アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
こんにちは。
[ADHDパートナーのためのスペース]管理人のヤモリです。
よし(陽疾)さん:
> 一生懸命やってくださってる、ヤモリさん、に対して
> あまりにも失礼な内容の文章でしたね。
> 済みませんでした。当然、存在意義ゼロなんてわけもないです。
> 申し訳ございませんでした。
> これからも、皆さんのために力になってください。
よし(陽疾)さんの真意はちょっとよくわからないのですが、とに
かく謝らないでください。
私としては、「過大な期待には応えられません」ということが言い
たかっただけで、それ以上の意味合いはありません。
# 謝られるとなんだか申し訳ないです。
それに「一生懸命」とか「皆さんのために」とかいうつもりも毛頭
ないです。私は私がやりたいことだけをやってます。
お蔭様で様々な方からお問い合わせのメールをいただきますが、そ
の内容が深刻であればあるほど、ご要望に応えられそうもないな、
と残念な思いをしている不甲斐ない管理人でございます。
(以下余談)
よし(陽疾)さん:
> ただ・・・
> いろんな、意味で、非常にショックでした・・・・。
どんな意味でなのかすこーし気になります(ははは)。
気が向いたら教えて下さい(メールでこっそーりでもいいです)。
-----
ヤモリ:aps@estyle.ne.jp
「ADHDパートナーのためのスペース」
http://www.estyle.ne.jp/aps/
あさかぜさん wrote:
> ところで、卵焼きと玉子焼きでは、どちらがより正しいの?
はーい、お答えしまーす。
「卵」は、殻のないたまご。魚のたまご(いくらなど)がそう。
これに対して、「殻のあるたまご」を「蛋」といいます。
「皮蛋(ピータン)」なんかがその例です。
「たまごの白身」のことを「卵白」といいますが、本当は「蛋白」。「蛋白質」というのはここから来ています。
「玉」というのは、「丸いもの」という意味ですが、「宝玉」を連想させ、「貴重なもの」「高価なもの」という意味もあります。そんなわけで、「玉(ぎょく)つき」というと「豪華な」というイメージがありました。浅草の老舗の牛鍋屋・『今半(いまはん)』の「玉(ぎょく)つき牛飯(ぎゅうめし)弁当」なんていうのもあります。うちの近くの立食い蕎麦屋さんでは、「玉子入り」のことを「デラックス」と呼んでいたりもします(とはいえ「月見そば(あるいは、うどん)」は「かけデラックス・そば(うどん)」ではありません。「月見そば(うどん)」です)。
昔は「玉子焼き(「厚焼き玉子」、あるいは「出汁(だし)巻き玉子」)」というと、病人のお見舞いにしたくらい滋養があって精がつくもの、とされていました。
そんなわけで、“物価の優等生”でもある玉子に敬意をこめて、「玉子焼き」と書いてあげてください。
(Maria)
yamori wrote:
>こんにちは。
>[ADHDパートナーのためのスペース]管理人のヤモリです。
>
>よし(陽疾)さん:
>> すもも、さん紹介のHPの中身はあまり知りませんが、「ADHD」
>> と「ADHDパートナー」とのあいだの「共依存」は、絶対テーマに
>> なっているはずです。もし、このテーマが、過去そのHPで討議
>> されたことないなら、そのHPには存在意義ゼロです。絶対、テ
>> ーマになってるはずです。
>
>ひょっとしたら、当サイトは「存在意義ゼロ」かもしれません。
>立ち上げ時から今日にいたるまで、私は当サイトの「存在意義」に
>ついてはずーっと悩んできました。
>何の役にも立たないならまだしも、なにか「害」になることをやっ
>ているのではないか、とも思うと、恐くもあります。
>
う〜ん、そうでしたか・・・。
まさか、・・・
言葉が過ぎました。
一生懸命やってくださってる、ヤモリさん、に対して
あまりにも失礼な内容の文章でしたね。
済みませんでした。当然、存在意義ゼロなんてわけもないです。
申し訳ございませんでした。
これからも、皆さんのために力になってください。
ただ・・・
いろんな、意味で、非常にショックでした・・・・。
ところで、卵焼きと玉子焼きでは、どちらがより正しいの?
