アスペルガーの館の掲示板(旧)
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今日の21時のひまわりの日本付近の赤外線による雲画像には、沖縄に接近中の台風5号の渦巻き雲が写っていますが、この台風の目に注目!なんときれいな六角形をしています。台風の勢力が最盛期のときに見られる現象で、撮影されるのは極めて珍しいようです。
http://tenki.jp/
こんばんは。おひさしぶりです。
辞める時のテクニックとしてお伝えしたいことがあるので
書きます。
わたしがあるお店でバイトをしていた時
一人辞めたので、しばらくは人数が減るから
わたしが余分にお店に出ることになりました。
すぐ次の新しいバイトの人を見つけてくれる、と信じきっていたのに
上層部の人は、めんどうだったのか
求人の費用が惜しかったのか
ぜんぜん動いてくれませんでした。
とうとうわたしは身体がもたなくなってきたので
「今月までしか、たくさん入れません。」と伝えました。
すると、すぐに求人がなされ、わたしは過剰な勤務から解放されたのでした。
ということで、
「○月までいます。」とか「一月後にやめます。」とか
はっきり伝えないと、
後釜が決まらず、やめるにやめれなかったりします。
ですから
鷲羽丸さんwrote:
『都合によって退職させていただきます。後に入る技工士を募集していただけないでしょうか。それまでは頑張りますので。』とひとこと言って、後にはいる人を募ってもらうように頼み、後ガマが決まってから退職して、それからあらためて次の職場を探すべきだ。」
上記のアドバイスに、期限を表す言葉も
いれたほうがいいと思います。
鷲羽丸 wrote:
> 鷲羽丸、続けて投稿です。
> 先ほどの「職場を変わることを考えて云々」のことで、今日技工士学校の恩師のところへ行き、相談をしました。
>
恩師と呼べる人がいて、卒業してからも相談にのってくれているのなら、もうその時点で人間関係が作れているじゃないですか!きっと、鷲羽丸さんなら転職しても大丈夫のような気がします。今の職場の雰囲気が合わないだけなのかも・・とは言え、同じ職業に就くのなら似たり寄ったりな面もあるかもしれないですね。ところで、実習を受けた所に就職する事は出来ないんでしょうか?
ごめんなさい、考えがまとまってないですね。私は転職を繰り返し、その度に傷ついてきたので、鷲羽丸さんにはしっかりとしたビジョンを持って転職をしてもらいたいです。余計なおせっかいですが、鷲羽丸さん、頑張ってください!
今日のお昼、話題の映画「アイ・アム・サム」を見てきました。7歳児程度の知能しか持たない父親が主役の話ですが、その中で「彼(主人公)は知能も低く、自閉症の傾向もある」と糾弾されている場面がありました。普通の人なら聞き流す場面かもしれませんが、「自分は自閉症ではないか?」と思っている私にはドキッとする言葉でした。それと、不謹慎かもしれませんが、障害を持っていても、それなりに周りの人たちとコミュニケーションをとって、愛されて暮している主人公が羨ましいとも思いました。(映画の中の話なので、「実際こうはいかないだろうな」とも思いましたけど。)
単純に映画としてだけ見れば、「心温まるいい映画」でした。まだ見てない方には是非ともお奨めしたい映画です。
ところで・・以前この映画の書き込みがあった時に「主人公はアスペ的でしたよね?」と書いてあったのを覚えているんですが、あの主人公はASの傾向があるのでしょうか?(だとしたら自分のASについての認識が、だいぶ間違っている気がします。)どなたかこの映画を見た方、ご意見いただけるとありがたいです。
鷲羽丸、続けて投稿です。
先ほどの「職場を変わることを考えて云々」のことで、今日技工士学校の恩師のところへ行き、相談をしました。
わしは
「とりあえず今の職場に勤めたままで、次の勤め先を探し、見つかり次第今の職場を立ち去ろうかと考えている。」
と恩師に言いました。
しかし、その発言を恩師にとがめられたのです。恩師いわく、
