アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 「だれか助けて」 4201へのコメント
No.4208  Mon, 16 Apr 2001 22:19:52 +0900  Maria [この発言にコメントする]

大槻いつきさん wrote:
>アスペルガーの子供が参加しやすい組織になるには、アスペルガー共和国は
>どんなものになればいいんでしょうね。

 『さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」』(『ヨハネによる福音書』、9・1−3)

 つまり、「参加しやすい組織にする」のではなく、「積極的に求め、迎え入れる組織」なのですよ。

 − Maria −


Re:Re: Maria さんへ 4205へのコメント
No.4207  Mon, 16 Apr 2001 21:04:34 +0900  ななは [この発言にコメントする]

ボウルター wrote:
>だけど、これは鬱を経験した人間にはもう嫌っていうほど分かっ
>ていることなのだけど、「がんばれ」とかいった「励まし」の言葉が、それが心底>その人の優しさから出ているからこそなおのこと、死ぬほどしんどいんです。「善>意」や「優しさ」すらが苦しいときって、ありませんか。
>あります。
>心を成長させることについてよく考えてみます。

こんばんは。よかったあ、ボウルターさんがまたここを訪問されて。
(天使Versionのななは)
無理して急がないで下さいね。あなたはあなたのままでいいと思います。
ただ、辛いときのコントロールを自分で自分にしてあげて下さい。
あなたはあなたなりに充分悩んで来られたのだから。

>私の劣等感からでた言葉です。
>年相応に見られたくて無理していました。
>なんとかついていきたいと思って。
>そう、精神的に大人になっていないのです。
>Mariaさんがあるレベル以下の人を排除しようとしているという妄想にとらわれ
>て、私はその中に入っていて、追い出されるのがいやでひどいことを書いてしまい>ました。
>ごめんなさい。

Mariaさんしかり、いろんな人の意見って貴重だと思います。
人間、心配していないとそういう事は言ってはくれないですから。

>考えもつかなかったことが次から次へと書いてあって、本当に感謝してます。
>ただ私にはMariaさん達があまりにも賢過ぎて正直怖かったのです。
>Mariaさんがやさしい人だとわかったのでもう怖くなくなりました。
>でも、Motoさんはちょっと怖いかな?(笑)
>ということでこれからもよろしくお願いします。

私もMariaさん、怖ーい。(爆笑)
冗談です。これからもわたしたち、一緒に歩きましょう、ボウルターさん。
私たちはひとりぼっちではありません。


Re: 総括について 4200へのコメント
No.4206  Mon, 16 Apr 2001 20:48:04 +0900  Maria [この発言にコメントする]

ななはさんwrote:
>こんにちは、Mariaさん。先日からのやりとりでなんか起きずによかったなあ
>と思っているななはです。
 ご心配をおかけしました。あたしは以前のHiroさんのカウンセリングの件(No.3573、No.3728、No.3733)があったので、それほど心配はしていませんでした。文月立斎さんが「1/100の意見とパラドックス」(No.4021)で指摘されているように、「敵意が敵意をエスカレートさせる」という事実は確かにあるんですが、まっとうな人間は相手が真摯かつ誠実かつ理性的に自分に対処しようとしているということを理解すると、怒りを維持できなくなります。「相手に自分より優れた部分があることを絶対に認めたくない」と嫉妬に狂った相手は別ですが、そういう人は掲示板なんかに顔を出さないか、一方的に自分の意見を主張して去ってゆきます。つまりはボウルターさんはあたしたちが信頼するに足るひとだった、ということでしょう。「とにかく人と人が対決しているのを見るだけでも厭」というひとには申し訳ないんですけど、もう少し議論を尽してもよかったかな?と思います。

>自分でも不思議なのですが、感覚を浮遊させている時と、議論をする時とは
>まったく別の自分がいます。(多重人格ではなく)
>だから、演出はしていないと思っているつもりですが、第三の心理学的
>頭脳をここでは働かせる私、がここにおける自分だと、思いました。
>この三つのタイプが私の中では同居していることになります。
>天使と悪魔が同居している、という思考形態はASの人にとっては
>意外とあたりまえの状況でしょうか???
 「ASの人にとっては」というより、「人間にとって」あたりまえなのだと思います。ぺりこさんの「なりきる?」(No.3632)に対するレス(No.3639)でKILROYさんが言っているように、人は親に対しては「子供としてのペルソナ」、子供に対しては「親としてのペルソナ」、夫に対しては「妻としてのペルソナ」……といった形で、複数のペルソナを使い分けています。ななはさんはRomyさんだったりNANAHAさんだったりした時代を経て現在のななはさんなわけですから、けっきょく(2)の「自己発見型」なのだと思います。

 とはいえあたしの個人的な見解でしかないんですが。 Maria


Re:Re: Maria さんへ 4194へのコメント
No.4205  Mon, 16 Apr 2001 20:21:19 +0900  ボウルター [この発言にコメントする]


