アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ぺんぺん wrote:
>わたしは田舎に住んでおり、近くに大きな書店もなく、相談できる人もなく、育児、家庭生活の悩みについては本で知識を得るしかありません。
>
>本の紹介はしてもらえるとありがたいのですが・・・。
紹介をしないのではなくて、適当な注意を添えておくつもりです。
遥さんとシロさんwrote:
>>そういうものを持ち寄り、検討し、読みこなす力を身につけていく勉強会。
>>こうもりさん、いかがですか。そういうことをしていく内に、確かに専門家
>>(特に、医師)による論文や著作は、良くも悪くも影響力なり権威があるか
>>ら、その内容に関して(部分的に)異議がある場合は、異議をきちんと申し
>>立てていくことができるのではないかな。時間がかかっても、そうしていけ
>>たら、いいな。せっかくわたしたち、発達障害の当事者なのだから!
>
>たしかに、「訂正」能を考えると「研究者」よりも「当事者」の方面からのが
>問題の発見がし易いように思えますね。
これも一つ考えてみる価値があるかもしれません。障害学の一分野とし
て。わたしなんかも情報倫理学観点から色々問題を考えているけど、発表
する機会ってないですからね。
わたしは田舎に住んでおり、近くに大きな書店もなく、相談できる人もなく、育児、家庭生活の悩みについては本で知識を得るしかありません。
本の紹介はしてもらえるとありがたいのですが・・・。
こうもり wrote:
> それも発達障害の世界に限ったことではないと思われるかもしれません
>が、そんな事情は知らないという人もいる訳ですから、いちおうの読み手
>への配慮は必要ではないでしょうか。
医学書だからと言って特別なことはないと言うのが私の考えなので、今後は書物全般に対して配慮するようにいたします。
そう言えば、わたしはここではあまり議論をせんことにするという約束
をしたことをすっかり忘れておったぞ。という訳でそろそろ話題を押さえ
気味にしておきます。
シュッツさん wrote:
>繰り返しになりますが、物理的に文献の手に入りやすさとか、読んで意味
>が分かるかどうかが区別されるだけであり、それらは読み手に左右される
>問題です。
読み手の問題として捉える場合も、読み手がどの程度問題を理解してい
るか,読み手が情報を冷静に判断できる精神状態にあるか,発達障害の世
界ならば読み手が問題を理解するのに何らかの困難を抱えていないか、と
言った点に情報を提供する側が配慮をする必要があるという点には変わり
がないと思います。
医学データだけを提示して、「わたしは安全だと思う」という風にやっ
てしまうと危険かもしれません。シュッツさんの場合はそうではないと思
っていますが、単に自分の意見をもっともらしくみせるために「科学的デ
ータ」で装いを凝らして理論武装するという手口はこの世界ではけっこう
使われます。(本当は学閥争いなのだが見かけ上は学術的な論争を装って
いる場合や、単に自説を弁護しているだけの場合もある)
それも発達障害の世界に限ったことではないと思われるかもしれません
が、そんな事情は知らないという人もいる訳ですから、いちおうの読み手
への配慮は必要ではないでしょうか。
ぺんぺんさん wrote:
>ご説明ありがとうございます。
>Halさんは電気店でもテレビ売場周辺には近づかないとのこと。
>わたしは音のせいかどうかわからないのですが
>テレビの付近は結界がはってあるような気がして
>なんだかイヤな感じです(笑)。
>テレビのそばには確かにいたくないです。
>それは電波のせいなのでしょうか。
>
>電磁波というのがありますよね。
>家の付近に高圧塔があり、近くの工場からは携帯も使えないほど
>電磁波が出ています。
>よくないような気がして
>ひそかに気にしています。
>だからといってどうにもできないのですが・・・。
そういえば、電磁波過敏症というのがあります。
http://www.gsn.jp/kabinsho.htm
自分は今まで健常者として生きてきた。
しかし、もし受診して発達障害と診断されたらどう行動するべきか?
さしあたり仕事の問題がある。自分に出来る仕事はあるのだろうか?
