アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
おっぺ wrote:
>私も重症心身障害者やその家族と接する機会は多いです。
>でもイベントなどのとき、実際のお世話はなかなか難しくて、うずまき貝さんみたいに出来る人は尊敬します。
(*^_^*)。私の場合は仕事なので、きちんと研修など受けてるんです。でも、やっぱりお世話の仕方というのは、人それぞれ違っていて、いちばんいいのは、わからないときは本人にどうしてほしいか訊くことです。どんなに障害の重い人でも、その人なりの意思表示の仕方がありますから。何を望んでいるか人によって異なるというのは、ASでも健常者でも同じで、良かれと思ってしたことでも、意外と本人はそうして欲しくなかったなんてこともあるので難しいところです。
>素晴らしい個性であるということは、母も確信しています。
おっぺさんのお子さんは、理解者に恵まれていい環境にあるので幸せですね。おっしゃるように、慎重に時期を見て告知されるのがいいかもしれませんね。いちばん大切なのは、本人が本人らしくあることを周りに受け止めてもらえるということなのかもしれません。
話は変わりますが、身障者本人の話で印象に残っているのが、子供のときから自分の障害のことで親が気を使っているのが子供心にもわかって辛かった、というものでした。
私の場合は、おっぺさんとは逆に、親にASのことを話すかどうかが問題です。ただでさえ、30過ぎてオヨメにも行っていない欠陥品のように思っているのに、実はそれが生まれつきの障害だったなんて知ったら、ものすごくショックなんじゃないかと思って。もう歳だし、何も知らないまま人生を終らせてあげるほうが親孝行なのかなとも思うのだけれど、心のどこかでは、本当の、ありのままの私として受け入れてもらえたら、という風にも思っているのですよね。
おっぺ wrote:
>新しいイジメのアイデアに繫がってしまったり・・・・・・、
文字化けしてしまいました。「つながったり」です。
エミリー★ wrote:
>云々の内容はどんなものだったのですか?
>ふーこさんを蔑むような内容だったのですか?
>蔑むような内容でないなら、
>発表した子はASに対して偏見がないからこそ、
>作文にしたのではないでしょうか。
>そう考えると、
>ASについて考えようとしているということは、
>好ましい事だと思います。(たとえそれが的外れでも・・・)
う〜ん・・・素直にうなずいてしまいました。
そうか、子供同士の視線で考えると、そうですね。
的外れでも、確かに垣根を取り去って一歩歩み寄ろうとした作文だったのかもしれない。
その子なりの友情かも、インクルージョンへの一歩だったかもしれない。
普通学校で集団生活するアスペっ子を持つ親の立場で、
あさかぜさんのショックはとても私は理解するのですが、
エミリー★さんってするどくて、なんかタジタジ・・・
なるほどです。
たしかに是可否は発表の内容にもよりますね。
友達のアスペを理解しようと思う作文なら、頭から否定するのはいけませんね。
>ショックを感じたあさかぜさん自体が、
>ASに偏見を持っているのではないでしょうか。
>母親が子供がASだという事を、
>恥ずかしがったり、
>人にわかってもらうことに、
>抵抗を感じていたら、
>ASの子自身も
>自信を持って生きていけなくなると思います。
それはないと思いますよ。
偏見なんて単純なものでなく、あさかぜさんはその難しさがよく分かってられるということだと思います。
恥ずかしいとか、理解される事に抵抗を感じるなんて、我が子のASを悲観的に捉えてられるのでは決してないでしょう。
当然理解されたい、ありのままを受け入れられたい、
当たり前のことです。
でも同時に、親はその難しさからも目を逸らすわけにはいかないんです。
共生の理想掲げてカミングアウトしたことをきっかけに、とんでもない偏見が深まったり、一部の表現が切り取られて一人歩きして広がったり、理解の浅さから、的外れなおせっかいや、新しいイジメのアイデアに繫がってしまったり・・・・・・、
