アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
pocks wrote:
>盲人には色彩に関する知識はありえても虹を見て感動を受けることはない、
>という意味では、我々自閉者の心は「欠けて」いますが、身体や感覚が
>不自由な人が心まで不自由になったり性格が歪んだりするわけではないのと
>同様の意味では、我々の心に欠けたところがあるわけではありません。
言葉の問題でしょうがわたしはやはり共感という部分の欠けた心は
どこかこの世では居心地が悪いと感じます。
それをわたしは共感性を持つ人と比べれば
欠けていると表現します。
けれど欠けたは欠けたなりに
できる努力をして
見るべきものを見るつもりでいます。
わたしは性格のゆがみを言ったつもりはありません。
性格のゆがみは心の悪意ともつながる表現だとわたしは感じます。
できることとできないことはあるけれど
できる努力をしてこの世に何かの感謝の気持ちを
持つことができれば
それでいいのではないかと思っています。
ぺんぺんさん wrote:
>pocks wrote:
>>自閉的論理は非自閉者の論理のサブセット(部分集合)なので、
>普通の人の心を球とするならば
>欠けた部分がある心はきっとでこぼこなのでしょう。
詩的な書き込みありがとうございます。
ところで、私のいいたかったことがうまく伝わってないような気もします
ので、少し補足させて下さい。
盲人には色彩に関する知識はありえても虹を見て感動を受けることはない、
という意味では、我々自閉者の心は「欠けて」いますが、身体や感覚が
不自由な人が心まで不自由になったり性格が歪んだりするわけではないのと
同様の意味では、我々の心に欠けたところがあるわけではありません。
khthesさん wrote:
>アスペルガーの診断基準のなかに、
>
>2 没入的で狭い興味・関心(次のうち少なくとも一つ)
>a ほかの活動を受けつけない
>b 固執を繰り返す
>c 固定的で無目的な傾向
>
>という項目があるそうですが、
>わたしにはそれに該当するような心当たりがありません。
>
>それで腑に落ちずに多少困惑しているのですが、
>この項目に該当しないアスペルガーの人というのは存在するのでしょうか?
この診断基準はおそらく幼児期のAS児の特徴が記されており、必ずしも
ある程度まで発達したASからはその特徴が目立たなくなっているかもしれ
ないというのが可能性の1つ。そもそも診断した医師が診断マニュアル以外
の基準で診断をしたかもしれないというのも可能性の1つ。とりあえず、社
会性の障害のみに焦点を絞って診断をつけたかもしれないというのも可能性
の1つ。自閉の特徴は意外に自分では気がつきにくいというのも可能性の1つ
です。
一番いいのは診断を下した医師に確認してみることだと思います。
ぺんぺん wrote:
>普通の人の心を球とするならば
>欠けた部分がある心はきっとでこぼこなのでしょう。
>普通の人でも心に傷を負うことはあるけれど
>最初からどこかが欠けているゆがんだ真珠のような心。
ペンペンさん、お久しぶりです。
最近は不眠症がひどくなってPCゲームにもはまって自己嫌悪の菜の花です。
私は人の心は皆球だとず〜っと思っています。
輝く部分や影の部分も地球と同じで半分ずつだと思っています。
だから明るい部分が見えても、その反対でも、同じ球だと思うのです。
地球と違うのは影の出来方。
影の方が見えるくらいの人の方が、輝く内面を持っているように思えます。
でこぼこでも、ゆがんでもいないと信じています。
バロックは好きです。音が規則的に動くので心地良いです。
失礼つかまつります。
「没入的で狭い興味・関心がある」という診断項目に該当しない有所見者はやっぱりいるんじゃないでしょうか?
他の診断項目が条件を満たしていればASの有所見者とみなされるので、間違いはないと思います。
saika さん。遅くなりましたが、レス、大変ありがとうございました。
うれしかったです。
ところでみなさんに質問なのですが、
アスペルガーの診断基準のなかに、
2 没入的で狭い興味・関心(次のうち少なくとも一つ)
a ほかの活動を受けつけない
b 固執を繰り返す
c 固定的で無目的な傾向
という項目があるそうですが、
わたしにはそれに該当するような心当たりがありません。
それで腑に落ちずに多少困惑しているのですが、
この項目に該当しないアスペルガーの人というのは存在するのでしょうか?
医師にはアスペルガーだと伝えられていますので、
どう捉えていいのやら分かりかねます。
ご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教授頂けたら幸いです。
こんばんは。グルンサです。
I wrote:
>> ご自分(=息子さん)の障害特性を知って、その上でどう障害と付き合うか…これはとても大切なことと思います。
saikaさん wrote:
>補足させていただきたいのですが、私はASではありません。
>健常者です。
↑わたしのコメントについて、「息子さんの障害特性を知って…」の意味で書いたのですが、ちょっと回りくどかったかもしれませんね。失礼しました。
末期がんになってしまった父が、危篤になって個室入りし、先週は一日おきに父の病室へ泊り込んで付き添いをやりました。昨日も夕方家を出て病室へ泊り込み、今日の20:30ごろ家に戻りました。
もう言葉も全く話さない状態で、動脈血酸素飽和度も今朝一時的に75まで落ちてから、ほとんど80代をさまよっていて、目の動きも止まり、手足はむくみ自発的に動かさず、まるで熱中症になってしまったすずめの若鳥みたいに息だけが生きている全てという感じです。
今日は叔母→妹と付き添いのリレーです。私はとても疲れているし、明日何が起きてもおかしくないので、それに備えるということで、そろそろ休みます。
それにしても、結局自分のこれからについて、明るいビジョンを話せないままに終わったのが口惜しい。一日一つ何か良い事を作っていくことが、一番の供養なのかもと身構えているのですが、動き出せない自分に腹が立ちます。
pocks wrote:
>我々には我々の論理があります。幸か不幸か、自閉的論理は非自閉者の
>論理のサブセット(部分集合)なので、我々にない部分を理解させようと
>するとほとんど徒労に終わりますが、我々のレベルに下りて説明すれば
>かなり良く通じます。
普通の人の心を球とするならば
欠けた部分がある心はきっとでこぼこなのでしょう。
普通の人でも心に傷を負うことはあるけれど
最初からどこかが欠けているゆがんだ真珠のような心。
バロックですね。
それでもどこかいいところがあるのかな。
捜しています。
必死に・・・。
自分と子供のいいところを・・・。
こうもり さんwrote:
こんにちは。いつもレスありがとうございます。
長文失礼いたします。
> 昔、ボランティア先の講演会である作業療法の専門家が親御さん向け
>にこんなことを言っていました。「専門家と親御さんでは障害のある子
>供に対する関わり方は違います。専門家は間違った関わり方をしてはい
>けませんが、親御さんは間違っていてもいいからお子さんにどんどん関
>わって色々なことを試していってください。」と。
>
> 考えてみると、わたしの母親はAS概念がほとんど普及していない時
>代にわたしを育てた訳ですが、今の発達障害支援の常識からは考えられ
>ないような非常識なやり方を山のようにやってきています。ところが、
そうですね。じつは私の現在の夫も作業療法士ですが、
専門家でもASはこれまでに対応したことが無いということで
現在勉強中という感じですね。
それと、やはり仕事とプライベートでは感情の入り方が違うので
自分の中でコントロールするのが難しいようです。
知識はあっても、行動がそのように上手く出来ないということはありますが
日々努力して理解に努めようとしています。
人間は一生努力、勉強だと私の母がよく言っておりますが
本当にそうだと思っています。
私も自分が子供に対して正しい対応ができているか?と問われたら
出来ていない方が大きいだろうと感じたりします。
自分が産んだ責任上、親として。。と情熱を持って
この子をどうにかして健常者の中で生きていける力をつけさせて
あげなくては!なんて、ヘンに気合が入ると厳しくせざるを
得なくなってしまったりしますね。
私たち親はいずれ子どもよりも先に死んでいく運命にありますから、
自分が死ぬまでになんとかして、社会に出て自分の力で
食べていけるようになってほしい、人との交流や一般常識をきちんと
認識した人間になって欲しいと願うばかりに
子供とぶつかり合ったり、障害と戦ったり。。。
自分を知って、周りの方に自分にはこういう特徴があるので。。と
理解を求めることは、社会に出て円満な人間関係を築く上では
大切な事だなと私は思ったりしています。
実際に、これまでに私たち親子が初対面の方とご挨拶するときは、
私は必ず、うちの息子がASであることをつげ、
もしもパニックを起こしたり、その方の目から見ておかしな行動、
言動をしたときには障害のために起こっていることだと理解してほしいと
前もってお願いしています。
前もって告げておく事でトラブル回避を図っています。
ただ、一方的にこちらの事ばかりを理解してほしい、我慢してほしいと
話しただけでは、相手の方に強いプレッシャーやストレスを
与えるだけですから、こちらも息子に人と仲良くしていくには
相手にばかりお願いしないで自分も努力しないといけないことが
あることは教え続け、それが「分かり合おうとすること」「思いやり」という
精神だと話しています。
しかし、これまでは私が補足して伝えてきましたが、
この先、息子が私と同じように自分の事を周囲の人々に説明して
理解を求めていくという行動が出来るだろうか?と、
ふと心配になったりします。もしも、私がこれまでしてきた事が
息子にとって難しい行動であるならば、息子にも出来る自分の
伝え方を一緒に考えてあげないとならないと思っているからです。
>わたしが「正しい育て方をされた」AS児に比べて発達が大幅に遅れて
>しまったということはなく、むしろその逆だと言われています。診断を
>した医師から言われた言葉は「とにかく母親が積極的に問題と向き合っ
>てあなたに関わってきたのがよかったのだ」とのことでした。
こうもりさんとお話をしていると、私も本当にこうもりさんが
ASをお持ちなのかな?と思う事があります。
こうもりさんは、ご自分をよく知っておられますし、
また相手に説明するということも大変たけておられるとお察しします。
これは、こうもりさんご自身の努力にもよられると思いますし
親御さんの努力もあるかと思われます。
うちの息子もこうもりさんのようにしっかりとした大人になれたらと
ふと期待してしまうことがありますね。(^^ゞ
> 多少間違いがあっても障害を抱える子供と積極的に関わる両親(片親
>だけだと限界がある)がいること、このことはとても大切です。正直な
>話、今正しいとされている支援方法や育児方法も間違っていたと言われ
>る時代は必ず来ると思います。でも、積極的に関わっていくことの大切
>さだけは変わらないでしょう。
私は今の方法がすべて正しいとは思えない部分があります。
たとえば、専門家の医師であるという方にカウンセリングをお願いして
お話していても、え〜〜????っと疑問に思うアドバイスもありますし
実際に対応してくださっているところを見ても、
その方法じゃぁ。。。と納得できないで帰ってくるときもあったりしたのです。
「障害を治療するという考え方の医師」と「障害と上手く付き合っていくという
考え方の医師」とではアドバイスの内容が全く違いますね。
私は、後者の医師のように「障害と上手く付き合っていく方法」を
息子には教えたいと思っています。
「だってしょうがないじゃない」と諦めるのではなく
「自分にはこういう特徴があるから。。。」と自分で相手に伝えたり、
「自分がこういう状態になってきたときは。。。」など、
自分で自分をコントロールできる力をつけてほしいなと期待しています。
そういう人になってもらうためには、
まずは私自身がもっと
子供の状態を知ってあげること、よい相談相手、アドバイサーに
なることも必要だと思って勉強しています。
このため、こうもりさんはじめ、ご自分をよくご存知になられ
社会に対応しようと努力されている方々のお話は参考になり
ありがたく思っております。
また、よろしくお願いいたします
過去 さんwrote:
正直申しまして、そういったご意見は私にとりましても侵害です。
私は本当にASを持つ人々がどういった考えをもって生きておられるのか?
