アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
シペラス wrote:
>ひま人 wrote:
>>>こうした、欠点ばかりに目を向けずに、もっと個性を伸ばせるような教育を、といった掛け声だけはよく耳にするが、では具体的にこだわり世界を拡張していくような環境をほんとに用意しているのかというと疑わしい場合が多いように感じるが、どうだろうか。こういうことを発言する人は、ほんとに本気でこの世界のことを考えているのだろうか?
>
>アスペルガー症候群の某専門家は、「アスペ人は、大学になど進まずに、手に職をつけて、職人として生きよ!」と豪語したそうな…
あほじゃねえか。いかなる理由で「ASは大学に進学」せずに、「職人として生きる」ことが適しているのか? その根拠をちゃんと説明してみい。また、具体的にどんな職が適するというのか?
そもそもこんなものが専門家によるアドバイスといえるのか? ASの検定試験なるものがあるとして、この程度の提言しかできない専門家など、1級はおろか2級にさえ合格できんぞ (ほとんどしろうとレベル)。
ASといえどその能力・向き不向き・学校や学習への適応度などは千差万別のはずである。大学もさまざまであり、職人といってもこれまたごマンとある。こうしたさまざまなファクターをいかに整理し調査し、無難な方向を探り出すかということが手掛かりであろう。このような思考回路の片鱗さえ見られない。そもそも「大学に進まずに職人としての道を進め」という(勇ましい)セリフ自体、思考の死をあらわしている。
まともな提言のできる専門家はおらんのか。
> これはかえってアスペ人の可能性を摘むことになるだろう。確かに在学中に精神を病んで、親が払った大金を無駄にした俺のようなやつがいる。けれど何かがむしゃらにやったということで、この時期に今もっている社会適応力のほとんどが身に備わったように思える。大学の図書館で専門分野の地学関連の本・心理学や精神病関連の本・英語の本などをむさぼるよう読めたことで、生かせる場がどこか分からないまでも、かなりの知識を得られた。
> 思うに、我々軽度発達障害者・精神障害者が、「共に学び・共に働き・共に喜び」という環境ができないだろうか?ノーマルの中にただボンと放り出されて、ぼろぼろに傷つけられ、一生友達もできずに死んでいくのは、あまりにも辛い。あと50年も生きなくては…と考えただけでも息が詰まりそうだ。
この問題についてはあらためて投稿する予定です。もう少しお待ち下さい。
ひま人 wrote:
>>こうした、欠点ばかりに目を向けずに、もっと個性を伸ばせるような教育を、といった掛け声だけはよく耳にするが、では具体的にこだわり世界を拡張していくような環境をほんとに用意しているのかというと疑わしい場合が多いように感じるが、どうだろうか。こういうことを発言する人は、ほんとに本気でこの世界のことを考えているのだろうか?
アスペルガー症候群の某専門家は、「アスペ人は、大学になど進まずに、手に職をつけて、職人として生きよ!」と豪語したそうな…
これはかえってアスペ人の可能性を摘むことになるだろう。確かに在学中に精神を病んで、親が払った大金を無駄にした俺のようなやつがいる。けれど何かがむしゃらにやったということで、この時期に今もっている社会適応力のほとんどが身に備わったように思える。大学の図書館で専門分野の地学関連の本・心理学や精神病関連の本・英語の本などをむさぼるよう読めたことで、生かせる場がどこか分からないまでも、かなりの知識を得られた。
思うに、我々軽度発達障害者・精神障害者が、「共に学び・共に働き・共に喜び」という環境ができないだろうか?ノーマルの中にただボンと放り出されて、ぼろぼろに傷つけられ、一生友達もできずに死んでいくのは、あまりにも辛い。あと50年も生きなくては…と考えただけでも息が詰まりそうだ。
みなさんこんばんわ。
毎回、いきなり出現の体勢に映る事とおもいますが、
読んでいるつもりでーす。
(前回は返答のお礼で、シぺラスさんのお名前出すのを忘れてました
<スンマソですねほんと私ってなんて無礼者;)
こないだここの掲示板で読んだASの性話題で今ごろ思い出した。
産婦人科の長老先生から、
「若いんだからもっとやんなきゃいかんよ。」
って ,切々と説教を受け。
何故かすげんげぇー吹き出して笑ってしまった
いや、先生真面目にハナシしてんだけどね。
シペラス さんwrote:
>みなさんは、小学校低学年の頃、足し算・引き算をするとき、「タイル」でやるのと「まる」でやるのとでは、どっちが捉えやすかったですか??
