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Re: 訂正 12952へのコメント
No.12953  Sun, 23 Jun 2002 16:21:05 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

釈さん wrote:

> >大学時代に友人だった統合失調症患者と関係が悪化したことがあります。
>際限もなく弱者としての配慮を要求されたために。 ( No.12944 )

> ご友人は,要求しようと思ってそうしたんじゃないと思います。統合失調
>症という病気が力をなくす病気なので,どうしようもなくそうなってしまっ
>たと思います。分け与えるほどの力のない人にすれば避けて通るしかないと
>しても,悪くは思わないであげてほしいです。きちんと自分を守ることが正
>気なので,病人を助けられるほどの超正気は誰にでもは持てないものですか
>ら,文句をつけてるわけじゃありません。

この話があったのは学部生になった頃。ASという言葉すら知らないし、
教育学的LDとも判断されていない時期のことでした。(ちなみに判断され
たのは21才の頃)周りから奇異な目で見られることが多い奴だったので、
自分の子供の頃によく似ていると思って、それとなく配慮していました。あ
る程度、親しくなってから、統合失調症(当時の言葉では精神分裂病)であ
ることをカミング・アウトされました。

 自殺未遂や自傷行為をしたり、そう状態になって周囲の人間と衝突を繰り
返したり、毎晩のように2〜3時間電話をしてきて同じ悩み事や説教を繰り
返ししてきたりの連続で統合失調症には全く免疫のなかったわたしには混乱
の連続でした。もっともこれらの行動自体はわたしには許容範囲だったので
すが。

 障害者手帳を取って福祉作業所で働くようになってからは、やたらとわた
しに対していばりはじめ、こちらから意見をすると「俺は障害者なんだから
仕方がない」とか「配慮を受けるのは障害者の特権だ」と言って意見を封じ
てくるようになりました。さらに「俺は障害者なんだからああしてほしい、
こうしてほしい」という要求があまりにも多くなってきたため、けっきょく
関係が維持できなくなってしまいました。今だったら距離をおきながらもう
少しうまく関係を維持できたようには思いますが。

 統合失調症患者全体には敵意を持ってはいません。ただ、「自分の障害は
重いんだから」とか「お前は恵まれている」という言葉をわたし以外の障害
者から浴びせられると、その相手に支援者のような立場で接していかなけれ
ばならなくなり、気が重くなります。(仕事なら話は別だが)

 子供の頃の知的障害児との関係もそうでしたが、逆に深く関わってきたた
めに、却って不幸な関係に終わってしまったことがよくあります。今は「失
敗をしたということがいつか大きな財産につながる」ことを信じて、他の障
害者との異文化交流を続けていくしかないのですが。

 ともあれ、ご指摘ありがとうございました。


Re: 訂正 12949へのコメント
No.12952  Sun, 23 Jun 2002 14:51:05 +0900  釈 [この発言にコメントする]

こうもり さんwrote:
> 絶望していると受け取られても仕方がない部分もありますね。シクシク

 泣かないでくださいな。別にこうもりさんにからむつもりじゃなくて,自分の焦点のいい加減さのいいわけがしたかったんです。私の文章は不特定多数へ向けた抽象的なのが多くて,厄介ものです。それより,
 >大学時代に友人だった統合失調症患者と関係が悪化したことがあります。際限もなく弱者としての配慮を要求されたために。 ( No.12944 )

 ご友人は,要求しようと思ってそうしたんじゃないと思います。 統合失調症という病気が力をなくす病気なので,どうしようもなくそうなってしまったと思います。分け与えるほどの力のない人にすれば避けて通るしかないとしても,悪くは思わないであげてほしいです。きちんと自分を守ることが正気なので,病人を助けられるほどの超正気は誰にでもは持てないものですから,文句をつけてるわけじゃありません。


Re: アイ・アム・サム 12940へのコメント
No.12951  Sun, 23 Jun 2002 14:06:24 +0900  Helix [この発言にコメントする]

らららさん wrote:
>今、公開中の映画、「アイ・アム・サム」 ごらんになった方はいますか? 

