アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
今頃すみません。
翡翠様からのメッセージ:
>境界性との誤診はちょっと珍しいですね。アスペとは対極だと私の主治医が言っていました。ただ、両方の障害を持つ人も稀にいらっしゃるようですが。
境界性人格障害は、むしろASの2次障害としてごく当たり前に発生する可能性が十分にあり、私もそのタイプです。
両方を同時に抱えている私としては、誤診とは思えませんが、如何でしょうか?
関東方面への出張スケジュールが予定より早く上がりました。
本日、北海道新聞の投書欄に、ドラマ「光とともに…」に対するものと見られる批判的な内容の投稿がありましたが、皆様はどのように感じられるでしょうか?
(投書の趣旨:新聞記事につき、原文の引用はできません)
>最近、障害者を主人公とするTVドラマがよく放映されるが、安易なドラマ制作としか感じられない。
>当初は障害に対する無理解や偏見から始まるが、主人公の健気な姿に触れて理解しあえるようになる。しかしはっきり言わせてもらうと、身障者に対する哀れみや健常者の優越感におもねたものとしか感じられない。
「仔犬のワルツ」にしても「光とともに…」にしても、フィクションであるためにこういった批判はある程度予想されるものではありますが、如何なものでしょう?
ちなみに私は、未だに多忙でこのドラマを観ることができません。(今まで放映された全エピソードはビデオには残っていますが…)
うずまき貝 wrote:
>初めて仲間意識のようなものを感じました。
同じです。
アスペルガーとゆう障害を知って、
ここで同じような障害の人がいるんだと知って、
不思議ですが仲間意識、私も持ちました。
どんなに大切な友人たちと居ても
アスペじゃないのは解るので
見える境界線を越えられなかったけど。
ここであなたにも知り合えたことは私にとって嬉しいことです(^-^)
>私は対個人なら、わりとどんな人でも大丈夫なのですけど、集団になってしまうと、どうしたらいいのかわからなくなってしまうんです。個人を飛び越えると、人類とか生き物、というレベルでないとつながりが感じられないというか。何を言いたいのかよくわからなくなってしまいましたが。
その気持ちなんとなく解る気がします。
一対一だと相手もこちら側と話してくれているんだなとそれなりのコミュニケーションを取れている感じがするから。
例えその相手と合わなくても一瞬の居場所は与えられているから。
でも少しでも相手の反応が薄いとどうしてもこの障害は越えられないと痛感するばかりです。
あ、暗くなっちゃいました(_ _;
ごめんなさい。
あかり様からのメッセージ:(あかり様、初めまして)
>私は、幼稚園に入園した時、他の子供が話している事が理解できず「自分は宇宙人で、人間ではなかった。だからわからないんだ」と大きなショックを受けたのですが、その思いは35歳の今も続いています。
>普段の生活では、「主婦」「幼稚園での母親」「嫁」の演技をすることで乗り切っています。
>それぞれに、適切な会話のテーマ、反応の仕方のパターンを覚え、相手に合わせて自分のスイッチを切り替えます。かなり、集中力が要りますがスキルは磨けます。
>この演技の仮面をはずして、「素の自分」にもどれる相手は、夫と親友一人、この世でただ二人だけです。この二人を失ったら自分はかなり孤独だなと思います。
私も同じような経験を41年間続けております。
自分だけが余所者だと錯覚する疎外感は、私だけでなく、AS当事者なら誰でもあることだと思います。無理に溶け込もうとしても自分がピエロになったように感じて、いきおい振る舞いも不自然になり、いじめの原因になることも珍しくないようです。
大切なのは、やはり無理をしないことです。
>普通のふりをして、演技をする時間が長くなりすぎると、鬱状態になります。
>「生まれてからずっと人間のふりをするのに疲れた。私は本当は宇宙人なのだから
>もう、この人生をやめて宇宙に帰りたい」というのが、独特な表現ですが、鬱状態の時の私の本音です。
鬱状態はASの2次障害の一つの形なので、あまり深刻になって思いつめると、さらに深刻な事態に発展するかもしれません。
こういう時こそ、本音で語り合えるフォーラム(たとえばこのフォーラム)の存在は非常にありがたいです。
実は私も、35年前から確定診断が出ている「大御所」ではありますが、最近までASの実態がよく解らず、人間関係がうまくいかないばかりに41歳になっても結婚はおろか、恋愛の成功例すら未経験だという「数奇な」人生を送ってまいりましたが、このフォーラムで元気を戴いており、ぼやきは相変わらずですが、以前よりも前向きになれたような気がします。
P.S.関東方面への出張業務が予定より早く上がり、只今新千歳空港よりアクセスしております。
自宅到着後、改めて御挨拶させていただきます。
はじめまして、あかりと申します。
>自分はどんな性格だかって言えますか?
