アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
POLINECIA wrote:
> 今、こうもりさんとの議論たけなわでいいところなんだが、
>問題提起だけしておくぜ。
:
> ま、こんなところだな。
あと、saikaさん自身がASであるという可能性。
作家というもの、悪くはないと思いますが、…
私なんかのように、非現実的な妄想があると、果たしてどうでしょうかね?
私が小学生〜中学生の頃、ドラマ「太陽にほえろ!」がヒットしていました。私も毎週観ていました。
このドラマを観て、自分の頭の中に「刑事=正義の味方」という図式が出来上がり、私もよく自分が刑事ドラマのヒーローになったつもりでシナリオを書いていました。
この頃は学校でもいじめがひどかったので、シナリオを書くことがいじめの鬱憤晴らしの手段にもなっていました。すなわち、いじめの相手を犯人に見立て、自分が刑事になって逮捕するという形で本懐を遂げる、というものです。
そのせいか、当時のシナリオは、「太陽にほえろ!」よりはむしろ「西部警察」「チャーリーズ・エンジェル」や「刑事スタスキー&ハッチ」に近い形でして、悪役はとにかく悪役に徹したキャラクターデザインにしていました。「太陽にほえろ!」ほどには、刑事側も犯人側も心理描写をしていません。
こういうのが果たして世に出ても受けるのかどうか、気がかりです。
ぺんぺんさん wrote:
>ところでわたしは話をしたがっているのではなく
>抗議をしているのであり、
それで言うなら、私はその抗議に対して婉曲に「受け入れられない」と言っているつもりなのです。ストレートに言わせてもらってもよろしければ、もっとキツい言い方になります。
作家なんてどうでしょか?
ここに来る皆様って、本当に色んな事を知っていて凄いなぁ、といつも感心します。
皆様、良い文章書きになれそうだと思います。
独特の感性やこだわりを逆手に取って小説家や、作詞家になれば大ヒットすると思うのですが、どうでしょう?
ぽっくすさんてかなりおもしろい人ですね。
もしかしておひまですか?
日記に今日の反省を書いてもう休もうかと思っていました。
大反省です。
ところでわたしは話をしたがっているのではなく
抗議をしているのであり、
迷惑と書けば求められていると書かれて
ちょっと笑ってしまうというか・・・。
やっぱりどちらかに共感能力が欠けているのでは
ないでしょうか。
これ、「心」みたく、お互いの定義が違うってとこでおさめませんか。
説明してもいいし、求められているのだからそうしたい気はやまやまなんですが
それで話が「丸」くおさまるという気がしない。
> デタラメを鵜呑みにするなとかたずけてしまいたい所だが、貴様等気狂いにはわからんのでハッキリ言う!アインシュタインはLDだ!!アスペと一緒にすんな!!
Mr.Dyslexiaさんもお名前がそうなのですが、ディスレキシアなのですか?
アインシュタインもディスレキシアだったのですか?
アメリカ等で診断される本来のLDは
「計算のLD」や「読み書きのLD(ディスレキシア)」であり、
トム・クルーズはディスレキシアで有名ですね。
LDとアスペは地続きですよね?両方持っている人がいますし。
まだ日本では診断が混乱しています。
ちょっと前に「非言語性LD(社会性・コミュニケーションの障害)」と
言われていた障害が、
今の「アスペルガー症候群」「高機能自閉症」です。
かつて日本で言われていたLDは広い意味での軽度発達障害全てを現す
総称でした。
(ちょっと前までは「知的障害のない自閉症という定義は日本にはありませんでした。)
今それが細分化されてきています。
自閉傾向を持っていたLD(LD児・者の60%くらいいました)は、
アスペや高機能自閉症という診断名に変わってきています。
アスペもADHDもLDも軽度発達障害の仲間であり、近隣障害であり、
また重複する障害でもありますので、仲間ではないでしょうか?
