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Re: 皆さんはLDと診断されたことがありますか? 4840へのコメント
No.4848  Fri, 18 May 2001 20:25:04 +0900  シンタロウ [この発言にコメントする]

くると wrote:

>
> LDのくるとです。わたしは教育診断でLDと診断されています。でも
>いちおう大学院には進学しました。調子が悪くて、卒業するのがやっ
>とでしたが。(シクシク)
 僕も調子が悪くて、進級するのがやっとでした。(特に英語が苦手)
>
> ところで、シンタロウくんがLDの診断を受けたのは医療機関でしょ
>うか?それとも教育相談機関でしょうか?LDには教育学的LDと医学的
>LDの2種類があって、扱っている内容がかなり違います。
僕は医療機関で診断されました。県立の子ども病院で診断されました。
>
> ちなみにコメントを見る限り、シンタロウくんは年齢の割に言語能
>力が高いような気がします。
 僕自身もそのような気がします。
                
                


Re: 顔の表情について 4844へのコメント
No.4847  Fri, 18 May 2001 19:51:35 +0900  青りんご [この発言にコメントする]

Maria wrote:
>
> 自閉症の赤ちゃんが「あまり泣かなかった」「無表情だった」というのは、「他者としての母親」を認識していないからだと思います。つまりは「母親」というもっとも重要な依存の対象を持っていないわけですから、「おどおどしていた」「パニックを起こしやすい」といった特性があるのも当然のように思います。

赤ちゃん時代の娘は、あまり泣かずに「表情豊か」に一人遊びをし、関わろうとする周囲の人を「無表情」で眺めておりました。その「豊かな表情」を見たいがために、「一人あそび」を散々させておりました。(育児書とは逆だな)
>
> この「表情によるコミュニケーション」が下手な人、あるいは「それを行なわないことで人間関係をコントロールしている人」というのがいます。こういう人は、「無表情」と言われます。ですが、リラックスしている場面では、驚くほど豊かで自然な表情(こちらは「本能に基づく表情」)を見せることがあります。

現在の娘は自然な表情でよく笑います。岩波の国語辞典を読みながら「馬鹿笑い」をする姿はとても自閉症とは思えません。私より遥かに表情が豊かです。

二十歳の時、男性と同伴で映画を見にいきました。
隣に座ったその方が感動で涙するのを見て「ヤバイ。ここは泣かねば!」と思い「嘘泣き」をしていたのは私です。(戦争映画は嫌いなのに〜)

         「聖子」みたいだな  青りんご


Re: 顔の表情について 4844へのコメント
No.4846  Fri, 18 May 2001 19:08:21 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:

> さて、聴覚障礙者の人たちは、手話の一部として「表情」を用いています。そのため、しばしば非・聴覚障礙者との間で誤解を生じることがあります。

 そういえば、中学校の下校時になぜか頼まれて聴覚障害者の人たちと一緒に歩いたことがありますが、「鼻がかみたいのでちり紙を下さい」という要求がわからなくて、一生懸命身振り手振りしていた男の子を怒らせてしまったことがありました。自分の不甲斐なさが申し訳なくて、今でもはっきりと覚えています。

> つまり、「本能に基づく表情」ではなく、「後天的に文化の一部として獲得した、コミュニケーションの道具としての表情」というものが存在するわけです。
                   (中略)
> そんなわけで(どんなわけだ?)、「文化としての表情」というのは疲れるんですよ。さらに、「本能としての表情」は顔の上半分、「文化としての表情」は顔の下半分に出ます。「目は口ほどにものを言い」「目が笑ってない」「目が死んでいる」みたいな言葉は、これを表しています。だもんだから、ぼんやりしていて「文化としての表情」が消えているときは、「本能としての表情」がモロに出てきてしまいます。だから、気分がマイナーなときは、「怒っているように見える」「怖い」「暗い」とか言われてしまうわけですね。

 そうなんですね。「自然体でいられる」ときは、周りのことなんか気にしませんし、疲れていると「演技」をする気力もなくなっていますものね。なるほど。
 
> あさかぜさんを「情緒不感症」と呼んだ教師はバカです。Mr.Motoは「ヤサが分かったら今すぐ行ってシメてくるんだが」とぽきぽき指を鳴らしています(こらこら(^_^!))。

 をいをい(笑) ヤサはわかってますがな。母は今でもお付き合いがありますから……もう時効ですんでシメるのは勘弁してやって下さいませ。
 シメるんだったら、小6のときの担任がいいなぁ。(まだ生きているかしら……失礼かな)男子に束になっていじめられていたのを訴えたのに、へらへら笑っているだけで何もしてくれなかった男性教師。でも、ウラミはそのことじゃないぞ〜!一生消えない恥を残すことになったからだ〜!!(詳細はこの場では公開できません)

