アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
自分が AS なのかもしれないと思って一週間ほど。霧が晴れていくような気分で調べものを続けています。
「ああそうだったのか」と思うことばかり。こんど図書館にも行ってこよう。
自分が普通の女の子とはずいぶん違うらしいことは気づいていたのですが、「精神的には男なのに身体だけ女に生まれちゃったのかな」と思ってました。でも考えてみると、やっぱり普通の男の子も違うんですよね。
>>>だって、気にせずにズバズバ勝手なこと言ってた昔の方が、まだ私を気に入る人も>いたもの。いまは本当に誰とも近づかず、疎遠。
>>
>>ふーん。ずばずば勝手なことを言ってた昔のほうが...、というのは、それは
>>あなたを「やれやれー!」って都合の良いようにたきつける人を、気に入ってくれた人って勘違いしてた、という事はないですか???
>さあ、確かにそういう人もいたかもしれないけど、いまとなってはわかりませんね。
>私としては、表裏のないところを安心してもらってたんじゃないかと思いたいですが。
昔あまり余計なことを考えずに勝手なことを言っていた頃、よく一緒に過ごした友達は、いま思い返してみると程度はともあれみな AS っぽいか、もしくは異質さを許容できる人か、どちらかなのです。
たぶん、当時はまさに「類は友を呼ぶ」だったのでしょう。
変に気を使うようになって類も呼べなくなってしまったのが敗因か、それとも環境が変わったせいで周りに「類」がいなくなってしまったのか。
ああ、そうか、私が30歳まで特別気づかずにやってこられたのは (やってきてしまったのは)、家族を含めて、周りにやたら「類」が多かった特殊な環境のせいか。
また霧がひとつ晴れた。
武田好史 wrote:
> これはASを含む高機能自閉症に特徴的な現象で、専門家の方は「タイムスリップ」若しくは「フラッシュバック」と読んでいます。やはりパニック症状や鬱状態の時に多いようです。
こういうのはどうですか。
なにか緊張する会話をします。(普段は会いもしないお偉いさんと偶然話をしたとか、大勢の前でプレゼンをしたとか、お店の怖いおじさんから一触即発の雰囲気で買い物をしたとか)
その後、その会話を何度も反芻し続けて、ああいえばよかったこういえばよかったと、架空の会話をし続けます。身振り手振りつきです。
さらにこういうのも。
テレビドラマかなにかで、理不尽に怒られる人を見かけます。
その後、延々とその人に代わって、完璧な弁解や言い訳をしてしまいます。空想(とは思えないくらいリアルに)の中で反論されて反論しかえします。ふと気づくと、電車の中で声を出して、ドラマの登場人物になりきって弁解をしているのです。
場合によっては、今度は怒る人にもなって、自分でした弁解を打ち砕きはじめます。
ちょっと違うかしら。
ミッドランド wrote:
> こんばんは、ミッドランドです。
>
> 皆さんは「過去の記憶に脳の中を支配される」ことはありませんか?僕はしばしばあります。
>
>「脳内支配」とでも呼びましょうか。
>
> その記憶が決まって「忌まわしい思い出」ばかりです。
> 特にストレスがたまっているときに起こりやすいのですが、ふとしたことで記憶が津波のごとく押し寄せてきて、憂鬱な気分になります。
>
> なぜ、「忌まわしい思い出」に限って、いつまでも頭から離れないのでしょうか?すごく余計な負担になっています。
>
> この「脳内支配」は、ASの特徴のひとつなのでしょうか?
> そして、僕同様に「脳内支配」がつきまとう人は、どのように対処していますか?聞かせてください。
> ミッドランド
これはASを含む高機能自閉症に特徴的な現象で、専門家の方は「タイムスリップ」若しくは「フラッシュバック」と読んでいます。やはりパニック症状や鬱状態の時に多いようです。
去年の今頃、TBSでやっていた「君か教えてくれたこと」には、主人公の繭子という女の子が、幼い頃父親の友人がその息子を殺害したところを見たということを思い出して、著しい恐怖感にさいなまれるというシーンがありました。私も以外と鬱状態になったときに、小学生のころ人間ドミノの一番下に押し込められたとか、板書を書き写すのが苦手なのことを執拗にとがめられたこと、さらにさかのぼって幼稚園のころ見た人間の血管の様子を示した気味の悪い配色の図などが、一気に無意識の中から呼び覚まされてきます。
しかしながら、タイムスリップは不快な物ばかりではありません。例えば小学3年生の時、非常勤で9月から担任をしてくれた女の先生が、植物がすきな私のために、窓際にプランターを置いてかすみ草やスイートピーを蒔いて、一緒に水やりをして育ててくれたという記憶は、今の私がガーデニングを趣味にしていることの基礎になっていますし、幼稚園や小学校の頃聴いた音楽は、今になって私のピアノで弾ける曲レパートリーを増やしています。ある自閉症の青年は、仕事のつらさを紛らわそうと思って、懐かしい幼稚園時代の回想を何枚もの絵に描いたそうです。
ミッドランドさん wrote:
> この「脳内支配」は、ASの特徴のひとつなのでしょうか?
> そして、僕同様に「脳内支配」がつきまとう人は、どのように対処して
>いますか? 聞かせてください。
ASとフラッシュバック発作には関連がないと思います。特に根拠はありませんが。
ASその他の障害を抱えた人間は、フラッシュバック発作の原因になるような心的外傷(トラウマ)を受けることが多いとは思います。
私はPTSDというのは「精神的な消化不良」なのではないか、と考えました。つまり、精神的に理解し容認することができないような物事が、いきなり精神の中に居座ってしまった状態のような気がします。
私は本を書きました。めちゃくちゃ苦しい作業でしたが、自分の身にふりかかったことを客観視し、解体し、一つ一つの体験から「自分」というものを洗い落とし、ひとつの「物語」として自分の人生に組みこんでゆき、それを他人が読んで受入れてくれるようなストーリーにまで一般化する……という、気の遠くなるような作業でした。
これで症状はかなり軽くなりましたが、全快というには程遠い状態です。あまり効率のよい治療法ではないかもしれません。
トラウマの内容を他人に話すことは、それが専門家であっても慎重を要します。なにせ、当の本人にも「消化する」ことができないくらいのことなのですから、他人はとてもじゃないけど受容できません。普通の人間は「救いのない話」には耐えられないのです。ですから、下手をすると精神科医やカウンセラーでも、被害者非難心性に陥って、「それはあなたにも悪いところがあったんじゃないの?」くらいのことを言いだします。その結果、ますますトラウマを深くすることになりかねません。
いちばんいいのは、似たような経験をした者同士、「私はいかに悲惨な体験をしたか」自慢をすることかもしれません。できれば、聞き役に「普通の人」を何人か混ぜておくといいかも知れません。「やめろぉ〜! やめてくれぇ〜! 悲惨すぎるぅ〜!」みたいにのたうち回ってもらうと嬉しいと思います。
そういえば今年の四月頃の『アスペルガーの館の掲示板』って、そんな雰囲気だったような気がします。あれはけっこう効いてるかもしれません。
(Joshya)
ミッドランドさんwrote:
> 皆さんは「過去の記憶に脳の中を支配される」ことはありませんか?僕
>はしばしばあります。
>「脳内支配」とでも呼びましょうか。
ミッドランドさんのいう「脳内支配」とは少し違うかもしれないけど、似
たような経験を持っています。
しょっちゅう、いじめられた経験、いじめた経験、殴られた経験を心のな
かで再現してしまいます。かなり意識的に再現しているのでトラウマではな
いと思います。
> この「脳内支配」は、ASの特徴のひとつなのでしょうか?
人によってはタイムスリップという現象を起こすらしいです。ちなみにわ
たしは不適応をおこした時に、父親から10年前に殴られたことを思い出し
て抗議したことがあります。みんな、あっけにとられてましたけど。(笑)
> そして、僕同様に「脳内支配」がつきまとう人は、どのように対処して
>いますか?聞かせてください。
むしろはっきり思い出すように努力しています。その方が気が楽になりま
す。
ミッドランド wrote:
> 皆さんは「過去の記憶に脳の中を支配される」ことはありませんか?僕はしばしばあります。
よくあります。月に数回という感じかなあ。
一つの悪い記憶が走り出すと、次から次へと類似の記憶も出てきて、暴走状態になります。
調子が悪いと大したトリガもなく始まってしまうので、たとえば道を歩きながらびいびいと泣いてしまい、途方にくれます。
自室のときは、枕や床をたたいて「やだ〜っ」などと叫びつつひとりであばれてますが、いくつもの過去の記憶が同時にフラッシュバックしているので、なにに対してあばれているのか自分でもさっぱりわからなくなっています。
> そして、僕同様に「脳内支配」がつきまとう人は、どのように対処していますか?聞かせてください。
残念ながらまだ対処方法は見つけられていません。この状態に入ってしまうと、とてもつらいです。
あ、家にいるときは、ネットサーフィンしたりして気をまぎらわすということもあります。
ただ、そこで新たなネタを見つけてさらにひどくなることもしばしば。
こんばんは、ミッドランドです。
皆さんは「過去の記憶に脳の中を支配される」ことはありませんか?僕はしばしばあります。
「脳内支配」とでも呼びましょうか。
その記憶が決まって「忌まわしい思い出」ばかりです。
特にストレスがたまっているときに起こりやすいのですが、ふとしたことで記憶が津波のごとく押し寄せてきて、憂鬱な気分になります。
なぜ、「忌まわしい思い出」に限って、いつまでも頭から離れないのでしょうか?すごく余計な負担になっています。
この「脳内支配」は、ASの特徴のひとつなのでしょうか?
そして、僕同様に「脳内支配」がつきまとう人は、どのように対処していますか?聞かせてください。
ミッドランド
武田好史さん wrote:
>あなたにとって、「家族」とは何ですか?
時としてダイナミックに変動する人間関係。
場合によっては硬直し、人を傷つける。また、慰めになる時もある。
小さい範囲で見れば、わたしと娘と夫の三人だけの運命共同体でしょうね。「家族ごっこ」は苦手なので、いみじくも娘が口にした「お母さんとわたしは他人だよね。赤の他人じゃなくて、血のつながった他人」という言葉が示す通り、適度の距離と節度をもって付き合いたいです。
KILROYさん wrote:
> ぶちさんやあさかぜさんや由佳子さんには非常に申し訳ないような気がするのだけれど、あんまり気にしないで聞いてほしい。
そんなに気を使っていただかなくてもけっこうですよ〜。
> 私はルドルフ・シュナイダーが嫌いだ。
> ついでながら、「ローレライ」伝説を創作したブレンターノが嫌いだ。
> グリム兄弟も嫌いだ。
> 早い話が「ドイツ・ロマン派」、あるいは「ロマン主義」という思想自体が肌に合わないのだ。
嫌いなもの・肌に合わないものって、誰にでもありますよね。その理由を論述できるKILROYさんを尊敬します。
> 「嘘も方便」という言葉が私は嫌いだ。
↑この言葉は母からさんざん叩き込まれたので……嘘のつける人間になってしまいました。(自慢できることでは決してないが!) けれど、「嘘をつく」ことで心の中に生まれる葛藤の処理の仕方は教わりませんでしたね。だから、わたしも「嘘も方便」という言葉は嫌いです。
> 規則だの制度だのにがんじがらめに縛られている現代の子供に、「よいメルヒェン」なんぞ与えてどうする、と言いたい。子供に「理想」を押しつけてはいかんと思う。むしろ「最大公約数近辺の居心地のいい場所」くらいを示してやるくらいのほうが親切なのではないだろうか。
シュタイナー教育について、折に触れて学んできました。理論を深く知るというより、日常生活に生かせる教育として「親の会」のかたちで活動している人たちの中に入ってみたり、講演を聴いたり、実技(?)に参加したりと、いろいろです。
違うな〜と思うところがあったり、これは使えると思ったり……結局は選択する側の自由だと感じていました。「狂信者」にはなりたくなかったので。
居心地のいい場所探しは、親として常に心がけていますが……多くの親御さんが子供を追い詰めかねない方向性を持っていたり、理想に振りまわされていたりするのもまた現実です。わたしだっていつ罠に落ちるか判りません。情報選択能力・判断力・実行力に乏しく、日々自己反省して明日につなげていくしかないですね。
> 私は子供のための、そして大人のための「現代のフォークロア」が必要であるように思う。ただしそれは事実そのものではない。けれどフィクションでもない。
> 「共同幻想」。そう呼んでもいいかも知れない。なんだか岸田秀や吉本隆明みたいだが。
う〜ん……岸田秀や吉本隆明は読んでいないのに「共同幻想」という言葉には何か記憶があります。宮台真司か尾木直樹か藤井誠二かなぁ?それとも……?すいません、忘れました。思い出したらまた書きます。
尻切れトンボで失礼しました。 あさかぜ
マザーさん wrote:
>「普通」の子供に生んであげたかったです。思春期に入ってから「こだわり」
>と「不安」が強くなってきて、傍で見ていてかわいそうになります。
>私は、ただ傍に居てあげることしかできません。
僕の母も、多分そのような心境だったのでしょう。あの頃のことが頭に浮かんできます。
僕が高校に通っていた時分、対人関係の悩みから学校に通えなくなり、もうやめてしまおうと思い、その旨を親に言いました。
案の定、親は猛反発。僕は、
「これ以上無理して通ったって、いいことなんてない。」
と言いましたが、親は、
「3年行って卒業すればいいだけだろう。」
と無責任なことを言って聞き入れません。そこで僕は自分のすべての胸のうちを明かし、必死に頼み込みました。
その末に、親も折れて中退を認めてくれました。
あの時、親はおそらく「『普通の道』を外れる」ことを「アウトロー」と錯覚して恐れていたようです。自分たちと異なるタイプの人間であるがゆえに…。
だから僕はすべての親たちに言いたいのです。自分の子が「『普通の道』を外れる」(「アウトロー」ではない!念のため)ことを恐れないでほしい、と。
> ミッドランドさんの意見はすばらしいな、と思っています。
>「言葉」に、やさしさと自信が溢れているような感じです。
ありがとうございます!自分では意識していないんですが、そう思われているのですね。励みになりました!
ますます投稿意欲がわいてきた ミッドランド
武田好史さん wrote:
>あなたにとって、「家族」とは何ですか?
私にとって「家族」は、運命共同体です。
ミッドランドさん wrote:
>「こんな風に生んだ責任があるから、普通の子に育てなければ、と思っていた。」
こんにちは、マザーです。私も親として責任を感じています。
「普通」の子供に生んであげたかったです。思春期に入ってから「こだわり」
と「不安」が強くなってきて、傍で見ていてかわいそうになります。
私は、ただ傍に居てあげることしかできません。
> 自分の仕事を持てたことでも「愛情返し」になるか? ミッドランド
ミッドランドさんの意見はすばらしいな、と思っています。
「言葉」に、やさしさと自信が溢れているような感じです。
yukit wrote:
>どなたか教えてください。
>
>http://www.hi-ho.ne.jp/sugiyuki/
まずいずれの障害も共通点として、心因性のものではなく、脳の微細なダメージによって生じているということがあります。
ASすなわちアスペルガー症候群の人は、視覚・触覚・聴覚等の感覚を調節して
いく機構に問題が生じます。そのため何か会合に参加しても果たして何人の人がそれに参加していたのか判らなかったり、人から触られることを極端に嫌ったり、電話の音が聞き取りにくいといったことが起こります。またある分野が極端に優れているのに、他の分野では平均以下といったアンバランスな知能を持っています。またあることにこだわる・コミュニケーションスキル(表情・ジェスチャー・アイコンタクト)が乏しいということも、重要な診断基準です。
一方ADHD・ADDの場合は、意識や体の活動状況・注意力などを司るところに問題が生じます。知能の遅れは認められないことが普通のようですが、自閉症・学習障害・軽度知的障害と重なって現れることがあります。この障害があるとちょっとしたことでも疲労しやすい・部屋を散らかし放しにしてしまう・衝動的な行動に走りやすい・忘れっぽい・無計画にやたらと動き回ってしまうといったことが起こります。
どちらの障害にも、二次的な障害として「鬱病」などの精神的な問題が起こります。
ミッドランド wrote:
>武田好史さん wrote:
>>あなたにとって、「家族」とは何ですか?
>
> 僕にとっては「愛すべき存在、だけどもなかなか心が通い合わない存在」です。
>
私も似たような感じです。
子供の時はよく父や母から叱られてばかりいました。「箸の持ち方が悪い」「成績が悪い」「はっきり話せ」「金の計算しっかりしろ」・・・だから父や母に対して強い憎しみを持っていました。
しかし、最近母が入院してしまってから、ようやくそのようなことも一つの「愛情」というか、人の気持ちを「お互いを理解しあう」ために避けては通れないとか、それがあるから自分は本当にわずかながら「社会性」というものを持てたような気がします。
シンタロウ wrote:
ミッドランドwrote:>> 親も、僕があまりに自分たちと異なっていることで、不思議に思っていたようです。時にそれは僕へのいらだちとなって現れました。
> そんな親は殺したほうがいい・・・・・
シンタロウさんへ:
そりゃあ、一番愛情が欲しい・支えて欲しいはずの親に、私も通常でない感情=
憎しみ、を持っていた事もありますから、分からないこともないですが、
「殺した方がいい」と言うのは禁忌ではないですか?
あなた自身「こんな子は殺した方がいい」ともし言われたらどう思いますか?
ある人が嫌いだったら殺す、そしてまた嫌いな人が出てきたら殺す...
殺しても殺しても嫌いな人は絶えません。一人で生きていかれる世界はないと
思いますよ。「人を殺していい人」は存在しないはずです。
諍いのない家庭が、いい家庭だとは思わない。
事なかれ主義の、言いたい事も言えない家庭というのは、苦しい。
「なんであなたはそんな変なことを言うの?」みたいになじられるのも嫌だ。
「血が繋がっているのだから、分かってくれるのが当然だ」みたいなのも苦しい。
「血がつながっている」だけで家族になれるのなら苦労しないと思う。
親戚どうしの遺産相続の争いなんかすごいんだから。
赤の他人でも、いっぱい話しあって、いっぱい考えて、いっぱい泣いたり笑ったりすることで、「家族」になれると思う。
夫婦だってそうだ。もとは「他人」である。だけど家族だ。
『「私が来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。私は敵対させるために来たからである。
人をその父に、
娘を母に、
嫁を姑に。」』
(『マタイによる福音書』、10・34−35)
『イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
大勢の人が、イエスの周りに座っていた。
「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます。」と知らされると、イエスは、
「私の母、私の兄弟とは誰か」
と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。
「見なさい。ここに私の母、私の兄弟がいる。神の御心を行なう人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ。」』
(『マルコによる福音書』、3・31−35)
イエス先生だってこれなんだもん。われわれ凡夫俗夫は、しょうがないんじゃないでしょうか。
(Maria)
シンタロウ wrote:
>武田好史 wrote:
>>
>>あなたにとって、「家族」とは何ですか?
> 僕にとって家族はうざったい物体に他ならない。特に母親がうざったいです。
>母親はいつも僕だけを干渉してきます。僕が中学生の頃、母はいつも「勉強しろ!」とうるさく言ってきて、僕の部屋に入ってきて「お前まだそれしかできてないんか!」とよく怒鳴ってきました。学校の定期テストがかえってきた時、理科は92点を取ったのに母は「この英語の点数はなんだ!9点だぞお前!」と怒鳴ってきて「この能無しめ!」と言ってきました。僕の母は僕のいい所に目を向けてくれません。現在も怒鳴ってきます。僕は母親を殺したいです。
こんにちは。
私も、そうでした。九十五点を取ると、よくしかられました。
父にですけど・・・。でも、いま、子供ができてわかるんだけど、
あんたの、その落ち着きのない性格が、大事な五点をおとすのよね。
と、いいたい親の気持ちもわかる。
どういう風に考えてその五点を落としたかが、手に取るようにわかるのよ。
お母さんとあなたはにてるんじゃない?
お母さんは、あなたのなかに自分を見て、自分にも言ってるのだと思います。
でも、いつもだと、つらいよね。
わたしも、母との関係はだめでした。口うるさくて、文句ばかりで
人を誉めたことがありませんでした。
それも、愛情ということに今、気づきますけど、おかげで私は、自分に対して
卑屈になっていました。
後になって母に聞くと、あんたは、なんでもできて、心配をかけなかったから
楽だった。というのです。母にとって、わたしは心配をかけることのない
楽な子で、何をいっても大丈夫。と、思っていたのですね。
あるとき、大喧嘩をしました。
私が家から出てからですが、私がどんなに苦しかったか、どんなにつらかったか
どんなに我慢してきたか。ぶちまけました。
そのときは、強がっていた親も、一人になっていろいろ考えたのでしょう。
変わってきました。今では、私の一番の味方ですし、もともと、子煩悩の方
でしたから、ありがたいくらい大事にしてくれます。
孫である私の娘ゃ息子にも、沢山の愛情をかたむけてくれて、本当に感謝しています。
きっと、今はまだ親と子の関係で、親は親として上にたって居たいし、それも
じつは、愛情の裏がえしだとおもいますよ。
あなたが、大人になって親が一人前と認めたら、きっと親のほうで、変わってくると、思います。今は少し辛抱して。
私にはADHDの息子がいますけど、ともすると、僕は頭が悪い・・・。というので
そんなことないよ。五十点も取れたじゃない。算数が得意じゃない。
すごいすごい。と誉めまくっています。
上の普通の娘にはまた九十五点なのー。といってしまいます。
反省、反省。こんどは、すごーい九十五点じゃない。えらいねーって言ってあげよう。シンタロウさんのおかげです。ありがとう。
ほめてのばそう。でも悪いことは真剣にしかろう
をモットーにしている。みちることなおみの夢でした。
yukitさんへ
ひとまず、下記のホームページを確認してみてください。
http://homepage1.nifty.com/kanaipage/jiheigairyaku.html
後半の方に自閉症とAD(H)Dの違いに関する筆者の考え方が記
されています。おおまかにまとめると
(1)多動性
(自閉症) 無目的の多動。興味の偏在、執着
(ADHD)気が移りやすい
(2)注意力
(自閉症) 指向性注意の生涯
(ADHD)注意維持の困難・注意の無選択性
(3)平静時のようす
(自閉症) 固執の傾向
(ADHD)正しい判断が可能
(4)数唱問題 (5)符号問題
(自閉症) 良好 (自閉症) 良好または普通
(ADHD)不良 (ADHD)不良
(6)記憶問題
(自閉症) 良好
(ADHD)不良
こんな具合です。もっとも両者を厳密に区別するのは難しいでしょう。
また、両者は合併しても決して矛盾ではありません。(くると)
さとるの自転車さん wrote:
>俺の場合は、「少しでも幸せを感じるから」です、
>生きなければいけないと言う決まりはないと思います。
なるほど。
>「幸せのために生きる」というと、科学や哲学を熱心にやっている人達の、
>一部の人に、馬鹿にされることがあります。
むしろわたしが感じていたとまどいは、わたしの問いが一部の人にしか理
解されなかったことです。「なぜ生きるのか?」と質問しているのに「いか
に生きるか?」という答えにすりかえられてしまうことの方がとても辛かっ
たです。実質的には口封じされているも同然だったからです。
>だけど、単純に考えてもいいと俺は思います。
>俺や、あなたが生きていること事体、
>生きることの肯定にならないでししょうか?
(中略)
>俺は死ぬのは恐いし、いくら辛くても本気で死のうとは思いません。
>「生きたいから生きる」、「生きていた方がいいから生きる」
>それでいいんじゃないかな?
わたしの立場から言えば、それで納得できる人はそれ以上この問題
を追求する必要がないということです。少なくともわたしは「幸せに
なるために生きる」という結論を持つ人を馬鹿にするつもりはありま
せん。むしろ自分を含めて「なぜ生きるのか」という問いを持つ人の
方がはるかに愚鈍です。生きるためにはむしろ余計な考えだと言えま
す。
ただし、さとるの自転車さんが言う「単純に考える」というのは、
わたしにとっては決して単純ではありません。むしろ、「なぜ生きる
のか?」と問うことの方が、わたしにとっては「単純に考える」こと
だったからです。
わたしにとって「単純に考える」とは自分自身の思考パターンに従
って考えることです。わたしがこどもの頃から感じて苛立ちは、自分
本来の思考パターンとは異なる思考パターンを常に要求されていたこ
とです。(くると)
こんにちは、KILROYさん、みなさん。
この週末くらいまでは時間がなくて、とりあえずこれだけ。
KILROY wrote:
>
> ぶちさんやあさかぜさんや由佳子さんには非常に申し訳ないような気がするのだけれど、あんまり気にしないで聞いてほしい。
>
> 私はルドルフ・シュナイダーが嫌いだ。
別に申し訳なく思う必要はありませんよ。
私はシュタイナーの理論を、わかってもいないのに、
わかったような気になって、鵜呑みにしてひたりきっている
人の方が、問題だと思います。
それに理解出来たとしても、本当に理解するためには、同じ
ような経験を共有しているか、すごーく長い年月をかけて、
思いっきり研究しないと無理だと思うんです。
それなのに・・・って思ったりするんですよ・・・
私ってひねくれもの?
疑問を疑問としてはっきり持っているのは、いい事だと
思います。私自身、はっきり言って信じているわけではあり
ません(実は)。でもある程度逃げられない関係で勉強した
経験があり、その時に仕入れた知識に、由佳子さんの発言が
ピンと来ただけです。
でも事実として、由佳子さんの書かれている経験が、本で
ちょっとかじったシュタイナーの幼少時の経験に似ているのは、
事実だと思います。彼の場合は、それを大きくなってからも
持ちつづけていた(少なくとも彼はそう言っていたと思う)し、
それを書き残しているので、それが由佳子さんの自分探しの
手がかりの一部になれば・・・と思っただけです。
それに、読めば必ず何かがつかめるという確信があるわけ
でもないんですが・・・似たような経験を持った人の話を
聞くと、私の場合はこころの中の整理に役立つものですから・・・
もし、由佳子さんの役にたってくれればうれしいです。
だから怒ったり、むっとしたりしてないから大丈夫ですよ!
これだけ言いたくて、今回出てきました。
P.S. 由佳子さんがシュタイナーの著書を読んで、どう思うかも、
聞いてみたかったりする・・・私ってしりたがり・・・
武田好史さん wrote:
>今日はまたみなさんにお尋ねしたいことがあります。
>あなたにとって、「家族」とは何ですか?
すれ違う相手です。家族はわたしも家族と同じ欲望や感覚を持って
いると信じていました。でも、わたし自身は家族と全く違う欲望と感
覚を持っていました。
わたしが家族の意図を理解できないように、彼らもわたしの意図を
理解できません。(くると)
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