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ある疑い(ナルコレプシー)
No.5907  Sun, 8 Jul 2001 19:15:54 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

 今、“ナルコレプシー”について、めっちゃ勉強中です。
 なぜなら、自身が各診断項目に、かなりの部分該当していることに気がついてしまったので...。診断は、自己診断になってしまわざるを得ないけど、今の日本の医療事情を思うとさ。そういう金銭的余裕がないという恨みなきにしもあらずって訳で...
 しかし、As/ADD/LDときて、さらにナルコレプシーということになったら、一体、何ヶ所破壊されていることになるのかしらね、私の脳は(-_-)?


ふと思い出した、あのときの少年 5879へのコメント
No.5906  Sun, 8 Jul 2001 15:43:10 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

 皆さんレスありがとうございました。まだその気にはなれませんが、ご意見を参考にして今後の糧とさせていただきます。

 さて今回は、前回の投稿でふと思い出したことがあったので、それを綴ります。

ミッドランド wrote:
> まずは小学校入学後間もないとき。僕が他人とどこか違うということで、大学病院へと連れて行かれました。ちなみにこのとき受診したのは「小児科」でした。当然、正確な診断など下されるはずもなく、「精神科の方へ行って下さい。」のアドバイスすらありませんでした(今から21年前の話。そんなことを期待する方が無理があったかもしれない)。

 このとき行った病院の待合室でのこと。僕は母親のとなりに座り、家から持ってきたマンガ雑誌を読んでいました。
 すると、僕がマンガ雑誌を読んでいるのを見ている、ひとりの男の子が僕のとなりにいました。僕は彼のことなど気にも留めなかったのですが、僕の母親が、
「そのマンガ、その子に読ませてあげたら。」
と言ったので、僕は言われるままに彼にマンガを渡しました。どうやら彼はマンガを読みたかったようです。僕はまったく気づきませんでしたが。

 当時の僕は、マンガを読むときは「ボソボソ独り言状態」でした。もともと文章(この場合はセリフ)を読むのが苦手だったので、自分の脳に響かせて意味をとる、ということからです。
 ところが、彼の場合はセリフを声に出して読む、つまり音読していたのです。
 しかも、セリフの一字一字をゆっくり、追うようにしてたどたどしく声を出して読んだのです。
 僕はそばで彼の読む(自分のなのに)マンガを一緒に読みました。彼が声に出してくれるので、僕もゆっくりと読めました。
 しかし、彼は僕の存在に気づく様子はなく、ただひたすらマンガを読みつづけていました。同時に僕も彼のことよりマンガの方に関心が行っていました。

 時間が過ぎていき、僕の番が近づいてきたのですが、僕は自発的に彼に「もうマンガ返して。」と言えませんでした。母親に促されて、とりあえず「返して。」とだけボソッというと、彼は何もいわずに僕にマンガを返して、それからどこかへ行ってしまいました。
 
 今思うと、彼はもしかしたら僕同様、なんらかの発達障害を抱えていたのでは? と思うのです。人に関心がないという特徴は僕も持っていましたから。
 だとすると、これが僕にとって最初の「A−type」の人との接触だということになります。もし気軽に「どこから来たの?」「歳は?」「どうしてここに来たの?」と話し掛けることができたなら、彼といい友達になれていたかもしれません。「いわゆる普通の人」はこれで難なく友達を作れるんでしょうね。ああ……

 皆さんはそんな「一瞬だけの思い出の人」はいませんか?

