アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
あつみさん wrote:
>じっくり見つめないと、もうにっちもさっちも行かなくなっている状況です。
実は、人様のことは言える状況ではなくて……わたしも八方塞になりそうです(苦笑) ピンチなのかチャンスなのか?どうしたいのか自分に問いかけているのですが、答えが出ません。偉そうなこと言ってごめんなさい。
>ご主人もあさかぜさんと似た資質をお持ちなのでしょうか。 もしそうでない場合、コミュニケーションが難しくはないですか?
似た者夫婦です。先日、姑からもそう言われました。とても不満そうに(笑) つまり、資質としては同じものを持ち合わせているわけです。が、育てられ方が違いました。それが双方の違いとなって現れているように感じています。
わたしが気をつけていないとコミュニケーションがほとんど成り立ちません。夫はそんなことは気にしないので。
わたしはあまり長いこと人としゃべらないでいると、話す能力が失われてしまうような気がすることがあります。本当は能力が失われるわけではなくて技術が落ちる程度なのでしょうが、夫と話しても回復に役立つわけではなくてイライラするので、外に出て友人か知人と話したいな〜と思うことがときどきあります。でも今はそれがほとんどできないので、ストレスが溜まります。人と話せば話したでまた状況によってはストレスになるんですけどね。
自分と似た資質を持たなくても、コミュニケーションがむずかしいということはないだろうと考えます。お互いの努力があれば。
>自分と共通した資質を持たない相手と、生活を共にすることは、できるものなのか、最近考えています。その試みが彼との同居でもあったわけですが。
生活を共にするには、資質が共通であったとしてもどうしようもないことがあると思います。対人交渉技術が必要な場面というものがあると思うので、より得意な者が苦手な者をカバーする形になるのですが、いつもおんぶにだっこで自ら学ぼうとしない者と一緒に暮らしていると疲れてしまいます。(←うちの場合のことですが)
あるいは努力してもどうにもならないという資質であったとしても、感謝を示すという方法もあると思います。ひとつひとつ学んでいけば決して身につかないわけではないとは思うのではありますが……道は限りなく遠かったりします。何年何十年というスタンスで学ぶ姿勢が必要になるかも?
う〜〜む。また思考困難になってしまいました。すみません、これにて失礼いたします。
123 wrote:
>実際の彼らと接したことはありますか?
>彼らの言動、なぜ彼らが障害者として、社会に受け入れられずにいるのか
>そのへんを深く考えてから、発言してほしいものです。
>貴方方の言うアスペルガーのすばらしい才能ってどういうものですか?
>具体的に何ができるのですか?
>LDやADHDの行動、思考をどこまで認識して発言しているのでしょう?
123さんの言う「彼ら」とは「知的障害があり、自閉症/LD/ADHD/アスペルガーで、自分の障害を認識していない子ども」であり、123さんの言う「貴方方」とは「自閉症/LD/ADHD/アスペルガーで、自分の障害を認識している(しつつある)成人」ということなのでしょうか。
もしそうだとしたら、123さんの言う「彼ら」の少なくとも一部は、年月が経てば123さんの言う「貴方方」になるかもしれません。わたしはそう思うのですが、123さんは、そうは思われませんか。
多くの方々がレスを返していらっしゃるので今さらとは思いましたが、書かせていただきます。
123さん wrote:
>必死に生きている、彼らを守り、ともにこの社会でどう生きていこうか。
>自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
>このページを見ないことを、私は祈ります。
娘は県立こども病院で診断を受けたアスペルガー症候群で、小学校の情緒障害児学級に在籍しております。どう育て、どう守り、ともにこの社会を生き抜いていこうかと日々試行錯誤をしている母親でございます。
わたし自身は未診断ですがASと認識しており、夫も自覚のないASであろうと確信しております。世間様から見れば変わった家族でありましょうが、本人たちはいたって真面目に生きているつもりでございます。娘を育てていくためのサンプル(研究材料)のひとつとしても自分自身(と夫)の存在価値があると思っております。発達障害児の親である以上、我が子のための専門家となりサポーターとなることを生きがいと感ずることもおおいにございます。
これもまたひとつのありかたと認めていただければ幸いに存知ますが、いかがなものでしょうか。
ちなみに、とある自閉症児の親御さんはネットを駆使していらっしゃいますが「うちは自閉症だから、アスペルガーには興味ありません」と、アスペ関連サイトは見ないと明言しておられました。彼女のはっきりした物言いを聞いた時にわたしはショックを受けましたが、それもありだと今は思っております。
この掲示板と出会って、わたしがどれほど多くのものをもらったことか……。123さんのおっしゃる“家族”から、うちは抜いておいてくださいませ。よろしくお願い申し上げます。
28歳で「高機能自閉症」の診断を受けた鷲羽丸です。
123さん wrote:
>彼らの言動、なぜ彼らが障害者として、社会に受け入れられずにいるのか
>そのへんを深く考えてから、発言してほしいものです。
これは「ここの掲示板の投稿は、彼らの心情を無視したものである」という意味ですか?
>もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
>社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるようにしか、私には思えてなりません。
論理が飛躍していませんか?
わしは今まで、何人かのAS・ADHDの方々と会って話をしましたが、「自分は天才」などと考えるような人はいませんでしたよ。
むしろ、「私は障害があるのだから、障害そして社会とどう付き合っていくか」を、念頭に考えている人がほとんどです。そちらを考える方が少なくとも有益ですから。
>必死に生きている、彼らを守り、ともにこの社会でどう生きていこうか。
>自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
>このページを見ないことを、私は祈ります。
わしの個人的な意見ですが、家族の方々がこの掲示板を見たからと言って、深刻な気持ちになるとも思えません。「ああ、このような考えもあるのだな。」程度でしょう。
Washu-Maru
123さん wrote:
> 知的障害児に関する仕事をしています。
> 私のもとにも、自閉症児、LD児、ADHD、アスペルガー等、様々な障害を
> 持っていながらも、懸命に生きている人がたくさんいます。
> 一貫して、彼らにいえるのは、自分がアスペルガーである、自分はADHDだ
> そのような認識(病識)を持っている人はいないということです。
> このBBSを読んで複雑な心境です。
> 自分がアスペルガ−だという人達、彼らの才能は珍しく、すばらしいものがあります。
> しかし、私が見る限り、それらの才能は社会では認められるようなものは少ないでしょう。皆無に等しいのではないのでしょうか?
> 実際の彼らと接したことはありますか?
> 彼らの言動、なぜ彼らが障害者として、社会に受け入れられずにいるのか
> そのへんを深く考えてから、発言してほしいものです。
> 貴方方の言うアスペルガーのすばらしい才能ってどういうものですか?
> 具体的に何ができるのですか?
> LDやADHDの行動、思考をどこまで認識して発言しているのでしょう?
> もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
> 社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるようにしか、私には思えてなりません。
> 必死に生きている、彼らを守り、ともにこの社会でどう生きていこうか。
> 自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
> このページを見ないことを、私は祈ります。
じゃん、黒 Maria だぞ。
どうしてこういう叩き甲斐のある投稿がうち(『雑魚亭BBS』(http://users.hoops.ne.jp/joshya/bbs/)。よろしく)には来ないんだぁ(←そりゃまあ人徳の差という奴ではなかろうか(^_^;) by Mr.Moto)、とやや落込みつつコメントさせていただきます。
……とはいえ勢いづいて全文引用してしまった。管理人さんごめんなさい。で、相変わらず文章長いです。メンバーの皆さんごめんなさい。m(_ _)m
えー、こういう書込みに勢いづいてコメントを返すと、「“本当の障害児”はあなたがたのように反論できるような能力はない」だの「“本当の障害児”はあなたがたのように人を攻撃するようなことのできない素直で優しい子どもたちだ」とかいった反論が返ってくるのが見え見えなので、素人さん(っつーのも妙な表現なのだけれど)は沈黙を守っていたほうがいいのだけれど、まあ書いちゃったんで反撃を受ける前に防衛線を張っておくことにします。
> 知的障害児に関する仕事をしています。
> 私のもとにも、自閉症児、LD児、ADHD、アスペルガー等、様々な障害を
> 持っていながらも、懸命に生きている人がたくさんいます。
子どもたちはあなたの所有物でもなければ、あなたが一から十まで面倒をみてあげなければ何もできない無能者でもありません。まず、子どもたちの人格を尊重するところから話を始めましょう。
> 一貫して、彼らにいえるのは、自分がアスペルガーである、自分はADHDだ
> そのような認識(病識)を持っている人はいないということです。
それは単に、「発達の遅れた子どもが自己の認識に至るのには時間がかかる」ということなのではないでしょうか。
あたしはたまたま言葉の遅れはありませんでしたが、「異常なほど精密な話し方」をする子どもだったそうです。それはあたしが「言語的に優れていた」わけではなくて、「普通の(健常の)子どもと同じやりかたではなく、そうしたやりかた(=異常なほど精密な話し方)で言語を習得した結果、他の普通の(健常の)子どもと同程度の(教育の場における)言葉のレベルに至ることができた」だけのことです。日常における意思や感情の伝達に関していうと、こうした(=異常なほど精密な)話し方ではうまくコミュニケーションが行なえないため、「ことばの不自由」があるという点では他の学習障害(知的障害を含む)の人と変わるところがありません。
はっきりと「障害」と認知できるタイプの子どもは診断が早い段階で行なわれる反面、自分がその「障害」を認識し理解できるまで成長するのに時間がかかり、「障害」と認知できないタイプ(この掲示板の面々です)は社会にある程度適応してはじめて「自分の中の、どうしても社会と相容れない部分」に気づきます。
あたしたちのようなタイプ(高機能で言葉の遅れがそれほど目立たないタイプ)以外に、認識(病識)を持っている人がほとんどいないというのは、ある意味当然、ないし必然であるように思いますが。
> このBBSを読んで複雑な心境です。
こういう言い方は失礼であることは重々承知の上で言うと、それは普段から物事を深く考えていないからではないでしょうか。あたしたちは相当にややこしい状況に置かれており、人生について深く考えていない人たちにすんなり理解されるような「わかりやすい」生き方をしてはいません。
> 自分がアスペルガ−だという人達、彼らの才能は珍しく、すばらしいものがあります。
> しかし、私が見る限り、それらの才能は社会では認められるようなものは少ないでしょう。皆無に等しいのではないのでしょうか?
「珍しくない才能」は「アスペルガー固有の才能」とはたぶん認められませんので、「アスペルガー的な才能」、すなわちイディオ・サヴァン的才能ということを考えると、おそらく「社会で認められる才能はほとんど皆無に等しい」と言えるでしょう。
ですが、「ある問題に対して、普通の(健常の)人々とは異なった(=自閉的な)アプローチで臨むことによって、高度な能力を発揮する」人々というのは少なからず存在します。そのためにも、あたしたちは「発達障害児に、普通の(健常の)子どもと同じようにふるまうことを強制する」のではなく、「それが普通の(健常の)子どもにとっては不自然なことに見えたとしても、発達障害児にふさわしい育てかたによって、能力を活かす」というアプローチが望ましいと考えているわけです。
> 実際の彼らと接したことはありますか?
逆にお尋ねしますが、学習障害児として育ち、生きたことはありますか? その経験を踏まえて、学習障害児をどう育てるべきか、あるいは学習障害児がどう育てられることを望んでいるかを考えたことがありますか?
> 彼らの言動、なぜ彼らが障害者として、社会に受け入れられずにいるのか
> そのへんを深く考えてから、発言してほしいものです。
あたしたちが学習障害児として生まれながら、社会にかろうじて適応し、受け入れられることがなぜ可能だったのか、そのへんを深く考えてから発言してほしいものです。
とはいえ、あたしたちはべつに「まだ適応していない」障害児・障害者に対して勝ち誇ろうとは思っていません。「少なくとも、現在いる場所にまで到達することができた」という経験から得た知識(サバイバル技術?)を役立ててほしいと思っているだけです。
> 貴方方の言うアスペルガーのすばらしい才能ってどういうものですか?
普通の(健常の)人々とは異なっている、ということです。そのことは、しばしば世の中において(特に問題解決に関わる部分で)有利に働きます。
> 具体的に何ができるのですか?
普通の(健常の)人々とは異なったやりかたで無理なく生きることができます。それはしばしば普通の(健常の)人々が望んでも得られない境地だったりします。
> LDやADHDの行動、思考をどこまで認識して発言しているのでしょう?
123さんが、「LDやADHDは、自分の障害を認識できない」と信じておられるなら、その質問自体が無意味です。「認識している」ならば、LDでもADHDでもないはずですから。
> もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
> 社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるようにしか、私には思えてなりません。
あなたは、「障害者は自分の才能や能力を信じたり誇ったりしてはいけない」と主張なさるわけですね?
なお、あたしは、自分に才能があるために、あたしが障害者であり、あたしのその才能が本質的にその「障害」の「症状」そのものであるということが信じてもらえなくて苦労しています。
「あなたは立派に生きているのだから、自分のことを障害者だなどとは言ってはいけない」と言われ、自分が障害者であること、障害者として生きることを否定されて傷ついている人がどれだけ多いかを、123さんはご存じないようですね。
> 必死に生きている、彼らを守り、ともにこの社会でどう生きていこうか。
> 自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
> このページを見ないことを、私は祈ります。
間違った祈りを捧げても神罰や佛罰は当たんないそうですが、イエス先生が言うには「人前でこれ見よがしに祈るのはみっともない」そうです。
なお、一部の専門家は、障害者本人やその保護者にこの掲示板にアクセスすることを奨めているそうです。ケース・バイ・ケースあるいは善し悪しだとあたしも思いますが、この掲示板を見て生きるのが楽になったというひとも、あたしの知るかぎりけっこうおられます。
「普通の(健常の)人々と同じようにふるまうこと」は、「社会に適応する」という目的でいうとせいぜい“努力目標”でしかなく、「前提」ではないんです。障害者でなくたって、「なんでも横並び」という日本の社会における一般的風潮を疎ましく思っているんですから。
あたしはモラリストをモラリストであることだけによって否定はしませんが、「自分がいやいや従っていること」を他人に強制して意趣返しをすることをモラルと勘違いしている輩は、「質の悪い病人」だと思っています。
過去に自分が受けた行為を「正しいこと」として他人に行なうのは、専門的にいうと「反復強迫」の一つの典型的なパターンです。
他人が「自分自身として生きる」ことにあれこれ口を出す以前に、ご自分がちゃんと「自分自身を生きて」いるかどうかお考えになったほうがよろしいのでは?
(Maria)
123さんへ。
当方、以前、ある医師から、「あなたのケースの場合はそんなに障害x2と考えない」とか「あなたはこの職種は絶対勤められないでしょう」と言われていますが、その言葉に逆境して生きております。
仕事はバイトではありますが...。
何だか、知的障害者、もしくは発達障害者を見下しているような気がして
仕方がないのです...。
もし、123さんが今のお仕事を続けていかれるのならば、もっと障害者に歩み寄るという部分が必要なのだろうと思います。単に「仕事だし、別にこの仕事に一生を捧げるつもりはない」と思われているのでしたら、別に歩み寄らなくても仕事は捌けるかと存じます。
知的障害のあたしがいうのも何なのですが、このままですと123さんはいつか
仕事で躓く事もあり得るかもしれません。
こうもりさんの123さんに対するレスは、充分に納得するに足る、筋道の通ったとても適切なレスだと思います。
123さんが理解してくださればいいのですが。
以下は非常に私的なことなので、ここに書くかどうかずっと迷っていたのですが、
こうもりさんが書かれたことに触発されて、やはり書いておきたいと思いました。
私にとっては非常に重いカミングアウトです。
こうもり wrote:
> 二言だけ苦情を言うのであれば、123さんはどうしようもなく発達
>障害者が低く評価しているように思えます。発達障害児の発達の可能性
>があまり信じられていないようにも思えます。もし上記のような考えで
>発達障害児と施設で関わり続けているのだとすれば、確かにそこの発達
>障害児はそれ以上発達できないでしょう。病識を持つこともできないで
>しょう。才能を生かすこともできないでしょう。精神論をぶつつもりは
>ありませんが、発達障害児の発達はサポーター(家族,支援者)が「い
>かに障害児の障害を受け入れつつ、障害児の発達の可能性を信じてきた
>か」という点に左右される部分はあると思います。もちろん、元々の発
>達障害自体の重さも無視はできないのですが。
私の母は「知的障害児に関する仕事」をしておりました。
「関する」にとどまらず、「専門家」と認識され、「先生」と呼ばれる立場の職にありました。
職場では、もちろん知的障害をも含む重度心身障害を持つ方に接し、
家では、自分の子である私のIQが高く(母自身がテストしたのですが)、学校の成績も良いことを誇り、
私と、仕事で接する障害を持つ方とを比較して、しょっちゅう重度の障害を持つ方々をひどく貶める発言をしていました。
更に、母はアスペルガー的特性を持つ私を扱いかねたのか(私はASとの診断を受けておりませんが自己確信しつつあります)、
私は幼児期から「可愛くない」「生意気な」と言われ、
他の様々な「母の私に対する関わり方」からも総合して、結果的に、
現在私は、母から情緒的な虐待とネグレクトを受けたと認識しています。
123さんを母と同類だというふうに結びつけるつもりはありません。
123さんは、単に知識不足なだけの、いわゆる「善意の第三者」なのではないかと推測します。
「障害児に関する仕事」をしている方々の中で、いったいどれだけの方が、
「適切な関わり方と受容姿勢」の上に立ってそういった仕事をしておられるのか。
私はずっと考えています。
シロ wrote:
>>リッチなレズビアンだっているし、無職のゲイだっている。個別には様々な状態がありますが、レズビアンとゲイという2つのカテゴリーに分類(グルーピング)した場合、カテゴリー間の違いが出てきます。
>
>同様に、わたしは、ASの女とASの男も、同じASではあるのだけど、置かれている社会的状況が違うのだろうなと思いました。社会的状況だけではなく、ASは脳が関係することだから(同性愛についても遺伝子が関与している説等がありますが、それはさておき)、生物学的に本質的な性差もあるでしょう。その上で、「女らしさ」に当事者として関与させられるのは女だけ。「男らしさ」に当事者として関与させられるのは男だけ。それら全体を考えると、性差が制度としても存在する人間社会(環境)にわたしたちは現に生きているので、「ASの女の子」と「ASの男の子」は異なる道筋で生涯に渡って発達するということを前提にしたほうがいいのかもなーと、この頃の一連のジェンダーに絡んだ発言を読みながら思いました。何のためにいいかというと、それぞれが自己理解を進めるために。
私もこれについては、かなり関心があります。
男女の性格的な違いもあるでしょうし、それに関して社会的な不具合も違ってくると思うんですよ。
ADDなどでも男女で社会的な困難さが違うと本に出ていましたが、
ASの場合、性格の差も出そうですし、それぞれ違ったつらさがありそうです。
そこの視点からの研究もこれから始まればなぁって思ったりしました。
(あるHPでASゆえの、ある意味の天然ボケは女ならタレントとして売りに
なるけど、男なら無理って言ってたなぁ・・・芸能人でAS?って思う人、5人くらいいませんか?)
123 wrote:
>知的障害児に関する仕事をしています。
>私のもとにも、自閉症児、LD児、ADHD、アスペルガー等、様々な障害を
>持っていながらも、懸命に生きている人がたくさんいます。
>一貫して、彼らにいえるのは、自分がアスペルガーである、自分はADHDだ
>そのような認識(病識)を持っている人はいないということです。
>このBBSを読んで複雑な心境です。
>自分がアスペルガ−だという人達、彼らの才能は珍しく、すばらしいものがあります。
>しかし、私が見る限り、それらの才能は社会では認められるようなものは少ないでしょう。皆無に等しいのではないのでしょうか?
なぜ、このような発言をするのかが分かりません。懸命に生きるということは
123さんにとって謙虚に生きるということなのですか?
この掲示板には知的障害を持たない障害者ゆえの悩みも多く書かれているのです。
健常者と同じ土俵で困難をカバーして生きる悩みです。
そういう人たちが自分の困難を理解することで今までより楽に考えられるようになることはいけませんか?
また、それをネット上で仲間に打ち明ける、そのくらい許されてもいいではありませんか。
>彼らの言動、なぜ彼らが障害者として、社会に受け入れられずにいるのか
>そのへんを深く考えてから、発言してほしいものです。
このように「自分で考えろ」と突き放されてつらい思いをしてきたのです。
どうして社会に受け入れられないと思うのかしっかり書いてください。
あなたは知的障害については「接してきて知っている」と思っているかもしれませんが、自閉症(特にAS)については、わかっていないように思えます。
>もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
>社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるようにしか、私には思えてなりません。
>必死に生きている、彼らを守り、ともにこの社会でどう生きていこうか。
>自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
>このページを見ないことを、私は祈ります。
あなたは知的障害の枠でしかこの掲示板をみていないのはないでしょうか。
ここに来ている高機能自閉症の人たちは診断を受けるまで自分の困難に気付かず、
多くが自分の努力が足りないんだと自分を責めてきたと私は思います。
あなたの考え方には賛同しかねます。
才能うんむんではないのですよ。もう一度読み直してみてください。
>>>>理屈面での頭を使う仕事は好きですし、できるのですが、自分のやり方でやらないと、できないので人から干渉されないように、オフィスとは別のビルに行き、そこで隠れて仕事をし、仕上げて出す、というようなやりかたをしていたところ、「さぼっている」という疑いを大勢から抱かれたようです。
>>不思議だったのは、会社にいたとき、私が別のビルに行って来ます、と言っても誰も止めないのに、実は陰では「またあんなことして!」と何人もの人が言っていたと言うことです。なぜ「行ってはいけない。それはこういう理由だからだ。」と誰も言わなかったのでしょう。誰も止めないので、いいのだと思っていました。でもそれは「常識で考えれば分かることをいちいち言わない」ということだったのらしいです。後になって同じ会社の人に聞いてみたところそういう答えが返ってきました。恐るべし常識。
これを見て、どうして「才能があるのに社会が認めてくれない」と思うのか不思議でたまらない。この人が言いたいのは「常識」というものの掴みがたさだと思うんです。そして、これが、この健常者のように見えるASの人たちが抱える大きな困難なんですよ。
123さんにはもう一度自閉症(特にAS)、ADHDについて調べてみてほしいです。
でも、同時にこれが世間の知的障害を伴わない障害に対する考え方(反発)なんだ、とも思えました。
とりあえず、ドナの「自閉症だったわたし」だけでも読んでほしいです。
こうもりです。子供の頃の臨床像と今の臨床像が一致しないという
評価を受けたことがあります。(つまり、子供の頃の様子や記録を見
るとかなり重度だったと評価されているが、今はそれが目立たなくな
ってしまったという意味で。)
123さん wrote:
>知的障害児に関する仕事をしています。
>私のもとにも、自閉症児、LD児、ADHD、アスペルガー等、様々な障害を
>持っていながらも、懸命に生きている人がたくさんいます。
わたしはこの点については次のように理解しています。ある児童精神科
医はADHDについて、「全てのADHD児のうち、障害児としての特別
な配慮が必要なのは2〜3割ぐらい」と述べています。ADHD以外の知
的障害を伴なわない発達障害者の場合もだいたいこんな感じになると思い
ます。おそらく123さんの勤務しておられる現場に来ているのはほとん
どの専門家から発達障害児として特別な配慮が必要と判断される2〜3割
の発達障害児・者なのではないでしょうか?
そして、困難や生き辛さを抱えているのだが、発達障害の専門家からは
特別な配慮が必要とは判断されずにもがいている7〜8割の発達障害者が
123さんが批判しておられるこの掲示板のメンバーなんだと思います。
「お前らは懸命に生きていない」というのは、失礼な批判です。それに障
害が重い人の方が懸命に生きているという理屈が成り立つのであれば、1
23さんはここの常連メンバーよりももっと懸命に生きていないことにな
ってしまいます。わたし自身は123さんは懸命に生きている人なのだと
は判断しておりますが。
>一貫して、彼らにいえるのは、自分がアスペルガーである、自分はADHDだ
>そのような認識(病識)を持っている人はいないということです。
ええと、1つ確認しておきたいのですが、病識を持っていない人は発達
障害ではないという理解をしている訳ではないですよね?発達障害者の障
害の自己理解と受容は発達障害者の人生にとって、重要なテーマです。
発達障害というのは、自己理解が難しい障害です。障害自体が本人にも
見えにくいということと、障害そのものが本人の障害認知を妨げてしまう
ことがあるというのが主な理由です。そこでつまずいてしまう発達障害児
・者も多いことは否定できません。ただし、全ての発達障害者が病識を持
てないまま生きていく訳ではなく、病識を持った結果として、障害をうま
くカモフラージュすることのできるようになるになる発達障害児・者も存
在します。あくまでカモフラージュしているのであって、困難がなくなっ
た訳ではありませんが。
病識の獲得できた発達障害者にとってはいかに障害と付き合っていくか
障害を受容していくのかが大きな課題になります。ここに来ている自閉人
の多くはそのような段階にある人たちです。かくいうわたしも障害を受容
することまではなんとかできたものの、つきあっていく方についてはどう
したものやら……。
前述した発達障害の専門家から特別な配慮が必要だ判断されにくい7〜
8割の発達障害者の中にはそのような経過をたどる人も多いと思われます。
>しかし、私が見る限り、それらの才能は社会では認められるようなもの
>は少ないでしょう。皆無に等しいのではないのでしょうか?
>実際の彼らと接したことはありますか?
はい、あります。子供の頃は肢体不自由+知的障害児が受診している施
設を転々としておりましたし、今もボランティアでAS児と関わっていま
す。で、そこで受けた印象というのは「発達障害児は発達できないのでは
なく、障害を抱えたまま発達していく」「どんな才能や趣味や特技であっ
ても、社会の構成原理と矛盾しないものに作り変えていける可能性を秘め
ている」ということです。
>彼らの言動、なぜ彼らが障害者として、社会に受け入れられずにいるのか
>そのへんを深く考えてから、発言してほしいものです。
>貴方方の言うアスペルガーのすばらしい才能ってどういうものですか?
>具体的に何ができるのですか?
二言だけ苦情を言うのであれば、123さんはどうしようもなく発達
障害者が低く評価しているように思えます。発達障害児の発達の可能性
があまり信じられていないようにも思えます。もし上記のような考えで
発達障害児と施設で関わり続けているのだとすれば、確かにそこの発達
障害児はそれ以上発達できないでしょう。病識を持つこともできないで
しょう。才能を生かすこともできないでしょう。精神論をぶつつもりは
ありませんが、発達障害児の発達はサポーター(家族,支援者)が「い
かに障害児の障害を受け入れつつ、障害児の発達の可能性を信じてきた
か」という点に左右される部分はあると思います。もちろん、元々の発
達障害自体の重さも無視はできないのですが。
>もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
>社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるよう
>にしか、私には思えてなりません。
ここに来ている発達障害者とは別の次元で困難を抱えている発達障害
者が存在することは否定しません。しかし、他の障害者の苦悩を認めず
に自分の側だけの苦悩だけを語る障害者やサポーターには不愉快さを禁
じ得ません。もし、その考えを改めるつもりがないのであれば、他のサ
イトにけちなどつけず、ご自身の仕事に専念されていた方がいいでしょ
う。
123さん、初めまして。
私には「ちょっといいですか?」というタイトルからして意味が通じにくいです。
「いいですか?」と、発言の許可を求めるような質問をしながら、返答を待たずに、
一方的にご自分の言いたいことを言っておられますよね。
内容からすれば「こういう発言がしたいので、します」と表明するようなタイトルの方が適切(発言内容と矛盾しない)と思います。
>知的障害児に関する仕事をしています。
>私のもとにも、自閉症児、LD児、ADHD、アスペルガー等、様々な障害を
>持っていながらも、懸命に生きている人がたくさんいます。
>一貫して、彼らにいえるのは、自分がアスペルガーである、自分はADHDだ
>そのような認識(病識)を持っている人はいないということです。
「自閉症児、LD児、ADHD、アスペルガー等、様々な障害」を持っている人に、123さんのおっしゃる「病識」があるかどうかは、
障害の度合いによって人それぞれだと思います。
「一貫して」言えるとおっしゃっても、
それは123さんの見識の範囲内での「一貫性(「病識」のないことが必須条件と認識しておられるようですが)」に過ぎないと思います。
私の知人に重めの知的障害(今は成人、思春期頃から施設で生活しています)の家族がいますが、
そのご本人には自分の障害に対する認識がちゃんとあります。
そもそも、「病識(治る可能性のある病気の自己認識)」と「障害(先天性のもの)の自己認識」とは、別物ではないかと私は思います。
たしかに精神病の中には「病識がない」ことが診断基準になっているものもありますが、
「病気」と「障害」は違うと私は思っています。
そこのところからして勘違いしておられませんか?