らららさん、はじめまして。
私はまだ見てないですが、前売りだけは買ってあります。
(買っておかないと、行く気力が萎えていつのまにか終わってるんですよね。)
レビューなどで知的障害ということだけは知っていましたが、アスペ的となるとますます楽しみです。

>アメリカの映画を見ていると、しばしばアスペ的な人間が登場します。主役ではありません。世の中の片隅で掃除の仕事などをしながら、ひっそりと生きる人間として、登場します。けれど、彼らがそれなりに周囲から、受け入れられている様子が伝わります。

ディカプリオが自閉の少年として脇役で出ていた映画もありましたね。
題名忘れましたが。

>私の子どもはアスペ的、ADD的です。時々、子どもを持ったのは間違いだったかと思うことがあります。私の苦労ではなく、子どもがこの社会で、幸せになることができるだろうかと思うからです。

日本では「人と違う」事を認める努力がまだまだ足りないと思います。
画一的な扱い方に不満ばかりたまる私ですが、それでもさがせば居心地のいいところはありました。まあ幸せということになると私もよくわかりませんが。

>映画を見に行こうかと思っています。映画では主人公の好きなビートルズナンバーがたくさん使われているそうです。本を読んで、あらすじを知ることはできても、音楽を聴くことはできません。音楽を聴きに行ってきます。

サントラ買いました。うまく言えないんですが、原曲をとても大切にしているコピーが多かったです。


Re: 健常者の居ない明るい社会を作ろう!! 12938へのコメント
No.12950  Sun, 23 Jun 2002 13:46:58 +0900  みどり [この発言にコメントする]

シペラス wrote:
>あなたを含めて我々は、『健常者』の協力なしには、ぜんぜん生活できないことが、よく分かると思います。

またこれだ……
なんであなたはどうしてそういう上下関係の発想から抜けられないの?

健常者を毛嫌いするのと、根はまったく同じ。諭したつもりかもしれないけど、油を注いでるだけ。


訂正
No.12949  Sun, 23 Jun 2002 13:30:46 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

ちょっと話に矛盾が発生していた部分があったので…。

(12948のコメント)

> ひとまず、「限界を示す=後ろ向きになる」ということではない点だけは
>ご理解ください。

(12945のコメント)

> もっとも、他人の悲しみを「我がこととして悲しむ」ことができる人がい
>たとしたら、自他の区別がはっきりしていないということになり、それはそ
>れで問題のような気がします。

 確かに12945のコメントを見たら、絶望していると受け取られても仕
方がない部分もありますね。シクシク


Re: 焦点の違いについて 12947へのコメント
No.12948  Sun, 23 Jun 2002 12:56:38 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

釈さん wrote:

>「我がこととして悲しむ」のは,仏教の修行法のひとつです。個別のリアリ
>ティのはかなさ,愚かさを嫌い,全力で全体性の次元へ潜るのです。近代合
>理主義の目からは,仏教の立場の方が幻想的,呆けということになります。

どうも、わたしの格闘している世界というのは合理主義からはかけ離れて
しまうような気がします。わたしがもっと合理的な人間ならば、社会にうま
く順応できているはずですから。(もっとも、あまり順応できているという
ことには価値観を置いていなかったりする。社会に順応することと社会に寄
与することは別の次元の問題なので。)

> AS,ADDの違いは主観の位置の確かさですよね。どちらにしろ,諸々
>の困難は変幻自在を目指しての試行錯誤という風に考えています。障害を苦
>にして後ろ向きになると,ぶつかるものがひどくなる気がします。

 これは哲学の発想とも関わってくるのですが、20世紀の哲学は「限界を
示す」ということに大きなウェイトが置かれてきました。その結果、近代合
理主義の限界というものがあちこちで提示されてきた訳ですが、ではその限
界を乗り越えるためにはどうすればいいのか、ということが示されていない
のです。そのためにけっきょく真剣に問題を考えている当事者以外の人から
見れば不可知論(所詮、人間は真理に到達することができない)であるかの
ような誤解を受けてしまったところがあります。