 子供時代の「貴重な出会い」は本当に大切と感じる   ミッドランド


Re: 目の前にあるものは、目の後ろから来る 5904へのコメント
No.5905  Sun, 8 Jul 2001 11:01:22 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
>くると wrote:
>> 医学的説明では、色がこの世界に存在することを前提で、色覚異常を説明し
>>ているように思える。しかし、そもそもこの世界には色が存在するのであろう
>>か?色が見えるということ自体が、わたしたちの幻覚に過ぎないということは
>>ないだろうか?
>> この仮定が成り立つとすると、「色覚が正常か」という問いは「正しく幻覚
>>が見えているか」という奇妙な問いに変質してしまうことになる。そして、「
>>色覚異常」とは「多くの人が見えている正しい幻覚とは異なる幻覚をみてしま
>>う障害」ということになる。これは奇妙な考え方である。
>> そもそも、幻覚を「正しいか否か」という尺度で判断することは不可能であ
>>る。この場合、「多くの人と同じ幻覚を見ている人」が健常者と判断され、「
>>異なる幻覚を見ている人」が障害者とみなされることになるであろう。
>> 以上のことから、「健常=正しい」という認識は誤まりであり、「健常=典
>>型的」という判断をすべきであると考える。
>> 以上です。
>
 健常すなわち典型的な人間の視覚系は、優れた3次元カラー画像送受信システムとして稼働しています。目は外界の様子を捉えるテレビカメラ・視神経は捉えた映像を変換した電気信号がとおるケーブル・脳は電気信号を画像に変えて編集するテレビであると見なせます。
 目に障害があっても、視神経に障害があっても、脳に障害があっても私たち人間は正常な視認知ができなくなります。つまり「正常な視覚を持っている」ということは、「目からの外界の様子が正常に脳に伝わり、かつ脳が正常にその情報から画像を作り出せる」という2つの条件が満たされているということなのです。
 色覚異常は、網膜の光の波長を感じて色に変換する細胞が正常に機能していないので目の障害といえますし、片方の目が見えない人は奥行きが捉えられなくなります。両眼の視神経に障害があれば全く目が見えなくなります。これらは目からの情報が正常に脳に届かないという障害です。
 「目の前にあるものは、目の後ろから来る」これはあるアメリカの現代美術家の言葉で、「我々の視覚は脳を抜きにして語れない」ということですが、脳に原因がある視覚の障害もあります。例えばある種の学習障害の子は視覚野に欠陥があり、「X」が「><」のように分離して見えてしまいます。分裂病で見える幻視は海馬や大脳辺縁系に記憶され蓄えられている過去の視覚情報が、その部分のドーパミンの濃度上昇と前頭葉の機能低下によってごちゃこちゃに視覚野に送られることによって生じています。また目に問題のない鬱病の人が見ている、すすがおりたようなくすんだ光景もやはり脳の異常によって生じた視覚異常といえます。
 このように「見える」ということは、目と脳が同時に正常でないと「正常に体験できない」感覚なのです。


Re: 先天性 後天性 5868へのコメント
No.5903  Sun, 8 Jul 2001 00:06:30 +0900  Makichan [この発言にコメントする]

みどりさん wrote:
>自称ASのみどりです。

>
>もしも Makichan さんが本当に後天性なのであれば、そしてかつ発症の過程に可逆性があれば、もと(?)に戻るという可能性が先天性の場合よりも高いかもしれません。
>まあ、現在のところ、事実上は変わりないでしょうが。

 先のカキコで書かなかったんですが、20歳の時頭の中でなにか(としか言いようないです。)が起こってですね、24歳で「Identity defusionではないか」と診断れたその直後またなにかが起こったんです。奇妙な体験です。癲癇の発作に似てるのかな、頭の中でなにかが爆発したって感じでしたね。その日一日涙が溢れ出して止まりませんでした。街で流れる音楽に感動しては泣き、写真屋に掛けてある花の絵をみては涙をながしていました。4年間感情てものがまるでなかったんですよ。それがイッキに戻っちゃうんだから。周囲の人に随分ヘンに見られていたでしょうね。大の男が泣きながら一人歩いてるんだから。けど完全に前とつまり20歳以前と同じように戻ったわけじゃないんです。自閉症状が残ってるんですね。知覚過敏とか離人症、集中力、短期記憶力低下とかです。24歳以後はさほど変化はないです。
 戻ることはないでしょう。過去に戻って生きれないのと同じですよ。
>
>対症療法 (現実社会への対処法) ということで言えば、「非アスペ時代の記憶がある」かどうかでずいぶん違うんじゃないかと思います。記憶があるがゆえに楽なことも、あるがゆえに苦しいこともあるでしょうけど。(そこら辺が本にしたらおもしろそうだと思うわけです)