古いお話。
タレイヌは、お花の形の、おはじきでした。20個の、色取りどり。まんなかに、穴があいていて、大きな安全ピンのようなものを通して、持ち歩くのでした。算数セットの、かなり、原型版??
そいでもって、長男の時は、水道方式で、やる先生で、それこそ、工事現場に落ちていそうな、本物のタイルでした。2cm角。これは、長男にとって、よすぎ!!算数どころじゃありません。問題解くどころじゃありません。もう並べて並べて、楽しんでおりました。(どっか違うぜ、コイツぅ・・・・)予感はあたり、すばらしい人生が、私に、開けてきたのでした。まる。
(タレイヌ)
シペラス wrote:
>みなさんは、小学校低学年の頃、足し算・引き算をするとき、「タイル」
>でやるのと「まる」でやるのとでは、どっちが捉えやすかったですか??
小学校低学年の頃は授業を全く聞いておらず、空想に没頭しておりまし
たです。悲しいかな、小学校の時の授業がどんなだったかはまったく記憶
がないっす。
以上、どっちが分かりやすいか以前に授業に参加していなかった裏問題
児こうもりでした。では
シペラス wrote:
>みなさんは、小学校低学年の頃、足し算・引き算をするとき、「タイル」でやるのと「まる」でやるのとでは、どっちが捉えやすかったですか??
> 私はどちらかというと「まる」のほうが捉え易かったです。
小学校の時のことは覚えていないのですが、現在は棒グラフのような帯のようなイメージで行っています。
#夏休み明け、休み中の大量の記事に着いて行けない
おひさしですう。
お休みなので遊びにきました〜。
皆様お元気ですか?
シペラスさん wrote:
> AD(H)Dで片づけが苦手な人の中には、こんな人がいるような気がしますが…つまり隙間なくきれいに物が並んでいると、何か落ち着かない感じがしてしまうということです。
残念ながら、というか…
ADDな私は隙間なくきれいに物が並んでいると、本当に落ち着きます。
特に直線的に区切られた入れ物(碁盤の目のような単調な繰り返しを持つ区切り)に、
物が整然と(色や形で区分されて)入っていると、
もう、至福の時…です。
でも、片づけは全然できないんです。
今も部屋の中はとっ散らかっておりますです。ハイ。
るう
みなさんは、小学校低学年の頃、足し算・引き算をするとき、「タイル」でやるのと「まる」でやるのとでは、どっちが捉えやすかったですか??
私はどちらかというと「まる」のほうが捉え易かったです。
どうしてかというと、タイルのようにぴったりくっついて四角形が並んでいる時の境目をうまく捉えられないからです。これは縞模様でもそうで、学生時代に地質調査にいったとき、仲間はいとも簡単にがけの地層の層厚の様子をフィールドノートに記載していきましたが、私は「どこから、手をつけたら良いのか???」と途方にくれて見ていました。
というよりは、なんか垂直や平行というものを見ると、とても目が疲れてきてしまうのです。
AD(H)Dで片づけが苦手な人の中には、こんな人がいるような気がしますが…つまり隙間なくきれいに物が並んでいると、何か落ち着かない感じがしてしまうということです。
ASの適応困難性をいかにして矯正していくかということばかりに熱心にならないで、本人のもつこだわり・スペシャルインターレストを極限まで追求していったらどうか。
こうした、欠点ばかりに目を向けずに、もっと個性を伸ばせるような教育を、といった掛け声だけはよく耳にするが、では具体的にこだわり世界を拡張していくような環境をほんとに用意しているのかというと疑わしい場合が多いように感じるが、どうだろうか。こういうことを発言する人は、ほんとに本気でこの世界のことを考えているのだろうか?
