アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
私はこのたび高機能広汎性発達障害関連のサイトを立ち上げました。
アドレスはこちらです。
http://eclat.gaiax.com/home/teraba
良かったら、遊びに来て下さい
武田好史 wrote:
>お互いに支えあいながら生活できる場が欲しいなと思ったりしますが、なかなかうまくはいかないでしょう。
高機能の人たちを取り巻く環境は厳しいです。私も支え合いながら生活できる場、作業所があればいいと思います。
グルンサさん、はじめまして。
グルンサさん wrote:
> お二人のレスと相前後して思ったこと。そもそも、この「自閉=自らを閉ざす」という言葉自体が、非自閉者から見た(場合によっては、決めつけられたか、そう思い込まれている)わたしたちの姿であって、逆にわたしたちからすれば、わたしたちなりに心を開いているのが、非自閉者に伝わっていない、そして双方のすれ違いにつながってはいないだろうか?と思います。(AS自体をほとんど知られていない、というのもあるとは思いますが。)
> ↑この、「心を開いている」の後に、『、もしくは、関心を持っている』を入れ忘れてしまいました。お手数ですが、『 』の中の文章を入れて読んでやって下さい。よろしくお願いします。
自閉の人が結婚してる、という事実は、「そうか!彼らなりにひとと一緒にいるんだ」じゃなくて、「ほんとにそのひとは自閉なの?」と、受け止められることが多いですよね。
例えば自閉かもしれない、って思われた子供が、「友達をほしがってるからこの子は自閉じゃない」と、診断をきちんと受けられなかったすることも、まだまだあるような気がします…。成人の場合もそうだし。
もちろん言葉自体が誤解されやすいということはありますけれど、そういう発言に行き当たるたびに、ちょっとかなしいなぁと思います。訂正できる間柄であれば、むきになって説明してみたり。
寺林 wrote:
>今、YAHOO掲示板の高機能発達障害のトピックを全て見て、それの障害関連の専門ページを一通り見てきたのですが、
>どれも小・中学生を取り扱っものばかりで、私のようにおとなのASを支援してくれるページは少ないと思います。
>今、障害者職業センターでPCを習っています。4月からは県外の障害者職業センターで本格的な職業支援を受けたいのですが、
>多くが身体障害者か手帳を持っている人が対象になっていて、知能の高いASへの支援はなかなか受けられないのが現実です。
>職業センターの人も「あなたは高い能力を持っているのだから、そう行った支援を受ける必要はない」と片付けられてしまいます。
>私は小さいころから回りと馴染めず、手先も不器用で、学生時代はずっといじめられつづけてきました。
>今でも仕事ができなかったり、知らず知らずに周りを不愉快にさせたりしてますが。
>本当は正式な診断を下される方がいいと思いますが、親も「診断を下されたって何もならない」と言われるばかりです。
>私は自分を受け入れてくれる場所があれば、どこへでも行きたいです。早く自分の居場所を見つけて、普通の生活を送りたい。
私もここ3.4ヶ月ほど、週一ペースで職安に足を運んで仕事を探しているのですが、とにかく不器用な自分には、二の足を踏むようなものばかりしかありません。
いっそのこと、ASの有志が集まって、お互いに支えあいながら生活できる場が欲しいなと思ったりしますが、なかなかうまくはいかないでしょう。
ああ東村山のホームレス暴行死、10年後は自分がああなってしまうのかな・・・
Mariaさん wrote:
> 普通の人にとって「自然なこと」でありながら、自閉症方面の人間にとっては「思いもよらないこと」「努力しないとできないこと」「苦痛なこと」だったりすることも、けっこうあります。
>
そうですよねー。私は今「あなたは自閉に見えない」ってよく言われるのですが、発言のタイミング、失敗したときの慌てない方法、沈黙が続くときのなにかのネタ、などなど日々の生活の中で、ずいぶん練習を積んできたように思います。
高校ぐらいの頃は、実行したくてもうまくいかないことに苦しみましたが、今ではすっかり防衛機構として機能してます。
それでも、あああーと言いたいぐらい自閉ゆえの失敗はまだまだころがってますけどね。
>
> 仕種とか表情とかが、「自分の中から出るもの」だと思うと、けっこう気持の上で負担になります。手話では、表情も含めて「言語」ですから、「コミュニケーションの手段としての表情」というものを考えることで、あたしは気分的に楽になりました。
なので、これはそうだよなーと思います。
心のそこからそう思って言わないと、って思い込んでいた方が内面的には苦しかったんです。