>>いくら出家しても世間から隠遁して修行してもそれは私はある意味違うと
>>思います。混沌の現世の日常の中で、自分の心をどう成長させるかが大切
>>なのではないでしょうか?
>という言葉を、ボウルターさんにかけてあげたくなった。
> だけど、これは鬱を経験した人間にはもう嫌っていうほど分かっ
ていることなのだけど、「がんばれ」とかいった「励まし」の言葉が、それが心底その人の優しさから出ているからこそなおのこと、死ぬほどしんどいんです。「善意」や「優しさ」すらが苦しいときって、ありませんか。
あります。
心を成長させることについてよく考えてみます。
>>貴重な意見を投稿するのはいいことですが、支配されるのは不快です。
>といった苛立ちがある、ということ自体、ボウルターさんが「他人の影響を受けたくない」「他人に振り回されたくない」と思っているということでしょう?
> あたしは「ボウルターさんの書込みに対するななはさんの書込み」に対してコメントしただけで(あるいはそのことで、ボウルターさんを不用意に「励まして」しまいそうな人に対して注意を喚起しただけで)、ボウルターさんに命令したりボウルターさんを支配したりするつもりはまったくなく、むしろ逆のことをしているつもりなのですが。

>>Mariaさんは何様のつもりなのですか。
> あたしは影のような存在です。思いっきり罵倒しようが馬鹿にしようが、あたしは気にならない

私の劣等感からでた言葉です。
年相応に見られたくて無理していました。
なんとかついていきたいと思って。
そう、精神的に大人になっていないのです。
Mariaさんがあるレベル以下の人を排除しようとしているという妄想にとらわれて、私はその中に入っていて、追い出されるのがいやでひどいことを書いてしまいました。
ごめんなさい。

他のカキコメンバーもたぶんあたしについては気にしないと思います。そしてあたしは誰にも信用されません。
私が言うのも何ですがそんなことはありません。
考えもつかなかったことが次から次へと書いてあって、本当に感謝してます。
ただ私にはMariaさん達があまりにも賢過ぎて正直怖かったのです。
Mariaさんがやさしい人だとわかったのでもう怖くなくなりました。
でも、Motoさんはちょっと怖いかな?(笑)
ということでこれからもよろしくお願いします。


質問(アスペの子の教育、注意すべき点は?)
No.4204  Mon, 16 Apr 2001 18:34:11 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

 みなさんこんばんは。

 4月も半ばを過ぎ、そろそろ学齢期の子は、「なんかこの教室とけ込めない・・・」「なんか勉強についていけない・・・」「先生に怒られてばかりいる・・」といった悩みを抱え始めている頃だろうと思います。

そこでみなさんに質問です。

 あなたが思うところの、アスペの子の教育をしていく上で、「これは注意すべきである!」と思うことを3つあげるとしたら、どんなことをあげますか?


Re: はじめまして 4184へのコメント
No.4202  Mon, 16 Apr 2001 17:15:10 +0900  マザー [この発言にコメントする]

あさかぜ wrote:
>初めておじゃまします、あさかぜと申します。よろしくお願いします。

初めまして、マザーと申します。ASと診断された息子がいます。

>「私にとって人生最大の不幸は結婚したことで
>あり、にもかかわらず人生最大の幸福は娘がいることなの」でした。かなりの本音
>をこめて、自分の直面しているジレンマ(アンビバレンツ?)を伝えたつもりだっ
>たのですが、友人たちの答えはたいてい「あなたって面白い人ね」か、それに類す
>る言葉なのでした。

たとえば、私が「あなたって面白い人ね。」って相手に言う時、相手の言っている事が矛盾してる様に思える場合と、よく理解できないときに言うと思います。

私は、”人生最大の幸福は娘がいることなの”って言えるあさかぜさんが、ちょっぴり羨ましいです。私には、言えない台詞です。
今の私は、子供がいる事が幸福だとは言えないけれど、”息子のことは大好きだよ”


「だれか助けて」
No.4201  Mon, 16 Apr 2001 15:21:43 +0900  大槻いつき [この発言にコメントする]

レスつけたい発言が結構たまっちゃったので
まとめて書いてみたりします。

前に、精神科医に自分の抱える困難を知らせるのが
むずかしいと言いました。
以前は、「実はたいして困ってないからうまく説明できないんだ」と思ってたんですが、
私以外にもうまく他人に助けを求められない人がいらっしゃるみたいでちょっと嬉しかった。

同じアスペルガーの人間になら、多くの言葉を費やさずとも自分の悩みをわかってもらえるかもしれない。
そういう意味でも、「アスペルガー共和国」っていいな、と思います。

でもちょっと問題になると思うのは、
「アスペルガーでない人にもアスペルガーの子供は生まれる」ということ。

現在大学生の私は、ごく最近アスペルガーという病名を知りました。
「もし、もっとはやいうちに知っていれば今より有利な人生をおくれたかもしれない」、と
思うことは多いです。
でも、私の家族は比較的そういうものへの偏見がないほうだからいいけど、
偏見のある親、自分の子供が脳障碍を抱えていると過度のショックをうけてしまう親のもとに
生まれた子供は、病名なんてつかないほうが屈託なく育てるかもしれません。

私がちょっと嫌ってるうちの祖母は、感覚が古いからかもしれませんけど、仮に
「あなたの子供は脳に障碍がある」なんていわれたらすぐに子供を座敷牢にでもいれちゃいそうなタイプ。

子供が「自分が普通と違っているらしい」という事を認識しつつ、
それについて劣等感を抱くことなくまっすぐに育てる助けになれれば。

もしアスペルガーの人たちがうまく暮していくための自助団体みたいなものができるなら、
できるだけ多くの人が参加しやすい組織になるといいな、と思うのです。
うちの祖母みたいに「障碍のある子供=世間に対して隠しておくべき存在」と思っちゃうような人でも、
子供をその組織にいれられるような。

「私の子は障碍なんかじゃない」「脳に障碍がある人間がばかりの組織に子供を参加させられるものか」
そう考えてしまう親はたくさんいるだろうし、その親の元に生まれた子供にだって、
いやそんな子供にこそ、成長する過程での外部からの助けは必要になると思うから。

アスペルガーの子供が参加しやすい組織になるには、アスペルガー共和国は
どんなものになればいいんでしょうね。

#アスペルガーのことを脳障碍と書きましたが、これは「アスペルガーの子供を持った親」
はアスペルガーを障碍と考えだろうということであり、私自身がそう思っているという意味ではありません。


総括について
No.4200  Mon, 16 Apr 2001 14:56:13 +0900  ななは [この発言にコメントする]

こんにちは、Mariaさん。昨今からのやりとりでなんか起きずによかったなあ
と思っているななはです。以前の私の言い方が変でした。
私はどれにも当てはまらないと思ったんです。要するに天使のような、
ああ、蝶が奇麗だな、とぼんやりする自分と
家の職業的な慣習もあり、シビアな金銭管理論をぶったりする自分です。
自分でも不思議なのですが、感覚を浮遊させている時と、議論をする時とは
まったく別の自分がいます。(多重人格ではなく)
だから、演出はしていないと思っているつもりですが、第三の心理学的
頭脳をここでは働かせる私、がここにおける自分だと、思いました。
この三つのタイプが私の中では同居していることになります。
天使と悪魔が同居している、という思考形態はASの人にとっては
意外とあたりまえの状況でしょうか???


総括『質問・「あなた」は誰ですか?』 4090へのコメント
No.4199  Mon, 16 Apr 2001 13:02:44 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 言いっぱなしというのはいけないことのように思うので、『質問・「あなた」は誰ですか?』にお寄せいただいた回答について「まとめ」のようなことをしてみました。

 書込みを行なっている「自分」については、大きく分けて三つのタイプがあるようです。

1)ペルソナ援用型
2)自己発見型
3)自己演出型

(1)の「ペルソナ援用型」の代表は、ななはさん。いたってふつうの日常の自分。いちばん普通のようで、けっこう時代の先端かも。ふつうの人って、やっぱり掲示板に書込むのって緊張しちゃうから、それなりの構え、というか、ふだん以上に厚い仮面をかぶってしまう人が多そうに思います。ときどき自分の言いたいことだけ言って消えちゃうタイプの人というのは、こうした「堅固なペルソナ」が脱げなくなっちゃったひとなんじゃないかな、と思います。

(2)の「自己発見型」については、あたしは誤解をしていました。やっぱり、「無垢の自分」から出発して、新しいペルソナを構築してゆく、という人はいないようです。逆に、「普通の自分」のつもりで話しているうちに、普段の自分よりずっと楽に喋っている自分を発見する、という「脱皮型」のひとが多いようです。大槻いつきさん、ぴよさんがこのタイプに分類できそうな気がします。「この掲示板へ来て楽になった」という人の多くがここにいそうな気がします。

(3)の「自己演出型」の典型的な例はMr.Motoで、ちょっとこっち寄りにいるのかな、と思ったのがさくらかのえさん。いつも「素敵だなぁ」と思って見ています。キチッと突っ込んでキチッと切り返す、相手との「対話」を楽しむタイプと想像します。
 だけど、井戸端会議的な「お喋り」にはうんざりしちゃうので、周囲の人には無口だと思われていると思います。逆にMr.Motoは「はっきり言ってヌルい雰囲気が嫌い」と言いながらも、喋りまくって圧倒する三味線野郎なものですから、一部では「軽薄」と見られているかもしれません。

 はっきりご自分で「演出」しているというXanadiiさんは、なんとなくあたしと同じようなポジションにいそうに思います。つまり、「自己発見型」と「自己演出型」の中間地点。自分がいちばん楽に喋れるポジションを模索していったらここに到達した、という気がします。まあ、パンクスとおかまだもんな。

 こういうタイプ分けって、きっちり分けられるものではないんですけど、それぞれ極端なケースを三角形の頂点に取って、その三角形の中のどのあたりにいる、みたいな感じに把握できそうな気がします。で、こうやってペルソナと本人の関係を考えながらみなさんのカキコを見ていると、われわれにとって居心地の悪い世間とどう折合っていっているか、というのが見てとれるようでとても参考になります。例えてみれば、「装甲型・鉄面皮型」「迷彩・ステルス型」「擬態・変装型」とでも申せましょうか。あたしもちょっとイメージ戦略を練りなおしてみようと思っています。

 御協力ありがとうございました。 Maria


Re: アスペルガー共和国の掟 4197へのコメント
No.4198  Mon, 16 Apr 2001 11:58:49 +0900  Maria [この発言にコメントする]

武田好史さんwrote:
>ここでは他人を支配してはならない。
 『「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」』(『マタイによる福音書』、20・25−28)

