アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Naveさん wrote:
>>SSTなども、やったことがなく、不安です。
>
>ごめんなさい、「SST」が何か知りません。
>#英語のテストのことじゃないですよね…(^^;
コンピューター関係については、発達障害の専門家から「PCの
習得でどんなことに苦労されましたか?」と聞き取り調査をされち
ゃうぐらい苦手なこうもりです。でも、SSTの説明ならば何とか
…。
SST(ソーシャル スキル トレーニング)
要するに社会性に困難を抱える発達障害者を対象にした対人交流
訓練です。ただ、注意しなければならないのはこの訓練を受けたか
らと言って、周囲の雰囲気を読んだり、他人の気持ちをとっさに把
握できるようになる訳ではありません。あくまで、周囲によい印象
を与える立ち振る舞いができるようになるだけです。
また、対人交流においてペルソナ(仮面)を被れるようになれる
という実用的な意義は大きいのですが、それが他人と友好的な関係
を築けるようになれることを保証している訳ではないという点にも
留意しておく必要があります。
もう1つ。オフ会でお会いするような自閉人たちの場合、既にS
STでやるような課題は突破されている場合が多いです。
Qさん、こんにちは。
Naveと申します。はじめまして。
私は未診断ですが、たぶんアスペルガーの仲間だと思っています。
現在、ソフトウェア業界の端っこの、そのまた端っこで働いています。
>私は、はじめ、強迫神経症やうつ病など、その手の病気だと思っていました。
>ですから、クリニック関係にいって、7年かけて病気をなおしながら、
>通信制高校、専門学校、初めての職場、初めての退職、基本情報試験に合格、
>ときました。
Qさん、すごい。頑張りやさんですね。(^^)
>パソコンやプログラムでは、「教えて君」では、上達しません。ですが、
>率直な指導なら、素直に聞くことができます。
素直に指導に従えることは、良い資質だと思います。
通信制の学校をまっとうされたのですから、ご自分で調べることも
得意そうですね。
#私も通信制で学んだことがありますが、いろいろ事情があって挫折しました。
#通信制の学校を卒業するには、どれほどの努力と忍耐が必要なことか…
#Qさんを尊敬します。
ですから、Qさんは、いわゆる「教えて君」ではないと思います。
ですが、実際の職場では、
「わからないのに聞かない(そして、後になってから、実は
わかっていなかったことがバレる)」よりは、
「どこそこがわからないから教えて欲しい」と率直に(しかも早いうちに)
聞いたほうが良いことが多いです。
そのほうが、教える手間を差し引いても、全体の効率が上がるからです。
※もちろん、教わったことはメモをとるなどして、同じことを何度も聞かない
ように努力することは必要ですが。
>PGの中ほどにある、「リスク交渉、営業」は、この病気ではむりでしょうか?
えーと、「PG」とは、「プログラミングをする人」の意味でしょうか?
もしそうだとすると、アスペルガーで、プログラミングのできる人には、
かなり向いた職種のひとつだと思います。
■お勧め職種その1「実作業プログラマー」
一般的かどうかわかりませんが、私が見聞きした範囲では、
中規模以上(従業員200人程度以上)の会社では、
開発者(プログラマー)が直接営業をすることは、ほとんどありません。
(逆に、開発者が勝手に営業すると、営業部隊から怒られたりします(^^;)
それから、ある程度以上の規模のシステムやソフトウェアを開発する場合、
工程管理や発注元との調整などは、取りまとめ役の人がやってくれますから、
実作業者は、「指示された作業を」「指定された期日内に」「過不足なく」
行う能力があれば、OKだと思います。(特に「過不足なく」がポイントで、
私の観察によると、アスペな人たちは、どちらかというと、ハマって凝った
ことをやりすぎて、それがトラブルの原因になることが多いように思います。
チームで仕事をする場合、「自分のこだわりを押さえて、素直に指示に
従える」という能力は、大切な資質だと思います )
上記のような、実作業者としてのプログラマーには、対人能力はそれほど
必要ではないと思います。
※たとえば、雑談はできなくても、出/退社時などの挨拶だけは欠かさない
ようにするだけで、好印象を持ってもらえます。
※ポイントを押さえた進捗報告は欠かせませんが、口頭で報告しなくても、