Dルームでは、学習の自由も保障されている。教科によっては学級へ戻って学んでもいいし、ルーム内で一人で勉強してもいい。時間割にとらわれないで、好きなだけ、納得するまでやっていていいのだ。他の子が散歩に出るからといって、一緒に行動するようには強要されない。「わたしはここに残って、続きをする」と言っても、許される。
「規律」は学べないかもしれない。が、「学ぶ力」のある子だったら、なんでも学びの対象になると思う。
「お化け屋敷」を例にとると、頭を使ってアイデアをひねり出し、手を使ってアイデアを形にする。どんな材料が用意できて、どんな道具が使えるのかで、現実との対応が可能になる。予算は多いとは言えないが、「これがどうしても欲しい」と交渉することで、学校外へ買い物にも行けたりする。
アイデアは稚拙で、作品は幼稚かもしれない。けれど、主体は子どもたちなのだ。自分たちのアイデアを形にし、観客を招いて披露する。観客に喜んでもらえることで、本人には何かが残るだろうと思う。
先生方のご好意で、広義の運用が可能になるのが、Dルームなのである。先日はクレープを焼いて食べていた。料理が好きな子は、本領発揮である。燻製作りをしたときは、部屋中が燻製臭くて、三日ほど匂っていた。娘は黙々とチップにする木を削り、火の番をしていたそうだ。飽きてしまった他の子は、飛び跳ねて遊んでいたりした。が、火の番をした娘には、感謝してくれたという。
学校を苦行の場にしない工夫は、いくらでもできると思う。カリキュラムに沿って、チャイムが鳴ったら「はい、次の教科です」とぶち切られたらついていけない子も、時間にとらわれなかったら、教科学習が好きになるかもしれないのだ。
Dルームで時間内に終わらなかったものは、一応かたづけて「また明日つづきを作ろうね」と、続けることが可能である。やりたい子が納得するまで続けられる。
学校週五日制になって、「学力低下」ばかりを心配する親御さんたちには、関係のない話かもしれない。しかし……
子どもが生き生きと、楽しそうに輝いているほうが、健全だという気がする。
「学校で教わったこと」が何に生かせるかは、子ども次第なのだから。
アスペっ子は、可能性のかたまりなのだから。
余談だが、本日の卵焼きの一切れは、校長先生の胃におさまったそうな。「甘さがぴったんこ」と、おっしゃってくださった。お化け屋敷にも来てくれるという。娘はお化けを吊るす紐をかけるために、Dルームの壁に釘を打ったそうだ。許可してくれた先生に感謝、だ。
学校って何するところ? と言われてしまいそうなことばかり書いたが、「これもあり」だろうさと、わたしは思う。「もっと、こうしたら?」というご意見も歓迎するし、批判も受け付ける。なにか思うところある方は、書いてほしい。よろしくね(^_^)
吹雪に巻かれて
凍り付くくらいなら
炎に包んで
焼き尽くして欲しい
動けないまま
砕け散るより
暴れまわって
燃え付きたい
限りある熱の粒子
人は何故避けるの
何故要らないなんて言うの
あなたが熱を捨て去るのなら
私が全てを引き受けてあげる
破裂するまで
あまり状態が良くないので、乱文を連ねることになる。「きたない言葉使いは嫌い」という方は、読まないでいただければありがたい。とりあえず、小学生もしくは就学前のお子さんをお持ちの、親御さん方向け。(ROMの方もいらっしゃるだろうと想定して書く)
「あたし、なんだか学校へ行くのが楽しくなっちゃった」と言って、娘は毎日登校するようになった……。なにやら絶好調。
なんだなんだ、いったい何が起こったんだ? どういう風の吹き回しだ? と思ってしまうわたしは、絶不調……。
「お弁当作って持っていく」と言い、今朝なんぞは二人で卵焼きを焼いた。9才小4である。給食もあるのだから、ご飯と卵焼きしか入れなかったが……本当にいいのか? 学校でおそるおそる先生にお伺いを立てようと思ったが、講堂へ行っていて留守だった。
「あたし、講堂へ行ってみるね」ときた。へ? あれほど大人数のいる場所を嫌っていた娘が……どうなってしまったのだ〜???