「それはいただけない。そんなことをされたら、今の君の勤め先の院長にとっては面白くないだろうし、第一失礼な話だ。もし職場を変わりたいと言うのなら、『都合によって退職させていただきます。後に入る技工士を募集していただけないでしょうか。それまでは頑張りますので。』とひとこと言って、後にはいる人を募ってもらうように頼み、後ガマが決まってから退職して、それからあらためて次の職場を探すべきだ。」
それを聞いて、わしは少々冷静さを欠いていたな、と思いました。
まあ、「覚悟を持て」ということなのでしょう。
急がずに、冷静になって事を考えるとします。
鷲羽丸
わしは今、職場を変わることを考えています。
現在の職場の人たちと、どうしてもいい人間関係が保てないのです。
現在の職場に就職する約半年前、わしは別の歯科医院へ実習に行っていました。
そこでは医院のスタッフと結構楽しく話せて、いい感じになっていたのです。休み時間、ひとつの話題で話がはずみ、楽しいひとときを過ごす。日数を重ねるにつれて、わしのほうからも話題を振るようになったほどでした。
もしできるのなら、ここで働きたい、と思ったぐらいです。
わしは現在の職場に入ったばかりのとき、職場のほかの人たちといい関係になろうと、実習先でやったのと同じように振舞いました。(休み時間には自分から話題をふる、受け答えは確実にする、など)
しかし、職場の人たちはそれを受け入れてはくれませんでした。
わしが話し始めても反応は鈍く、わしは冷めた目で見られました。そしてそれは、やがて「ヘンな目」へと変わりました。
次第に自分が場の雰囲気をダメにしていることを感じだし、それゆえ昼休みに一緒に食事をすることをやめました。
わしは絶対他の人たちから嫌われている、そんな思いが頭に浮かんできてしまいます。このような状況で仕事を続けるのは、正直苦しいです。
実習先でも今の職場でも、わしは同じように他人に対して振舞ったのです。
なのに、どうしてこうも違いが生じてしまうのでしょうか?
単なる「あたりはずれ」の問題なのでしょうか?
しばらくシメの言葉は省略 鷲羽丸
こんにちは、Luluです。
くりあ wrote:
>「毒になる親」スーザン・フォワード著 講談社+α文庫
>(中略)
>私は,これを読んで,現状を変えられることは出来なくとも
>心の整理は多少つけることができたと思います。
参考にさせていただきます。内容次第では私の親にも読ませたいですね。
もしかすると、ハンマーで脳天を思いっきり殴られるくらいのショックを受けるかもしれませんね(親子とも)。
こんにちは、またまたドツボ状態のLuluです。
あんく wrote:
> Luluさんのお母さんが、近所付き合いの活発な人(奥さん連中の立ち話や、懲戒の活動等への参加状況は、どうですか?)なら、そこまで見識の狭い状態(失礼ながら…)には陥らないって気もするんですけどね。きっと引きこもりとまでいかなくとも、家の中にカンヅメ状態になってしまいがちな方なんでしょうね。ともあれ、Luluさんが、じゅうぶん自活していける状態にあるということを知っているにも関わらず、息子を手放そうとしないのであれば、上の遺伝的器質的要因の他に、もっと別な問題が隠されているのかも知れない。というわけで以下。
どうやらビンゴですね。私の母自らも、幼少の頃病弱だったそうですし、人付き合いが苦手なまま61年間生きています。
しかも、父(私から見れば祖父)が非情に厳格な人間だったことから、厳しくしつけられたので、漁村で育ったこともあり、特定の人としか付き合ったことがなかったそうです。
あんく wrote:
> 微妙な問題なので、むりに答えていただく必要はないのですが、Luluさんの家庭は、生活保護には入っておられるのでしょうか。
私の家は母子家庭ではない(父が死んだのは、私が30歳になってからです。)ので、現在生活保護は受けていません。
あんく wrote:
> そういうわけで、子供達には、「ぜったい目立つようなことをするんじゃないぞ」と、言い含めるわけです。「人様に顔向けできないことはするんじゃない」という意味合いならともかく、「学級委員になってはいけない」「賞を取るようなことはするな」というようなことまで言うそうです。
> (中略)
> Luluさんには身体障害があるということで、お母様は、似たような心理状態に陥っているのかも知れません。「身体障害なんて、ADHDなんて恥ずかしい」っていう。お母様は、Luluさんの姿を、世間様に見られたくないのかも知れません。「家庭環境」、「出自」の問題が、Luluさんの今の親子関係の障害に、関わっているような気が、私にはします。これは自分ひとりの力で、打ち破れるものではないのではないでしょうか。
