アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
空音さん wrote:
レスありがとうございます。
>自分も二人の子どもを育てているので、育児の苦労はわかります。
>よけいなおせっかいだったかもですね(^_^;)
はい、ありがとうございます。ついでに今三人目がおなかに入ってます。汗
>それとSaikaさんのご質問への私の書き込みですが
>専門医より正式にアスペルガー症候群であるとの確定診断を今日いただいたので
>AS診断済大人(子持ち主婦)の意見として参考にしていただけると幸いです。
>教育環境がかなり特殊ですが(^_^;)なにかお力になれるといいですね。
ありがとうございます。参考にさせていただきたいと思います。
みなさんと語っているうちに、少しずつわかってきたことが
増えてきたように感じています。
それを実際にフルに実行できるようになるまでに
至るかどうかは別の問題かもしれませんが。。
いつもご協力ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
saika wrote:
>人が泣いていたり、悲しんでいるとき
>相手の気持ちがよくわからないとしても
>こういうときは、人は悲しいものらしいのだと
>パターン的に覚えて
>『悲しそうな振り』だけはしてあげてください。
非自閉流の感情表出ができないのは自閉症の障害の中核です。
たとえば自分の中では「悲しければどんちゃん騒ぎ」という連鎖になって
いたりすることもあるわけです。ですから「悲しそうな振り」と言われても
理解できるとは限りません。一挙手一投足を、本人の「悲しみ」表出法に
当たる行為はこれだという解説付きで、細かく具体的に教えてもらわなければ
多くの自閉者は振りすらしかねて途方に暮れるだけでしょう。
もちろん、教えてもらってもできるとは限りませんし、あえてやっても
わざとらしいという非難が来ればいいほうかもしれません。
また、本人流の表出法もあるわけです。たとえば、悲しみなどの強い感情を
リセットするために、常同行動を強化するのは多くの自閉者が採用している
戦略です。ただし、そうした事情を非自閉者に適切に説明できる自閉者は
希ですが。
互いに歩み寄る気持ち思いやる気持ち、気遣おうという意欲があっても
どうしたら良いか見えなかったりするために、非自閉流の気遣いが
できないのが自閉症です。
やれば出来るんだから頑張れ!、と我々を励ましていただく非自閉者の方が
多く、あなたにもそのような香りがしますが、それは盲人に見ることを
強要するようなものだということをご理解いただきたいと思います。
私のページのこのへん、参考にしていただければ幸いです。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kikyo/1632/socialskill.htm
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kikyo/1632/esse10.htm
いうなれば
わたくしは 何者であるか
なにものであるか
なにものであるか
これほどまでに 愚かで
多重性をもった わたくしは
なにものであるか
なにものであるか
なにものであるか
おまえは なにものであるか
POLINECIA wrote:
>kotobuさん wrote:
>>POLINECIAくん
>>君もなかなかいいこと言うようになったじゃないか
>>私に悪態ついてたころとは見違えるようだよ
>
>誰だっけ?
あれ??
人違いかなあ?
昔おそろしくしょうもないつっこみを入れてきた人がいたんだけどなあ?
こうもりさん wrote:
> たぶんヘーゲルですぞ<POLINECIAの姉御
「美しいPOLINECIAお姉様」とお・呼・び
POLINECIAさん wrote:
> どこぞでこんな話を聞いたことがある。
>「権利は人間関係に対立を持ちこむ」と(誰だったか思いだせん)
たぶんヘーゲルですぞ<POLINECIAの姉御
自助グループに関わっている身としてはちょっと面白い。
POLINECIAさん wrote:
> ところが、俺の経験から言うと、
>ピア・カウンセリングや自助グループの活動を経験すると、
>本来折り合いをつけなければならない相手(敵)との関係はむしろ悪化する。
>似たような価値感を持った連中が多いんで、
>自分の座布団を自分で引き剥がすような自浄機能を持てなくなる場合も多い。
自助グループ,ピア・カウンセリングの目的って分かりにくいですよね。
本来は類似した問題を抱える人同士の憩いの場のような形ではじまったらし
いのですが、支援組織主催の場合は社会参加のためのステップという位置付
けがなされます。ピア・カウンセリングそのものが目的なのか、あくまで問
題解決のための手段なのかは意見が分かれるところです。ただ、社会に適応
しにくい人を適応しやすいように改造するということが、本人の意志と無関
係に行われていたとしたら、ちょっと問題だと思います。
次の次元の問題として、それを支援目的で行うべきか否かというのがあり
そうです。ピア・カウンセリング自体は必要だと考える人でも、それを支援
の一環として行うことには反対という人もいます。つまり、純粋に懇親が目
的であり、それ以外の目的にはなじまないという考え方です。これについて
のわたしの意見は段階説です。つまり、問題の当事者(この場合の当事者は
育児の当事者,本人と関わる当事者という意味でもよい)が自分で集まりを
開けるようになっていれば支援の一環として行う必要はなく、自力で集まり
を開ける状態になければ支援の一環として開くのもまた可なりという感じで
す。
ちなみにわたしが持っている問題意識は次のようなもの。ピア・カウンセ
リング,自助グループというのは基本的には「似た者同士がいい」という発
想なんです。これって「異質なものを排除する」という社会病理とちょっと
だけ似通ってしまうんですよね。自閉発想で言えば、「時と場所さえきちん
と決めておけばそれでいいやん。」という世界なのですが、他に居場所を持
てていない人にとっては有害になる場合もあると思います。
とりあえず、POLIさんの言う「自分の座布団を引き剥がすような点検
」をちょっとだけやってみました。では
saikaさん wrote:
>A 相手の表情やジェスチャーを注目しますか?