 「人間は所詮、真理に到達することができない」という不可知論は、一見
するとかっこいいのですが、見方によってはこれほど怠惰で卑劣な立場はあ
りません。真理に到達しようという努力をしなくても文句は言われないし、
自分自身が批判的に検討されている場合でも、「どうせ真理には到達できな
いのだから」という逃げ道を作ることができてしまうからです。(同じ批判
は相対主義にも当てはまり、あらゆるものは絶対的ではないと主張する限り
、どんな批判からも逃れることができる)

 つまり、本来の哲学的営みは、現時点での認識の限界を自覚しつつ、その
限界を乗り越えるための試行錯誤を続けることにあったのです。あまり哲学
的人間とは言えませんが、わたし自身が「限界を示す」場合は、それを「乗
り越えなくてはならない課題」として認識したことを意味しています。もっ
ともここまで話を進めてしまうと、自閉の議論ではなくなってしまうのです
が。

 ひとまず、「限界を示す=後ろ向きになる」ということではない点だけは
ご理解ください。

> 目指すところが大きいほど,現実の焦点は合いにくい。若いときに苦しん
>だ人ほど,老いてからの収穫の規模は大きいと断言します。 

 これはすごく重要だと思います。障害者の世界では時として「現在わたし
はよくない状況にあるので、これからもよくはならないであろう」という下
り坂的な思考に陥りがちです。昔読んでいた『スラムダンク』という漫画の
中で負けたチームの監督が「這い上がろう…。負けたということがいつか経
験に変わる日がやってくる。」というセリフを吐いていました。人生は勝ち
負けではないのですが、「今、生きることに苦しんでいるということがいつ
か財産になる日がやってくる」という観点は是非とも持っておきたいところ
です。


焦点の違いについて 12945へのコメント
No.12947  Sun, 23 Jun 2002 11:56:48 +0900  [この発言にコメントする]

「我がこととして悲しむ」のは,仏教の修行法のひとつです。個別のリアリティのはかなさ,愚かさを嫌い,全力で全体性の次元へ潜るのです。近代合理主義の目からは,仏教の立場の方が幻想的,呆けということになります。
 AS,ADDの違いは主観の位置の確かさですよね。どちらにしろ,諸々の困難は変幻自在を目指しての試行錯誤という風に考えています。障害を苦にして後ろ向きになると,ぶつかるものがひどくなる気がします。
 目指すところが大きいほど,現実の焦点は合いにくい。若いときに苦しんだ人ほど,老いてからの収穫の規模は大きいと断言します。 みなさん,あんまり早めにあきらめないようにしましょう。


Re: 欠落人生 12927へのコメント
No.12946  Sun, 23 Jun 2002 11:31:40 +0900  ららら [この発言にコメントする]

私もとっとちゃんはかなりあやしいと思っていました。(笑) 障害を持ちながら、なんとか世の中と折り合って生きることが、できる人とできない人がいます。でもとっとちゃんもなかなか大変だったかも。

以前、NHKの番組で、何人かが、時間制限付きで何かを語る場面がありました。しかし、黒柳さんは時間制限があったにもかかわらず、時間をかなり、オーバーして、話してしまい、その後、話すことになっていた、山川静夫アナウンサーは、もう時間がありませんのでとかなり、怒り露わでした。山川アナウンサーの怒りが激しいので、私はテレビの前で、なんだかドキドキしてしまいました。

黒柳徹子さんは、やはり、「徹子の部屋」のような出演者と一対一の番組の方がいいのかもしれません。

アフリカの子ども達のところへ、ドレス姿で、訪問したと一時、非難が集中したことも思い出します。いつも彼女は彼女なりの価値観で誠実に行動しているのでしょうが。

彼女がAS、ADD、LDについて興味をもってくれるといいですね。
>
>
>
> 
>
>
>
> 


Re: 昨日チラッと見たドラマ 12932へのコメント
No.12945  Sun, 23 Jun 2002 11:04:51 +0900  こうもり [この発言にコメントする]

シュッツさん wrote:

>「あなたなんかに私の気持ちが分かるもんですか」
>
>分からないのが当たり前と思ってきた私です。

 基本的には、わたしができることというのも、相手の言動(しぐさ,表情
語調なども含む)を観察して、相手の気持ちを推測することぐらい…。それ
が自分でも経験していたり、理解可能な苦痛であれば、悲しい気持ちになる
こともあります。

 ただし、わたしと相手は立場を交換することはできないので、相手と同じ
気持ちになることはできないでしょう。例えば、我が子が自殺してしまった
親が泣いているのを見て、「その自殺した子供はかわいそうだな」とか「我
が子に先立たれた親御さんはお気の毒に」と思うことはよくあるのですが、
その親御さんと同じ立場(つまり我がこととして悲しむ)ということはでき
ません。やっぱり第三者の視点から悲しむことしかできないんですよね。

 逆の立場でわたしが何か悲しいことがあったとしても、他人には第三者の
視点から悲しむこと以上のことを要求することはできないでしょう。それす
らも要求しないことも多いのですが。

 もっとも、他人の悲しみを「我がこととして悲しむ」ことができる人がい
たとしたら、自他の区別がはっきりしていないということになり、それはそ
れで問題のような気がします。(日本語でも「我がことのように悲しむ」と
いう言い方はしても「我がこととして悲しむ」という言い方をしないことに
注意。「我がことのように…」というのは比喩であって、本当に「我がこと
として悲しんでいる」訳ではない)

 


Re: 昨日チラッと見たドラマ 12943へのコメント
No.12944  Sun, 23 Jun 2002 10:38:52 +0900  こうもり [この発言にコメントする]


>シペラスさん wrote:
>
>> 実は僕はまさにこのジレンマに直面しています。と言うのも、僕が今お世
>>話になっている精神科のディケアに通ってくる人は、ほとんどが統合失調症
>>で長期入院を経験された方なのです。
>> 彼らの側から見ると、僕のように通院だけという人間がディケアに参加す
>>ることは、「ずるいこと」なのだそうです。知的障害の人が手厚い福祉を受
>>けているのも、とてもうらやましく感ずるようです。
>> まあこれは、「差別的かつ屈辱的な体験を強いられてきた自分たちに比べ
>>れば、あなたはずっとハッピイ」ということでしょう。
>
 う〜む、この議論を見ていると、あんくさんやさるすべりさんの紹介して
いる小浜逸郎の「弱者」批判(あくまで弱者という概念の批判)が見事に当
てはまってしまいそうです。

 わたしが障害者同士で話し合いをしている時に絶対言われたくない言葉は
「あなたは恵まれている」という言葉。じっさいにわたしよりも重い困難を
抱えている障害者は多いのですが、この言葉を聞くと「自分はお前よりも弱
者障なのだから、その点を配慮して接してくれるべきだ」という対人操作を
その障害者から受けている気分になります。いちおうボランティア活動の経
験もあるので、医学的により重度の障害者に配慮した対応というのはできる
のですが、基本的に支援・被支援の関係というのは権力関係です。サポータ
ーになることはできても友達になることができないんですよね。

 じっさい、大学時代に友人だった統合失調症患者と関係が悪化したことが
あります。際限もなく弱者としての配慮を要求されたために。


アイ・アム・サム
No.12940  Sun, 23 Jun 2002 09:59:31 +0900  ららら [この発言にコメントする]

今、公開中の映画、「アイ・アム・サム」 ごらんになった方はいますか? 私は本で読みました。サムはスターバックスで、働いています。彼の仕事は店内のかたずけ。タンブラーやカップのスターバックスのマークをきちんと同じ方向に並べたり、シュガーの袋の色をきちんと統一したり、そういうことをしています。彼はおそらくアスペルガー症候群。私達ととても近い人間です。本ではアスペルガー症候群ということばはでてきません。知的障害所の施設で育った7歳の知能しか持たない男性と紹介されています。けれど彼は、私達ととても近い。ものに対するこだわり。ナイーブさ。物事の本質をみぬく目。

けれど彼は愛する幼い娘を育てる能力がないと判断され、そこから、物語が始まります。

アメリカの映画を見ていると、しばしばアスペ的な人間が登場します。主役ではありません。世の中の片隅で掃除の仕事などをしながら、ひっそりと生きる人間として、登場します。けれど、彼らがそれなりに周囲から、受け入れられている様子が伝わります。日本の映画にはそういう人間はほとんど、登場しません。日本では、社会の片隅で、ひっそりと生きることもできないのかもしれません。

私の子どもはアスペ的、ADD的です。時々、子どもを持ったのは間違いだったかと思うことがあります。私の苦労ではなく、子どもがこの社会で、幸せになることができるだろうかと思うからです。

映画を見に行こうかと思っています。映画では主人公の好きなビートルズナンバーがたくさん使われているそうです。本を読んで、あらすじを知ることはできても、音楽を聴くことはできません。音楽を聴きに行ってきます。


Re: 生き辛いです。 12933へのコメント
No.12939  Sun, 23 Jun 2002 09:27:29 +0900  みく [この発言にコメントする]

jonny wrote:

>私にとって就職活動は、死ぬか生きるかの問題なのですから。
>

私にとっては「働いて人と関わること」が生きるか死ぬかの問題になってしまいます(^^; 最近アルバイトを始めたんですが「やばい。もう限界だ!」って思ったら、実はまだ4日目だったり。。なんとか社会と関わろうと思い、職を見つけても自己の限界を知り、逃げ出すように辞めてしまいます。それでも何もしないで家に居たときよりはましか?と思いますが、こんなことをあと何回か続けたら完全に狂ってしまうかもしれません。いや、今でももう狂いそう・・

ごめんなさい、jonnyさんの言うこともよく解ります。生き辛い世の中ですが、楽しんで生きていく方法を見つけられたらいいですね。


Re: 健常者の居ない明るい社会を作ろう!! 12924へのコメント
No.12938  Sun, 23 Jun 2002 07:55:01 +0900  シペラス [この発言にコメントする]

健常キラー wrote:
>健常者を殺せ!!健常者を壊せ!!健常者を燃やせ!!あんな奴等人間のクズだ!!健常者を社会から抹殺せよ!!健常者の存在を抹殺せよ!!さあ健常者を殺そう、われわれの自由のために

少し冷静に考えてみてください!
あなたを含めて我々は、『健常者』の協力なしには、ぜんぜん生活できないことが、よく分かると思います。


Re: 天体観測 12924へのコメント
No.12937  Sun, 23 Jun 2002 02:46:10 +0900  オリオン [この発言にコメントする]

健常キラー wrote:
>健常者を殺せ!!健常者を壊せ!!健常者を燃やせ!!あんな奴等人間のクズだ!!健常者を社会から抹殺せよ!!健常者の存在を抹殺せよ!!さあ健常者を殺そう、われわれの自由のために

地球は動いている!!
ゆっくりと動いている!!
動きたくなくても動かされている!!
そのことに気付いたら次は
自分が地球になればいい!!
ゆっくりと動かしていけばいい!!
地球はいくつあってもいい!!


Re: 診察に行ってきました 12904へのコメント
No.12936  Sun, 23 Jun 2002 00:52:23 +0900  のんた [この発言にコメントする]

やんちゃん wrote:
>つまんない質問だと思いますが、「フラッシュバック」と「タイムスリップ」って別物?それとも同じもの?
のんたです。
私の場合でいえば、ふとしたきっかけで昔のつらい記憶が蘇りまるでそのときのその場所にいる様に思えてしまい、感情もそのときそのものになり悔しかった時は悔し泣きをします。悲しい時はやはり泣きます。
不思議に辛いこと悲しいことばかり思い出すんです。フラッシュバックと言っている人がどう感じているのか私には解りませんが。


Re: 生き辛いです。 12933へのコメント
No.12935  Sat, 22 Jun 2002 23:39:34 +0900  シペラス [この発言にコメントする]

jonny wrote:
>シペラスさんへ
>>精神科のデイケアのお世話になっているのですから。
>えっ、どういうことなのでしょうか?若い人でも精神科のデイケアのお世話になることは可能なのでしょうか?
 できます。手帳の有無にかかわらず、メンタル系の問題を持って通院・入院の経験を持っている大人(18歳以上)なら、誰でも入れるはずです。地元を管轄する保健所に問い合わせてみてください。

>>しばらくは何も考えず、休養なさったほうがいいかもしれません。これ以上悩みつづけると、確実に毎日「どうやって死のうか???」ということばかり考えるようになってしまいます。
>もう既に「死にたい」と考えています。しかしかといって休養を取るつもりはありません。もう29歳ですから。ほとんどの29歳の男性は、自立し、独立し、家庭を持ち、中には役職を持っている人もいます。毎日危機感を持ちながら、自分と闘いながら、ハローワークに通いつめていますが、「不採用」の葉書や電話をもらい続けています。
 実はそうじゃないんだな…そんなヤツは氷山の一角。僕もそうだけど、かなりの率で親のすねをかじって生きているヤツがいますよ。引きこもりを続けている人の中には、もう30歳をゆうに突破してしまって、親も青色吐息という人も多いですよ。あせることはない。次のチャンスを待ちましょう。いさとなれば、生活保護を受けるということもできますし…

>毎日危機感を持ちながら、自分と闘いながら、ハローワークに通いつめていますが、「不採用」の葉書や電話をもらい続けています
私にとって就職活動は、死ぬか生きるかの問題なのですから。
 イイコすぎは、体にも心にも、致死的な毒物です。もうちょっとズルをしても、いいと思いますよ(^_^)。何事も程々が良いのです。
 ちょっと日常を忘れて、旅行でもしてきたらどうですか?富士山麓青木が原や日光の華厳の滝・熱海の錦ヶ浦・京都の保津峡は、ちょっと困りますけど…そう、富山とか… 


Re: 昨日チラッと見たドラマ 12929へのコメント
No.12934  Sat, 22 Jun 2002 22:11:40 +0900  百日紅(さるすべり) [この発言にコメントする]

あんくさん wrote:
> たしかこの人が、この本で、ちょうど同じテーマを論じてたかな。
>
>小沢 逸郎著:『「弱者」とは誰か』PHP新書
>
>内容紹介できるほど、熟読していないので、いまのところコメントは控えておきます(-_-!)。

私はこれをけっこう前に読みました。
何か自分で違和感を感じていたのです。自分が「障害者」としての「地位」を確立すると、「健常者」にも「軽度発達障害者」にもなれない「周辺」に位置している人を私はどう見ているのだろうか、と考えていました。

小浜逸郎著「弱者」とはだれか PHP新書 083 1999 pp.193より
---------------------
そういう時代の変化に対する不安が大きければこそ、古い、「弱者」の枠組みにすがりつき、そこに社会や政治の課題があるかのように幻想する人もいなくならないのである。そして、だからそこ、その幻想された「弱者」が、実態との間でずれを生み、一部の人々が古い「弱者」観念の「特権」に立てこもる現象も起きてくるのである。カテゴライズされた既成の「弱者」は、社会集団としては逆説的な「強者」である。すでに古くなった暖簾を盾にしながら、個別のエゴを通すために、「弱者」である自分を演じざるをえないようになっているのだ。
 断っておくが、私は、そこに属するとされる彼ら 一人一人に、反感などまったく抱いていない。問題は、社会把握のための既成の概念が、現在の社会の実態やそのなかで生きる人々の感覚とずれているにもかかわらず、そのことが認識されていないということなのだ。

--------------------
詳しく知りたいひとは、自分の目で読んだ方がいいです。(ここで一部だけ引用すると、この論が、小浜氏の論だ。と思ってしまいません?)

私はこの論にすべて賛成は出来ません。

結局、私たちは、分類作業というか線引き作業をせざるを得ない生活の中で生きているのではないかと思っています。
そういう点では、小浜氏とは別の観点から私は見ているので、ご了承くださいませ。

そして、例えば「自分は軽度発達障害者だ」と言うことで自分を軽度発達障害者の中に位置させることで、自分の身を守っているのではないかという感じに考えています。

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