わからん。わからんが、うれしい。……と思う。たぶん。
前置きはそのくらいにして……。
学校適応とか、集団適応とかに心をくだいている親御さん方も多いと思う。アスペっ子は環境によっても変化するからだ。できれば養護学校ではなく地元の小学校へ、できれば特殊学級ではなく普通学級へ……と考える親御さんも多いのだろう。
しかしね、今あるシステムに子どもを合わせようとして、努力しすぎていないだろうか? 現実に身近にそういう人がいるので、ちょいと心配してしまうのだ、わたしは。なんてったってアスペっ子は我らの小さき仲間、これからの世界を背負っていく世代なんだから。余分な負担をかけて壊したくないんだよ。
娘の例が一般化できるとは思わないが、ひとつの実例として「この手もある」と思っていただければ、幸いだ。
娘はDルーム(仮称)に行っている。原級(普通学級)でもなく、特殊学級(情緒障害児学級)でもなく、保健室でもない。そういうものが存在している学校があるのだ。専任の先生もいる。ありがたいことに、前年度から引き続き同じ先生だ。優しくて面倒見のいい、おかあさんみたいな感じの人である。
Dルームのような存在は、これから重要になってくるだろうと思われる。人数割りで教師数が決められる特殊学級とは、またちがうのである。「学校へ行ったら、勉強でしょ!」と思っている親御さんには、物足りないかもしれない。が、「教育に特別なニーズを必要とする子どもたち」にとっては、ありがたい場所だと、わたしは思う。教科学習だけが勉強のすべてだとは、思わないからである。
ちなみに娘は、Dルームをお化け屋敷にするのだそうで、なにやらお化け作りにいそしんでいる。合間に折り紙をしたり、ビーズ工作をしたり、体育館が空いていれば跳び箱やフラフープをしたりもする。天気がよければ、校外へ散歩にも行く。それらのすべてを、時間の制約をあまり受けずに、ほぼ自由に行うことができるのである。
先日は教頭先生がやってきて、Dルームの予算がとってあるので、生徒が希望する本(マンガでも可)を買ってもいい、と話していたのを目撃してしまった。
「校外学級」「中間教室」と呼ばれたりする、学校と家庭の中間にある教室というのも存在する。主に不登校児が対象だが、アスペっ子でも受け入れるだろうと思う。が、学習が中心である。
校内にあるDルームは、自由行動が主体となる。その内容に関しては、先生にお任せもできるが、親の希望もある程度伝えられる。原級の先生、特殊の先生も、あるいは英語の先生やら教頭やら校長やら、図書館の先生に保健室の先生に事務の先生方まで、顔を出してくれる。けっこう“知り合い”が増えてしまう場所でもある。Dルームでは、学年を超えたお友達ができる。
部屋は狭いし、人数も少ない。けれど、アスペっ子にとっては、落ち着ける場所であるらしい。広すぎるのと多すぎるのは、苦手だからだ。娘はダンボール箱に入ることもなくなったし、机の下にもぐりこむこともなくなった。お友達は、家庭どうしでの行き来もするようになった。
学校長が市町村教委を通じて県教委に申請し、Dルームの存続は県教委が許可する。年度ごとに更新する。ない学校も多いだろうし、保健室が役割を兼ねているようなところもあるだろう。
わたしは運がよかっただけかもしれない。けれど、これからアスペっ子の学校教育をどうするかと悩んでおられる方は、県の教育委員会に問い合わせて、Dルーム(呼び方はさまざまだと思う)のような存在があるかないかを、探ってみるのもいいかもしれないと思うのだ。
Dルームが存在していて、有効に利用できているわたしなどは、存続を願って校長に相談に行ったりもする。就学を控えた自閉症児のお母さん方も、一緒である。あとに続く人々が、どんどん増えているのだ。
選択肢は多いほうがありがたい。既存のシステムに子どもを押し込んで、裏問題児にしてしまったらつまらない。学校に適応している(ように見える)からといって、本当にその子のためになっているとは限らないと思う。
親の自助努力も必要である。安心して子どもをまかせておけるだけの配慮を、すべての学校がしてくれるとは思えない。が、けんか腰ではなく、学校に働きかけることも大切なのである。自分から声を上げて、地道に働きかけていくしかないと思う。批判ばかりしていたって、ちっとも良くはならないのだ。
ここまで読んでくれた方、ありがとう。お目汚しの文章だったと思うが、ひとりでもふたりでも、行動に結びつく勇気を持つようになってもらえたら、と思う。
あさかぜの姐御 wrote:
> 「働いている」って、「働いて金が稼げる」って意味ですか?