それを知りたくてこちらにお邪魔しています。
おもしろがっているとか、自分の思ったとおりの答えがこないとか
理解しようとする振りをしているだけとか
そのように決め付けておられますが大変不服に思い立腹いたします。
私の子供は今やっと中学生になり自分の事を少しずつ語ることが
出来始めたくらいの程度ですから、
今までとは違う接し方をしてあげなくてはならないと思っております。
また、自分の対応が果たして息子、およびASを持つ人にとって
正しい対応なのかどうか?それが手探りでわからない状況に
あるがために、当事者の方にお話をお聞きして参考にさせて
いただきたいと心底感じこちらにはお邪魔しました。
正直申しまして、こちらにお邪魔するようになって
私の知り得ない皆さんの反応とか、いただいたお返事に
どうお返事さしあげたらよいか?など
大変戸惑ってしまう部分も多々ございます。
私も生身の人間ですし正直申しましてASを完全に理解している
わけではないですから、私だけの考えで対応させていただいては
かえって間違った行動をとってしまうのではないか?
そういった不安もあります。
逆をとらえまして申せば、ASを完全に理解していれば
あちこちで相談したり聞いたりして歩いたりはしないわけです。
偏った考え方や意見を言ってはいけないと思うからこそ
違う場所で私はどうしたらいいのだろう?と
相談したまでで、それは決しておもしろがっているわけではなく
中傷でもありません。
正しい理解と対応のためであるとご理解いただきたいと思います。
実際に他で私が相談したことによって、
他の方々がいろんなアドバイスをしてくださったり
ASを持つ方を理解するためにレスをせずとも参考にしてくださる方々も
多くいらっしゃり、私自身多くの方々がコミュニケーションの
取り方について悩んでおられるのだと痛感しているところです。
そんな中、私としましてもASという独特の世界をお持ちの方々と
常識という名を普通と考えている人々の認識の相違は
どこから起こるのか?夢の中でまで考えているくらいです。
こちらに投稿させていただき、レスをいただいたときは
私の一方的な質問に対して皆さんが話して下さる事を
大変幸運に思い、出来うる限りみなさんに理解していただける言葉使いをと
心がけ、お一人お一人に丁寧に対応させていただいておりますし
みなさんに負担をおかけしない程度で、私のなかにある
疑問や不安を少しでも解決の方向にもっていくことができましたら
この場をさらせていただきましょうと自分自身で思っております。
こちらで皆さんの声をお聞きすることは過去さんはいけないことと
思われるのでしょうか?
理解しようと語り合った時に、戸惑ったり悩んだりして人に相談を
する事はいけないことでしょうか?
このところ、たくさんのレスをつけておりますので、
たくさんの発言をしてのさばっているように見えてしまうかもしれませんが
それらの発言は私の疑問や質問に対して丁寧にレスをつけて
くださる皆さんに対してのお返事がほとんどのはずです。
私は皆さんのご好意に対して、一気にまとめてお返事するなど
とても失礼と思い、お一人お一人にレスをつけさせていただくことで
多くの発言をしているように見えてしまうだけと思います。
過去さんのように、私の存在がご迷惑と思われておられる方が
おられましたら、私の質問にはお答えいただけいないと思います。
しかし、私の質問に答えてくださる方がいらっしゃる以上は
そのご好意をないがしろにしてはいけないと思ってお返事させて
いただいております。
>ASの本質にふれると、「障害とわがままはどう違うの」と
>いうような発言はいかがなものか。
私の息子に関してもうしませば、障害のためのパニックだと
思って許していた事がじつはそうではなくわがままの部類に
入るのではないか?と思われる場面があったりします。
息子が進学する際に学校で言われたことですが、
「自分の子は誰でも可愛い、可愛いからこそついつい
甘やかしてしまったりすることもあるけれど、子供はいつまでも
温室の中で育てているわけにはいかないし、社会に出たら
そう甘い事を言って守ってはやれなくなる。だからこそ
時には厳しさも必要になるのではないですか?」という言葉を
もらいました。
障害児だから。。と言って守ってやる事、何でも許してあげてしまうことが
果たして子供本人にとってすべてが良い事になるか?と言えば
親が甘やかしてしまったことによって自立できたろう子供が
自立できないということも出てくるのではないかな?と私は感じます。
そしてまた、障害を持っていてもわがままを言いましょう。
その、障害のために理解できない、行動できないことと
なんとか頑張れば身につけることが出来るのではないかと思われる
レベルのことを「できない!」とはじめから決め付けやってみようとしない
事には多くの差があると思うのです。
親もまたその子にとって障害によって理解できない、行動できない事なのか
もしくは何らかの理由によってしようとしないわがままなのかを
見極めてあげれる目を備えることが大切なのではないか?と思います。
障害を持つ子の親は往々にして子どもが哀れに思えてしまい
健常な子を育てる親に比べまして甘いです。
通常、IQが60以上ある子供は障害を持っていても
努力次第で自立する努力を望めるものと診断が出ます。
本当に、頑張り方、育て方次第でなんとか自分の力で
生きていけるだけにしてあげれるのであれば
どんなに苦労であろうとも前向きにいろんな方のお話を
参考にし創意工夫しながら開拓していく努力も必要では?と思います。
長文になりましたが、私は決してASの方々を軽蔑したり偏見の目で
見るということは一切ございませんことをはっきり過去さんに
申し上げさせていただきたいと抗議いたします!
脚本家 wrote:
>>あれ??
>>人違いかなあ?
>>昔おそろしくしょうもないつっこみを入れてきた人がいたんだけどなあ?
>
>(ト書き)とコメントながら、PCの前で歯ぎしりをして悔しがる
脚本家!てめー、あ、いや、君の感性はすばらしく普通人に近いものがあります。
驚きだ。
でもちょっと惜しいですね。
今回の場合は相手が異性だったということを考慮してみましょう。
よりレベルの高い普通人に近づけますよ。
見込み有りますよ。がんばりましょう。
>あれ??
>人違いかなあ?
>昔おそろしくしょうもないつっこみを入れてきた人がいたんだけどなあ?
(ト書き)とコメントながら、PCの前で歯ぎしりをして悔しがる
グルンサさんwrote:
こんにちは。レスありがとうございます。
> ご自分(=息子さん)の障害特性を知って、その上でどう障害と付き合うか…これはとても大切なことと思います。
補足させていただきたいのですが、私はASではありません。
健常者です。
もっとも障害を持っている子供を育てていると、母親が子供に同調してしまい
母親自身も障害があるがのごとく行動してしまうようになることが
あるという話を聞いたことがあります。
親子関係がゆがんでしまうということですね。
> saikaさんの意図からは外れるかもしれませんが、以前本で読んだ事から(ちなみに、カナータイプでの例になりますが)。
>
> あるインタビュアーが、当事者本人(以下Aくん)に「将来の夢は?」と聞いたら、そのAくん、「?」とわからなかった様子。
> インタビュアーが「今の表現では、この子(=Aくん)に伝わらない」と察して、再度Aくんに「将来、何になりたい?」と聞いたら、「○○○(←具体的な職業名は忘れてしまいました。すみません)になりたい」との答が返ってきたとのこと。
>
> こんなふうに、内容は同じでも表現を変えてみるとか、もしくは、短く区切ってゆっくり話すとか(わたしは上司に対しての確認の時に、このやり方を使います)、何かしら策はあると思います。
うちの息子の特徴として、人の話を難しく受け止めようとしてしまう部分がありますね。
相手の話をストレートに聞き入れたら理解できるであろうことを、掘り下げて
もっと難しくしてしまったり、難しい言い回しをしてしまうんです。
また、相手の声の調子や表情に左右されやすく、
たとえば男性が低い声で話すとその低さが耳ざわりになってしまい
それだけで話の内容を理解するどころか、声を聞いているだけで
イライラしてしまい攻撃的に相手をなじってしまったりすることがありますね。
ちなみに、先日父親が低い声の調子や強い口調で話しましたら
とてもイライラしてしまって攻撃的になったのですが、
ちょっと間を空けて、裏声を使って高い声でやさしく女性言葉で話ましたら
即座に素直に対応してきたので驚きました。
こういった具合で我が家では只今模索中といったところでしょうか。
ありがとうございました。
グルンサです。
saikaさん wrote:
>グルンサさんはメモを取るように心がけていらっしゃるのですか?
>お相手の話を理解するためにいろいろと工夫されているのですね。
わたしがメモを取るようにしているのは、主に仕事上でのことと、会議でのことが多いですね(レジュメや資料等がある場合は、それにどんどん書き足します)。
一度聞いて、また後になって同じことを何度も聞き返す、ということをなるべく避けるための策という形でやっています(何度も同じ事を聞き返すと、嫌がられるネタになりますし、実際、過去にありました)。
もっとも、それをやっても別のところがわからないということが出てくるときもありますので、その際は「ここまではわかったけど、その先がわからない」という形で、聞いたりしています(もっとも、そこまで持っていくのに、また難渋する時もありますが)。
>医師が息子にアドバイスをしてくださってから
>中学生になって自己に目覚めてきた段階の今から
>少しずつ工夫をすることを覚えていってもらいたいな。。と
>感じているところです。
ご自分(=息子さん)の障害特性を知って、その上でどう障害と付き合うか…これはとても大切なことと思います。
いろいろ試してみながら、ベストまたはベターと思う方法を探してみてください。
>息子が理解しやすい方法で説明してあげるには
>どうしたらいいのかな?といつも思っていましたので
saikaさんの意図からは外れるかもしれませんが、以前本で読んだ事から(ちなみに、カナータイプでの例になりますが)。
あるインタビュアーが、当事者本人(以下Aくん)に「将来の夢は?」と聞いたら、そのAくん、「?」とわからなかった様子。
インタビュアーが「今の表現では、この子(=Aくん)に伝わらない」と察して、再度Aくんに「将来、何になりたい?」と聞いたら、「○○○(←具体的な職業名は忘れてしまいました。すみません)になりたい」との答が返ってきたとのこと。
こんなふうに、内容は同じでも表現を変えてみるとか、もしくは、短く区切ってゆっくり話すとか(わたしは上司に対しての確認の時に、このやり方を使います)、何かしら策はあると思います。
また、くれぐれもあせらず、せっつかずに、じっくり向かい合って下さいね(お母様として、いろいろ大変なこともあるかと思いますが)。それでは。
遅くなりました。こうもりです。
saikaさん wrote:
>今の息子をまんまのまま受け入れながら
>少しずつ前に進ませてあげる方法ですね。
>それをどんどん親の方がまず会得しないといけないのかなと感じています。
>
>父親と語り合ったあと、父親が「つまり北風と太陽だね」と言っていましたが
>まさにそれかもしれませんね。
昔、ボランティア先の講演会である作業療法の専門家が親御さん向け
にこんなことを言っていました。「専門家と親御さんでは障害のある子
供に対する関わり方は違います。専門家は間違った関わり方をしてはい
けませんが、親御さんは間違っていてもいいからお子さんにどんどん関
わって色々なことを試していってください。」と。
考えてみると、わたしの母親はAS概念がほとんど普及していない時
代にわたしを育てた訳ですが、今の発達障害支援の常識からは考えられ
ないような非常識なやり方を山のようにやってきています。ところが、
わたしが「正しい育て方をされた」AS児に比べて発達が大幅に遅れて
しまったということはなく、むしろその逆だと言われています。診断を
した医師から言われた言葉は「とにかく母親が積極的に問題と向き合っ
てあなたに関わってきたのがよかったのだ」とのことでした。
多少間違いがあっても障害を抱える子供と積極的に関わる両親(片親
だけだと限界がある)がいること、このことはとても大切です。正直な
話、今正しいとされている支援方法や育児方法も間違っていたと言われ
る時代は必ず来ると思います。でも、積極的に関わっていくことの大切
さだけは変わらないでしょう。では
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