アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: ふれさん、おひさです。 11743へのコメント
No.11748  Thu, 28 Mar 2002 02:54:34 +0900  ふれ [この発言にコメントする]

Milkyway さんwrote:
>日付が代わって、ふれさん、おひさです。
>今日はクリスチャンにとって、とっても大切な日です。
>
>関係ないかもしれないけど、もう「平行線」はお読みになられましたか?
>「○○○の証人」についての記述があるみたいです。

主の記念式ですね。もちろん、出席します。ルカ22章14〜20節の聖句があてはまります。

「平行線」は読んだことないので、わかりません。今度買ってみようかな、その本。批判的な内容なのかしら。ちょっと心配。。。。


Re:Re: NPOのつくりかた 11727へのコメント
No.11747  Thu, 28 Mar 2002 01:39:31 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

武田好史さん wrote:

> 軽度発達障害について理解のある専門家に、顧問として加わってもらった
>ほうが良いのではと、私は思います。例えば法律など私たちの手に負いづら
>い問題もあるにはあると思います。

成人LDの会でも結成時に話し合ったのですが、自主運営路線でいこうと
いう話になっておりました。これについては軽度発達障害者の間でもニーズ
が分かれるんですよね。

 専門家との関係の持ち方は微妙な問題です。

(1)きちんとアドバイサーを雇って活動をする

(2)外部からの協力をお願いする形を取る

(3)一切、関係を持たない

 個人的には(2)がいいと思っているのですが、どうでしょうかね〜。


>かつて英国の自閉症協会が、ASの大人の集いの主催を本人たちにゆだ
>ねようしたところ、「職員はわかっているくせに、僕たちに月へ行くよ
>うな困難なことをさせるのか!」と痛烈な非難の声があがったといいま
>す。

このエピソードについては少し自閉人の側にも問題があるような気も
します。自主グループというのははじめは多くのサポートを得ながらや
っていくことになりますが、次第に自主運営に向かっていくことが望ま
しいと考えています。だんだん支援者への依存を強めていってしまう活
動というのはどうなのだろうか。


Re: 工学的アプローチによるノーマライゼーション 11742へのコメント
No.11746  Thu, 28 Mar 2002 01:31:33 +0900  Maria [この発言にコメントする]

> みどりさん wrote:
> Mariaちゃんともあろう人が、自分の考えがいちばん素朴だと思うなんてとても不思議。
> ちなみに私には Maria ちゃんの回答の方が不自然で、シュッツさんの方が素朴に思えます。(最初に自明な枝を刈り込んで、確実に正解方向に近づいている。しかも小銭出してじゃらじゃらやるのとも似てる)

 えー、みどりさんともあろう方が、誤読をされるとはけっこう不思議(^_^;)。

 あたしは、「小学生にとって素朴であるとあたしが考える解法」として例をあげたわけで、あたし自身が素朴だと考えるのは、「どうせ組合せパズルなんだから機械的に解けばいいじゃん」という、コンピュータ力技(ちからわざ)法です。

 for ( n500 := 1 to 10 ) {
  for ( n100 := 1 to 9 ) {
   for ( n10 := 1 to 8 ) { ……

とループを回しておいて、その一番内側で、

 ( n500 + n100 + n50 + n10 + n5 + n1 = 15 ) & ( n500 * 500 + n100 * 100 + n50 * 50 + n10 * 10 + n5 * 5 + n1 * 1 = 750 )

という条件が成立したところで結果をプリントアウトする、というのがあたしにとっていちばん素朴。

 解析的解法としては、とりあえず五百円玉・百円玉・五十円玉・十円玉・五円玉・一円玉を一枚づつ揃えておいて、750円に近づけてゆくというアプローチもあるのですけれどね、それは(欧米でのおつりの出しかたを考えると)日本人よりも欧米でのやりかたに近いと思います。
 で、そうしたアプローチの場合、「750円に近づけてゆく」というアプローチのほうが、「750円から引く」というアプローチよりも素朴なのではないか、と思ったのですよ。

 で、「小学生向けの素朴な解法」というのを試してみたら、たとえば合計が850円で枚数が十六枚のときは、

 五百円玉  一枚 500円
 百円玉   二枚 200円
 五十円玉  二枚 100円
 十円玉   三枚  30円
 五円玉   三枚  15円
 一円玉   五枚   5円

 五百円玉  一枚 500円
 百円玉   一枚 200円
 五十円玉  四枚 100円
 十円玉   四枚  40円
 五円玉   一枚   5円
 一円玉   五枚   5円

の二通りあることなんかも解ってしまったりするのですね。だから、貨幣の種類がもっといっぱいあって、合計金額がもっとずっと多くて、組合せがむちゃくちゃ多いときにはどうしたらいいんだぁ、みたいなことを考えると、やっぱり「(小学生にとって)素朴な」アプローチではどうしようもなさそうだ、というのも解ってしまったわけです。

 だけど、こういうのの一般的(かつ解析的)解法とか考えても、あんまり面白い結果って出てこなさそうに思うのね。だもんだから、ちょっと興味が持てなかったりします。

 そんなわけで、欧米人にとっての「素朴」と日本人にとっての「素朴」、あるいは専門領域が違う人間にとっての「素朴」はそれぞれ違う、ということなんじゃないかなー、と思います。

 (Maria)


Re: NPOのつくりかた 11731へのコメント
No.11745  Thu, 28 Mar 2002 01:20:14 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

作業中のこうもりです。

Mariaさん wrote:

> そういえば、こうもりさーん、団体作るんなら名前決めてくんない? べ
>つに「自閉症者グループ連絡会」とかいったそっけないモンでも構わないん
>だけどさ。>こうもりさん

わたしが考えた団体名の候補は以下の通りです。

(1)秘密結社おうてぃずむ(個人的にはこれが1番好き)

(2)アスペ・ルーガ

(3)元裏問題児ネットワーク

(4)アスペの誓い

 こんなところでいかがでしょうか?


反省
No.11744  Thu, 28 Mar 2002 00:35:24 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 考えたらあたしは誰かにメールを出したことがないように思う。

 そう、考えたら、手紙すら出したことがないように思う。仕事上の売込み、たとえばこれと思った相手にプロポーザル(提案書)を送りつけるとかいったことはしたことがあるけれど、自分から手紙を出したことはない。

 もちろん、「手紙をください」と言われて必要に迫られて手紙を出したりすることはもちろんあるのね。だけど、相手が自分からの手紙を予期していない場合、あるいは「当然来てもおかしくないだろうな」と予想していない場合については、あたし(というか、大森総研のメンバー)はとても臆病だったりするわけです。

 自分がメールアドレスを公開していて、何人かの人にメールを戴いて、それでもあたしは自分に自信が持てない。ひょっとしたら迷惑なんじゃないだろうか。嫌われたりしないだろうか。そう思って、躊躇してしまうのですね。

 考えたら、これはあたしにメールを下さったかたにとても失礼なことなんじゃないだろうか。そう思ったりもします。この『アスペルガーの館の掲示板』にのさばっているあたしを不快に思っているひとだってもちろんいるはずだし、それを考えると「安全な相手」以外とはつきあおうとしない自分がけっこうイヤだったりします。

 まあ、この『アスペルガーの館の掲示板』には、あたしと同じように人とつきあうことに臆病になっているひとは多いと思うんですよ。で、あたしがそういうひとたちに信頼されたというのは、とてもありがたいと思います。あたしがこの『アスペルガーの館の掲示板』で積極的に発言し、自己開示してきたことが、そうした信頼関係を築いてことに寄与しているとは思っているわけです。

 とはいえ、このまんまこういう引っ込み思案な自分というものを続けてていいんだろーか、とは思ってしまうのですね。あたしは「発言する自閉症者」としての責任をちゃんと果たさなきゃいけないんじゃないだろうか。むしろ積極的にいろんな人にコンタクトを取り、自閉症方面の人からは積極的に要求を吸い上げ、協力を頼めそうな人にはダメモトで支援を取りつける努力をしなきゃいけないんじゃないだろうか。あたしは失敗を怖れすぎてはいないだろうか。そう思うのですね。

 ソフトウェア開発者としての自分には自信があったけれど、一個の人間として認められるということに対して、あたしは自信がありませんでした。
 何かが「できる」ことでしか自分は愛されないのだ、と、どっか心の底で思いこんでいた気がします。これって失礼な話ですよね、やっぱり。

 改めたいな、と思います。私事で恐縮ですが。


  作者を取りのけてなお価値ある作品は、作品を取りのけてなお価値のある作者によって生み出されるような気がする。

  − 辻まこと

 (Maria)


ふれさん、おひさです。
No.11743  Thu, 28 Mar 2002 00:15:16 +0900  Milkyway [この発言にコメントする]

日付が代わって、ふれさん、おひさです。
今日はクリスチャンにとって、とっても大切な日です。

関係ないかもしれないけど、もう「平行線」はお読みになられましたか?
「○○○の証人」についての記述があるみたいです。


Re: 工学的アプローチによるノーマライゼーション 11739へのコメント
No.11742  Thu, 28 Mar 2002 00:14:50 +0900  みどり [この発言にコメントする]

みどりです。やっと恋愛ハイからちょっと冷めはじめました。あ〜疲れた。ほっとしたような、つまんないような。

Maria wrote:
>ということをやっています。これって、なんか不自然な気がするんですよ。あたしだったら、
(中略)
>で済ませちゃうと思います。で、おそらくこれが一番素朴な回答なんです。だけど、これは「工学的アプローチ」としては正しくても、現在の学校教育でいう「算数」とはいえない。問題は、「算数」の範囲内で解く、ということなんです。試験の最中にお財布から小銭出してじゃらじゃらじゃら、とかやってたら、試験官だって困っちゃうだろうし。だけど、実生活だったら、テーブルの上にお金をじゃらじゃら出してやってみるのがいちばん早い。

Mariaちゃんともあろう人が、自分の考えがいちばん素朴だと思うなんてとても不思議。

ちなみに私には Maria ちゃんの回答の方が不自然で、シュッツさんの方が素朴に思えます。(最初に自明な枝を刈り込んで、確実に正解方向に近づいている。しかも小銭出してじゃらじゃらやるのとも似てる)

そういえば以前、自分自身でこの問題を解いたときは、また別の解き方だったな、の みどり


Re: お久しぶりです(^w^) 11732へのコメント
No.11741  Wed, 27 Mar 2002 23:23:16 +0900  ふれ [この発言にコメントする]

シンタロウ wrote:
>
> どうも皆さんお久しぶりです。シンタロウです。(^w^)
 
進路がきまったのですね。おめでとう!慣れない寮生活で大変なこともあるかもしれないけど、そんなときはここの掲示板でみんなにお話して、よいアドバイスや、励ましをもらおうね。ところで、ギターの音色とても私は好きですよ。


Re: 工学的アプローチによるノーマライゼーション 11739へのコメント
No.11740  Wed, 27 Mar 2002 23:09:32 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
> この問題にしても、シュッツさんは、
>
>シュッツさん wrote:(一部変更)
>>  五百円玉・百円玉・五十円玉・十円玉・五円玉・一円玉は、それぞれ必ず一枚以上あるので、それぞれ一枚分を引くと:
>>
>> 750−(500+100+50+10+5+1)= 750 − 666
>>  = 84(円)
>> 15−6=9(枚)
>
>ということをやっています。これって、なんか不自然な気がするんですよ。

まあ確かに、私の思考方法は他人から見れば不自然なのかも知れませんね。
でも私にとっては「円」という単位を付けてしまうだけで、考えづらくなるのです。
上記の計算過程は無理にひねり出したものではなく、問題を見たときにまず思い付いたものです。

もっと頭の中を分析すると、アラビア(インド)数字で計算するのではなく、数値を面積に置き換えているようです。
「ようです」と書いたのは、意識していないので、あとで振り返ってみるとそのように考えていただろうと思われるからです。


Re: 工学的アプローチによるノーマライゼーション 11733へのコメント
No.11739  Wed, 27 Mar 2002 22:57:53 +0900  Maria [この発言にコメントする]

I wrote:
> 人間は、日常生活の問題を、数学の問題に還元して解いたりはしない。なんでかというと、そうすると解けなくなっちゃう場合が多いからだ。

シュッツさん wrote:
> そ、そうだったんですか。
> 数学にした方が簡単だと思ってた!

 小学生相手に実際に算数を教えてみるとわかるんだけど、小学校レベルの算数というのは適当に数を当てはめてヒューリスティックに解けばけっこう解けちゃうんですよ。一個正しい答えが見つかれば、それがだいたい唯一正しい答えだし。ただ、短時間ですべての正しい答えを間違いなく見つけることができないというのと、方程式を使わずに解かなきゃなんないというのが難しいわけです。
 実際のところ、「コンピュータを使ってすべての場合を尽くす」という「エレファントな解法」を使うか、方程式を使うかすりゃあどうにでもなると思ってるし、パズルみたいな問題がいくら解けても役には立たないと思っているので、小学校レベルの算数の問題には、基本的な考え方をマスターしてるかどうかのチェックに使う以上の意味はないとあたしは考えています。だから答えが合ってるか合ってないかは重要じゃなくて、どういうアプローチで解くかを見たいのね。で、できれば「こういうアプローチで解きました」というのをちゃんと言葉で説明できるというのが理想的なわけ。

I wrote:
> 『十五枚の硬貨があって、合計が七百五十円である。
> 五百円玉・百円玉・五十円玉・十円玉・五円玉・一円玉がそれぞれ一枚以上ある。五十円玉と十円玉の枚数は、それぞれ何枚か。』

 この問題にしても、シュッツさんは、

シュッツさん wrote:(一部変更)
>  五百円玉・百円玉・五十円玉・十円玉・五円玉・一円玉は、それぞれ必ず一枚以上あるので、それぞれ一枚分を引くと:
>
> 750−(500+100+50+10+5+1)= 750 − 666
>  = 84(円)
> 15−6=9(枚)

ということをやっています。これって、なんか不自然な気がするんですよ。あたしだったら、

1)まず、七百五十円を普通に用意する。
  (五百円 百円 百円 五十円)

2)十円玉と五円玉と一円玉が欲しいので、余っている百円玉を五十玉円と十円玉四枚と五円玉一枚と一円玉五枚に両替する。

  (五百円 百円 五十円 五十円 十円 十円 十円 十円 五円 一円 一円 一円 一円 一円)

3)十四枚だから、一枚足りない。十円玉を五円玉二枚に両替する。
  (五百円 百円 五十円 五十円 十円 十円 十円 五円 五円 五円 一円 一円 一円 一円 一円)

で済ませちゃうと思います。で、おそらくこれが一番素朴な回答なんです。だけど、これは「工学的アプローチ」としては正しくても、現在の学校教育でいう「算数」とはいえない。問題は、「算数」の範囲内で解く、ということなんです。試験の最中にお財布から小銭出してじゃらじゃらじゃら、とかやってたら、試験官だって困っちゃうだろうし。だけど、実生活だったら、テーブルの上にお金をじゃらじゃら出してやってみるのがいちばん早い。

 ここで、「ちょっとそれは矛盾した発言なんじゃないか」という意見はありそうに思います。一方で「わかる」というプロセスの重要性を声高に叫んでいながら、九九のようなブラックボックス的なものを認めるのか、と。

 だけど、千の千倍が百万だということを、あたしたちは「理解」してるんでしょうか。十万円のパソコンが五百円のラーメン二百杯分だということを、実感してるんでしょうか。むしろ、「直感的・感覚的には捉えられないようなスケールのものを、“実感”のレベルに引きよせる」ために、そうしたブラックボックス的なものが必要なんじゃないでしょうか。

 これ、ダイクストラさんという計算機学者さんの『コンピュータ・サイエンスを真に教えることの残酷さについて』という論文で論じられてることなんですけどね、マイクロ秒単位の計算を何億回と繰返して何日もかかる計算をする、とかいった世界は、とてもじゃないけど人間の感覚でつかみとることができたもんじゃなくて、普通の人間だったら現実感覚をなくしちゃうんじゃないか、みたいなことがあるわけです。「バブル惚け」なんていうのは、これに近い感覚じゃないかと思うんですよ。

 とはいえ、日本だけで年間一万人以上の人間が交通事故で亡くなっていて、その数倍の人間が行方不明になっている、とかいった話を聞くと、「十人や二十人の人間が消えたからって北朝鮮に対してごちゃごちゃ言うのは国益に反する」みたいなことを言い出す人が出てくるのもわかんなくはないな、と思います。日本国内に人知れず監禁されている女性や子供が百人とか二百人とかいてもおかしくないし、人知れず殺されて山の中に埋められてたり海に沈められてたりする人が千人とか二千人とかいてもおかしくない。Motoちゃんが沈めただけでも相模湾の底でコンクリの靴履いてキョンシーみたいに前へ倣えしてるひとが一人二人三人……あやややや。

 ともあれ、「算数」というのは、「数学的思考能力」を育てるもんじゃなくて、「現実感覚」を育てるものだとあたしは思うんですよ。あたしがシュッツさんの「心の理論」に対する考え方に対して懐疑的なのも、そこんとこに原因がありそうに思います。

 最後はちょっと個人的なことになってしまいました。ごめんなさい。

 (Maria)


嘆き
No.11738  Wed, 27 Mar 2002 22:38:42 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

ある人は嘆く
若者が家の中に悶々と引きこもっていることを
ある人は嘆く
部下の仕事ぶりがいつまでたっても板に着かないことを
ある人は嘆く
息子が一流大学に行こうとしないことを
ある人は嘆く
幼い娘がアパートの2階の部屋の中でどたどた走り回ることを

私は嘆く
スピードと利益ばかり追求するあまり弱者がいられなくなった世間を
私は嘆く
人の能力にはいくら努力しても超えられない壁があることに気づかぬ輩を
私は嘆く
本当の一流校とは難しい授業を聞く場のことではなくわかりやすい授業を聞く場であることを知らぬ父親を
私は嘆く
それが彼女が元気な証拠と受け止めてあげられない母親を


Re: 質問(軽度発達障害の人がBESTで生活できる条件は?) 11721へのコメント
No.11737  Wed, 27 Mar 2002 18:41:44 +0900  オレンジケーキ [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
>> 「軽度発達障害の人がBESTで生活できる条件を3つあげてください!」
新顔のオレンジケーキです。わぁ、難しい質問ですね。しかも「軽度〜」の医学的知識を持ち合わせていないので・・(>_<)。でも社会人の場合に限定して、私なりに考えてみました。
 1)就労の場の確保
  各人の能力やスキルに合った仕事があり、なおかつ周囲の人々の理解と配慮があること。
 2)生きがいを持つ!
  これは、「軽度〜」に限らず全ての人々にとってめっちゃ大切なことだと思います。仕事、音楽、スポーツ、小石拾い(?)毎朝のラジオ体操etc、好きな事であればなんでもOK。
 3)良い家族、友人をもつ。(少なくてよい。一人でも。)
  「軽度〜」の人にとっては交友を深め、保ち続けることはかなり困難なことかもしれませんが、理解してくれる人が一人でも存在すれば、精神的にも大きな支えとなるはず・・。
 以上です。うーん、書いているうちに、ほとんど私個人の願望みたいになってしまいましたね。ごめんなさい(笑)
 それから、あさかぜさん有難うございます。新聞配達は私も実は考えてみました。求人情報にあまり見かけないのは気のせいかな?私も、あさかぜさんのように自信を持てるようになるのが夢です! 


Re:Re: NPOのつくりかた 11693へのコメント
No.11736  Wed, 27 Mar 2002 17:50:34 +0900  aya [この発言にコメントする]

遅ればせながらayaです。

Mariaさん wrote:
> 会員名簿を作る。
> 役員のような「活動可能なスタッフ」のリストを作り、会員から委任を受け、活動を代行する人間を決める。
> 会費を集め(学生会員みたいな、経済的に無理な負担をしなくていい会員も認める)、それを管理・運用する。
> ミーティング等を主催し、掲示板・メーリングリストなど、会員間のコミュニケーションの手段を提供することで、会員の意志を会の活動に反映させる。
> ニューズレター(メールマガジンを含む)や冊子を発行するなど、会員の創造的な活動を支援し、会員の意志を対外的にアピールする。
>
>といった組織を作っておくと便利なんではないかなー、と思ったわけです。

こういうことって、一度やってみるとそうでもないけど、やるまでには敷居が高く、また人によって得意不得意がわかれる分野なので、うまくノウハウを蓄積していく仕組みがほしいところです。
#マニュアルつくろうとして、とまってるaya


Re: お久しぶりです(^w^) 11734へのコメント
No.11735  Wed, 27 Mar 2002 17:33:13 +0900  シンタロウ [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
>
>そのうちオフ会で、演奏してくれー!(^〜^)

 了解!!!(~∀~)


Re: お久しぶりです(^w^) 11732へのコメント
No.11734  Wed, 27 Mar 2002 14:48:14 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

シンタロウ wrote:
>
> どうも皆さんお久しぶりです。シンタロウです。(^w^)
>
> 僕は四月からESPギタークラフトアカデミー(http://www.espguitars.co.jp/gca)へ行きます。
>
> あと、僕が住む寮の僕のメールアドレスをお教えします
>      3oxy7651@md-com.co.jp

そのうちオフ会で、演奏してくれー!(^〜^)


Re: 工学的アプローチによるノーマライゼーション 11730へのコメント
No.11733  Wed, 27 Mar 2002 12:15:05 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

Maria wrote:
> 『十五枚の硬貨があって、合計が七百五十円である。
> 五百円玉・百円玉・五十円玉・十円玉・五円玉・一円玉がそれぞれ一枚以上ある。五十円玉と十円玉の枚数は、それぞれ何枚か。』

必ず一枚以上あるので、それぞれ一枚分を引くと:
750-500-100-50-10-5-1=84円
15-6=9枚

この時点で五百円玉と百円玉は1枚づつとなる

4円分には一円玉が4枚必要(計5枚)
残りは5枚で80円

もし五十円玉がないと、最低8枚必要なので、五十円玉1枚(計2枚)
残りは4枚で30円

一の位が0なので、もし一円玉があるならば最低5枚必要なので、一円玉はない
十円玉と五円玉を組み合わせてみれば、2枚(計3枚)ずつで30円になる

以上を合計して
五百円玉 1枚
百円玉  1枚
五十円玉 2枚
十円玉  3枚
五円玉  3枚
一円玉  5枚

> 人間は、日常生活の問題を、数学の問題に還元して解いたりはしない。なんでかというと、そうすると解けなくなっちゃう場合が多いからだ。

そ、そうだったんですか。
数学にした方が簡単だと思ってた!


お久しぶりです(^w^)
No.11732  Wed, 27 Mar 2002 11:40:03 +0900  シンタロウ [この発言にコメントする]


 どうも皆さんお久しぶりです。シンタロウです。(^w^)

 僕は四月からESPギタークラフトアカデミー(http://www.espguitars.co.jp/gca)へ行きます。

 あと、僕が住む寮の僕のメールアドレスをお教えします
      3oxy7651@md-com.co.jp


Re: NPOのつくりかた 11729へのコメント
No.11731  Wed, 27 Mar 2002 11:35:08 +0900  Maria [この発言にコメントする]

あさかぜさん wrote:
>  この考え方に反対するわけではないのですが、ソーシャル・アントレブレナー(社会起業家)という考え方も参考になるのでは?と思いました。

 町田洋次『社会起業家 「よい社会」をつくる人たち』PHP新書134、というのもあります。

>> 同人誌は面白いです。何週間もかけて作って、何日も徹夜して、最後にいくらか手に入ったお金でみんなでハンバーガー食べてコーヒー飲んだら終わり、とかいうのでも。

>  実感あふれていますね(^_^) 同人誌は一度やるとハマるほど面白いです。個人でやっても、仲間でやってもね♪ (←実はもう一度やりたいと思っている……)

 編集会議とかいうと、学生時代はお金がないのでたいていハンバーガー・ショップの二階だったような気がする(-_-;)。とりあえず『『アスペルガーの館の掲示板』・傑作書込み選集』(「自薦・他薦・問いませ〜ん」←読み筋は『でぶや』の『デブ好き美女図鑑』)でも出しますぅ? 

 そういえば、こうもりさーん、団体作るんなら名前決めてくんない? べつに「自閉症者グループ連絡会」とかいったそっけないモンでも構わないんだけどさ。>こうもりさん

 全然関係ないけど、野辺山にある電波天文台の宿泊施設の名前は、「マルバツ山荘」といいます。これ、公募のときに例として「たとえば○×山荘とか」と書いてあったのがそのまま名前になってしまいました。うちの天文部の部誌は「天文部なんだから星に関係あるもの名前を」というので「ラテン語では“ステラ”」「フランス語では“エトワール”」とか言っているうちに「新潟県では“ほす”」というのが出て、『ほス』(本当は“ス”がちょっと小さい)となりました。

 こういう崩れ系の名前だと面白いんですけど……だめか(^_^;)。

 なんか団体名とか同人誌のアイディア(含む誌名)あったら教えてくんない?>全員へ

 (Maria)


工学的アプローチによるノーマライゼーション
No.11730  Wed, 27 Mar 2002 10:57:22 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 今日、どこかの中学校の2002年度の受験問題を電車の中で見かけた。こういう問題である。

 『十五枚の硬貨があって、合計が七百五十円である。
 五百円玉・百円玉・五十円玉・十円玉・五円玉・一円玉がそれぞれ一枚以上ある。五十円玉と十円玉の枚数は、それぞれ何枚か。』

 じつは、小学校の算数の範囲内で、この問題をきれいに解く方法は、たぶんない。ひょっとしたらあるかも知んないけど、とてもじゃないけど一時間二時間で思いつくようなものでもなさそうに思う。

 そもそも、こういった問題を解かなくてはならない状況が、日常生活の中にあるかというと、想像がつかない。硬貨の枚数の合計だとか、硬貨が種類ごとに一枚づつあるとか、そういった条件が問題になりそうなことといったら、「自動販売機の制禦プログラムを書く」くらいなもので、とても「普通の人の日常生活」にありそうには思えない。で、仮にあったとしても、自分で解く必要はめったになく、専門家の手にゆだねるのが正解だと思う。

 人間は、日常生活の問題を、数学の問題に還元して解いたりはしない。なんでかというと、そうすると解けなくなっちゃう場合が多いからだ。

 こういう問題を考えてみよう。

 『上下の区別があるカードが多数あって、片面に大文字のアルファベット、その反対側の面に数字(俗にいうアラビア数字。本当は「インド数字」)が、それぞれ1個だけ書いてある。数字のゼロ(0)と文字のオー(O)、数字の6と数字の9は区別できるものとする。
 さて、ここにそういったカードが四枚ある。表に出ているのは、A・K・4・7。この四枚について、「母音の裏側は、偶数である」という規則が成立っていることを確認するには、どのカード(ゼロ枚あるいは複数枚回答可)と裏返せばよいか。』

 この問題、大学生でも四割くらいしか正解率がないという、けっこう難しい問題だったりする。だけど、こんな問題はどうだろう。

 『ニコニコ幼稚園(ようちえん)という幼稚園があります(筆者註:本当にある)。ニコニコ幼稚園では、「年少(ねんしょう)さんは、なまえ・住所(じゅうしょ)・電話番号(でんわばんごう)を書いたまいごふだをみにつけているか、もっていなければならない」というきいまりがあります。
 ここに四人(よにん)のこどもがいます。みんな、ニコニコ幼稚園のおともだちです。
 まーくんは年長(ねんちょう)さんです。あきちゃんは年少さんです。しーちゃんはなまえ・住所(じゅうしょ)・電話番号(でんわばんごう)を書いたまいごふだを胸にぬいつけています。みーくんはまいごふだをつけていませんし、もってもいません。
 さて、みんなが「年少(ねんしょう)さんは、なまえ・住所(じゅうしょ)・電話番号(でんわばんごう)を書いたまいごふだをみにつけているか、もっていなければならない」というきまりをまもっているかどうかをたしかめるには、なにがわかればいいでしょうか?』

 これ、小学生でも正答率は四割を軽く超えるのね。「まーくんは年長さんだから関係ない。あきちゃんは年少さんなので、まいごふだをたしかめる。しーちゃんはまいごふだをつけているから関係ない。みーくんは年長さんかどうかをたしかめる」と、だいたい分かります。

 つまり、「数学的に考えると、かえって解けなくなる」場合が、けっこうあるのね。逆にいうと、「算数では解けないことを、数学的に扱うことで解く」というのが、専門家の仕事であり、「これは算数では解けそうにない」と判断するのも智恵のうち、ということにもなるわけです。

 そんなわけで、「“もの”や“現象”に即した問題を、“もの”や“現象”に即した問題として解く」という「工学的アプローチ」と、「“もの”や“現象”を離れて、問題を問題として解く」という「理学的アプローチ」というものが、あると思うのですよ。

 「工学的アプローチ」に属するものは、たとえば九九であり、そろばんであり、たとえば大工さんが使うさしがねによる計算であり、おつりの出しかただったりするわけです。

 で、コンピュータのソフトウェア開発の中で、かつていちばん多くの部分(九割以上と言われていた)を占めていたのが「業務系」というやつだったりする。会計とか、在庫管理とか、そういった計算をするプログラムである。

 (なお、これ以外のソフトウェアというと制禦系や科学技術計算といった「応用数学」「数理工学」グループがあって、それ以外に通信系とかゲームといった「アブストラクト系」がある。)

 業務系ソフトウェアの特徴は、基本的に「算数」の世界で方がついちゃう、ということだったりする。だから、業務系プログラマーは、それぞれの業務の中の計算の流れのパターンを知っていれば、あんまり仕事で悩むことがなかった。「在庫品の残高更新」とか、「カテゴリーごと、アイテムごとの売上・粗利の計算」だとか、「金種計算」だとか(最近は銀行振込だからあんまり関係ないけど、それでも現金で手渡ししてるところはある)、問題の意味というのがはっきりしていて、計算の筋道もはっきり分かっているものが多い。もちろん中には数学的手法を使わないと解けないものもあるのだけれど、それにしたってその数学的手法を理解している必要はまったくなくて、ある仕事をしたい時にはプログラム・ライブラリの中のどのプログラムをどう使えばいいのかさえ知っておけばよかったりする。

 こういう、「まず要求ありき」のアプローチを「プロブレム・オリエンテッド・システム」、通称POSという。これ、要するに「工学的アプローチ」なのですね。で、生活に必要な「読み・書き・そろばん」の「そろばん」に相当するのは、このPOSレベルの「算数」なのである。そして業務系のソフトウェア開発というのも、その意味で、つまるところ「算数」だったりするわけです。仮にそこを脱したとしても、「数学」というよりは「数理工学」(「応用数学」の一ジャンルではあるんだけど)といったものだったりするのである。

 いわゆる「ノーマライゼーション」を、この「工学的アプローチの徹底」として考えるのはどうだろうか、あたしは考えます。で、自動販売機その他の機械は、「直感的に操作できる」ことを第一に設計されなければいけないんじゃないだろうか、と思います。

 ところが、最近の算数教育には、この「工学的なアプローチ」から外れた、「パズル」や「数学」に近いものが、「算数」のふりをして紛れ込んでいるように思うんですよ。冒頭に掲げた問題は入試問題ではあるけれど、それが入試に出される、ということの意味を考えると、どうなんだろうか、と考えこんでしまうわけです。この問題で、出題者は生徒の何を知りたいんだろう?

 とりあえず解いてみることにします。

 五百円玉の枚数は一枚以上で、二枚以上だったら七百五十円をオーバーしてしまうから、五百円玉の枚数は一枚。そんなわけで、百円玉と五十円玉と十円玉と五円玉と一円玉の枚数の合計が十四枚で、金額の合計が二百五十円。
 百円玉の枚数は一枚か二枚。
 五十円玉の枚数は、百円玉の枚数が一枚のとき、一枚か二枚。三枚だと、十円玉・五円玉・一円玉の枚数がゼロになってしまう。
 で、百円玉の枚数が二枚のときは、一枚でも二五十円ぴったりになってしまって十円玉・五円玉・一円玉の枚数がゼロになってしまうので、百円玉の枚数は一枚ということになる。

 つまり、五百円玉が一枚、百円玉が一枚、五十円玉と十円玉と五円玉と一円玉の枚数の合計が十三枚で、金額の合計が百五十円。五十円玉の枚数は一枚か二枚。

 そうすると、

1)十円玉と五円玉と一円玉の枚数の合計が十二枚で、金額の合計が百円(五十円玉が一枚の場合)。
2)十円玉と五円玉と一円玉の枚数の合計が十一枚で、金額の合計が五十円(五十円玉が二枚の場合)。

の、どっちか。ただ、ここから先はけっこうめんどくさそうな気がする。そこで、逆の方に目を転じることにする。

 一円玉の枚数は、五の倍数で、合計が五枚か十枚。

 (1)の場合、一円玉が五枚だと、五円玉が一枚のとき、十円玉は九枚で、合計十五枚。大すぎ。
 五円玉三枚だと、十円玉は八枚で、合計十六枚。もっと大すぎ。
 一円玉を十枚に増やすと、五円玉二枚のとき、すでに合計十二枚。まだ大すぎ。

 そんなわけで、五十円玉は二枚。

 一円玉五枚で、五円玉一枚だと、十円玉四枚。計十枚で、十一枚に一枚不足。
 一円玉五枚で、五円玉三枚だと、十円玉三枚。計十一枚で、ぴったり。

 そんなわけで、

 五百円玉  一枚 500円
 百円玉   一枚 100円
 五十円玉  二枚 100円
 十円玉   三枚  30円
 五円玉   三枚  15円
 一円玉   五枚   5円

    計 十五枚 750円

 答えは、五十円玉二枚・十円玉三枚。

 さて。

 もう一度言います。小学校の算数の範囲内で、この問題をきれいに解く方法は、たぶんない。で、長々と書いてきたけれど、こういった泥臭い解き方しか、おそらくは、ないと思う。
 しかも、ここに書いた解法にも、いろいろと穴というか、完全でない部分があるのですね。特に、五十円玉と百円玉の個数が決まってから先が、不完全。発想にも飛躍があるし、これ以外に十五枚750円になる組み合わせが他にもあるかどうかも、わからない。

 あたしだったらこれをどう解くかというと、コンピュータのプログラムを書いて、しらみ潰しに全部試してみるでしょうね、たぶん。とりあえず何も考えずに14×13×12×11×10通りについてすべてチェックするプログラムを書いておいて、それを動かしている間に問題を解析する。だけど、これってせいぜい百万通りくらいのものだから、考えている間に解けちゃうと思います。
 コンピュータのおかげで、「考えずに解く」ということが、できるようになりました。これは悪いこっちゃないと思うのね。「そろばん」というものが、そもそもそういうものだし。「二一天作ノ五(2で1を割るときは、黙って天の五玉を下ろす)」「六一加下四(6で1を割るときは、被除数の1はそのままにしておいて、余りに4を加える)」みたいな「割算九九(「九帰」とか「八算」と呼ばれました)」みたいなのも、あったりします。で、この「そろばん」という計算機が発達・普及してたせいで、日本の数学はヨーロッパやインドやアラブの数学に一歩もひけをとらない独自の発達を遂げ、コンピュータ全盛の現在でもそろばん塾はけっこう盛況だったりするわけです。

 「理学的アプローチ」がいけないとはいいません。だけど、「工学的アプローチ」とごっちゃにして教えないでくれ、とあたしは主張します。で、その「使い分け」を、ちゃんと教えてくれ、と要求したいと思います。>教育関係者一同様

 言っとくけど、自閉症方面の人間のうちの少なからぬ割合の人たちは、「工学的アプローチ」に強いぞ。ぜってー強い。そう思う。

 (Maria)


Re: NPOのつくりかた 11726へのコメント
No.11729  Wed, 27 Mar 2002 09:18:23 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
> せめて、商業出版物のベースに乗せられればいいんですけどね。べつにビジネスとして成立するとか、取次を通すといった話じゃなくて「労働が報われる程度には損をしない」とかいった話なんだけど。

 この考え方に反対するわけではないのですが、ソーシャル・アントレブレナー(社会起業家)という考え方も参考になるのでは?と思いました。“ボランティアとアントレブレナー、何が本質的に違うか。<中略>アントレブレナーは「リスクを負った挑戦者」である。”というような話も出ていましたので、ちょっと心惹かれました。

 http://www.hotwired.co.jp/matrix/0202/

 ↑ 読みにくいという方には、下のほうにある「テキスト・オンリー」部分をクリックすれば、写真は見なくて済みます。

 (気が早い!と言われてしまうのを恐れているけど……“自分を限定してしまうのはもったいない”と思える時には、挑戦意欲がわくのです。←こういうのを無鉄砲と呼ぶのだ。無鉄砲仲間いねぇかなぁ?)

> 同人誌は面白いです。何週間もかけて作って、何日も徹夜して、最後にいくらか手に入ったお金でみんなでハンバーガー食べてコーヒー飲んだら終わり、とかいうのでも。

 実感あふれていますね(^_^) 同人誌は一度やるとハマるほど面白いです。個人でやっても、仲間でやってもね♪ (←実はもう一度やりたいと思っている……)

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