アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: アスペルガー共和国について 3927へのコメント
No.3948  Sun, 8 Apr 2001 00:08:08 +0900  さくらかのえ [この発言にコメントする]

ぴよ wrote:
>もし、アスペルガー共和国ができたら、どんな国になるでしょう。

ASの人はそれぞれが個性的で「自分の世界」をもっていてこだわりも強そうだから、
集まって一緒になにかしたりするとトラブルが起きそうな気もするけど、
義務的なことを最小限にして
(それこそ「人を殺さない」とか「暴力をふるわない」とか)
あとは好き勝手やっていいなら、気持ちよく過ごせるかもしれません。

国土と行政機関をもった「国家」ではなく、
みなが固まって暮らすとかいうのでもなく(場所の選定だけでももめそうだ)、
ゆるやかなネットワーク的なものがいいかも。

思いつき・・・どこかの小国のように切手を発行して財源とするのはどうでしょう。


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3942へのコメント
No.3947  Sat, 7 Apr 2001 23:40:17 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

くるとさんwrote:
>すみませーん。できればコメントを短くまとめていただけませんか?
>仕事や家事の合間にコメントを書いているので、長文を熟読するのが困難
>な状態なんです。誤読が多くてご迷惑をおかけします。

> KILROYさんのコメントは非常によく考え抜かれているので、参考になる
>ことが多いです。わたしにもうちょっと文章読解力があればきちんと理解
>できただろうに、と残念に思います。(くると)

 えー、この発言にうまく答えられる適当なスタッフが大森総研にはいないようなので、あたしが代わりに発言させていただきます。(どきどき。ちなみにあたしはJoshyaさんの片割れであるMariaです。)

 じつは、あれほど豪放磊落に見える大森総研メンバーですが、特に「所長」さんと「KILROY」さんに関していうと、文章を書くのにとても臆病なところがあるため、ついつい文章が「厚く」、つまり「あらかじめツッコミが入りそうな部分については細かくフォローし、本来必要のない部分まで細かく書込んでいる文章」を書くことになってしまいます。ですから、今後はなるべく

1)冒頭に概略をまとめた形で結論を示す。
2)JoshyaさんとMr.Motoの出番を増やす。

ということで対処をしてゆきたいと思います。ですから、くるとさん他のメンバーの皆様にも、

1)所長とKILROYの文章はもともとくどいものだと諦めていただく。
2)JoshyaさんやMr.Motoの文章で意味が通りにくいところがあったら、あまり深く悩まないでさっさとツッコミを入れる。

という形で御理解をいただきたいと思います。

 じつはあたしたちの生みの親である所長さんの文章というのが、もともとはワン・センテンスがすごーく長くて、やたらにカッコが入るという、「高密度文体」だったんです(現在のMotoさんの文体がかなり近かったりします)。で、「分かる人には分かる」という感じの、かなり強引な文章を書くひとでした。で、それは大規模ソフトウェア開発の現場の状況をおもしろおかしく(つまりは問題点を角が立たないように)伝えるのに効果があって、一緒に仕事をしているプログラマーさんたちにも好評でした。もちろん普通の文章も書くひとで、ビジネス関係や技術関係の文書は、ちょっと重いけど現在のKILROYさんのような文章でした。
 ですけど、その所長さんのドライブ感あふれる高密度文体によるレポートが、上のほうの人に睨まれちゃったんですね。「センテンスが長くて分かりにくい」「過激だ」「ひとりよがりだ」みたいなことを言われて、さんざん上司の人に虐められたというのがあります。で、その結果が現在の所長さんの、ワン・センテンスが短いぶつ切り文体、なおかつ接続詞が多く、細かく説明の入る文体だったりするわけです。

 所長さんの文章は、つまるところ「揚げ足取りのされない文章」「誤読を許さない文章」「反論をあらかじめ封じる文章」という、散々ないじめを受けた結果歪んでしまった、けっこう痛々しい文章なんです。で、Joshyaさんの文章というのは、そのリハビリを兼ねて書かれている、みたいなところがあります。ここ一ヶ月ほどこの掲示板にいろいろ書かせてもらったおかげでだいぶ癒されたようで、所長さんとJoshyaさんの文体はなんとなく近づいてきました。