他人の立場への想像力の働かない人や、ほんの一部だけ聞いて知ったかぶりで勝手な解釈つけてアチコチに喋りまくる連中や、違う種類の者を見下げるのが好きなくだらない連中のところまで、情報ってやつは歪んでてもお構い無しに無差別に広がります。
正しく伝えたいと思うこちらの思いに応えて正しく理解しようと、共に共生を目指してしっかり聞こうとしてくれるひと、ばかりじゃないですから、
それは覚悟のいることです。
さんざん懸命に説明した後に「それって伝染るの?」って真面目に質問されたよってあきれてた人もいる程。
お母さん同士のネットワークでも、いろんな例が聞こえてきて、
慎重にならざるを得ない問題なんです。
親にとってカミングアウトは、的外れじゃ絶対困るんです。
それを他人にされるのは大きな人権問題です。
これが自分の問題なら、自分の望む理解を自分の力で目指すべく、勇気を出して勝負に出ることもひとつ。うまく理解されず失敗して傷つくのは自分だから、納得も出来るでしょう。
でも我が子のこととなると、もっと慎重になります。
結果が裏目に出て傷つくのも、配慮の甘さからかえって妙な偏見が広がってしまった地域社会で生きてゆくのも、自分ではなく愛する我が子です。
失敗は許されません。
・・・なんて、あさかぜさんの立場に勝手に入れ込んでしまいましたが、あさかぜさんのご意見とは全く違ったりして・・・??
それこそ的外れだったらお恥ずかしい・・・・。
イッパイ書いちゃってすみません。
ウロ wrote:
>私も積み木がダントツでした。
>でも積み木に不注意型ADDの特徴が現れていたそうです。
>私はAS、ADDとの診断です。
>この次、詳しくテストの分析と解説をしていただくことになってます。
結果教えてくださいね。
LDもあるみたいなんですが、それは他の能力でカバーできてるので問題ないそうです(暗算が出来ませんが、紙の上では問題なくできるので)
あさかぜさん、こんにちは。
お話ありがとうございます。
あさかぜ wrote:
> それに、うちみたいな経験をする人はあまりいないだろうとは思うのですが、原学級のクラス発表で娘の同級生が「ふーこさん(娘のことです)はアスペルガー障害という心の障害があり、云々」と作文で発表してしまったのですよ、クラス全員とその保護者が見学している前で堂々と。もちろん娘も見学していました。わたしは頭の中がどっか〜んと爆発してしまった感じで、“これって何?これって何?こんなんあり?”とくらくらしてしまいました。たまたま告知がすんでいたからいいようなものの……ショックは忘れられないです。
なんて余計なことを・・!
そんな展開も、あるんですね・・・、悪気がないのが一番タチが悪い、というやつですね。
そのときのあさかぜさんの腹立たしさと困惑、お察しします。
私があさかぜさんなら、発表させた先生相手に大騒ぎしてやったと思います。
本人の理解への働きかけや、カミングアウトの内容にしても、どれほど神経使って根回しも下準備も勉強もして段階も考えて、親は気ィ使って配慮の積み重ねをしてるか、なにも知らないヤツに解ったつもりで勝手なことをベラベラやられちゃ台無しなんだよっ!!なんてね。(すみません感情移入過剰ですね)
いえ、実際の場面なら、もうしばらく言葉なんて出ないくらいショックですね、きっと。
> 告知もそうですがカミングアウトもデリケートな問題なので、その辺の配慮を学校にお願いしていなかったのはわたしの手痛い失敗でしたが……まさかあんなことが起きるなんて予想はしていなかったので、なんともしようがなくてそのままです。娘がそのことで傷ついた様子がなかったのが幸いといえば幸いなのですけどね。でも表面からでは本当のことは分かりません。
そんなことが起こるなんて、誰にだって予測できるものじゃありません。
とんでもないことですよね。
「自分はみなと違うって、みんなも思ってるんだ」って、強く残るきっかけになってしまいますよね。
