アスペルガーの館の掲示板(旧)
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シロ wrote:
>「汁もの」の話を色々読みつつ...
>わたしは衣服と同じで、食べ物に関心が向かいません。(少し話はズレますが、かなり長い期間摂食障害でした)。辛いものを食べたいとか、甘いものを食べたいとか、ジャンクフードを食べたいとか、丼物を食べたいとか、時々思いつくことはあります。でも食べる物に関して詳細なイメージは持ちません。
私は反対に「これを食べたい!食べたくない!」という強い関心があります。特にご飯にはうるさいほうで、水加減が多くてべチャットして歯ごたえがないのもダメですし、おこげも大嫌いなほうです。ワインも、最近はそうでもなくなったのですが、白でやや甘口でフルーティなものが好みです。食がマンネリがするのが嫌なので、パンの次はご飯、イタ飯の次はカレーという具合に、一日に一回は、「次に何を食べるのか?」ということを考えてしまいます。
>わたしは一人暮らしですが、食べ物の買い物には苦労しています。食べ物に関して、他の方々はどうですか。(こういう話題を自分で出しながら、苦手な感じがしています。だからもうわたしは、この話題で発言しないかもしれませんが)。
何か料理本を買って、一個食べてみたいのを決めて、その材料のみ買って料理を作り、あまったのは次回の料理に使えばいいと思います。
「汁もの」の話を色々読みつつ...
わたしは衣服と同じで、食べ物に関心が向かいません。(少し話はズレますが、かなり長い期間摂食障害でした)。辛いものを食べたいとか、甘いものを食べたいとか、ジャンクフードを食べたいとか、丼物を食べたいとか、時々思いつくことはあります。でも食べる物に関して詳細なイメージは持ちません。
外で食べ物(お菓子類を含めて)を出されてもどう反応していいのかわからない。職場での困難の一つが、食をめぐる社会的場面です。「おいしい!」と人々が言うとき、社交辞令の場合は除いて、やはり本当に「おいしさ」というものが湧いてくるのでしょうか。そうなのだろうなと見ていて思うのですが、生き生きとしたそれは、一体どんな感じ? わたしだって、「おいしい・おいしくない」を感じないわけではないのですが表明しにくいです。
わたしは一人暮らしですが、食べ物の買い物には苦労しています。食べ物に関して、他の方々はどうですか。(こういう話題を自分で出しながら、苦手な感じがしています。だからもうわたしは、この話題で発言しないかもしれませんが)。
ヒカリさん wrote:
> あ、同じ汁物でも「リゾット」は女性に人気だと思います。
> 米の状態から炒めた本格的なリゾットは面倒だけど、具がある程度ある汁物に、ご飯を入れて少し煮込むだけでリゾットになってしまいます。
> やっぱり洋風だから良いのかな?
あれも人それぞれというか、「冷やごはんは水で洗ってぬめりを取り、煮込むときはかき混ぜないようにしてねばりを出さないようにする」という“サラサラ派”と、「ねばりが出たほうがおいしい」という“ネバネバ派”の二種類がいそうに思う。ご家庭のおじやはおおむねネバネバ派であるらしく、大人になってからサラサラに出会ってハマッたという人が、おれの知人に関しては多い。
粥でも冷やごはんで作るとネバネバになり、米から炊くとサラサラになる傾向がある(もちろん米から炊いてもネバネバは作れるが)。米から丁寧に炊いたお粥は絶品だが、「お粥に自信がある」という人に(活字では知っているが)直接遇ったことがない。意外に知られていない料理という気がする。
リゾットに関しては、本場では「アルデンテ」でなければならんのだそうで、米の芯に味のないコリッとした部分がなければリゾットとは言えないそうだ。で、その状態を楽しむためには、米は大粒で芯白(しんぱく)が大きく、しかもちょっと古くなって水気が抜けた米がいいそうだ。そんなわけで、酒米(さかまい)でリゾット作ったらぜってー美味いと思うのだが、だれか試してくれんか、と思う。
おれはぶっかけ飯の白眉は「玉子かけごはん」だと思っているのだが(「いや、納豆かけごはんだ」とか「いや、麦とろだ」とかいう意見はもっともだと思うが、それは置いておいて)、これも女性に人気のないメニューではある。あれはおそらく中途半端にヌルくて見かけが美しくないからだろうな。とはいえあれも極めるとちょっと深いのだ。
まず、最近あまり見かけない蓋つきのやや大ぶりの茶碗を用意する。玉子はM玉かL玉。白身が少ないとうまくないからだ。茶碗は温め、玉子も人肌よりちょっと温かいくらいに温めておくといい。冷蔵庫から出してすぐではうまくいかない。
温めた茶碗に熱々のごはんを装(よそ)う。熱々が無理ならごはんを装ってから電子レンジで温めること。次にごはんの中央に窪みを作り、そこに割った玉子を落とす(言わずもがなだが殻は入れるなよ(-_-;)。それから黄身も潰さないこと)。
で、そのまま蓋をして三十秒ほど待つ。なぜかといえば、玉子の白身というのは黄身より固まりにくいのだ。だから、先に白身をとろとろ状態になるまで固めてやるのである。そうしたら(蓋を開けて)中央の黄身を崩さないようにごはんと白身を絡め、しかる後に黄身と混ぜるのである。理想的にはごはん粒の周りに白身の層ができ、さらにその外側に黄身の層ができるのがいい。そこに細かく刻んだ切り海苔を散らし(揉むと粉が出る。なお、海苔が重なると、ちと喰いにくいので、ひと並べ程度)、黄色と黒のコントラストを楽しんだのち、醤油をかけて混ぜながらかっこむのである。これを「金(きん)メシ」という。海苔は散らさずに、切り海苔(名刺サイズぐらいの長方形のやつ)で包むようにして醤油をつけて喰ってもいい。
……そう、こんなふうに「玉子かけごはん」のような、料理とも言えんような食い物に凝ってしまうのが、男だという気がする。自閉が男に出やすいというのと、何か関係があるやも知れぬ。
(Mr.Moto)
Mr.Motoさん wrote:
>みどりさん wrote:
>> 「男は人間関係を上下関係で捉え、女は遠近関係で捉える」とかいうのは生物学的な根拠がありそうだし役割分担という面である程度対置できるものかもしれないが、「男は味噌汁が好き」なんていうのは「男には“汁”の文化がある」と考えたほうがわかりやすい。汁かけ飯だとか、ラーメンの汁に対するこだわりとか、具の多い味噌汁があんまり喜ばれないとかいうのは男に多く、反面女性は「汁」というのに敬意を払わない。男が煮魚の汁を飯にぶっかけて喰ったりすると厭な顔をする女性は多いし、塩分や油分の取りすぎになるからラーメンの汁は残せとか、栄養を考えると具だくさんのほうがいいとかいうのは女性に多い。
>> 「汁」自体が料理だという認識が多くの女性に欠けている……すなわち女性に「汁の文化」がないことに関しては、ちょっと研究する価値がありそうに思う。
>
> 『暮しの手帖』ではるか昔にアンケート調査を行なったところ、男と女では味噌汁が好きかどうかで有意な差が出た。味噌汁好きは圧倒的に男性に多いのである。あるいは「汁の滲みた飯」というのは親子丼をほとんど唯一の例外としておおむね女性に不評である。吉野家の牛丼(大盛つゆダク)を一人でかっ喰らってる女性というのは、あんまり見ない。というか、ウケ狙い(ひょっとしたら自分自身に対する、すなわち自分の「女性らしさ」否定)ではないかと勘ぐらざるを得ない。
> また、ラーメンの汁にはどれだけ金がかかっているかを知っている私としては、男にとっては「残してはいけない」ものであるラーメンの汁に関して、女性の「残すともったいない」というタブーは働かないのか?と不思議でたまらなかった。
> で、私の知る範囲では、女性にとってはラーメンの汁というのは「健康上、残さなければいけないもの」として定着していて、身近な男性(夫や子供)に対しては「残せ」と迫るべきものだったりするのだ。
> 考えてみると、ぶっかけ飯だとかラーメンだとかいうのは、基本的に「下衆(げす)な食い物」であり、「女性が喜んで食べるべきものではない」とされているらしい。したがって、そこには「うまい/まずい」とかいった視点しかなく、「美学」のようなものは働きようがない。男には「B級グルメ志向」は確かにあるが、女性雑誌のカレー特集で蕎麦屋のカレーはどうあるべきかとか大衆食堂のカレーの場合お冷やのコップにスプーンが突っ込んでなければならないかとかいった話が取り上げられた例をおれは知らない。
> そんなわけで、男の文化としての「下衆な喰いモン志向」っつーのが「汁」に集約されとるような気がするのだよ。
汁のお話、面白いな〜と思いつつ読んでました。
私自身はいわゆる男性の好みに近いんでしょうね、具があると避けるし、何でもぶっかけご飯にしてしまうし。
親子丼以外は丼もの大好きだし。
話が逸れますが、カップラーメンってあんまり麺に力を入れてないような気がするんですよね。
中には麺に力を入れた商品もあるんですけど(ノンフライ麺とか)
せっかく汁がおいしいのに、油揚げ麺だと頭痛がしてしまう私にとってはちょっと辛いです。
だから口直しにラーメンご飯を食べてしまいます。
太ってるのに。
そんな訳で、いわゆる女性の気持ちとしてわかるのは「カロリー」です。
それ以外は「うまい/まずい」で選んでます。
あ、同じ汁物でも「リゾット」は女性に人気だと思います。
米の状態から炒めた本格的なリゾットは面倒だけど、具がある程度ある汁物に、ご飯を入れて少し煮込むだけでリゾットになってしまいます。
やっぱり洋風だから良いのかな?
ねこまんまとそう変わらない気がします、私としては。
おいしいなら何でも良いんですけどね〜。
こだまさん wrote:
>>シロさん wrote:
>>髪の毛をかわいらしくピンでとめたり編んだり等々できない。
>>「女の子には2通りあるんだ。…(略)憧れました。
>
>
>↑これ、まるで私が書いたようではないのと思いました。
>髪の手入れは私もどうしても苦手です。
>でも、なるべく手入れしやすい髪型にすること、マメに美容院に行くことで大分解決しました。
>行きやすい美容院を見付けることと話の通じる美容師さんを見付けること、これは結構大事かも。
私もピン、それと髪ゴムには悩まされました。
中学のときは校則で、「髪が肩より長い場合は結う」ということが決められていました。
でもピンはうまくとめられない、髪を左右に二つに分けることも出来ない、髪ゴムを自分で結ぶ(わっかにする)こともできなかった、しかもなくす。
ほんと、おしゃれどころじゃなかったな。
無精をしているだけで校則違反になったのも辛かったっけ。
美容院、私も行ってみたいとは思っているのですが、どうも行けないです。
今更、美容院に一人で行けないと親に言ってもバカにされるだけ。
でも自分がどう動いたら良いのかわからないし・・・。
初めての人用にマニュアルとか作って欲しいです、ほんとに(バスとか電車なども初めてのときは困った…)
りる さんwrote:
こんにちわ。初めまして。参考になるかは解らないですがレスさせて頂きます。
>一番気になっているのは「人を好きになるという感情がわからない」ことです。
>これは、親から愛情を受けなかったためなのかと思っていましたが、
>根本的に自分にそういう回路がないのだとすれば、悲しいですが納得がいきます。
>今まで何度か"恋愛"関係を作りましたが、どれも「わかったつもり」で、
>本当に人を好きになったことはないのだと思います。
ん〜多分、そうだと思う。。心の中を人と比較する事が出来ないからハッキリ言えないですけど。
想像上というか、概念では理解できるけど(本の中とかでは同化できる)でも何か違うみたいです。
自分の思い込みだけで、相手を見てないみたいです。基本的に自分の世界しか無いみたい。
相手とのスタンスも損得とか利害が有る方が理解出来るし、他は刷り込み?で得た知識でやりくり。
でも「愛」が無くても「情」が有れば何とかなりますよ。悲観しないでね。
>「自分はこういうことが理解できないから、できる範囲のことをしよう。わからないことは、わかったふりをせずに人にきこう」という
>指標になると思うのです。
>「普通とは違うのだから、無理して普通の人のふりをしなくてもいいんだ」と
>思うことができれば、とても楽になりそうな気がするのです。
結局、それしか無いと思います。診断をつけて貰えても、貰えなくても、そうして下さい。
>ちなみに、アスペルガー症候群関連の本は一冊も読んでいません。
>一般に出版されている本は玉石混交だと思うので、ハズレかもしれないものにお金と労力を使いたくないという理由からです。
>ドナ・ウイリアムズの著書はとても良いとききますが、
>「共通点、共感する部分」を見つける期待よりも、「違う」と判断できてしまう材料を見てしまう怖さの方が先立ちます。
>同じ理由で、ドラマ「君が教えてくれたこと」も見ていません。
リアン・ホリデー・ウイリーの「アスペルガー的人生」が良いのでは?
これまで何とか普通の生活を送ってこれた「軽度」の人には1番、近いと思います。
りるさん wrote:
>一番気になっているのは「人を好きになるという感情がわからない」ことです。
>これは、親から愛情を受けなかったためなのかと思っていましたが、
>根本的に自分にそういう回路がないのだとすれば、悲しいですが納得がいきます。
>今まで何度か"恋愛"関係を作りましたが、どれも「わかったつもり」で、
>本当に人を好きになったことはないのだと思います。
ああ。このあたり私と同じだわ。「思いやり」とか「人間的な温かみ」とか、言葉としては知っているけど
、どういう「感じ」なのかは、実感として理解できない。結構昔から気づいていて、どうも、もともと私の範疇にないんだわ、と感じていました。
ただ、私自身は、それで直ちに「アスペルガー症候群」と断定するつもりはないです。
ドナさんや森口さんの本についても、あまり自分と似ているとは思わなかったです。細かいところで、私と似たことをやってるわ、と思うところがあるけど、「対人関係が苦手な人って、似たようなところがあるのかもね」、と思っただけでした。実際そういうことなのかもしれないし。私の中に自閉的な性質を持っているのかもしれないし。それは判別できない。
>「自分はこういうことが理解できないから、できる範囲のことをしよう。わからないことは、わかったふりをせずに人にきこう」という
>指標になると思うのです。
>「普通とは違うのだから、無理して普通の人のふりをしなくてもいいんだ」と
>思うことができれば、とても楽になりそうな気がするのです。
ここも、私が高校生くらいのときに考えていたことに、とても似ています。
中学生までは、自分はわからないことにも、わからなくても良いことなら堂々と人に聞けるけど、分からないことなどありえないこと(くどい)は人に聞けなかった。さらに、分からなくても良いことか、分かって当たり前のことか、判断がつかなくて身動きがとれなくなってしまったり・・・。
でも、わからないことは、考えていてもわからないのだから。
「人に聞く」ことができるようになったのは大きな進歩だったと思っています。
分からなくていいことか、分かって当たり前のことか、判断がつかなくて身動きがとれなくなってしまったり・・・。←実は今でもしばしば陥っているのだけど、、、昔よりは減ったと思う。多分・・・。
私の場合、実生活でかなり「なんとかなっている」んですよね。
昔は緘黙でガチガチでしたが、今は、しゃべるときはしゃべる。黙っているときとしゃべっているときのギャップが激しいですね。
うまく対処できているというより、やばい場面からうまく逃げる技が身についてきているのかも??
あと、今いる環境がたまたま自分にあっているのでしょう。
毎度ながら、アドバイスなどできませんで、ただの無駄話でした。言いっぱなしで失礼します。
りるさん、はじめまして。
3ヶ月ぐらい前に初めてこのBBSに書き込みをしたときは、わたしは、自分が自閉症圏であるかについて、まだ不確実な気持ちでした。でもその頃を境に、過去の主治医(精神科医)と手紙のやりとりをするなど、いくつかの方法で、急速に発達障害がある者としての自己理解を進めてきています。
その頃、この1年位たまに眠剤等を貰うために行っていた精神科クリニックに行ったとき、「あなたは発達障害ではないでしょう」と言われたので、行くのをやめました。アタマからの否定だったので。
わたしは過去において、様々な「説明」を自分に当てはめてきました。本は(例えばドナ・ウィリアムズの本は)、自分が自分にどういう説明を当てはめているか、その時期によって、感想はかわりました。
いまのわたしに役に立っているのは、高機能自閉症・アスペルガー症候群本人の自伝やWebやメーリングリストです。自分との違いも共通点も、ともに見出します。
わたしは、ごく最近、人前で自閉モードになることが、やや増えました。話し方、視線など。「普通」のふりがやりにくくなってきたのだと思います。
>一番気になっているのは「人を好きになるという感情がわからない」ことです。
このことについてはわたし自身も書くのが難しいので触れられませんでした。なので、肝腎なところでお役に立てないかもしれませんが、とりあえず。
ご無沙汰してます。レスありがとうございました。
キリコさん wrote:
>親子関係は別に維持する事だって出来るんだし、今は年齢的にも母親の影響力の方が大きいだろうし。。
「とりあえず今は離婚しないでくれ」と娘から言われているの。娘はこの家に住みたいんですよ、今はね。そういう話を平然としてしまう親子です。お互いアスピィだからね〜。夫がどう思っているかは話の外! なので、今のところは家のローンを払い続けることに力を注いでいます。疲れるけど……。
>どんなに頑張っても、そのせいでイライラして笑顔が無くなるくらいならマイナスの方が大きいのでは?
そのことは胸に刻んでおきます。すでに過去に一回やっているから、娘に対しては同じ失敗はくり返さないぞって思います。
>★大の大人を変える?なんて無理だと思う・・こっちが(妻)頑張るほど向こう(夫)は意地になる。
夫が変わるとは思っていませんよ。夫が自身のありように気づけばいいんです。変わるかどうかは本人次第でしょう。前にも書いたことがありますが、夫は「自覚のないAS」だとわたしは思っています。最近ますます確信を強めました。でも、ASが問題なのではないのです。他者依存に気づいていないことが問題なので……ひとつひとつ細かく説明しています。「わたしからはこう見える」「わたしはこう考える」と。そのうえで「自分の頭で考え、自分で結論を出し、伝えるべき時はわたしあるいは周りの者に伝え、行動を起こして、その行動に責任を持つということを学んでくれ」と教えています。意地というのはないのよね〜、ありがたいことに。あいかわらず反応がありません。そうやって返事をしないことが人を馬鹿にしているように世間からは受け取られるんだってば、と言ってはおきました。最近まで無気力な感じがしていましたよ。以前の仕事先からがんがん言われたからね、人としてのありかたに問題があると。
姑を見ていてわかりました。育て方の問題なのですよ。知人から「ありゃ〜もう治らん。ガキはほかってしまえ!」と言われました(笑) できればそうしたいです。時期をはかってするべきかな、今は迷いの中ですね。
>まずは自分を守る事を第一に考えてもいいのでは?
はい。やれるだけのことはやってみたいけど、力尽きて倒れる前に撤退します。
>私も部品工場に15年、働いてたけど手が忙しくても頭は暇だから鬱に走り易いかも?(笑)
鬱にはならないような気がするなぁ。身体をもたせるのに精一杯です。「頑張れ。あと○時間」一日を終えたら「おし、これで八千円稼いだ!」と思って続けるだけ。
>何も役に立てないけど応援してるよ。あさかぜさん(^-^)
ありがとう。そのことばだけで充分です。
なんだか個人メールみたいになってしまいました。いいのか?(汗) いいとしよう(←勝手に決める) 龍騎のライダーさんたちでは誰がいちばんお気に入りですか〜?(こんなことキリコさんにしか聞けない……わはは)
遅レスで失礼します。
釈さん wrote:
> たとえば,あさかぜさんはこころの焦点が人に向き過ぎる傾向がありますね。
これを読んでからずっと考えていました。他にも好きなものがたくさんあったはずなのに、なんで人にばかり心が向いてしまうのだろうと。環境に順応するために努力し続けている気がするんですが、わたしにとっては結局人とのかかわりが一番むずかしい部分なのです。そこにエネルギーを注ぎ込むために、他にまわす余裕がなくなっているという感じがします。今までずっとそうだったのだから、これからもずっとそうなのかもしれないという“あきらめ”はあります。
でも、少しずつでも自分のありようを改善していけるかもしれないと、希望は捨てないことにします。
シロさん wrote:
>こんにちは、satieさん。HP、行ってみました。
ありがとうございました。現在ASの事をまとめている最中です。
でもASの人に失礼のないようにまとめたいので、また図書館に通ってみる事にします。またおこし下さい。
私は自分の外見気にします。
服はデパート(セールだけど)で買います。余談ですが、好きな
ブランドは"GAP","i.n.e"です。
薄化粧ですが、肌の手入れに気を使っています。
髪型はヘアカタログで決めて美容院で切ってもらっています。
おしゃれにならなくてもいいから、身奇麗にするのは
大事だとおもいます。
りるさん wrote:
> 初めましてでいきなり失礼なことを書いていたらすみません。
おれ自身はりるさんの書込みが失礼だとは思わんし、そもそも失礼もへったくれもなく掲示板では「自分が書くに値すると信じること」を書けばいいのだと思っている。で、おれは他人の発言が不快であってたとしても、そいつが信念に基づいて発言する権利は護る立場である。
>> おれとしては(大和和紀や高橋葉介や川原泉のマンガに出てくるような)「下衆な喰いモンが好きな大喰らいの女」というのは好みなんだがな。
> とありますが、念のためですが別にMr.Motoさんに好まれたいと思って発言しているのではないです。
おれも特に誰かに好かれたいと思って書いているわけではない。しかしながら、「食べっぷりのいい女性が好きな男もいる」ということは表明しておこうと思って書いておいた。
>> 男が煮魚の汁を飯にぶっかけて喰ったりすると厭な顔をする女性は多いし
> これは、「汁文化」や「下衆な喰いもの」が厭がられているというより
> 「食べ方」が厭がられているのでは、と勝手ながら推測します。
> 男女問わず、汁物が好きでよく食べる人には、なぜか必要以上に大きく不快な音(吸い込み音とか咀嚼音とか)を立てて食べる人が多いです。
> こういう人が男性に多いのは確かですが、私は女性でもこういう人を何人か知っています。そしてまず例外なく、自分ではそのことに気づいていません。
> 私は「食事のときの不快音」を平気で立てる人とは食事に同席することからして厭になります。
TVドラマにもなった『おいしい生活』というマンガの主人公(女性)は、「一緒に食べる相手によって音を立てたり立てなかったりする」と言っていた。
永谷園の『御茶漬海苔』『あさげ』のコマーシャルも「下品だ」という意見と「胸がすくような喰いっぷりだ」と賛否両論あった。
蕎麦や饂飩や冷麦や素麺のような麺類(ラーメンを含む)、味噌汁といったものは、「音を立てて食べるべきであり、それは“作法”の一部である」と考える人もいる。茶道で最後の一口を“ずぅっ”と音を立てて啜るにが作法の一部であるように、だ。あるいはビールのグラスを干したあとやラーメンのスープを飲み干したあとの「ぷはぁーっ」が、快か不快かといった話にもなるのである。中国では、食事のあとには“げっぷ”をするのが礼に適っているという地方もある。
快・不快というのは、決して生理的・感覚的な部分だけではなく、食事のマナーに関する部分がかなりありそうに思う。「不快な音」については、もう少し分析が必要が必要である気がする。
>> 「女は上品にメシを喰わねばならん」という世間的な縛りについて論じたかったりもしたいのだが
> 「上品・下品の縛り」ではなく「快・不快」の問題ではないでしょうか…。
「女性」ということであれば、「快・不快」よりも「上品・下品」の要素が大きいように思う。
TVのコマーシャルでは、「子供というのは口の周りをベタベタにして飯を喰うのが可愛らしい」みたいな思い込みがあるのか知らんが、子供が汚らしい喰いかたをする映像がやたらに流れて不快でしょうがない。「きれい・きたない」は「大人・子供」の関係、あるいは「文明人・野蛮人」の関係の問題であり、こっちのほうが「快・不快」に直接に結びつきそうな気がする。
おれが敬愛する大食い戦士の“激辛超特急”新井さんや“皇帝”岸さんは、早食い・大食いであっても「おいしく・きれいに・残さず」食べることにこだわっていた。「野獣のような」「野性的な」を売りにしていた奴もいたが、あれはおれの美学に反する。で、おれの偏見かも知れんが、食べ物そのもの・生産者・料理の作り手に対する敬意というのは、日本人の多くに共通する価値観だと思うのである。
まあ、くちゃくちゃ音を立てるというのは口をちゃんと閉じてなくて食い物が飛んで汚いという部分があるのでおれも不快だが、沢庵や煎餅を咬む音や、麺や汁物をすする音、飲み干したあとの「ぷはぁーっ」音なんかは、どっちかっつーと女性であっても鮮烈かつ盛大にやって下さってもさしつかえないと思っている。まあ、音を立てずに静かに食べるのも別の意味でカッコいいので、そっちはそっちで追求していただけると嬉しいのだが。
(Mr.Moto)
Mr.Motoさんの書き込みが気になりましたので少々レスさせてください。
私は女性ですが汁系のごはん大好きです。
なめこの味噌汁にあったかいごはんを入れた、いわゆる「ねこまんま」が大好きです。
とろろかけごはんや卵かけごはんも大好きです。(これは汁系には入りませんか?)
汁気の多いおかずのたっぷりの残り汁(特に、肉野菜炒め等のミを食べたあとお皿に残った、油と肉汁の混じったもの)に
あったかいごはんをひたして食べるのも大好きです。
「牛丼のつゆだく」は、薄味好みなので食べません。それ以前に、そもそもタマネギが食べられないので牛丼が食べられません。
ラーメンの汁は、味が濃いのと、低血圧で水分摂取が苦手なのと、汁に到達するまでにおなかがいっぱいになってしまうので飲みません。というか飲めません。
それでも飲みたいと思うような汁のおいしいラーメンに出会うことは稀です。
低血圧の人は水分と塩分をたくさん摂れ、と言われているのですが難しいです。
> おれとしては(大和和紀や高橋葉介や川原泉のマンガに出てくるような)「下衆な喰いモンが好きな大喰らいの女」というのは好みなんだがな。
とありますが、念のためですが別にMr.Motoさんに好まれたいと思って発言しているのではないです。
> 男が煮魚の汁を飯にぶっかけて喰ったりすると厭な顔をする女性は多いし
これは、「汁文化」や「下衆な喰いもの」が厭がられているというより
「食べ方」が厭がられているのでは、と勝手ながら推測します。
男女問わず、汁物が好きでよく食べる人には、なぜか必要以上に大きく不快な音(吸い込み音とか咀嚼音とか)を立てて食べる人が多いです。
こういう人が男性に多いのは確かですが、私は女性でもこういう人を何人か知っています。そしてまず例外なく、自分ではそのことに気づいていません。
私は「食事のときの不快音」を平気で立てる人とは食事に同席することからして厭になります。
> 「女は上品にメシを喰わねばならん」という世間的な縛りについて論じたかったりもしたいのだが
「上品・下品の縛り」ではなく「快・不快」の問題ではないでしょうか…。
初めましてでいきなり失礼なことを書いていたらすみません。
初めまして。鬱による通院が続いている30代女性です。
「機能不全家庭」や「Adult Children」という概念を知ったとき、あまりにも自分にぴったり当てはまるので、
自分の対人関係がうまくいかず、鬱状態が長く続くのはAC(Adult Children)であるせいかと思っていたのですが、
もともとアスペルガー症候群であったとすれば、とても辻褄が合う気がするのです。
つまり、
「生来アスペルガー症候群であった」
→「乳児期から母親(統合失調症らしいのですが治療は受けていません)の異常な規範に適応させられた」
→「幼児期〜思春期にかけて、母親が絶対規範ではないと知って、"普通"に適応しようとがんばり、自分は"普通"だと思っていた」
→「母親の規範はもちろん、"普通"の規範も自分にはそもそも合わないので、30を過ぎたところで無理がきて心理的に破綻をきたした」
ということではないかと推測しています。
こちらを含め、いろいろなサイトを読んで回りましたが、
要するにアスペルガー症候群の人もそれぞれ千差万別だということらしいので、
自分がそうではないかと思う詳しい理由は書きませんが
(一般常識とされていることで根拠や意義が理解できないことがたくさんあります)、
一番気になっているのは「人を好きになるという感情がわからない」ことです。
これは、親から愛情を受けなかったためなのかと思っていましたが、
根本的に自分にそういう回路がないのだとすれば、悲しいですが納得がいきます。
今まで何度か"恋愛"関係を作りましたが、どれも「わかったつもり」で、
本当に人を好きになったことはないのだと思います。
はっきりと診断がつくものではないだろうとは思うのですが、
もし本当にアスペルガー症候群だとしたら、それを言い訳にするというのではなく、
「自分はこういうことが理解できないから、できる範囲のことをしよう。わからないことは、わかったふりをせずに人にきこう」という
指標になると思うのです。
「普通とは違うのだから、無理して普通の人のふりをしなくてもいいんだ」と
思うことができれば、とても楽になりそうな気がするのです。
次の通院日に主治医にきいてみようと思っていますが、
まだ新しい概念ということですし、この問題に詳しい医師は少ないとのことなので、主治医に頭から否定されてしまったら?と不安です。
きちんと要点をきいてくれる医師ではあるのですが、何しろ時間に追われているので、ぴしゃりとした物言いをすることがあります。
また、もし自分がそうであったとしても、(長らく"普通"に適応するために努力してきたせいもあって)非常に軽度の部類に入ると思われるので、やはり診断は難しそうな気がします。
(鬱になる前、自分はまったく"普通"だと思っていた頃に一般心理テストを受けたことがあるのですが、
「問題がなさすぎるくらいにまったく何の問題もないが、敢えて言うなら少々真面目過ぎる部分があるかもしれない」
というようなことを言われました)
ちなみに、アスペルガー症候群関連の本は一冊も読んでいません。
一般に出版されている本は玉石混交だと思うので、ハズレかもしれないものにお金と労力を使いたくないという理由からです。
ドナ・ウイリアムズの著書はとても良いとききますが、
「共通点、共感する部分」を見つける期待よりも、「違う」と判断できてしまう材料を見てしまう怖さの方が先立ちます。
同じ理由で、ドラマ「君が教えてくれたこと」も見ていません。
私と似たようなケースの方はいらっしゃいませんでしょうか。
また、何かご意見やアドバイスをいただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。
#この掲示板ではスレッドごとの一覧表示はできないのでしょうか?
それができないのであれば、別フレームでスレッド表示が存在する意味はほとんどないと思うのですが…。
もし私が見落としているだけでしたらすみません。
こだまです。携帯をFOMAに変えたら、携帯でここを見れるようになりました。
これからはちょくちょく来れそうです♪
>シロさん wrote:
>髪の毛をかわいらしくピンでとめたり編んだり等々できない。
>「女の子には2通りあるんだ。…(略)憧れました。
↑これ、まるで私が書いたようではないのと思いました。
髪の手入れは私もどうしても苦手です。
でも、なるべく手入れしやすい髪型にすること、マメに美容院に行くことで大分解決しました。
行きやすい美容院を見付けることと話の通じる美容師さんを見付けること、これは結構大事かも。
こんにちは、satieさん。HP、行ってみました。
やんちゃん wrote:
>ヘアスタイルについては、ほかの人はどうやって作っているのかさっぱりわからない。私は朝とかしつけるだけです。
わたしも。中学生になってから工夫をしようという気持ちは起きました。でも、どう転んでもひっくり返っても、髪の毛をかわいらしくピンでとめたり編んだり等々できない。で、わたしはその頃から、「女の子には2通りあるんだ。生まれつきの女の子と、努力して女の子になる女の子と」と思い、前者に強く憧れました。
20代後半以降、「わたしは既成のジェンダーの基準に強く反発しているんだ」と自分に対して説明するようになりました。それは当たっていると思います。でも、それがすべてではないのだろうと、いまは思います。
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