そのとおりですね。私は根室出身で、6歳まで根室市郊外の漁村で生活していましたが、私があんまり病気ばかりするもんだから、私の母なんか、漁港近くの岬から私を抱いて身投げしようとしたことさえあったそうです。(最近母から聞きました。)
あんく wrote:
> もちろん親子関係の改善は、当事者同士でできることもたくさんあります。
> みどりさんの勧める、物理的に身を離してしまう、「荒療治」も、いいのですが、Luluさんが、お母さんに対して、もっと興味を持ってあげることも、そのひとつだと思います。もしも、お母さんがLuluさんの障害を恥ずかしい、知られたくないと思っていたとしたら、それに対して怒るのではなく、理解を示してあげるとか。Luluさんが、どこかへ外出するときは、スケジュール等を逐一報告して、安心させてあげるとか。逆にうるさいぐらい「自己開示」をしてあげて、まずはお互いの心理状態を安定させることですよね。
> いっそ、まわりくどくやるよりも、単刀直入「母さんは、俺のこと恥ずかしいと思ってる?」と訊いてしまうとか。そういう「訊きにくいこと」を、最近しょっちゅう聞いて来られるようになって、「この息子は、なんだかやりにくい。あんまりいっしょに居たくない」と思うように仕向けて、敬遠させてしまう、という手もあります。最近ウザく感じるようになった女を、「君には飽きたよ」などと自分から言って、へたにトラブるより、女のほうから「別れたい」と言わせるほうが、後腐れないだろうという、男の裏テクニックじみているのだけれども(笑)。
そんなものなんでしょうかね、親子の仲も…。
まあ、参考にしてみます。何れ、ADHDの正式なカウンセリングで、親離れの必要性は訴えられるでしょう。
問題は、現在の会社の社長(ADHDやASに理解がある方です)や前の会社の上司(同)などに、私に対していろいろ取り越し苦労をしていることや私をがんじがらめに縛りつけようとしていることを指摘されても、すぐ反論しようとするほど(もしかすると、過保護でがんじがらめにすることを半ば正当化しているのかもしれない)私の母が頑固であるということです。これを打破するためには、もし親と別居するのであれば、別居だけでなく、他のADHD/ADD×AS持ちの方(男女関係なく)数名との共同生活も必要でしょう、私はそう思います。
みなさん,お返事ありがとうございました。
うまく言えませんが,読ませていただくと,少しずつ整理がついて
少しずつ先へ進めそうな気がしてきます。
ただ,「可能性がある」という診断のされ方をした場合,
宙ぶらりんの位置にいる感じで,余計不安になりそうな気がしてしまうのですが。
Helixさん。自問自答の繰り返し。まさに今の私の状態です。
Luluさん wrote:
>私の母親に、「自分は捨てられた」という誤解を与えることなく親の取り越し苦労の常識外れ加減を悟らせるか
「毒になる親」スーザン・フォワード著 講談社+α文庫
もし読んだことがあるのなら,ごめんなさい。
Luluさんの望んでいることは載っていないかも知れませんが
(そもそも,Luluさんが言いたいことを理解できているのか自信がないのですが)
ひとつの参考になれば良いと思います。
私は,これを読んで,現状を変えられることは出来なくとも
心の整理は多少つけることができたと思います。
こまりモノさん wrote:
>ただちょっとだけ残念なのは、うちの職場は子供のみを対象にしているの
>で、大人用のテスト(たとえばWAISとか)はあまりないことかな。さすが
>に大人にWISCってのもちょっと…。
たぶん、科学出版社で売っていたような気がします。
>ひとつお聞きしたいのは、みなさんのなかできちんと診断を受けている方
>は、どのような経緯で診断を受けるに至ったのでしょう?もしできる範囲
>でお答えいただけるなら、幸いです。
大学(学部)を卒業する時点で教育学的LDだったということは母親か
ら教えられていました。その後、長い不適応を経て、再びLD,AS,A