 小学校の卒業式に「これでこの学校ともおさらばだ。二度と来るもんか」と心の中は万歳三唱して躍り上がらんばかりの状態だったのに、表向きは「女子がみんな泣いているから、わたしも泣くことにしよう」という気持ちを高めて涙を出してみせるという「芸当」までできるようになっていたことを考えると、「コミュニケーションの道具として後天的に獲得した表情」は、使いかたひとつでいろいろなことができそうな気がします。

  青りんごさんのように芋蔓式に記憶を掘り起こし始めた、あさかぜ でした。


Re: 顔の表情について 4843へのコメント
No.4845  Fri, 18 May 2001 17:25:19 +0900  青りんご [この発言にコメントする]

yachan wrote:

>
>反対にさ、表情が豊かな人達を見ると、私は引いてしまう傾向があるかも。
>どうすればいいのか、戸惑ってしまう。

あるあるー。自分の無表情は悩まないけど、こちらの「戸惑い」の方が苦痛です。
>
>ホント、多くの人って、感心するぐらい表情がドンドン変っていく。すごい。
>喋り方だって、一本調子でなくて、メリハリがあって。(私にはとてもできない事だわ)

そうゆう人を見ると「まるで舞台女優だわー!」と思ってしまいます。

表情も顔の一部だと考えると「顔について意見する」なんて失礼よね。

      放っておいてくれー 青りんご


Re: 顔の表情について 4843へのコメント
No.4844  Fri, 18 May 2001 17:23:13 +0900  Maria [この発言にコメントする]

Tien(蝶)さん wrote:
>ところでQ:「顔の表情が無い=乏しい=能面顔」と最近知人から言われて
>かなりショックだったのですが、そういう傾向があるんでしょうか?

銀八さん wrote:
>顔の表情がない……私もときどき指摘されることです。
>思春期の微妙な時期に
>※笑顔が似合わない
>※目が怖い
>と言われたのが気になって無表情になってしまいました。

あさかぜさん wrote:
> わたしは子供の頃「情緒不感症」というけったいな状態名をつけられていま
>した。自分が記憶していたのではなく母に確かめたのですが、医者の診断を受
>けたわけではなく、学校の先生からそう言われたようです。

> 喜怒哀楽の表情が乏しく、普通の子供だったら大喜びしそうな場面でも能面
>のように無表情だったことから、そういう名がつけられたとのことでした。

青りんごさん wrote:
>名前こそつけられていなったけど「覚めたガキ」だと言われ続けてました。
>二十代前半のOL仲間から「表情に乏しい」と言われて、知り合ったばかりの元
>夫からも「なんで喜ばないわけ??」などと言われておりました。

あさかぜさん wrote:
> 今では人から言われることはなくなりましたが、それは単に人と接するときは
>自分の中にこもらないように気をつけているだけのことです。安心して内にこも
>れる状況のときは無意識にこもっているらしく、先日も娘から「おかあさん、表
>情がない。なんか怖い」と言われてハッと我に返ったりしています(苦笑)。

青りんごさん wrote:
>実母にいつも「なんか〜、怒ってる??」と尋ねてました(笑)
>本人はなにも怒っていないと言ってますが、黙って無表情にしていると「怒って
>る?」と言われるそうです。

武田好史さん wrote:
> さてTienさんの質問ですが、おそらくは私たち自閉症の人たちは、先天
>的にものの動きを上手に目で認知できないからだと思います。実は人間は普通、
>赤ちゃんの時からお母さんなど周りの人の表情を見てまねることによって、
>「こんな気持ちの時は、こんな顔」というように表情を創り出す筋肉を鍛えて
>いるのです。ところが自閉症の子は、すでに赤ちゃんのころから「あまり泣か
>なかった」「無表情だった」「おどおどしていた」といったような異常をもっ
>ている場合が多いのです。
>きっと、視覚から入った情報を体の動きへ模倣していく機構に、先天的な不具
>合があるのでしょう。
> だから「情緒」はあるのに、「表情」として表現することが上手にできない
>ので、無表情というレッテルを貼られてしまったり、緘黙したり、馬鹿笑いを
>してしまったりするのではと私は思います。

 武田好史さんの説によれば、生まれながらの視覚障礙の人は表情に乏しいはずですが、そういうわけでもないようです。あるいは、「他者の情動」を理解していないはずの自閉の人は、同じように「喜び」「怖れ」「悲嘆」といった表情を持たないはずですが、それは「他者との関係において表れることがない」だけのことで、表情そのものは存在します。つまり、「本能に基づく表情」というものが、存在するわけです。

 自閉症の赤ちゃんが「あまり泣かなかった」「無表情だった」というのは、「他者としての母親」を認識していないからだと思います。つまりは「母親」というもっとも重要な依存の対象を持っていないわけですから、「おどおどしていた」「パニックを起こしやすい」といった特性があるのも当然のように思います。