ソフトウェア開発、なかんずくシステム設計だとかアルゴリズム開発だとかの世界における「仕事」っちゅーのは日本昔ばなしの『三年寝太郎』みたいなもんで、「『仕事』をしている」という風情がほとんど感じられなかったりする。
世の中には、土木作業や農作業のようなもの“だけ”を「労働」とみなす人間もいる……というか、おれがまだ駆け出しの頃で、某大手企業の系列の職場で働いていたときの上司はほぼ全員そういう連中だった。なんでかというと、当時ソフトウェア産業は成長産業であり、管理職はほぼ全員畑違いの分野から回されてきた人間でコンピュータのことなどまったく分からず、髪が長く不潔で社会不適格寸前みたいな連中が(たかだかコンピュータとかいう訳のわからんものがいじれるというだけの理由で)でかい面をしておるのが腹立たしくてしょうがなかったからだ。で、そういう時代にさんざんいじめられたコンピュータフリークの恨みが、現在のパソコン音痴オヤジいじめの源泉になっているのである。
そんなわけで、プログラマなどという「額に汗して働く」ことをしない連中はいくら馬鹿にしてもいいし、いくらこき使ってもいいのだ、だいたい連中は“働いて”いないのだから、という時代があった。「士農工商犬プログラマー」とおれたちは言ったものだ。
バブル景気の時代になると、優秀なプログラマは貴重な金ヅルになった。ただ、あくまで「金ヅル」であって、果実を採取したらあとは枯れるにまかされるだけで、下手すりゃ肥料すら与えられなかった。お百姓さんは牛や馬を大事にしたが、プログラマはそれ未満の扱いだった。「牛馬SE入るべからず」とおれたちは言ったものだ。
キリスト教(ユダヤ教やイスラム教もそうだが)では、人間は「地上を支配する」権利を神から与えられ、労働し富を生み出すものとしての家畜を与えられた、と考える。そして連中は黒人を「家畜」とみなして奴隷化した。バブル景気の時代には、他人を「家畜」とみなし、自分を神に認められた人間、すなわち「皇帝」とみなす輩が腐るほどわいて出た。彼らにとって「自分の仕事」というのは「刈り取ること」と「消費すること」であり、家畜の仕事は「苦しんで働くこと」と「生みだすこと」だったのである。
おれたちは「労働を楽しみ、しかも額に汗することのない、可愛げのない家畜」だった。そんなわけで、奴隷としてたんに馬鹿にされ生み出したものを取りあげられるだけでなく、罪人として罰せられたのである。
「おまえは“働いて”いない」というのは、「おまえは俺の欲望に奉仕するために生きているのだ」と言っているに等しい。そんな餓鬼の言葉に耳を貸す必要はない。
人間にはそれぞれに奉仕すべき価値があるはずである。
(Mr.Moto)
オレンジケーキ さん
RIEKO さん
>>人と関わるのが苦手です。友人と呼べる人は一人もいません。
私もそんなもんです。
>同性異性を問わず大切にするよう心がけています。
私も昔は異性との出会いもなるべく大切にしていたのですが
異性の中にはそんな私を『恋愛の対象』としてみたり
『俺に気があるんじゃないのか?』とか思われたり
『女の子紹介して』とか言われたりして
困った事が何回か・・・。
RIEKO wrote:
>私、無意識のうちに、(意識的に?)人を傷つけてしまうのです・・・。
>人と関わるのが苦手です。友人と呼べる人は一人もいません。
私も対人関係は苦手です。でも、人を傷つけることはあまりしていないと自分では思ってます。というのは、私自身が非常に傷つきやすいので・・・。
私の場合は、少なくていいので、信頼できる心の優しい友人が欲しいと思っているので、そういうタイプの人との出会いを、同性異性を問わず大切にするよう心がけています。