メールで報告できればOKです。
■お勧め職種その2「動作確認・製品検査」
ソフトウェア開発の工程の中に、「ソフトウェアの動作確認・検査」という
仕事があります。
これは、多くの場合、「実験室」という隔離された場所で、一日中
パソコンに向かって、比較的単調な操作を一人で黙々と行う、
という、まさにアスペルガーな人にぴったりな仕事だと思います…
細かいことにこだわり、整合性の無さをすぐ発見してしまう、という能力を
遺憾なく発揮でき、その上、その仕事ぶりには感謝されるでしょう。
※ただし、アスペルガーであっても、単調な仕事だと飽きちゃうタイプの人に
は向いていません。←私だ(^^;
◆注意◆
同じソフトウェア業界の仕事でも、「SE(システムエンジニア)」は、
かなり高度かつ「濃い」対人スキルが必要なので、
対人スキルに自信のない方にはお勧めできません。
ちなみに、私の勤務先および取引先(いずれもソフトウェア業界)には、
未診断だけれど、たぶん自閉症スペクトルの範疇に入りそうだと思える
人たちが結構多いです。
いつだったか、打ち合わせ(というか、製品の仕様説明会)に行って、
始まるまでずっと下向いて資料を読んでいて、
「では始めます」の声で顔を上げてみたら、なんと集まった12人中
10人までが「仲間」で、びっくりしたことが…(^^;
↑さすがに、これが今までの最高記録。
#あ、私、「仲間」は会えば一目で分かるんです。
#なんとなく、眼とか、雰囲気で。
#もちろん、私のいう「仲間」が、医学的な「自閉症スペクトル」と
#一致するかどうかは、わかりません。念のため。
おそらく、ソフトウェア業界は、「無口」とか「ひとりごと」とか
「無愛想」とか「服装に無頓着」とかに、かなり寛大(というか、
みんな慣れてるというか(^^;)だと思います。
ただ、今の不況で、ソフトウェア業界でも新人を採用する所は少ないかも
しれません。
逆に、経験や能力がある人の中途採用は進んでいるので、資格を取るなど、
技を磨いてチャレンジするのも良いかもしれません。
また、現在、多くの派遣社員の方々が力を発揮してくださっています。
今や、派遣社員の方々なしでは、ソフトウェアは作れません。
ですから、派遣会社に登録して、派遣社員として働くのも一つの方法だと
思います。
(派遣社員なら、もし派遣先になじめなくても、
別の派遣先に変えてもらうこともできますし…。)
>SSTなども、やったことがなく、不安です。
ごめんなさい、「SST」が何か知りません。
#英語のテストのことじゃないですよね…(^^;
こんなところですが、お役にたちますかどうか…
あんく wrote:
> なるほど。ひとまず飛躍するけれど、私の場合、高校を卒業するぐらいまで、自分以外の他者についての認識というのが、せいぜい「やさしいひと(自分をいじめない人。いろいろ助けてくれる人)」か「こわいひと(自分にとって無理な要求ばかりしてきて、できないと怒る人。身体的に痛い目にあわせる人。声の大きい人)」のどちらか、という、ひどく粗末なものでしかなかったことを思い出しました。
> 「やさしい人」を装った「いじわる」を、見抜くことができなかったり、「やさしいひと」でも、機嫌の悪いときというのはあって、しかも必ずしもあんくのことについて腹を立てているわけではないということが理解できず、急に自分にとって「こわいひと」になったと思って、逃げていったり。書いてるときりがないのですが。
> さまざまな「すれちがい」の、真の意味合いについて、なかなか学習できず、いつまでたっても「人を見る目」というのを、獲得することができないまま、いきおい心理的障壁の度合いも、いつしか不安定になっていってしまう…と、いったところでどうだろう。
いまだにそのレベルからあまり脱却できてないかもしれない。
自分を受け入れてくれる人と受け入れてくれない人。間をうまく扱えない。
受け入れてくれない人にたいしてはつい卑屈になっちゃうし。
> 「やさしい人」を装った「いじわる」を、見抜くことができなかったり、「やさしいひと」でも、機嫌の悪いときというのはあって、しかも必ずしもあんくのことについて腹を立てているわけではないということが理解できず、急に自分にとって「こわいひと」になったと思って、逃げていったり。書いてるときりがないのですが。
これを読んで、ふと思い出しました。夫に別れ話を出したら「なぜお前は親切なんだ?」と言われたことです。
親切というのは、他人に対してすることで、家族に対しては使わないと思っていますが、どうでしょう?