 違うと思います。ドナウィリアムスさんの本なんか読むとびっくりします。あれを読むと、自閉症名乗るのは失礼かなと思ったりします。テンプルグランディンさんには少し似てるかなと思いますが。
 読み手としてはおもしろいかもしれませんが、書くほうとしては大変だと思います。文章書き慣れていませんし、記憶が随分薄れてきてますからね。。私は不純なおとなですから、オカネになるとわかれば考えますが(笑)。同じような経験してる人けっこういますよ。本としては余り読みませんが。「大うつ病」と同じじゃないかなあ。わかりませんけどね。
 
>そういう医療的な部分から離れれば、「○○同士は理解しやすい」ということと、「○○でなければ○○は理解できない」ということはまったく違うと思います。理解できるひとがそこにいるのなら、自分や相手が○○であろうがなかろうが、いいじゃないですか。

 すみません。ここの意味いまひとつ理解できません。私はここに居易さ感じてるんです。Aタイプの人私の周囲には結構いるんですね。ただ身近すぎるとなんかつらいもの感じるんです。ここは適度な距離保てそうでいいんです。自分が勝手にそう思っているだけでここの人たちは迷惑してるかもしれませんが(笑)。迷惑かけてるようでしたらはっきりそう言ってください。それのほうが自分としては嬉しいんです。この場に出るのも社交マナー身に付けるいい勉強になると思ってます。


Re: 電車の中のかわりもの 5899へのコメント
No.5902  Sat, 7 Jul 2001 23:58:07 +0900  みどり [この発言にコメントする]

くると wrote:
>みどりさん wrote:
>>くるとさんは、「これらは他者危害の原則には反していない、困ったことに」
>>と書かれましたが、「困ったことに」というのは、なにが困るんでしょう??
>>具体的に解説してもらえると、助かります。
>
> しかし、ゆーりさんが挙げた行為のどこに問題があるのかということを説明
>しようとすると理論的に説明することができませんでした。とりわけ、それら
>の行為が他人にどのような危害を与えているのかを説明するのは困難でした。

つまり、くるとさんも、基本的には「危害」を基準に「非常識かどうか」を判断している (もしくは、判断しているつもりである) のですね。
でも、これらの事項については、非常識だと思ったのに、基準となるべき危害が見つからなかった。それで困った。

... 合ってます?

なんでこんなにしつこく聞くのかと言うと、このあたりって、すごく「一般の人が変人 (含AS) を嫌がる理由」につながってるのではないかと思うのです。

『危害を与えるわけではない。会話などの直接の接触があるわけでもない。でも嫌だ』 というときに、無意識の中にある「嫌だと思う理由」を聞いてみたいのです。

(実際の場で相手に聞くとキレられて終わりそうだから、こういうじっくり考えてもらえる仮想場面はちょうどいいなあと)


Re: 色盲(ある障害に関する一考察) 5900へのコメント
No.5901  Sat, 7 Jul 2001 22:34:24 +0900  くると [この発言にコメントする]

 くるとです。武田さんに教えてもらったサイトで、色覚異常(色盲,色弱)
について調べてみました、問題を設定しなおしておきますね。

(色覚異常とは)

 医学的には、人の網膜にあるとされる視物質がうまく機能しないために発生
すると考えられている

色盲→視物質が欠けている状態
色弱→視物質がうまく機能しない状態

(不肖くるとの問題提起)

 医学的説明では、色がこの世界に存在することを前提で、色覚異常を説明し
ているように思える。しかし、そもそもこの世界には色が存在するのであろう
か?色が見えるということ自体が、わたしたちの幻覚に過ぎないということは
ないだろうか?

 この仮定が成り立つとすると、「色覚が正常か」という問いは「正しく幻覚
が見えているか」という奇妙な問いに変質してしまうことになる。そして、「
色覚異常」とは「多くの人が見えている正しい幻覚とは異なる幻覚をみてしま
う障害」ということになる。これは奇妙な考え方である。

 そもそも、幻覚を「正しいか否か」という尺度で判断することは不可能であ
る。この場合、「多くの人と同じ幻覚を見ている人」が健常者と判断され、「
異なる幻覚を見ている人」が障害者とみなされることになるであろう。

 以上のことから、「健常=正しい」という認識は誤まりであり、「健常=典
型的」という判断をすべきであると考える。

 以上です。


Re: 色盲(ある障害に関する一考察) 5898へのコメント
No.5900  Sat, 7 Jul 2001 22:00:49 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
>武田好史 wrote:
>>>http://www.eandc.org/faq/shikikaku.html
>>>>>>>>
>>>http://www.ne.jp/ashahi/shinsei/saitama/shikijyaku/doc/data.htm
>>>>>
>>>>> このサイトに直接入ってみようと試みたのですが、うまく入れません。ウェ
>>>>>ブ検索してみようと思うので、どなたかサイト名を教えていただけないでしょ
>>>>>うか?
>上のアドレスのほうが正確です。すいません。


Re: 電車の中のかわりもの 5887へのコメント
No.5899  Sat, 7 Jul 2001 21:55:52 +0900  くると [この発言にコメントする]

みどりさん wrote:
>くるとさんは、「これらは他者危害の原則には反していない、困ったことに」
>と書かれましたが、「困ったことに」というのは、なにが困るんでしょう??
>具体的に解説してもらえると、助かります。


 ゆーりさんが例として挙げたマナー違反に属する行為は、感覚的には自分が
実践することに抵抗があります。わたしがここに挙げられた行為を実践するこ
とはまずないと言っていいでしょう。

 しかし、ゆーりさんが挙げた行為のどこに問題があるのかということを説明
しようとすると理論的に説明することができませんでした。とりわけ、それら
の行為が他人にどのような危害を与えているのかを説明するのは困難でした。

 これらの行為を「みっともない」とか「見苦しい」という言葉で片づけるこ
とは可能です。しかし、これだけでは他者に迷惑をかけているということには
なりません。むしろ、その人たちより自分のマナーがいいことを知って、優越
感にひたる人さえいるのではないでしょうか。

 こんなことをごちゃごちゃ考えているうちに、つい「困ったことに」という
表現が入ってしまったようです。言葉足らずで失礼しやした。もうちょっと考
えがまとまったら、「他者危害の原則」についてコメントを書いてみたいと思
います。では(くると)


Re: 薬についての情報を得たい人へ 5893へのコメント
No.5894  Sat, 7 Jul 2001 21:18:59 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
 自分の飲んでいる薬について、知りたいことがあったときには、次の検索ページを見ることをお勧めします。
 
http://www.pharmasys.gr.jp/index.html

 製薬会社からの薬の添付文書が見られ、起こりうる副作用・禁忌・化学構造式などが判ります。


Re: 根深い医者不信と揺れ動く自分の心 5891へのコメント
No.5892  Sat, 7 Jul 2001 18:25:53 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
>マザー wrote:
>>ミッドランドさん wrote:
>>> この掲示板を見ていると、自分が「他人と何かが違う!」と感じて医療機関でAS(ADD、ADHD etc.)と診断されたという話をよく目にします。
>>> それで最近、僕の心が揺れています。「やはり、正式な診断を受けるべきなのか?」と。
> 抑うつ状態になりやすい・人と一緒に行動することに著しい苦痛がある・何となく自分は普通といわれる人に比べて仕事の能率が悪い・注意力の維持が困難・どうしても衝動的に行動してしまう・・・などのことで悩んでいたり・生活に支障がでるのであれば、やはり診断してもらった方が良いと思います。
>>
>> ところで、毎日毎日、暑いですね。
>>私はこのところずっーとまどろんでいました。眠くて眠くて、、、
>>頭の芯が睡魔で渦巻いています。
>>                ねむねむのマザーでした。。
>> 
>マザーさんこんにちは。
> 私も最近の暑さには閉口しています。
> 半年の入院から戻ってきた母が、病院の先生から「規則正しい生活のために朝の7時には起きなさい」と言われているので、私も今日は一緒に起きたのですが、朝ご飯を食べて食器を片づけたあとに、また一時間寝てしまいました。これからがんばらないといけない頭では思っているのに、身体が動かせない自分が本当に情けなく思えます。