> 英語を喋っているときは、日本人でもオーバーアクションになって、アメリカ人みたいな大仰な仕種や表情や口調になってしまいます。『テレビの英会話教室の講師のモノマネ』じゃないけど、「『普通の人』とコミュニケートするには必要な技術」くらいに思っておくのがいいかもしれません。
↑のようなある種の割り切りはとても大切です。
今に至るまでは「なんで自分は演技を重ねて周囲を騙しているのだろう」という罪悪感のプロセスも経ています。
aya wrote:
>> できないことももちろんたくさんあるけれど、できないと知ってたら、違うやり方を見つけることもできます。これができないから、返って他のところはできる、ということもあると思います。(例えば、私は全体の構造を掴んでまとめあげることは苦手ですが、細部に熱中して深めることが、ユニーク、おもしろいと評価されることもあります。まとめるのに果てしなく時間がかかるのはかなしいのですけど。)
Mariaさん wrote:
> 「仕事」ということに限れば、KJ法とかPERT/CPMとかいったシステム分析や問題解決技法なんかを活用することで、一般には「勘」とか「才能」の問題とされているものを、「技術」「知識」「経験」といったものに置き換えることが、かなりの場合で可能です。あたしの場合、「まとめる」ことに関しては、ソフトウェア開発における構造化プログラミングという考え方がかなり役に立ちました。
>
> これも人によって向き不向きはあるのですが、そうした技術があるということを知っておくこと、あるいは「役に立つ技術があるかもしれない」とおもって目配りをしておくこと、というのは、有効かもしれません。
実は子供の頃「発想法・勉強法おたく」で、自分に欠けてるものを埋めようと必死になってました。
でも、いくら文章の書き方をたくさん読んでも、そもそも自分に書くべき何かも欠けてるってことには気がつかなかったのです。
でも今は、書きたいことやまとめたいことがあって、改めて、まとめあげる技術が足りないことに気がついている。
今こそ、そういう「枠組み」「テンプレート」を見直す時期なのかもしれないですね。思い出させてくれてありがとう。Mariaさん。
今、YAHOO掲示板の高機能発達障害のトピックを全て見て、それの障害関連の専門ページを一通り見てきたのですが、
どれも小・中学生を取り扱っものばかりで、私のようにおとなのASを支援してくれるページは少ないと思います。
今、障害者職業センターでPCを習っています。4月からは県外の障害者職業センターで本格的な職業支援を受けたいのですが、
多くが身体障害者か手帳を持っている人が対象になっていて、知能の高いASへの支援はなかなか受けられないのが現実です。
職業センターの人も「あなたは高い能力を持っているのだから、そう行った支援を受ける必要はない」と片付けられてしまいます。
私は小さいころから回りと馴染めず、手先も不器用で、学生時代はずっといじめられつづけてきました。
今でも仕事ができなかったり、知らず知らずに周りを不愉快にさせたりしてますが。
本当は正式な診断を下される方がいいと思いますが、親も「診断を下されたって何もならない」と言われるばかりです。
私は自分を受け入れてくれる場所があれば、どこへでも行きたいです。早く自分の居場所を見つけて、普通の生活を送りたい。
そういえば今年の新年の誓いは、「寛容」だった。
どうしてこう忘れっぽいんだろう。まだ1月だというのに。
あさかぜさん wrote:
> ホントはね、ちょっと疲れてる。
> 掲示板で元気なフリもできなくなるほど。
>
> 旅に出たいな。
> ひと休みしたいな。
>
> でも、できないから……
> ドヴォルザークの「新世界より」でも聴こう。CDで。
>
> おやすみなさい。
> みんな、元気でね。
わたしも、10年近く突っ走ってきて(と、自分でいうのもなんですが)、少し休みたいな…と思います。なにより、自分というものを知らないままできてしまったことが大きかった気がします。なんとか軌道修正したいな…。(もちろん、自分自身をきちんと知って、かつ、それを受容した上で…ですが。)
あさかぜ さんwrote:
> ホントはね、ちょっと疲れてる。
> 掲示板で元気なフリもできなくなるほど。
>
> 旅に出たいな。
> ひと休みしたいな。
>
> でも、できないから……
> ドヴォルザークの「新世界より」でも聴こう。CDで。
>
> おやすみなさい。
> みんな、元気でね。
いつだったかなぁ、あさかぜさんが夢に出てきたの
私が住んでる町のお祭りを見物していたら、私の隣にあさかぜさんが居たの
一度も会ったことがなかったのに「あっ!あさかぜさんですか?」って訊いたら
「そうです」ってあさかぜさんが言ったの
今夜も、夢の中であさかぜさんに会えたらいいな
こんばんわ〜*オレンジブルーです。
こうもり 兄様wrote:
>tasukさん wrote:
>>皆さんにお伺いしたいのですが、おしゃべりしたくても
>>できない人っていますか?またASにはその様な傾向は
>>ありますか?
私なんか非自閉者と知人挟んでの初顔合わせであろうと、
超馴れ馴れしくって喋りっぱなしですよ@**@
>>私は人並みに誰かと仲良くしたいとか、楽しくおしゃべりしたい、と
>>思っているのですが、いざおしゃべりの輪の中に
>>入ると、頭が空白になり、なにもいえなくなってしまいます。
高校生までは私もそれがきつかったです。
しかし、大学受験を控えるやいなや、「開放感」で受験しに県外
へ一人旅立ったり勉強するのが好きで好きでしょうがなかったです。
その頃からでしょおか。
結構自分の思いなどが、「開放」されて結構自由に喋れるように
なったのは。。経験や環境の影響もあるのだろうなあ、、って気もします。
> でも、個人的な考えを言えば、おしゃべりを楽しむことができる少
>数の友達の方を大切にしていった方がいいと思います。むかし見た『
>フォレスト・ガンプ』という映画に登場したIQ70の主人公は友達
>が少ない代わりに、とてもよき友達に恵まれていました。そういう人
>生もまた素晴らしいです。
わあ。こうもりさん、私ねえ「フォレストガンプ」見た時は、「自分に似ちょる」とおもいました。あの単独一方通行運動系。。同じことばっかりやってて「凡人離れ」した集中力。かっくいい!と、しびれました。私は斜め懸垂を七十回やったり、持久飛びを体育の時間の終わっても飛び続けてた口でして、きかい体操に推薦されたこともありました。しかし体力の持続性が弱いので辞めました。
最近ちょと思っているのは、「自閉者の身体に筋肉は付きにくい?」ということ。単に強靭じみてみえるのは、「キャッチ」できない神経伝達の困難さからくるものだろうと私は思うのです。
「レインマン」がテレビで放映された時は、家の親から
(私は女の癖にマザコン傾向です)「家に似たようなイキモンがいるから別に画面でまで観たくないわい」と発言されてしまいました。<ぶほっ
ホントはね、ちょっと疲れてる。
掲示板で元気なフリもできなくなるほど。
旅に出たいな。
ひと休みしたいな。
でも、できないから……
ドヴォルザークの「新世界より」でも聴こう。CDで。
おやすみなさい。
みんな、元気でね。
るう wrote:
>子供の頃、自分の中にお友達がいませんでしたか?
>いや、現実の世界じゃなくて、想像の世界に。
わーおんなじです。
私の場合、つい最近いなくなりました。
高校生の頃は、なんだかうじゃうじゃいましたけど。
だんだん、統合・整理されて、ひとりかふたりになりました。
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」でも
イワンが、そういうもう一人の自分に脅迫されてましたが。
天使だか悪魔だか、よく分からなくなったものです。
スナフキンに憧れていたので、
旅人のトム・トラベラーという人も登場しました。
今では、私が彼にかわって旅をしています。
できるのも やりたきもなく 過ぎる時
われ思い・問う 生きるとは何?
I wrote:
> (前略)逆にわたしたちからすれば、わたしたちなりに心を開いているのが、非自閉者に伝わっていない、そして双方のすれ違いにつながってはいないだろうか?と思います。
↑この、「心を開いている」の後に、『、もしくは、関心を持っている』を入れ忘れてしまいました。お手数ですが、『 』の中の文章を入れて読んでやって下さい。よろしくお願いします。
レスありがとうございます。
私と同じような経験をお持ちの方がいて
心強いです。
皆さんは空白の時と、おしゃべりモードになる時
ガ有るようですが、私は空白の時ばっかりなので
一度喋りだすと止まらないという風になってみたいです。
ごく少数の話せる友達といるときもどちらかというと
無口な方です。ごくごくたまーに(半年に1度くらい)
言葉がつぎつぎ出てくることがあるのですが、(何故か深夜に多い)
これが続けば良いのにな〜と思います。
いつもテンション低くて自分でも嫌になります。
ayaさん、直子さん、はじめまして。
ayaさん wrote:
>直子さん wrote:
>
>>>息子は家庭医学書などで自閉症を調べて私にこう言った。「お母さん、俺は自閉症じゃないよ!だって俺は人に関心がある」と。
>息子ASは人に関心があって、自分を受け入れてほしいと望んでいても医学的には自閉者になってしまう。
>心を閉ざしているわけでもないのに。
>>ayaさんのレスにハッとさせられました。私自身も古い自閉症観が残っているようで息子に「俺は自閉症じゃない!人に関心がある」と言い返されたとき、言葉が見つからなかったのです。妙に納得してしまったというか。
>>
>>確かに一般向けの家庭医学書にはカナータイプの症例が多いですね。息子が中学のときは、まだ私もASについての知識がなかったので、どう説明したらいいのか悩みました。「ガイドブックアスペルガー症候群」の本を手にした時は本当にホッとしました。
>
> 自閉の本質って、人に関心があるかないか、というより、認知、思考、行動の全てが微妙に違っている、というような気がします。難しいですけど。
>
> できないことももちろんたくさんあるけれど、できないと知ってたら、違うやり方を見つけることもできます。これができないから、返って他のところはできる、ということもあると思います。
>
> ひとができることができない、悪いだけのものだって思わずに、やり方が違うだけだし、いいところもあるよ、と伝えられるといいのですけれど。
お二人のレスと相前後して思ったこと。そもそも、この「自閉=自らを閉ざす」という言葉自体が、非自閉者から見た(場合によっては、決めつけられたか、そう思い込まれている)わたしたちの姿であって、逆にわたしたちからすれば、わたしたちなりに心を開いているのが、非自閉者に伝わっていない、そして双方のすれ違いにつながってはいないだろうか?と思います。(AS自体をほとんど知られていない、というのもあるとは思いますが。)
この考え方が合っているかどうかはわかりませんが、ふと思ったことを書いてみました。
横横横レスになるのかな?
みどりさん、こんにちは。
tasukさん、みあんにゃさん、はじめまして。
みどりさん wrote:
>すごくわかります。まるで別の自分がいるような気がします。話が終わると、夢を見てたのかと言うような気分になります。
>で、話を反芻しては、後悔が爆発して収拾つかなくなったりします。
ううう、似てます。しゃべれなければ欲求不満が残るし、しゃべり終わると自己嫌悪……。「ちょうどいい」という経験が、ない!です。
>大量に投稿してるので信じてもらえないかもしれませんが、ここでの投稿でも似た感じがあります。
わたしもそうです。書くこと自体は好きですが、いつも「後悔のかたまり」と化してしまいます。「忘れるんだ、忘れてしまうんだあぁぁぁ!」と自分に言い聞かせているけど、夜中に目が覚めて考えていることもあります。なんでこうなんだ???
昨日、オフ会でドラえもんの話題が出た時に、突然ジャイアンの
ことを思い出しました。ジャイアンの言葉はなぜか昔から印象に残
ることが多かったのです。
(人に頼み事をする時)
「おお!!のびた。いいモン持ってんな。オレに貸せよ!!」
「おれのものはおれのもの。おまえのものもおれのもの。」
(頼み事を聞いてくれた場合)
「おお!!心の友よ!」
(頼み事を断られた場合)
「なにい!!おれの頼みが聞けないってのか!!?」
「のびたのくせに生意気だ!!」
ジャイアンの言葉は極めて自己中心的なのですが、あまりいや
みな感じがしません。それどころか、論旨が一貫していてある種
の求道者のような色彩さえ帯びています。
しかも、世界の思想などを見ていると以外に自己中心性を徹底
化させることを説く思想がけっこうあるのです。代表的なのは中
国の厚黒道。その名の通り、厚かましく腹黒く生きる事を説く思
想で、「幼児が周りにあるものを全部自分のものにしてしまおう
とするが如く、自分の欲望のままに行動すること」を、究極の理
想とします。神仙道の中にも、禁欲することだけではなく、快楽
のままに行動することを無為自然の理想の境地とする一派があっ
たと言われています。
う〜む。ジャイアニズムは奥が深い…。
余談ですが、アンパンマンというアニメに登場するバイキンマ
ンのセリフもちょっと好きです。
「悪いことをするってなんて楽しいんでしょう!!ハヒフヘホ〜
!!」
「人はなぜ悪をなすのか」という人文科学上の問いに対するこ
れ以上の明快な答えは他にないように思われます。
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