気持ちは湧いてくるもの、それが夫にはわからない、と言いました。
> 「無口な人」「口数の少ない人」というのは、それだけで、良くも悪くも、その人に、ある種の神秘性が付与されてしまうことがあるということが、こういったエピソードには、如実に現れているという気がします。
そうです。私はそれで結婚したようなものです。夫=無口=神秘的=考えている=賢い人。何も言わずに、すべてを許してくれるのかと、錯覚しました。
> 私にとっての不思議といえば、「無口」となると、どうしたことか人はその人間に、無理やりにでも口を開かせようと、あの手この手をするようになる。時にはゆきすぎて、イジメにつながったりということは、この掲示板でも、以前からさんざっぱら書込んでいることなんですが。
はい、それは私です。どんな人なんだろう?という興味。
それから、私の場合、「人は付き合って見ないとわからない」タイプなのです。
話せば理解できるか、あわないかが、わかる、ということですが。
それから、私が話したい、聞いてもらいたい、相手のことも聞きたいと思う。
> 思うに、「現代社会は“死”を恐れ(あくまでも“おそれ敬う”の“畏れ”ではない)、排除しようとする社会である」ということに照らし合わせて考えれば、「無口」とは「死」を連想させるものなので、なんとかやめさせねば、と、人はやっきになるのかも知れない。
最近、私は無口です。無口になってみると、相手が私にしゃべらせようと、話題を振ってくる時の微妙な感じをつかむことができますね。
自分もそうしていたのだなぁ、と反省しております。
沈黙は金。な〜んてね。
でも、私が無口なのは、ショックからですね。
夫のことをASだろうと思うと、今まで「きっと考えてくれてる」「理解している」「喜んでいるはず」などと思ってきたことが、ガラガラと崩れていきました。
ひとり相撲だった・・・・・・。
親切の押し売りをしていたのかなぁ・・・・・
あのぅ、夫以外のひととは、目で話をする、ということがよくありますが、
夫の目は「はとが豆鉄砲」か、よそをみているか、です。
見詰め合う、ことはなくて、目を見て話す、でもなく、
瞳孔が全部開いているような、後ずさりしてしまうような、目で見ます。
直立不動でこっちに倒れてくるような、そんな目です。
そんなとき、目をそらしたくなるのですが。どうしたらよいでしょう?
>あんく wrote:
> 「壁の高さの変わり方」って、何だろー?
>みどりさん wrote:
>壁の高さとは、人と話すときの心理的障壁の度合。
>変わり方とは、相手との距離の変化に対してその度合が変化する様子。
>グラフが単純増加でも単純現象にもならなそうなので、不思議だったのです。
なるほど。ひとまず飛躍するけれど、私の場合、高校を卒業するぐらいまで、自分以外の他者についての認識というのが、せいぜい「やさしいひと(自分をいじめない人。いろいろ助けてくれる人)」か「こわいひと(自分にとって無理な要求ばかりしてきて、できないと怒る人。身体的に痛い目にあわせる人。声の大きい人)」のどちらか、という、ひどく粗末なものでしかなかったことを思い出しました。
「やさしい人」を装った「いじわる」を、見抜くことができなかったり、「やさしいひと」でも、機嫌の悪いときというのはあって、しかも必ずしもあんくのことについて腹を立てているわけではないということが理解できず、急に自分にとって「こわいひと」になったと思って、逃げていったり。書いてるときりがないのですが。
さまざまな「すれちがい」の、真の意味合いについて、なかなか学習できず、いつまでたっても「人を見る目」というのを、獲得することができないまま、いきおい心理的障壁の度合いも、いつしか不安定になっていってしまう…と、いったところでどうだろう。
バイザウェイところで。
このスレッドのタイトルになっている、『ノッポさんがしゃべった!!』についての説明を、させていただくと、ノッポさんこと高見 映氏というのは、いまさら説明不要の伝説の子供向け番組、『できるかな』の、メインキャラクターとなった人であります。
『できるかな』が終了してしばらく経ってから、高見氏が雑誌のインタヴューで、“『できるかな』のおかげで、すっかり「無口な人」のイメージができあがっちゃっていたけれど、ボクってほんとはおしゃべりなんですよ”といったことを、答えておられていたのです。さらに、氏は90年代、数学者の秋山 仁氏と、NHK教育『算数大好き』に出演していたときのエピソードで、“その最終回、ボクがはじめて口を開いて、「なんだか算数のことが、よくわかっちゃったなあ(それとも「好きになっちゃったなあ」だったかも知れない。記憶に自信なし)」と言ったら、秋山さんが、「あああ〜っ、しゃべったあ〜」と言って、からかうようにジロジロ見る、というシーンがあった”と言っていたのを、かなり強烈に覚えているんですね。