この質問には私も答えられません。何故なら
1,どんな?という部分が何を意味するのか、曖昧でわからない。
2,例えば、几帳面、器用等が、何を基準にしてそう判断するのかが不明。
よって、基準のないことがらは、判断できないので答えられない。
というのが、私の正直な気持ちですが、社会生活上は回答の必要のある質問なので
もう、どう答えるか決めてあります。
仕事上では 長所・経理で、細かい数字を合わせるのが得意。ミスも少ない。
短所・仕事に熱中するあまり、体を壊したことがある。
今後は、自己管理に注意して取り組みます。
プライベートでは
長所・どんな人とでも偏見を持たずにかかわろうとする
人のうわさ話をしない
短所・押しの強い、声の大きな人が苦手。
それぞれ、職場の同僚や、友人から、複数回このように評価されたのと、人に話しても
受け入れてもらえる内容だったため、こう答えることにしてあります。
お言葉ありがとうございます。
私の両親も自分達の甥っ子が登校拒否に関して 躾の問題というような事を口にしています。
けれど私自身 従兄弟が耳をふさいだり、人がくると目をあわすことなく、永遠と一人ごとを言ったり 着るもの、食べるものにも敏感なのも私の両親はじめまわりは 甘やかしているだけとの見方をしている中 問題はそこではないようなそんな確信をもち始めています。
人の中で疲れてしまうっていうのはやっぱり本人にとって苦しい場面も出てくると思うんです。
そんな時に自分がそういう面をもっていることを周囲にいつの日かきちんと説明できてそれは単に甘えとかではなくって見えないハンディであることを理解してもらえる環境を親や周りが整えてあげるべきだと私は思っています。
でもそのために何からはじめようかと考えたりしています。
私が今の仕事が子供と関わることなので余計にこういうことって敏感になってしまいます。
両親とまず話してみようと思います。
ありがとうございました。また経過を報告できればと思います。
コカ wrote:
>人との距離感を哀しく思います。
>どうしてもそれを越えることはできないんだと思うと落ち込みます。
そうですね。私もアスペルガーのことを知って、いつも感じていた違和感の原因がわかって嬉しかった反面、何となく哀しい気持ちになったのを覚えています。でも、他にも同じようなことを感じている人たちがいるとわかって嬉しかったのも事実です。どこへいっても、かなりマニアックな趣味の集まりに行ってさえ、どうしても仲間意識というものが持てなかったのに、他のアスペルガーの人たちの存在を知って、人から理解されない、社会で上手くやっていけない、という共通の悩みを持っているという点で、初めて仲間意識のようなものを感じました。
私は対個人なら、わりとどんな人でも大丈夫なのですけど、集団になってしまうと、どうしたらいいのかわからなくなってしまうんです。個人を飛び越えると、人類とか生き物、というレベルでないとつながりが感じられないというか。何を言いたいのかよくわからなくなってしまいましたが。
よしえ wrote:
>22歳兵庫県で社会人をしています。私にはまだ小学生のいとこが多くいるのですがそのうちの一人(小6)がもう何年も登校拒否で学校にいってません。
私の長男は限りなくASに近いですがまだ未診断です。今年5年生なので貴方のいとこと重ねてしまい、親御さんの心配を思うと胸が痛みます。
学校にもう何年も行けてないと言う事はやはりいいことではないように思います。
ただ、うちの子の事を思いましても「人」と長時間接する事が疲れて「独りでいたい」と思ってしまうところが見受けられます。心配を周りでしているなら、その心理も周りで勉強してあげないとせっかくの可能性をつぶす事になりかねません。
息子も小さい頃から自分だけにしかわからないこだわりや不器用さから人との会話が絡みにくく自閉を疑ってきました。ただ彼の性質の一つである「ルールを守る(融通が利かないほど)」ところから「学校は行かなくてはならないところ」と思っていて学校は問題なく行っています。
>私の叔父の子供にあたるのですが、叔母側(彼の母方)にASっぽい(叔母もASっぽいなあと)人がちらほら見られるなと感じ始めています。
そこに「母に似ているから育て方のせい」「遺伝した性格」とあきらめてしまう落とし穴があるのではないでしょうか?