 さて、聴覚障礙者の人たちは、手話の一部として「表情」を用いています。そのため、しばしば非・聴覚障礙者との間で誤解を生じることがあります。
 つまり、「本能に基づく表情」ではなく、「後天的に文化の一部として獲得した、コミュニケーションの道具としての表情」というものが存在するわけです。

 この「表情によるコミュニケーション」が下手な人、あるいは「それを行なわないことで人間関係をコントロールしている人」というのがいます。こういう人は、「無表情」と言われます。ですが、リラックスしている場面では、驚くほど豊かで自然な表情(こちらは「本能に基づく表情」)を見せることがあります。

 東大の解剖学教室で養老さんの下で働いていた布施さんは、養老さんの「本物の笑顔」というのを二度しか見たことがなかった、とどこかで書いていました。一度はテレビ番組でファーブルの業績を追ってフランスに行き、そこで「聖なるフンコロガシ(スカラベ・サクレ)」を見つけたときに番組の中で見せていた笑顔。もう一度は、解剖学教室にいたときに、廊下をじつに気持好さそうに口笛を吹きながらやってくる人がいて、誰だろう、と思って覗いてみたら養老さんだったそうです。で、「いま辞表を出してきた」(^_^;)。

 ……東大の教授って大変なんですね。そういえば、「あんなところに居たら、私は死んでしまいます。命には換えられないでしょう?」と学生の懇願をふりきって東大を辞め、理化学研究所に移ったのは寺田寅彦先生でした。

 そんなわけで(どんなわけだ?)、「文化としての表情」というのは疲れるんですよ。さらに、「本能としての表情」は顔の上半分、「文化としての表情」は顔の下半分に出ます。「目は口ほどにものを言い」「目が笑ってない」「目が死んでいる」みたいな言葉は、これを表しています。だもんだから、ぼんやりしていて「文化としての表情」が消えているときは、「本能としての表情」がモロに出てきてしまいます。だから、気分がマイナーなときは、「怒っているように見える」「怖い」「暗い」とか言われてしまうわけですね。

 世の中には、「文化としての表情」が豊かでありながら、その本質である「本能としての表情」を覆い隠せない人がいます。この点で、あたしがイヤな笑顔として筆頭にあげたいのは、「オウムの殺人機械」・新実被告のあの笑顔です。逆に、強面でありながら、子供に玩具にされてしまうようなタイプのひとがいます。うちの所長さんはそのタイプです。映画『ジョーズ』でロイ・シャイダーが見せている「怖い顔」。あれです。

 あさかぜさんを「情緒不感症」と呼んだ教師はバカです。Mr.Motoは「ヤサが分かったら今すぐ行ってシメてくるんだが」とぽきぽき指を鳴らしています(こらこら(^_^!))。

 あたしは一時期感情をゆさぶられることが多かったため、脳の感情を司る部分が腫れてんじゃないかと思った時期がありました。で、なるべく世の中のガサツな人とかかわらずに隠者のように生活して、患部を冷やして腫れが引いたころを見計らって、ごそごそ世間に這い出してきたように思います。

 Tienさんやあさかぜさんや青りんごさんの文章と接しているときは、頭の中がクールでさわやかでクリアーな状態に保たれているのでラクでいいです。「頭は使うけど気は使わない」。これがあたしには性に合ってます。

 (Maria)


Re: 顔の表情について 4833へのコメント
No.4843  Fri, 18 May 2001 16:11:14 +0900  yachan [この発言にコメントする]

Tien wrote:
>こんばんは。いつも皆さんからの心のケア感謝しています。
>ところでQ:「顔の表情が無い=乏しい=能面顔」と最近知人から言われて
>かなりショックだったのですが、そういう傾向があるんでしょうか?

こんにちは、Tienさん。(←人の真似をしている)

これ、以前から疑問に思っていたことです。
私もそうなんで、なぜなんだろうって。
怒っていないのに、怒っている?って聞かれて、慌てて否定したり、
「表情がないから、よう分からない(←何が??)」とか言われると、傷ついたりします。
これ(表情が乏しい問題)って、小さい時から言われつづけてきたことだから、結構、自分は気にしてるんだけどね。なんで、皆みたいに、表情が外に出ていかないのだろうかな・・?
(↑私の好きなアーティストもそうなのだわな^^; ところで、私は、自分と同じような人が作った曲にしか、反応できない。だから、私にとっては貴重な存在。←余談)
だけど、表情が乏しいから、賢そうに見られた時もあったぞ(ホントは、成績の悪い馬鹿だったけど^^;)。

私が笑わない(← あのー、普通なんですけど)から、私を笑わせようと試みる人も何人かいました。で、ちょこっと、笑ったら、
「笑うことができるじゃない!」とか「あっ、笑ってくれた!」って言われて、私は複雑な気分になる(私だって、笑いたい時には笑うよぉ。)。 顔が笑ってない私は、いけないんだろうか?
これが、普通なのに普通なのに普通なのに、どうして普通にしていたらいけないの? どうして、こういう顔になのだろう・・。(周りに何かを伝えようというものが人より少ないから、表情に変化がないのか?)