実際就労して能力の限界を思い知らされた。結果挫折。現在無職。
格別手に職があるわけでもなし、40歳という年齢から考えて今後生き
てゆくのは困難を極めそうだ。健常者として無理をして生きるより、
障害認定があったほうがある意味で有利かもしれない。
だが正式に障害者としての認定を受けることにはやはり抵抗が強い。
そのことは今までの親類縁者との関係などを崩壊させ、周囲の環境を
激変させることになるだろう。親も健常者として幾分過大に期待を持
っていただけに、最低限の生活もままならない可能性など想像できな
いだろう。ことによると、障害など認めないと言い張るかも知れない。
社会との接点で常に問題を抱えてきた原因は何か。
基本的障害は確かにあるかもしれないが、二次障害による社会経験の
学習不全とでも言うべき状態が尾を引いているような気がする。これ
が社会に対する自信の無さを裏付けて自己強化してしまっているみた
いだ。何とかならないか?しかし、根本原因が障害なら結局堂々めぐ
りになってしまう。
ここで、どこまで「頑張る」かという問題が浮かび上がる。
全く努力しないことはやはり間違っているが、かといってどこまでが
適正な努力なのか皆目見当が付かないのだ。障害に直接関係の無い努
力は必ずあると思うが、あらゆる能力に自信が持てなくなりがちで、
全てにおいて劣っているようかのように自分を捉えてしまう。
正式に診断が出ればそれなりに指針が得られるかといえば、どうだろう
?それもあまり期待は出来ない感じだ。第一、発達障害ではないと言わ
れたらまた状況は変わってしまう。それはそれで新たな問題となるが。
自分など健常者から見ればただ単に甘えているだけだと言われるだろう
が、はっきり言ってその意味が「さっぱりわからない」。
生きていて否応無く問題を抱えて悩んでいる以上、甘えている余裕などな
いというのが当事者の偽らざる実感なのだが。悩みに甘えた悩みとかそ
うでない悩みなどの区別があるのだろうか?
なぜ普通の人はそのようにしか考えられないのだろう?
世間のそうした反応が余計に壁を作っているような気がする。
由梨さん wrote:
>私も中学生の頃、バイオリン(4歳から18歳まで)と合唱(学校の合唱部で)をやっていました。
>音楽は私にとって空気のような存在でした。
>歌うのが三度の飯より好きで、その頃は音大の声楽科に進めたらなぁ…って思っていました。
>高校に入ってからも合唱部に入部しましたが、私は絶対音感のような感覚を持っているので、
>周りの微妙な音のズレが気持ち悪くて、耐えかねて退部してしまいました。
>私が何度も「今のはアルトが半音低かった」とか言っても、周りは気にも留めてくれませんでした。
>きっと皆は合唱をただ楽しみたかっただけなのでしょう…。
半音も違ったら気持ち悪いですよ〜同感ですっ!
全然違う和音になるし、頭の中で不協和音が響いてらしたのでしょう。
そういえば音楽教室のピアノが調音狂ってて「直して下さい」って言ったこともあるわ・・・
絶対音感がないと先生でも気がつかないそうで…(現役のピアノの先生に聞いた話です)
まわりのみんなが「楽しめたらいいや」で音楽に取り組まれるのはいっこうにかまわないんだけど
真剣にその道を考えているものには辛いこと、このうえなく…。
私も習うところを選ぶことは大切だってつくづく思います。
>そうですね〜。ただ、私は自己評価がとても低くて、情緒が不安定なので、
>親元を離れて一人暮らしするのは無理だと思いましたし、今も自信がありません。
>だまされやすい方だと思うし、何より就職して奨学金を返済することを考えると、
>今のご時世リスクが大きすぎると思うのですがいかがでしょうか?