ただ私もAS系(自称なんですけど)なので相手の気持ちが読み取りにくいんですよねー。こちらが「仲良くなりたいな」と思ってフレンドリーに接していっても、相手がなんとなく困惑している、というか引いているような感じを受けるときがたまにあります。以前はそういう時どうしていいか分からず、傷ついた心を隠してフレンドリーさを保ってましたが、(でも笑顔はひきつっている。。)最近はこちらも引くようにしました。「あ、そうか。私って嫌われてたのね。」ってな感じで。うぅ、私って鈍い〜。
ともあれ・・、まだまだ試行錯誤の毎日です。^_^;
「書くこと」の意味についてはうちのスタッフが何度か書いた。そんなわけで、今回は「書いておくこと」と「電子化しておくこと」の意味について書いておくことにする。
人間は忘れる動物である。ソフトウェア開発の仕事をしていると、「三日前の自分は他人だ」というのがよくわかる。ところがまったくの他人だったら腹も立つまいが、中途半端に他人なものだからじつに腹が立つ。プログラムを一読してなにやら妙なスタイルで書かれているのを見て、「なんじゃこりゃ」と思って書換えて、実行したとたんにエラーが出て、しばらく考えこんでから「おお、そうか」と気づき、その瞬間に三日前にも同じことをやったことを思い出したりするのである(-_-X)。そんなわけで、電算稼業を三年も続けると、「三日前の自分は他人だ」というのを骨の隋まで思い知り、執拗かつ入念にコメントを書き文書を残すようになるのである。
とはいえ、「こんなもん書いといたって読みゃあしねーよ」という思いはつねにつきまとっている。しかし、「とりあえず書いておかねば、読むか読まんか分からんではないか」と言っておこう。実際問題として、書いてあるとけっこう読む……というか必要になることが多いことが分かるのである。なぜそれに気づかんかというと、「忘れているから」なのだな(^_^;)。同じことを何度も何度もやっていながら、前に同じことをやったことを忘れている。「そういえば、以前もこんなことが」という感覚を「既視感(デジャ・ヴ)」かと思って統合失調症を疑う前に物忘れを疑ったほうがいい。
それにもう一つ。自分が必要なことはしばしば他人も必要なのである。そんなわけで他人に質問される。そのときに一度「書く」ことで概念を整理しておくと、説明しやすさが格段に違う。うまく説明できないと「説明がよくわからん。やって見せてくれ」とか言われて仕事を押しつけられたりもするし、顧客にうまく説明できると信頼されるというメリットもあり、「説明のうまさ」というのは鍛えておくにしくはない。
あるいは、「説明を聞いたが忘れたのでまた教えてくれ」とか「説明を聞いたがよくわからん」とか「説明通りやったがうまくいかない」とかいって煩わされることがある。そういうとき、説明を書いた紙を渡して「あとは自分で考えろ」という手が使える。
あとは、電子化しておく必然性である。
まあ、おれの場合すでにして手書きよりもキーボードを打つほうが楽というのがあるのだが、それ以前に「字ヘタなので読めん」という問題がある奴がうちのスタッフにはいる(悪かったな by KILROY)。でまあ、なんといっても電子化しておけば再利用・再加工が楽というのがある。たとえば検索が楽だ。テキストの量が一定以上の量になるとこのメリットというのはかなりのもので、『アスペルガーの館の掲示板』に うちのスタッフが書いた文章だけでもけっこう調べ物の役に立ったりする。
そんなわけで、
すかさずメモる(とりあえず記録する)→整理してノートする(記述する。あるいは「書く」)→電子化する→蓄積する→体系化する→発表する→共有する
という一連の流れの一部として、「とりあえず記録しておくこと」「電子化し、蓄積すること」の重要性を強調しておきたい。
(Mr.Moto)
あおび wrote:
>働いていない人間は悪いんだろうか?