お願いだから、のっぺらぼうのままの顔の私のままでいさせてよぉー。
表情作ることもできるけど、疲れるよぉー。
風邪なんかひいた時なんか、絶対、表情なんか作るの無理だよぉー。
無反応を許してよぉー。 (← 書いてて、情けなくなってくるね)

反対にさ、表情が豊かな人達を見ると、私は引いてしまう傾向があるかも。
どうすればいいのか、戸惑ってしまう。

ホント、多くの人って、感心するぐらい表情がドンドン変っていく。すごい。
喋り方だって、一本調子でなくて、メリハリがあって。(私にはとてもできない事だわ)

 たかが表情ごときに、悩むなってか?  すみません。
 
 たまーに、たまーに、気が向いた時に、書き込みしています(ども)(-_-)


系図(Re: ついでに(自己レス)) 4834へのコメント
No.4842  Fri, 18 May 2001 13:23:41 +0900  bau [この発言にコメントする]

さくらかのえさん wrote:
>ところで「系図」が好きだった人っていますか?
>特に外国の王室などのやたらと入り組んだ系図。

小学生の頃から、源氏物語の系図にこころ魅かれてます。
当時話の内容はわからなかったですが、系図を見るのが楽しかったようです。
#源氏物語の帖のタイトルの付け方や、出てくるものの漢字を眺めるのが
#すきです。橋本治の「窯変源氏物語」は日本語の絢爛豪華さをモットーに
#しているので、源氏本のなかで一番気に入ってます。
#帖ごとに系図が書いてあるし。

どうして系図がすきなのかは、自分でもよくわからないです。

  bau


Re: 顔の表情について 4833へのコメント
No.4841  Fri, 18 May 2001 13:04:01 +0900  くると [この発言にコメントする]

Tien さんwrote:
>ところでQ:「顔の表情が無い=乏しい=能面顔」と最近知人から言われて
>かなりショックだったのですが、そういう傾向があるんでしょうか?

 今のところ言えるのは、ボランティア先で関わっているAS児の中に
「表情の変化が少ない子もいた」ということです。ただしASの人全員
がそうだとは断言できません。 

>予約していたガイドブックアスペルガー症候群がまだ購入出来ていな
>いので分からないのですが。単に対人関係で傷ついた果ての防御策と
>しての結果かも知れませんが...。

 わたしは「自分にとっての自然体」でいると、本当に無表情です。
でも精神的に傷ついていた訳ではありません。楽しいことも悲しいこ
ともたくさん経験してきました。単に表情に出ないだけなのです。

 中学3年生ぐらいからクラスメートに「ぜんぜん笑わないね」と散
々指摘されてきました。仕方なく公私ともども「営業スマイル」をし
て、やりすごしています。

 ただ、Tienさんの場合は女性特有の偏見に悩まされているかもしれ
ないですね。「女性は愛想がよくならなければならない」みたいな・
・・。別に「女性である」という事実から「愛想がよくなければなら
ない」という結論を導き出すことはできないのですが。


Re: 皆さんはLDと診断されたことがありますか? 4830へのコメント
No.4840  Fri, 18 May 2001 12:25:15 +0900  くると [この発言にコメントする]

シンタロウさん wrote:
> 僕は小学2年から4年の最初まで養護学級に入っていました。そして小学6年の時に、言語性LDと診断されました。でも、僕は自分がLDだと思っていません。
>なぜなら、今はちゃんと高校に行っています。
> 皆さんはLDと診断されたこがありますか?

 LDのくるとです。わたしは教育診断でLDと診断されています。でも
いちおう大学院には進学しました。調子が悪くて、卒業するのがやっ
とでしたが。(シクシク)

 ところで、シンタロウくんがLDの診断を受けたのは医療機関でしょ
うか?それとも教育相談機関でしょうか?LDには教育学的LDと医学的
LDの2種類があって、扱っている内容がかなり違います。

 シンタロウくんが受けた診断がどちらかが分かれば、もう少しきち
んとしたことが言えると思います。

 ちなみにコメントを見る限り、シンタロウくんは年齢の割に言語能
力が高いような気がします。

(P.S)
 最近、関東の方で成人LDの会なんてグループを作っちゃいました。
メーリングリストなんかも作ったので、興味があったら遊びに来てみ
てください。連絡先はseijinld@mri.biglobe.ne.jpまで

 そんじゃ、また


Re: 顔の表情について 4836へのコメント
No.4839  Fri, 18 May 2001 10:51:32 +0900  青りんご [この発言にコメントする]

あさかぜ wrote:
>Tienさん wrote:
>
>>ところでQ:「顔の表情が無い=乏しい=能面顔」と最近知人から言われて
>>かなりショックだったのですが、そういう傾向があるんでしょうか?
>
> 喜怒哀楽の表情が乏しく、普通の子供だったら大喜びしそうな場面でも能面のように無表情だったことから、そういう名がつけられたとのことでした。

名前こそつけられていなったけど「覚めたガキ」だと言われ続けてました。
二十代前半のOL仲間から「表情に乏しい」と言われて、知り合ったばかりの元夫からも「なんで喜ばないわけ??」などと言われておりました。
でも「そう?」とあまり気にも留めていませんでした。
>
> わたしは小学校低学年のころの記憶がほとんどありません。「情緒不感症」と呼ばれていたころは、表向きは日常生活をこなしながら何か別のものを見ていたのかもしれません。だから無表情だったのかも…と推測するのみです。

私もほとんどありませんでしたが、こちらにお邪魔するようになってから、突然「芋ずる式」に思い出している現在です。
小学生時代から、いつも「メンドクサイな〜」という意識を持って生活しておりました。現在でも「メンドクサイな〜」という意識で「親」(この場合の親は学校・地域向けの親です。)を演じています。
>
> 今では人から言われることはなくなりましたが、それは単に人と接するときは自分の中にこもらないように気をつけているだけのことです。安心して内にこもれる状況のときは無意識にこもっているらしく、先日も娘から「おかあさん、表情がない。なんか怖い」と言われてハッと我に返ったりしています(苦笑)。

実母にいつも「なんか〜、怒ってる??」と尋ねてました(笑)
本人はなにも怒っていないと言ってますが、黙って無表情にしていると「怒ってる?」と言われるそうです。
子供といると質問攻めにあって、一人にこもれない私ですが、子供がいない時間はひとりで安心してこもっています。一人が快適です。

 あさかぜさん同様、鏡に向かって百面相の練習をしていた 青りんご


Re: 顔の表情について(情緒の話) 4833へのコメント
No.4838  Fri, 18 May 2001 10:38:00 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

Tien wrote:
>こんばんは。いつも皆さんからの心のケア感謝しています。
>ところでQ:「顔の表情が無い=乏しい=能面顔」と最近知人から言われて
>かなりショックだったのですが、そういう傾向があるんでしょうか?予約していたガイドブックアスペルガー症候群がまだ購入出来ていないので分からないのですが。単に対人関係で傷ついた果ての防御策としての結果かも知れませんが...。

 喜び・悲しみ・驚き・恐れ・怒りなどのように、人間の心が強く揺り動かされ、興奮した状態(経験)のことを、心理学では「情緒」とよんでいます。その心の揺らぎが
顔に現れたものが「表情」です。
 犬が嫌いな人は、それを見ると「怖い」と感じ、血の気が引いたり・口をすぼめ
「あっ!」というような感じになります。反対に犬が好きな人は、「喜び」感じ・ほほえんだり・その子を撫でたりするでしょう。このように「情緒」というものは、その人が見聞きした外界の情報をどう受け止めたのか(認知条件)と、それかからどのような神経系の興奮が起こり顔または体の筋肉が動かされるのかということ(生理学的条件)との相互作用によって生じるものです。「表情」は「情緒」によって、顔の筋肉が動かされた状態なのです。
 イザードという学者は、「人間は生得的に9つに分化した情緒をもって生まれてくる」と唱えています。その9つとは、興味・喜び・驚き・苦痛・怒り・嫌悪・軽蔑・恥・恐れなのだそうです。この9つの情緒の経験のされ方は、年齢・経験・状況を問わず人間に共通です。
 
 さてTienさんの質問ですが、おそらくは私たち自閉症の人たちは、先天的にものの動きを上手に目で認知できないからだと思います。実は人間は普通、赤ちゃんの時からお母さんなど周りの人の表情を見てまねることによって、「こんな気持ちの時は、こんな顔」というように表情を創り出す筋肉を鍛えているのです。ところが自閉症の子は、すでに赤ちゃんのころから「あまり泣かなかった」「無表情だった」「おどおどしていた」といったような異常をもっている場合が多いのです。
きっと、視覚から入った情報を体の動きへ模倣していく機構に、先天的な不具合があるのでしょう。 だから「情緒」はあるのに、「表情」として表現することが上手にできないので、無表情というレッテルを貼られてしまったり、緘黙したり、馬鹿笑いをしてしまったりするのではと私は思います。
 


ギリシャ語・ラテン語を第一外国語に
No.4837  Fri, 18 May 2001 09:25:48 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

 文部省と科学技術省が一緒になって文部科学省になったらしい。どうせパチンコ屋かソープランドの新装開店と似たようなもので中身は一緒という気がしないでもないが、これを期に改めるべきは改めていたきたいものである。

 算数指導と国語教育に関してはとりあえず置いておいて、今回は外国語教育について述べておきたい。昨今、「国際化に対応し海外との競争力を高めるために小学校での英語教育を実施・強化しよう」などと馬鹿なことを主張する連中がいるという。こういう連中には日本における「洋学」の歴史を一から勉強しなおして欲しいのだが、たぶん理解する頭もあるまい。

 で、いちばん困り者なのが、「英語を公用語にしよう」などと考えている連中だったりするのである。

 そもそも公用語というのは喧嘩の道具である。「英語の公用語化」はすなわち英文の契約書で取引が行なわれるということであり、裁判が英語で行われるということだ。日本人と日本人が英語で喧嘩をするとも思えないから、相手は欧米人である。しかし欧米人相手に英語で喧嘩して勝てわけがない。もちろん「英語で欧米人と互角に渡りあえるくらいの語学力がなければ、国際化に対応できない」とかいった理屈もあるだろう。しかし、これは絶対に勝てない。だいたい「喧嘩の相手とこっちの意見が対立した場合、相手のほうが正しいことにする」なんていうルールを喧嘩に持ちこんだら、喧嘩に勝てるわけがないのである。
 たとえばの話、英語の文章の解釈が向こうとこっちで異なった場合、向こうは「英語ではこうなのだ」とひとこと言えば済んでしまう。「いや、そんなことはないだろう」と言っても、「お前らは欧米の文化を理解していない」と返される。「いや、我々だって欧米の文化を理解している」とか反論しても無駄である。「しょせんお前らは根っからの欧米人とは違う」。それで終わりだ。

 じゃあ、どうするか。簡単である。紀元前からヨーロッパ(というか、地中海世界)の公用語として通用していた古典ギリシャ語(以下、「ギリシア語」。ここいらへんがスノビズムである)とラテン語を、公用語として採用しちゃうのである。理由は以下の通り。
 まず、ギリシア・ローマ文化はヨーロッパ文化の源泉であるという意識が、欧米人にはある。反面、英語の「それは私にとってギリシア語である」は「さっぱりわからん」を意味する。利用すべきはこの劣等感だ。
 漢文の素養のある日本人にとって、ギリシア語起源の言葉は一目瞭然である。ギリシア語の造語成分はほとんどが漢字・漢語と一対一対応する。超音速はスーパーソニック、流体力学はハイドロダイナミクス、恐竜はディノサウルス、生化学はバイオケミストリーといった調子だ。中学生レベルの英語力があれば、科学技術関係のディスカッションが十分可能になる。実際問題として、私がロサンゼルスの某大手航空機メーカーで仕事をしていたときに、理工学関係の専門用語を漢字で表記して台湾人のエンジニアと筆談したところ、ほとんど問題がなかった。ところが十分な漢字教育を受けておらずハングルしか知らない韓国人エンジニアは戦線から脱落。もちろんアメリカ人は一部のインテリを残して端から討死である。はっきり言って、大多数のアメリカ人は米語しか知らない。

 次に、ラテン語にはアイウエオの五つの母音しかないから、日本人にも発音上の不利はない。逆にラテン語は長年ヨーロッパで公用語として使われ続けてきた結果、欧米人のラテン語の発音は訛りまくっている。したがって発音に関しては日本人にかえって分があったりする。アメリカ人がラテン語起源の言葉を英語風に発音したら、いちいち訂正してやるがいい。なに、今までさんざん日本人を「ご指導」してくださったお礼である。
 まだ利点はある。ラテン語の名詞には日本語の「てにをは」に相当する格変化が存在するために、省略自在にして語順も好き勝手という、日本語そっくりの構造を持っている。たとえばの話、「来た、見た、勝った」や「考える故に存在す」は、ラテン語を逐語訳すればそのまんま日本語になる。ところが英語にしろフランス語にしろドイツ語にしろイタリア語にしろロシア語にしろ、「てにをは」もなければ名詞の格変化もない。するとまず主語は何かとかいった話になるのである。この違いは彼らにとって大きなハンディキャップになる。

 したがってアメリカ人を相手にハッタリをかますのは簡単である。ギリシア語やラテン語の成句を暗記して、そうした成句を何かにつけて引用してやるのである(ついでながら、「羊の皮を被った狼」や「酸っぱい葡萄」は元からギリシア語である。お間違いのないように)。だいたいアメリカ人の九割以上は、これで突然外国人に話しかけられた日本人のように青ざめる。暇と根性と学習意欲のあるかたには、福音書の内容をギリシア語のまま端から暗記するのをお勧めする。ただし実用に際しては「敬謙なクリスチャン」のふりをするのを忘れないこと。「宗論はどちら負けても釈迦の恥」といった柔軟性は彼らにはない。なにしろ人間復興の時代であるはずのルネッサンス期に異端審問と称して大虐殺をやらかした(いわゆる魔女狩りである)連中だ。何をするかわからない。
 もっと底意地の悪い手だってある。勝手に専門用語を作っちゃうのだ。「そんなの知らない」とか言われたら、「辞書引いてみろ」と言ってやればいい。「辞書に出てなかった」とか言われたら、「安い辞書を使うんじゃない」とやり返せば済む。それでも引っ込まなかったら、「誰かギリシア語に詳しい奴に訊いてみろ」と言っておきなさい。意味だけは解るはずだから、「そういう言葉もあるかもしれない」ということになってしまう。
 ギリシア語・ラテン語を公用語にしてみなさい。占領下の日本で徹底的に叩きこまれた英語コンプレックスが雲散霧消することはまちがいない。かくして日本は、敗戦国日本と訣別することができるのである。

 「そういえば『伝記』は『描く』のではなく『書く』ものなのに、なぜ『バイオグラフィ』なのか。これだけでアメリカ人はびびる。「そういえば、ステレオグラムというのも本当は『ステレオグラフ』だろう」。これはやたらに効いた。念のために申し添えておくと、うちの所長はステレオグラムの世界的権威である。この件に関して向こうが怯まない場合は、大森総研のほうに振ってほしい。安心して喧嘩を売れ。ケツは我々が持つ。

 (Mr.Moto)


Re: 顔の表情について 4833へのコメント
No.4836  Fri, 18 May 2001 08:58:43 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Tienさん wrote:

>ところでQ:「顔の表情が無い=乏しい=能面顔」と最近知人から言われて
>かなりショックだったのですが、そういう傾向があるんでしょうか?

 こんにちは。
 わたしは子供の頃「情緒不感症」というけったいな状態名をつけられていました。自分が記憶していたのではなく母に確かめたのですが、医者の診断を受けたわけではなく、学校の先生からそう言われたようです。

 喜怒哀楽の表情が乏しく、普通の子供だったら大喜びしそうな場面でも能面のように無表情だったことから、そういう名がつけられたとのことでした。

 わたしは小学校低学年のころの記憶がほとんどありません。「情緒不感症」と呼ばれていたころは、表向きは日常生活をこなしながら何か別のものを見ていたのかもしれません。だから無表情だったのかも…と推測するのみです。

 今では人から言われることはなくなりましたが、それは単に人と接するときは自分の中にこもらないように気をつけているだけのことです。安心して内にこもれる状況のときは無意識にこもっているらしく、先日も娘から「おかあさん、表情がない。なんか怖い」と言われてハッと我に返ったりしています(苦笑)。

        顔面筋肉を発達させられるかもしれないと思って、鏡の前で百面相をしたことがある
                                   あさかぜ


Re: 顔の表情について 4833へのコメント
No.4835  Fri, 18 May 2001 00:36:48 +0900  qwert改め「銀八」 [この発言にコメントする]

Tien wrote:
>こんばんは。いつも皆さんからの心のケア感謝しています。
>ところでQ:「顔の表情が無い=乏しい=能面顔」と最近知人から言われて
>かなりショックだったのですが、そういう傾向があるんでしょうか?予約していたガイドブックアスペルガー症候群がまだ購入出来ていないので分からないのですが。単に対人関係で傷ついた果ての防御策としての結果かも知れませんが...。

こんばんは Tienさん

2月に初めてカキコしたとき、名前どうしようかと考え、
キーボードの上段左から右に打ち込んだだけの、一時しのぎの、
何と読んでいいのか自分でもわからないqwertにしたのですが、
「銀八」という名前に変えます。皆さんよろしく(^^)

さて、私はASと診断されたわけではないのですが、
自閉症と自覚していながら、辛うじて社会生活を営んでいますし、
皆さんが他人とは思えないので、自閉気味もしくはASっぽい奴
くらいに認識してください。
顔の表情がない・・・私もときどき指摘されることです。
思春期の微妙な時期に
※笑顔が似合わない
※目が怖い
と言われたのが気になって無表情になってしまいました。
トラウマとかいう心の傷になっているのかもしれませんね。
随分損をしているかも(T_T)
           
                         銀八


Re: ついでに(自己レス) 4827へのコメント
No.4834  Fri, 18 May 2001 00:00:45 +0900  さくらかのえ [この発言にコメントする]


>やんちゃん wrote:
>
>>言ってみれば、なんだかパラレルワールドみたいな感じです。
>>自閉云々とは関係なくて本当にファンタジーなんだけど。
>
あさかぜ さんwrote:

> わたしも同じようなことをしていました。設定の細部にこだわって、ストーリーがちっとも進展しない物語(?)を、たくさん作っていました。
> 小説(というより、あらすじ程度)は中学生の頃から書いていましたが、まともに完結したためしがないです(笑)。

わたしも同じようなことやっていました。
まずは名前をたくさん作って、誰と誰が友達だとか親戚だとか複雑な過去があるとか
いろいろ設定するんだけど、肝心のお話のほうは「起承転結」で言ったら
「起」の部分から先にゆかない。
それにひとりであれこれやってる場面はかけても、
ひとと何かをしている場面というのが具体的に思い浮かばないのです。
「友達が家に遊びに来ての雑談」など。自分に蓄積がない経験は書けない。
そんなこんなで小説を書くのはやめてしまいました。

ところで「系図」が好きだった人っていますか?
特に外国の王室などのやたらと入り組んだ系図。


顔の表情について
No.4833  Thu, 17 May 2001 23:10:07 +0900  Tien [この発言にコメントする]

こんばんは。いつも皆さんからの心のケア感謝しています。
ところでQ:「顔の表情が無い=乏しい=能面顔」と最近知人から言われて
かなりショックだったのですが、そういう傾向があるんでしょうか?予約していたガイドブックアスペルガー症候群がまだ購入出来ていないので分からないのですが。単に対人関係で傷ついた果ての防御策としての結果かも知れませんが...。


Re: 皆さんはLDと診断されたことがありますか? 4830へのコメント
No.4832  Thu, 17 May 2001 22:27:57 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

シンタロウさん wrote:
> 僕は小学2年から4年の最初まで養護学級に入っていました。そして小学6年の時に、言語性LDと診断されました。でも、僕は自分がLDだと思っていません。
>なぜなら、今はちゃんと高校に行っています。
> 皆さんはLDと診断されたこがありますか?

 僕は一度もありません。加えて、自閉症ともASとも診断されたことはありません。
 
 一時期、「正確な診断がほしい。」と思ったことがありました。しかし数々の医者と顔をあわせているうちに、「この人、どこまでわかってんだ?」などと疑うようになってしまいました。
 最もひどかったのが、僕が「高機能自閉症」を疑って病院へ行ったときでした。
僕が、「高機能自閉症ではないんでしょうか?」とたずねると、そこの医者は、
「それは専門じゃないからわからない。」とそっけない返事。その医者の顔を見ると、いかにも「やっかいなヤツが来た」と言いたげそうな表情をしていました。
その態度を腹立たしく思い、帰ろうかと思いました。
 僕はこんな経験をしているので、もう医者を頼りにするのをやめました。
「発達障害」なんてのは結局自分が訓練して順応していくしかないのです。医者の診断など「訓練のための指針」に過ぎません。

 でも、その訓練すら手探り状態の    ミッドランド

  


Re: 質問:自閉症はなぜアイ・コンタクトがないのか 4829へのコメント
No.4831  Thu, 17 May 2001 20:53:22 +0900  さるすべり(百日紅) [この発言にコメントする]

みなさん、
「自閉症はなぜアイ・コンタクトがないのか」
という質問に答えてくださって・考えてくださって、どうもありがとうございました。
ちょっとだけわかりました。

武田さん、ろう者の話を聞かせてくださってどうもありがとうござました。初耳な話でした。


皆さんはLDと診断されたことがありますか?
No.4830  Thu, 17 May 2001 19:47:35 +0900  シンタロウ [この発言にコメントする]

 僕は小学2年から4年の最初まで養護学級に入っていました。そして小学6年の時に、言語性LDと診断されました。でも、僕は自分がLDだと思っていません。
なぜなら、今はちゃんと高校に行っています。
 皆さんはLDと診断されたこがありますか?


Re: 質問:自閉症はなぜアイ・コンタクトがないのか 4786へのコメント
No.4829  Thu, 17 May 2001 15:39:55 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

さるすべり(百日紅) wrote:
>質問です。
>「自閉症はなぜアイ・コンタクトがないのか」
>教えてください。
>
>ある先生に聞いたら納得いかない返事がきてしまったので納得行かしたいです。

 一つはおそらく、「視覚」と「聴覚」に同時に注意を傾けることが困難であるからだと思います。
 あるいは、家族や片思いの人などが「視線恐怖症」で、自閉症の人の「凝視癖」をとがめ、「一度言われたことはかたくなに守らなくてはならない」という気持ちから、アイコンタクトをいかなる場合でも避けるようになることもありえるとおもいます。

 これは余談ですが、耳の聞こえない「ろう者」の人たちは、手話で会話するときに、相手の気持ちを表情から正確に把握するために、アイコンタクトを重視しています。
 ろう者の人は「気持ち=目から入る物」で、自閉症者の人は「気持ち=耳から入る物」のようです。この前私が所属している手話サークルの講師で聞こえない人であるSさんに、「ろう者の人は独り言を言うの?」と尋ねたところ、「言わないよ。1人でいるときは周りの景色を見ているからね。」とのことでした。

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