どうしたらいいかなあ・・・・。
全くリスクなしではなかなか現状からの進歩は難しいと正直思うんですが…。
奨学金の返済方法もいろいろあったと思います。返済の延長、支払い方法の変更なども利息をきちんと払っていれば応じてもらえるかも。
多分、借りる時は親が保証人になるはずなので、このあたりも御両親と相談なさったら、としか今は言えません。ごめんなさい。
それと就職はできる限り雇用保険をかけてくれる所にしておけば、万が一の離職にも少しは対応できます。
それと「詐欺」はどんなものがあるのか、パターンを学ぶことで回避できるスキルは身につきますよ。
やみくもに恐れず、今どんな詐欺が流行っているのが、どんな手口があるのか、知っておくといいです。
テレビをご覧になるのなら、時々やってますよ。詐欺、だましの対策の講演などもあったはずです。インターネットも活用して…。
消費生活センターなどの相談窓口も調べておくといいと思います。
それと「世の中には楽でおいしい話はないもの」を知ること、営業売り込みには最初から否定的な見方で疑問を持って聞くこと、
はっきりノーを言う勇気を持つこと(これがとても難しいかもしれませんけど…)。
私はこれであらゆるセールスから家庭を守っております。
>>>こだわりが職業に結びつけばいいんですけどね。
>>
>>ぜひ、そのこだわりを職業にできますよう、祈っています。
>
>ありがとうございます。ただ、こだわりは趣味として育てていくことも空音さんのように、
>一つの賢い選択だと思うのです。
>好きなことを職業にしてる人っていうのは、自閉圏の人間以外でもかなり少数派
>なのではないでしょうか?
>でも、自閉圏の人間だからこそ、こだわりを職業にする必要があるのかもしれませんけどね。
自閉圏の人だからこそ「こだわり」を武器にできると思うんですよ。
ラッキーじゃないですか!強力な武器があるんですよ☆
それにチャンスは今が無理でもまだありますって♪
そういう私も「こだわり」の固まりなので諦めることはしていません(笑)
子どもたちが大きくなってからでも大学は行けますし。
(そのための努力はもちろんん必要ですが、「こだわり」のおかげで不思議なくらい頑張れるというか頑張りたくなるんです)
どんな学びにも年齢制限はありませんからね〜。
私の場合、音楽の「プロ」へのこだわりはそれほどないので(もちろん憧れはありますけどね)
音楽をずっとやっていける方法があればそれでいいと思っています。
自分の能力を生かしたいという欲求が強いのだけなのでボランティアとかいろいろあると思ってます。
由梨さんがどのようにこだわっていらっしゃるのかはわかりませんが、せっかくまだお若いのだし職業に出来たらいいなと思って書き込みました。
ヒントになるかどうかわかりませんが、うちの夫の話を出しますが…
夫はどうやら鉄道系ノンフィクション作家になるのが夢らしいんですけど(^^;)
インターネットのHPで自分の旅行記やら撮影した動画やらを公開することを夢を叶える方法として選んで、大変満足してるようです。
時々、私達妻子を置いてひとりで旅行へ行ってネタを仕込むんですよ(笑)
(もちろんお小遣いの範囲でやってくれてます)
(妻子は実家へ気兼ねなく里帰りしちゃいます♪)
だれでも世界に向けて自己表現ができる、良い時代になったって言ってました。
あなたにとって一番良い道が見つかるといいですね。
こうもり wrote:
> ただ、専門書の場合はその専門に関する資料の読み方が分からないと批
>判的に検討しにくいという点が一般向けの本とは異なります。
一見、専門書の特殊性がここにありそうにも見えますが、私はそれほど違いはないと思います。
分類するとすれば、意味が読み取れるものと読み取れないものの区別だと考えています。
これは読み手の知識などによって区別されるものであり、書き手による区別ではありません。
意味が読めなければ「分からない」で済んでしまうところを、下手に文章の意味が分かってしまうと、内容の吟味無しにそのまま受け入れてしまう危険があります。
> ええと、専門本でも一般本にしろ批判的に読むことは重要との立場なの
>で、この区別はそれほど重視する必要はないでしょう。
「一般本」は範囲が広すぎるので、一つの例として、障害とは関係のないありがちな人生の指南書のようなものを考えてみます。
その手の本は、比較的無批判に受け入れる傾向があるのではないかと思います。
その理由は、書き手の「人生経験」が権威として見られがちで、それに対抗することに気が引けること、批判的に読むための材料としての経験が読み手側にないために、批判的検討が難しいことなどが挙げられます。
そこで
>冷静な時に読めば批判的に検討でき
>る情報でも現在進行形で追い詰められている人が文字通り素直に受け取っ
>てしまうことは決してありえないことではありません。
ということが、そのまま当てはまります。
>特に医学は科学性
>が高いというイメージがあるため、医学の何たるかが分からない人でも納
>得させてしまうような魔力があります。
上記の「医学」または「科学」の部分を「人生経験」と読み替えれば、同様にそのまま当てはまってしまいます。
同じことは全ての書物に関して言えることで、例えば小説であっても、著者の主張したいことが小説に織り込まれている限り、主張内容に対して批判的検討ができるかどうかは、同様の問題だと言えます。
そのような考えで、私は「論文集」と名付けられた文献を挙げましたが、これが専門書だからどうだとか、専門書と一般書を区別するというつもりは一切ありません。
繰り返しになりますが、物理的に文献の手に入りやすさとか、読んで意味が分かるかどうかが区別されるだけであり、それらは読み手に左右される問題です。
>わたしなん
>かも文献学(要するに古典とされる哲学書,歴史書を読む)ならば多少は
>資料の扱いには慣れていますが、医学論文になってしまうと医療データを
>提示されても、その資料や研究方法に問題がないかどうかまでを判断する
>ことはできません。
#私個人としては、理系論文には慣れていますが、哲学書などは非常に難しいです。
菜の花さん wrote:
>仕事をしていない事を責めて書いたつもりはありません。ただ、そんな
>理解のない家族の中にいて頼らざるを得なくて、酷い言葉を浴びせられ
>ているとかえって酷くなると思って、本当に家の人といるしか可能性は
>ないのかなぁ、と思ってそう書きました。傷ついてしまっていたらゴメ
>ンナサイ。
>
>私もNoelさんの事を車の中で考えていましたが、遺産相続に関しては、
>自分の権利を放棄する必要はないと思います。多分、遺産相続の放棄書
>に署名捺印しない限り、自動的に平等に分配されるのではないでしょう
>か?それとも私の考えが甘いかしら。
(『晏氏春秋』より)
王様「お前は国が滅亡しそうになったらわしと一緒に死んでくれるか?」
家来「(キッパリと)いいえ、死にません。王様」
王様「なんじゃと!それはどうしてじゃ?」
家来「国が滅亡しそうにならないようにすることが臣下の勤めだからです。」
(変形バージョン)
女A「ねえ、もしあたしが辛い目に遭ったらあたしのために泣いてくれる?」
女B「いいえ、泣かないわ。」
女A「どうして!?」
女B「その前にあなたが辛い目に遭わないように努力するわ。」
こだわりについてのていねいでわかりやすい説明を
ありがとうございます。
わたしのこだわりは・・・おもちゃの缶詰がほしくて
かれこれ40年近くチョコボールを買い続けております(笑)。
当たったら買うのをやめるつもりが・・・。
月日がたつのって早いですね。
チョコボールはおいしいのでまあ、いいのですが・・・。
でも大学の時、金のエンゼルがでないなあと愚痴ったら笑われたなあ。
それがもう20年前だ〜。
kayo wrote:
>私も感じていますよ。大型テレビなんか超悲惨!!!
>頭を電子銃で撃たれている感じです。
そうなのですよね。物理的につらい感じです。
なぜだろう?
NHKは受信料を払わなくても見ることができるので
いろいろ難しいのでしょうね。
わたしはテレビも新聞もほとんど見ませんが
NHKはたまに見ます。
受信料は払い続けるつもりです(笑)。
シュッツ wrote:
><アスペルガー症候群/児童精神医学>論文集
>星和書店
ネットで本を注文しました。
読んでみます。ご紹介ありがとうございます。
拝啓 シロさん、こうもりさん 皆様。
遥です。
シロさん wrote:
>こうもりさん wrote:
>> ただ、専門書の場合はその専門に関する資料の読み方が分からないと批
>>判的に検討しにくいという点が一般向けの本とは異なります。わたしなん
>>かも文献学(要するに古典とされる哲学書,歴史書を読む)ならば多少は
>>資料の扱いには慣れていますが、医学論文になってしまうと医療データを
>>提示されても、その資料や研究方法に問題がないかどうかまでを判断する
>>ことはできません。
>当事者による、医学・心理学・教育系の論文を批判的に読む勉強会というのをして、それをネットに載せるというのはどうだろう。信頼関係のある専門家に教えてもらいながら。あるいは、こちらから正式に質問したり。
>
>当事者とひと口にいっても、様々な個人差があり(症状等の個人差もあるし、考え方の個人差もあるし、好みの違いもあるし、現在や過去に置かれた状況の個人差もある)、同じ専門論文を読んでも、感想は違うだろう。でも、各々、疑問を持ったり、違和感を持ったり、ここは理解できない!と思うところとか、「直感的に」あると思う。
>
>そういうものを持ち寄り、検討し、読みこなす力を身につけていく勉強会。こうもりさん、いかがですか。そういうことをしていく内に、確かに専門家(特に、医師)による論文や著作は、良くも悪くも影響力なり権威があるから、その内容に関して(部分的に)異議がある場合は、異議をきちんと申し立てていくことができるのではないかな。時間がかかっても、そうしていけたら、いいな。せっかくわたしたち、発達障害の当事者なのだから!
たしかに、「訂正」能を考えると「研究者」よりも「当事者」の方面からのが
問題の発見がし易いように思えますね。
「批判的」というか…「切り口を変えてみる」試み、賛成します。
これで分かることが増えるのは当事者にとっても研究者の立場からも
うれしいことと思います。
それでは、また。
遥 拝
はじめまして、ふにふにさん、シロです。
ふにふにさん wrote:
>もちろん腹が立つこともあります
>でもそんな時責めたりしないで
>私はこういわれたときにいやな気持ちだったこと
>ごめんって言って欲しいことを伝えます
>そこまで言う必要があるのかなーと思いながらそういってきたのですが
>(こんな付き合い方でよかったのか、間違ってたら教えてください)
読んでいると、お二人の友人としての関係はとても長く、とてもいいもの、大切なものなんだなーと感じられます。そういう基盤があるのだから、どういう風にいやな気持ちになったか、あるいは怒りを感じたか、はっきり伝えるのはとてもいいことだと思います。
なぜなら、わたしだったら、うれしいから。それはどうしてかというと、大抵そういうとき、自分では気づいていないからです。で、怒らせていたんだ!と驚く。教えてくれて、ありがとう、という気持ちになる。
但し、わたしがそう感じるのは、昨年、わたしがようやく、自分が自閉症スペクトラムだと気がついたからかもしれません。その上のことなので、その点だけは、ふにふにさんの友人の方について、その人がふにふにさんの言葉をどう受け取るだろう…と、ちょっとわたしには分かりません。でも、きちんと説明してくれるのは、何につけ、わたしの場合はうれしいです。わたしの友人がわたしにとって分かりやす順序をおって教えてくれると、わたしのことを理解してくれてるんだなーとうれしく思います。それに、素直に「悪かったな」と思います。
こうもりさん wrote:
> ただ、専門書の場合はその専門に関する資料の読み方が分からないと批
>判的に検討しにくいという点が一般向けの本とは異なります。わたしなん
>かも文献学(要するに古典とされる哲学書,歴史書を読む)ならば多少は
>資料の扱いには慣れていますが、医学論文になってしまうと医療データを
>提示されても、その資料や研究方法に問題がないかどうかまでを判断する
>ことはできません。
当事者による、医学・心理学・教育系の論文を批判的に読む勉強会というのをして、それをネットに載せるというのはどうだろう。信頼関係のある専門家に教えてもらいながら。あるいは、こちらから正式に質問したり。
当事者とひと口にいっても、様々な個人差があり(症状等の個人差もあるし、考え方の個人差もあるし、好みの違いもあるし、現在や過去に置かれた状況の個人差もある)、同じ専門論文を読んでも、感想は違うだろう。でも、各々、疑問を持ったり、違和感を持ったり、ここは理解できない!と思うところとか、「直感的に」あると思う。
そういうものを持ち寄り、検討し、読みこなす力を身につけていく勉強会。こうもりさん、いかがですか。そういうことをしていく内に、確かに専門家(特に、医師)による論文や著作は、良くも悪くも影響力なり権威があるから、その内容に関して(部分的に)異議がある場合は、異議をきちんと申し立てていくことができるのではないかな。時間がかかっても、そうしていけたら、いいな。せっかくわたしたち、発達障害の当事者なのだから!
