アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
シンタロウ wrote:
>
> どうも皆さんお久しぶりです。シンタロウです。(^w^)
ワ〜〜い!おひさしぶりでっす。
春なんですねぇ・・・。みんな、新しい世界に、はいっていく。
無理はしないで、でも、頑張って下さいね。
(タレイヌ)
こうもり wrote:
> 作業中のこうもりです。
あはははは。こういうの、好き!!でも、わからないよ〜。
>
> わたしが考えた団体名の候補は以下の通りです。
>
>(1)秘密結社おうてぃずむ(個人的にはこれが1番好き)
これ、どこから、きていますか?
(タレイヌ)
こうもり wrote:
> 作業中のこうもりです。
>
>Mariaさん wrote:
>
>> そういえば、こうもりさーん、団体作るんなら名前決めてくんない? べ
>>つに「自閉症者グループ連絡会」とかいったそっけないモンでも構わないん
>>だけどさ。>こうもりさん
>
> わたしが考えた団体名の候補は以下の通りです。
>
>(1)秘密結社おうてぃずむ(個人的にはこれが1番好き)
>
>(2)アスペ・ルーガ
>
>(3)元裏問題児ネットワーク
>
>(4)アスペの誓い
「明日壁(あすぺ)村」というのはどうでしょうか?
アスペの人(軽度発達障害者)が集い・安らげ・社会適応のあり方を模索していけるような村ということで…
頭が悪いくせに無理して考えるから逆に失敗する(-_-;)。
I wrote:
> for ( n500 := 1 to 10 ) {
> for ( n100 := 1 to 9 ) {
> for ( n10 := 1 to 8 ) { ……
これじゃ駄目だってば。
> for ( n500 := 1 to 15 ) {
> for ( n100 := 1 to 15 ) {
> for ( n10 := 1 to 15 ) { ……
これのほうがよっぽど素朴。千百三十九万六百二十五回もループを回るけど。でなかったら、
> for ( n500 := 1 to 10 ) {
> for ( n100 := 1 to 10 ) {
> for ( n10 := 1 to 10 ) { ……
ですね。これだと百万回です。もっともそのうちの九十九万回は無駄だというのが解ってるんだけど。
(Maria)
Milkyway wrote:
>日付が代わって、ふれさん、おひさです。
>今日はクリスチャンにとって、とっても大切な日です。
>
復活祭「イースター」の日でしたね。
小学校の頃、公園などの茂みの中で隠されているゆで卵を探す、教会の行事に参加しました。
きれいな色のセロファン紙に包まれたゆで卵を発見したときのうれしさが、まだかすかに心の中に残っています。
こうもり wrote:
>武田好史さん wrote:
>
>>かつて英国の自閉症協会が、ASの大人の集いの主催を本人たちにゆだ
>>ねようしたところ、「職員はわかっているくせに、僕たちに月へ行くよ
>>うな困難なことをさせるのか!」と痛烈な非難の声があがったといいま
>>す。
> このエピソードについては少し自閉人の側にも問題があるような気も
>します。自主グループというのははじめは多くのサポートを得ながらや
>っていくことになりますが、次第に自主運営に向かっていくことが望ま
>しいと考えています。だんだん支援者への依存を強めていってしまう活
>動というのはどうなのだろうか。
あくまで会の主導権は我々が握るべきであろうと、私も思います。
ただ意見の集約や社会が求めていることをピックアップしてくれる、世話人(医師・ソーシャルワーカなど)の協力がいるのではということです。
丁度運動部には、プレイをする選手とそのサポートをするマネージャという役割があるように…
Milkyway さんwrote:
>日付が代わって、ふれさん、おひさです。
>今日はクリスチャンにとって、とっても大切な日です。
>
>関係ないかもしれないけど、もう「平行線」はお読みになられましたか?
>「○○○の証人」についての記述があるみたいです。
主の記念式ですね。もちろん、出席します。ルカ22章14〜20節の聖句があてはまります。
「平行線」は読んだことないので、わかりません。今度買ってみようかな、その本。批判的な内容なのかしら。ちょっと心配。。。。
武田好史さん wrote:
> 軽度発達障害について理解のある専門家に、顧問として加わってもらった
>ほうが良いのではと、私は思います。例えば法律など私たちの手に負いづら
>い問題もあるにはあると思います。
成人LDの会でも結成時に話し合ったのですが、自主運営路線でいこうと
いう話になっておりました。これについては軽度発達障害者の間でもニーズ
が分かれるんですよね。
専門家との関係の持ち方は微妙な問題です。
(1)きちんとアドバイサーを雇って活動をする
(2)外部からの協力をお願いする形を取る
(3)一切、関係を持たない
個人的には(2)がいいと思っているのですが、どうでしょうかね〜。
>かつて英国の自閉症協会が、ASの大人の集いの主催を本人たちにゆだ
>ねようしたところ、「職員はわかっているくせに、僕たちに月へ行くよ
>うな困難なことをさせるのか!」と痛烈な非難の声があがったといいま
>す。
このエピソードについては少し自閉人の側にも問題があるような気も
します。自主グループというのははじめは多くのサポートを得ながらや
っていくことになりますが、次第に自主運営に向かっていくことが望ま
しいと考えています。だんだん支援者への依存を強めていってしまう活
動というのはどうなのだろうか。
> みどりさん wrote:
> Mariaちゃんともあろう人が、自分の考えがいちばん素朴だと思うなんてとても不思議。
> ちなみに私には Maria ちゃんの回答の方が不自然で、シュッツさんの方が素朴に思えます。(最初に自明な枝を刈り込んで、確実に正解方向に近づいている。しかも小銭出してじゃらじゃらやるのとも似てる)
えー、みどりさんともあろう方が、誤読をされるとはけっこう不思議(^_^;)。
あたしは、「小学生にとって素朴であるとあたしが考える解法」として例をあげたわけで、あたし自身が素朴だと考えるのは、「どうせ組合せパズルなんだから機械的に解けばいいじゃん」という、コンピュータ力技(ちからわざ)法です。
for ( n500 := 1 to 10 ) {
for ( n100 := 1 to 9 ) {
for ( n10 := 1 to 8 ) { ……
とループを回しておいて、その一番内側で、
( n500 + n100 + n50 + n10 + n5 + n1 = 15 ) & ( n500 * 500 + n100 * 100 + n50 * 50 + n10 * 10 + n5 * 5 + n1 * 1 = 750 )
という条件が成立したところで結果をプリントアウトする、というのがあたしにとっていちばん素朴。
解析的解法としては、とりあえず五百円玉・百円玉・五十円玉・十円玉・五円玉・一円玉を一枚づつ揃えておいて、750円に近づけてゆくというアプローチもあるのですけれどね、それは(欧米でのおつりの出しかたを考えると)日本人よりも欧米でのやりかたに近いと思います。
で、そうしたアプローチの場合、「750円に近づけてゆく」というアプローチのほうが、「750円から引く」というアプローチよりも素朴なのではないか、と思ったのですよ。
で、「小学生向けの素朴な解法」というのを試してみたら、たとえば合計が850円で枚数が十六枚のときは、
五百円玉 一枚 500円
百円玉 二枚 200円
五十円玉 二枚 100円
十円玉 三枚 30円
五円玉 三枚 15円
一円玉 五枚 5円
五百円玉 一枚 500円
百円玉 一枚 200円
五十円玉 四枚 100円
十円玉 四枚 40円
五円玉 一枚 5円
一円玉 五枚 5円
の二通りあることなんかも解ってしまったりするのですね。だから、貨幣の種類がもっといっぱいあって、合計金額がもっとずっと多くて、組合せがむちゃくちゃ多いときにはどうしたらいいんだぁ、みたいなことを考えると、やっぱり「(小学生にとって)素朴な」アプローチではどうしようもなさそうだ、というのも解ってしまったわけです。
だけど、こういうのの一般的(かつ解析的)解法とか考えても、あんまり面白い結果って出てこなさそうに思うのね。だもんだから、ちょっと興味が持てなかったりします。
そんなわけで、欧米人にとっての「素朴」と日本人にとっての「素朴」、あるいは専門領域が違う人間にとっての「素朴」はそれぞれ違う、ということなんじゃないかなー、と思います。
(Maria)
作業中のこうもりです。
Mariaさん wrote:
> そういえば、こうもりさーん、団体作るんなら名前決めてくんない? べ
>つに「自閉症者グループ連絡会」とかいったそっけないモンでも構わないん
>だけどさ。>こうもりさん
わたしが考えた団体名の候補は以下の通りです。
(1)秘密結社おうてぃずむ(個人的にはこれが1番好き)
(2)アスペ・ルーガ
(3)元裏問題児ネットワーク
(4)アスペの誓い
こんなところでいかがでしょうか?
考えたらあたしは誰かにメールを出したことがないように思う。
そう、考えたら、手紙すら出したことがないように思う。仕事上の売込み、たとえばこれと思った相手にプロポーザル(提案書)を送りつけるとかいったことはしたことがあるけれど、自分から手紙を出したことはない。
もちろん、「手紙をください」と言われて必要に迫られて手紙を出したりすることはもちろんあるのね。だけど、相手が自分からの手紙を予期していない場合、あるいは「当然来てもおかしくないだろうな」と予想していない場合については、あたし(というか、大森総研のメンバー)はとても臆病だったりするわけです。
自分がメールアドレスを公開していて、何人かの人にメールを戴いて、それでもあたしは自分に自信が持てない。ひょっとしたら迷惑なんじゃないだろうか。嫌われたりしないだろうか。そう思って、躊躇してしまうのですね。
考えたら、これはあたしにメールを下さったかたにとても失礼なことなんじゃないだろうか。そう思ったりもします。この『アスペルガーの館の掲示板』にのさばっているあたしを不快に思っているひとだってもちろんいるはずだし、それを考えると「安全な相手」以外とはつきあおうとしない自分がけっこうイヤだったりします。
まあ、この『アスペルガーの館の掲示板』には、あたしと同じように人とつきあうことに臆病になっているひとは多いと思うんですよ。で、あたしがそういうひとたちに信頼されたというのは、とてもありがたいと思います。あたしがこの『アスペルガーの館の掲示板』で積極的に発言し、自己開示してきたことが、そうした信頼関係を築いてことに寄与しているとは思っているわけです。
とはいえ、このまんまこういう引っ込み思案な自分というものを続けてていいんだろーか、とは思ってしまうのですね。あたしは「発言する自閉症者」としての責任をちゃんと果たさなきゃいけないんじゃないだろうか。むしろ積極的にいろんな人にコンタクトを取り、自閉症方面の人からは積極的に要求を吸い上げ、協力を頼めそうな人にはダメモトで支援を取りつける努力をしなきゃいけないんじゃないだろうか。あたしは失敗を怖れすぎてはいないだろうか。そう思うのですね。
ソフトウェア開発者としての自分には自信があったけれど、一個の人間として認められるということに対して、あたしは自信がありませんでした。
何かが「できる」ことでしか自分は愛されないのだ、と、どっか心の底で思いこんでいた気がします。これって失礼な話ですよね、やっぱり。
改めたいな、と思います。私事で恐縮ですが。
作者を取りのけてなお価値ある作品は、作品を取りのけてなお価値のある作者によって生み出されるような気がする。
− 辻まこと
(Maria)
日付が代わって、ふれさん、おひさです。
今日はクリスチャンにとって、とっても大切な日です。
関係ないかもしれないけど、もう「平行線」はお読みになられましたか?
「○○○の証人」についての記述があるみたいです。
みどりです。やっと恋愛ハイからちょっと冷めはじめました。あ〜疲れた。ほっとしたような、つまんないような。
Maria wrote:
>ということをやっています。これって、なんか不自然な気がするんですよ。あたしだったら、
(中略)
>で済ませちゃうと思います。で、おそらくこれが一番素朴な回答なんです。だけど、これは「工学的アプローチ」としては正しくても、現在の学校教育でいう「算数」とはいえない。問題は、「算数」の範囲内で解く、ということなんです。試験の最中にお財布から小銭出してじゃらじゃらじゃら、とかやってたら、試験官だって困っちゃうだろうし。だけど、実生活だったら、テーブルの上にお金をじゃらじゃら出してやってみるのがいちばん早い。
Mariaちゃんともあろう人が、自分の考えがいちばん素朴だと思うなんてとても不思議。
ちなみに私には Maria ちゃんの回答の方が不自然で、シュッツさんの方が素朴に思えます。(最初に自明な枝を刈り込んで、確実に正解方向に近づいている。しかも小銭出してじゃらじゃらやるのとも似てる)
そういえば以前、自分自身でこの問題を解いたときは、また別の解き方だったな、の みどり
シンタロウ wrote:
>
> どうも皆さんお久しぶりです。シンタロウです。(^w^)
進路がきまったのですね。おめでとう!慣れない寮生活で大変なこともあるかもしれないけど、そんなときはここの掲示板でみんなにお話して、よいアドバイスや、励ましをもらおうね。ところで、ギターの音色とても私は好きですよ。
Mariaさん wrote:
> この問題にしても、シュッツさんは、
>
>シュッツさん wrote:(一部変更)
>> 五百円玉・百円玉・五十円玉・十円玉・五円玉・一円玉は、それぞれ必ず一枚以上あるので、それぞれ一枚分を引くと:
>>
>> 750−(500+100+50+10+5+1)= 750 − 666
>> = 84(円)
>> 15−6=9(枚)
>
>ということをやっています。これって、なんか不自然な気がするんですよ。
まあ確かに、私の思考方法は他人から見れば不自然なのかも知れませんね。
でも私にとっては「円」という単位を付けてしまうだけで、考えづらくなるのです。
上記の計算過程は無理にひねり出したものではなく、問題を見たときにまず思い付いたものです。
もっと頭の中を分析すると、アラビア(インド)数字で計算するのではなく、数値を面積に置き換えているようです。
「ようです」と書いたのは、意識していないので、あとで振り返ってみるとそのように考えていただろうと思われるからです。
I wrote:
> 人間は、日常生活の問題を、数学の問題に還元して解いたりはしない。なんでかというと、そうすると解けなくなっちゃう場合が多いからだ。
シュッツさん wrote:
> そ、そうだったんですか。
> 数学にした方が簡単だと思ってた!
小学生相手に実際に算数を教えてみるとわかるんだけど、小学校レベルの算数というのは適当に数を当てはめてヒューリスティックに解けばけっこう解けちゃうんですよ。一個正しい答えが見つかれば、それがだいたい唯一正しい答えだし。ただ、短時間ですべての正しい答えを間違いなく見つけることができないというのと、方程式を使わずに解かなきゃなんないというのが難しいわけです。
実際のところ、「コンピュータを使ってすべての場合を尽くす」という「エレファントな解法」を使うか、方程式を使うかすりゃあどうにでもなると思ってるし、パズルみたいな問題がいくら解けても役には立たないと思っているので、小学校レベルの算数の問題には、基本的な考え方をマスターしてるかどうかのチェックに使う以上の意味はないとあたしは考えています。だから答えが合ってるか合ってないかは重要じゃなくて、どういうアプローチで解くかを見たいのね。で、できれば「こういうアプローチで解きました」というのをちゃんと言葉で説明できるというのが理想的なわけ。
I wrote:
> 『十五枚の硬貨があって、合計が七百五十円である。
> 五百円玉・百円玉・五十円玉・十円玉・五円玉・一円玉がそれぞれ一枚以上ある。五十円玉と十円玉の枚数は、それぞれ何枚か。』
この問題にしても、シュッツさんは、
シュッツさん wrote:(一部変更)
> 五百円玉・百円玉・五十円玉・十円玉・五円玉・一円玉は、それぞれ必ず一枚以上あるので、それぞれ一枚分を引くと:
>
> 750−(500+100+50+10+5+1)= 750 − 666
> = 84(円)
> 15−6=9(枚)
ということをやっています。これって、なんか不自然な気がするんですよ。あたしだったら、
1)まず、七百五十円を普通に用意する。
(五百円 百円 百円 五十円)
2)十円玉と五円玉と一円玉が欲しいので、余っている百円玉を五十玉円と十円玉四枚と五円玉一枚と一円玉五枚に両替する。
(五百円 百円 五十円 五十円 十円 十円 十円 十円 五円 一円 一円 一円 一円 一円)
3)十四枚だから、一枚足りない。十円玉を五円玉二枚に両替する。
(五百円 百円 五十円 五十円 十円 十円 十円 五円 五円 五円 一円 一円 一円 一円 一円)
で済ませちゃうと思います。で、おそらくこれが一番素朴な回答なんです。だけど、これは「工学的アプローチ」としては正しくても、現在の学校教育でいう「算数」とはいえない。問題は、「算数」の範囲内で解く、ということなんです。試験の最中にお財布から小銭出してじゃらじゃらじゃら、とかやってたら、試験官だって困っちゃうだろうし。だけど、実生活だったら、テーブルの上にお金をじゃらじゃら出してやってみるのがいちばん早い。
ここで、「ちょっとそれは矛盾した発言なんじゃないか」という意見はありそうに思います。一方で「わかる」というプロセスの重要性を声高に叫んでいながら、九九のようなブラックボックス的なものを認めるのか、と。
だけど、千の千倍が百万だということを、あたしたちは「理解」してるんでしょうか。十万円のパソコンが五百円のラーメン二百杯分だということを、実感してるんでしょうか。むしろ、「直感的・感覚的には捉えられないようなスケールのものを、“実感”のレベルに引きよせる」ために、そうしたブラックボックス的なものが必要なんじゃないでしょうか。
これ、ダイクストラさんという計算機学者さんの『コンピュータ・サイエンスを真に教えることの残酷さについて』という論文で論じられてることなんですけどね、マイクロ秒単位の計算を何億回と繰返して何日もかかる計算をする、とかいった世界は、とてもじゃないけど人間の感覚でつかみとることができたもんじゃなくて、普通の人間だったら現実感覚をなくしちゃうんじゃないか、みたいなことがあるわけです。「バブル惚け」なんていうのは、これに近い感覚じゃないかと思うんですよ。
とはいえ、日本だけで年間一万人以上の人間が交通事故で亡くなっていて、その数倍の人間が行方不明になっている、とかいった話を聞くと、「十人や二十人の人間が消えたからって北朝鮮に対してごちゃごちゃ言うのは国益に反する」みたいなことを言い出す人が出てくるのもわかんなくはないな、と思います。日本国内に人知れず監禁されている女性や子供が百人とか二百人とかいてもおかしくないし、人知れず殺されて山の中に埋められてたり海に沈められてたりする人が千人とか二千人とかいてもおかしくない。Motoちゃんが沈めただけでも相模湾の底でコンクリの靴履いてキョンシーみたいに前へ倣えしてるひとが一人二人三人……あやややや。
ともあれ、「算数」というのは、「数学的思考能力」を育てるもんじゃなくて、「現実感覚」を育てるものだとあたしは思うんですよ。あたしがシュッツさんの「心の理論」に対する考え方に対して懐疑的なのも、そこんとこに原因がありそうに思います。
最後はちょっと個人的なことになってしまいました。ごめんなさい。
(Maria)
ある人は嘆く
若者が家の中に悶々と引きこもっていることを
ある人は嘆く
部下の仕事ぶりがいつまでたっても板に着かないことを
ある人は嘆く
息子が一流大学に行こうとしないことを
ある人は嘆く
幼い娘がアパートの2階の部屋の中でどたどた走り回ることを
私は嘆く
スピードと利益ばかり追求するあまり弱者がいられなくなった世間を
私は嘆く
人の能力にはいくら努力しても超えられない壁があることに気づかぬ輩を
私は嘆く
本当の一流校とは難しい授業を聞く場のことではなくわかりやすい授業を聞く場であることを知らぬ父親を
私は嘆く
それが彼女が元気な証拠と受け止めてあげられない母親を
武田好史 wrote:
>> 「軽度発達障害の人がBESTで生活できる条件を3つあげてください!」
新顔のオレンジケーキです。わぁ、難しい質問ですね。しかも「軽度〜」の医学的知識を持ち合わせていないので・・(>_<)。でも社会人の場合に限定して、私なりに考えてみました。
1)就労の場の確保
各人の能力やスキルに合った仕事があり、なおかつ周囲の人々の理解と配慮があること。
2)生きがいを持つ!
これは、「軽度〜」に限らず全ての人々にとってめっちゃ大切なことだと思います。仕事、音楽、スポーツ、小石拾い(?)毎朝のラジオ体操etc、好きな事であればなんでもOK。
3)良い家族、友人をもつ。(少なくてよい。一人でも。)
「軽度〜」の人にとっては交友を深め、保ち続けることはかなり困難なことかもしれませんが、理解してくれる人が一人でも存在すれば、精神的にも大きな支えとなるはず・・。
以上です。うーん、書いているうちに、ほとんど私個人の願望みたいになってしまいましたね。ごめんなさい(笑)
それから、あさかぜさん有難うございます。新聞配達は私も実は考えてみました。求人情報にあまり見かけないのは気のせいかな?私も、あさかぜさんのように自信を持てるようになるのが夢です!
遅ればせながらayaです。
Mariaさん wrote:
> 会員名簿を作る。
> 役員のような「活動可能なスタッフ」のリストを作り、会員から委任を受け、活動を代行する人間を決める。
> 会費を集め(学生会員みたいな、経済的に無理な負担をしなくていい会員も認める)、それを管理・運用する。
> ミーティング等を主催し、掲示板・メーリングリストなど、会員間のコミュニケーションの手段を提供することで、会員の意志を会の活動に反映させる。
> ニューズレター(メールマガジンを含む)や冊子を発行するなど、会員の創造的な活動を支援し、会員の意志を対外的にアピールする。
>
>といった組織を作っておくと便利なんではないかなー、と思ったわけです。
こういうことって、一度やってみるとそうでもないけど、やるまでには敷居が高く、また人によって得意不得意がわかれる分野なので、うまくノウハウを蓄積していく仕組みがほしいところです。
#マニュアルつくろうとして、とまってるaya
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