>貴方方の言うアスペルガーのすばらしい才能ってどういうものですか?
>具体的に何ができるのですか?
「貴方方」とおっしゃっているところからすると、私を含め、このBBSで発言している人たちに向けた質問と取れますが、
今までこのBBSのどこにそういう話題(「すばらしい才能」)が出てきたのか、私自身新参者なのでわかりませんが、私が見た限り、
「これが理解できない」「こういうことで困っている」「こういうこだわりについて論じたい」という発言が主であると思うのですが。
>LDやADHDの行動、思考をどこまで認識して発言しているのでしょう?
LDやADHDやアスペルガー、知的障害は、重複する場合も多いそうですが、
重複の度合いや比重やそれぞれの障害の程度も、本当に人それぞれだと思います。
なぜひとくくりにしてしまえるのか理解できません。
ご自分の発言の後に、あつみさんの真面目な発言を全部引用したままなのは、
「下の引用のような発言が許せない」というサンプルのおつもりなのでしょうか?
それならとても失礼なことだと思います。
それとも、このBBSの使い方や表示形式がよくわからなかっただけなのでしょうか。
それなら「頭に血が昇った状態で書いたのでうっかりして全部引用表示してしまった」と推測できますが。
123 wrote:
>知的障害児に関する仕事をしています。
>私のもとにも、自閉症児、LD児、ADHD、アスペルガー等、様々な障害を
>持っていながらも、懸命に生きている人がたくさんいます。
>一貫して、彼らにいえるのは、自分がアスペルガーである、自分はADHDだ
>そのような認識(病識)を持っている人はいないということです。
>このBBSを読んで複雑な心境です。
知的障害者であるsatieです。でもADHD LDという認識はあるのです。
という事は、あたしの存在はないという事ですか?
実際あたしは手帳は取得が出来ない知的障害ですが、実際手帳(療育手帳)を取得している知的障害の人でも障害の認識のあるに会った事があります。
話しだってしたことあるし、不便がありつつも障害を認識しておられます。
中には完治出来ないと知っていつつも普通になりたいと呟く同士もいるのです。障害があっても健常者に負けたくないって頑張っている人もいるのです。
123さんが何を仰ろうとしているのかがまったくわかりません。
あたしからの推測と質問と確認なのですが、
1知的障害者は障害を認識してはいけない
2知的障害者は自らを知的障害者と自認してはいけない
3知的障害者は何にも考えなくって良い
いずれのうち。どれかにあてはまりそうなのですが、如何なもんでしょうか?
正直いって、知的障害者だからってひとまとめにしている文体がすごく気に触りました。
123 wrote:
>実際の彼らと接したことはありますか?
>貴方方の言うアスペルガーのすばらしい才能ってどういうものですか?
>具体的に何ができるのですか?
>LDやADHDの行動、思考をどこまで認識して発言しているのでしょう?
質問の形の文章が並んでいます。
これらは、実際に答えを求めている質問ですか?
もし質問ではなくて、「本当はそうではないだろう」ということを暗示したいのであれば、質問形式では伝わらないことが多いことを知っていて下さい。
>知的障害児に関する仕事をしています。
>私のもとにも、自閉症児、LD児、ADHD、アスペルガー等、様々な障害を
>持っていながらも、懸命に生きている人がたくさんいます。
>一貫して、彼らにいえるのは、自分がアスペルガーである、自分はADHDだ
>そのような認識(病識)を持っている人はいないということです。
この部分は、事実としてはそうであろうと思います。
しかし「一貫して」が表しているのは、全ての自閉症スペクトルの範囲に当てはまるとは思えません。
「知的障害を伴う」という条件のもとではほとんどの場合に当てはまるとしても、その条件を取り外した、広範囲の場合にまで適用することには無理があります。
特に掲示板に書いている人は軽度であることが多いので、条件も違って来ます。
特定の条件の場合に言える事実をもって、全ての場合に同じレッテルを貼るのは避けて欲しいです。
どちらが正しいとか間違っているとかではなく、話の前提となっていることを見失わないようにすべきだと思います。
123さん wrote:
>自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
>このページを見ないことを、私は祈ります。
うちの家族の大人達は誰もこの掲示板を本気にして読んでないですよ。
という前に読み辛いし、一体何が言いたいのか理解できないそうです。
知的障害児に関する仕事をしています。
私のもとにも、自閉症児、LD児、ADHD、アスペルガー等、様々な障害を
持っていながらも、懸命に生きている人がたくさんいます。
一貫して、彼らにいえるのは、自分がアスペルガーである、自分はADHDだ
そのような認識(病識)を持っている人はいないということです。
このBBSを読んで複雑な心境です。
自分がアスペルガ−だという人達、彼らの才能は珍しく、すばらしいものがあります。
しかし、私が見る限り、それらの才能は社会では認められるようなものは少ないでしょう。皆無に等しいのではないのでしょうか?
実際の彼らと接したことはありますか?
彼らの言動、なぜ彼らが障害者として、社会に受け入れられずにいるのか
そのへんを深く考えてから、発言してほしいものです。
貴方方の言うアスペルガーのすばらしい才能ってどういうものですか?
具体的に何ができるのですか?
LDやADHDの行動、思考をどこまで認識して発言しているのでしょう?