Re: Thruogh the looking glass・Vol.3 5889へのコメント
No.5890  Sat, 7 Jul 2001 17:53:11 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

 スペルの間違いを訂正しときます。grass でなくてglassですね。「草」を覗きこんでどうするっ。
 ああ、ヒマだあああ。


Thruogh the looking grass・Vol.3
No.5889  Sat, 7 Jul 2001 17:37:51 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

 今日はさ、閑なのよ。なにしろ、私のバイト先の飲食店が、食中毒検査の結果、ブドウ球菌が出たってもんで、7月5日の夜から駆り出されて、店内の消毒やらブドウ球菌検査やら、作業過程の再チェックやらで。今日一日は、再検査の結果が出るまで、店は臨時休業なのだ。けどさあ、ブドウ球菌の検出された食物っていうのが、私の担当だったってことでもって、菌の保持者が、ほかならぬこの私だという可能性があるってこと。それならそうと、菌を保持する人間に対しては、食物に影響がいかないように、はじめからきちんと指導しておくべきだったのだけれど、ウチの場合、それが徹底していなかったのね。そもそも従業員として採用時に、そういったブドウ球菌等のチェックは、なされているべきはずなんだよね...。だから私一人に責めがあるってわけではないはずだ。あまり気にしないようにしとこう。要はこれから気をつけりゃいいってことで。
 それにしてもブルーだあああ。頭かかえちゃうよ。ヘッ!(←ちなみにこれ、現実世界でも私の口癖だったりする。むしろリラックスしているときに出るんだけど、これでトモダチ無くすときもあるのよネ...)

 ところでMaria氏をはじめとする大森総合研究所とやらいう所で、As者のためのガイドブックを開発中との事。私も、自分自身の過去を振り返ってみて、こういったものの必要性は、強く感じている。As者の抱える問題や悩みに対する解決や救いを、こういった掲示板で求めたりするっていうのは、確かにひとつの手段でもある。

 ただ、すげーおせっかいなことを言わせてもらうと、それが、たとえば「あんなこと言われた」とか、「こんなことがあったんだけれど」とか「私の他にも、こういう人いますか?」とか、どうしても、すごくその場その場的っていうか、散漫になってっちゃってるのよね。個人個人は、それに対して適切なレスがついてくれば、とても役に立って満足することがあるかも知れない。中には、「ああ、私が常日頃感じていたんだけれど、うまく言えなかったことを、この人が代わりに言ってくれた!」とか、そういった嬉しい経験は、ここで私にも沢山あるし、それはそれで凄くいいことだと思うんですよ。

 でも、例えば「その質問内容が過去レスと重複しちゃっているかもしれない」とか、「この質問だったら、自分にも答えられたのに、時間がなくて、答えるタイミングを逸してしまった」といったような現象は、はっきりいって効率が悪いってもんですよね。一番の問題は、「他人の問題を、自分の問題として認識することができない」っていう...すごくデリケートで、うまく表現できないんだけれど、Mariaさんのログにあった「自己同一性の拡散」の逆って言うのかな?「自分の感じてないことは、他人も感じてない」っていう意識状態...ああコレは“逆”とは言わないのか。つまり私の言いたかったことは、「Trough the looking glass」のいっとう最初に挙げた「盲人と目明きの問題」の例みたいな、認識のズレ、みたいなことが、お互い起こってしまう危険性があるんじゃないか、っていうこと。
 自分でもナニ書いてんのか分からなくなっちまったじゃねーかよ(笑)!

 ま、↑の段落は無視して頂いて、この辺で、そういったすべての問題を網羅したガイドブックが出来れば、私だけでなく、特に「新世代」のAs者たちの大きな助けになるんじゃないかと、私も期待しているんです。ただし壁は高いし、多いんじゃないのかな。今までにも、海外ではさまざまな本が出版されているけれど、これからはそれに頼るだけでなく「日本人Asの、日本人Asによる」ガイドブックって言う内容を目指さなきゃなんないわけだから。

 (私としては、「ハイト・リポート」みたいな形式が、おもしろいんじゃないかと思うんだけどな。実在する(匿名でいいんだけど)日本人As者達の、さまざまな意識、生活、人間模様なんかを描き出す、みたいな。あ、でも「ハイト・リポート」って、外国製なんだよな...。しかもジャーナリストとしての手腕も、要求されるしなあ。)

 ガイドブックに是非加えておいていただきたい事項を、わたしからもひとつ。
 最初に書いたような、例えば仕事先で、不測の事態が発生した場合(不測っちゅーか、予測はできたことではあるんですけどね、この場合...)。As者が何が一番困るかって、「次に何をしたらいいか」っていうことなんですよ。「何をしたらいいのか(何をしなくてはならないのか)、何をしてはいけないのかがわからない」という悩みは、ニキ・リンコさんも、ご自分のHPで訴えていた気がするけれど。

 まったく初めてのことで、「次に何をしたらいいか、何の指令もない」というのは、私のような非自閉的直感力を持たない人間を、意味もなくそこいら辺を、ゴキブリみたいにウロウロさせてしまうことになります。本人が、「ああ、“私は何をすればいいんですか?”と訊けばいいんだな」と気づいたときはまだしも。それだって「自分で考えろ」と返されたらもうなにも言えなくなるんで。
 極端な話、「君はね、次はあれをして、これをして、こうすればもう帰っていいんだよ」とでも、頭からケツまでいちいちスケジュールを組んでもらわねば、ただのでくの棒になってしまうのだ。

 しかも、じゃあ、同じような、似たような経験が繰り返されればそういう傾向が治ってきて、世間の言う「そのうち頭で考えなくても、体がかってに動いてくれるようになるよ」とやらいう状態に、到達することができるのか?って問題になってくる。それはAs者それぞれで事情が異なってくると思う。
 「何度教わっても、脳が「リセット」されたような状態になってしまい、いつまでたっても物事を関連付けて考えることができない」、「「あること」では学習可能でも、「他のこと」になるとてんでダメ」、「ある程度は可能でも、常人よりはるかに低いレベルで成長の限界が来てしまう」、どれが正解に最も近いといえるか?「脳の冒されている部位や程度によって個人差が出る」と考えるしかないだろうが、おそらく“鏡の国”っていうのは、弁証法の通用するような世界とはいえないのは間違いないんだろう、という気がする。
 
 まあでも、非自閉者の中でもせっかちな気性の人間にしてみたら、そんなこと「カァ〜ンベンしてくれよぉ〜っ、そこまで面倒見てらんねえよ〜」ってなっちゃうんだけどね。「そういう」上司と、「そういう」部下がくっついたらどうなるか?あるいは逆の場合は?どうなるか?想像して余りあることだ。
 
 けっきょく、As者を教育するっていうことは、非自閉の人間が、「これが基本の基本、初歩の初歩だ」と思っている、そのはるか以前の状態から始めなきゃなんないってことだ。

 私が幼かった頃も、「次は何をしたらいいかもわからない」の「次は」「何を」すらない、「なにがわからないのかもわからない」の状態だった。もの心ついて、集団生活に入れられてからは、それに強い不安と苦痛が伴った。子供達が、工作の時間に持ってきた、みんなおそろいの真新しい工具類とか、自分だけ持っていないのはなぜ?みんな、こぎれいで、きちんとした作品を持ち寄ってくるのに、自分が作ったときだけ、どうしてどことなく薄汚れてて、不細工な出来になっているのか?
 みんな、材料をお母さんに買ってもらったり、家に持ち帰ってお父さんに手伝ってもらっているんだろうなんていうことは、想像もつかない。みんなが、自分の視界の中から消えているときに、何をしているか、まして「何か」するのかなんていうことは、さらに理解の外だ。常にこういった不可解さと、不安が付きまとってしまう。

 私以外の人間が、何をするにも、何の躊躇なく、誰にも尋ねることなく自分のすべきことを見つけているらしいっていうことが、過去最大の謎だった。「できないこと」が「できる」ようになる過程っていうのも、自分と他人とでは、微妙に違うような気がしていた。
 ひとことで言ってしまえば、「心の理論」についての認識が、自分の場合なぜか未熟で不充分だったってことなんだろうけど、ともかくこの強い不安と緊張から逃れるために、私が始めたことは、「何でも自分からさっさと行動を起こす」というやり方だった。「やるったらやる!」って感じで、後も見ずにさっさと先へ行ってしまう。
 でもこのやり方は、心理的不安はかなり軽減されるけれど、けっきょくは未熟なままの「先走り」になりやすくて、「自分の勝手な判断でやるんじゃない!」とか、「そそっかしい人間」というレッテルを貼られやすくなる。失敗だって多くなるしネ。私も、なまじ育ててしまったこういう自分の傾向にちょっぴり後悔している。でもやるしかなかったのだ。何もしないでいるよりは、はるかにマシだったのだ。

 「低緊張」との所見をなされる人々は、だいたいこういった過去があるんじゃないだろうか。もっと重い人だっているかもしれない。自閉傾向の重さによって、または加齢によってその人個人の到達レベルというのは、さまざまなのかも知れない。今の私は、多分、「なにがわからないのかもわからない」状態から、ようやく「何がわからないのか分かった」「何がいけないのか分かった」っていうレベルなんだけど。そういう意味では、かなり心理的負担が減ったように思う。でもそこから進めない。自分が「ああ、失敗してるな...」というのが、手に取るように見えてくるんだけど、じゃあどうしたら直せ(治せ)るのかが分からない。それがいまいちばん困っていることだ。

 ま、もうひとつ自分でわかっていることは、私の過去ログを見ていただいたらお分かりのとおり、まるで非自閉者を見下し差別かのするような、かなり野蛮な発言もすくなくはないけれど、そうである場合は、私の「苛立ち」がそうさせているのであって、私は非自閉者を憎悪しているわけではない。その逆だ。私はかつて、「ふつうの人々」に、強く惹かれ、恋をしていた。『鏡の国』の住人である私の目には、彼女(彼)たちは、春風みたいで、きれいで、優雅で、なんの心配もない、幸せな人種に映っていて、「いつかは私もああなれるんだろうか」などと夢想していた。
 今は、「ありゃりゃ、思ったほどのことでもないな」って感想があるんですけどね(^_^)。

 しかし『鏡の国』だって、健常者が想像するような、ダリの絵を粗末にしたような、奇異で殺伐とした風景が、だらしなく広がっているわけではないということも、世の人に知ってもらいたいと願っている。自閉症者はどうせ心の中もお粗末だから、粗末なものだけ与えてりゃいいというのは大きな間違いだ。カードゲームやかずかまあそびなんかより、王宮に住まわせれば王族の風格を持つようにもなれるっていうのが、私の持論だ。(王宮にだってそういう遊びはあるって?まあまあ、そういう混ぜっ返しはなしで...)

 感傷はさておいて、こういった問題をすべて包括したガイドブックを真面目に作ろうとしたら、それこそエンサイクロペディア級の、しかも数冊分にわたるような容量になるんじゃないかっていう気もする。それくらいの時間とエネルギーが必要じゃないかってことです。私としてはむしろそういったものの出現を望むんだけれど、Mariaさんがご執筆中というのは、多分そういうのじゃないんですよね?(あ!!誤解のないように言っとくと、今のは侮辱のつもりじゃないんですよ!)
 しかしそれだって、私の考えでは、『アスペルガー共和国』の実現よりは、はるかに現実的なのかも知れない...
   
 とりあえず、もっと本でも読んどこう。
 

 

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