「無口な人」「口数の少ない人」というのは、それだけで、良くも悪くも、その人に、ある種の神秘性が付与されてしまうことがあるということが、こういったエピソードには、如実に現れているという気がします。
『できるかな』は時々観ていたけれど(でも白状すると、私にはあまりおもしろくなかった…)、私だって「ノッポさんはしゃべらないんだ」と、信じ込んでいたしなあ。別にノッポさんのことを「唖」だと思っているわけじゃないんだけど、不思議なんだよね。
私にとっての不思議といえば、「無口」となると、どうしたことか人はその人間に、無理やりにでも口を開かせようと、あの手この手をするようになる。時にはゆきすぎて、イジメにつながったりということは、この掲示板でも、以前からさんざっぱら書込んでいることなんですが。
思うに、「現代社会は“死”を恐れ(あくまでも“おそれ敬う”の“畏れ”ではない)、排除しようとする社会である」ということに照らし合わせて考えれば、「無口」とは「死」を連想させるものなので、なんとかやめさせねば、と、人はやっきになるのかも知れない。本日はここまで。
まろんすさん、シペラスさん、メールありがとうございます。
統合失調症と誤診された方がある意味で幸せかもしれない。
高機能自閉症と診断されたとして、返って道を閉ざされた、社会との接触を断たれた、
望みを断たれたとしか思えません。
あんく wrote:
>みどりさん wrote:
>>「場面緘黙症」の話を聞いて、自分の心理状態が多少わかった。緘黙にまではならないけど、壁の高さの変わり方について納得。
> 「壁の高さの変わり方」って、何だろー?
壁の高さとは、人と話すときの心理的障壁の度合。
変わり方とは、相手との距離の変化に対してその度合が変化する様子。
グラフが単純増加でも単純現象にもならなそうなので、不思議だったのです。
シペラス wrote:
>精神障害者の社会復帰施設(作業所)に、入院経験のない者が通うのは、『ずるいこと』なのでしょうか???
わたしの感じてきたことだけを書きます。わたしは、精神病院というのは非常に独特な世界(社会)だと思うので、「あそこで(患者として)暮らしたことのあるひと」という意味で、入院体験のあるひとを<仲間>と感じます。
・・・いま書きながらフト思ったのですが、もしまだ行かれたことがないとしたらですが、いちど精神病院に行かれてみたらどうでしょう。わたしは自分が入院した病院以外の病院に、ずいぶん行きました。スタスタと中に入り、自動販売機を探して飲み物を買い、通路に、あるいは中庭のベンチに、あるいは外階段の踊り場にしゃがんで、じっと建物を見ながら、ゆっくりと紙コップや紙パックの飲み物を飲むのです。冬ならば陽だまりの中で。近くを医者や看護者たちが通るたびに、何も見ない目をして。わたしは「外」(人間社会)で暮らしながらも「外」に属せない時間に、時々、そんなことをしていました。誰でも「外来患者」であるかもしれないのだから、別にそれをしてもいいのではないかと思うのです。
と、そんなことを書いたのも、わたしが、入院体験のあるひと/ないひと、という違いに敏感だからかもしれません。精神病院の空気を知っていて、しかも、その「中」に自分が属していると感じているひとを限りなく懐かしい存在としてわたしは感じる。少なくとも(入院体験はなくても)精神病院というものをじかに知っていて、「あの空気」について、ある愛情を込めて話せるひとを。
でも、発達障害のことと同じで、マイノリティーとしての体験というのは、そういうものなのかもしれません。同族を嗅ぎ分けることに敏感になるということ。
真っ直ぐなレスになっていないし、ありふれた古い型の発想のようで恥ずかしい気もするのですが、HIV感染のことを理解したい(相互)支援したいと思う人のレッドリボン、あるいは、同性愛者のシンボルのレインボーカラーやピンクトライアングルのように、発達障害なり自閉症スペクトラムなりASなりも、そのことに関心あり!という人が使用するシンボルのようなものがあると便利なのかもしれない、などと思います。入院体験がある/ない、なんていう「とりあえずの生の過程における違い」をそれによって(一目で)超えることができるから。(でも、共通の視覚的シンボルを使うというのは、発達障害という存在のあり方と、なんだか似合わないような気もします)。
お尋ねされたことに真っ直ぐに応えていないことを気にしつつ・・・
今日、わたしのメール・アドレスに「お尋ねします」という件名の
DMをくださったAS青年の親御様へ。(病院関係の情報提供)
さっそく、情報を集めてレスをしようと思ったのですが、どうして
もうまく送信することができません。届いたメールに直接返信したの
ですが、どうも携帯電話のメール・アドレスに転送されてしまい、そ
のメールアドレスが現在使用されていないために宛先不明の状態にな
っている模様です。
もし、このコメントをご覧になられたら、再度メールをいただける
ようお願いします。
いちおう、この掲示板でも紹介できる病院探しの方法を示しておき
ます。
(1)地元の精神福祉センターで「ASを扱っている病院や相談機関
がないか」相談してみる。病院を探す場合は教育・心理の支援
関係者・外部の支援団体などと連携している場所を探すのがベ
スト
(2)AS児や教育学的LD児の親の会などに情報提供を呼びかけて
みる。なお、教育学的LDは知的障害を伴なわない発達障害の
総称のようなものなので、AS児にも対応している。なお、親
の会や相談機関は下記のサイトで調べることも可能である。
アスペの会http://www.as-japan.jp/j/index.html
日本自閉症協会http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~asj/
全国LD親の会http://www.normanet.ne.jp/~zenkokld/
※LDの会についてはけやきのホームページも便利です
http://www.ne.jp/asahi/hp/keyaki/
(3)できる限り、地元の病院を探してみた方がよい。現時点では
ASを治療する方法は確立されていないため、継続的に関わ
れる医療・相談機関が必要で、通院(通所)可能な範囲に位
置していることが望ましい。
なお、現在お子様が通院されている病院は薬物治療しか行なうこ
とができていない点が不十分だと思われます。ASを根治療する方
法はありませんが、適切な発達支援を行なうことにより、障害を抱
えながら成長・発達していく道は残されています。薬物治療のみで
はAS児本人の成長にはつながらない点は留意しておく必要がある
でしょう。
昨日の事、僕はまたディケア施設のお昼に使う食材の買出しに行きました。
昨日は、『麻婆豆腐』を作ることになっていてので、『豆腐を5丁買ってきてね。』と指導員のZさんに頼まれました。
でも僕はスーパーの豆腐のコーナーのところにきて、ふと考え込んでしまいました。前から気づいていたことなのですが、最近のスーパーでは、いろいろな大きさ・形の豆腐が売られていて、『一丁=個数』と考えると、買った豆腐の体積によって、最終的な目方(g)がマチマチになってしまいます。
そこで、豆腐コーナーの『標準的な・一般的なサイズ』の豆腐の一丁の目方(内容量)を、幾つか調べてみると、一見するところ形が異なっているのに同じ300gだったり、反対にほぼ同じサイズなのに一方は300g、もう一方は340gというのもありました。
『一丁』という単位が古くから使われていることから考えると、もともとは大体これくらいの目方ということが、決まっていたはずです。豆腐というのは、切り売りしていましたから…それとも体積なのでしょうか?
どなたかご存知の人がおりましたら、そこらへんの真相をご教示ください。宜しくお願いします。
実は、3日前にアスペルガーだといわれました。10日の日に、専門の先生が話をする場所をききつけてくれるそうです。
私は、はじめ、強迫神経症やうつ病など、その手の病気だと思っていました。
ですから、クリニック関係にいって、7年かけて病気をなおしながら、通信制高校、専門学校、初めての職場、初めての退職、基本情報試験に合格、ときました。
それでも、全然、社会が怖いという認識が消えませんでした。
そして、障害者就職センターにいくと、アスペルガーだとおしえてくれました。
それでだれかに聞きたいのです。
パソコンやプログラムでは、「教えて君」では、上達しません。ですが、率直な指導なら、素直に聞くことができます。
PGの中ほどにある、「リスク交渉、営業」は、この病気ではむりでしょうか?
今は、どうすればいいのかわかりません。できない、とは思ってはいませんが、SSTなども、やったことがなく、不安です。
どなたか、アドバイスをお願いします。
みなさんありがとうございました。
診断を受けるに至る経緯にも、いろいろあるのですね…。
みなさんのご意見を参考に、これからできる範囲のことをしていきたいと思います。お互いが窮地に陥らないために。
今は、少なくとも、上司には彼の状態を伝え続けていきたいと思っているところです。だんだんわかってきたのですが、彼の通院している病院はあまり評判がよくないんですよね。彼は、クライエントとの面接場面で必ず居眠りをしてしまうんですが(自分は気づいているのかいないのか、指摘しても「寝てません」と必ず否定する)、これって尋常じゃないですよね。自分のクライエントとの面接で居眠りするなんて。もしかしたら薬が強いのかもしれないと思うんだけれど、私から病院選びや薬の調節を提案するのは気が引けるので、うまく上司に伝えて、上司から指摘してもらえるよう進めていくつもりでいます。
ありがとうございました。
シロ wrote:
>はじめて書き込みをします。
>今年になってから、ある他者と出会ったことがきっかけではあるのですが、
>浴びるように自閉症スペクトラム/アスペルガー/高機能自閉症/ADD/LD
>に関するものを読んでいます。(ある他者とは、ある子どもです)。
はじめまして、シロさん。
私もこのBBSとであってから、むさぼり読んでいます。
>
>『ずっと「普通」になりたかった』(グニラ・ガーランド著、ニキ・リンコ訳)
>を読んだのですが、「人間たち」に配慮しないで言葉をつかっている幾つもの
>箇所を読み進めるうちに、安堵感やら、ある悔しさのようなものやらが心の底で
>じわじわと刺激されて、このBBSに書き込みをする気になったのだと思います。
>
私は姉のケルスティンの立場をグニラがどう見ていたのか、がわかって、すこしホッとしました。
『アスペルガー的人生』も、私にきっぱりと教えてくれるものがありました。
もっといろんな人の書いたものが読みたい、と思っています。
満月 wrote:
>>皆様はじめまして。満月と申します。
>上記の本については、以下のURLでご覧になれます。
>
>http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=ja&id=bbb3b4dfcdb5
>
満月さんありがとうございました。早速注文しました!
「山田花子」さんの自死直前日記は、在庫なし、や、絶版とかでしたが、
もし、どなたか、手にいれる方法をご存知でしたら教えてください。
シロ wrote:
>わたしは10代から20代にかけての数年間を精神病院で過ごし
>(境界例、という診断名で)、7年間、精神分析的精神療法を受けました。
>80年代半ば〜90年代にかけてのことです。
>その「治療」によって非常に苦しんだのですが、精神病院という環境は
>わたしにとって過ごしやすかった、ということも思います。
>閉鎖病棟では過ごせても、開放病棟にあがると調子を崩しました。
>当時は、「自分は開放病棟でも安定できないのだから、とてもじゃないけど
>世の中(人間社会)では生きていけない」と思いました。
>でも、そういうことではなかったのだろう・・・。
>
ちょっとお尋ねしたいことがあります。(ぶしつけですいません。)
精神障害者の社会復帰施設(作業所)に、入院経験のない者が通うのは、『ずるいこと』なのでしょうか???
実は私は、最近とある精神障害者小規模作業に通所(仮)し始めたのですが、ほとんど渾身の力を振り絞って、『イイコブリッコ』しすぎたせいか、1人のクルーから、『****さんのように元気な人が、ここのくるのはずるいです』と言われて困っています。その人は、8ヶ月の入院を経験しておられます。
はじめて書き込みをします。
今年になってから、ある他者と出会ったことがきっかけではあるのですが、
浴びるように自閉症スペクトラム/アスペルガー/高機能自閉症/ADD/LD
に関するものを読んでいます。(ある他者とは、ある子どもです)。
わたしは10代から20代にかけての数年間を精神病院で過ごし
(境界例、という診断名で)、7年間、精神分析的精神療法を受けました。
80年代半ば〜90年代にかけてのことです。
その「治療」によって非常に苦しんだのですが、精神病院という環境は
わたしにとって過ごしやすかった、ということも思います。
閉鎖病棟では過ごせても、開放病棟にあがると調子を崩しました。
当時は、「自分は開放病棟でも安定できないのだから、とてもじゃないけど
世の中(人間社会)では生きていけない」と思いました。
でも、そういうことではなかったのだろう・・・。
『ずっと「普通」になりたかった』(グニラ・ガーランド著、ニキ・リンコ訳)
を読んだのですが、「人間たち」に配慮しないで言葉をつかっている幾つもの
箇所を読み進めるうちに、安堵感やら、ある悔しさのようなものやらが心の底で
じわじわと刺激されて、このBBSに書き込みをする気になったのだと思います。
書き過ぎないように、まずは、ここまで。
ひびき さんへ
>高機能自閉症でも利用できるグループホームや入・通所授産施設があれば、教え>てほしい。
私も知りたいけど、多分、成人の為の施設は無いかも。
>利用できるのであれば、地元を離れてしまいたい。妹が10月に帰ってくるので、
>顔を見たくない。
東京に上京するとかは?
簡単には無理だろうけど・・・
私は地元になじめず、親ともあわないので今住んでいる神奈川に一人
無理して出てきました。
メール友達を頼って・・。
それぐらい私の田舎は私に居心地が悪かったのです。
私は1年間計画を立てて貯金しました。
今は神奈川の住んでいるマンションの近くの精神障害者の作業所に通ってます。
その作業所の中にもアスペルガ―っぽい人はいます。
(その人はアスペルガ―の事を知らないが)
ひびき wrote:
>アルバイト先で「暇だから今月いっぱいは日数を1日減らしてほしい」と言われました。
>「高機能自閉症だから、ストレスがたまるだけ」という理由で作業所や地域生活支援センターにも通所できない。
>ドクターストップがかけられてるから仕事も探せない。
現実的に考えると、ASの人が精神障害関連の施設に入って100%嫌なことなしにうまくやっていける可能性というのは、ほとんどゼロといっても過言じゃないかもしれない。(いや、あらゆる『施設あるいは作業所という環境』にいる人が、そうだと私は思う。)
(聴覚過敏+ADD+うつ状態)だと、そう状態の人や質問攻めにする人の格好のイジメターゲットなるかもしれない。反対にADHD傾向の人だと、うつ傾向が強くて活動度が低いところで、『一人にしないでくれ!』『何か言ってくれ!』『私を認めてくれ!』という心理から、トラブルメーカーになることがある。また私もそうなのであるが、『場の空気』を読めないというのも、トラブルの原因になる。
アルバイト先で「暇だから今月いっぱいは日数を1日減らしてほしい」と言われました。
「高機能自閉症だから、ストレスがたまるだけ」という理由で作業所や地域生活支援センターにも通所できない。
ドクターストップがかけられてるから仕事も探せない。
接客業は向いてないので、スーパーを辞めて、作業所へ通おうと思って診断をもらいに行ったのに.....