先日、瀬戸内寂朝さんがTVでこう話していらっしゃいました。
「世の中には、人の力ではどうしようもない事も沢山ある。でも、大いなる力があって、私達はみなそれに守られている。だから、あまりくよくよ心配せず、一人で生きていけない人は、周りに頼って支えてもらって生きていけばいいんですよ。」と。
だから、働いていなくても自分なりに一生懸命に生きることが大切だと思いました。働けなくても、家で出来る事がいろいろありますし。
それに、今働けなくても、将来働けるようになるかもしれません・・・。そのときに備えて、家でパソコンの練習をしたり、本を読んだりして自己投資するのも良いかもしれません・・。
あおびさん wrote:
> 少なくとも日本は働いていない人間をゴミ扱いする。捨ててかかる。
すべての日本人がそう思っているとは、思えないけどね。多いことは確かだけど。
> もう生きていくのがイヤになった。このまま引きこもってもいいかも、と思う。働いていない人間は悪いんだろうか?
「働いている」って、「働いて金が稼げる」って意味ですか?
専業主婦は、「お金」というかたちで報酬はもらえないよ。どっかの会社がモデルケースを使って、主婦の仕事を自給計算したところ、完璧にこなせれば年収600万円相当にはなるという結果だったとか。テレビでやっていたらしい。へーって感じだった。(←本当かな? プロのハウスキーパーって、けっこう稼ぐぜ。それで生活してる人だっているんだから)
いまだに「誰のおかげでメシが食えると思っているんだ」と言い放って、平然としているダンナ族は多い。
そういう奴に対して、「誰のおかげで働きに出て行けると思っているんだ、愚か者! 外へ出て金が稼げれば“偉い”などど思い込みおって、たわけ! 人間修行が足りねーよ!!」くらいのことは、わたしは言うぜ。主婦の仕事を年収100万円相当すらこなしているかどうかもアヤシイ、この、わたしが、だ。
“その他大勢”の考え方ばかりに引きずられていると、アイデンティティ・クライシスを起こしてしまいそうになるので……ときたま吠えてみるのだった。
失敬した。
> わたしが不適応がひどかった頃、ひきこもりではなかったのですが、ひき
>こもりを扱っている相談機関に相談しに行きました。そこでアドバイスされ
>たことの1つが「就労する前に広い意味での社会経験(仕事に限定されない
>)を積んでおくといい」ということでした。
>
思ったこと。いきなり郵便局というではなく、企業でヒドイ目にあいつづけてから
そっちへ行けばよかったと思います。郵便局も現場へ行けばシャバとはまったく違いますからね。
たあ wrote:
明日、4つ目の派遣会社に登録しに行きます。もう、自分が苦手な営業の仕事でもいいと思っています。でもそうすると、長続きしないので困ってしまいます。とにかくお金が欲しいです。
お金が欲しい→ぼろぼろになるまで働く→めっちゃ疲れる→給料をもらうがこれでは満たされないと思う→またぼろぼろになるまで働く⇒それを繰り返すうちある日仕事で失敗をする⇒それを契機に今までの疲れが一気に噴出し心身の病気になる⇒働けなくなってしまう。
僕はもう何かどうしても、こんな感じの被害妄想から抜け出せなくなってしまいました。これがもう30歳を迎えるのに、僕が表向きの社会参加をしない理由です(〜_〜)。
私は親から「一生おまえのめんどうをみろというのか」と怒鳴られているので、早く就職したいです。いままで3つの派遣会社に登録しました。でも、なかなか仕事を紹介してもらえません。明日、4つ目の派遣会社に登録しに行きます。もう、自分が苦手な営業の仕事でもいいと思っています。でもそうすると、長続きしないので困ってしまいます。とにかくお金が欲しいです。
てらば wrote:
>私はたとえASであっても、働きたいし、無収入で家にいるのはとても苦痛。
>しかし、親から「これ以上バイト探しをしないでくれ」と言われてるから、
>もう後先がない。
>高機能やASでも入所できる自閉者の施設はないだろうか.....例え実家から
>遠くても居場所があればそっちへ行きたい!!
今日は雨が降って、僕の通っている精神科のディケア施設では、スポーツの時間が中止になって、茶話会ということになった。
二十歳前後のまだ若い時分に統合失調症(旧分裂病)を発症して入院してしまい、おばさんの歳になってようやく退院できたというWさん曰く、
「ああ。ピエロ(人形)作りさ、嫌になっちゃったよ…本当はもっとお金をもうけられる仕事したいんだよね。800円にしかならないし…かといって私もう年だからなかなか働ける仕事がないし…働けるのって本当に若いうちだよ!」
「働きたい、けど仕事をする所がない!」というジレンマは、発達障害者だけでだけのものではなく、コミュニケーションやストレス耐性のハンディを持つ人たち全ての悩みだといえそうです。
武田好史 wrote:
> 私は「仕事=世の中をよい方向動かそうと努力することの全て」だと思
>います。
わたしが不適応がひどかった頃、ひきこもりではなかったのですが、ひき
こもりを扱っている相談機関に相談しに行きました。そこでアドバイスされ
たことの1つが「就労する前に広い意味での社会経験(仕事に限定されない
)を積んでおくといい」ということでした。
「社会復帰」(ちょっと問題のある言葉)というやつをする場合は、いき
なり目標を達成しようとするのではなく、ワンクッションかツークッション
置いてからにした方がいい場合もありそうです。
もう1つは目標。いきなり「親孝行をしたい」とか「自立したい」という
ところから出発しようとはせず、まずは「自分のこずかいをかせごう」とか
「自分の興味のあることをやってみよう」という程度の目標からはじめてお
いた方が無理がないと思います
こんにちは。
[ADHDパートナーのためのスペース]管理人のヤモリです。
よし(陽疾)さん:
> すもも、さん紹介のHPの中身はあまり知りませんが、「ADHD」
> と「ADHDパートナー」とのあいだの「共依存」は、絶対テーマに
> なっているはずです。もし、このテーマが、過去そのHPで討議
> されたことないなら、そのHPには存在意義ゼロです。絶対、テ
> ーマになってるはずです。
ひょっとしたら、当サイトは「存在意義ゼロ」かもしれません。
立ち上げ時から今日にいたるまで、私は当サイトの「存在意義」に
ついてはずーっと悩んできました。
何の役にも立たないならまだしも、なにか「害」になることをやっ
ているのではないか、とも思うと、恐くもあります。
管理人は勿論のこと参加者の中にも専門家がいるわけではありませ
ん。また、前例となるようなサイトも見当たらなかったため(無い
から仕方なく自分で作ったわけで。あったら是非教えて下さい)、
運営の基本指針すら、これでいいのかどうかわかりません。全く手
探りで運営している次第です。
(本当は何らかの専門家に助言を得たいと心底思っています)
現状では、参加者が各々の思いを語り合うことくらいしかできませ
ん(しかもさほど活発なわけではありません)。そんなわけなので、
28号さんをはじめ、有益な情報を得たいと思っている人にとって
「意義」があるかどうかは、管理人としても全く疑問です。
なおついでながら、共依存については、全く話題にのぼらないわけ
ではありませんが、それがメインテーマというほどでもありません。
参加者各々の問題意識はそれぞれ違っているから、現状ではそれを
課題と考えている参加者があまりいないのでしょう。
(私個人としては重要な課題ですが)
-----
ヤモリ:aps@estyle.ne.jp
「ADHDパートナーのためのスペース」
http://www.estyle.ne.jp/aps/
こんにちは。
すももさんにご紹介いただいた[ADHDパートナーのためのスペース]
管理人のヤモリです。
反応が遅くなってしまって申し訳ありません。
当サイトでは確かに「恋人・配偶者」のことを称して「パートナ
ー」と銘打っていますので、基本的にはそういう関係のケースを前
提にしています。
ただ、「友人がADHDかもしれない」という方にメーリングリストに
参加していただいたケースもあります(必ずしもそういう方の参加
を全て認めているわけではありません)。
ケースバイケースで課題が違うので、28号さんにとって当サイトの
ような場所が役に立つのかどうかは、私にはわかりません(私は個
人的には28号さんともお話してみたいと感じています)。もし「使
える」と判断して下さったならどうぞご連絡ください。
-----
ヤモリ:aps@estyle.ne.jp
「ADHDパートナーのためのスペース」
http://www.estyle.ne.jp/aps/
あせる必要は無いと思います。今はこんな時代だし・・・。「働こう」という意欲があるだけましです。月並みな意見でスミマセン。
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