 そう、問題は文章の長い短いでしたね。
 論旨だけするするっと書いてしまえば、確かに短くはなるんです。Motoさんの文章なんかは独断と偏見に基づいてばっさり斬るのが身上ですから、それに近い文章になります。ですが、それだと「具体的な例が思い浮かばない」みたいな苦情が来たりもするわけで、そうした具体的な例をパターンを変えて三つは挙げる、あるいは一つの単語だと曖昧になりそうな場合は対句を用いる、というのが所長さんのスタイルです。なにしろ「素人にも分かる文章」を書く、という、テクニカル・ライター、マニュアル・ライターの仕事が所長さんの役割でしたから。

 ところが、世の中には言葉尻を捉えていろいろ変なことを言ってくる人(本質的な議論、というのだったら反論も歓迎するんですけどね)というのがいるんですよ。そうすると、「Aである」と書いたら、反例とみなされそうな場合についていちいち「そうじゃないんだ」みたいなことを書かねばなりません。所長さんやKILROYさんの文章がくどいのは、そういうところを丁寧に書込んでいるからなんです。同じ長さでもJoshyaさんやMotoさんの文章は話題がコロコロ変わるので、「長い」という感じがしません。ですが所長さんやKILROYさんの文章は、ひとつのことをあーでもないこーでもないとひねくり回している感じがあるので、くるとさんが呆れるのももっともなことだと思います。

 そう、それからもうひとつ考慮しなければならないことがあります。掲示板に対する書込みというのは、少なくともメンバーの八割くらいには了解可能でなければならず、しかもRESの場合は相手にも分かり、そのRESだけを見ている人にとっても分かりやすく、なおかつ直接引用はなるべく減らしたい(同じ文章を何度も読みたい人はいないでしょうから、まず相手の発言の要旨をかいつまんで説明して確認を取る、というのがひとつのスタイルになってます)といった制約があります。

 ……ふぅ。なんだかこのメッセージ自体が長くなってしまいましたね(^_^;)。

 で、そんなわけでNo.3558にあるような理由もあって、「キャラの使い分け」を行なうようになりました。誰もMr.Motoに「言ってることがよくわからない」とは言いません(「それはあんたがバカだからだ」と言いかえされるに決まってますから)。あるいはJoshyaさんに「あなたの考え方はひとりよがりだ」とも言いません(「そうだ」と返事されるだけですから)。ですが、KILROYさんの文章はそのまんま専門雑誌に引用されても通用するくらい技術的な内容についてはつっこんだ考察がされているし、所長さんの文章は新聞や一般向けの雑誌に使えるくらい、「わかりやすい」文章になっているはずです。

 本当は、あたしが喋ればいいんですけどね。多少、お馬鹿な発言をしても許してもらえる立場ですし、所長さんにとってもそのほうが楽ですから。ですが、所長さんやKILROYさんはこの掲示板ではけっこう頼りにされているので、あたしが喋っちゃうと、なんか発言が無責任、みたいに言われてしまうと思います。この掲示板のメンバーはみんなあたしが本来オトコであるということをご存知なので、いっそKILROY名義で喋るのをやめちゃおうかとも思うんですが、そうすると前のほうのLOGを読んでいない人に「ネカマに騙された」とかいって怒られちゃう可能性もあるので……

 そんなわけで、以上のようなことでお許しくださいませ。へこへこ(←頭を下げている)。

 −Maria−


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3925へのコメント
No.3946  Sat, 7 Apr 2001 21:17:59 +0900  くると [この発言にコメントする]

さるすべり(百日紅)さん wrote:
>「枠組み」って言うか、私は最近こんな風に感じています。モード切替をして調整>する。ここは割と「ふつう」に振舞ったほうがいいとか、ここは自分そのものでい>いとか。気持ち的には、ふつうモードのときも、「これは本当の自分でなく、生き>残りのためだ」と割り切っているから問題なし。私は。

 うーん。一回、自然体にふるまうことを覚えてしまうと、それが難しくなってしまうんですよねー。でも、自分を見失わない程度に顔を使い分けることができるよ
うになることは大切だと思いますよ。(なんせ、塾で働いているもので、演技ばか
りしていて…)

 でも、ふつうモードをよく使っている立場から言えば、本当に他人に心が開けなくなっていくのがよくわかります。(くると)


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3926へのコメント
No.3945  Sat, 7 Apr 2001 20:52:56 +0900  くると [この発言にコメントする]

武田好史さんwrote:
> 子供の時からそうでした。
> きっとその女の子も、本当は「欲しい派」だろうと思います。
>おそらく、その子なりの「ポリシー」に適合する相手がいないの
>で、失望のあまり「友達なんかいらない!」といってしまったん
>だと思いますが・・・・・・・・・