ぺんぺん wrote:
>SSRIはアスペルガー症候群の持つこだわりを軽減してくれるそうです。社会生活に不適応を起こすほどこだわりが強いなら有効かもしれません。
この点についてちょっと補足的な説明をしておきます。
『こだわり』という行動には、『プラス』のものと『マイナス』のものがあります。例えば『A君は毎日遅刻せずに朝教室へやってきて、朝自習に取り組んでいる』といえば、それは大多数の人が『プラスのこだわり』と認め、『P子ちゃんは、夕食が7時までにできないと、激しく泣きじゃくる』といえば、『マイナスのこだわり』と思うでしょう。
ある意味で『こだわり』というのは、『幸せを作るために、注意を一つの方向へ向ける行動』であると思います。A君は、『将来は、理工系の大学を出て、宇宙で仕事をしたい!』と苦手な数学の問題を一心不乱に解いていたのかもしれません。
ところが、その注意が『不適切な方向』にそれてしまうと困ったことになってしまいます。P子ちゃんの場合、『夕飯が7時でない→お母さんに抗議しよう→泣く』というふうに、『お母さんを困らせてしまうほう』に注意が向いてしまっています。その前に、お味噌汁に入れるジャガイモを刻んだり、ご飯を家族の人数分よそうなどお母さんの『お手伝い』をすれば、望みどうりに『7時にご飯』が実現したかもしれませんね…
また『自分を良い方へ・善い方向へ…気持ちいいほうへ』と、その方法が自他に害になったり・社会の常識に反したり・年齢相応でないにもかかわらずのめりこむのも、『何かを守りたい』と思うあまり、過度に緊張しつづけるのも、『注意のバランス』が崩れてしまっているといえます。
このような『注意が幸福を満たす方向』へ行かず、『空回りしている・アンバランスな状態』が続くこと…すなわち『マイナスのこだわり』が激しくなり、それがその人本人やその周囲の人を『ヘキヘキ』させるようになってしまったのが、『強迫神経症』あるいは『強迫性障害』という状態です。英語の頭文字で『OCD』とも、呼ばれています。典型的なのには『どうしても、手にばい菌がいるような気がして、手が荒れるのもかまわず何度も洗う』とか『どうしても、ガスの元栓を締めてなくって、家が火事になってしまうのではという気がして、会社につきそうなときに家へ引き返してしまい、遅刻ばかりでくびになった…』というのがあり、またマーラーという作曲家が『ベートーベンは第九を書いた直後に亡くなった…僕も第九交響曲を書くと死ぬのかも…』と恐れ『第九』という名がつくシンフォニーを書かなかったというのにも、多くの引きこもりの若者が『友達が欲しい…けどイジメが怖い』と悩みつづけるのにも、『神戸の少年A』が殺猫にのめりこんで最後には1人の小学生の命を奪ってしまったという事件にも、『OCD』の影が見えます。
#実はASの人にSSRIが処方されるのは、この『OCD』の緩和のためなのです。SSRIには、脳内で『注意力の配分のための神経系』に関わっているとされる『セロトニン』という物質が不足しないように調節するという作用があります。
『注意の配分のための神経系』は、『前頭葉』を幹部役員、『線条体』『淡蒼球』『黒質』を中間管理職、『視床』を平社員とした会社の『指揮系統』にたとえることができます。『セロトニン』はこれがきちんと機能しているか目を光らしている『監査役』と見ることができます。普通の人では、この監査役が適切な人数置かれているので、会社の業績すなわち『注意の配分』はきちんと善い方向へ回っていきます。強迫神経症の人は、監査役のセロトニンがいなくなってしまうために、幹部職の前頭葉がすっかりワンマンになってしまい、中間管理職の線条体・黒質・淡蒼球はそれに対してイエスマン状態で、平社員の視床は上役からのノルマの達成に大忙しという悪循環で、業績の『注意の配分』は悪化の一途をたどるという状態になっています。SSRIは、『公的な監査の任命権者』といったところでしょうか…
初めて書き込みします。
私には今、中3の息子がいます。(アスペルガー症候群かもしれません)
この子は今、困っていることがあります。
それは、緊張するとくすくす笑いをすることです。
くすくす笑いを止める方法はありませんか。
教えていただけないでしょうか。
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