「三つ子の魂百まで」小さい頃からの特性、興味の偏り具合などを直すというのは困難である。そうであれば、いっそのこと、その世界からいかに拡張していくかを考えたほうがずっと効率がいいし、当人の幸福にも寄与すると思うが。
しかもその取り組み方は、尋常ではないものでなくてはならない。地平線や水平線の向こう側をめざすような態度だ。
『天才は、天才ではないまともな人間より、たくさん光をもっているわけではない。だが天才はその光を、ある特定のレンズによって、焦点にあつめるのだ。』
ぺりこ wrote:
>宅間守は、どんなものをかかえた人間だと思いますか?
彼の犯罪は誰でも許せない残酷なものだったと思います。
ただ、犯罪の原因を考える意味での動機を考えると、彼は周囲の話から特殊な思考な持ち主だった上に、ご両親がしごく理解のない良くない印象を持ちました。
彼はある程度人より頭が良く一方で不器用なので周囲とうまく折り合いがつかず、見返す意味もあってか、夢を持ち失敗絶望、さらに身分不適当な夢を抱くようになり、現実の生活とギャップが病的なレベルにまで開いてしまったのでしょう。生育時代の得られなかった親を始めとする周囲の人間の愛や理解をいつまでも求めながら得られず、自分への理解も育てられず、周囲に憎しみをぶつけていくという不器用で不幸な人生を歩んでいました。これらが鬱積していき、最初の失敗であった親の対応を判らせるため、世間に同情の余地を与えない形で人間としての失敗を示したんだと思います。両親にこの上ない不幸を味わせると同時に理解を求めていたように思います。ただ、事件を起こす前に彼が理解していないことが二つあって、世間は事件の酷さに興味はあっても、犯人のそんな複雑な生育背景まで興味がないのと、両親は最後まで不器用な息子を理解する能力がない人だったということです。
以上、私自身は犯罪を起こす凶暴性(暴力は100%反対)はありませんが、不器用な人生を歩みそして一方自分と似た不器用な人生を送らざるを得なかった人間を見るとどこかで他人事と思えず、その背景を分析せずにはいられない自閉者からの独り言でした。不適切だったらどうぞ無視してください。
Mind Red wrote:
>件名変えました。
>実は私の元ハンドルは「りげる」なのですが、個人的にははじめして。
こんばんは。はじめまして。
>こりっこさん wrote:
>>この事からMind Redさんのおっしゃる煽りカキコでここに来る人とは私の事になりますよね。
>
>違います! ここの常連さんで、こりっこさんのことを煽り書き込みを
>する人であると、誰も思っていませんよ。
>#11018の発言は、明らかにこりっこさんの普通の書き込みに
>対して、「妖精」が嘲笑してますよね。
>私はあくまで「妖精」のことだけを「煽り」と述べたのであって
>こりっこさんのことには全く言及していません。
>こりっこさんを「煽り」だなんて断じて思ってませんので、ご安心下さい。
>
>疑問がありましたら、メール下さい。では失礼します。
Mind Red(りげる)さん。有難うございます。私は感動して涙が止まりませんでした。
正確には、
煽りカキコをする事で、ここに来てらっしゃる方々に、迷惑をかける人、ですね。
煽りカキコが目的でここに来ている人がいて、その方に迷惑をかける、に変換してしまいました。
私は被害妄想の傾向が強いようで、被害妄想モードに入ると被害ストーリーが止まらなくなってしまうのです。気にしないようにしたいです。ご迷惑をおかけました。
Maria wrote:
>シペラスさん wrote:
>> これは私が解けなかった数学の問題です!
>>
>> X,Y,Zという3人がいて、そのうち1人だけが正直者で、あとの2人はうそつきです。次の3人の会話から、正直者は誰か答えてください。
>
>> X:「私は正直者です。」
>> Y:「Xはうそつきです。私こそ正直者です。」
>> Z:「Yこそうそつきです!本当は私が正直者です。」
>
> Xが正直者だとすると、Yがうそつきとなり、Zの「Yこそうそつきです!」が真であることになり、矛盾。
>
> Yが正直者だと、Xの「私は正直者です。」が偽、 Zの「Yこそうそつきです!」と「本当は私が正直者です。」 の両方が偽となり、矛盾なし。
>
> Zが嘘つきだと、Yの「Xはうそつきです。」が真となり、矛盾。
>
> したがって、Yが正直者。XとZはうそつき。
うわーぁ結構複雑。XYZの3人の言い分からだけでも、頭がこんがらかりそうなのに、この前の日能研の電車広告の「ABCDEの五人の言い分から犯人を探す」のは、倍以上難しいだろうな。
いったい現役の大学生のの何%が、クリアーできるか??