ASという可能性もあるし、そうでなくてもそれに近いかもしれない事があるなら特に「二次障害」のことも考えなくてはいけません。
貴方の両親からそれとなくアドバイスしてあげることはできないのでしょうか?ただいとこ本人には「AS]のことは言わないでください。また、学校に行かない.人から外れてしまいやすい=ASという事ではないのではじめから「アスペルガー」と出してしまうのはどうかと思います。
>まだまだ義務教育が続く年齢だし親戚づきあいが少ないとはいえ、私の叔父に私の意見を言うべきかどうか迷ってしまいます。
>意見を言うにしても私はいくつかの点からその可能性を疑ってみてもいいのでは?としかいえないし、ASの知識が無の人にいきなり切り出してもはっきりいって家族ならば 受け入れられなくて当然だろう、もしくは怒りとなるかなとさえ感じます。
確かに他人に「アスペルガー症候群も疑ってみては」なんていわれたらお医者さんでもないのに素人判断で!と不安が大きい分だけ怒りに変わってしまうかもしれません。いま貴方がどうしてもほかっておけない使命感にかられるのでしたらカウンセリングに行ってみる事だけ強く勧めてみるのはどうでしょうか?
思春期に入っていく中で彼がすこしでも生きる事を楽しく思って生活できるようになって欲しいと思います。
翡翠 wrote:
翡翠さん、こんばんわ。
>「たいへん危険なのは、こうした子供の間違いを証明したり、何かを分からせようとして、子供との果てしない議論に巻き込まれてしまうことです。これはとくに、思わず子供と切がない論争に巻き込まれてしまう親に当てはまります。逆に言えば、拒絶症的な会話は、早急に打ち切るだけで効果的なことが多いのです。例えば、フリッツが足し算に飽きて、『足し算はもうけっこう、足し算はもうけっこう』と唱えたときは、『そうね、足し算はもういいわね』と教師は答えて、同じように落ち着いた声で、『これはいくつ・・・・・・?』と続けました。素朴ですが、私たちの経験では、こうした方法がよく功を奏しました。」
>『自閉症とアスペルガー症候群』ウタ・フリス編著 東京書籍ISBN4-487-76159-Xより抜粋。
これと同じ事を、長男の主治医に言われました。
親や教育者が、ASの子に対して何かを言葉で伝える時、感情的になったらそこまで。もうそれ以上は、子どもには何も伝わらないと…子どもも、パニックになるだけだとも。
そんな時は、親や教育者は子どもに何か伝えるのはやめ、お互い冷静になってから伝え直すようにと…
一度感情的になるとお互い冷静になるのは、なかなか難しいのですが…(^_^;)
Y.R wrote:
>多分息子さんがASと診断される以前に、担任の先生との間やクラスの中でいろんなことがあったと想像されるのですが、そのようなトラブルがあったときに学習障害を疑ったりする姿勢というのは先生方にはないのでしょうか。
一年生の時は、まったくなかったですね…長男はどう言うわけかIQが異常に高く、塾や勉強をしなくても一年生で、小数と分数の概念がもう頭に入っていました。そのため、頭が良いのに担任の注意を聞かないと、長男の腕に担任の指型のあざができる程怒鳴られ続けました。そして親のしつけが悪いからだと、言われ続けました。
>せっかく同じ学校内に、こんなに素敵な情緒障害教育専門の先生がいらっしゃるのに、今まで息子さんのことなどで先生方の間で情報交換されたりしていなかったのでしょうか。
>とちょっと素朴な疑問がうかびました。
>障害と診断されようとされまいと、何か問題があったときには、親も先生もいろいろな情報を交換して、良い方向に進めていけると一番いいのにと思います。
本当にその通りです。しかし当時は、先生間の情報交換はなかったそうです。
もともと事の始まりは、一年生の5月から長男がクラスメイトの一人に暴力を受け続けたところからでした。担任は、叩く子はクラス全員を叩いているが、お宅の子だけが怒り授業が中断してしまう、我慢が足りないと…校長に直訴しても、聞く耳を持ってくれませんでした。