 これはわたしの理解不足でした。普段、いわゆる「普通の人」
の言葉のウラを読むことに必死になっている割には、AS児の言葉
のウラを読むのがおろそかになっていました。

> ただASの場合、<「何かを継続していく」「求めにに対して
>適切な対処をする」「周りの状況に対して行動を調節していく」
>という機構がうまく働かない→「社会性がない」などといじめら
>れる・「つきあいが悪い人だ」と敬遠される→ストレスがたまり
>社会から脱落する→独り身が気楽だと感じだす>といった感じで、
>「友達が欲しい」といった、本来人間がもっているはずの本能的
>な願望が抑制されてしまうのだと私は思います。
 

 なんか自分のことを言われているような気分でした。(笑)でも
今回の一連のコメントのやりとりを経て、武田さんのおっしゃる事
がよく理解できてきました。とても人懐っこいコメントをくださる
方が多くてうれしかったです。(くると)


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3935へのコメント
No.3944  Sat, 7 Apr 2001 20:33:57 +0900  くると [この発言にコメントする]

マザーさん wrote:
>番組のスッタフの方たちは、ASの子供の気持ちを分ってないって思
>いました。「一人で遊ぶのと、友達と遊ぶのとどっちがすき?」な
>んて質問は、なんか悲しいよ。

 そうか…。その女の子の言葉を言葉通りに捉えすぎていたわたし
も反省しなければなりませんね。

>普通の子供でも親友が、必ずいるとは限らないと思うし、なんか大
>人側が、”親友””親友”って事にこだわりすぎているように私は
>感じました。

 このこだわりはわたしも別の意味で不快感を感じていました。マザ
ーさんが言う「親友」は意識的に作ることができるものではないと思
います。「人と人のつながりは大切だ」という一般論を子供に押しつ
けすぎているような気がしました。

 


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3938へのコメント
No.3943  Sat, 7 Apr 2001 20:15:03 +0900  くると [この発言にコメントする]

ぽよ子さん wrote:
>自分ひとりの時間と、友達といる時間とは、私にとっては、持ちつ持たれつです。
>自分のバランスを取るために、両方が程よくあるのが好ましいです。
(中略)
>あと、話をしやすい(話の通じる)相手との会話は、
>私にとっては、自分の気持ちを耕す(整理する)働きがあると思います。
>話をしやすい相手との会話で、自分でも気づかなかった自分の考え方が
>ポロリと自分の口から出ることがあるので。
(中略)
>(でも、以上のような理由を省いたとしても、私にはそもそも、人と接したいという欲求があります。)

 アスペルガーの館に来ている人のイメージがだいぶ変わってきた感じが
します。イメージとは裏腹に、精神的に人懐っこい人が多いような気がし
てきました。(くると)


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3928へのコメント
No.3942  Sat, 7 Apr 2001 20:05:37 +0900  くると [この発言にコメントする]

> KILROYである。
> やはり何か論点がズレている、と感じたので横レス、というか「斜めレス」である。

すみませーん。できればコメントを短くまとめていただけませんか?
仕事や家事の合間にコメントを書いているので、長文を熟読するのが困難
な状態なんです。誤読が多くてご迷惑をおかけします。

 KILROYさんのコメントは非常によく考え抜かれているので、参考になる
ことが多いです。わたしにもうちょっと文章読解力があればきちんと理解
できただろうに、と残念に思います。(くると)


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3935へのコメント
No.3941  Sat, 7 Apr 2001 19:02:55 +0900  くると [この発言にコメントする]

 くるとです。「友人」という言葉を適当に使いすぎていたので
少し、誤差修正をします。

 みなさんのコメントを見た結果、「友人」という言葉が大きく
分けて二種類の意味で使われていたことに気がつきました。

(1)一緒にいるのが楽しい友人
(2)社会性を身につける手段としての友人

 (1)は単に「一緒に遊びたい」とか、「一緒にすごしたい」
という純粋な理由で成立する友情です。コメントをしてくれたほ
とんどの人はこちらの友人をほしがっていることが理解できてき
ました。

 (2)は他者の評価を通じて自己点検できることを期待して成
立する友情です。(1)に比べるとより明確な目標性を持った対
人交流と言えるでしょう。友達ができにくい子供の支援プログラ
ムではこちらが重視されることになるでしょう。

 わたしは(1)については全く問題を感じていませんし、むし
ろいいことだと思っています。しかし、(2)については、考え
こんでしまいます。(1)は他人が強制することができませんが
(2)は強制することができてしまうからです。

 本人の意志を無視した友情のおしつけにはならないように注意
しておきたいと思います。  

 


  


Re: 私はいいです 3934へのコメント
No.3940  Sat, 7 Apr 2001 18:22:16 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

ぴよさん wrote:
>その話、乗ったです。
Mr.Moto>よし分かった(^_^)。
 じゃあ、早速いってみよう。まず、「帝政アスペルガー王国」ではいろんな活動をするのに不都合があるから、会社組織またはNPOにする。
 会社組織としては合資会社がいちばん設立に金がかからないので楽だ。とはいえ合資会社は無限責任社員というのが必要なので万一儲かっちゃったときに金銭上のトラブルでまずいことになる可能性があるから、なるべくなら有限会社にしておきたい。なにしろうちには所長やKILROYがいるのである。うん千万とかうん億とかいった仕事を引っ張ってきて平気で納めちゃう連中だから、そういうゼニカネの問題はしっかりしておきたい。
 とはいえ営利団体とかいうとあまり世間のおぼえがよろしくない。面倒臭いがNPOで立ち上げるのが理想だろう。で、いずれにしろ定款というものが必要になってくるのである。

 まず目的。「心身障礙者の生活支援および自立支援」。これなら文句はなかろう。
 次に名称。「帝政アスペルガー王国」ではまずいので、「ヘヴン」(「天」あるいは「天国」)と称する。ギリシャ語で「ウラナス」というのも考えたのだが、なんかよく分かんないのでパス。
 「その行う特定非営利活動の種類および当該特定費営利活動に係わる事業の種類」というのは、「情報提供、および発達障害児教育用ソフトウェアおよび障礙者向けユーティリティ・ソフトウェアの開発・開発支援・配布、心身障礙者およびその家族の交流の支援、およびそれに付帯する業務」くらい言っとけば問題なかろう。
 「主たる事務所およびその他の事務所の所在地」は東京都大田区大森某所の大森総合研究所でオッケー。
 「役員に関する事項」は……インプレスの取締役の井芹さんとか、コンピュータ・グラフィクスの権威・大村皓一先生とか……(人間、いろいろと貸しは作っとくもんである)
 「会議に関する事項」については……オンラインの投票システムを開発する必要はあるものの、おおむねなんとかなりそうに思う。
 「資産に関する事項」に関しては……AS傾向の人間には銭勘定に細かい奴が多いから、たぶん公認会計士の資格を持った奴くらい見つかるだろう。
 「収益事業を行なう場合には、その種類その他その収益事業に関する事項」については、とりあえず「出版業およびソフトウェア開発および開発支援」でオッケー。
 「解散に関する事項」に関しては「解散後の資産は『アスペ・エルテの会』に帰属」くらいにしておけば問題なかろう。べつにアムネスティ・ジャパンだろうがなんだろうが一向にかまわんのだが。
 あとは「定款の変更に関する事項」と「公告の方法」だけれど、これはネット上の合議制でなんとかなると思う。

 ……といった話なのだが、本当にマジでやっちゃうぞ。

Joshya wrote:
>ううううう、神よ、叶ふことならこの苦き盃を取りのけ給へ。
ぴよさんwrote:
>まぁ、どっちでもいいんじゃないの。
>神様って、気まぐれな奴だからね。

 『「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の願いとどおりではなく、御心のままに」』
 − 『マタイによる福音書』、第二十六章三十九節

> ”Joshya Xet、アスペルガーの王”(←分かんないってば by KILROY)

 『ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に架けた。それには「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は、「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。しかし、ピラトは「私が書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた』
 − 『ヨハネによる福音書』、第十九章十九−二十二節

猫目4さんwrote:
>ところで
>>Joshya
>って誰でしょうか?
 救世義也(くせ・よしや、Joshya Xet)。『ふたりで聖書を(GOSPEL ACCCORDING TO LOVERS)』(明窓出版、本体一六〇〇円)の著者。

 『あたしと納屋さんは、半年ほど前に「イエス・キリスト」名義で『消された聖母 − 「ヨハネによる福音書」の謎』という題名の一冊の本を出した。あたしたちが福音書を本格的に読みはじめたのがほぼ一年前だから、けっこう無謀である。

 著者名が「イエス・キリスト」そのままでは、あまりに挑戦的である。だから表紙にある著者名は、「救世義也」。上に「くせ よしや」、下に“JOSHYA XET”と振ってある。
 「救世」は、もちろん「救世主」と訳されるギリシャ語の「キリスト」、あるいはヘブライ語の「メシア」(どちらも「油を注がれた者」の意)に引っ掛けてある。
 「義也」は、「彼はまことに義の人であった」という、「ルカによる福音書」のキリストが処刑される場面で百人隊長ロンギノスが呟いた言葉から取っている。「義」というのはロゴスに従うことをよしとする精神であり、「義の人」というのは「叡智(ソフィア)を愛する人」、すなわち哲学者(フィロソファー)に近い意味の言葉だとあたしたちは考えている。だからこの百人隊長が意識していたのは、「神の子・救世主イエス」ではなくて、「悪法も法なり」という言葉を残して毒杯をあおったソクラテスかもしれない。それはイエス先生自身が、過酷な運命をしばしば「杯」にたとえていることとも結びつきそうな気がする。
 日本人が普通に使っている「イエス」という呼び方はギリシャ語からの音訳である。これに対して「ヨシュア」はヘブライ語からの音訳である。
 “Xenon”は「クセノン」と発音するし、“XE”が「クセー」と流れてしまわないように‘T’はサイレントというつもりで、“XET”と書いて「くせ」。‘X’は喉の奥から出る「カ」と「ハ」の中間くらいの音に対応し、「クリスマス」を“X’mas”と表記するのと同様にX・R・Sの音を当てることも慣例的に行われている。したがって“Xt”と書けば、これだけで「クリスト」とか「ハリスト」と読んで、キリストの意味になる。

 “JOSHYA X(RS)ET”。正確には、“JOSHUA XRIST”。こういう仕掛になっている。』
 − 同書より


はじめまして!
No.3939  Sat, 7 Apr 2001 18:20:23 +0900  keisyu [この発言にコメントする]

私以外にもACと、アスペが似ていると思っている人がいたんだ!

私は、ACです。でも、記憶が飛んでいて、あまり実感がなかったので、(虐待の)自覚しだしたのが、最近です。

私と感覚が似ている人と、7年前に結婚し、5年前に子どもが生まれ、その子が高機能の自閉症でした。
そして、なんと主人は、アスペでした。

なんて、非社会的で、素敵な家族!?

でも、世間でいわれるような、暴力など無く、子どもは、自閉症にしては珍しいといわれるほど、人と共感する喜びを知っています。

うちは、一つの文化です。


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3903へのコメント
No.3938  Sat, 7 Apr 2001 18:14:32 +0900  ぽよ子 [この発言にコメントする]

くると wrote:。
> もし社会的評価の観点を無視した場合、みなさんは本
>当に友達を必要としていますか?それとも、1人で生き
>ていくことを望んでいますか?

私は、友人は必要です。
自分ひとりの時間はとても大事だけど、
友達といる時間(社会的な時間)が無いと、自分ひとりの時間が充実しない。

でも、仕事しちゃうと自分ひとりの時間が全然足りないので困る。

自分ひとりの時間と、友達といる時間とは、私にとっては、持ちつ持たれつです。
自分のバランスを取るために、両方が程よくあるのが好ましいです。



あと、話をしやすい(話の通じる)相手との会話は、
私にとっては、自分の気持ちを耕す(整理する)働きがあると思います。
話をしやすい相手との会話で、自分でも気づかなかった自分の考え方が
ポロリと自分の口から出ることがあるので。

人は苦手だけど、でも人と接していなければ見えなかった事が、
今までにたくさんあります。



(でも、以上のような理由を省いたとしても、私にはそもそも、人と接したいという欲求があります。)


友達について 3912へのコメント
No.3937  Sat, 7 Apr 2001 17:47:21 +0900  やんちゃん [この発言にコメントする]

ななは wrote:
>
>確かに1人が楽です。でもやっぱり、たとえ同じ価値観でなくても
>リラックスできる間柄なら、友達は欲しい。

私もこれに近いかな。
小さいときは、本当に友達が欲しいという欲求自体がなかった。寂しいという感覚も解らなかった。人が友達と楽しそうにしていると、うらやましく思ったりもしたけど、何が楽しいのかな、とも思っていた。

今は寂しい感覚もわかる。でも、一人が楽なのは一緒。
ただ、「世の中」から切り離されたような感覚はイヤで、どうにかして人と繋がっていたいと思うのだけど、うち解けるのはなかなか難しい。
どこかに出かける時など、他の人がいると「人間関係がんばってます」というのを場所を変えてやってるだけみたいで、心から楽しめない。一人の方が周りの風景もよく見えて、豊かな経験になったりする。
でも一緒にいてほっとできる人なら、いてほしい。とにかく、楽な人がいいな。

>今は一応こんな私でも付き合ってくれる複数の友達が少し居てくれます。
>1人で生きて、生き抜く力を持った方が良いのかもしれません。
>でも、好きな人と話したりするとやっぱりほっとするし、生活がオレンジやピンク色やペパーミントグリーンで彩られ、嬉しいです。

きっと、いい友達に恵まれているんですね。


案ずるよりうむがやすし。 3934へのコメント
No.3936  Sat, 7 Apr 2001 17:27:20 +0900  ぴよ [この発言にコメントする]

猫目4さん wrote:

>でもね。
>私はそんなに深く考えなくてもいいと
>思ってます。
>「案ずるよりうむがやすし」
>って言葉もあるし・・。
>(って楽天的過ぎ?)

私の場合は、深く考えていません。
感じたことを、そのまま言葉に変換しています。

まさに、「案ずるよりうむがやすし」
という言葉がぴったりだったりします。

アスペの人って、わりと、そんな傾向があるんじゃないかな。


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3926へのコメント
No.3935  Sat, 7 Apr 2001 16:10:07 +0900  マザー [この発言にコメントする]


>>>武田好史 wrote:
>>>> 私は「友達欲しい派」です。
>>>わたしもこっち。
>>
>> うーむ。大人になると、なんか心境の変化があるんですか
>>ね。ちなみにこどもの頃はどうでしたか?(くると)
>
> 子供の時からそうでした。
> きっとその女の子も、本当は「欲しい派」だろうと思います。

私の場合親の視点から、番組を見てしまいましたが、M子さんがちょっとかわいそうだった。番組のスッタフの方たちは、ASの子供の気持ちを分ってないって思いました。「一人で遊ぶのと、友達と遊ぶのとどっちがすき?」なんて質問は、なんか悲しいよ。うちの息子は、小学生の頃、友達とうまく遊べたときなんか、本当に嬉しそうだった。瞳がイキイキと輝いていました。普通の子供でも親友が、必ずいるとは限らないと思うし、なんか大人側が、”親友””親友”って事にこだわりすぎているように私は感じました。


> ただASの場合、<「何かを継続していく」「求めにに対して適切な対処をする」「周りの状況に対して行動を調節していく」という機構がうまく働かない→「社会性がない」などといじめられる・「つきあいが悪い人だ」と敬遠される→ストレスがたまり社会から脱落する→独り身が気楽だと感じだす>といった感じで、「友達が欲しい」といった、本来人間がもっているはずの本能的な願望が抑制されてしまうのだと私は思います。


武田さんは、私が言いたい事をいつもうまく伝えてくれるので、うれしです。


Re: 私はいいです 3931へのコメント
No.3934  Sat, 7 Apr 2001 16:03:06 +0900  猫目4 [この発言にコメントする]

こんにちは。
みんな高いレベルでいろいろ考えてるんだねー。
すごいなあ。

でもね。
私はそんなに深く考えなくてもいいと
思ってます。
「案ずるよりうむがやすし」
って言葉もあるし・・。
(って楽天的過ぎ?)

老後が一人っきりで心配な私は
そーゆーアスぺなどの方々が一緒に
あるいは同じ町に住める日が
来るといいなーと思ってます。
出来れば税金免除のPTとなって
外国で暮らしたい・・・。

ところで
>Joshya
って誰でしょうか?


私って、自己中心的なんです。 3931へのコメント
No.3933  Sat, 7 Apr 2001 15:37:17 +0900  ぴよ [この発言にコメントする]

Moto氏:
>私は実のところこうした「『みんな仲良くしましょうね』的ほんわかムードに水をぶっかけるような真似をする奴」が大好きだ(^_^)。

ちなみに、私は、
「みんな仲良くしましょうね」
とは思ってなかったりします。

「ぴん」とくる人と、つきあうって感じだから。
そういう人とは、最初から、仲良くなっている気がします。

世の中には、「ぴん」とこない人のほうが多くて、
そういう人のことは、どうでもいいって感じです。

私って、自己中心的なんです。
ここらへん、いかにも、アスペらしい。(笑)


Re: 私はいいです 3931へのコメント
No.3932  Sat, 7 Apr 2001 14:49:22 +0900  ぴよ [この発言にコメントする]

Moto氏 wrote:
> だから、要するに今ここで作っちゃえばいいのである。というより、「すでに存在している」と考えればいい。『アスペルガーの館の掲示板』という領土があり、メンバーという国民がいる。はっきりとした文章にはなっておらず、公式に承認されているとはいえないものの、掲示板における書込みのルールという「法律」もある。イギリスなんか成文憲法もないのだぞ? それを考えると「アスペルガー共和国」というのはけっこうちゃんとした「国家」であるように思う。独自の司法権を持たない、というのは国家としての要件ではない。南太平洋諸国にはそんな国は珍しくないし、下手すりゃこの掲示板のメンバーよりも人口の少ない国だってありそうな気がする。

なるほど!!

自分も、あとで「しまった」と思ったんだけど、
憲法なんて、いらねぇや。
これで、オッケーです。


> とりあえず俺は初代帝王としてJoshyaを推す。「その話、乗った!」という奴がいたら応援のカキコを頼む。

その話、乗ったです。

まぁ、帝王なんて、あってもなくてもいいし、
だれがやっても同じですから。


Joshya氏 wrote:
> ううううう、神よ、叶ふことならこの苦き盃を取りのけ給へ。

まぁ、どっちでもいいんじゃないの。
神様って、気まぐれな奴だからね。


Re: 私はいいです 3929へのコメント
No.3931  Sat, 7 Apr 2001 14:28:30 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

文月立斎wrote:
>社会がやさしくないという現実には絶望したくなる時もありますが、現実に納得
>できないのであれば、あらゆる手段で自己の存在を守るために戦うしかないと思
>います。
>真似しろとは言いませんが、やはり人は人である以上、社会というものに属さな
>ければいけないと思います。
>もしそれができないのであれば、俗世を捨てるという方法で社会から離脱するし
>かないのではないでしょうか?

Mr.Moto>私は実のところこうした「『みんな仲良くしましょうね』的ほんわかムードに水をぶっかけるような真似をする奴」が大好きだ(^_^)。

 しかし立斎さんは盲目的主体(と私は思ってはおらんが)としての社会というものを過大評価しとらんか?

 社会から離脱することなく良心に基づいて共同して独自の社会を作る、ということは現実的に可能であり、しかもそれは我々が住む社会において現実に機能している。
 一つは同業者組合、すなわちギルドによる共同体である。「自由な石工」を意味するフリーメーソンあたりを持出すまでもなく、アスクレピオス教団を祖に持つ医師会があり、弁護士会などというものもある。他にも野球や相撲の世界がそうだし、囲碁や将棋の世界だってそうだ。いわゆる露店商、すなわちテキヤの組織などというものもある。
 国家や民族のレベルではかつてのイスラエルがそうだったし、中国には「幇」という互助組織がある。
 思想信条ということであれば、ライオンズクラブありロータリークラブありエスペランチストの組織ありサルベーション・アーミー(救世軍)あり、その他政治組織となると合法非合法社会的反社会的秘密公開とりまぜて腐るほどある。

 だから、要するに今ここで作っちゃえばいいのである。というより、「すでに存在している」と考えればいい。『アスペルガーの館の掲示板』という領土があり、メンバーという国民がいる。はっきりとした文章にはなっておらず、公式に承認されているとはいえないものの、掲示板における書込みのルールという「法律」もある。イギリスなんか成文憲法もないのだぞ? それを考えると「アスペルガー共和国」というのはけっこうちゃんとした「国家」であるように思う。独自の司法権を持たない、というのは国家としての要件ではない。南太平洋諸国にはそんな国は珍しくないし、下手すりゃこの掲示板のメンバーよりも人口の少ない国だってありそうな気がする。

>納得いかなければ満足するまで行動あるのみという精神が、もっとも最良じゃな
>いかというのが私の意見です。
とまで主張する人間が、
>もしそれができないのであれば、俗世を捨てるという方法で社会から離脱するし
>かないのではないでしょうか?
程度の物言いしかできないというのはいかにも幼稚、あるいはいかにも極端じゃないか? 個性を持った人間が社会という主体の前に同じく主体として堂々と立つことができる、という可能性を、そんなに簡単に見捨てちゃっていいのか?

 とはいえ「共和制」とか「立憲君主制」とかいうのはあんまり好きではないので王制とか帝制にして、帝王の座を空位にしておくというのがよろしい。で、十二月二十四日に籤引き(これを英語でHandicapという)をしてババを引いた奴が帝王の座につき、一月七日になったら引きずり降ろすのである。

 とりあえず俺は初代帝王としてJoshyaを推す。「その話、乗った!」という奴がいたら応援のカキコを頼む。

Joshya>ううううう、神よ、叶ふことならこの苦き盃を取りのけ給へ。

 ”Joshya Xet、アスペルガーの王”(←分かんないってば by KILROY)


Re: 障がい者? 3851へのコメント
No.3930  Sat, 7 Apr 2001 13:20:35 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

Xanadii さんwrote:
> 中国語では「障害者」は「残障者」になるそうです。どーですかねーこれ。
 中国語の「残障者」は "Crippled" に相当する言葉で、日本語の「障礙者」にあたる "Handicapped" はモロに「不倶者」(本来持っているべき機能をそなえていない者)だという説があります。
 なお、動詞 cripple は「台なしにする/ぶちこわしにする/(機能を)損なう/(機能の)損傷を受ける」の意。そこで Crippled というのは、通常は戦後「傷痍軍人」と呼ばれた人たちのことを指しますが、昔は「癈兵」と呼ばれました。
 なお、所長が「会社の名前は出さないでもらいたい」という条件で入った仕事のとき(この業界、派遣のまた貸しはいかんとか、いろいろあるのだ)に、所属として「クリップルド・カンパニー(Crippled Co.)」というのを使っていたことがあります。「後遺症を抱える人々の会社」みたいに見えますが、漢字による正式表記は『癈兵部隊』でした(^_^!)。

 所長が将来会社を作るようなことがあれば、たぶんこれが社名になるはずです。

 「BANANA FISH」っていうのも考えたそうだが(^_^!) Mr.Moto


私はいいです 3927へのコメント
No.3929  Sat, 7 Apr 2001 11:39:55 +0900  文月立斎 [この発言にコメントする]

こんにちは。
>もし、アスペルガー共和国ができたら、どんな国になるでしょう。
う〜ん、健常者の方には居心地が悪いかもしれませんね・・・皆とはいいませんが、ASの人たちは融通がきかないから。

ASは所詮相容れない存在であるから、同じもの同士で固まった方がいいという意見はちらほら散見するのですが、私自身はあまり好きでないのです。
私自身この現実という人間社会において社会的存在に成り得ない苦しみを嫌というほど味わってますし、そのせいで重度のトラウマも抱えていて、私自身と家族にとても重い負担になっています。
しかしだからと言って社会から離脱し、共同体を作ったからと言って、そこが楽園になるかといえば疑問があります。
かつて社会に幻滅し特異な共同体を作り問題となった団体を見ると、最初の原点が人間の良心に基づくものであったとしても、結局社会に取り込まれてしまったり、独善性を重んじるあまり社会に対する排他性が強まってしまい、人にとって害毒にしかなり得なかった現実しかなかったような気がします。

沈黙の艦隊という漫画でアメリカ大統領が「人の良心に頼って政治をすることは危険なのだ。」と言っています。
個人の良心に頼り過ぎてしまい、墓穴を掘ったケースとしてヒトラーのヨーロッパ進行にお墨付きを与える結果となってしまったチェンバレンなど探せばいっぱいあるかと思います。
個人の良心にまかせるという言葉は、ある意味純粋な理想だと思います。
だが良心という概念は人それぞれであり、ごく稀に危険極まりないものを抱えている方もいる以上、良心という概念に頼る発想は危険だと思います。

私自身はASというものを抱えているにしても、社会的動物という人に生まれたからには、人として生きたいと思います。
社会がやさしくないという現実には絶望したくなる時もありますが、現実に納得できないのであれば、あらゆる手段で自己の存在を守るために戦うしかないと思います。
真似しろとは言いませんが、やはり人は人である以上、社会というものに属さなければいけないと思います。
もしそれができないのであれば、俗世を捨てるという方法で社会から離脱するしかないのではないでしょうか?
もし私にやさしくないのなら、まず私が社会に溶け込む努力はしますが、社会に対しても私を理解してもらうべくあらゆるアプローチをしたいと思います。
納得いかなければ満足するまで行動あるのみという精神が、もっとも最良じゃないかというのが私の意見です。

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