診断名も途中で変わる場合もよくありますし。
アインシュタインも何らかの軽度発達障害を持っていたということは
確かなようで、私はLDでもアスペでもどちらでも良いとは思います。
もうこの世にいない人だし・・・。
菜の花さん、こんばんは。
なんだか昨日今日あたりネットをうろうろしてます(笑)。
書き込み数の自己新を作ってしまったかも・・・。
猫ってほんとにかわいいですね。
シャム猫が3匹!
うらやましいです。
動物をかわいがるってほんとに大事だと思います。
そういう子供を見ているとなんだかほっとします。
明日は黄色のもっこうばらを買ってきて
玄関に植えようかと思っています。
いつかばらの咲く家を夢見て・・・。
内容が今までの流れの中です。
あなたに我々と語られては迷惑です。
でも律儀な方ですね。
わたしはちょっとパソコンの作業をしているので
昨日と今日あたりはネットをついのぞいてしまっていますが・・・(笑)。
自分向けのコメントで第三者向けの発言を行われると不愉快だという話だったと思いました(http://www.nadita.com/bbs/yakata/bbs.cgi#17067)ので、そういうことならばとわざわざツリーを切って仕切りなおしました。
一見して第三者向けになっている発言にあえてコメントされますと、あなたが私と話したがっているようにしか見えないはずです。ご注意下さい。
コメントいただきました#17086に関しては、私の語法においては人称を修正する必要はないと判断しました。悪しからずご了承下さい。
Mr.Dyslexia wrote:
>
>
> デタラメを鵜呑みにするなとかたずけてしまいたい所だが、貴様等気狂いにはわからんのでハッキリ言う!アインシュタインはLDだ!!アスペと一緒にすんな!!
>
そうだよ
アインシュタインはLDだよ
だからおとなしくしようね
ニュートンの事が出てきたので、息子の事でアドバイスを頂きたく書き込みします。 その前に、シベラスさん本当に大変でしたね、あなたのファンです、これからも頑張ってください!
25歳になるASの息子ですが、1万もするニュートン学の本を買い、自分と似ているところが一杯あることを発見したそうです。
特に最近は、ニュートンの初恋のエピソードがすごく気に入り、その女性と結局
結婚しなかったけれど、女性が他の人と結婚した後も80歳すぎまで交際があり
ニュートンが金銭援助をしたそうです。
そんな話を私にいつもしている時、1歳下の弟の恋人が東京からやって来て
今弟のアパートに泊まっています。
最初だけ、お食事会のつもりで皆で会ったのですが兄はすっかり彼女に興味をもち
将来は自分が本を書いて、お金の援助をしてあげよう、なんて貧乏大学院生の
弟たちに言ったりしました。
私が、早く帰りなさいと弟たちをうながしたのが気に入らないと翌朝私に
暴力しましたので、困ってしまい弟に来てもらいました。
弟は彼女が帰る2日前まで、毎日二人で2時間話しに来る事にしてくれて
助かりましたが、すっかり彼女の事が気に入って昨日は彼女に、気が合うね、なんて言ったそうです。そして東京に帰った後も電話したいから番号おしえてと
言っているそうで、弟たちは困っています。
彼女は弟の恋人だから、では通用しません。
どのように言えば納得するでしょう?