DHDと関わることになったのですが、支援関係者の一部から「大学院ま
で進学しているし、塾の講師なんかやっているのにどこがLDなんだ?」
と指摘されてパニック寸前になりました。その後、その支援関係者が言っ
てたのは教育学的LD(知的障害を伴なわない発達障害の全てを含む)で
はなく医学的LD(読み書き計算の障害)だということが分かったのです
が、「じゃあ自分の障害は何なんだ?」ということに引っかかり、発達障
害関連の書籍をむさぼり読むこと半年、なんとか「ASかDCD(発達協
調性運動障害)か日本LD学会でいうところの非言語性LDのどれかだろ
う」というところまでは特定したのですが、どれなのか分からず混乱して
おりました。けっきょく、診断を受けたところ「ASだが、DCDと非言
語性LDにも該当しているのであまり悩む必要はない」と言われて現在に
至っております。
自分の障害が何であるのかという好奇心が病的(?)に強かったことが
自発的な診断につながった訳です。その好奇心を利用して、今は発達障害
の勉強もしております。
彼の今後の進路については何も言えませんが、障害を自覚しておいた方
が予後はよくなるし、主体的に人生を選び取ることができるというのは確
かです。では
(#13135の続きです)
私が北大へ通っていたときのことです。
同じ講義に出席していた人から、「今日は午後から休みだから、スキーに行こうか」と誘われました。
私はスキーはドクターストップなので、「だめ。オレは障害者でスキーはできないんだ。」と答えました。
以後、そいつのグループからは完璧に仲間外れにされました。人間って、こんなに非情だったのか…
また、北大へ通っていた間にはこういったこともありました。
同じ講義に出ている人たちが、合コンで札幌市内のとあるディスコへ行こうとしていましたが、そのグループの中には、室蘭栄高校時代のクラスメートがいました。「どこへ行くのかい?」と私は尋ねてみましたが、元クラスメートは「Lulu、おまえがディスコへ行っても全く踊れないことは判っている。だから行先を教えるだけ無駄だ。」と木で鼻をくくったような答えしか返してきませんでした。ショックで私は引きこもり状態になり、北大を3年で中退するという事態にまで追い込まれました。
そんなわけで、心の支えになる人間が欲しかったのですが、私の親は「Lulu、おまえがしっかり生きなきゃダメじゃないのか?」と言って、取り合ってくれませんでした。(確かに筋は通っていますが、病気が理由だけで誰にも相手にしてもらえなかった孤独感を、ただ心の弱さが原因だとしか捉えていませんでした。それもこれも、今まで私を過保護でがんじがらめにしてきたことに気付いていないのがその理由です。)
私の親は、今まで散々述べてきたように、勉強ばかり叩き込んで人付き合いのABCを全く教えてくれませんでした。それが私が日常会話でさえも苦しむ結果を生んでいることに、最近になってようやく気付いたものの、私一人の自助努力ではもはや助からないほどの末期症状(だからこそ、ここや「SOAA」のBBSでアドバイスを戴くのに躍起になっているのです)に至ったことをそれほど深刻に捉えていない、それが非常につらいです。親では全く相談相手にならない、と嘆いているのはそのためです。
Luluさん wrote:
>(SOAAの掲示板から引用)
ふと最近思いあたる事があったのです。彼女は不安だったんじゃないかと。脳の遺伝的器質的な問題じゃなかったのかと。私は猫を飼ってるんですが、その一匹が外で遊ぶのが好きで毎日外に出してるんですが、友人が夜近くになって窓を開けた時うっかり外に出して夜になっても戻ってこなくて不安で友人を罵倒してしまい「そんなに心配なら連れて歩け!」と怒鳴り返され、はっとなりました。(後略)
>
>私が教えて欲しいのは、私の母親に、「自分は捨てられた」という誤解を与えることなく親の取り越し苦労の常識外れ加減を悟らせるか、ということなのですが、こればかりは正直なところ、もっと他の方々の意見が聞きたいです。
Luluさんのお母さんが、近所付き合いの活発な人(奥さん連中の立ち話や、懲戒の活動等への参加状況は、どうですか?)なら、そこまで見識の狭い状態(失礼ながら…)には陥らないって気もするんですけどね。きっと引きこもりとまでいかなくとも、家の中にカンヅメ状態になってしまいがちな方なんでしょうね。ともあれ、Luluさんが、じゅうぶん自活していける状態にあるということを知っているにも関わらず、息子を手放そうとしないのであれば、上の遺伝的器質的要因の他に、もっと別な問題が隠されているのかも知れない。というわけで以下。
微妙な問題なので、むりに答えていただく必要はないのですが、Luluさんの家庭は、生活保護には入っておられるのでしょうか。
古い考えをもつ人々の間では、生活保護については、様々の否定的なイメージがつきまとい、「あの家は、母子家庭で、しかも…」ということが、「ひとさま」に知れたというだけで、肩身の狭い思いをしなければならない、という図式を、いまだに根強く持っている人がいる、といいます。
その結果、その事実をひた隠しにしようとするあまり、自分の子供には、「ソト」の世界へ出て行かれることによって、一人でも多くの人に、自分達の「恥部」を見られてしまうことを、極端に恐れてしまうのです。
新しい知り合いができるということは、世間話をしているうちに、「ところで、君のところは、どんな家族構成で、どうやって暮らしているんだね?」という話に及んでしまうことは、大人同士の付き合いで、なかなか避けられないですからね。
そういうわけで、子供達には、「ぜったい目立つようなことをするんじゃないぞ」と、言い含めるわけです。「人様に顔向けできないことはするんじゃない」という意味合いならともかく、「学級委員になってはいけない」「賞を取るようなことはするな」というようなことまで言うそうです。
私個人の意見をいえば、生活保護を受けている家庭の人間についてとやかくいう人間というのは、逆に信用できないと思っています。確かに生活保護のお金というのは、現在元気で(なかには障害を抱えながらも)働いている人々の税金から、まかなっている部分もあるわけで、「自分で稼げない奴がいるせいで、自分達の収入が減るのだ」という発想を持ってしまう人も、中にはいるのかも知れませんが、それはまったくの無知から来るものであり、気にする必要はないのです。
もっともっと微妙なことを言ってしまいますが、じじつ、生活保護下にあるのでなかったとしても、Luluさんには身体障害があるということで、お母様は、似たような心理状態に陥っているのかも知れません。「身体障害なんて、ADHDなんて恥ずかしい」っていう。お母様は、Luluさんの姿を、世間様に見られたくないのかも知れません。「家庭環境」、「出自」の問題が、Luluさんの今の親子関係の障害に、関わっているような気が、私にはします。これは自分ひとりの力で、打ち破れるものではないのではないでしょうか。
もちろん親子関係の改善は、当事者同士でできることもたくさんあります。
みどりさんの勧める、物理的に身を離してしまう、「荒療治」も、いいのですが、Luluさんが、お母さんに対して、もっと興味を持ってあげることも、そのひとつだと思います。もしも、お母さんがLuluさんの障害を恥ずかしい、知られたくないと思っていたとしたら、それに対して怒るのではなく、理解を示してあげるとか。Luluさんが、どこかへ外出するときは、スケジュール等を逐一報告して、安心させてあげるとか。逆にうるさいぐらい「自己開示」をしてあげて、まずはお互いの心理状態を安定させることですよね。
いっそ、まわりくどくやるよりも、単刀直入「母さんは、俺のこと恥ずかしいと思ってる?」と訊いてしまうとか。そういう「訊きにくいこと」を、最近しょっちゅう聞いて来られるようになって、「この息子は、なんだかやりにくい。あんまりいっしょに居たくない」と思うように仕向けて、敬遠させてしまう、という手もあります。最近ウザく感じるようになった女を、「君には飽きたよ」などと自分から言って、へたにトラブるより、女のほうから「別れたい」と言わせるほうが、後腐れないだろうという、男の裏テクニックじみているのだけれども(笑)。
参考になるかどうかは分からないのですが、私個人の考え方としては、ザッツ・オールです。
こんにちは、Luluです。
あんく wrote:
> 受け入れてくれているかどうかという見極めも、また難しいんですけどね。
私が人付き合いに困難をきたしているのは、こんな理由なのでしょうか?
それよりも、私はどの話題を持ち出したら、仲間に受け入れてくれるかどうかわかりません。身体障害者5級なので、スポーツはほとんど全くダメ、野球やサッカーの観戦は好きだが、自称「室蘭一のアンチ巨人ファン」で応援するのはもっぱら広島カープ、TVはよく観るものの、ニュースが大半で、民放トレンディドラマはほとんど観ない、だから世の中の動きはよくわかるが、唐沢寿明の顔は「利家とまつ」に出演するまでほとんどわからずじまい、といった有様です。音楽にしても、へヴィメタルとヒップポップは大嫌い(ただし、ヴァン・ヘイレンやボン・ジョヴィなど、1980年代に活躍したハードロックバンドは例外)で、最近の邦盤メタルは騒音公害だとしか感じられない、こんな具合にへそ曲がりなので、共通の話題がなかなか見つからないのが、お互いに会話していて障害になります。(もちろん、ギャンブルもやらないので、競馬やパチンコの話題でもついていけません。)
会社の先輩などのアドバイスでは、「今日はよい天気ですね。」で切り出せばよいのではないのか、ということなのですが、その後が続きません。たとえば、「今日はよい天気ですね。」の後に、相手が「テニスでもしましょうか。」なんて言ってきたら、テニスでさえもドクターストップの私にとっては、その時点で会話がめちゃくちゃになってしまいます。「今日はよい天気ですね。」の後に、「ドライブでもしましょうか。」なら、私は自信を持って会話を続けられるのですが、やはり趣味が限定される身障者はこの点でもつらいです。車の運転免許がある(現在10万km人身事故ゼロ継続中)だけで幸せだとさえ思えます。
みどりさん wrote:
>「場面緘黙症」の話を聞いて、自分の心理状態が多少わかった。緘黙にまではならないけど、壁の高さの変わり方について納得。
「壁の高さの変わり方」って、何だろー?
私の場合、学校時代は授業中の発言なんかは、けっこうしていたと思う。ムカつくのは、教師たちが、作文の発表だとか教科書の読み上げなんかの機会さえあれば、私を指名して、なんとか「無口なあんくちゃん」の口を割らせようとしてきたこと。…って、何でも悪意に取っちゃいけないか。向こうとしては、真っ当な「訓練」のつもりだったんでしょうねえ。
モノの本によれば、今の子ども達は、さらに、「いくら水を向けても黙りこくって答えない」という状態の子が増えてきている、ということだったけれども。私の場合、「しゃべりなさい」と言われれば、なんとかしゃべろうという努力は、していました。
クラスメートA:「ねえ、あんくさん、何かしゃべってよ」
あんく:「なんで?」
クラスメートAとその周囲「ねえねえねえ!!聞いて聞いて!!あんくさんがね、“しゃべって”って言ったら、“なんで?”だってえええ!!」(大騒ぎ)
こんなゲームが、繰り返される日々でしたよ。それだけ口数のすくない子というイメージが、定着していたようなんだけど。今「あんくさん」と書いたけれど、ニックネームをつけてもらうなんてことも、まずなくて、苗字に「さん」づけのままだった。
>いやあ、これ昨日もやったような気がするなあ……
>
>でも以前、さっぱり自覚がなく、かつ明るいヤツだった頃は、相手の「ぎょっ」に気づかず強引に会話を続け、ただのお祭りヤローでそのまま受け入れられていたような気がする。(もちろん迷惑な奴と思ってた人も多いとは思うが)
>(私は、相手に気を使おうなど余計なことを考えなければかなり普通っぽく会話ができる)
>
>しかし最近は「あ、場違いだったかな」とか考えて黙り込んでしまい、本当に気まずくなってしまう。
>無神経は無神経のままでいたほうがいいこともあるのかもしれない。
>
>ああ、なんか頭が混乱してきた。
「何が分からないのか分からない」が、「何が分からないのか分かった」に、変わってきたんですよね。確かに自覚できてる分、後者の状態のほうが、ギクシャクしがちで、辛いものではあります。
幼かった頃、私がしゃべり始めるたびに、相手の子達がお互い顔を見合わせて、ニヤーっと笑ったり、まるで幽霊でも見たような表情のまんま固まって、私が言葉を切っても、合いの手や返事ひとつせず、私の顔を見返すばかりだったり。「自分は世界中の人間に嫌われているんだ」という発想しかなかった当時の私は、「私のことがキライだから、そういう応対しかしないのだ」と、思い込んでいたのだけれど。
昔、『オレたちひょうきん族』のコントであったけど、二人の人間が会話をしていて、ある瞬間、お互いが同時にしゃべり出して、言葉がぶつかってしまい、一瞬「ムッ」とした表情でお互い顔を見合わせ、それからおもむろにジャンケンをし、勝ったほうがしゃべり続けるっていうの。そういう目に見える「規則」が、万国共通にあれば、自閉の人たちも、すこしは楽に会話に参加できるのかも(^_^;)。
まあ、人間、はじめのショックの段階を越してしまえば、たいていのことは受け入れることができる能力を有しているっていうし、その能力の高低は、個人差が多分にあるのではないかという気がします。卑怯かもしれないけれど、まずは自分のことを抵抗なく受け入れてくれている人とだけしゃべって、そうでない人たちに、さりげなく「しゃべれている自分」をアピールするっていうのも戦略の内だと、私は考えています。それでも受け入れてくれない、無視してくるっていう人間は、はじめから性格が合わないってことで、どうしようもないですけどね。
受け入れてくれているかどうかという見極めも、また難しいんですけどね。
こんにちは、「SOAA」と二又やっているLuluです。
シュッツ wrote:
>冷めた意見かも知れませんが
>「そう見る(同一視する)人もいるし、見ない人もいる、誰もがそれぞれの見方を持っている」
>としか言えないのではないでしょうか。
>“一般の人”というくくりをしないで、各個人がどうであるかを考えるべきでしょう。
そのとおりですね。私は一般的に「ADD/ADHD×AS」がどのように見られているのかを知りたかったのですが、十把一絡げにするのは正当とはいえませんね。
でも、そういう意見があるということは、私が想像していたほど「ADD/ADHD×AS」が「ただのバカ」だと思われていないことの証明なのでしょう。ちょうど、私が小学校や中学校で毎日いじめられていたときに、日本国民1億2600万人のうち、1億2599万9千人までは私をいじめるのではないか、という不愉快な想像をしたことがとんでもない間違いだったように。
こんにちは、最近SOAAと二又状態のLuluです。
みどり wrote:
>家を出る。ぜひ出ましょう。
>
>お母さまが介護が必要とかそういう事情でないのなら、なんとしても出られた方がいいと思います。
>きっと反対されるでしょうが、もう39なら聞く必要はありません。
>物理的に離れるのは効きます。
>
>既に出られているようなら、極力連絡を取らないようにしてもいいと思います。
ごもっともです。でも、地理的に別居しても如何なものでしょうかね? 私の親なら、私の携帯にしつこく電話してくるかもしれません。大体、残業が22:00を過ぎてもなお続いている状態ですら、怒って会社に電話してくる人間ですから、親の取り越し苦労を子どもが止めさせるのは、皆様の想像以上に骨が折れます。
みどり wrote:
>どんなに自分で自分を説得しても、親のなにげない言葉は、自分で思うより、親本人が思うより、重く強く受け止めてしまうようです。極力会話を減らす。それでいいと思います。
>
>親の方はもう年寄りですから、変えるのは難しいです。まずは自分を守りましょう。
ですが、こんな意見もありました。
(SOAAの掲示板から引用)
>Luluさん苦難の人生歩んでますね。頑張りましょう、そして息抜きしようね。前、お母さんが過保護とおっしゃってなかっですか?うろ覚えですみません。私の母も過保護でした。朝から私のする事を決めていて、まるで私の人生じゃないみたいに18まで過ごしましたが、ふと最近思いあたる事があったのです。彼女は不安だったんじゃないかと。脳の遺伝的器質的な問題じゃなかったのかと。私は猫を飼ってるんですが、その一匹が外で遊ぶのが好きで毎日外に出してるんですが、友人が夜近くになって窓を開けた時うっかり外に出して夜になっても戻ってこなくて不安で友人を罵倒してしまい「そんなに心配なら連れて歩け!」と怒鳴り返され、はっとなりました。(後略)
私が教えて欲しいのは、私の母親に、「自分は捨てられた」という誤解を与えることなく親の取り越し苦労の常識外れ加減を悟らせるか、ということなのですが、こればかりは正直なところ、もっと他の方々の意見が聞きたいです。
Lulu wrote:
>ただ、私が本当に知りたいのは、「一般の人が、ADD/ADHD×ASを、第一印象だけで精神異常と同一視してはいないのだろうか」、ということです。これがもし、私が第一印象だけで嫌われる理由なのであれば、私はほとんど社会から疎外された存在になりやしないか、これが気がかりです。
冷めた意見かも知れませんが
「そう見る(同一視する)人もいるし、見ない人もいる、誰もがそれぞれの見方を持っている」
としか言えないのではないでしょうか。
“一般の人”というくくりをしないで、各個人がどうであるかを考えるべきでしょう。
こんにちは。グルンサです。
こまりモノさん wrote:
> 皆さんのレスを読んで思ったこと…。やっぱり、彼には障害について知っておいてもらったほうがいいのかな、ということがひとつ。障害特性は、彼自身の個性のひとつだし、今の仕事をするなら知っておくことは特に重要なんだろうな、ということ。
> ひとつお聞きしたいのは、みなさんのなかできちんと診断を受けている方は、どのような経緯で診断を受けるに至ったのでしょう?もしできる範囲でお答えいただけるなら、幸いです。
障害特性については、知っておいてもらった方が良いです。
私自身、自分が他の人と違うことすら気づかずに10年間が過ぎましたが、この間、トラブル・すれ違いに見まわれたのも事実です(←自分のことなのに、まるで他人事みたいな書き方ですね)。
上司や周囲の人たちにしてみれば、「あいつは何で言ってもわからないんだ?」と思っていたでしょうし、私にしてみれば「何でそういうことで注意されるんだろう?」ともうすれ違いだらけでした(昨年の上司[上記の人とは別人]との大喧嘩は、これの延長上でしょうね。今思うと…)。 結果的に、昨年の配属先で当時の上司に指摘されたことで、自分が皆と違う、と思い、はっきりさせようと思ったのが、私のケースです。(この他にも、『片づけられない女たち』を読んだ後輩にまで、「グルンサさんもそうかも」と言われたほどです。結果はASでしたが。)
どうやったら、その彼に自分の障害特性を知ってもらうか…については、また今回もいい策が思い浮かばないため、書けませんが…ごめんなさいね。それでは。
こんにちは、「ただのバカ」ではないLuluです。
みどり wrote:
>人と相手によるんじゃない?
>だいたい精神異常だったら必ず嫌われなければならないのだろうか。
まあ、それよりも、どの程度までなら健常者で、どの程度以上なら精神異常と捉えるかにも拠ると思います。また、その人の取る行動にも拠るでしょう。
たとえば、車に轢き殺されそうになったネコを助けた人間が、身代わりに轢かれて死んだとしましょう。大多数の人は、その人をバカだと言うでしょう。でも、これがネコじゃなく、車椅子に乗った身体障害者なら、身代わりに轢かれて死んだ人は英雄だと称えられるでしょう。
しかし、私にとっては、助けたものがネコであろうが車椅子の方であろうが、本質的にはあまり変わらないような気がします。
みどり wrote:
>仕事の能力もお互いに認め、プライベートでもずいぶんと仲良くしていたはずの相手の「いざ」のときに、あっさりと冷たい態度を取る同僚たちを目の当たりにして、「こんなもんか」と思いました。
ごもっともです。大多数の人間は結果しか求めていませんので、いざというときは非情なものです。もっと「過程」を大事にしていれば、人間は寛容になれるはずなのですが、それを世の人々に求めるのは無理な注文なのでしょう。
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