それにどんな内容かは解りませんが、自分の「障害」について、皆の前で他の子の口から発表される、なんて、お嬢さんの胸にどんな思いを残したか・・・。
お母さんにも後を残す事件ですよね。
何の事前報告もなく、やらせていい発表じゃなかったと思います。
よく辛抱されましたね。
こういう横槍で、他人の勝手な表現で本人が自分の「障害」を知るきっかけになってしまうなんて危険を考えたら、それよりも前にちゃんといい告知をして正しく理解させておく方がいいとも考えられますね。
告知が済んでたことと、お嬢さんが傷ついた様子がなかっただけでも
よかったですね。本当になんの傷も残さず、いい受け取り方をされてることをお祈りします。
それにしても本当に驚く事件でしたね。
私は、交流学級の担任にも情障級の担任にも、他の子が「子おっぺちゃんはなんで○○学級(情障級)なの?障害ある子が入るところでしょ?子おっぺちゃんはどんな障害なの?」って、本人のいる場所で突然無邪気に聞いてきたら、先生はどう答えますか?って、先生方の考えを確認しています。
(我ながらウルサイ保護者だ・・・)
両先生とも良く勉強してくれてて、こちらの心配をよく理解した納得の回答をしてくれて、今のところ信頼して任せています。
普通学校でのこの子たちへの理解と配慮は、
先生方にとっても、難しいけれどこれから大切な課題だと思います。
> おっぺさんのお嬢さんのいい状態がずっと続くといいですね。“案ずるより産むが易し”で、案外サラッと告知につながる瞬間が来るかもしれません。
そう、なんだか、「今だ!」ってサラッと口から自然に出てしまう瞬間、ってゆうか、本人が求めて、ストンと入りそうな答えをこちらもスルッと言える、そんなときって来るんじゃないかな、なんて思っています。
これって非現実的ファンタジー?(^^;)・・・じゃないといいなぁ。
あさかぜ wrote:
> この春から仲の良い先生たちがいなくなって、エミリー★さんはつらいですね。学校の中で落ち着ける居場所はあるのでしょうか。どこかで、波長の合う先生がみつかることを祈るばかりです。(←おばさんはつい心配性…)
ありがとうございます。
翡翠 wrote:
>>私は優れた宇宙人で、彼らは地球人なのですから。
>ただ、優劣を言うのはどうでしょう。我々と彼らは違っている。それだけで、どちらが優れているというわけでは決してないと思います。
私の言い方がおかしかったみたいだけど、
私以外の人が劣ってるととか、
優劣をつけているつもりはなくて、
私は学校などにいると、
自分は宇宙人のような気になるんですが、
決して人より劣ってると悲観していない、
という意味で、
宇宙人の前に“優れた”
とつけてみたのです。
Lulu_2440 wrote:
>私が貴方くらいの年代のときは、ASもKSも一緒くたにして「自閉症」と呼ばれていたのが当たり前だったので、ほぼ全校生徒からいじめられていました。
私もほぼ全校生徒からいじめられていましたが、
クラスメイトにASの説明をした事で、
全先生にも伝わり、
いじめられることはほぼなくなりました。
毎日好きな科目しか行かなくなったので、
いじめられる機会自体が減りました。
>私は北海道の室蘭に住んでいますが、室蘭市の人口の99%の人にいじめられるという悪夢でうなされたこともあります。
私は、私の仲間の宇宙人が地球にやってきて、
地球人を皆殺しにし、
私と私の中の友達を連れ去っていく・・・
という夢を何度も見ました。
今でも時々見ます。
>そのせいだろうか、衝動的な暴行事件を起こすことは意外に多いようです。私も小学生から中学生のときは毎日切れまくっていました。
私も・・・
>学校の先生にもいじめられる、というのは、私にも経験があるのでなんとなく原因が解ります。
私の場合は
先生にいじめられたわけではなく、
だだ、先生が無知の為に、
私が苦しい思いをしたということです。
でも一度、
「あんたの事なんか好きになってくれる人なんていないよ」
と言われたことがありました。
あれはいじめなのでしょうか?
>私には、どうも無知だけが原因で貴方がいじめられているとは思えませんが、如何でしょうか?(誤解だったらお詫びします)
もちろんです。
わたしはなまいきだし、
いじめられる要素はたくさんあります。
でも私がASだということを知ってもらい、
ASに対し理解してもらい、
偏見をなくせば、
(かなりの努力と時間がかかるけど)
いじめは無くなっていくと思います。
それでもいじめる人は、
人間として程度が低いんでしょう。
少なくとも無知のせいで生まれる偏見は無くしていきたいです。
翡翠 wrote:
>ずいぶん前にも、子供にASと告知すべきかどうか、という問題が出たことがありました。そのときに、「告知ショック」という言葉が出ていたのを覚えています。障害をもつことが劣ることではないのはその通りですが、それを理解することはできても、自分が人と違っている、「病気」である、「障害」を持っているということを受け入れることは、大変に難しいことです。幼い子供であればなおさらです。医師とよくご相談なさた上で判断されるのがよろしいかとおもわれます。
本当にそう思います。
告知されてどう受け止めるか、は、ひとそれぞれ、
直後の反応だけでなく、その後の長い人生に背負ってゆくことなのだから、先々の展開もいろいろあり得ることで・・・・・。
やはり慎重でありたいと思います。
医師や教師ともよく相談して、タイミングを計っているところです。
「もっと早く知っておけばこんなに苦しまなかった」という方もおられるし、
自分の特性を知り、それとうまく付き合って前向きに自分の人生を自分らしく生きる、自助努力のいしずえになる告知であればすばらしいし、同じ仲間もいっぱいいることを知るのも心強いと思います。
一方、以前ここの書き込みで読ませていただいた中に、
「違うことは気づいていたけど個性と捉えていた。障害だなんて告知さえされなければ、努力次第でいつかは皆と同じようになれると前向きな希望を持って暮らしていられたのに。告知した母を恨んでいます。」といった内容のものを見て、私の中に、それが強烈に残っているのです。
そんな方向も、心の動きのひとつの方向として、絶対あり得る展開だと思います。
告知の後のフォローはもちろん、タイミングの見極めもおろそかにはできないと思います。
あさかぜ wrote:
>それに、うちみたいな経験をする人はあまりいないだろうとは思うのですが、原学級のクラス発表で娘の同級生が「ふーこさん(娘のことです)はアスペルガー障害という心の障害があり、云々」と作文で発表してしまったのですよ、クラス全員とその保護者が見学している前で堂々と。もちろん娘も見学していました。わたしは頭の中がどっか〜んと爆発してしまった感じで、“これって何?これって何?こんなんあり?”とくらくらしてしまいました。たまたま告知がすんでいたからいいようなものの……ショックは忘れられないです。
云々の内容はどんなものだったのですか?
ふーこさんを蔑むような内容だったのですか?
蔑むような内容でないなら、
発表した子はASに対して偏見がないからこそ、
作文にしたのではないでしょうか。
そう考えると、
ASについて考えようとしているということは、
好ましい事だと思います。(たとえそれが的外れでも・・・)
ショックを感じたあさかぜさん自体が、
ASに偏見を持っているのではないでしょうか。
母親が子供がASだという事を、
恥ずかしがったり、
人にわかってもらうことに、
抵抗を感じていたら、
ASの子自身も
自信を持って生きていけなくなると思います。
突然横入り失礼しました。
なりさんはじめまして。ウロといいます。
なり wrote:
>次に大学病院でしっかり検査してADHD,ASと診断されたので
>こっちが私の診断名ですね。
>WAIS−Rで積み木がダントツによかったです。
私も積み木がダントツでした。
でも積み木に不注意型ADDの特徴が現れていたそうです。
私はAS、ADDとの診断です。
この次、詳しくテストの分析と解説をしていただくことになってます。
うずまき貝 wrote:
>施設を出て自立生活を送る障害者の介護をしているのですが、身障者というのは、意外と健常者と変わらないんだな、というのが最初に彼らに接したときの印象でした。よくよく考えると当たり前なんですけど、足が悪かろうと、目が見えなかろうと、健常者と同じように、怒りもすれば笑いもする。彼らは意外とあっけらかんとたくましく堂々と生きているのです。もちろん、個人差もあるでしょうし、そうなるまでにはいろいろな葛藤があったのでしょうけれど。
世の中に貢献する素晴らしいお仕事をされてるんですね!