まずは新しい分身の自己紹介です。(こうもり談)
ええと、蝙蝠(激怒型)の兄貴の代わりにこれからちょくちょく
出てくることになりました蝙蝠(観察型)と言いやす。蝙蝠グルー
プ(あったのか、そんなの???)の中では「荒らし対策」なんか
を担当する予定なんで、以後お見知りおきをば。
あっしが激怒型の兄貴に代わって出てきた理由は、あまりの出番
の無さに激怒型の兄貴がすねてしまったこと。まあ、館のメンバー
を怒らせることを目的にした「荒らし」が多くなっちまいまして、
激怒型の兄貴では対応できない問題も増えてしまったんですな。怒
らせることが目的の「荒らし」に激怒型の兄貴をぶつけても逆効果
だしね。
で、あっしの仕事はただ1つ。「荒らし」と目されるコメントを
徹底的に分析すること。と言っても、誰が犯人かを探す訳ではあり
やせん。「何がどのように書かれているのか」とか「どのようなコ
メントの傾向があるのか」とか「書いた人がどんな病的傾向を抱え
ているのか」なんてことを探り、それを掲示板に周知し、「荒らし
」を無力化していくのが任務ということになりやす。まあ、手品と
同じでネタが割れてしまった「荒らし」ほど無力な者はないってこ
とで。それにけっこうみなさん、DMで「荒らし」についての情報
提供をしてくれるしね。その点は深〜く感謝しておりやす。
まあ、こんな奴ですが、今後ともごひいきに。では
risaさん wrote:
>鷲羽丸さんの高機能自閉症という障害を持ちながら
>専門職に定着している話を聞いてなんだかやっぱり
>「高機能自閉者界のエリート」だなぁとか勝手に思ってしました。
よ、よしてくださいよおーー。わし、そんなたいそうな人間ではないです。
前の投稿では書きませんでしたが、わしは現在の職場に居づらくなったので、職場を変わろうかと考えているぐらいです。
「エリート」という表現なんぞ、わしには似合いません(わしは元々自分を大した人間ではないと考えているので)。
>それは今思うと障害を持っている人に多い「素直」なところが
>私には強すぎて、時折、相手に否定・拒絶されると
>自分にそのラベルを貼ってしまってずっと剥がせないままに
>なってしまうのです。
わしもその点は同じです。
それが今の職場で人間関係がうまくいっていない要因になっているんですよねえ……。
Washu-Maru
なぜ自分の世界に入り込んでしまうのか。
それを阻止できるか?
前頭葉が意識を向ける役目を担っていて、この中の特定の領野の機能が低下しているのがASの特性の一つだとして考えてみる。
健常者並みに周囲の状況に注意を向けるためには、余計に精神的エネルギーを消費するため、そうやって頭を休めておかないと疲れて仕方がない。からだろうか。
ルーチンワークで、いわゆる自動運転状態にしておいて途中で変更されることがないのなら、自分の世界に浸ったまま作業を続けることができるかもしれない。ただこうした作業ところは海外に移転してしまうという可能性はないのだろうか。
シペラスさん wrote:
> これは私が解けなかった数学の問題です!
>
> X,Y,Zという3人がいて、そのうち1人だけが正直者で、あとの2人はうそつきです。次の3人の会話から、正直者は誰か答えてください。
> X:「私は正直者です。」
> Y:「Xはうそつきです。私こそ正直者です。」
> Z:「Yこそうそつきです!本当は私が正直者です。」
Xが正直者だとすると、Yがうそつきとなり、Zの「Yこそうそつきです!」が真であることになり、矛盾。
Yが正直者だと、Xの「私は正直者です。」が偽、 Zの「Yこそうそつきです!」と「本当は私が正直者です。」 の両方が偽となり、矛盾なし。
Zが嘘つきだと、Yの「Xはうそつきです。」が真となり、矛盾。
したがって、Yが正直者。XとZはうそつき。
……とはいえ、この場合の「正直者」と「うそつち」は、日常世界における「正直者」「うそつき」とは意味が違うので、「数学の問題」としては意味があるかもしれないけれど、パズルとしてはあたしの興味を引きません。
一般的な意味での「正直者」は、「ほとんどの場合、嘘をつかない」ことをいうという点で「数学上の正直者」とほぼ同じ意味ですが、「うそつき」の場合、一般的には「ときどき本当でないことを言う」のに対し、「(この問題で想定している“数学”という意味での)数学上のうそつき」は「常に嘘を言う」ということになっています。
したがって、一般的な意味のうそつきは「私はうそつきだ」と言ってもおかしくないのですが、数学上のうそつきは、「私はうそつきだ」とは言えないということになります。
他にも、数学上の「うそ」というのが、命題論理における「偽」というものを基礎に定義されているというのが、日常的な意味での「うそ」と乖離しているという問題点があります。
「Xは命題Pが偽であると信じている/信じていない」「Xが『Pである』と言った/『¬Pである』と言った」「命題Pが真である/偽である」の組合せは八通りありますが、そのうちのどの組合せが「本当」であり、どの組合せが「嘘」であるかというのは、数学と日常では異なってくるわけです。
「雨は降っているかい?」と質問されたとき、X氏が雨が降っていると信じていて、「降ってないよ。」と答え、実際に雨が降っていたとすれば、X氏は「うそつき」です。
ですが、X氏が雨が降っていると信じていて、「降ってないよ。」と答えたとしても、そのときに雨が止んでいたとしたら、X氏は「うそつき」でしょうか?
あるいは、X氏が雨が降っていると信じていて、「降っているよ。」と“正直に”答えた場合、そのときに雨が止んでいたとしたら、X氏は(結果的に)「うそつき」でしょうか?
最初の問題において、「うそつき」というのは、「言うことが常に偽である」ことを要求されます。これは現実的にはありえないことです。逆に正直者は、「言うことが常に真である」ことを要求されます。ですから、「連続対仮説は正しいか?」みたいな質問に「ハイ/イイエ」で答えろ、と言われたとすると、正直者もうそつきも返答に詰まってしまいます。
あるいは、「太陽は地球の周りを回っているか?」という質問に対しても、「地球は太陽に比べて十分に軽いので、『太陽は地球の周りを回っている』と考えても多くの場合不都合を生じない」と考えるか、それとも「引力によって結びつき、相互に影響を及ぼしながら運動しているので、どっちがどっちの周りを回っているとかいったことはいえない」と考えるかで、真偽は変わってきます。
そんなわけで、命題論理だとかブール代数だとかいった数学上の限られた分野の話を、「うそつき」だとか「正直者」だとかいった日常レベルの話とごっちゃにし、それが「数学的な真理」みたいな錯覚を与えるというのは、どうも感心できた話ではないなぁ、と思います。
(Maria)
ぺりこさん wrote:
>宅間守は、どんなものをかかえた人間だと思いますか?
>先日の裁判で”このままの状態で裁判を続けても面倒なだけだし、なん
>の快楽もないんで、早く死刑にしてほしい。上告をするつもりはない。
>被害者の家族達に、謝罪する気もない。ただ、あのくらいの事件を起こ
>したのなら、死刑が妥当であろうと思うだけ。”と言ったようですが・
>・・
わたしの分身の1人である蝙蝠(悪魔型)氏の考えは以下の通りです。
「自己顕示欲ガ強スギテ、悪ガ徹底シテイナイ。『他人カラ良ク思ワレ
タイ』トイウ理由デるーるヲ守ッタリ、善行ヲ行ナオウト意志スル者ト
ドンナ違イガアルト言ウノカ。悪ノ名ニ値シナイ者ドモデアル」
わたし流に言いかえれば、他人から悪く思われたいというのも良く思
われたいというのも根本的には同じ感情に根ざしています。つまり、ど
ちらの場合も「自分のことをかまってほしい」「自分のことに興味を持
ってほしい」。
もっともこれらの感情は境界性人格障害や自己愛性人格障害以外の人
でも持っていますし、過剰でなければある程度は持っていた方がいいも
のでもあります。発達障害の2次障害の1つには自己愛の低下というの
も含まれていて、自己愛の欠如は別の意味で危険です。
>彼は以前、事件を見聞きした全国の人たちが失望(絶望)すれば良い、
>と言っていたようです。
自己愛の考え方の一つに「嫌われるのはいいが、無関心は嫌だ」とい
う論理があります。別の言い方をすれば嫌がられても、相手から関心を
持たれていた方がいいという発想です。女性からフられた男性が女性か
らの関心を維持するためにストーカーや迷惑行為に走ってしまうという
のもその一形態と言えるます。
で、自己愛性人格障害や境界性人格障害の人たちが抱える行動上の障
害の1つに「自己愛を充足させるためにありとあらゆる手段を取ってし
まう」ということが挙げられます。わたしも何度か遭遇しましたが、そ
の手段の中には自殺未遂,自傷行為,犯罪をほのめかす言動,ルールや
マナーをあえて破る(分からずに違反している訳ではない)などが含ま
れます。これらの行動は、周囲の人を心配させるための対人操作なので
す。あえて、他人から憎まれる言動を行うというのもその1つです。一
見すると、他人への愛情を求めていないようなコメントをしていた★さ
んに自己愛性人格障害なのではないかという指摘が出されたのもそのた
めです。
>現に今、彼の話は遺族以外の人にも耐え難い怒りを残します。
>彼を怒る私は、彼の計算通りに動いているようで(巻き込まれている
>ようで)・・それが嫌で、どう考えたら彼の思い通りにならないのか
>少し考えていたのでした。
宅間容疑者がそのようなことを計算して発言していることはほぼ間
違いないでしょう。このような対人操作を見破ったり,巻き込まれな
いようにするためにはある程度の対人操作能力が必要です。診断・未
診断を問わず、対人操作をあまり使用してこない発達障害系の障害者
にはちょっとしんどい相手であることは間違いありません。
では、対人操作に巻き込まれないためにはどうすればいいのか、と
いう点についてですが、自分自身が対人操作を行ったことのある人は
対人操作には引っかかりにくいです。サギ師本人はサギ行為に引っか
かりにくいというのと同じ理由で。で、対人操作というのは多くの人
が他人に迷惑をかけない程度には使用しているので、見ぬける人は自
分の経験に基づいて見ぬくことが可能な訳です。この理屈でいけば、
ぺりこさん自身が対人操作を使用していれば対人操作を見ぬけるよう
になることになります。
しかし、問題は自分が操作されないようになるために、他人を操作
するような手法を学ぶことが妥当であるか、という点にあります。そ
れにぺりこさんが「他人を信じてしまう」とか「他人を拒絶しない」
とか「心ない言動に義憤を覚える」というのは、ある意味では美徳で
す。だまされたりすることはあるかもしれないけれど、長い目で見れ
ば信頼できる友達に恵まれていく可能性も高いとは思います。わたし
みたいに「対人操作に引っかかるだけの正常な利己心が働いていない
」とか、「心ない言動を見ても分析的に理解してしまっていて、怒り
を覚えることができない自分がいる」というのはある意味では悲劇で
す。だからこそ対人操作にも引っかからないんですけど。
むしろ、自閉圏の人であれば、本なども参考にしつつ、分析的に相
手の言っていることを把握していくという形の方がいいかもしれませ
ん。英国のある自閉研究者は自閉人の心の読み取り方を「行動分析学
的」と表現していますが、確かに自閉圏の中にはそういう才能を持っ
た人はいると思います。臨床はともかく、学問としての心理学にもや
はり行動分析学的な解釈が利用されます。分析的な視点で相手の言動
を冷静に観察するという視点も持っておくといいのかもしれません。
これは私が解けなかった数学の問題です!
X,Y,Zという3人がいて、そのうち1人だけが正直者で、あとの2人はうそつきです。次の3人の会話から、正直者は誰か答えてください。
X:「私は正直者です。」
Y:「Xはうそつきです。私こそ正直者です。」
Z:「Yこそうそつきです!本当は私が正直者です。」
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