>
>B 話の内容に注目しますか?
接客業をやっているせいか、両方に注目します。
>2.相手の話を聞く場合、
>A 1番の人のように感情表現の激しい人の話と
>B 感情を入れないで(無表情など)一定の声のトーンや口調で話してくれる人では
>
>どちらが話の内容が理解したり共感しやすいですか?
>また、どちらを望みますか?
Bの方が理解,共感ともいいです。
とりあえず、最後の論題でもアップしておくか。
(今までのまとめ)
・非自閉人と自閉人の和解プロセスには、両者が雁首を揃えて話し合う場
は不可欠だ。(ただし和解が必要ねえという奴についてはその限りじゃねえ。)
・しかし、対話をする時に意見対立以前に言語の不一致が原因になって、
話がすれ違う場合も多い。
・意見が『不愉快』ということと『間違っている』ということは、
ひとまず分けて考えていくことをお勧めする。両者を混同した議論は
極めて多い
・自助グループやピアカウンセリング・グループは参加者の癒しにはなるが、
外部の人間との関係をさらに悪化させる場合もある
(最終テーマ)『障害を介在した人間関係』
どこぞでこんな話を聞いたことがある。
「権利は人間関係に対立を持ちこむ」と(誰だったか思いだせん)
ま、これは「権利」という部分を「人権」と置き換えても意味は通じる。
要するに「権利」とか「人権」ってのは仲良くやっている時には主張されん、
葛藤や対立や利害の不一致が発生した時だけに主張されるってことだ。
「障害」ってのもそれに似ている。
単にそれが欲しかったからという理由で取得する奴もいるが、
大概は「障害者」が周囲の人間と葛藤や利害の対立を引き起こした時に
取得されるもんだ。自己防衛の手段にもなるってところも似ているな。
どちらにしろ、緊張関係が発生した時に取得される訳だから、
見方によっては相手を言い負かすための戦略にもなりうる。
その辺の事情も「人権」なんかとよく似ていると言える。
(この場合も単に診断が欲しかったという奴は除外される)
俺は生きるために障害者はあるゆる戦略を持たねばならんと考えているので、
そういう戦略を身につけることはそれなりに重要だと思っている。
特に公(子供だったら学校,大人だったら職場)と呼ばれるような空間では、
不可欠だろうな。
やっかいなのは家族関係の場合だ。
家族関係の葛藤が原因で診断を取得したとしよう。
その際、家族が「甘ったれるな」とか言ってきた場合は、
そもそもこの戦略は失敗だ。別の意味で問題はねえ。(いいのか、それで?)
むしろやっかいなのはある一定の理解を示してきた時だ。
基本的に俺は家族に対しては「俺に迷惑にかけない限りにおいて、
大切にする」というスタンスを取っているし、
家族も俺に対して同じスタンスで接していて、うまく共存している。
うまく共存できなくなれば別れりゃいい、それだけのことだ。
だが、相手が障害を受容して共存しようとする時、
その相手は非常にやっかいな葛藤を抱え込むことになる。
それが人権機能としての診断という訳だ。
相手に落ち度がある時にそれが障害のせいかもしれないと思って、
抗議することを躊躇したり、
はっきりと相手に意見を言うことが差別につながるんじゃねえか、
という不安を抱えちまう家族も多いみてえだな。
診断がプライベートな世界に持ち込まれちまうと、
どう関わりゃあいいのか分からなくなっちまうという奴も多い。
少なくとも「遠慮なく」とか「自然体の」という形容がつくような
関係を作りあげることは難しくなっちまうらしい。
「障害のことを理解しなくては」「受け入れよう」
と思っている家族(パートナーも含む)ほどこの泥沼に陥りやすい。
「障害」というバイアスがかかっちまって、
個人として対峙することができにくくなるからだ。
こういう問題も自閉人と非自閉人が雁首揃えて話し合う土俵はど
こかで必要だろうな。
以上、長くなったがコメントを終わりにするぜ。じゃあな
はじめまして。グルンサです。
saikaさん wrote:
>1.みなさんは、人の話を聞くとき(中略)
>A 相手の表情やジェスチャーを注目しますか?
>B 話の内容に注目しますか?
わたしはBですね(後で「話を聞いてない」と誤解されるのが嫌なので。もっとも、場合によってはメモを取る等していても、「???」ということもありますが)。
>2.相手の話を聞く場合、
>A 1番の人のように感情表現の激しい人の話と
>B 感情を入れないで(無表情など)一定の声のトーンや口調で話してくれる人では
>
>どちらが話の内容が理解したり共感しやすいですか?
>また、どちらを望みますか?
望む・理解するということではBですが、共感となるとAかもしれません。
またまたアンケートに協力させて下さい。
(#16932「saika」様)
>1.みなさんは、人の話を聞くとき
>相手の人がとても感情表現が激しく(たとえば、怒ったり、笑ったり、泣いたりしながら話す)、声のトーンも変わりやすく(たとえば口調が厳しくなる、声が大きくなったり小さくなったりする)話をされる場合、
>
>A 相手の表情やジェスチャーを注目しますか?
>
>B 話の内容に注目しますか?
>
私は「B」ですね。ジェスチャーに注目しても解りにくいです。
(#16932)
>2.相手の話を聞く場合、
>A 1番の人のように感情表現の激しい人の話と
>B 感情を入れないで(無表情など)一定の声のトーンや口調で話してくれる人では
>
>どちらが話の内容が理解したり共感しやすいですか?
>また、どちらを望みますか?
>
でも、実際に共感しやすいのは「A」ですね。淡々と話されるより実感がこもっているように感じられるのがその理由です。
ASをお持ちのみなさんに質問です。
1.みなさんは、人の話を聞くとき
相手の人がとても感情表現が激しく(たとえば、怒ったり、笑ったり、泣いたりしながら話す)、声のトーンも変わりやすく(たとえば口調が厳しくなる、声が大きくなったり小さくなったりする)話をされる場合、
A 相手の表情やジェスチャーを注目しますか?
B 話の内容に注目しますか?
2.相手の話を聞く場合、
A 1番の人のように感情表現の激しい人の話と
B 感情を入れないで(無表情など)一定の声のトーンや口調で話してくれる人では
どちらが話の内容が理解したり共感しやすいですか?
また、どちらを望みますか?
参考のために教えていただけましたら幸いです。_(._.)_
kotobuさん wrote:
>POLINECIAくん
>君もなかなかいいこと言うようになったじゃないか
>私に悪態ついてたころとは見違えるようだよ
誰だっけ?
POLINECIAくん
君もなかなかいいこと言うようになったじゃないか
私に悪態ついてたころとは見違えるようだよ
ぺんぺん様、こちらも誤解してすみませんでした。
どうもありがとうございます。
感謝します。
saikaさん wrote:
>息子が中学になるまでの12年間、ずっと障害児の親をやってるわけですが、
>障害児の親って、働きに出たり、遊びに行ったりすると
>酷い親みたいに言われるんですよね。
>障害児の親のイメージって髪を振り乱して、化粧なんてそっちのけで
>必死になって子に尽くしてる、生活は質素。。みたいな。。^^;
>ですが、やるべき事はやって、あとは昼寝のし放題です。今の私は。。^^;
>
>今までの私を知っている人は、障害児を抱えてじつは悩んでいるとは
>思えないくらい、明るくてあっけらかんとしててオープンで。。ってのが
>本当の私像だと思ってくれていますよ。
ああよかったです。安心しました。
自分も二人の子どもを育てているので、育児の苦労はわかります。
よけいなおせっかいだったかもですね(^_^;)
それとSaikaさんのご質問への私の書き込みですが
専門医より正式にアスペルガー症候群であるとの確定診断を今日いただいたので
AS診断済大人(子持ち主婦)の意見として参考にしていただけると幸いです。
教育環境がかなり特殊ですが(^_^;)なにかお力になれるといいですね。
対話そのものに関するコメントは昨日のでおしまい。
今回からは、俺が得意な自助グループとか
ピア・カウンセリングあたりの問題ついてでも語るとしよう。
(今までのまとめ)
・非自閉人と自閉人の和解プロセスには、両者が雁首を揃えて話し合う場
は不可欠だ。(ただし和解が必要ねえという奴についてはその限りじゃねえ。)
・しかし、対話をする時に意見対立以前に言語の不一致が原因になって、
話がすれ違う場合も多い。
・意見が『不愉快』ということと『間違っている』ということは、
ひとまず分けて考えていくことをお勧めする。両者を混同した議論は
極めて多い
(本日のテーマ)第3段『不在者裁判の快楽』
まず、自助グループとピア・カウンセリングについて言及する前に、
この館に代表されるようなネットでの身の上相談に
ちーとばかし言及しておこう。
ふだん、身の回りにいる連中には相談しねえで、
ネット上で身の上相談をしたがる連中はけっこう多い。
しがらみのねえ奴の方が相談しやすいってのもあるだろうし、
そもそも日常世界では相談する奴もなく孤立しているって場合もあるだろう。
「相談する奴は選んだ方がいい」ってのが持論の俺としちゃあ、
とてもいい選択だと思うぞ。
特に家族関係そのものが問題になっちまっていて、
本人同士じゃ話し合いのしようもないって状況じゃあ、
絶大な効果を発揮する。
だが、ネット上の身の上相談には1つの危うさが隠されている。
一方の当事者のコメントだけが一方通行で
もう一方の当事者の言い分が分からないまま話が進行しちまうことだ。
自閉人が「家族が僕のことを理解してくれない」と訴えようが、
非自閉人が「自閉人である家族のためにこんなに迷惑している」
と訴えようが、それは一方の当事者の理解にすぎねえ。
しがらみのねえ連中が中立な立場で葛藤の渦中にある奴らを仲裁しようとしたり、
裁定しようとするのはまず不可能だ。
なんせ、当事者のうちの一方の情報しか分からねえんだからな。
俺自身、ここに書かれているコメントを完全な事実と見なしてはいねえ。
俺自身、嘘をつくことがあるしな。
けっきょく、しがらみのない連中にできることは、
とりあえずコメントをした人間が得になるようなアドバイスをしたり、
共感をしたり、励ましたりするってことだけだ。
自閉人の多いサイトならば、
自閉人の立場に立ったアドバイスや共感や激励が行われることになる。
そこんところを踏まねえで、
投稿者と一緒になって不在者裁判を繰り広げるってのは、
俺としては関心せんな。
ところがだ。不在者裁判ってのはやっているとけっこう気持ちがいい。
しがらみのある連中に話しても「もっと努力しなさい」
「相手の立場を分かってあげなさい」みてえな態度で
片づけられちまうことが多いんだが、
不在者裁判ならそうじゃねえ。
自閉人向けとか家族向けとかパートナー向けみてえに
住み分けのできているサイトならば、
同類の人間からあらゆる形のアドバイス,共感,激励を受けることが
できるだろう。一緒になって不満のある家族の悪口を言い合うことも
それなりにはガス抜きにはなる。
こういう側面はピア・カウンセリンググループや自助グループにもある。
普段周囲には言えない不満や家族の断罪を行っても許されるグループ。
しかも断罪している相手から反論が返ってくる可能性はほとんどない。
ピア・カウンセリンググループの意義は単なる友愛だけでなく、
こんなところにもあると俺は睨んでいる。
ところが、俺の経験から言うと、
ピア・カウンセリングや自助グループの活動を経験すると、
本来折り合いをつけなければならない相手(敵)との関係はむしろ悪化する。
似たような価値感を持った連中が多いんで、
自分の座布団を自分で引き剥がすような自浄機能を持てなくなる場合も多い。
けっきょく、グループの中では居心地がよく憩いの場になってるんだが、
それだけに理解をしようとしねえ相手に対する怒りは、
ますます大きなものになっちまうってことも多い。
つまり渦中の相手との和解にはまずい要素が入りこんじまう訳だな。
余談だが、カルト教団と呼ばれる団体もこのような経緯を辿って
いた場合が多い。
じゃあ、自閉人としての俺はどうなんだ、って話だ。
片田舎の自助グループの姉御なんかになっちまって、
支援者どもや親どもとも喧喧諤諤とやりあっている。
ウマがあわねえ相手もけっこう多いぞ。
だが、自閉人だけで固まらずに、外部の空気にも触れ続けてきたのは、
それなりに財産になったと思っている。
内輪だけでしか通用しねえ話を外部に持ちこむのは危険、
ってのも分かってきたしな。
同型性のある奴らが自助グループや
ピア・カウンセリンググループを結成することについては
俺は反対しねえ。
だが同時の、同じ世界を共有していねえ奴らに対しても、
よくアンテナを張っておけよとは俺は言っておきたい。
少なくても、グループ以外の人間はみんな敵、
なんて世界にならねえことを俺は祈る。
今日はこんなところだな。
http://www.kyoto-np.co.jp/news/flash/2003mar/14/CN2003031301000409B1O10.html
宅間守は前頭葉に障害があるかもしれないらしい。
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