>全ての人は等身大の自分として、尊重されるべきである。
 『「子供たちを来させなさい。私のところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」』(『マタイによる福音書』、19・14)

>自らの利益のために働かない、誇りをもって他人のために働くこと。
 『「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」』(『マタイによる福音書』、6・31−33)
 「金は商売の残り滓である。」(澁澤營一)

 『「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」。イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な掟の第一である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている』(『マタイによる福音書』、22・36−40)

 『「思うに、バプテスマのヨハネの教えの基本というのは、一種の経済学なんですよ。たとえばですね、私がパンを一個持っているとするじゃないですか。この原価が五十円だとします。で、お嬢さんはそのパンと区別する必要のないパンが通常百円で売られているのを知っていて、なおかつパンを求めていて、百円という価格をリーズナブルなものとして受入れているとします。すると、私がそのパンを七十五円でお嬢さんに売るというのは双方にとって利益のあることで、オプティマルな選択であるということです。しかしお嬢さんが五十円以下でそのパンを買ったり私が百円以上でそのパンを売りつけたりすることはオプティマルではないので、それは神の意志に反していると。そこで『その原則に照らしてお前は間違っている』という話合いのレベルに持っていって、それで相手が話合いに応じなければ教会へ一緒に行って裁いてもらう。こういうことです」
 「だけど、あたしがお金持ってなくって、ものすごくお腹空かしてたら?」
 「私はお嬢さんにパンを渡して、『好きなだけ取りなさい。私はその残りをいただこう』と言います」
 「半分ずつに分けるんじゃなくって?」
 「お嬢さんと私では、性別も年齢も体重も体脂肪率も腹の空き加減も違います。半分ずつに分けるというのが適正配分だとは思いませんから」
 「だけど、納屋さんだってお腹すいてるわけだし」
 「それは話合いによって情報交換をすればいい。『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』というのと、『隣人を自分のように愛しなさい』というのが、すべての律法の基本になっているわけです。たとえば資本主義社会の掟である経済原則によって、私はパンに五十円という値段をつけ、お嬢さんは百円という価値を認め、相互にそれを確認したわけです。この『公正である』という感覚、これが『神を愛する』ということであり、『義』なんです。その前提に立って、相互に利益を分け合うことができるならば、それを公平に分け合おうと。この『公平である』という感覚が、『隣人愛』なわけです。ただ、『公正である』とか『公平である』とかっていう感覚は、人によってズレがあるわけです。そこで『相互理解によって適正配分率を双方が確認し、それによって資源を分配する』という原点に立ち返って、私は『権利を主張しあう』のではなくて『譲りあう』ことで調整していこうと考えたわけです。割と自然な発想でしょう?」
 「なんかこう……ゲーム的なところがありますね」
 「ゲーム的というより、ゲームデザイナー的感覚なんだと思います。たとえば林檎が一個あったとき、『一人が同じ大きさになるように二つに切って、もう一人がどっちか大きいと思った方を選ぶ』ということであれば、確かに『感覚的な大きさ』について公平ではあるわけですよ。だけど、それ以外にも『ジャンケンで勝ったほうが取る』という『機会の公平』もあるし、その林檎にそれぞれが値段をつけて、高い値段をつけたほうが相手にその値段の半額を支払ってその林檎を取るといった『商業的価値の公平』もあるわけです。それぞれにとっての価値の差を認めあうという点では、一つの価値観に縛られてはいけないんですよ。ひょっとしたら私は林檎の絵を描くために林檎が必要で、お嬢さんはビタミンと食物繊維を補給するために必要かもしれない。そうしたら私が絵を描いてから、お嬢さんが食べればいい。これがオプティマルな選択ということです」』
 (救世義也『ふたりで聖書を』、「第二章 奇跡の舞台裏」より抜粋)

 思うに、『アスペルガー共和国の掟』というのは、プログラマーがよく使う「ロジカル」であることに尽きるような気がします。「論理的だ」というより、「『なるほど』と納得がゆく」「発想が美しい」「筋が通ってる」という感覚。
 で、「ロジカル」=「クリティカル」+「オプティマル」であると。
 違うかな?

 − Maria −


アスペルガー共和国の掟
No.4197  Mon, 16 Apr 2001 10:25:11 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

ここでは他人を支配してはならない。
全ての人は等身大の自分として、尊重されるべきである。
自らの利益のために働かない、誇りをもって他人のために働くこと。


Re: 精神科のかかりかた 4112へのコメント
No.4196  Mon, 16 Apr 2001 10:01:33 +0900  Maria [この発言にコメントする]

大槻いつきさんwrote:
>「説明できないけどとにかく生きてるのが苦痛」と言ったら、抗鬱薬をもらって
>しまいました。
>なんか誤解されてるような……

 以前、入院していたときに、隣の患者さんが夜中にうるさくするので眠れないことがありました。
 お医者さんにそれを言ったら、睡眠薬を処方してくれました。
 「で、これを隣の患者に一服盛るんですね?」
 「……あなたが飲むんです。」(^_^;)

 「こころの病気」の九割くらいは、「脳の病気」や「精神の病気」ではなくて、「人間関係の病」であるように思います。
 で、もつれた人間関係をほぐすためには外からの介入がどうしても必要になってくるんですが、たとえば親に原因があって子供にトラブルが出る、といった形になると、外からの介入を親が拒絶したらまったく手が出せなくなってしまいます。

 中世のヨーロッパでは、この「もつれた人間関係をほぐす仲介役」の機能を、教会や魔女が担っていたようですが、現代の日本ではこの役割を担う組織がありません(昔はご町内の顔役とか御意見番とかがいたものだそうですが)。そこに怪しげな宗教団体などがつけこむ隙があったりもするわけです。

 だから、「敢えて余計なお節介をする」という(実際のところ、これは犯罪スレスレの行為です)組織が、あってほしいと思います。でないと、学校や会社の中での「いじめ」なんていうのは、絶対になくなりません。「これは、学校の中のことだから」「これは、会社の中のことだから」とか言ってる学校や会社には、自分でトラブルを解決できるだけの自浄作用が失われています。その結果自殺者が出た、とかいったらどうするのでしょうか。

 国家が個人の生活に干渉するのには限界があります(というか、限界を設けておかないと危険です)。ですから、こういった強制介入組織は、あくまで非公認の、民間組織でなければなりません。

 話は違うかもしれませんが、横レス・おせっかい・コメントは基本的に歓迎されるべきことだと思います。でないと、本当に介入してほしい人は「自粛」してしまい、立ち入ってほしくない人がやたらに首を突っ込んでくる、みたいになってしまいます。

 そんなわけで、あたしは横レスやコメントをいつも嬉しく思っています。みんな、ありがとうね。

 とはいえあたしは嫌われているかもしれないとちょっと思う Maria 


バイオ科学ニュース4月号(無料)のお知らせ
No.4195  Mon, 16 Apr 2001 01:08:11 +0900  Ishikawa [この発言にコメントする]

バイオ科学ニュース(http://biokagaku.com)4月号(無料)のお知らせ

4月号(4月13日発刊)の内容は下記のようになっています。
--------------------------------------------------------
重い新生児は高い知能をもつ
飲酒自転車運転は致命的かも
エストロゲンが女性の心臓を健全に保つ
アプガー指数はまだ最も良い予測値だ
単純な尿テストで膀胱ガンが明らかになる
なぜ肥満は糖尿病のリスク要因であるのか
プリオンは悪評に値しない
成長がより速いオレンジの木
--------------------------------------------------------
アプガー指数ってなんでしょうか。医療情報に興味のあるかたは「アプガー指数はまだ最も良い予測値だ」という記事を御読みください。また、肥満が糖尿病のリスク要因であることが分っていますが、分子生物学的見地から理解したい方はぜひ「なぜ肥満は糖尿病のリスク要因であるのか」という記事を御読みください。最後に「狂牛病」に興味ある方は「プリオンは悪評に値しない」という記事は必読です。

P.S. 管理人さんへ。 もし内容が不適当でありましたら削除してください。
ただ教育に関する情報なので掲示板をおかりしました。

http://biokagaku.com


Re:Re: Maria さんへ 4189へのコメント
No.4194  Mon, 16 Apr 2001 00:21:17 +0900  Maria [この発言にコメントする]

ボウルターさんwrote:
>ここに留まるかは私が決めることです。
 そのとおり。
>誰が追いたてているのですか?
 それはあなたがいちばんよく知っていると思います。
 ななはさんは優しいひとです。ですから、
>いくら出家しても世間から隠遁して修行してもそれは私はある意味違うと
>思います。混沌の現世の日常の中で、自分の心をどう成長させるかが大切
>なのではないでしょうか?
という言葉を、ボウルターさんにかけてあげたくなった。
 だけど、これは鬱を経験した人間にはもう嫌っていうほど分かっていることなのだけど、「がんばれ」とかいった「励まし」の言葉が、それが心底その人の優しさから出ているからこそなおのこと、死ぬほどしんどいんです。「善意」や「優しさ」すらが苦しいときって、ありませんか。

>貴重な意見を投稿するのはいいことですが、支配されるのは不快です。
といった苛立ちがある、ということ自体、ボウルターさんが「他人の影響を受けたくない」「他人に振り回されたくない」と思っているということでしょう?
 あたしは「ボウルターさんの書込みに対するななはさんの書込み」に対してコメントしただけで(あるいはそのことで、ボウルターさんを不用意に「励まして」しまいそうな人に対して注意を喚起しただけで)、ボウルターさんに命令したりボウルターさんを支配したりするつもりはまったくなく、むしろ逆のことをしているつもりなのですが。

>Mariaさんは何様のつもりなのですか。
 あたしは影のような存在です。思いっきり罵倒しようが馬鹿にしようが、あたしは気にならないし、他のカキコメンバーもたぶんあたしについては気にしないと思います。そしてあたしは誰にも信用されません。なぜならあたしの話す言葉は単なる「セリフ」でしかなく、他のカキコメンバーはそれを知っています。
 以前、「Maria様」と呼ばれたことがありましたが、慎んで御辞退させていただきました。もちろん褒められるのは嫌いではありませんが、その称讃を受けるべきは私ではありません。

 あたしはつねづね「自分はどーでもいー存在なので、あんまりあたしの言うことを真剣に聞いたりはしないでくださいね?」とお願いしております。あたしの御本尊は、自分の言動の与える大きさに嫌気がさしてしまって引きこもってしまったひとだったものですから……

 「なべつかみの女王」と呼ばれるのはちょっと嬉しい Maria


Re:私の苦手なもの 4175へのコメント
No.4193  Sun, 15 Apr 2001 23:51:05 +0900  さくらかのえ [この発言にコメントする]

KILROYさん wrote:

> さくらさんの嫌悪感も、おそらくは「こいつら何言っても通じないんだろな」みたいなコミュニケーションの断絶に対する絶望感、みたいなものに由来するのではないかと思ったりするのである。

そうかもしれません。
言い方変えると「自分はぜったい正しい。自分を批判する人間は間違っているか、ものごとがよくわかっていない可哀相な人間である」と言わんばかりの態度に対する嫌悪感。
最初から「こいつは間違ってる」「こいつはわかっていない」という前提の人間とコミュニケーションはできないですね。

選挙カーも最近は「大きな音でご迷惑をおかけしております」とか言ってるけど、
言ってるだけで、悪いなんてこれっぽっちも思ってないのはミエミエ。
そうかと言って「わたしは選挙カーは使いません」てなことを売りにして、
自転車で選挙区まわってる候補者に投票する気も起きないが。


Re: 結婚について 4185へのコメント
No.4192  Sun, 15 Apr 2001 23:41:50 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

 男と女が一緒になり、子供を育てるということに、なにか理由がいるとは思えません。
 生物学的にいえば男というのは女性の子育てを支援するために生まれたものだというのがありますから、ただ相手の女性が自分のすることで喜んでくれるのが嬉しい、ということだと思います。これはセックスについてもたぶん同じです。

 ですが、私の周囲にいた多くの人というのはそうは考えなかったようです。男にとって「結婚」というのは一種の「ご褒美」、すなわち「妻」という労働力を利用する権利を得ることであり、なるべくなら優秀な「嫁」をあてがって私を、あるいはその「嫁」を利用することを考えていたようです。ですから、たとえば会社で「仕事が忙しくて食事を作ったり洗濯をしたり布団を干したりする暇がない」というようなことを言うと、上司に「そんなものは結婚して嫁さんにやらせればいいんだ! 会社でそんなみっともないことを言うな!」と一喝されました。

 「野合(やごう)」というのはもはや政治の世界以外では死語になっているのかと思っていましたが、実際には根強く生きているようです。

 私は三十を過ぎるまで派遣プログラマーの仕事がメインであり、夜は連日十時過ぎまでの残業があたりまえ、休日もほとんどが出勤、という状況であり、仕事の性質上一人ではできない仕事だったので仲間とスケジュールの調整をしないと定時退社や休日は取れませんでした。で、その間を縫って女性とつきあったこともあったのですが、派遣先の上司と務めていた会社の上司の両方から、「君はまだ結婚なんていうことを考えることができる身分じゃないだろう。それに、いま会社がどんなに大切な時期だか君は分かっているのか?」とこんこんと諭されました。

 どうやら、結婚というものは、周囲が「結婚していい」と判断したときに、本人に適当な相手をあてがって「身を固め」て、共同体の一部として組み入れられる、というものだと周りの人々は思っていたようです。つきあっている女性の上司から「親御さんから大事な娘さんをお預かりしているのだから、責任上見過ごしにはできない」とかいって干渉されたこともありました。「結婚というのは当人同士のことじゃなくて、家と家のことだから」と干渉されたこともあります。私がつきあっていた女性というのはだいたいが仕事上のパートナーに近い人であり、本人も自分の仕事に自身があったせいもあり、そうやって家だの会社だのが一体となった「共同体」に取込まれるのが怖い、あるいは不快、だということで、「あなたは素敵な人だとは思うんだけど」と言って去っていった人あり、干渉に堪えきれずにキレてしまった人ありで、けっきょく「結婚」というところまで到達する女性はいませんでした。

 「どうしてそうやってあなたばっかり期待をかけられちゃうの?」と彼女に責められたこともあります。で、私は本気で「どっかの地方都市で、学習塾の先生でもやりながら、CAIソフトウェアの開発を足掛かりに地場産業としてのソフトウェア開発を育てていきたい」と本気で思ってました。で、実際に八丈島でそれを実現しようとも思ったんですが、父親が亡くなったり、あるいはバブル崩壊のために会社の経営が悪化して私が会社を辞めてしまうと会社が成立たなくなる、ということになってしまったために、それどころではなくなってしまいました。
 「いつか日本語処理技術を形にして、『自分の仕事』をものにする」と思っていました。ところが「とりあえず目先の経営危機を何とかする」という「とりあえずの仕事」に忙殺され、それがうまく行ったかと思うと取引先の経営トラブルによってまた後退し(今から思えば会社の経理担当者がパクリ屋とつるんで取込み詐欺を行なっていたらしいのですが)、の繰返しをしているうちに、とうとう刀折れ矢尽きて弊れてしまった、というわけです。

 で、そうなってみると今度は私は「期待を裏切った」ということで悪者にされてしまっていました(^_^;)。そりゃあないでしょう皆さん、と私は思いましたね。

 で……私と結婚することによって相手の女性が幸福になる、というビジョンが描けなくなっちゃった私は、結婚というものについて絶望しちゃったわけです。

 ですが……このところちょっと考えが変わってきたんですね。私は家事全般普通の主婦……それも主婦になりたてのルーキーではなく主婦歴数十年というベテランと互角に勝負できるだけの腕前を自負しております。で、いまや男性が外で働いて女性が家を守る、といったライフスタイルに固執するのは馬鹿らしいことだ、ということに公式にはなっとるわけです。ミニコン時代からマイクロコンピュータの時代、そしてパーソナルコンピュータの時代と経験している私のソフトウェア開発の腕前は鬼をもひしぐと言われたものです。そんなわけで優秀なプログラマー女性と結婚し、そのプロデューサー兼コーディネーター兼バックアップ・プログラマとしてヒモ兼アシスタント兼ハウスハズバンドとして生活する、というのは悪くない選択じゃないかと。

 で、女性が会社に勤務して月給取りになっちゃった場合、私の労働というのは給与に反映されないわけですね。「それを言ったら主婦業だって同じだ」ということになるわけですが、実際には「妻」という労働力によるバックアップを含めた形で給与体系というのはできあがっておりまして、そこから各種手当だとか男女の給与の不均衡、というものが設定されているわけです。

 だったら……それってまるごと企業化しちゃえばいいんじゃないの?と思ったんですよ。社員寮のある会社、社員食堂のある会社は珍しくありません。昔の「大店」というのは実際にひとつの家族であり、「企業というのはひとつの家族である」という考え方は現在でも残っており、終身雇傭制というのはその一部です。逆にいうと、そうした「企業というのはひとつの家族である」みたいな考え方が残っていたからこそ、どういうわけか私の結婚についての家族会議みたいなものが会社で行なわれてしまう、みたいなことになってしまったわけです(これがマジな話なんだから困ったもんです(T_T))。

 ですから、『アスペルガー共和国』構想というのは、私にとってべつだん目新しいアイディアではなくて、かれこれ十年以上温めてきたアイディアなんです。ただ、そういうものを作ったとして、それによって利益を得るひとというのが世の中にはそんなにはいないだろう、と思っていただけです。

 私の場合は一人でコツコツとアルゴリズムを開発し関数ライブラリを構築してゆくのが理想でしたが、普通の人というのは大勢でワイワイ仕事するのが好きだし、普通に結婚して普通に子供を作って会社の同僚と平均的な「家族ぐるみのおつきあい」をして、××さんはもうすぐ課長になるというのにどうしてあなたは主任なのとか、○○さんのお子さんは△△大に合格したんだってよとか、□□さんのボーナスはいくらいくらだったそうよとか、そうやって周りの人との位置関係をつねに気にしながら人生を生きてゆくのが普通だと思ってるわけです。「個性を大事に」とか言っちゃあいるものの、実際に自分や家族が「個性ある人間」になったりしたら困るわけで、彼らのいう「個性」っていうのは周囲の他人よりちょっと上から他人を見下ろせるだけの能力の差、でしかないんですね。

 ですが……彼らはそんなことをなぁーんにも意識してなくて、ただそれが「普通」であると認識していて、他の生き方をしたいと思っている人間を「異常者」「変人」「宇宙人」「化け物」「キチガイ」と呼び、「秩序の破壊者」として制裁を加えて恥じることがないわけです。それは「世の中のため」であり「本人のため」だから。
 私はなぜ他人が自分にたいしてこんなにひどいことができるのか、そしてその当人が自分の行為をまったく正当と考えていて、それに対して意義申し立てをする私を恐ろしいもの、異常なものを見るような目で見るのにずっと混乱していました。だから……私にとって「アスペルガー症候群」というのは病気じゃないんです。むしろ「普通であること」のほうが病気であり、実際に私が務めていた職場をおかしくし、私を不幸にしてきたのは、その「普通であること」だったんですから。「君が仕事ができすぎたからいけないんだ」「君が真面目すぎたからいけないんだ」「君が真剣になりすぎたからいけないんだ」。何十回言われたかわかりません。だけど、それのどこがいけないんですか?

 私はこの訳のわかんない世の中から自分を守るために、砦を作ろうと思います。で、この『アスペルガーの館』には、同じ砦に入りたい、というひとがけっこう多そうに思いました。

 そんなわけで、家族になりたいひと、歓迎します。 所長


Re 4189へのコメント
No.4191  Sun, 15 Apr 2001 23:02:04 +0900  ななは [この発言にコメントする]

ボウルター wrote:
>
>> ボウルターさんには、「グリーフ・ワーク(喪の仕事)」の時間が必要だとあたしは思いました。つまり、「心の病院」(精神病院がこの機能を十全に果たしていないのはまったく遺憾なことです)にしばらく留まっていてもいいんじゃないか、と思ったんです。
>
>ここに留まるかは私が決めることです。
>
>> 追いたてる必要は、ありません。待ってみませんか?
>
>誰が追いたてているのですか?
>Mariaさんは何様のつもりなのですか。
>貴重な意見を投稿するのはいいことですが、支配されるのは不快です。

どうしたのですか、ボウルターさん。なんか見ていて悲しくなって、
勝手ですが、横レスしました。ボウルターさんが今心が悲しくなっている
のは分かります。どうするかは確かにご自身が決めることです。
が、Mariaさんも別に支配したり命令する気ではないと思いますよ。
ただ、冷静に考えて貰いたいのは、私もそうですが、自分の周りの人は
こちらに来ている人たちと違い、私たちのことを殆ど分かっては
くれませんでしょう?ただ、自分の言うことに耳を傾けてくれる人が
ここには少なからずおられるということは大変貴重なことではないでしょうか?
そのことだけでもちょっと考えてみて下さい。
もし、私のそばでボウルターさんが泣いていたら私はちょっとそばに居てあげたいと思いますよ。恐らく同じ悩みを持つ人種だろうから...。
僭越なレスで立腹されたらお詫びします。


Re: はじめまして 4184へのコメント
No.4190  Sun, 15 Apr 2001 22:52:44 +0900  ななは [この発言にコメントする]

あさかぜ wrote:
>初めておじゃまします、あさかぜと申します。よろしくお願いします。
>まず自己紹介をさせてください。
>私は、ついこの間まで「アスペルガーの子供を持った悩める母親」をしていました。
>一人娘(8才)は、こども病院神経科でアスペルガー症候群と診断されました。
>ほぼ不登校状態にあり、これから何をどうしたらよいのか私はまったくわかりませ
>んでした。でも今、この年(45才)にして初めて自分という人間が何だったのか
>知ることができました。私も娘と同じ種類の人間だと気づいたのです。
>正直言って私は自分をうまくコント
>ロールできているとは思えず、それでも生きていかなければならない(娘がいます
>から)ので、自分自身を支えられる何かを探し続けなくてはならないと強く思って
>います。この掲示板に書いてみることは私にとっては冒険でしたが、勇気をためす
>チャンスでもあったので飛び込んでみただけですので、私のような者がおじゃます
>るのが不愉快な方もいるかもしれないし、そのへんははっきりとおっしゃっていた
>だければ、ただちに撤退いたします。
>結婚のことで書いていらっしゃった方の気持ちが、何となく私に似ていたので、こ
>こに書いてみるきっかけにもなりました。うまく言い表せないのですが、こういう
>言い方をしても許されるのなら、いわゆる一般の人たちに属する(と思われる)友
>人たちに私が話したときの言い方は「私にとって人生最大の不幸は結婚したことで
>あり、にもかかわらず人生最大の幸福は娘がいることなの」でした。かなりの本音
>をこめて、自分の直面しているジレンマ(アンビバレンツ?)を伝えたつもりだっ
>たのですが、友人たちの答えはたいてい「あなたって面白い人ね」か、それに類す
>る言葉なのでした。『おもしろいひと』という言葉はわたしの今までの人生にとて
>も多く登場したので、それ自体では傷つかないのですが、どんなに言葉を選んでも
>思いをこめても、人には伝わりにくいものなんだなということは再確認できるわけ
>なのです。
>こんなに長いことパソコンの前に座っていたのは初めてなので、何が言いたいのか
>わからなくなってきました。これで失礼します。この次掲示板をよむときには勇気
>がいるだろうなとは思いますが、また来てみます。ここまで読んでくださった方に
>心から感謝いたします。

はじめまして、あさかぜさん、ななはと言います。
私自身もこちらにお邪魔させて頂くようになってからずいぶんと心身共に
助けられました。私も最近私の両親も少なからずASの
素質を持っていることを発見しました。それと、私からの視点では
かなり両親を心配させ続けていることが永続する悩みです。
正直言って自分の存在価値すらごく最近までかなり否定的でした。

でも存在しないでいい人間なんていないと思います。
人それぞれの幸せなんて他人にどうこう評価されるべきものではないですよね。
これからもいろいろと悩みは出て来られると思いますが、まず自分たちが
どうありたいのか&どうして行きたいのかが最優先ではないでしょうか?
「ガイドブック アスペルガー症候群」という本がありまして、
とても参考になります。ぜひ読まれることをお勧めいたします。
おそらく娘さんもかなり悩まれていると思います。
あきらめずに話をし合って下さいね。変なレスでごめんなさい。
私もよく珍妙な質問等をここでしますが、みなさん親身に温かく
受け入れて下さいます。私たちにとって一番有り難いのは、本当は、
よく効く薬でも病院でもなく、受け入れてくれる人の存在だと痛感します。

武田さんも書いておられましたが、植物を育てたり、動物を育てたり、
良いと思われることはなんでもチャレンジしてみて下さい。
私も植物を育て、家で猫を飼っていますが、変な言い方ですが、
自分がケアしてやらなければならない存在という物は逆に自分の意外な
大きな支えになってくれることがあると実感します。

娘さん共々、お体気を付けて。


Re: Maria さんへ 4173へのコメント
No.4189  Sun, 15 Apr 2001 22:41:18 +0900  ボウルター [この発言にコメントする]


> ボウルターさんには、「グリーフ・ワーク(喪の仕事)」の時間が必要だとあたしは思いました。つまり、「心の病院」(精神病院がこの機能を十全に果たしていないのはまったく遺憾なことです)にしばらく留まっていてもいいんじゃないか、と思ったんです。

ここに留まるかは私が決めることです。

> 追いたてる必要は、ありません。待ってみませんか?

誰が追いたてているのですか?
Mariaさんは何様のつもりなのですか。
貴重な意見を投稿するのはいいことですが、支配されるのは不快です。

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