アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
みなさんこんばんは。
いつも私のたわいもない質問に答えていただきまして、本当にありがとうございます。
さて、今日もまたつかぬ事をお尋ねします。
あなたが思うところ、人間が人間であるためにこれだけはやらなくてはならないことを一つあげるとしたら、何をあげますか?
自分で調べればいいことを掲示板に書くのは反則という気はするけれど、書いてしまおう。「そういえば、考えたこともなかったなぁ」とかいって、興味を持ってくれるひともいるかもしれないから。
そもそも何をもって「AS」と判断するんだろう。
日本国中にASの人というのは何人ぐらいいるんだろう。
男女比が五対一という数字は、どこから出てきたんだろう。
ASを「障害」として捉えると、「べつに困ってませんよ」というひとは、ASではないことになる。そうすると、ASをなんとかするために何らかのケアを必要とする人の数が、「AS人口」ということになる。
ASを「症候群」として捉えると、たとえば知能テストだとか診断規準によって「この人はAS」と診断された人がASだということになる。そうすると、無作為抽出なりなんなりして、一斉にスクリーニングテストをして、その割合に全人口を掛ければ、一応の「AS人口」というのが出ることになる。
とはいえ、「私って普通の人とどっか違うなぁ」と思ってここに来て、「おお、私はASだったのか!」みたいな自称ASのみどりさんやあたしのような人間もいたりする。だけど、機械的に「この人はAS」「この人は非AS」と分けることは、できないし、無意味でもある。なんとなれば、知能テストなんていうのは「ASにとって困難なこと」を発見するものであって、その「ASにとって困難なこと」を何らかの方法で克服しちゃったASに対しては通用しないからなのね。だからあたしがAS児のお母さまがたに助言もできるというものです。なにしろ「この道はいつか来た道」なのですから。
閑話休題。「みどり」さんは、あの「みどりちゃん」なんでしょうか。謎です。
こうなると、男女比が五対一というのも怪しいものだったりするわけです。男性が適応すべき環境と、女性が適応すべき環境というのは、将来の理想としてはともかく、現状としては別なのですから。(←ついついフェミニストに配慮してしまうあたしである)
こうなると、あたしたちが「AS」というものをどう捉えるかが問題になってくるのですね。
「精神遅滞」「学習障害」の一部として、「発達障害」を考え、「AS」をその一部と考えると、「AS」と診断されていなくて、これからもたぶんされないであろうみどりさんやあたしは「AS」ではないということになります。
逆に、「AS」が一種の「性格の偏り」(もっとも「偏り」が具体的にどういうものなのかは不明なのですが)であるとして、「健常者」と異なったやりかたで学習を行なうことにより、「健常者」と同様以上に社会に適応できるとしたら、ASというのは男と女のようなたんなる「違い」でしかないことになり、「障害」ではなくなります。
あたしはAS児のお母さまがたに、「親というのは、子供が社会と折合うためのお手伝い程度のことしかできない」とつねづね言ってきました。社会に自分を合わせようとすれば、自分が苦しい。自分に素直になると、社会とトラブルを起こす。だから、自分にとって居心地のいい場所を社会の中に見つける、あるいはそういった場所を作り出すためのお手伝いをするのが親のつとめだ、ということだったりします。
だとすると、「AS」と「健常者」の違いはまさしく「違い」でしかなく、「AS」を「AS」であると規定するものは、「一般社会のこういうところが苦手」「こういうふうな環境が快適」といった、「本人自身の感覚」だということになります。
考えてみれば、「AS」は病気ではないとか、「AS」と「健常者」は対等であるとかいったあたしの考えに、この発想はマッチしています。
ASは性別や皮膚の色や目の色のような、ある種の区別である。ただ、それは精神の問題で、外からは判断することができず、本人の感覚によるしかない。その意味で、ASはいわゆる「色弱」に似ているともいえます。いわゆる「正常な人」と同じように色の区別はできる(ある場合には、「正常な人」よりもその判断能力は正確です)けれど、異なった色の世界に住んでいる。
どうなんでしょう。みなさんのご意見を、伺いたいと思います。
(Maria)
さくらかのえ wrote:
>武田好史さん wrote:
>
>> さてこの事件でのキーワードは、犯人の「責任能力が問えるか?」ということです。
>
>>みなさんはどう思いますか?