その年の10月に、クラスの大勢から被害届けがでて校長は初めて事実を知りました。すぐに市の教育センターと教育委員会が調査に来て、担任の指導力不足が指摘され校長から謝罪がありました。しかし担任は、それでも保護者会で長男を名指しして、親のしつけが悪いからで私は悪くないと、言い続けました。校長やセンターから更に謝罪がありましたが、なぜ担任がこんな事を言い続けるのかわからないと…年度末に教育委員会から改善報告があり、そこで初めて担任から謝罪があり、そして担任と校長は異動、2年の担任はメンタルケアのできる先生が担任となりました。
そして2年生の9月に、担任より児童精神科の受診をすすめられ、その時には私もASを疑っていたので、すぐに受診、診断を受けました。2年の担任や校長は、こんな頭の良い自閉症があるのを知らなかったそうです。そして3年になる時にクラス編成があり、ASを知っている情緒障害専門の先生が担任となりました。
>情緒障害教育専門の先生がもっとふえて、というより普通の先生方がもっと情緒障害、学習障害等の知識を増やして、ある一定期間だけでも特別のケアをしてもらえるとか、もっと特殊教育が身近な形になれば偏見も減るだろうにと思います。
私は東京に住んでいますが都から今年度始めに、都心身障害教育改善検討委員会の最終報告があり、各家庭に「正しい理解と適切な支援を必要とする児童・生徒がいます」と言う小冊子が配られました。国では法改正も含めて、特別支援教育への移行に向けた準備を進めているそうです。そうなれば、情緒障害教育専門の先生が増えて来ると思います。偏見がなくなる社会になってくれると、いいですね。
>さめみさんの息子さんがいきいきとできる場所が見つかり、本当によかったと私も思います。
ありがとうございます。あなたとあなたの息子さんにも、そんな場所が早く見つかりますよう祈っています。
>残念ながら、私の息子の通う学校はかなり田舎の学校で、そのような先生は学校内にいないようです。
>それでもまだ担任の先生と校長先生が不登校にもわりとゆっくりと構えてくださるので、恵まれているのかもしれません。
>先生の話では、確かに被害妄想的なことを言ったりして、そのことによるトラブルが他の子に比べて多いが、基本的には一年生はみんな自己中心的なので、気長に見つめてあげたいと思いますとおっしゃってくださいました。
>金曜日に先生とお話をしたのですが、子供もこの担任の先生は好きで、学校は嫌だけど、先生には会いたいと、その日は子供自身も一緒に学校に行きました。
それは、良かったですね。保健室登校でもいいですよね…
>幼稚園の時にはちょっと先生が厳しくて、親子でストレスを感じたものでしたが。
大変でしたね…
>わたしもASなど発達障害の本やホームページを見ていて本当に面白いと思いました。
>今までの自分の人への接し方を考えさせられました。
>本当に人の個性を認めることはどういうことなのか、ということが勉強できる気がします。学校の先生方がこの分野を学ぶことはとても素敵なことなのにな・・・と思います。
>人はみんな個性的なのだから、それを認めていくような教育でなくてはいけないと本当に思います。
同感です。
>息子さんはさめみさんのようなお母さんを持たれて、幸せだと思います。
ありがとうございます。長男の主治医や協会の方々に、親が子どもの障害を受け入れる事ができて、はじめて子どもは幸せになれるのだと…言われました。
私もそう考えています。
はじめまして。
22歳兵庫県で社会人をしています。私にはまだ小学生のいとこが多くいるのですがそのうちの一人(小6)がもう何年も登校拒否で学校にいってません。
あまり親戚としての付き合いはないのですが、年に何度か会うのですが叔父 叔母も大変心配しているのですがどうしても無理に学校にいかせるよりは自宅にいるほうがいいと自宅で生活している状態です。
岡山県の小さな小学校なのですが、学校の方も心配して下さっているようです。
私は最近になって本で読むうちにもしかして彼がASでは?と疑うようになっています。
私の叔父の子供にあたるのですが、叔母側(彼の母方)にASっぽい(叔母もASっぽいなあと)人がちらほら見られるなと感じ始めています。
従兄弟はまだ小学生です。
誰もこういう状態でASかもしれないと疑わないっていうのが少し不思議なのですが学校自体が小さいので、そこまでこういう見えない障害についての認識が学校全体としてないのだろうとも思います。
まだまだ義務教育が続く年齢だし親戚づきあいが少ないとはいえ、私の叔父に私の意見を言うべきかどうか迷ってしまいます。
意見を言うにしても私はいくつかの点からその可能性を疑ってみてもいいのでは?としかいえないし、ASの知識が無の人にいきなり切り出してもはっきりいって家族ならば 受け入れられなくて当然だろう、もしくは怒りとなるかなとさえ感じます。
皆様の意見が聞ければ嬉しいです。
どうもありがとうございます。私もわからないことばっかり、どこまでは努力すればいいのかすら分かりません。いろいろ見てみます。ありがとうございました。
>しかし学校は変えませんでした。今を迎えるには、大変な道のりでした。2年生の2学期にASの確定診断がでるまでに私と長男は、学校、市教育委員会、市教育センターから、刑法違反になることを沢山されていたため、長男のASの主治医に裁判を起こすように勧められました。学校に意見書を提出すると学校側の態度が一変、それぞれから謝罪と改善報告があり、3年生よりクラス編成を行い情緒障害教育専門の先生が長男の担任となりました。もともと長男の学校にいらした先生で、中学年で問題を抱えているお子さんを必ず受け持っていらしてたそうです。
多分息子さんがASと診断される以前に、担任の先生との間やクラスの中でいろんなことがあったと想像されるのですが、そのようなトラブルがあったときに学習障害を疑ったりする姿勢というのは先生方にはないのでしょうか。
せっかく同じ学校内に、こんなに素敵な情緒障害教育専門の先生がいらっしゃるのに、今まで息子さんのことなどで先生方の間で情報交換されたりしていなかったのでしょうか。
とちょっと素朴な疑問がうかびました。
障害と診断されようとされまいと、何か問題があったときには、親も先生もいろいろな情報を交換して、良い方向に進めていけると一番いいのにと思います。
情緒障害教育専門の先生がもっとふえて、というより普通の先生方がもっと情緒障害、学習障害等の知識を増やして、ある一定期間だけでも特別のケアをしてもらえるとか、もっと特殊教育が身近な形になれば偏見も減るだろうにと思います。
>一般の先生と違うところは、ASはどんな障害か熟知されていて、どんな状況においても今の先生は対応ができます。ティーチプログラム(自閉症及び関連領域のコミニュケーション障害を持った子どものための治療と教育、TEACCH)を取り入れて下さっています。十人十色と言われる、ASの特徴を短期間で把握してくれました。また、母親の思いを全面的に受け入れて下さり、私に寄り添って下さいます。先生ご自身が、障害者の母なのです。こんなところでしょうか…上手く説明できず、ごめんなさいね…
さめみさんの息子さんがいきいきとできる場所が見つかり、本当によかったと私も思います。
前にも書きましたが、そのような先生がもっと増えるといいのにと思います。
残念ながら、私の息子の通う学校はかなり田舎の学校で、そのような先生は学校内にいないようです。
それでもまだ担任の先生と校長先生が不登校にもわりとゆっくりと構えてくださるので、恵まれているのかもしれません。
先生の話では、確かに被害妄想的なことを言ったりして、そのことによるトラブルが他の子に比べて多いが、基本的には一年生はみんな自己中心的なので、気長に見つめてあげたいと思いますとおっしゃってくださいました。
金曜日に先生とお話をしたのですが、子供もこの担任の先生は好きで、学校は嫌だけど、先生には会いたいと、その日は子供自身も一緒に学校に行きました。
幼稚園の時にはちょっと先生が厳しくて、親子でストレスを感じたものでしたが。
>私は長男の診断直前に、ASを教科書でやったところだったので、診断がでた時は安心しました。どういう障害でどうやって育てていけばいいのか、もうわかっていましたので…この子にはASらしく成長してもらおうと思っただけで、また育児が楽しくなりました。
>ライセンスを取った協会の協会長や講師の方々に「普通の子は普通の大人にしかなれないけど、ASの子は天才の卵!天才の卵を授かったのだから大事に育てなさいね!私たちが全面的にバックアップするから…」とも言われ嬉しかったです。
>
わたしもASなど発達障害の本やホームページを見ていて本当に面白いと思いました。
今までの自分の人への接し方を考えさせられました。
本当に人の個性を認めることはどういうことなのか、ということが勉強できる気がします。学校の先生方がこの分野を学ぶことはとても素敵なことなのにな・・・と思います。
人はみんな個性的なのだから、それを認めていくような教育でなくてはいけないと本当に思います。
息子さんはさめみさんのようなお母さんを持たれて、幸せだと思います。
たかは wrote:
こちらこそ、よろしくお願いします(^_^)
「たいへん危険なのは、こうした子供の間違いを証明したり、何かを分からせようとして、子供との果てしない議論に巻き込まれてしまうことです。これはとくに、思わず子供と切がない論争に巻き込まれてしまう親に当てはまります。逆に言えば、拒絶症的な会話は、早急に打ち切るだけで効果的なことが多いのです。例えば、フリッツが足し算に飽きて、『足し算はもうけっこう、足し算はもうけっこう』と唱えたときは、『そうね、足し算はもういいわね』と教師は答えて、同じように落ち着いた声で、『これはいくつ・・・・・・?』と続けました。素朴ですが、私たちの経験では、こうした方法がよく功を奏しました。」
『自閉症とアスペルガー症候群』ウタ・フリス編著 東京書籍ISBN4-487-76159-Xより抜粋。
さめみ wrote:
>過去に似ているご質問が、あったと思います。過去の投稿をお読みになられては、いかがでしょう。お力になれず、ごめんなさいね。
これからよろしくお願いします。いえいえお返事がいただけるだけで、本当に嬉しいものですよ♪
翡翠さんへ。
そうですね。何かを信仰している訳ではないのですが、性格は結局皆多かれ少なかれ違いはあろうけれども、同じなんじゃないかって思うんです。
アスペだろうが、他の名前がついていようが、あまり関係はないんじゃないかなって思うときがあるんです。
何をもって、境界とし、診断となすか…とか診察を受けたときに思いましたので(笑
カキコしてくださってありがとうございます。
うずまき貝さん
はじめまして。
やっぱり同じような感覚を持っている人はいたいだと思い少し落ち着きました。
私はまだ診断を受けて間もないためか動揺しては鬱になりの繰り返しです。
人での自分の位置づけがうまく出来ていません。
人との距離感を哀しく思います。
どうしてもそれを越えることはできないんだと思うと落ち込みます。
アスペルガーだと識って違和感の意味が解り最初はスッキリしました。
でも外で生きていかなければならないハンデの大きさに落ち込みました。
私が私で居ていいメリットのようなものをまだ感じられません。
この辺りは性格的な部分も多少なり関係してると思うけれども・・・
紹介していただい本、読んでみようと思いました。
自分がアルペルガーだと知る前から買ってはいたのだけど途中で投げ出したままでした(汗
どうしたら自分らしく社会でよりよく生きていけるか
とても素敵なことだと思いました。
どうしてもマイナスのことしか頭の中にはなかったから。
HPでは好きなように書かせて貰っているのでずいぶんと自分らしさをだせていると思います。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami