アスペルガーの館の掲示板(旧)
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bau wrote:
>ぴよさん wrote:
>> それとも、リモコンに「電話番号」でもつけておいて、
>> リモコンを呼び出したら着メロが鳴るようにしましょうか。
>>
>> #そんなリモコン、あるかなぁ。。。
> 大手家電メーカの夢は「全ての家電にIPアドレス」なので、
>数年後に上のようなことは実現するかなぁと思ってます(^^
>
そうなると有り難い。
ついでに「部屋・車のカギ」「保険証」「財布」などが鳴ってくれるといいなぁ。
あっちこっち迷子の娘にはココセ○ムがよさそう 青りんご
ぴよさん wrote:
> それとも、リモコンに「電話番号」でもつけておいて、
> リモコンを呼び出したら着メロが鳴るようにしましょうか。
>
> #そんなリモコン、あるかなぁ。。。
大手家電メーカの夢は「全ての家電にIPアドレス」なので、
数年後に上のようなことは実現するかなぁと思ってます(^^
bau
武田好史さん wrote:
>
>あなたにとって、一番の幸せって何ですか?
朝、目覚まし時計が鳴り響き、カチッと止める。
あーあと5分、あと5分だけ眠らせてぇ〜!
夢のつづきをうとうと見てる。う〜ん!しあわせ。??
なんか違うよね、朝起きて家族と「おはよう」「おはよう」って
声を掛け合うひとときが、きっと、幸せなんだと思う。
大森総研の下っ端研究員として、「普通」について考えてみることにする。青りんごさんのところのお嬢ちゃんに、「普通ってなに?」とか訊かれても困らないように。
くるとさんwrote:
> どうも、わたし以外の人間は「普通」という言葉を様々な意味で
>使っているみたいです。
>不肖くるとは現時点で「普通」という言葉に以下の4つの用例を確認しています。
>他の人たちがなんでこんな多義性を持つ言葉を直感的に理解し、
>自由に使用できるのか不思議でたまりません。(???)
つまり、くるとさんが提示した疑問点は三つ。
疑問点1) 「普通」という言葉には多義性があるように見える。それは本当なのか。
疑問点2) では、「普通」には具体的にどういった意味があるのか。
疑問点3) 「普通」の人は、こうした多義性を、どうやって混乱せずに処理しているか。
くるとさんは、「普通」に四つの意味を認めています。
1)常識主義的「普通」
多数の人間が従っているルールやマナーに忠実であるという意味
での「普通」。
例)「そんな普通(常識的)なことも守れないのか」という叱責
ですが、「車が来ないのが分かってたら、普通は赤信号でも渡っちゃうよな」といった例がありますので、「ルールやマナーに忠実」というよりも、「容認されている」という意味に近いと思います。
2)正常主義的「普通」
社会的に正常とみなされる人間の立ち振る舞いを基準にして、決
定される奇異ではない立ち振る舞い。
例1)「もっと普通にできないのか」という叱責
例2)「あいつ、普通じゃないよ」といううわさ話
→常識主義的普通が善悪を問題とするのに対し、こちらは 正常か異常かを問題にする。
おわかりでしょうか。つまり、「容認されていない」から「普通じゃない」わけですね。そうすると、(1)と(2)を区別する必要はなくなります。
3)自然主義的「普通」
「人間は欲望に従って行動している」という前提の下に、それに反する行動や考えに対して反論する時に使用される「普通」。
例)「またまた、無理をしちゃって(笑)」というからかい
→本能に反する行動は「普通じゃない」と思われるようだ。 常識主義的「普通」とは矛盾しているような気がする。
……例に「普通」が使われていません。困ったものです。
とはいえ、「社会的には容認されているかもしれないけれど、私は容認しない」という、「非難」の意味を表すために「普通」ということはありそうです。
4)快楽主義的「普通」
「人間は本来明るいものだ」という前提の下に、使用される「普
通」。暗い表情の人間は「普通」とはみなされないようだ。
例1)
カメラ屋さんが写真撮影をする時にいう言葉。
「はい! 普通(の表情)にしてー。」
例2)
飲み会の席でボーとしている時。
「もっと普通にしていて いいのよ。」
→笑えない男であるわたしにはむしろ不自然である。でも明るくしていないと不自然だと思われるらしい。
この場合、「これが普通なんですよ」と言われれば、それまでだったりします。つまり、この例だと、「快感原則に忠実であることが容認されているにもかかわらず、本人がそれを『容認されていない』と考えて我慢していると思われたとき、『それは容認されているのですよ』と伝える意味で、『普通にしてください』と言っている」と解釈できるわけです。
つまり、(1)(2)と(4)はほぼ正反対の使い方で、(3)は「二種類の規範の矛盾の中にいる」状態だということができます。
さくらかのえさん wrote:
>わたしは「普通」という言葉を主に「多数派」という意味で使っています。
つまり、マジョリティによって容認されている、ということですね。
>なにが「常識」なのか? なにが「正常」なのか?
>なにが「自然」なのか? なにが「快楽」なのか?
>すべては「多数派」の行動やたたずまいや感性を基準に決められている。
>「少数派」が自分らしく振る舞っているだけで「普通じゃない」。
お相撲さんがまげを結っているのは「普通」です。
少数派の行動様式が「特異であること」と「容認されること」とは、とりあえず別問題でしょう。
くるとさん wrote:
> どのような状態を「普通」というのか? 言った本人にはわかっているの
>でしょうか?
いかなる規準で「容認」するかどうかについては、本人に自覚があるとはいえません。
あるスキーツアーで、夜、みんなで集まって一杯やることになり、1人が近くで買ってきたチーズを出しました。で、うちの所長さんが、家からわざわざ持ってきたお海苔でそれを巻いて食べようとしました。
するとツアー参加者のひとりが、
「えー? 普通、チーズに海苔巻いて喰うかぁ?」
と、さも馬鹿にしたように言い放ちました。
その瞬間、残りの全員が、
「えー? やんないのぉ?」
と、さも馬鹿にしたように言い放ちました。
じつは、そのひとりを除く全員が、大森・品川地区の住人だったんです。
哀れなことに、その晩そのひとりは「チーズ海苔巻き差別主義者」として、何かにつけて「でもなぁ、こいつチーズに海苔巻いて喰わないし」とかいって邪険に扱われ、「ううううう、いじめんでくれぇ」と泣いていました。
つまり、「普通」という感覚には、「偏見」が現れやすい、と言えると思います。
> うちの研究所のスタッフは、「普通」と「ふつう」と「フツー」を、いちいち
>区別する、ということを習慣にしています。
I wrote:
> 「普通」は「そう判断することが必ずしも異常あるいは違法であるとはいえな
>い」みたいな意味で「普通」。
> 「ふつう」は当人にとって心情的にそうするのが当然、という意味で「ふつう」。
> 「フツー」はそれが制度的であるという意味で「フツー」です。
これは、「容認」する立場の違いによって、表記を区別しているといえるでしょう。
すっきりしました。少なくともあたしは。
(Maria)
ミッドランドさん wrote:
>これ、「普通の人」に見られたら、「あぶないヤツ」って思われるんでしょうねー。
>
> 「マイ・ファンタジー」ひそかに広まってほしいと思っている、
> ミッドランドでした。
「ただあこがれを知る人のみぞ、我が悩みをわかる。」
というゲーテの言葉があります。「あこがれ」 は元は 「あくがれ」、古語辞典によると「心身が何かにひかれて、もともと居るべきところを離れてさまよう意」とあります。「マイ・ファンタジー」や「あこがれ」は、様々な創造的行為や創造的なものを理解するこころと深く結びついていると思います。
少し前に「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という映画を見たのですが、まさにこれは「マイ・ファンタジー」と希望の物語だと思います。私はこの映画から非常な衝撃を受けたので、ミッドランドさんのことばを見て投稿させてもらいました。
10歳ごろから25,6歳頃まで物語の構想のようなものをずーっと考えながら暮らしてました。ストーリーはちっとも展開しなくて、登場人物の日常的なエピソードとか、その国の服装、言語体系、風習、名前、などの状況設定を頭の中で作るのが楽しみでした。
言ってみれば、なんだかパラレルワールドみたいな感じです。
自閉云々とは関係なくて本当にファンタジーなんだけど。
作家になりたいと考えている人の中には私みたいな人もいるかも知れない、ということでちょっと書いてみました。
bauです。みなさんこんばんは。
Maria wrote:
(略)
> 自閉の人にとっては、「他者」という概念そのものが稀薄です。「自分と同じく、意思や感情や感覚や知能や意識をもった存在」としての「他者」として、目の前にいる(本人にとっては、目の前に「ある」)存在を認識していないんです。
自分の意志や感情も把握できなかったので、相手が持っているとも思っていなかったような気がします。
> 「指差し」も、しません。相手がそれを「認識する」という発想が出てきませんから。
子どもの頃、母が散歩の途中で見つけたものを指差しても、指を見て、指の先にあるものを見ようとせず、母が「見て見て!」と大きな声を出すと、叱られたと思いこんでいたことを思い出しました。
関係ないかもしれませんが、車に「人間」が乗っていることが実感されたのはずいぶん大きくなってからのことでした。「車」自体が走っているような気がしていました。自分も車に小さい頃から乗っていたんですけどね。
ミッドランドさん wrote:
>
>
> 僕のマイ・ファンタジー(変な言い方ですが)を紹介すると、幼少の頃は、
>
> ・電車やバスの車内アナウンスの連呼
> ・自分で好き勝手に歌を作って歌う(音程・歌詞ともメチャクチャ)
> ・漫画の台詞の真似をよくする
>
>というようなものがありました。現在は、
>
> ・地図を広げて、あらゆる都市を拾い見する(なぜか心が安らぐ)
> ・ひとり弁論・ひとり対談(もちろん、誰も見ていない場所で)
> ・自分をラジオのDJに見立てて、即席番組作り(雑誌の投稿欄などをDJのように読み上げていく)
>
関係あるのかどうか分からないけど、
ある言葉をくり返し頭の中で転がし続けていることがあります(理解するためでなくて、単に気持ちいいから)。
あと、TVや他人の言動で面白い言い回しを聞いたとき、すぐくり返して言ってしまう癖があります。ただ、人の言い間違いを指摘するとかなり嫌がられるので、気をつけるようにしてます。
TVでみた場面や自分の体験した場面もすきなだけリピート。。。
しかし、「自閉的ファンタジー」ってどんな定義があるんでしょうか。
とりあえず、「症状」ではなくて「特徴」なんですよね?
うちの研究所のスタッフは、「普通」と「ふつう」と「フツー」を、いちいち区別する、ということを習慣にしています。
「普通」は「そう判断することが必ずしも異常あるいは違法であるとはいえない」みたいな意味で「普通」。
「ふつう」は当人にとって心情的にそうするのが当然、という意味で「ふつう」。
「フツー」はそれが制度的であるという意味で「フツー」です。
自分がいじめの対象になりたくないから友達がいじめられているのを見て見ないふりをする、というのは「普通」かもしれませんが、「ふつう」ではありません。で、品川・大森では、お酒のおつまみに「チーズを海苔で巻いたもの」が出るのが「フツー」です。
「目玉焼きにソースって普通かな?」「普通は醤油じゃない?」「だけど、洋食だとフツーだよね?」「どっちも『ふつう』だと思うけど」。
この場合、「フツー」というのは、「アリ」で、なおかつ「驚きが少ない」という感覚があります。「焼き鳥にマヨネ(マヨネーズ)と七味ってアリかな?」「アリっつーか、フツーじゃない?」「フツーかなぁ?」「マヨラー(熱烈的マヨネーズ愛好者)的にはフツーだよね。」といった感じです。
(Maria)
ミッドランドさん wrote:
> #「マイ・ファンタジー」(My Fantasy)
うーん、いい言葉ですね。どこかの哲学者が言っていました。
「わたしの世界だけが唯一の世界である」
一言に自閉ファンタジーと言っても、万人に共通するファンタ
ジーがある訳じゃないですからね。この世界の人間の共通項だけ
じゃなく、差異性にも注目してほしいと思う今日この頃です。
Maria さん
> なお、エッチのときは、天井灯というのは下になったほうがまぶしくてツラいです。だけど相手の顔とか見えないと楽しくないので、そういうときに枕元の明かりがあるとよいです(『ふたりで聖書を』にも、「ラブホテルには天井灯がない」みたいな話が出てきます)。
今日、本が入荷されたと連絡がきました。楽しみ。
>
> ついでながら、日本語の「まぐわう」という言葉は、「目交う」が語源で、「目を見交わす」「見つめあう」という意味だそうです。やっぱり、相手を慈しむ、あるいはいたわる、という関係がないと、ダメなんですよね。
> こういう情感は、大切にしてほしいと思います。
>
うーん。いい言葉だ。
私は、明治時代頃の日本語が好き。本を読んでてもうっとりします。
「それから」という映画を見た時も言葉を聞いているだけで、自分の中にも
静かな時間が流れました。
あの時代の着物も好きです。「細雪」も着物にうっとりです。
忙しくしているからかしら・・・・。
「まぐわう」深さしるよしもなく・・・。なおみの夢
猫目4 wrote:
えーっと
そのサークルのリーダーは障害者に理解のある人なので
他のみなさんも
いかがですか?
ミッドランドです。
ASの特徴のひとつに、「『強固な自己の世界』を持つ」というのがあります。
杉山氏・辻井氏編著「高機能広汎性発達障害」(ブレーン出版)では、「自閉的ファンタジー」という言葉で紹介されていますが、僕はこの言葉、どうも好きになれません。そこで僕なりに代わりの言葉を考えました。
#「マイ・ファンタジー」(My Fantasy)
僕のマイ・ファンタジー(変な言い方ですが)を紹介すると、幼少の頃は、
・電車やバスの車内アナウンスの連呼
・自分で好き勝手に歌を作って歌う(音程・歌詞ともメチャクチャ)
・漫画の台詞の真似をよくする
というようなものがありました。現在は、
・地図を広げて、あらゆる都市を拾い見する(なぜか心が安らぐ)
・ひとり弁論・ひとり対談(もちろん、誰も見ていない場所で)
・自分をラジオのDJに見立てて、即席番組作り(雑誌の投稿欄などをDJのように読み上げていく)
なんて調子です。これ、「普通の人」に見られたら、「あぶないヤツ」って思われるんでしょうねー。
「マイ・ファンタジー」ひそかに広まってほしいと思っている、
ミッドランドでした。
こんにちは。
えーっと、
今度の26日に
横浜駅西口の相鉄ムービルで
映画鑑賞サークルやりますけど
一緒に参加しませんか?
みんなが観る映画は「トラフィック」ってやつだけど
私だけ「ハンニバル」を観るつもりです。
時間は午後6時50分に集合です。
映画が終わったら飲み会です。
もし来れるようだったらメールください、
詳しい事教えます。
青りんごさん wrote:
>
>そのリモコンがすぐ行方不明になるのよ。
あるある。。
私の場合は、ベッドにリモコンホルダーをつけて、
いつも、そこに入れてあります。
それとも、リモコンに「電話番号」でもつけておいて、
リモコンを呼び出したら着メロが鳴るようにしましょうか。
#そんなリモコン、あるかなぁ。。。
Maria wrote:
>
> 遠隔操作方式の調光器というのがあって、それが具合がいいです(型番はNational WH7080)。ちょっと値段的にお高いけど。
そのリモコンがすぐ行方不明になるのよ。
>
> ついでながら、日本語の「まぐわう」という言葉は、「目交う」が語源で、「目を見交わす」「見つめあう」という意味だそうです。やっぱり、相手を慈しむ、あるいはいたわる、という関係がないと、ダメなんですよね。
> こういう情感は、大切にしてほしいと思います。
やっぱり日本語って素敵。日本人に生まれてよかったと思います。
でも「まぐわう」なんて言葉めったに使う機会がないですね(笑)
いつか使ってみよう 青りんご
百日紅さん wrote:
>質問です。
>「自閉症はなぜアイ・コンタクトがないのか」
>教えてください。
「視線」を感じていないからです。
普通の人間は、人形や絵に対しても「視線」を感じることがあります。
ところが自閉の人は、これとは逆に、人間に対しても「視線」を感じることがありません。
自閉の人にとっては、「他者」という概念そのものが稀薄です。「自分と同じく、意思や感情や感覚や知能や意識をもった存在」としての「他者」として、目の前にいる(本人にとっては、目の前に「ある」)存在を認識していないんです。
クレーン現象も、同じことです。相手は「もの」と変わりませんから、「相手の意思に働きかける」という発想は出てきません。したがって、物理的な働きかけをする以外にありません。
「指差し」も、しません。相手がそれを「認識する」という発想が出てきませんから。
(Maria)
さるすべり(百日紅)さん wrote:
>質問です。
>「自閉症はなぜアイ・コンタクトがないのか」
>教えてください。
自閉症の診断は受けていませんが、5才まで
アイコンタクトはできませんでした。その時の
経験を言えば、「怖い」という以前に他人とい
うものがありませんでした。
人と接していたという記憶自体があまりない
のです。保育園の保母さんや園児など、他人と
いう意識を持つようになったのは年長組になっ
てからです。
視線恐怖とは明らかに違っていました。今で
も自然にふるまっていると、アイコンタクトは
できません。でも他人が怖いという感覚はほと
んどありません。
>ある先生に聞いたら納得いかない返事がきてし
>まったので納得行かしたいです。
どんな返事だったんですか?気になるなあ。
さくらかのえさん wrote:
>わたしは「普通」という言葉を主に「多数派」という意味で使
>っています。
そう。これは、「その人にとって自然な状態」という意味での
普通とは反対の意味で使われていますよね。
わたしが提示した
>>(1)常識主義的「普通」
>>(2)正常主義的「普通」
>>(3)自然主義的「普通」
>>(4)快楽主義的「普通」
はいずれも、多数派にとっての「普通」という意味が横たわっ
てはいます。
>なにが「常識」なのか? なにが「正常」なのか?
>なにが「自然」なのか? なにが「快楽」なのか?
>すべては「多数派」の行動やたたずまいや感性を基準に決めら
>れている。「少数派」が自分らしく振る舞っているだけで「普
>通じゃない」。
もっとも、「多数派」という概念もちょっと曲者かもしれま
せん。それぞれの人間が持っている行動やただずまいや感性の
微妙な違いを「なかったことにしようとしている」ようにも思
えるからです。
今の時点で言えることは、多数の人間とより多くの共通項を
持っている人間の方が、集団の中で適応しやすいということで
す。(くると)
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