>
>問えると思うし、問うべきではないでしょうか。
>それにしても、罰を逃れるために重度障害者と思わせるような錯乱を装うとは・・・嫌な気分です。
本当にそうです!あんなやつの罪を許してしまったら、日本国中の良心的で社会に適応できないと日々思い悩んでいる、多くの精神障害者の方々の苦労が報われません!
自称ASのみどりです。ここの古いログをぱらぱら見てます。いやー自分に似てるひとがこんなに世にたくさんいるとは知りませんでした。
古い話題にも、返事を書きたくてたまらないのがたくさんあったんですが、残念ながら私は記憶力には欠けるせいか、多すぎたせいか、全部忘れてしまいました。
ミッドランド wrote:
> 皆さんは「裏方の仕事」と聞いて、何を連想しますか?
裏方大好きです。昔バンドをやっていて、ソロまわしを頑固にパスするというバンドマンらしからぬ行動を取っていました。
いま考えると、どうしてバンドなんて集団行動ができたのか不思議ですが、そういやあの集団もみな世でいう変人ぞろいだったな。
話がそれました。
仕事でも趣味でも、ごくたまにならば表に名前が出るようなことがあってもミーハー的に喜んじゃいますが、普段は裏方の仕事の方が性にあってます。
表にきらびやかに出ているものを見て、ひそかに「私がいなければあれはできなかったのよ〜」とひとりほくそ笑むのが最高。(これもそうそう機会はありませんが)
つくづくエンジニアに向いてるやつだと思います。
武田好史さん wrote:
> さてこの事件でのキーワードは、犯人の「責任能力が問えるか?」ということです。
>みなさんはどう思いますか?
問えると思うし、問うべきではないでしょうか。
それにしても、罰を逃れるために重度障害者と思わせるような錯乱を装うとは・・・嫌な気分です。
皆さんは「裏方の仕事」と聞いて、何を連想しますか?
「TV・映画の大道具・小道具」を挙げる人が多いでしょうか。
彼らは表舞台には出てきませんが、舞台づくり、ディスプレイなど「作品」にするために必要なものを準備する、いわばバックボーン、屋台骨と言えます。
大相撲の「床山」もそうです。力士たちのマゲ、あれは床山がいるからあの髪型にできるのです。彼らも大衆の前に顔を出すことは滅多にありませんが、彼らこそ
大相撲という日本古来の文化を支える大きな力と言っても過言ではありません。
また、僕の職業「歯科技工士」もまた歯科医療における「裏方の仕事」です。歯の治療に来ている人で、詰め物・かぶせ物・入れ歯の製作を担っているのは僕たちである、ということを意識している人はほとんどいません。診療サイドで僕たちを見ることがほとんどないからです。
しかし、そんな僕たちがいて歯科医療は成り立っているのです。
詳しくはわからないのですが、「義肢装具士」も似たような色彩であると思います。
これらに共通することは、
「表舞台には出ず、目立たないが、その世界では大きなチカラとなっている」ことです。
これこそが「裏方」の大いなる意義と言えます。「縁の下の力持ち」とも言えます。
10年くらい前の僕は、裏方の仕事に「暗い、ダサい」という凝り固まったイメージを持っていて見向きもしませんでした。そのうえ、
「将来仕事やるなら、人の前に出る目立つ仕事だ!」
と考えていました。そんな仕事、到底自分につとまりっこないのに、理想ばかりが先に進んでいったのです。
その後、自分の適性と言うものを知り(ちなみにある適性検査をうけたところ、
「社交性」が最低の数字でした)、色々試行錯誤して今の仕事に落ち着いています。そこで裏方に対する偏見は消えました。
今ではもう「裏方バンザイ!」です。
今回、あまりASと関係ない投稿をしてしまった ミッドランド
武田好史さん wrote:
> この事件でのキーワードは、犯人の「責任能力が問えるか?」ということです。
>みなさんはどう思いますか?
こんにちは、武田さん。
わたしは、事件を起こした男性についてはコメントしたくないと思っていましたが、気が変わりました。
当然問われるべきだと思います。
個人訴訟手続きを行える能力があり、相当の法律知識があり、犯行直後に嘘をつけた人です。責任能力は「ある」と感じました。
専門知識のないわたしには、それ以上のことは言えませんが。
日常の中に飛び込んできた悪意にさらされたお子さんたちのことを思うと、胸が痛みます。心の傷・体の傷を受けた皆さんのこれからの人生に、ひとつでも多くの幸が訪れることを祈るしかありません。
亡くなられたお子さんたちも、安らかであれと祈るしか。
犯人が罰を受けたとしても、失ったものはもう戻ってこない……。
あの凄惨な大阪教育大付属池田小学校の児童殺傷事件から、5日あまりたちました。私たちにはあっという間でしたが、事件の当事者の人たちには、本当に辛く長い時間であったと思います。
さてこの事件でのキーワードは、犯人の「責任能力が問えるか?」ということです。
私は、薬の副作用で暴れたと嘘をついたこと、事前に「頭の良いエリートの子供たちを狙う」とターゲットを絞り、凶器の包丁を用意していたことから、明らかに場当たり的な犯行ではなく計画的な犯行であり、よって犯行当時心神喪失・耗弱であるとはいえず、犯人の生い立ちが不幸であったにせよ、責任を問われるべきだと思います。
みなさんはどう思いますか?
やんちゃん wrote:
>こんばんは。思いっきり横レスです。
いや〜、こんにちは! 優しいレスをありがとうございました。
>障害者か健常者か、というと私も多分健常者の方に入ると思うんですけど(日常生活にあまり支障がない)、さて、ではどのあたりにいるんだろうとなると、悩んでしまいます。レッテル付けなんてどうでもいいのかも知れませんが・・・。
そうですね。レッテル付けは、わたしもあまり気になりません。「障害者」「健常者」という言葉が説明に必要になる場合があるから、仕方がないのだと思うことにします。言葉で説明しにくいこともたくさんあるんですけどね。
娘はAS児ですから、それに関しては「障害」です。そのほかに「将来、障害になる可能性のある身体的欠陥を生まれながらに持つ」という説明も必要になるときがあり、長いよ〜面倒くさいよ〜と思ってしまいます(苦笑)。もっと簡潔に的確に述べる方法はないのか?と考える人がいて、「言葉」を発明(?)してくれるのでしょう、きっと。
>私もいろいろとんちんかんなことを言っていますが、ここは話の内容をちゃんと聞いてくれる場所です。もっとも、言葉の使い方を間違えたり勘違いしてたら鋭く指摘されちゃいますが(笑)。でもそれも助かっています。
>「素直になるってどういうこと?」「文章の書き方」など、とても丁寧な返事をもらって感激しました。(そういえば、私ちゃんとレス返してないですね。すみません)
>こんなこと書いたら変かな?と思っても発言してみて、その反応でいろいろ(自分は何者か、ということ含めて)分かることってあると思います。
たっくさんあります!! ここの方々は優しくて丁寧なので……『がさつが服を着て歩いている』わたしは、デカイ身体を精一杯縮めながら「ありがとう。いつもありがとう」って感謝するしかないです。
>やっぱり、発言してみなきゃ損ですよー。
はい、これからも発言はします。させていただきます。なにとぞ、よろしくお願いします。
>私はまだ自分探しの途中です。
>30歳過ぎても青春真っ只中??のやんちゃんでした。
わたしも自分探しを続けます。
40なかばにして「これから青春しちゃうぞ!」のあさかぜでありました。
gon・zoさん wrote:
> この点、男性は可哀想と思います。仕事上では大いに迷惑をかけることになるでしょうから。家族の生活もかかってくるので、もっと重いでしょうね。
こんにちは。
すみません、説明が足りなかったような気がして、昨日の続きを書いてみます。
↑上記の部分に引っかかりました。言葉が適切かどうか判りませんが、「視点」を変えてみてはいかがでしょうか?「仕事上の迷惑」「家族の生活」の重みを持っているのは、なにも「男性」だけとは限りません。「女性より男性のほうがより重い」とお考えになるのは自由ですが(確かに現代社会ではまだそういう考えかたが主流だということは、わたしも認めます)、別方向から見てはいけないということでもないと思うのです。
「記憶力の低下によって失われた能力」についてより建設的に考えるには、「自身が背負わなければならないと思うこと」を全部(思いつく限り)書き出して、ひとつひとつを検証して優先順位をつけ、順位の低いほうからひとつふたつとはずしていったらどうでしょうか? わたしはそれを意識してやっています。
「はずす」というのは「責任を持つことをやめる」「ほかに肩代わりしてくれる人を見つけて、その人に任せる」というようなことです。
長い時間をかけて獲得した能力を手放すことが嫌で、すべて持っていなければ気がすまないという「強いこだわり」を持っている場合(健常者にだって、そういう人はいます)はむずかしいかもしれません。けれど、また長い時間がかかってもいいからひとつずつ「はずして」いく気持ちを持つように努力してみるのも大切なのではないかと思います。
誰でも年はとります。「老いる」にも個人差がありますけれど、いつかは「能力の衰え」を実感せねばならない時が来るでしょう。それが人より早いか遅いか・意識するかしないかも、個人の自由ですが……。
> 昔は通用した、精神と頭脳のアンバランスさが、「おじさん」になると、可愛くも何ともなくなることが一つにはあるのかも知れません。なんか、見ていて可哀想になります。
たくさんたくさん慰めてあげて下さい。「将来への不安」から来る二次的な症状の「神経症」や「うつ病」を発症しないためにも。
これのほうが重要です。中年以降の神経症やうつ病は、深刻な事態になる確率が高いです。特に「強いこだわり」や「ストレス」がある場合はなおさらです。
> 子どもの成長をみていて想像するのですが、ある時期「なぜ、こんなことがわからないのじゃ!」と思えるようなことがあるとします。例えば、「自分の髪を自分でとかす」といったような、普通に暮らしていて普通にわかること……
> ずっと解らない時期があって、ある日のある瞬間、突然出来るようになります。こういうことはよくあります。端で見ていると、不思議なのですが、子どもにとっては色々な経験が積み重なって「!」と言う瞬間なのです。
これは大人にもあります。
わたしなんかは一生「!」の連続なのじゃなかろうかと思いますね〜(苦笑)。
ご自身を含めてご家族皆さんのこれからの人生を大切になさってください。
みなさん、質問のレスありがとうございます。
>みちるwrote:
> が、はたと気が付いたのですが、「更年期」なんでは・・・。
>そろそろ、症状が出始めているのだと思います。
>私の場合は一時的なストレスで症状がいっきにでたらしいのですが、漢方薬や
>ホルモン剤で治療し、今はかなり良くなっていました。
>でも、また、疲労とストレスできわどいところへきています。
>だるい、つかれる、肩こりといったようなことから記憶力のほうへ出現しますの>>で
>それらも含めて治療されるといいのでは。
この可能性もあるでしょうね。ASの人が更年期を迎えたときどうなるか、っていうのも知りたいところです。
>あさかぜwrote:
> 自分自身に関しては、人に迷惑をかけたり損害を与えたりしなければ、「忘れた>ことで衰えた能力」は受け入れています。
> もともとが「情報処理スピードが極めて遅い」人間だったので……うまく言えま>せんが「世の中の変化のスピードが速すぎて、とてもついていけない」と日々感じ>ていますから、さらにそこに「衰え」が加わったところでたいした違いはないので>す。
この点、男性は可哀想と思います。仕事上では大いに迷惑をかけることになるでしょうから。家族の生活もかかってくるので、もっと重いでしょうね。
>銀八wrote:
>私は今年44歳になった男性です。記憶力が劣ったという意識は今のところ
>あまりないのですが、記憶していることを探し出す作業が極端に遅くなりま
>したです、はい(~_~)
> (略)
>あ、記憶力というのは思い出す能力も含めるのですか?
>だとしたら、私も極端に低下していますね。
思い出す能力の低下ですか。それもあるのでしょうね。
実は、本人ではないので、詳しいことは解らないのですが、とにかく「昔出来たことが、最近急にできなくなった」と嘆いております。年齢は銀八さんとほぼ同じくらいです。
昔は通用した、精神と頭脳のアンバランスさが、「おじさん」になると、可愛くも何ともなくなることが一つにはあるのかも知れません。なんか、見ていて可哀想になります。
私はこんな感じかな?と思っています。あくまでも推測ですが。
子どもの成長をみていて想像するのですが、ある時期「なぜ、こんなことがわからないのじゃ!」と思えるようなことがあるとします。例えば、「自分の髪を自分でとかす」といったような、普通に暮らしていて普通にわかること……
ずっと解らない時期があって、ある日のある瞬間、突然出来るようになります。こういうことはよくあります。端で見ていると、不思議なのですが、子どもにとっては色々な経験が積み重なって「!」と言う瞬間なのです。
絵を描いていて、「髪の毛が耳の上にもあること」、「後ろから見た時は首の付け根よりちょっと上まで髪が見えること」(男は)、「額の髪の生え際から、髪は地面に向かって伸びていること」などを教えられてはじめて知ります。そして、自分の頭を触ってみて、「あ、ほんとだ!」と言うことになります。(他の人を見て、自分にまで普遍化できないのがミソです。男でよかった、女だと難しくて説明できない。)
別の機会で、「分数の概念」を知るとします。また、「耳というのは、だいたい横顔の中心1/2くらいの所にあり、つむじというのがあり、耳と耳を結んだ真上にあること」など、を教えられて知ります。また、「重力の法則」を知って、物は地球の中心に向かって落ちることを学ぶとします。
また、「世の中にはパーマといって髪を人工的にカールさせる方法があること」を知ります。また、「髪をはねさせることも、おしゃれの一つだ」と言うことも教えられます。でも、「子どもは天然パーマ出ない限り、ほとんどの子は直毛だ」ということも知ります。
その他、「ブラシの持ち方や向き」、「手が届かないところは持ち替える」など、色々な知識が積み重なって……それまで、何度教えても、おきたままの「おはよーセット」で毎日髪型が違ってたのが、色んな情報がつながり、ついに「なんだ、こうすればいいんだ!」と頭で理解して出来るようになります。
あー疲れた。と一つ例をあげるとこんな風で、どんな小さなことでも教えられるまでは解らないことが多いです。
ある新しいことが出来る様になるのに、小さな情報が結合される必要があるのです。それを記憶力で穴埋めしています。各々の情報に対する記憶力と、それを結びつける記憶力、その両方が必要だと思います。
うちの大人の場合は、そのどちらか、あるいは、両方の記憶力のキャパが限界に来ているみたいです。積み重なって、限界に来ているのか、キャパ自体が小さくなってきているのか、解りません。
そういえば、中年以降のASの状態って、どうなるんでしょうね。どなたかそんな文献をご存じですか?
>みちるwrote:
>
>私は今年44歳になった男性です。記憶力が劣ったという意識は今のところ
>あまりないのですが、記憶していることを探し出す作業が極端に遅くなりま
>したです、はい(~_~)
>TVタレントの名前が出てこなくて、悔しい思いをしながらTVを見ている
>ことも多いです。話の筋よりそっちの方が気になったりして。
>あ、記憶力というのは思い出す能力も含めるのですか?
>だとしたら、私も極端に低下していますね。
みき wrote:
> はじめまして。みきといいます。小さい頃に自閉症の診断は受けているそうです。(親から聞きました)
> 突然ですみません。
> わたしは自分に向かって話し掛けられていることが分かりません。その人がわたしの顔を見て話していてもわたしに対する言葉なのかどうか分からないのです。だから、よく「話を聞いていない」とか「ぼんやりしている」とか「無視している」と言われます。わたしは全然そんなつもりはありません。
私も朝起きたばかりのときとか、緊張を伴うような作業をしたとき、相手がいきなり話しかけてきたときに、そうなってしまいます。
この状態は、恐らくは脳の「脳幹網様体」「視床非特殊核」というところの不具合によって生じているのだろうと思います。これらは互いに連携して、耳から脳へ聴覚神経を通じて入ってくる聴覚情報を振り分け、重要で注意すべき音はどれであるかを決定する作業をしています。
いま仮に、A君という小さな男の子が、ちゃぶ台においていたみそ汁をひっくり返してやけどをしてしまい、「ママー!」とご飯をよそっているお母さんを呼んだとします。お母さんの耳には、テレビのワイドショウのひいきのタレントのインタビューの様子が入ってきています。
そこへA君の声が飛び込んできます。音は内耳で聴覚刺激に置き換わり、聴覚神経を通って脳幹網様体に入ります。脳幹網様体が「これはA君の声だ!」と悟ります。脳幹網様体は、「A君に何か起きたに違いない、どうしているのか見なさい!」という指令を視床非特殊核に送り、視床非特殊核はお母さんの意識をタレントの声からA君の声の方へ切り替えるように、脳全体に指令をだし、お母さんはAくんの方を振り返ることになります。
ASの人はよく「共感性にかける」「話を聞いていない」と非難されますが、おそらくこの機構すなわち「指向性注意の中枢」の許容容量が少なく、そのためくどくどと長い間叱られたり、たくさんの用事を一度に言われたりしたとき、ある種のパニックになってしまい、そのような妙な感覚に襲われるのだと思います。
みきさん wrote:
>はじめまして。みきといいます。小さい頃に自閉症の診断は受けているそう
>です。(親から聞きました)
みきさんへ。はじめまして。『アスペルガーの館の掲示板』へようこそ。
>突然ですみません。
いえいえ。遠慮する必要はありません。あたしはみきさんを歓迎します。
あたしは、そしてたぶん『アスペルガーの館』の管理人さんおよび掲示板メンバーの皆さんも、好ましからざる人物がこの掲示板に闖入してくるリスクよりも、真にこの掲示板に迎え入れるべきひとがここを訪れないリスクを排除しようと考えています。
> わたしは自分に向かって話し掛けられていることが分かりません。その人が
>わたしの顔を見て話していてもわたしに対する言葉なのかどうか分からないの
>です。だから、よく「話を聞いていない」とか「ぼんやりしている」とか「無
>視している」と言われます。わたしは全然そんなつもりはありません。
まず、あなたにだけ原因があるわけではない、ということを理解して下さい。
あたしの見るところ、話しかけている相手の態度にも、かなり問題があります。
言語理解というものは、話す側に「わからせたい」、聞く側に「わかりたい」という意志があってはじめて成立します。その場合、話す側は、聞く側の「わかりたい」という意欲をかきたて、同時にその意欲に応えるために「わかりやすく話す」という努力をすることが、社会的に期待されます(つまりは「礼儀」とか「配慮」とかいったものです)。
ひょっとしたら、あなたに「相槌をうつ」「相手の言ったことを要約し、自分なりの言葉で相手に示し、確認を取る」といったアクションが欠けているのかもしれません。
しかし、普通は、誰かに話しかけるときは、
「おーい、Maria」
「はぁーい」
「辞書マスターのフロッピー、どこにやった?」
「CDにコピーしたんで、廃棄しちゃいましたぁ。CDの正本は『アーカイブ』の箱に、副本は貸金庫に預けてありまぁーす」
「動詞だけ最新の見たいんだけど、どっかにないかね?」
「あたしのマシンの『開発』の下の『辞書データ』の下のvarb.tsbがそうですけど」
「ダンケ」
「どういたしまして」
みたいな形で、
「一つの情報ブロック(これをテュープルといいます)の始めと終わりが示される」
「一つの働きかけに対して、それに応じた反応がある(これをトランザクションといいます)」
「そういった対話における、約束ごとがある(これをプロトコルといいます)」
といったことが、守られていなければなりません。
あなたに話しかけている人は、そうした配慮を欠いているのではないでしょうか。
「すみません。もう少しゆっくりと、はっきり、わかりやすく、一つ一つ確認を取りながら、話していただけますか?」と言ってみるといいかもしれません。
あたしがアメリカに出張したときに、電話口でいきなり早口の英語でまくしたてられて辟易したことがあります。そういうときに、この方法は有効でした。
>他にも言葉の表現の幼さや感情表現のなさが原因になって、トラブルを起こした
>ことがあります。
繰り返しになりますが、必ずしもあなたにだけ問題があるわけではないと思います。
> 人はどのようにして自分に対する言葉かどうかを判断しているのでしょうか?
それに関する明確な答えをあたしは持っていません。
けれど、社会生活においては、「私はあなたに語りかけているのですよ」ということを相手にはっきりと意志表示する、というのが礼儀だと思います。
あなたにはあなたの名前が(たぶん)あるのですから、それを呼んでもらえばいいだけの話です。
「おい!」とか「ちょっと!」とかいった態度は、失礼です。
犬や猫だって名前くらい呼んでもらえます。
(Maria)
こんばんは。思いっきり横レスです。
あさかぜさん wrote:
> なんだか長いことくしゃくしゃと考えていたことが、ストンと胸に落ちました。
>「そっか〜、わたしってASじゃなかったんだな〜」と納得できました。そのきっかけを与えてくださった言葉が、上記の「健常者」です。これはひとことお礼を言わねばなるまい!と思いましたので……ありがとうございました。
>
> しかし、なんだなぁ……『アスペルガーの館の掲示板』における”貴重な”「健常者」メンバーっつうのは、「あたしゃ、希少動物かい?」みたいな気分になりますですな〜。(爆笑)
>
障害者か健常者か、というと私も多分健常者の方に入ると思うんですけど(日常生活にあまり支障がない)、さて、ではどのあたりにいるんだろうとなると、悩んでしまいます。レッテル付けなんてどうでもいいのかも知れませんが・・・。
>
> わたしは時々「自己コントロール」を失ってしまいます。そのためにカキコの配慮も怠ってしまい、多くの皆さんに不快な思いをさせたのではないかと思います。大変な失礼を働いたように感じます。申し訳ありませんでした。
>
私もいろいろとんちんかんなことを言っていますが、ここは話の内容をちゃんと聞いてくれる場所です。もっとも、言葉の使い方を間違えたり勘違いしてたら鋭く指摘されちゃいますが(笑)。でもそれも助かっています。
「素直になるってどういうこと?」「文章の書き方」など、とても丁寧な返事をもらって感激しました。(そういえば、私ちゃんとレス返してないですね。すみません)
こんなこと書いたら変かな?と思っても発言してみて、その反応でいろいろ(自分は何者か、ということ含めて)分かることってあると思います。
やっぱり、発言してみなきゃ損ですよー。
私はまだ自分探しの途中です。
30歳過ぎても青春真っ只中??のやんちゃんでした。
gon・zo wrote:
小さいときから頼りの綱であった「記憶力」がこのところ(中年に及び)極端に低下してきたという。
>■そのような悩みをお持ちの方、いらっしゃいますか?
>もしいらしたら、ちょっと聞かせて下さい。
gon・zoさん、こんばんは
私は今年44歳になった男性です。記憶力が劣ったという意識は今のところ
あまりないのですが、記憶していることを探し出す作業が極端に遅くなりま
したです、はい(~_~)
TVタレントの名前が出てこなくて、悔しい思いをしながらTVを見ている
ことも多いです。話の筋よりそっちの方が気になったりして。
あ、記憶力というのは思い出す能力も含めるのですか?
だとしたら、私も極端に低下していますね。
武田好史 wrote:
> あなたが思うところの、「これは自閉症の文化である!」ということは、どんなことですか??
好奇心であると思います。いろいろなことについて、「知りたい!」と思うことです。もっともそう思っているのは、私だけかもしれませんが・・・でもこれがあるから私は今まで生きてこれたと思います。
はじめまして。みきといいます。小さい頃に自閉症の診断は受けているそうです。(親から聞きました)
突然ですみません。
わたしは自分に向かって話し掛けられていることが分かりません。その人がわたしの顔を見て話していてもわたしに対する言葉なのかどうか分からないのです。だから、よく「話を聞いていない」とか「ぼんやりしている」とか「無視している」と言われます。わたしは全然そんなつもりはありません。他にも言葉の表現の幼さや感情表現のなさが原因になって、トラブルを起こしたことがあります。
人はどのようにして自分に対する言葉かどうかを判断しているのでしょうか?
Tienさん wrote:
>ただ、ひどい方向音痴なのですが、そういう方いらっしゃいますか?
>どうしても、俯瞰図というのか鳥瞰図というのか、全体的な地図&地理の流れを
>理解する仕組みは欠落しています。
>
>しかし、人の顔は異常なくらい覚えています。
こんにちは、Tienさん。
わたしは方向感覚は良い方です。「地図が好き」と言うほどではありませんが、見るのは苦になりません。
ぼ〜っとしていて道を間違えることもよくありますが、まったく知らない道に迷い込んでもさほど不安にはならず、自分の感覚を頼りにして進めばたいてい何とかなってしまいます。
逆に、人の顔は覚えが悪いです。「顔は見たことがあるけれど、どこの誰さんだか思い出せない」という意味ですが。
一番ひどい経験は高2の放課後で、挨拶して通り過ぎた人が誰だったかわからなくて友人に尋ねたら「あんた何言ってんの?一年の時同じクラスだった○さんじゃないの」とあきれられてしまったことです。
注意欠陥傾向だったかな〜と感じるエピソードのひとつです。
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