家で母と居るのはあまりにも辛いです。逃げ場がほしいです。居場所がほしいです。
高機能自閉症でも利用できるグループホームや入・通所授産施設があれば、教えてほしい。
利用できるのであれば、地元を離れてしまいたい。妹が10月に帰ってくるので、
顔を見たくない。
ぱーこさん wrote:
>
>お母さんも離れて、初めて息子が大人であることに気づかれたらいいな、と思います。
>
えええっとっすね、Luluさん、親御さんには、けして「糸の切れたタコ」と思わせちゃいけませんよ。ほんとうの「大人」というのは、「契約事項」を守ってはじめて、なれるものであります。
もし、将来、親元から離れることが決定した、あるいは「離れたい」と、意思表示するさいにはですね、これは私からの提案なんですが、以下の2つのことを、お母様に、「確約」なすってみてはいかがですか。
#1、手紙(もち、携帯やメールでなくて、古い世代のお母様向けに、ちゃんと自筆のやつ)は毎日出す。
#2、かならず結婚相手を探し出し、孫の顔を見せてあげる。
#3、上の2つのひとつでも実行できなければ、そのときは故郷へ戻ってくる。
「ひとりになって、自分の自由時間を持ちたい」などという、動機も目的もはっきりしない状態で、「生き馬の目を抜く」都会のひとり暮らしを始めようものなら、その生活は、まず、破綻します。でなければ逆に、親御さんとふたり暮らしだったときと、まるっきりなにひとつ、変わり映えしない生活がべったらこべったらこ、延々と続くばっかりか、どちらかですわな。
アスペルガー症候群のひとというのは、物事のことはじめに対する「動機付け」というものが、非常にあやふやで、下手くそな人のことでもあります。そのくせ衝動的で、なにものもとりあえず都会へ飛び出したはいいものの、故郷にいた時代でさえうまくいかなかった人間関係が、解決するはずもなし、まして年齢のことで、就職のさい、どうしようもない壁の存在を思い知らされることになるのは、火を見るより明らかなんです。
まかり間違って、ひとり住まいのアパートに、ひっきりなしに訪れる、胡散臭い宗教やナンたら商法のウソを見破れず、身ぐるみ持ってかれた挙句、故郷にも帰るに帰れなくなって、男ならいいとこピンク産業の看板持ちか、暴力団のテッポー玉で一生を終えるといった、まことにしまらない運命を辿る人は、現実問題、後を絶ちませんよ。ばーこさんのおっしゃるとおり、「自分の人生は自分のもの」を考えるならば、それもまたよしと言えるのかも知れないけれども。
脅かすようで申し訳なかったですが、まあ、Luluさんは、仕事でもけして手を抜かない、まじめな方であるようだし、道を踏み外すということは、まず考えられないと思うのだけれど、まず、目的を決めるまでは、どうでも動いちゃいけません。
「思い立ったが吉日」、「まず撃て、それから狙え」は、まことにいみじき言葉で、私も好きですが、これらはあくまでも、健常者むけの言葉だと、今は思ったほうがいい。上の3つの約束事でもなんでもいいですから、親と「契約を交わす」ことを念頭において、ねばり強く事を進めるというほうが、Luluさんという方の年齢、性格的なものを考えると、ふさわしい気が、私にはいたします。
それに、「一生離れて暮らす」ということばっかり考える必要もないんですよ。「留学して、広い世界を見てくるのだ」という気持ちで、期限付きで都会へ出てみるとか。今は結婚だって何だって流行っているけど、「おためし期間」を、設けるんですよ。自分は果たして、都会に向いた人間かどうかのね。
「それでも心配だ」というお母様に対しては、「孫」という殺し文句を、用いてみては。とにかくあの手、この手ですよ、こういうことは。自分が親から離れるメリットを、母親の前で、思いつく限り並べ立てるんです。先日ご紹介した「向こうから別れたい」テクとは好対照だけど、「確約」テクのほうが、お母様に「ああ、この子もようやっと、大人になったのかな」と、思わせる確率が、格段に高いと思うな。
それでもやはり効果なしだったら、またここへ来てご相談なさってください。私がそこに居合わせる確率というのは、またあまり高くないのですが、悪知恵だけは、チューブ入りハミガキみたいに、押せば押すほど出てくる人なので(笑)。
親の了解を得るんじゃないんです。
親を納得させることが「大人」なのであります。
これらの話がまだよく飲み込めず、ただの一歩も踏み出せないようなら、やはり都会はあなたを呼んではいないのでしょう。このまま故郷で、年老いたご母堂とふたり、片寄せあって暮らしてゆくのが、やはりLuluさんらしいのかも知れません。嫁さんだって、故郷室蘭でお探しになればよいのだしね。
>今までご苦労なさったことを充分に感謝してあげられて
>これからは干渉しないでほしい、という気持ちをはっきりと
>あらわして、それでもダメなら、親のせい、ということになるでしょう。
>でも、親はそれをカバーすることはできません。
>
>お互いにやさしく真綿で締めあってしまうことになるような気がします。
>お母さんにはお母さんの人生を生きてもらうことを願います。
>
>母と息子は特別の感情があるようですよ。
>お母さんがあなたを思うくらい、あなたもお母さんを思っておられるでしょうね。
>なんとか、うまく、子離れしてもらいたいですね。
>
>そういう私も、息子には苦労しております。
>それが重たいのかもしれませんが・・・・
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