、今申し込みでも大丈夫か?
オレンジブルーさん wrote:
>(^^)<昔から魚派でして、ちなみにオヤツもカリコリカリコリと、煮干しやらするめを好んで噛んでたというコドモでした(笑)
こんにちは〜。
おおっ、煮干ファンがいたっ! わたしも煮干を食っていました。味噌汁の出汁用に買ってある煮干の袋をかかえて食ってしまうので、母におこられてばっかりだったなぁ。
山国育ちだけれど、祖父が川で釣ってくるアカウオ(ウグイ)を祖母がコトコト甘露煮にして出してくれるおかずが大好きで、頭から骨までばりばりたべていましたね。そういえば、実家の犬も煮干ファンだった。それで20年近くも長生きしたのかもしれないと、今ふっと思いました。
>わたしも以前から「睡眠薬」にはちょっと疑問を持っていたのです。翌朝きついんですわ〜。やっぱり自然療法がいいですよねえ。
ですよ〜(笑) 薬の副作用ってしんどいものがあります。わたしは今は安定剤をやめていますが、SSRIだけでもけっこう副作用があったんだなーって気が付いて、いずれは食事の改善とサプリメント併用の生活に変えよう!と決心しました。
>題名がすごいですね@@@
>「奇跡の食品」ですか@
>わたしも読んでみたくなるじゃあないですか<ははは>今度探してみよっと@
これ↑賛成です。(わははは)
自分で読んじゃったほうが手っ取り早いかも。
1998年12月単行本で発行され、2001年5月に単行本化されたので、日本でも需要はあったということなのでしょう。
原題は『Miracle Cures』というのですが、日本で“奇跡の治癒薬”と訳せない理由なんかも前書きに書かれています。アメリカでサプリメント・ブームの火付け役となった本だそうですが、ここの掲示板の方々は知ってらっしゃるんじゃないかと思っていたんですよね、わたし。セント・ジョンズ・ワートのことも載っていましたし。
食生活の改善とサプリメントに興味を持っていて、まだ読んだことがないという方のために、もう一度書いておきます。
『奇跡の食品』 ジーン・カーパー著 丸元淑生・訳
ハルキ文庫 720円
抗うつ剤や睡眠剤の副作用が気になる、薬品の長期服用はやめて別の方法を考えたいと思っている方、変形性関節症を治す・心臓を元気にする・肝臓を守る・感染症・花粉症・頭痛・不眠その他いろいろの情報があります。
>またまた言っちゃいますが、「和食」はニホンの風土にあった食事で
>我々日本人の身体遺伝子細胞にもぴったりくるんだそうですよ@
その土地土地に合った風土食もありますものねぇ。わたしは蜂の子も蚕のさなぎもイナゴも食べるし、馬刺しも好きです。(馬を食べる習慣がなくて気持ちが悪くなった方、ごめんなさい!)スーパーにあたり前のように売っているんだもん♪
あ、話がずれてしまうところだった。
えー、サプリメントの通販カタログを請求し、自分でためしてみたいと思っています。お値段と相談なのですが……。わたしは睡眠不足が身体にこたえる人間なので、かのこ草は飲んでみたいです。
そんなわけでオレンジブルーさん、報告はいましばしお待ちください。
pennpenn58 wrote:
>武田好史 wrote
>>>>
>>>>相性がいい(=友達になりやすい!)ホロスコープ・血液型って、ありますか?
>>
>>僕の場合A型ならみずがめ座。B型ならうお座・かに座・さそり座。O型ならうお座・かに座・おとめ座。ABならしし座といったところでしょうか。
>> 反対に相性が悪いのは、ふたご座O・おうし座O・かに座A・やぎ座B・みずがめ座Bといったほうです。案外「あたしはあたし」「俺は俺」と我が強かったり・人を束縛したり・やなことを無理やり強要したりということが多い人に感じるのか、なんか苦手です。
>>
>>そうう言う私は、かに座B型でーす!永遠の子供でマイペースの・・・
>
>武田君、いつもおもしろいアンケートをありがとう。武田君のアンケートに答えるの好きです。色々考えさせられます。ところで武田君。私の答えも読んでくれた?私が蟹座のA型って書いたの読んでくれた?蟹座のA型は苦手?か、悲しい。でもでも当たっているかも。「あたしはあたし」って確かに思うもん。苦手かもしらんけどこれからのよろしくね。 永遠の少年の武田君へ
最も食わず嫌いみたいなところもあるのでしょうが・・・
武田好史 wrote
>>>
>>>相性がいい(=友達になりやすい!)ホロスコープ・血液型って、ありますか?
>
>僕の場合A型ならみずがめ座。B型ならうお座・かに座・さそり座。O型ならうお座・かに座・おとめ座。ABならしし座といったところでしょうか。
> 反対に相性が悪いのは、ふたご座O・おうし座O・かに座A・やぎ座B・みずがめ座Bといったほうです。案外「あたしはあたし」「俺は俺」と我が強かったり・人を束縛したり・やなことを無理やり強要したりということが多い人に感じるのか、なんか苦手です。
>
>そうう言う私は、かに座B型でーす!永遠の子供でマイペースの・・・
武田君、いつもおもしろいアンケートをありがとう。武田君のアンケートに答えるの好きです。色々考えさせられます。ところで武田君。私の答えも読んでくれた?私が蟹座のA型って書いたの読んでくれた?蟹座のA型は苦手?か、悲しい。でもでも当たっているかも。「あたしはあたし」って確かに思うもん。苦手かもしらんけどこれからのよろしくね。 永遠の少年の武田君へ
Maria wrote:
> 目黒寄生虫館は「ぜひ行け」という友人が多いのですが、まだ行っていません(←意外に臆弱者)。
私の中学の時の先生、自分の体の中に寄生虫買っているって言ってた。腸の(?)悪いものを喰ってくれるからとか。
pennpenn58さん、ぶちさん、レスありがとうございました。
急に思い立ってよく考えもせず質問をしてしまうあたりがADDなわたしです(汗) 最近なんとなく、わたしの母がADD方面の人ではなかったかと考えるようになっています。AS方面は父方の血かな……。(勝手にそう思っているだけですけど)
*pennpenn58さん*
集団登校の強制っていうのも、なんだかなーって思ってしまいます。「個性を大切に」「生きる力を育てる」とかお題目が立派な学校って、やってることの考え方が大人中心のような感じなので。他の子と一緒に登校するのがいやで朝早く行く子は「7時30分までこの昇降口は開きません」なんて張り紙を見ることになったりするしなー(いや、うちの子の学校の話ですけど)
遅刻しそうになって突っ走って行くのも学びのひとつと捉えることのできる大人が少なくなってます。つまんない世の中だ。
*ぶちさん*
> 「Holistic Approach to Autism」っていう、イギリスのキャンプヒルで働くお医者さん達が書いた自閉症についての本を持ってます(英語)。読みます?
お申し出ありがとうございました。残念ながら、わたしは英語が読めません。お気持ちだけありがたくいただいておきますね。
英語の読解も勉強し直したいことのひとつなんですけど……ハリー・ポッターの英語版買ってきて辞書でもひきながらやってみようかと思ったりしたんですが、過去に指輪物語で失敗しているので、勇気がでません(苦笑)
まだまだ知りたいことやわからないことがいっぱいあるなー、生きてるうちに何をどれだけ知ることができるかなーと思いながら、コドモ母は今日を生きていくのでした。
ご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami