アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
困るのは日常生活の方が多い。着替えとか、ゴミ捨てとか。
でも、日常生活で困ると、それが二次的に仕事に食い込む。
着替えの途中でケガをしたり、やけどをしたり、ゴミ捨てのために風邪を引いて熱を出したりすると、その分、仕事を休まなくてはならなくなるから。
仕事をしている時間だけを切りとって見ると、仕事はできていることになっている。
でも、歯磨きをリーズナブルな時間内に済ませることができないと、就業時間を十分に確保できないし。
フリーに納期は付き物。信用なしには受注できない。そう考えると、安定して仕事を続けていくためには、着替えの途中でやけどしたりケガしたり風邪を引いたりは、あんまりしない方がいい。
私の言ってること、何か変? やっぱりおかしい?
てらば wrote:
>「秘密結社A」というネーミング自体が好きじゃない。一般の人に成人
>になったLDやASに対して理解されるようなもっとやさしい雰囲気の
>にしてほしい。
あの〜、秘密結社Aというのはこの組織の裏の名前であって、この団
体の正式な名称はまだ決められておりませぬ。その辺は誤解なきように
お願いしまする。で、優しい雰囲気のネーミングというのはそれこそ会
員希望者やこの掲示板の常連から公募したいぐらいだす。シュールなネ
ーミングが大好きなわたしに任せない方がいいかも???
修正版です。一応の正式版と考えてください。文責はすべて大森総合研究所のJoshyaさんおよびあたしにありますが、配布は自由です。
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この世から「自閉症」をなくそう
○「自閉症」が増えている
「自閉症」と診断される子どもが、増えてきています。
一九八十年代以前には、「自閉症」は「二千人に一人」とか「千人に一人」とかいった割合で発生する病気であると云われていました。ところが一九九十年代には「自閉症スペクトラム」と診断される子どもは「五百人に一人」程度存在すると云われるようになり、今世紀に入ってからは「百人に一人」という数字が定着しつつあります。
とはいえ、「自閉症」というものの“発症率”(←この言葉自体も見直されつつあります)自体が増加したわけではありません。かつて「自閉症」と呼ばれていたものが、より深く理解され、その概念も大きく変化してきたから、こういうことになってきたわけです。
「以前は単に『知的障害児童』とされていた子どもの中に、精神分裂症(現在でいう「統合失調症」)によく似た一群の子どもがいる」。二十世紀の前半に、そう報告した研究者がいました。以来、この一群の子どもが持っている“障害”を、「自閉症(autism)」と呼ぶようになりました。
それ以後、半世紀以上の研究の結果、診断技術は向上し、診断規準の見直も見直されました。その結果、「自閉症」の子どもは当初予想されたよりもずいぶん多い、ということがわかりました。 同時に、「『自閉症=知的障害』という図式は成立たない」「『自閉症』の中心症状として『人間関係を直感的に把握することができない』というものがあるけれど、もっと深い部分に、何か本質的な“違い”というものが存在する」といったことが、わかってきました。
現在、「知的障害」は「自閉症スペクトラム」の診断規準には入れられていません。「自閉症スペクトラム」と診断される子どものうち、「知的障害」と見なされる子どもの比率は約二割でしかなく、残りの約八割は、「知能は正常」あるいは「知能的には優秀」とされる子どもたちだったりします。
「自閉症スペクトラム」、すなわち自閉症・高機能自閉症・アスペルガー症候群・高機能広汎性発達障害といったものは、現在ではべつに「珍しい病気」でもなんでもない、ということになっています。
実際のところ、「自閉症スペクトラム」の“主たる自覚症状”は、「『家族や周囲の人と感覚・感情を共有できない』というはっきりした違和感」「息苦しいような生きにくさ」といった「とらえどころのない」ものであり、明確な「症状」と呼べるものではありません。ですから、「自閉症スペクトラム」と診断されるというのは、「なんでもかんでも世間の規準に合わせようとしないで、自分に合った生き方をしないと、生きてゆくのがしんどいですよ」というお墨付みたいなものだと思っていいでしょう。
「自閉症スペクトラム」と診断されるというのは、「健常者としての人生」の終わりではなく、「ほんとうの人生」の始まりだとあたしたちは考えています。
これ、決してひがみとかいじけとか、そういうので言ってんじゃないんですよ? あたし自身の「自閉」傾向というのは、ソフトウェア開発やアルゴリズム開発といった、あたしのプロフェッショナルとしての仕事の上での強力な武器でした。あたしは、自閉者(「じへいしゃ」ではありません。「ジヘイモノ」と読んでください)としての自分に自信を持っています。えっへん。
○「自閉症」は必ずしも“障害”ではない
「自閉症」は先天的な脳の機能障害であり、育て方が悪いから「自閉症」になるわけではありません。
その反面、はっきり自閉者でありながら、うまく育ったか育てられたかして、一見フツーに育っちゃう子どもというのがけっこう多いのですね。大人になってから、「私はどこか普通の人間とは違うのではないだろうか」「この息苦しいような“生きにくさ”はなんとかならないだろうか」と悩み苦しみ、「自閉症スペクトラム」の診断を受けて「おお、そうだったのか」と納得するヒトも少なくありません。
また、「『自閉症』は治らない」とも云われています。
とはいえ、子どものときに「自閉症スペクトラム」と診断されながら、大人になったら子どもの頃の「自閉症らしさ」が陰も形もなくなっちゃったというヒトも多かったりします。「自閉症」は、「“治らない”けれど“消える”ことがある」という、謎の病気でもあったりするわけです。
じつのところ、自閉者同士では、発達歴の分析や知能・運動能力テストや各種の脳機能検査に頼らなくても、「あのひと自閉だよね?」「ほぼ間違いなく自閉でしょうねぇ」と分かってしまうものなのですよ。だけど、周囲の人はその人が「自閉症」だなんてまったく思っていなくて、「ちょっと変わった人」「癖のある人」くらいに思っている。そういう人が、世間には少なからずいます。少なくとも、コンピュータのプログラマーには珍しくなく、ある特定の分野で特に優秀なプログラマに至っては、ほぼ全員が自閉者である、というのは、自閉者の間ではほぼ定説になっています。
「自閉症」は、必ずしも「障害」ではありません。それは一つの「特性」であり「特徴」です。そして、時には「特長」だったり「個性」だったりもします。
○「自閉症」から「自閉」へ
「『自閉症』は果たして病気か」という議論が、最近ではあります。
自閉者と非・自閉者はタコとイカのように異なっているのではないか。そう言う人がいます。タコは決して「奇形のイカ」でもなければ「障害を持ったイカ」でもありません。タコとイカは別の環境に適応し、別の生き方をする、それぞれ別の個性を持った、別の生き物です。
ただ、タコとイカと違って、同じ人間同士でありながら、非・自閉者カップルから自閉くんや自閉ちゃんが生まれたり、自閉者カップルから非・自閉者の子供が生まれたりするから話がややこしくなるのではないだろうか、といったことが、自閉者の間では云われています。両親がイカなのに子供がタコとか、両親がタコなのに子供がイカとかいったら困っちゃいますよね? とはいえ魚類などでは、一つの種の中に、外見や生態の上でほとんど別種のように違う複数のタイプの個体が存在する場合がありますから、「自然界ではそういうこともある」としか言いようがありませんが。
そんなわけで、人間には、大多数のイカ型人間(非・自閉型)と少数のタコ型人間(自閉型)が一定の比率で生まれ、それぞれ別の役割、別の生き方で生きてゆくようにできているのかもしれない、とマジメに考えている人もいたりします。こういう「自然界の中の役割」のことを「ニッチ(niche)」というのですが、非・自閉者は非・自閉者のニッチに、自閉者は自閉者のニッチに納まればそれぞれ居心地よく生きてゆけるように世の中はできていそうに思うのですよ。タコは蛸壷の中で暮してゆくのが身体に合っているわけです。イカにとってはそれはとても不自然なことなのだろうけれど、そもそも身体の“つくり”が違うのだからしょうがない。
実際、世の中には自閉者にとっては非常に面白いと思われるのだけれど、非・自閉者にはちょっと耐えられないんじゃないだろうか、みたいな仕事はけっこうあります。あたし自身が長年身を置いてきた自然言語処理システムの開発の世界なんていうのはまさにそれ。「普通の人」は「文法」と聞いただけで逃げてしまいますが、なんでか自閉くん自閉ちゃんとは日本語の文法に関するあれやこれやの話題で盛り上がっちゃうんだよね(-_-;)。
イカが社会の大多数である社会で、タコがイカのように育てられたとしたら、うまく育つわけがありません。ですが、そのイカ社会の中に、なぜか代々タコの家系(自閉症は遺伝するのではないか、と云われています)があって、タコがタコとして育てられ、タコとしてのニッチに安住し、社会で生活してなんの不自由も不都合も違和感もない、ということがあったりするわけです。
「いまにして思えば、うちの母方の祖父はあからさまに自閉症だった」「そういえば、父方の叔父さんも自閉症のような気がする」「従姉の子供がやっぱり自閉症スペクトラムと診断された」みたいな「自閉症一族」みたいな家系は珍しくないのね。で、「あそこの家はちょっと変わっている」くらいで通っていたりします。
そんな家系で生まれた子供が「自閉症スペクトラム」と診断され、「普通に育てよう」みたいな話になるとかえって妙なことになったりします。
逆に、順調に育っている自閉くん自閉ちゃんのお母さんに「どうやって育てたんですか?」と訊くと、「普通に育てただけ」と答えられることがとても多いのね。だけど話を聞いてみるとあんまり一般的な「普通」ではなく、自閉系の「ふつう」だったりします。で、よく考えてみるとお母さん自身が自閉系(-_-;)。あたしたちにとっては、「自閉症」なんていうのはその程度のものなのね。
こうなると、「自閉症」の“症”の字はいかにもジャマという気がします。いいとか悪いとかいった問題ではなくて、ただ“違う”だけなのだ、ということであれば、「自閉症」ではなく「自閉」でいいのではないか。あたしたちは、そう考えています。
○「自閉」という自由。「自閉」という自然。
「自閉症」という言葉は、「精神的な孤立」というところから名付けられました。
ところが、「自閉症スペクトラム」と診断された人同士が集まってみると、「自閉者には共通する感性がある」というのがわかってきました。インターネットのおかげで自閉者同士が知りあう機会が増えた現在では、「自閉はひとつの文化である」というところまで話は進み、「異文化としての自閉」ということまでが云われるようになっています。だけど盛り上がりには欠けているぞ。なにしろ「職人」「技術屋」「研究者」といったメンタリティと共通部分が高いので、集まっても「学会」みたいなノリになってしまいます。
ただ、この地味さ加減・マトモさ加減については反省の余地がある、とあたしたちは思うようになりました。あたしたち「社会にうまく適応している自閉者」だけでまとまっちゃって外に広がってゆかないから、社会的に孤立し苦しんでいる「自閉症」の人たちがあたしたちの存在に気がつかない。こういう文化、こういうコミュニティがあるんだよ、ということを、広く世間に知らしめる義務があたしたちにはあるのではないか。そう思うようになったのですね、あたしたちは。
あたしたちは、普通の人たちからは、堅苦しく、狭い、歪んだ世界に生きていると見られがちです。「こだわり」という檻の中に閉じこめられ、あるいは閉じこもっていると考えられがちです。けれど、あたしたちはあたしたちの規律を持ち、あたしたちの美学に従って慎み深く生きています。それと同時にあたしたちはとても“自由に”生きていたりするわけです。ただ、普通の人たちとはその“自由”のありかたが違い、普通の人にはあたしたちの生き方が理解しにくい、というだけのことなんです。
たとえばの話、「自由」というのは、単に「あらゆる行ないが許される」ということではありません。そこには、「人間本来の自然な欲求に基づいた行い」という規範が、おのずと組みこまれています。
「自閉」というのは、単に「異なっている」のではなく、「人間という種そのものの本質に根ざした、非・自閉とは別のありかた」です。その意味で、人間には「“自閉”である自由」があり、あたしたちにとって「“自閉”であること」は「自然なこと」だっ
たりもします。
そんなわけで、あたしたちから見ると、「普通の人たち」というのはなんて不自由な生活をしているのだろうか、と思えたりもします。自閉的なライフスタイルというのは、自然であり、とてもラクな生き方でもあります。それはいわゆる「文明人」が、「自然人」のありかたとしてある意味理想としていながらも、「そんな生き方ができるわけがないじゃないか!」と自ら遠ざけている生き方に、かなり近いものだったりもするわけです。
あたしたちは、「自閉」という自分たちの文化の中で安穏としていてはいけないと思うようになりました。世の中には、「自閉症」に苦しんでいる人がまだ大勢いるからです。 それは同時に、「非・自閉症」に苦しんでいる「普通の人」を救うことにもつながりそうな気が、あたしにはするのね。
この世から「自閉症」をなくそう。「自閉」という文化をこの社会に定着させよう。そう思ってあたしたちは活動を始めました。
「自分は“自閉症”ではないか?」と悩み苦しんでいる人。お子さんが「自閉症スペクトラム」と診断され、どうしたらいいか、誰に相談したらいいか分からなくて困っている人。そういう人は、どうか、あたしたちに連絡してください。
お役に立てると思っています。
発達障害児(者)就学(就労)相互支援ネットワーク
大森支部 蘇好美(Maria)<cfb47300@syd.odn.ne.jp>
(Maria)
こうもり wrote:
>つまり、障害の軽い重いは「知能の高さ」だけではなく、「自閉
>度の重さ」や「適応状態(二次的障害の有無)の良し悪し」なんかを考
>慮に入れなければならない、と。
「軽度」や「高機能」など、程度の大きさ・強さをどんな基準によって測るかを決めておくことは重要だと思います。
「どの言葉を使うか」や「どういう場面で何の目的で程度を測るか」によって、適用すべき基準も変わってくるでしょう。
「仕事などの面で、社会に適応できているかどうか」だけを基準とするのも一つの例だし、「自閉度の強さ」だけというのもあるし、いろいろ組み合わせた総合的基準もあるでしょう。
ここで言う「自閉度」はDSMなりウィングの三つ組なりのどれかであって、それらのうちのどれを採用するかはまた別の問題として存在しますが、ここではひとまず置いておくことにします。
「知能が中程度で、自閉度がそれほど強くないけど、その自閉度のために仕事にいつも失敗している人」と「自閉度は強いが、非常に高い知能である部分は補っていて、適性にぴったりと合った仕事と環境が見つかった人」とではどちらが障害が重いか。
それは仕事の面、子供の時の学習の面、人付き合いの面、医学的研究からの視点など、場面によってどちらが重いと見なされるかが違ってくるでしょう。
特に「軽度」という言葉は曖昧さが大きいので、定義などに気をつけて使うべきだと考えます。
「秘密結社A」というネーミング自体が好きじゃない。一般の人に成人になったLD
やASに対して理解されるようなもっとやさしい雰囲気のにしてほしい。
富山の障害者職業センターは私のような職業能力の高い自閉者に対して、適切なアドバイスを
してない。精神科医も親も一緒。信用できない。手の遅い私には流れ作業は向いてない。会社も「彼女は間に合わない」
と言ってるのに、いざやつらに相談したところで「君は気力がないから続けられない。
食らい付け」としか言ってくれない。私は本気で転職を考えている。
有効期限切れたらゴミでしょう?
賞味期限切れたものは捨てるでしょう?
冷蔵庫の中に賞味期限切れた卵があって、割ってみたら黄身が青かった。誰も青い黄身の卵は食べないでしょう?
有効期限切れた書類を捨てたら、わざとやっていると早合点された。誤解されてばかりで疲れた。
4月1日でバイトは辞めた。でも、辞めるんじゃなかった。このままじゃ生活費が無くなる。
一生、このままわけのわからない誤解をされながらやっていかなきゃならないんだろうなぁ。
るかさん wrote:
> 絶対いるはずのない女性の名前が出てくる。
> 物を何でもかってくれ、とねだる。
> 性的なことにかなり関心をもっている。
> こうもりさんのアドレスって、メールいきますか?
> 個人的にメール出しても良いですか?
>
> こうもりさんの彼女の話もききたいなぁ・・・。
我輩の彼女の話はあまり公開しない姿勢ではおります
が、個人的にメールをくださることはOKです。DMは
下記のメールまで
(連絡先)seijinld.msg.biglobe.ne.jp
これは成人LDの会のメールなのですが、ここにて個
人のメル・アドを公開いたします。では
すみません〜。秘密結社A計画に参加を希望された方や興味を
持っておられる方にMLの招待状を送ったのですが、無事届きま
したでしょうか?届いてないという方はご一報ください。もし、
届いていないとしたら元々、メル・アドを入力ミスをしていた可
能性が高いと思われますので、掲示板にもコメントしました〜。
(連絡先)こうもりseijinld@msg.biglobe.ne.jp
(ちょっと情報が流出しすぎ???こんなにオープンな秘密結社
でいいのか???PCが苦手なために障害者関係の雑誌でPCの
苦手な障害者の代表としてコメントを書く羽目にもなってしまっ
たことがある こうもり)
るかるかです。
今日も仕事帰りにネットカフェに寄って、始発を待ってます。
最近、この生活パターンが定着しつつあります。
こうもり wrote:
> だいじょうびですか?無理はなさらないでくださいね。
心配してくれて、アリガト!
るか的に嬉しかった。
> 誤解もあるけど、ASに興味を持つ人が増えるのはうれ
>しいことです。
確かに。
> 今つきあっている女性とは会えなくなる時もあるので、
>その時はさびしいと感じます。今までどんな孤立していた
>時でもさびしいと感じたことはなかっただけにちょっと意
>外でした。
>
> もっともこれはAS特有のさびしさと言えるのかどうか
>…。ただ、わたしには他人とのつながりが大切であると同
>時に孤独な空間や時間もやはり大切だということは言えそ
>うです。
私にとっても、やはり自分だけの空間・場所みたいな物は
必要です。
昨日もまた、いつもの様にネットカフェにいたら
彼から電話がかかってきて、「遊びに行こう」と。
で、2人でカラオケに行って(彼は抜群に歌がうまい!)、
その何時間か後にまた会いました。
気になる点がいくつかあって・・・
絶対いるはずのない女性の名前が出てくる。
物を何でもかってくれ、とねだる。
性的なことにかなり関心をもっている。
私は彼といて、すごく楽だし落ち着く。
でも、上にあげた点は
やはり気になってしまいます・・・。
本当に好きだから故に。
こうもりさんのアドレスって、メールいきますか?
個人的にメール出しても良いですか?
こうもりさんの彼女の話もききたいなぁ・・・。
さぁ、今から家に帰って寝ます!
じゃ、るかるかでした☆
お久しぶりです、るかさん
るかさん wrote:
> この時間帯に終わる仕事を始めたので、
> 少々お疲れ気味の、るかです。
だいじょうびですか?無理はなさらないでくださいね。
> 私は良く本屋さんに行って、ASの本を見るのですが
> 4月に入ってASの本が
> すごく売れていっているのが気になりました。
誤解もあるけど、ASに興味を持つ人が増えるのはうれ
しいことです。
> 最近ではよく「殺す」「刺すなら刺せ」とか、
> 命関係の言葉を口にしてますねぇ。。。
むむむ、ちょっと強烈。
> 私が寂しい時も
> 彼は寂しいのだろうか・・・
> ASゆえの特有の寂しさってあったりするんですか?
今つきあっている女性とは会えなくなる時もあるので、
その時はさびしいと感じます。今までどんな孤立していた
時でもさびしいと感じたことはなかっただけにちょっと意
外でした。
もっともこれはAS特有のさびしさと言えるのかどうか
…。ただ、わたしには他人とのつながりが大切であると同
時に孤独な空間や時間もやはり大切だということは言えそ
うです。
七転び八起き七転八倒状態のこうもりです。ぐえ〜。
Mariaさん wrote:
>1)「軽度」を外したい。
> 何をもって「軽度」とするかといえば、「重度でない」ということなの
>だと思います。だったら、「普通の発達障害者と違うのよ、私たちは仕事
>ができるくらい“軽度”なのよ」みたいなイメージを持たれたくはない、
>ということを考えると、取っちゃっていいんじゃないかと。かつて「高機
>能」という言葉がそういうふうに受けとられた経緯がありますから。
考えてみれば軽度という言葉の問題点を指摘していたのはわたしでし
たな。つまり、障害の軽い重いは「知能の高さ」だけではなく、「自閉
度の重さ」や「適応状態(二次的障害の有無)の良し悪し」なんかを考
慮に入れなければならない、と。さらに追加すればアメリカにおける障
害の軽重を判断する基準として「仕事をすることができるか、どうか」
というのもあるという話を聞きました。確かに軽度という言葉は不適切
でしたね。
> そんなわけで、
>
> 「発達障害児(者)就学(就労)相互支援ネットワーク」
わたしはこれでOKだと思います。まあ、裏の名前としては「自閉幇
」とか「閉幇」というのも好みですが。
あさかぜさん wrote:
> とりあえず、「自閉症スペクトラム」と「自閉症スペクトル」を、文中で両方使用するのはどうかと思います。どちらかに決めて使ってほしいです。
しくしくしくしくしく。(T_T)
最初、あたしは一般的であると思われる「自閉症スペクトル」と書いておったのどした。
ところが、「文部省では、『自閉症スペクトラム』とするか『自閉スペクトラム』とするかでけっこう議論があったらしい」とかいった話が漏れ聞こえてきて、「自閉症」にするか「自閉」にするかに悩みつつ「スペクトル」を「スペクトラム」と書き換えていたものだから、一部に変更のし忘れがあったのですよ。
本当なら、「“自閉症”スペクトラム」と「“自閉”スペクトラム」もちゃんと使い分けなければいけないのどした。しくしく。(;_;)
そんなわけで、「スペクトル」→「スペクトラム」と書換えてください。近いうちに正式版はまたUPします。
(Maria)
「ひとくさり」は「お経の一行」でしたか。勉強になりました。
Mariaさん wrote:
> 焼死体だったら、言う。(-_-)
あ、ホントだ。気がつきませんでした。アリガト(^-^;)
> そういえば、この『アスペルガーの館の掲示板』の過去ログを全部保存している人もあんまりいないだろうし、いちいち拾い読みをするのも大変だろうし、まとめて読んだとしても議論がごちゃごちゃしているし、場合によっては図とかつけてちゃんと解説したほうがわかりやすいものもあるので、テーマ別にまとめたものを作って出版する、というのは面白いかも。『秘密結社A』の活動としても適切だし。
> いかがなものかな?
いいと思います。イラストとかマンガも描けるとうれしいです。わたしの画力では無理かもしれないですが……。
あさかぜの絵を見てみたいという物好き(?)な方がいたら、「信州松本Ma-net'21」というサイトのお絵かき掲示板でも、のぞいてみてください。最近は描いていないので、一番小さいサイズの過去板をあたってみるとよろしいかも。ちなみにそこの主さんは、自閉症児のお父さんです。息子さんは今年小学校へ入学されました。
発達障害児(者)就学(就労)相互支援ネットワークのアジビラ原案は、プリントアウトして知り合いのお母さまがたに見せてみたいです。感想を聞いてみたいと思います。(しかし、ちゃんとプリントできるだろうか? この前失敗したしな〜)
とりあえず、「自閉症スペクトラム」と「自閉症スペクトル」を、文中で両方使用するのはどうかと思います。どちらかに決めて使ってほしいです。
では、また。
こりっこ wrote:
>川合 哲也 wrote:
>>もうどうしよう!
>
> 高校生は、学校に行きましょう。
> 授業中は、先生のお話しをよく聞きましょう。
> 休憩中は、お友達と遊びましょう。
> お友達がいなかったら、一人で遊びましょう。
> 放課後は、部活動をしましょう。
> 部活動が、嫌ならアルバイトをしましょう。
> アルバイトをしたお金で、好きな事をしましょう。
> 両親達が、反対するのなら「死ぬ!」と叫びましょう。
>
> それが、あなたのする事です。
>
> 将来の事は、考えなくていいのです。
> 聞かれたら、りっぱな人と答えるのです。
> そうすれば、りっぱな人になるのです。
こりっこさん、ありがとうございます!僕が通ってる高校では明日が部活の発足式です!僕はパソコンの関係の部活に入りたいと思っています。こりっこさんが提案してくれた、僕がやるべき事、1つが出来そうです。本当にありがとうございました。
武田好史 wrote:
>川合 哲也 wrote:
>>皆さん、こんにちは。先日、僕は掲示板に投稿したんですが、今回はこの前の続きを書きたいと思います。診断された原因だとは思うんだけど、僕の親は僕の行為に対していつも先走っているって言われてしまいます。何か分からないんだけど、親や姉に「発達障害」と言われてるように受け取ってしまうんです。最近はスペルガーもしくは自閉症と診断されたり、親に「先走っている」とか言われたり、どうせ発達障害が原因で指摘されてばっかりで、もうやって行けないような感じです。もし学校でクラスの人達に知られて、「障害者」と言われたらどうしようとも考える時もあります。もうどうしよう!
>
> あまり特別なことと捉えずに、自分の持ち前の長所をどんどん発展させていったほうがいいと思います。『何もできない人間だ』と思って萎縮してしまうと、もうとにかく人生を無駄にしてしまいます。私はその典型です(*.*)
> だからといって無理は禁物です。悠悠自適・気長が最善です。
武田好史さん、ありがとうございます。かえって、僕は特別に学校や友達に特別に配慮してもらいたくありません。なぜかというと僕が「どうせ障害者なんだから」と思っちゃうかもしれません。今までどおりの自分でやっていけば大丈夫ですよね!?
オレンジケーキ wrote:
>川合 哲也 wrote:
>>察するに、川合さんはどちらかというとせっかちで、気ぜわしい性格の持ち主なんでしょうね。スローテンポの私には羨ましいくらいです。。
> 早合点して失敗したり、先走りして勘違いしてしまったりするのであれば、ご両親のご指摘にも一理あるのかもしれませんね。その時は、意識的に、今よりも1秒長く考えたり、1秒長く人の話に耳を傾けてから行動してみたらどうでしょう?そうすることによって気持ちが落ち着いて、ミスが未然に防げるのであればラッキーですよね?
>「急がば回れ」ということわざがあるようにネ!
> でも、日常生活に特に支障がないのであれば、あまり気にしなくて良いと思いますよ!
> お友達のことも、あまり心配せず、今まで通り自然体でお付き合いしてください。きっとお友達は川合さんの長所も短所も分かってくれていると思うので・・・。
> 最後にもう一度言いますね。「先走りする」というのは決して悪い事ではないので、あまり気にしなくて大丈夫です。そして、友人との交流を大切にして楽しい学生生活を送ってください。
オレンジケーキさん、ありがとうございます。僕の性格はせっかちです。いっつも失敗ばかりしています。いっつも「先走り」してしまうって言われてショックな所もあるけど、じっくり考えればいいのかって思います。1秒でも他人の話を聞いたり、耳を傾けられるようにしたいです。またアスペルガー症候群もしくは自閉症で困った事があったらまた相談に乗ってください!お願いします。
かわいてつや
こんばんは、砂川さん。
砂川さん wrote:
> 10年も同じ職場に在職しているのですか?
周囲は、(私が)10年もいることに絶句してました…(実は、短期間で辞めると思われていたらしい(-_-)。←実際、何年か前に言われました。まあ、私もしょっちゅうグチとばしてますが[笑])。
>期待しています。無理を重ねず健康を大切に
ありがとうございます。砂川さんも、心身ともどもお大事に(^^)。
I wrote:
> さて、ここで問題です。「ここで講釈をひとくさり」「〜くさり」というのは、何を数える単位でしょう?(syakuさんは知ってると思う)
あさかぜさん wrote:
> 知りません。
> 「一鎖」というくらいだから、具足でも数える単位かな〜?と、あてずっぽうを言ってみる、よれよれくたくたのあさかぜでした。(違うだろうと思う)
いま『塵劫記』をチェックしてみたけれど出ていませんでした。たぶん、『和算入門』(現在はおそらく絶版。『新・和算入門』が出ています)だったかな? それで知ったのだけれど、「お経の一行」だそうです。たしか、一くさり=十七文字のはず(十九文字かもしれない。うろおぼえ)。普通の辞書だと「一区切り」と出ています。
> 別の話してごめ〜ん。
> 「冷める」と「冷える」はどう違うのか?
冷める:高温→常温。
冷える:常温→低温。
なお、
温(ぬる)い:本来ならば常温より一定以上温度が高かったり低かったりしていなければならないものが、常温に近い状態であること。
なのだから、
温(ぬる)む:低温または高温→常温。
のはず。
「水をじゃんじゃか足したら、ようやく風呂の水がぬるんできた」
とかいった表現は、ありそうに思う。
> ある日……
> 「そういえば、『死体が冷める』とは言わないよね」(←直前まで“ご臨終ごっこ”をしていた娘とわたし……娘の疑問にとまどう)
焼死体だったら、言う。(-_-)
お寿司のように、「熱い」でも「冷たい」でもない温度がおいしいという料理がある。さりとて「常温」でもないのですね。「温(ぬく)い」のがいいわけです。この「温(ぬく)まる」とか「温(ぬく)もり」とかいった感覚は、「身体から熱が逃げてゆかない」感覚であって、「身体に熱が入ってくる」感覚とは、また別だったりします。
ただ、多くの暖房器具は「温(あたた)まる」ためのものであるのに対し、「炬燵」の場合は「温(ぬくまる)」感じである、ということについては、もうちょっと突っ込んだ考察が必要であると考えます。
そういえば、この『アスペルガーの館の掲示板』の過去ログを全部保存している人もあんまりいないだろうし、いちいち拾い読みをするのも大変だろうし、まとめて読んだとしても議論がごちゃごちゃしているし、場合によっては図とかつけてちゃんと解説したほうがわかりやすいものもあるので、テーマ別にまとめたものを作って出版する、というのは面白いかも。『秘密結社A』の活動としても適切だし。
いかがなものかな?
(Maria)
わたしwrote:
> 知りません。
> 「一鎖」というくらいだから、具足でも数える単位かな〜?と、あてずっぽうを言ってみる、よれよれくたくたのあさかぜでした。(違うだろうと思う)
お数珠のほうが、らしいよねぇ……。
Mariaさん wrote:
> さて、ここで問題です。「ここで講釈をひとくさり」「〜くさり」というのは、何を数える単位でしょう?(syakuさんは知ってると思う)
知りません。
「一鎖」というくらいだから、具足でも数える単位かな〜?と、あてずっぽうを言ってみる、よれよれくたくたのあさかぜでした。(違うだろうと思う)
別の話してごめ〜ん。
「冷める」と「冷える」はどう違うのか?
ある日……
「そういえば、『死体が冷める』とは言わないよね」(←直前まで“ご臨終ごっこ”をしていた娘とわたし……娘の疑問にとまどう)
「辞書では『冷める』は、熱いものが熱い状態でなくなること。『冷える』は、冷たくなるとか寒くなること、あるいはそう感じること、ってなってるねぇ。てことは、『冷める』は元の状態が熱いものを言い、『冷える』は熱いものを含めてある程度の温度のものが、冷たくなっていくことを言うんじゃないの?」
「ある程度の温度って、何度から何度くらい?」
「うが〜〜」
「600度? 6000度?」
「そんなに熱いわけないだろうがっ!」
「いちまん度?」(←すでに笑っている)
「こんにゃろお〜!!」
「『冷める』と『冷える』をどうしてべつべつに使わなければいけないの?」
「…………」(←バンザイしながら、踊るあさかぜ)
大変失礼をばいたしました……。
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