アドバイスお願いします。
ぺんぺんさん
>今回の心の話なのですが
>どうしてこうもすれ違ったのかを考えていました。
私はすれ違ったと言うほど深刻には思っていないのですけど、捉え方は1人1人違って当然だし、それを謝る必要もないと思います。私も「そうか。そんな風にも考えられるな」と感心したくらいです。
つい自分の見方だけで人にも話しかけて強要してそれに気づかないものですよね。
私は心と魂は同じだと思っていて、環境によって、又は遺伝や先天的なものでの性格や気持ちの部分が違っても、それは球の表面に位置しているように思っているのだけれど、それも私の勝手な解釈で、何が正しいと言う事もないと思います。
>猫がねっころがっているって実は
>中学生の息子のだじゃれでした・・・。
もう一回笑えました。今日はシャム猫をもう2匹買ってきました。これでうちの猫は3匹になりました。息子の情緒安定にとても役立っています。
ぽっくすさんはご自分を我々と複数形で語ることが多いようですが
その根拠はどこにあるのでしょうか。
あなたと同じ診断を受けた方はここにたくさんおいでになると思います。
この場で“我々”とあなたが自称する我々という人称の実体は
どこにあるのでしょうか。
我々とはあなたの投稿に賛同するたくさんの人がいて
初めて使うことが許される言葉ではないのでしょうか。
あなたはどなたの代表でしょうか。
同じ診断を受けても価値観や生き方、感じ方はそれぞれです。
一人称単数の“私”で語った方がよろしいのではないかと思います。
すなふきん wrote:
>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030501-00000875-reu-int
記事の内容は、私もきっとそうだろうと思ってるのでどうでもいいんですが、記事の表現が気になります。
「アスペルガー症候群(AS)にかかっていた」…… 「かかる」というのは、病気に対して使うものですよねえ。
治るかのような間違った印象を与える表現をしないでほしいなーと思うのでした。
pocks wrote:
>我々には我々の論理があります。幸か不幸か、自閉的論理は非自閉者の
>論理のサブセット(部分集合)なので、我々にない部分を理解させようと
>するとほとんど徒労に終わりますが、我々のレベルに下りて説明すれば
>かなり良く通じます。
私は、自閉者特有の思考方法が出来上がるのは、我々自閉者は、たとえば、他人の行動に注目する本能(?)の働きなど、脳の中で、外界の刺激を社会的な重要度に応じたメリハリを付けて意識の中枢に送る機能が弱かったり、中枢からの抽象的な指示を具体化する機能に問題がある(たとえば、悲しさを表現せよという指示を涙腺を緩めて具体化するのではなく高笑いで具体化する)ためであり、意識化された刺激を元に反応を決める部分(これが私の言う「心」)は障碍されていないと考えています。
その根拠は、読み書きの可能な自閉者の自伝などで、社会の仕組みを書物から学んだ、などと書いてあること、並びに、自分がまさに同じ方法で色々なことを学んだこと、さらに、たとえば実生活で目配せを読めなくても小説ならば目配せされたことは一目瞭然だったこと、そして、小説類を読んで起きた情動は、泣くべきとされるところで泣け、笑うべきとされる所では笑えるところから推して、おそらく非自閉者(当時は、それと意識していなかった他人)と同じであろうと推測できることでした。(「心」への入出力が同じなら自閉の有無に関わらず同じ反応が起きる、ならば自閉人の「心」は障害されていない、と判断できるであろう。)
しかし、本だと簡単に理解できることが実生活ではさっぱり分からないことは長い間疑問でした。診断後に考えた、この疑問を最もうまく説明できる仮説は、以上のようなものです。
社会的な信号、あるいは非言語情報が読みづらいために、その手の情報を駆使した、あるいはそういった情報がやりとりされていることを前提にしたやりとりを試みられても自閉者は理解できませんが、そういった情報の存在と効果からじっくり解き明かしていただければそれなりに理解できますし、数学や物理のような、非言語情報がないものとして説明できることであればかなりよく理解できるわけです。
なお、「心」には実体はないとし、刺激に対する反応の体系を「心」と言うのが最近の心理学の考え方のようです。その考え方に従えば刺激の受容や反応の表出が非自閉人とは異なる我々自閉者の心は「欠けている」と定義できるのですが、そう定義してしまうと、感覚器に障害のある人はみんな心が欠けていることになってしまいます。これはさすがに語弊のある定義だと考えざるを得ない(いくら心理学的には問題のない定義であっても、目が見えなかったり耳が聞こえなかったりする人に「お前の心は欠けている」と面と向かって言えるでしょうか。)ため、感覚を意識として受け取り、意識として身体に指示を出す脳の働きを「心」として語ることになりました。
ご自分と違う意見の持ち主を安易に
非自閉的と推理し、ご自分は常に自閉者の代表であるような
考えを持つのはどうかと思います。
おやめになりたいのならやめてください。
あなたが返信をしなければそれで終わります。
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