私も重症心身障害者やその家族と接する機会は多いです。
娘が情障級に入級したことをきっかけに、障級保護者の学校代表で地域の障害児・者の支援団体の活動に参加することになり、最近は広報の仕事のお手伝いなどもしています。
いろんな障害を抱える本人や家族のいろんな大変さも、そして頑張るみなさんの素晴らしさも、とても勉強になり、感動もいっぱいさせてもらっています。
でもイベントなどのとき、実際のお世話はなかなか難しくて、うずまき貝さんみたいに出来る人は尊敬します。
>足が悪い、とか、目が見えない、とか、コミュニケーション能力がない、とか。それによって不自由はあるけれど、その障害があるからと言って、人間の優劣が決まるわけではないからです。
もちろんそうです。
でも、どういう部分にどんな障害があるか、どう受け入れたらよいか、
という、障害の理解と関わりの難しさは、本人にとっても本人の周りにとっても、他の障害と同等ではないと思います。
本人告知と同時に、他の人に自分についてどう説明すべきかということも、その難しさについても理解させなくてはいけません。
一歩間違えたら、「認め合い、受け入れあう」という理想形から程遠く、「全く違う人種なんだから、関わらないのが一番」なんて感覚が、本人や周りに、子供の時期に深く入ってしまう危険な展開なども、避けねばなりませんし。
本人の理解力と、告知が必要なタイミングとを慎重に見定めることはやはり大切と思います。
>だから、その障害名を告知することに抵抗を覚えるというのは、その障害を持った人に対して偏見がある(つまり劣っていると思う)ということなのかもしれません。社会での、そうした偏見がなくならない限り、障害者が生きづらいのは変わらないでしょうね。
私が告知に抵抗を感じるのは、偏見というのとはまた違うものです。
今はまだその必要を感じられない状態なので、その時期ではないという抵抗です。
それと、
「障害」をどう受け止め、どう生きてゆくか、どう自分を確立し、周りとどう関わってゆくか(友達へのカミングアウトひとつとっても、見通しの幼さから深い傷を負う展開になる可能性は常に潜んでいます。)・・・、長い、模索と戦いの人生の火蓋を、母である私が切ってしまう躊躇、とでも言いましょうか・・・・、
教師と家族の理解・連携と適応指導などの配慮のお陰で、今の療育状況は良好です。
せっかく自分の個性を受け入れられている幸福感を味わい、毎日笑顔を見せて元気に学校にかよっている彼女の笑顔を、消してしまうのが怖いのです。
「私も、みんなと違う方法をとれば、または違うハードルを用意してもらえたら、私は私なりにみんなと同じように頑張れる」という自信ももって、集団ともいい距離を保ってASなりに生きる力を日々つけていってくれているのが今は見えています。
徐々に、いい段階を踏んで自分を感じ取りながら成長し、さらなる疑問にぶつかったときに、ストンと胸に落ちるような答えを用意してやりたい、
それまでは、家族や教師、地域の大人からは暖かく見守られているという安心感の中、「人は信頼に足るものだ」という社会でいきてゆくベースになる肯定観を人間性に備えておいてやりたい、今はその段階かと。
学校や地域への働きかけに関しては、かなり積極的に頑張ってる方だと、母は自分では思っていますが、こと周りの子供たちや本人の心の問題は・・・・複雑な展開や葛藤もいろいろ予測できますし、慎重派です。
告知はいずれ当然すべきですが、そのタイミングを慎重に見極める必要は、子供の場合特に不可欠ではと考えています。
臆病・・・かもしれませんが、後悔しないよう納得して踏み切りたいですからね。
>おっぺさんも、お子さんにわかりやすく障害について話すと同時に、障害があるということに引け目を感じる必要はないんだ、人間として劣っているというわけではないんだ、ということをよく理解させてあげてください。
ありがとうございます。
そうですね。それはとても大切な事と思います。
素晴らしい個性であるということは、母も確信しています。
新米先生 wrote:
>こんにちは。ASについて勉強してたらここにたどりつきました。
はじめまして。
新米先生さんのようにASに少しでも理解あるような先生がいてくれたら少しは私も変っていたかもしれないと思ってしまいました。
私事ですが誰にも気付いて貰えなかったので。。。
>しかし、高校側が変わった子として片付けてしまいぎみなのがとても、気になります。
リアルではそうですよね・・・
面倒なことは学校としてはあまり関わりたくないと思われるから。
>その子は、看護婦になりたいようです。少しからだも弱く、自分で自分注射をしているので、興味があるみたいです。
>ただ、たまにパニックになったりするので、看護婦の道は難しいと思います。
>なんとか看護婦に…と言っているそうです
>看護婦に限らず、他の職業につくことさえできるのか不安なのですが
>普通学級にいるASの子どもに、どのような進路援助をすべきなのでしょうか
パニックの状態がどれほどのものか解りませんが
同じような状況に遭遇してくると(それなりに個々に差はあるのだけど)
順応しようとしてくるものです。
誰かが教えてあげることで防ぐことも可能だから。
本人の強い希望ともなると叶えてあげたいですよね。
でも看護婦の職場にもよると思います。
具体的には私もまだ解らないのですが看護婦になれないことはないです。
この時代だから資格を手にしているとゆうことは凄く大きいことだと思います。
永久ライセンスだと生きていくにはもってこいのものです。
進学してからも大変だと思うけれどライセンスがあるのとないのでは障害者にとっては随分とかわってきます。
私は薬学生ですが休学しながらもまだ大学に通ってます。
因みに今年で大学八年目です。
独りで生きていくことになるだろうと想ったから今でもしがみついて通ってます。
それに普通学級でずっとASだと誰にも気付かれることなく過ごしてきました。
この子の親に、もう少しASに対して理解があれば適切な環境でその子の力をひきだしてくれるような、対応が受けられると思いますが
今まで普通学級でなんとか過ごしてこれたのならこれからもなんとかなるのではないのでしょうか。
私の両親も理解は無かったです。
でも今はパニックになって鬱になりながらもなんとか生きています。
先生という職なので勿論、私以上に色々なことを存じているので私の意見などは参考になるか解りませんが・・・
本人の希望通りに事が運ぶといいですよね。
エミリー★さん、レスありがとうございます。
エミリー★さん wrote:
>私なんて、
>好きな科目しか行ってません(笑)
ご自分で選んで行っているんですね。いいことだと思います(^-^)
>大丈夫ですか?
>私は体はいたって丈夫です!
>(頭はいつも壊れてるけどね・・・)
ありがとう。大丈夫です。ぜんそくと体調の変化といろいろ重なってしまったので、ゆっくり休ませているところです。
身体が丈夫なのは大切なことですよ。よく食べてよく寝てよく遊んで元気もりもりでいてくださいな。
うちはわたしのほうが頭が壊れているので、しょっちゅう娘におこられています(^_^;) 大人になると壊れたらすぐには直らないけど子どもは回復が早いから、どんどん壊してどんどん修理してくださいね♪ 子ども時代をたっぷり楽しんでほしいと思います。
>うちの母と同じです!
お仲間がいた〜! 心づよいです。
>私も運動会パスしましたよ。
>でも、修学旅行には行きたいです。
>観察しに(笑)
運動会は、娘は行くかもしれないです。かけっこも団体競技も参加しないけどね。本部テント席で見学しているかな、たぶん。
修学旅行ですか、楽しんできてくださいね。いろいろな物が見られるだろうし、学校以外での人間観察もバッチリね♪
>猫好きですか?
>私は大好きです☆
猫は好きです。けれど、どちらかというと犬のほうが好きかな。わたしも娘も猫の毛アレルギーなので、飼うことができないんです。ぜんそくもあるしね。エミリー★さんは猫を飼っているんですか? この掲示板の過去ログで「犬派・猫派論争」なんかもありましたっけ。わたしはたぶん犬派になっちゃいますけど、猫だって好きだな〜って思います。
ちなみにアニメの「犬夜叉」は娘が好きで、わたしは「鋼の錬金術師」にハマっています(関係ないか…汗)
エミリーさん、baroqueさん教えてくださってありがとうございます。
やっぱり最初の診断「情緒障害」はそこの先生がADHD,アスペルガーについて
よくご存知なかったので似たような診断されたんですね。
次に大学病院でしっかり検査してADHD,ASと診断されたので
こっちが私の診断名ですね。
WAIS−Rで積み木がダントツによかったです。
すみません、あと一つだけ言わせてください。
「あなたは看護士の仕事をどの程度ご存じですか?」
新米先生 wrote:
>その子は、看護婦になりたいようです。少しからだも弱く、自分で自分注射をしているので、興味があるみたいです。
>ただ、たまにパニックになったりするので、看護婦の道は難しいと思います。
例えば、あくまでも看護士を目指すとして、看護学校に行くのか、短大か、それとも四年制の大学か、それによって、違いがあると思います。看護学校などだと、集団の縛りがきついのではないかと憶測いたします。校風というのもあるでしょう。(もちろん、進学先にASを理解し、受け入れる体制があるかどうかでもずいぶん変わってきます。)
また、実際に看護士になったとして、看護士の職務は総合病院と個人医院とではずいぶん異なるでしょうし、同じ総合病院でも各診療科によって異なってきます。パニックになるのは、想定外のことが起こったとき。もちろん、病院というのは予想外のことが命の危険につながるところです。予想外のことがどの程度起きるかは診療科によって差があると思います。他にも、学校の保健婦、企業の医務室職員など様々な道があります。
そういった様々な要素をお考えの上でご指導されるとよいのではないかと思います。
Ms.エミリー★ wrote:(レスありがとうございました)
>私の先生やクラスメイトは偏見があると言うよりは
>無知なのでしょう。
>母が言うには、
>無知が偏見を呼ぶ、
>とのことです。
私が貴方くらいの年代のときは、ASもKSも一緒くたにして「自閉症」と呼ばれていたのが当たり前だったので、ほぼ全校生徒からいじめられていました。
私は北海道の室蘭に住んでいますが、室蘭市の人口の99%の人にいじめられるという悪夢でうなされたこともあります。
話は変わりますが:
私がドラマ「光とともに…」などを観ていて感じるのは、
#自分が受け入れることのできないものに対するリアクションが、年齢不相応に幼稚なものが多い
というのが偏見の原因じゃないのか、ということです。
私はプロ野球のナイター中継を見ることも多いです(ちなみに私はアンチ巨人!)が、相変わらず審判に対する暴言で退場する選手は多く、自分の応援しているチームの選手(例えば日本ハムファイターズのセギノール選手)だと、応援しているほうが恥ずかしく感じることがあります。それというのも、意外にプロスポーツ選手や芸能人にAS当事者が多いという推察があり、言われてみれば審判に対する暴言や、デッドボールを巡っての大立ち回りなど、もしかするとあの選手も、というようなシーンはよく目にします。
プロレスは好きじゃないのでほとんど見ませんが、記者会見の雰囲気を察知しただけで荒れ模様になって机や椅子をひっくり返したプロレスラーもいたようです。
そのせいだろうか、衝動的な暴行事件を起こすことは意外に多いようです。私も小学生から中学生のときは毎日切れまくっていました。
話は元に戻る:
学校の先生にもいじめられる、というのは、私にも経験があるのでなんとなく原因が解ります。
ASの人は自分で意識することはほとんどないのですが、コミュニケーションが困難なために周囲からは「つんつんしている」とか「お高く留まっている」とかという誤解を受けています。
私には、どうも無知だけが原因で貴方がいじめられているとは思えませんが、如何でしょうか?(誤解だったらお詫びします)
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