もしかして、自分は天才だ。自分にはすばらしい才能があるのに
社会は誰も認めてはくれない。そんな感情が貴方たちのうらにあるようにしか、私には思えてなりません。
必死に生きている、彼らを守り、ともにこの社会でどう生きていこうか。
自分の息子たちの居場所を、探し奮闘している家族の方々が
このページを見ないことを、私は祈ります。
あつみ wrote:
>”初めて投稿なのにすごく長い。しかも超私的です。すみません。”
>に対して、ご意見いただきましてありがとうございました。
>
>シロさん
>
>>>理屈面での頭を使う仕事は好きですし、できるのですが、自分のやり方でやらないと、できないので人から干渉されないように、オフィスとは別のビルに行き、そこで隠れて仕事をし、仕上げて出す、というようなやりかたをしていたところ、「さぼっている」という疑いを大勢から抱かれたようです。
>
>>これはすごいですね。別にいいじゃない、とつい思ってしまうけれど、一般社会から見ると。AS武勇伝、と読める。
>
>「別にいいじゃない」と思う人が他にもいるんだ!と知って、嬉しく思いました。この、仕事の仕方についてのエピソードはいろいろな人に話してみましたが、「よくそんなことできるよね」という意見や、「さぼっていると思われても仕方がない」という意見が殆どでした。
>
>不思議だったのは、会社にいたとき、私が別のビルに行って来ます、と言っても誰も止めないのに、実は陰では「またあんなことして!」と何人もの人が言っていたと言うことです。なぜ「行ってはいけない。それはこういう理由だからだ。」と誰も言わなかったのでしょう。誰も止めないので、いいのだと思っていました。でもそれは「常識で考えれば分かることをいちいち言わない」ということだったのらしいです。後になって同じ会社の人に聞いてみたところそういう答えが返ってきました。恐るべし常識。
>
>
>釈さん
>
>>大きな決断には,誰にもためらいや揺らぎがあるものです。それで愛を疑われたとしても,別居がまだ話だけのことなら今は何とか,彼とよりを戻すことだけに集中できないでしょうか?アスペルガー症候群について調べるのは,もっと後でいいと思うのですが。
>
>彼を失うのは悲しいことですが、これ以上彼を振り回すのも申し訳ないと思いますし、私も、一人になった方がいいのかも知れない、と考えています。まだ結論は出ていませんが。
>
>
>ひま人さん
>
>>超私的の「超」が気になります。最近やたらとこの超という接頭辞
>
>横尾忠則の不定期刊行マガジンのタイトル「超私的 横尾忠則マガジン」の語呂が気に入っており、「私的」と書こうとしたら無意識に流されて「超私的」となりました。
>
>>その「おかしなゲーム」というものを聞いてみたいです。
>
>陣取りゲームのルールに自分なりにバリエーションをつけ、やっていました。しかしルールがわかりにくすぎた或いはつまらなすぎたためか、他の子供たちには不評でした。
>
>>かたづけが困難だとか、並列的な作業や情報処理が不得手だというようなことはないでしょうか?
>
>かたづけは、徹底的にやるか全然できないかのどちらかです。
>同時に二つ以上のことをやるのは非常に苦手です。また、会話なども1対1ならいいのですが、大勢で話すのは難しいです。情報処理に関しては、どのような場合を言うのかよく分かりませんが、とくに不得手と感じたことはありません。
>
>>いっそのこと、ASの専門家を目指してはどうでしょうか。もしASの専門家になるための検定試験があるとすれば、簡単に一級に合格できるでしょう。
>おまけにこの分野は未知のことが多く、自分流で対処しようとするASにとっては最適の仕事になるかもしれません。
>
>思いつきもしませんでした!いいアイデアありがとうございます。
>今後の進路の選択肢の一つとして本気で考えてみます。
>
>>余計なお世話かもしれませんが、いくつか質問をさせていただきましょう。
>?くるくると回転するものをじっと眺めていた。
>
>はい。扇風機の羽の中心とか。
>
>?読書にとり憑かれる。むずかしい本でも、いったん読み始めると止まらなくなる。
>
>まさにその通りです。
>
>?相手の視線に合わせるのがしんどい。意識的にやらないと、視線を合わせられない。
>
>はい。しかし子供の頃「話すときは相手の目を見て!」といろいろな人から言われたので、努力しました。その結果、今では人の目をじーっと見すぎてしまい、そうするとくらくらしてしまって、逆に話の内容に集中できない、ということがあります。
>
>?同年齢の子どもが知らない特定の領域に関して、とても詳しい。
>
>はい。精神医学とか心理学など。そのほか昆虫、魚、人間の体の構造などにおいて。
>(今では専門家にはもちろんかないませんが。)
>
>?スペルが正確だ。
>
>はい。以前勤めていた会社にいた翻訳さんから言われました。
>
>?いったん作業にとりかかると止まらなくなるが、いちど休んでしまうと再
>びはじめるのがおっくうになる。
>
>その通りです。
>
>?教師や先輩や同級生のやり方を真似てやるのではなく、自分独自の方法で対処するタイプだ。
>
>対人間の振るまい方以外は、そうです。
>
>?子どものような幼稚な話し方をするのが苦手で、論理的な話し方をするほうがやりやすい。会話の中に、概念や熟語、または○○的、○○性といった接尾辞を使った造語を多用したほうが話しやすい。
>
>その傾向はありますが、会話は全般的に苦手です。
>
>?幼い頃、親や家族から長時間隔離されてもさほど寂しいと感じなかった。
>
>いいえ。
>
>
>あさかぜさん
>
>>標題に書かれたほど長い投稿とは思いませんでした。言いたいことをまとめる能力もお持ちだという感じがします。
>
>安心しました。
>
>>ご自分がどう生きたいのかをじっくり見つめるチャンスだと思うことができたらいいのですが。
>
>ほんとうにそうだと思います。というか、じっくり見つめないと、もうにっちもさっちも行かなくなっている状況です。
>
>>彼と同居していたのがどれくらいの期間だったのか分かりませんが、わたしから見ればすごい能力だという気がします。
>
>8ヶ月ですが、もう破綻を来しています。
>「自分のやり方でしか、できない」という性質を持っているのに、何かをしようとすると、途中経過を大部分彼に把握されてしまい、そうすると必ず何かしらの忠告が入り、結局何もできなくなる、ということの繰り返しばかりです。また、彼とのコミュニケーションも非常に難しく、誤解だらけで、お互い追い詰められてしまったようです。
>
>>結婚して十年経ちますから夫も娘もいるんですけど、今でもときどき“自分にこんなことができるなんて、とても信じられない。奇跡のようだ”と心底思うときがある人間です。二十代の自分からはとても想像がつきませんでした。
>
>すごいですね。
>ご主人もあさかぜさんと似た資質をお持ちなのでしょうか。 もしそうでない場合、コミュニケーションが難しくはないですか?
>
>自分と共通した資質を持たない相手と、生活を共にすることは、できるものなのか、最近考えています。その試みが彼との同居でもあったわけですが。
>
>
>タレイヌさん
>
>>これ、すごいアイデアだと思います。ここで必要だった事は、『原因(=障害?)』はともかく、自分の状況を、うまく説明できなかった事が、疑われた、最大の原因でしたね。「申し訳ないけれど、自分のやりかたでしか出来ないのです…」と、自分の側の状況を、ちょっとずつ、ちょっとずつ、時間をかけて、周りの人たちに、アピールする術を、獲得できると、此の先、色々な場面で、やりやすいかと、思います。そういうことを言い出す人に対して、受け入れずに、「甘えだ!」責める人が多いと思われるかもしれませんが、実際には逆で、御自分の、守備範囲を、明確にするという意味において、最終的には、一緒に仕事する人たちへの、あつみさんを正しく理解するための「助け(?)」のなる事だと、タレイヌは、思います。
>#それが通用しないなら、別のところへ、行きましょう。
>
>なるほど。
>これまで、自分の状況について本当のことを言うと「そんなのは甘えだ!」と責められることが多かったので(例えば学生時代、片道2時間かけて学校に通っていたのですが「満員電車に乗るのが苦痛だ。耐えられない。」と言ったときなど。)、「甘えだ!」と言われないであろうと思われる理屈を無理矢理作って、説明したりと、ひねくれたやり方をしていました。或いは、世間的に見て正当と見なされないであろう説明しか、思い浮かばないときは、全く言わない、とか。
>
>それにしても自分の側の状況を説明する、というのは、とても難しいことですね。特に会話においては。自分と関係のない事柄なら、うまく説明できるのですが。
>相手が、畳みかけるように次々と喋ってくる人の場合、特に難しい。
>
>一緒に暮らしている彼を相手に、頑張りましたが、今のところあまりうまく行っていません。
>何とか克服したいことです。
>
>>愛情と信用は、別物かもしれませんよ。(意味不明か??)
>
>「信用できない」ような相手にも、愛情は抱けるのでしょうか?
>「わけが分からない」相手で「信用できない」相手ならば、もし自分なら、愛情は持てないように思うのです。彼は、私を嫌いになったわけではない、と言っていますが、しかしそれはもう愛情はないということなのかも、とも思うのですが。
”初めて投稿なのにすごく長い。しかも超私的です。すみません。”
に対して、ご意見いただきましてありがとうございました。
シロさん
>>理屈面での頭を使う仕事は好きですし、できるのですが、自分のやり方でやらないと、できないので人から干渉されないように、オフィスとは別のビルに行き、そこで隠れて仕事をし、仕上げて出す、というようなやりかたをしていたところ、「さぼっている」という疑いを大勢から抱かれたようです。
>これはすごいですね。別にいいじゃない、とつい思ってしまうけれど、一般社会から見ると。AS武勇伝、と読める。
「別にいいじゃない」と思う人が他にもいるんだ!と知って、嬉しく思いました。この、仕事の仕方についてのエピソードはいろいろな人に話してみましたが、「よくそんなことできるよね」という意見や、「さぼっていると思われても仕方がない」という意見が殆どでした。
不思議だったのは、会社にいたとき、私が別のビルに行って来ます、と言っても誰も止めないのに、実は陰では「またあんなことして!」と何人もの人が言っていたと言うことです。なぜ「行ってはいけない。それはこういう理由だからだ。」と誰も言わなかったのでしょう。誰も止めないので、いいのだと思っていました。でもそれは「常識で考えれば分かることをいちいち言わない」ということだったのらしいです。後になって同じ会社の人に聞いてみたところそういう答えが返ってきました。恐るべし常識。
釈さん
>大きな決断には,誰にもためらいや揺らぎがあるものです。それで愛を疑われたとしても,別居がまだ話だけのことなら今は何とか,彼とよりを戻すことだけに集中できないでしょうか?アスペルガー症候群について調べるのは,もっと後でいいと思うのですが。
彼を失うのは悲しいことですが、これ以上彼を振り回すのも申し訳ないと思いますし、私も、一人になった方がいいのかも知れない、と考えています。まだ結論は出ていませんが。
ひま人さん
>超私的の「超」が気になります。最近やたらとこの超という接頭辞
横尾忠則の不定期刊行マガジンのタイトル「超私的 横尾忠則マガジン」の語呂が気に入っており、「私的」と書こうとしたら無意識に流されて「超私的」となりました。
>その「おかしなゲーム」というものを聞いてみたいです。
陣取りゲームのルールに自分なりにバリエーションをつけ、やっていました。しかしルールがわかりにくすぎた或いはつまらなすぎたためか、他の子供たちには不評でした。
>かたづけが困難だとか、並列的な作業や情報処理が不得手だというようなことはないでしょうか?
かたづけは、徹底的にやるか全然できないかのどちらかです。
同時に二つ以上のことをやるのは非常に苦手です。また、会話なども1対1ならいいのですが、大勢で話すのは難しいです。情報処理に関しては、どのような場合を言うのかよく分かりませんが、とくに不得手と感じたことはありません。
>いっそのこと、ASの専門家を目指してはどうでしょうか。もしASの専門家になるための検定試験があるとすれば、簡単に一級に合格できるでしょう。
おまけにこの分野は未知のことが多く、自分流で対処しようとするASにとっては最適の仕事になるかもしれません。
思いつきもしませんでした!いいアイデアありがとうございます。
今後の進路の選択肢の一つとして本気で考えてみます。
>余計なお世話かもしれませんが、いくつか質問をさせていただきましょう。
?くるくると回転するものをじっと眺めていた。
はい。扇風機の羽の中心とか。
?読書にとり憑かれる。むずかしい本でも、いったん読み始めると止まらなくなる。
まさにその通りです。
?相手の視線に合わせるのがしんどい。意識的にやらないと、視線を合わせられない。
はい。しかし子供の頃「話すときは相手の目を見て!」といろいろな人から言われたので、努力しました。その結果、今では人の目をじーっと見すぎてしまい、そうするとくらくらしてしまって、逆に話の内容に集中できない、ということがあります。
?同年齢の子どもが知らない特定の領域に関して、とても詳しい。
はい。精神医学とか心理学など。そのほか昆虫、魚、人間の体の構造などにおいて。
(今では専門家にはもちろんかないませんが。)
?スペルが正確だ。
はい。以前勤めていた会社にいた翻訳さんから言われました。
?いったん作業にとりかかると止まらなくなるが、いちど休んでしまうと再
びはじめるのがおっくうになる。
その通りです。
?教師や先輩や同級生のやり方を真似てやるのではなく、自分独自の方法で対処するタイプだ。
対人間の振るまい方以外は、そうです。
?子どものような幼稚な話し方をするのが苦手で、論理的な話し方をするほうがやりやすい。会話の中に、概念や熟語、または○○的、○○性といった接尾辞を使った造語を多用したほうが話しやすい。
その傾向はありますが、会話は全般的に苦手です。
?幼い頃、親や家族から長時間隔離されてもさほど寂しいと感じなかった。
いいえ。
あさかぜさん
>標題に書かれたほど長い投稿とは思いませんでした。言いたいことをまとめる能力もお持ちだという感じがします。
安心しました。
>ご自分がどう生きたいのかをじっくり見つめるチャンスだと思うことができたらいいのですが。
ほんとうにそうだと思います。というか、じっくり見つめないと、もうにっちもさっちも行かなくなっている状況です。
>彼と同居していたのがどれくらいの期間だったのか分かりませんが、わたしから見ればすごい能力だという気がします。
8ヶ月ですが、もう破綻を来しています。
「自分のやり方でしか、できない」という性質を持っているのに、何かをしようとすると、途中経過を大部分彼に把握されてしまい、そうすると必ず何かしらの忠告が入り、結局何もできなくなる、ということの繰り返しばかりです。また、彼とのコミュニケーションも非常に難しく、誤解だらけで、お互い追い詰められてしまったようです。
>結婚して十年経ちますから夫も娘もいるんですけど、今でもときどき“自分にこんなことができるなんて、とても信じられない。奇跡のようだ”と心底思うときがある人間です。二十代の自分からはとても想像がつきませんでした。
すごいですね。
ご主人もあさかぜさんと似た資質をお持ちなのでしょうか。 もしそうでない場合、コミュニケーションが難しくはないですか?
自分と共通した資質を持たない相手と、生活を共にすることは、できるものなのか、最近考えています。その試みが彼との同居でもあったわけですが。
タレイヌさん
>これ、すごいアイデアだと思います。ここで必要だった事は、『原因(=障害?)』はともかく、自分の状況を、うまく説明できなかった事が、疑われた、最大の原因でしたね。「申し訳ないけれど、自分のやりかたでしか出来ないのです…」と、自分の側の状況を、ちょっとずつ、ちょっとずつ、時間をかけて、周りの人たちに、アピールする術を、獲得できると、此の先、色々な場面で、やりやすいかと、思います。そういうことを言い出す人に対して、受け入れずに、「甘えだ!」責める人が多いと思われるかもしれませんが、実際には逆で、御自分の、守備範囲を、明確にするという意味において、最終的には、一緒に仕事する人たちへの、あつみさんを正しく理解するための「助け(?)」のなる事だと、タレイヌは、思います。
#それが通用しないなら、別のところへ、行きましょう。
なるほど。
これまで、自分の状況について本当のことを言うと「そんなのは甘えだ!」と責められることが多かったので(例えば学生時代、片道2時間かけて学校に通っていたのですが「満員電車に乗るのが苦痛だ。耐えられない。」と言ったときなど。)、「甘えだ!」と言われないであろうと思われる理屈を無理矢理作って、説明したりと、ひねくれたやり方をしていました。或いは、世間的に見て正当と見なされないであろう説明しか、思い浮かばないときは、全く言わない、とか。
それにしても自分の側の状況を説明する、というのは、とても難しいことですね。特に会話においては。自分と関係のない事柄なら、うまく説明できるのですが。
相手が、畳みかけるように次々と喋ってくる人の場合、特に難しい。
一緒に暮らしている彼を相手に、頑張りましたが、今のところあまりうまく行っていません。
何とか克服したいことです。
>愛情と信用は、別物かもしれませんよ。(意味不明か??)
「信用できない」ような相手にも、愛情は抱けるのでしょうか?
「わけが分からない」相手で「信用できない」相手ならば、もし自分なら、愛情は持てないように思うのです。彼は、私を嫌いになったわけではない、と言っていますが、しかしそれはもう愛情はないということなのかも、とも思うのですが。
’’けい’’さん wrote:>
>私は遠まわしな言い方や皮肉が伝わらず”人が何を言いたいか?”
>”何故遠まわしな言い方するのか?”が解りません。当然人から
>非難されます。
私もそうです。でも私は、健常者なのにそうなのです。(AS傾向はもちろんあります。)もう少し論理的に感情を交えずに理路整然と話してくれたら、どんなにいいかと思うこと良くあります。それでトラブルになったこといっぱいあります。
世間を渡ろうと思ったら、経験をつんで、変換機能を頭にいれるしかない様に思います。あと、その場限りで人が言うようなことは気にしないのが一番いいです。
ひま人さん wrote:
> そういうことではなく、超という接頭語を付けることによるインパクトの強化が、あまり多用し過ぎると逆に印象が薄れてしまうということ。
「凄い」「絶対」「懸命」「必死」等、安直に使われすぎて印象が薄れてしまった言葉は「超」以外にも少なからずある。
あつみさん個人が「超私的」という言葉を使ったことに対する批判的コメントなのか、強調の安売りが横行している一般的風潮に対する批判的コメントなのかが不明だったので、とりあえず「超××」という接頭語は半世紀以上前から一般に安売りされており、それに対する批判もあったということを指摘して、あつみさん個人を批判するには当たらない、ということを主張しておいた次第。
I wrote:
> なお、引用は『雑魚亭』(http://users.hoops.ne.jp/joshya/)、『言語教育論』の『「若者ことば」の合理性 』から。
>
> 最近、『雑魚亭』の掲示板が冷えぎみである。梃(てこ)入れも兼ねて登場。御免。
ひま人さん wrote:
> ここは本来ASをテーマに投稿する場ではないか。
自閉症スペクトラム障害児の言語習得過程は、普通の子供とはかなり異なったものであるらしい、ということが云われている。自閉症スペクトラム障害児には、いわゆる「赤ちゃん言葉」の段階が見られず、いきなり大人のような喋りかたをする例がしばしば見られる。
ここから、自閉症スペクトラム障害児においては、「母語としての言語の習得過程」ではなく、「第二言語(≒外国語)としての言語の習得過程」に関する知見が参考になるのではないか、と指摘する研究者が少なからずいる。
自閉症スペクトラム障害児が「難しい喋りかたをする」と云われるのは、「日本語の中の外国語」ともいうべき漢語や文語のほうが、定型的な文法に則っているぶんだけ構成的に(規則を敷衍することによって使用範囲を広げてゆくというやりかたで)身につけやすいからではないか、といった話は、うちの Maria が『アスペルガーの館の掲示板』で何度か話題にしている。
そんなわけで、多くの日本人にとっての母語である日本語を、いったん「外国語」、すなわち「外なる言語」として捉え、その文法や用法について、いったん「日本人としての感性」を横に置いて分析してみることは、自閉症スペクトラム障害児の言語指導において有効ではないだろうか、といったことを我々は考えている。
自閉くん自閉ちゃんの言語感覚には独特なものがあり、一般には「ヘンな日本語」として退けられがちだが、文法の点から見るならば、「過剰に文法的」であるがゆえに日常の用法を逸脱してしまったケースが数多く見られる。そんな訳でこの手の文法がらみの日本語ネタっつーのは自閉症スペクトラム障害児の健全(?)育成に役立つわけで、『アスペルガーの館の掲示板』の主旨から外れているとは必ずしも言えないのと思うのだよ。
なお、『雑魚亭』(http://users.hoops.ne.jp/joshya/)は発達障害相互支援ネットワークの公式ホームページでもあり、視覚障害者向け日本語処理システム(自動点訳システム等)の開発支援を含め、広く障害者のサポートを行なうべく日本語や日本語処理に関する情報提供を行なっておったりするのである。専門的な、あるいは研究的な話題に関してはこっちで議論を尽くす予定。
(Mr.Moto)
はじめまして。三歳の男と子のパパです。
2ヶ月前に、我が子はASと診断されました。幼稚園での彼の行動は、全く協調性がなく回りに迷惑をかけてばかり。園の先生のご理解があり、何とかこの半年やってこれました。しかし、秋の運動会練習に参加してみて思ったのですが、周囲に全く関心のない彼を一生懸命子供の輪の中に導こうとしている先生のご苦労を見ているとこのままで良いのか悩んでしまいました。また我が子のためにも、養護学校のような施設に入れた方がよいのか。それとも今の幼稚園で先生に協力していただき、このまま行かせるべきか。我が子のためには、どうしたら良いか悩んでおります。皆さんはどのようにASの子を育てられたか、教えて下さい。よろしくお願いいします。
「It's a good choice!」といえば、映画『I AM SAM』の主人公のサムさんが、スターバックスでお客さんによく言う口癖でしたが、最近とある駅のスタバのスタンドに通うようになって、私なりのIt's a good choiceを見つけました。
なんとスタバには、ハーブティがあったのです。しかも紅茶と混ざっていない・ハーブどうしのブレンドティです。甘味料になるステビアも入ってないので、一緒に売っているドーナッツとの相性がぴったりです。ティバックを使用しているので濃さを自分で調節できます。値段はSサイズが230円で、これにお菓子をつけると450円前後になります。
「何か今日はとんでもないことばかり起きて、パニック!」という時には、カモマイル・ブレンドがお薦め。「なんか風邪気味で、熱があるかも…」という時には、ミント・ブレンドがお薦めです。
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新しいアスペルガーの館の掲示板
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© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami