アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
武田好史 さんwrote:
>
>そこでみなさんに質問です。
>
> あなたが思うところ、「これは譲ってはならない」という日本の良いところは、どんなところですか?
日本人が日本人でいられること。
冗談に聞こえるかもしれませんが、煎じ詰めて言うとこうなると思います。幕末のころは他国に植民地化される危険おおいにあったと思います。終戦後はドイツや今の「朝鮮」のように二分化されていた可能性だってあります。世界には国家を持たない民族はいくらでもあります。日本が秀吉以来数百年間統一国家でいられたのは幸せだったといわねばなりません。将来は世界統一国家が誕生するかもしれません。けど日本の文化は守っていかねばなりません。過去を否定しては将来はなりたたないからです。
> また逆に、「真の国益のために、これは改めなければならない」という、よくないところはどんなところですか?
己を信じる力がチト弱いところ。
今の科学技術文明の多くは、欧米人がつくったものです。だからかしらん日本の知識人諸君は欧米人の言説に振り回されすぎていると思う。将来のことなんて誰一人わからないんですよ。生きていくには己の感覚信じるしかないんです。自分の感覚をみがき、自分の意見や生き方を正当化する術日本人は下手だと思いますね。
話は少しずれますが、日本の教育で悪いところを一言でいうなら、一方通行だということに尽きると思います。教師から生徒への知識のやりとりがー方通行だということです。どんな学問であれ全ては関係のなかで成り立つものだと思います。法律や経済であれば人と人の関係、科学なら観察する人と対象物との関係です。全ては相対的なものであるはずです。それを教師は、理論や法則をはなから自明なことのように、絶対的真理であるかにように教え込むのです。敏感な若い人の脳がパニックおこすのは当たり前です。
私は20歳代のころ親に無理いってアメリカの英会話学校に行かせてもらいました。その時大学の授業風景覗き見る機会ありました。驚いたのは(一般化するのは危険かもしれないが)生徒の態度が無作法なのと、なにかにつけ教師は生徒に発言を求めるし、生徒は必死になって自己主張しようとするのです。悪く言うと騒々しいんです。けど良く言うと熱気があるんですね。起立、礼、着席で始まる静かな日本の授業とは対照的でした。アメリカの教育がすばらしいと言うつもりはありませんがね。少なくとも教師と生徒の間にコミュニケーションあるように思うんです。コミュニケーションあるからものごとの関係性が解かり、距離の取り方もはかられるんじゃないかと思うんですね。言葉としてあるいは数式であっても、できあがってしまったものは、すでにぬけがらです。そんな知識や技術は本やコンピューターに保存すればいいのです。人が真に喜びをかんじるのは、自分自身による発見であり、感知することであり、それと関係しあえる事だろうと思います。
また抽象的になってしまった。もう寝ようっと。
Mariaさんwrote:
では、私たちはいわゆる「普通の人」のように、「他己」として他者を理解することは不可能なのでしょうか?ということになるんですが……「ある程度は可能」なんですよ、確かに。ですが、私たちに苦手なのは、むしろ「異化」のプロセスだったりするわけです。「自己であって自己でない」という中途半端な存在としての「他者」という概念が、実感として得られない。「心の理論」に基づいた課題がうまくクリアできないのは、「心の理論」が厳密に構築されていないためというよりも、対象となる他者に貼りつけるべき「他己」が、自己とはっきりと分化されず、自己をそのまま「他己」として貼りつけちゃうからなんじゃないかな、とも思うわけです。
こんばんは。私は↑とは全く違います。他者はどこまでも他者であり、
決して私の心の中とは同調するものではない、と感じています。
他者と共感することはあっても、同化はしません。
固い殻がある、と言うか...。
★「強くなりたい」のぱっくんさんへ
薬も使いようでかなり楽になりますよ。私もいつまでも内面は脆弱なままだけど、
薬の使用や、思考回路を変えたり、自己コントロールで自分なりに外面は強くなりました。
人目なく歯止めなき場に人を打つひとの遊戯にわれ従いき
われ人といてそこに無き者として数えらること多き人なり
人心地もとより足らず居心地の無さは木馬のごとくまつはる
複葉のわれドラゴンは虹を吐く雲間海市の渦に巻かれて
>めちゃめちゃ声が低いので「ケーサツにゆうで」と逆に脅しときました。
問題は、けーさつが彼らにナメられてるかもしれん、ちゅーことでんな。
被害を訴えても出動しないよーなおまわりに言うと脅されても
ちっとも恐くなかろう。
(だから、これってそーゆー問題なのか?>自分)
ずううっと前の話ですが、「文書作成法」について質問しておきながら、
レスをもらってお礼も言っていませんでした。
返事を考えているうちにタイミングを逃してしまった。
今さらですが、ありがとうございました。
レスはちゃんと読んでますよ。
そういえば、新聞や興味のあることの解説書なんかはよく読んでいるのに、
一般的な「文学書」(小説とか)をほとんど読んでいないことに気が付いた。
最近、大学の付属図書館の利用者カードを作って、ときどき通うことにしました。
借りた本が「エミリ・ブロンテ全詩集」「場面緘黙児の指導法」とかなんとかいうタイトル。あまり文章の参考にはならないような。
昔、新井素子さんというSF作家にはまっていた頃、自分の書く文体が全て新井素子風になったことがありました。知っている人もいると思いますが、会話文(というか、心の声)がそのまま地の文になったような文体。
それが、学校の課題の作文までその文体になっていました。
「進行形は『○○しょうる』、完了形は『○○しとる」というのです。共通語に、こんな区別があるかっ!?ないでしょー。ゆえに方言はえらい。そう思いません?」
↑これは高校1年のときに岡山弁について書いたもので、実際提出したものです。
今思うと勇気があったなと思えるのですが、なんでもこんな調子でした。
場所によって適用できる文体というのは違うので、堅めの文章も読んでおくのは必要だったなと反省しております。
くると wrote:
>目立たない服装をしていた人が全く絡まれなかったとい
>う統計はありません。
「目立たない服装」だった保証はないのですが。(^_^:)
>何か自分にとって危険そうな相手が近づいてきたら、
>目立たないようにその場を離れます。
(1)彼等は私の自転車の近くに陣取っていた。
(2)暗くなってから帰ると、自転車を壊される被害に遭うことがある。
(3)遭遇は日没寸前
いや、まさに究極の選択状態。(って、そんな呑気な話なのか、これ?)
Maria wrote:
>
> 面と向かって「気狂(きちが)い!」と言われた、という体験をされた方は多いと思います。
>(←「多いわけねーだろ」といったツッコミが入るべくもないのがこの掲示板の恐いところ)
あはっ母親に言われたことある・・・・
あの時は、傷ついたよー。
るおう wrote:
>Maria wrote:
>>
>> 面と向かって「気狂(きちが)い!」と言われた、という体験をされた方は多いと思います。(←「多いわけねーだろ」といったツッコミが入るべくもないのがこの掲示板の恐いところ)
>
>ありますね。
「気違い」は私の仇名の一つでした。 :-p
Chipパスワード忘れた wrote:
>すでに、次の犠牲者候補がいるのだ。 管理人 いつから知ってた。
なにを言っているのか、私にはまるで理解できないのだが。
私はこの、Chipさんとやらいう方の文章は「不適切である」という自己判断の元、以下の拙文を作成するものであります。
ようするに「便所の差別落書き」といっしょだ。たしかに「自閉症者は死ね。社会から出て行け」という書き方はしていない。ただChipさんはこういった文を投稿することで御自分の価値を「下げて」おられる。メジャーの名前を借用して、メディア上に公開されているとかいう情報をまるうつしであり、彼(女?)の人柄を感じさせる情報が見受けられない。「実感」とか「本音」とかいった、その人の「体温」が、まるで感じられないのね。
せいいっぱいの好意で解釈するなら、Chipさんはここで、「自分は弱者の味方である」ということを印象付けたかったのかも知れない。しかし匿名じゃ意味ねえじゃん?という見地から、私個人はこの解釈ははずすつもり。自分がそれほどの者なら、私はこれこれこういう運動をやってます、というスローガンなり経歴なりをまずここに示すはずだしな。ま、あまりそういったことを長々とぶち述べられてもそれこそ掲示板ジャック状態になっちまうけどさ。
それとやたらに、正確なような、正確でないような情報流すんだったら書かずもがなやね。情報を受ける側の「記憶・判断のあいまいさ」につけ込むような真似はさ。たちの悪い新聞屋といっしょで。いきなり人ん家にやってきて「あんたは三ヶ月前、ここに来た自分に向かって“又にしてください”といったろ。だから“又”来たんだ」っていうようなさ。“そういえば言ったような、言わないような...”と、証明しようのない事で、こちらをなんだか申し訳ない気にさせる心理テクニックなんだよね。
コンサートの受付のバイトをやっていた時、私がしばらく席外して戻ってきたら、男が寄ってきて、「自分は今入場したばかりで、さっきここにいた黒い服を着た女の人にチケットを渡したんだが、急用が出来て出なければならない。そういった事情で私はまだ着席していないから、入場料千円払い戻させてくれ」確認しようのない事実で、言われたとおりにする人間はいないんだよね。“黒い服を着た女の人(これはたぶん彼の中では「受付嬢」のイメージなんだろう)”なんてそこら中にいるしさ。これじゃ単なる千円めあてのゴロツキさね。
こういった人々のゆきつく先は、つまるところ“トラブル”だ。関わりあわないほうがいいってことになる。そんな人間になってみたいのか?
Chipさんが、文章で自分の気持ちをさらけ出すというのが苦手な人物であるので、自分の言葉がないのだろう、という解釈は、してやんねえぞ私は。「演じているとしか思えない」とか「無知」とかいった装飾は、余計だしな。仲間に入れて欲しいんだったら、そう書きなよ。何があったか知らないけど。誰もあんたのことバカだなんて思いやしないから。以上。
パックン wrote:
> 自閉症者のぱっくんです。
> 今日、親戚が集まって食事をすることになり、午後2時半には帰ってこられたのだけど、ヘロヘロで、グッタリです。 結局、今日一日何もできずに潰してしまいました(こういった時、脳内では何が起こってんだろうね〜)。 アルコールを飲んだり、マッサージチェアに頼ったりしたけど、全然回復しない(シクシク)。で、この先だって、何かの集まりにも耐えていかねばならないわけで、もうお薬に頼ろうと思うんだけど(母がお薬が嫌いで、だから私もお薬が嫌いで、先生から貰ったお薬も飲んでいない。パニックだって、今のところ環境がいいから最近、ないし)、お薬で、こういった耐性が得られるんだろうか???
> (↑ 薬を飲んで試してみればいいのだけど、怖くて飲めない私)
私も今日は母の通院に付き添いでいって、疲れて2時間ぐらい昼寝しました。
先月ようやくAS+ADHDであると診断してもらいました。
来月から、リタリンとSSRIの投薬療法を受けることになっています。
脳に作用する薬は、きちんとお医者さんから言われた通りにのみ、いつ飲んだか・眠気やふるえ・発熱などの副作用と思われる体調の変化がないか、行動面でどんな改善点・問題点が出てきたかを記録して、通院のたびにお医者さんへそのことを話すようにすれば、それを基にして適切な薬が選択されるので、まず心配はないと思います。
だいたい精神科の場合、主剤+副作用止めといった感じで、薬が出されるのが普通です。
はじめまして。
私もそういう経験何度かあります。
交番目の前で、駅の裏口で、人通りがなくて。
そこを通った時、おじさんがついてきて「おこづかいあげるから、つきあって」って、私はそのときすでに20代も後半にさしかかっていたので、頭の中でなにかプチっときれる音がしました。
めちゃめちゃ声が低いので「ケーサツにゆうで」と逆に脅しときました。
キャーキャーいうよりドスきかせたほうがきくみたいです。
pocks wrote:
>先日「崩れファッション」の若者にからまれた原因の一つは、おそらく自分
>のファッションの異様さにあるだろうと思うので、自衛の為にもアドバイス
>が欲しいとか思うわけです。
>白昼堂々絡まれたのは通勤に使っている自宅最寄り駅の自転車置場ですから
>「危険な場所にはなるべく行かない」という戦略の対象にするわけにも
>いきません。おまけに、絡まれた現場から直接見通すことこそできないものの
>目と鼻の先に交番があります。そういう場所まで「危険」と定義して避け
>なければならないとすれば、私は一切外出できなくなるでしょう。
>
>この話には、直後に交番に駆け込んで金品を脅しとられかけたと言ったところ、
>相手はこんな奴かと聞かれ、あげくに「彼らはよく駅にたむろしてる」などと
>言うばかりで、注意しようというそぶりすら見せてくれなかったというオチが
>付いています。警官の表情が読めたわけではありませんが、勝手な想像を
>許してもらえるならば、警官も内心「こんな変な奴なら絡まれても仕方ない」
>とか思ったのかもしれません。
ど〜も込み入った横レスですみません。Xanadiiと申します。
自身が日常的に使用する領域内でのトラブルといえば、ずばり「目をつけられている」と考えて良いのでしょう。痴漢などが代表的な例で、被害者にしてみれば「偶然遭ってしまった」という感覚なのでしょうが、たいていの場合敵は、同じ時刻、同じ車両内、同じ顔をターゲットにするものなんです。pocksさんの場合「異質性」に目をつけられたのかもということですが、乱暴な言い方をしてしまうと、そういった「記号」に原因を求めるのって、最終的には意味がないんだよね。「〜だから被害に遭っても仕方がない」という発想は、被害者、救助者にとっては(警察は「救助者」ではないんだけどもな)町の‘プッツン’―※ズキューン※で※カキーン※で※チントンシャン※な人々を増長するだけのものでありますから(ああら御免あそばせ、近所のTVで刑事ドラマとメジャーリーグと「芸能花舞台」の再放送がウルサクて...)。
私の悪い癖が出てしまった。着ているものとその主に非はないって話でしたね。たちの悪いアホはどこにでもいるし、被害に遭ってしまったら自閉も非自閉も関係ありません。pocksさんの場合、しいて言えば日頃の行動を見直してみるべきかな。「予防行動」とでも言うべきか。自閉性の人の場合、「通勤ルートを行きと帰りとで変えてみる」とか、変則的なことをするっていうのは苦痛が伴うし、柔軟性ということでは習得するのに時間がかかるのかもしれない。でも、“自分の行動エリアで「駅周辺」「駐車場」「ゲームセンター」等、良からぬ人の出没しそうな区域・時間帯を網羅しておき、そういった所は避けるかまたは数メートル歩くごとにさりげなく周囲を見回してみる(かえってヘンな奴に思われるかも知れないが、背に腹は変えられない!)”“携帯電話を所持し、すぐに通報できる体勢をつくっておく”といった対策
ならできるんじゃないかな。携帯持ってたって囲まれたら手遅れじゃん、という向きもあるかもしれないが、要は「私はいかにも“襲ってください”と言わんばかりの無防備なエサではございませんので」という、日頃からのアピールってことかな。
過剰な“武装”は逆効果ですけどね。それこそ着ているものに問題があったってことになってしまう。
今回は住み慣れた地域でのトラブルを主に想定してレスさせていただきましたが、 顔見知りでない者との歓迎すべきでない遭遇については、頭から「性善説」ってやつは排除しといたほうがいい。厭だけどこれはもう常識になってるのかな。
こういう話に反応してしまうのも、二週間ほど前に遭遇したことが未だ頭にきちゃってるのかもなー。
7/13の、ライヴの帰りで夜道を徒歩で帰った時のことは以前ここにも書いたんだけど、インターネットカフェを出て、帰路につく途中、6号線の反対側の歩道から近づいてくるやつがいるんだよね。40前後の、短パンはいた一見フツーのおっちゃんなんだけど。やべっ!と感じつつも無視して進んでいたら、横っちょについて来やがんのね。
男「お姉さん、ち、ちょっとちょっと、遊びに行きましょう」
私「(憮然と)だめ」
男「なんでだめなのオ?ね、ね、家どっち?」
私「(があ〜メンドクセえええ)その辺!」
男「その辺って...ねえ、ちょっとさあ、いまから遊びに行こうよ、∵%◎■※+<?!...(追い払おうと思わずかざした私の左腕を取ろうとしばらくヒョコヒョコ格闘)」
男「ねえいいじゃない、お小遣いあげるからさあ」
私「(怒)いりまッッせんッッッ!!!(左腕を伸ばし男の胸先をドツく)」
絵に描いたようなアホなコントの末、相手の撃退に成功はしたのですが。ダメ押しに舌打ち&「ヤン気かテメエ!」のポーズで威嚇しておいて。それでもついて来ないかどうか1、2度振り返りはしましたけどね〜、でへへ〜。上記のサヴァイヴァル術の模範には、まるでなってはいないか。やっぱ何が気味悪かったって、相手はどうやら“素面”らしかったってことかな。崩れファッションでもなく“普通”っぽかったってとこ。
もちろん普段の私は真夜中に国道を独りで出歩くなんて真似はしないんだけど。男の姿を認めた瞬間、「ああ〜、やっぱり出会っちゃいましたか〜。ついてねーけどーっ」って感想はあったかな。同時に「こんな時間にコンな所でナニやってんだ?!それにいつの間に??」って気持ちもあったかな。男に対して。とにかくその場を離れたくて、男がどこへ戻っていったか確認はしておかなかった。この土地の者だろうか?いまさら彼の精神状態を分析してみても始まらないんですけどね。(「小遣い上げる」という言葉に切れたっていうのはいかにも私らしいが...)
それにしても私も特に無用心に歩いてるつもりはなかったけど、やっぱ女だと思ってナメてるのが分かるんだよね。ひとの行こうとする先々を、ふさいだりしやがってさあ。むむむ。それより何より、この性格と行動傾向何とかしないと、その内しょーもないいさかいが元で刺されっかも...自分の場合そっちのほうが心配か?
武田好史 wrote:
> あなたが思うところ、「これは譲ってはならない」という日本の良いところは、どんなところですか?
ここ50年以上、他国と本格的な戦争をしていないことです。
> また逆に、「真の国益のために、これは改めなければならない」という、よくないところはどんなところですか?
1.子供の生きていく能力を伸ばす教育のあり方。詰め込みでもなく、ゆとりでもない、バランスのとれた体制の模索。
2.農作物の自給、最近輸入されるものが多くなってきた、厳しい検疫が行われているが、残留農薬・遺伝子組み替え作物など、人体に対する有害性が疑われるものが入ってきている。国内産・低農薬・有機系の推進、外国産のもので国内でも生産可能な収益性の高いものは、栽培を推奨するなどすれば、農家も儲かるし・新たな雇用にもつながるのでは・・・
3.障害者・高齢者・引きこもりの若者・ホームレスが生きがいを持って生活できるような場。例えば、ノルウェーのヴィダオースン村のように、緩やかなリズムの中で、仕事をこなしたり・他の人のための手伝いをしたり・祭典をしたりして、健常者(生活困窮者)・コウモリ(軽度の障害の人)・障害者が、一定の支給金をもらって一時的あるいは長期的に生活できる場があっても良いと思う。
pocksさん wrote:
>白昼堂々絡まれたのは通勤に使っている自宅最寄り駅の自転車置場ですから
>「危険な場所にはなるべく行かない」という戦略の対象にするわけにも
>いきません。おまけに、絡まれた現場から直接見通すことこそできないものの
>目と鼻の先に交番があります。そういう場所まで「危険」と定義して避け
>なければならないとすれば、私は一切外出できなくなるでしょう。
なるほど、じゃあ別の対処方法を考える必要がありますね。
>この話には、直後に交番に駆け込んで金品を脅しとられかけたと言ったところ、
>相手はこんな奴かと聞かれ、あげくに「彼らはよく駅にたむろしてる」などと
>言うばかりで、注意しようというそぶりすら見せてくれなかったというオチが
>付いています。警官の表情が読めたわけではありませんが、勝手な想像を
>許してもらえるならば、警官も内心「こんな変な奴なら絡まれても仕方ない」
>とか思ったのかもしれません。
わたしの考えでは、pocksさんの身なりに問題があって絡まれたわけで
はないと思いますよ。目立たない服装をしていた人が全く絡まれなかったとい
う統計はありません。他人の絡まれる絡まれないは運によるところも大きいと
思います。
ちなみにわたしがやっている対処方法は、周囲をいつも意識的に観察してお
くというものです。で、何か自分にとって危険そうな相手が近づいてきたら、
目立たないようにその場を離れます。
自閉症者のぱっくんです。
今日、親戚が集まって食事をすることになり、午後2時半には帰ってこられたのだけど、ヘロヘロで、グッタリです。 結局、今日一日何もできずに潰してしまいました(こういった時、脳内では何が起こってんだろうね〜)。 アルコールを飲んだり、マッサージチェアに頼ったりしたけど、全然回復しない(シクシク)。で、この先だって、何かの集まりにも耐えていかねばならないわけで、もうお薬に頼ろうと思うんだけど(母がお薬が嫌いで、だから私もお薬が嫌いで、先生から貰ったお薬も飲んでいない。パニックだって、今のところ環境がいいから最近、ないし)、お薬で、こういった耐性が得られるんだろうか???
(↑ 薬を飲んで試してみればいいのだけど、怖くて飲めない私)
ミッドランド wrote:
>シュッツさん wrote:
>>JR奈良線は全線が京都府内(だったと思う)
>
> ところでシュッツさん、JR奈良線はわずかに奈良県も通っています。奈良と平城山の2駅だけですが。
申し訳ありません。どうやらシュッツさんの方が正しかったようです。
時刻表の路線図をよーく見てみると、JR奈良線の電車は、たしかに奈良県内の奈良駅と平城山駅を通っていますが、その区間は実は「関西本線」で、区分上はJR奈良線は木津駅まで、つまり全線京都府内だったのです。
わしの早とちりでした。
山手線も区分上は田端から品川まで ミッドランド
武田好史さん wrote:
> あなたが思うところ、「これは譲ってはならない」という日本の良いところは、どんなところですか?
「日本の」というより「日本人の」ですが、「勤勉さ」「細やかさ」を大切にしていかなければならないと思います。
近年こういったものが失われつつあるとよく言われますが、まだまだ完全には失われてはいないと信じます。「勤勉さ」「細やかさ」こそ日本が「技術立国」として成長した原動力になったと思うのです。
ですから、その原動力を弱まらせるような「ゆとり教育」には反対です。
> また逆に、「真の国益のために、これは改めなければならない」という、よくないところはどんなところですか?
ズバリ「外交で、他国のご機嫌をとるようなマネはよせ!」の一言です。
日本国としての「力強い主張」をできるような人が増えてほしいものです。
この掲示板をご覧の選挙権をお持ちの皆さん、明日はぜひ投票に行きましょう(わしは選挙公報か)。
自分の呼び方を「僕」から「わし」に変えることにした ミッドランド
Maria wrote:
>
> 面と向かって「気狂(きちが)い!」と言われた、という体験をされた方は多いと思います。(←「多いわけねーだろ」といったツッコミが入るべくもないのがこの掲示板の恐いところ)
ありますね。
面と向かって「気狂(きちが)い!」と言われた、という体験をされた方は多いと思います。(←「多いわけねーだろ」といったツッコミが入るべくもないのがこの掲示板の恐いところ)
自分の感性の範囲内でしか他者を理解できない。そこから外れる対象は、すでに「他者」ですらない異質なものでしかない。これがいわゆる「普通の人」の一般的な感性だとすると、ひょっとしたら「普通の人」というのは、本当の意味での「他者」というのを理解していないんじゃないだろうか?「他者」という存在を理解することができないと云われる私たちのほうが、かえって本当の意味での「他者」というものを理解しているんじゃないだろうか?と思ったりもするわけです。
いわゆる「普通の人」は、「自分以外の『自己』」としてしか他者を理解することができません。ですから、異常な凶悪犯罪の報道に接したりすると、過剰な反応をしたりするわけですね。で、「まったく理解できない」とかいって犯人を意識の中から排除しようとします。
ところが私たちというのは、「他者」をはじめから異質なものとして捉えているために、比較的容易に「これこれこういった心理的メカニズムによって、犯人は犯行に及ぶ決意をしたのだろう」といった説明にたどりついたりするのですね。その意味で、私たちにとっては犯罪捜査に用いられるプロファイリング手法なんていうのはごく身近なものであったりします。
いわゆる「普通の人」が私たちと接することで感情的に動揺し、ときにパニックを起して「この気狂い!」とか叫んでしまうというのは、いわゆる「普通の人」というのが純然たる「他者」を理解できないという<欠陥>によるわけです。その意味でいわゆる「普通の人」というのは、あらゆるものに「自己」を貼りつけてしまうわけです。これを「他己」とでも呼びましょうか。
で、いわゆる「普通の人」は、他者がその「他己」に沿って行動することを期待するわけですね。で、他者がその「他己」に期待される役割から逸脱すると、怒ったり嘆き哀しんだりパニックを起こしたりするわけです。けっこう身勝手な話なんですけどね、これ。だけど、本人は身勝手だとは思わないわけです。「他己」は他者に貼りつけちゃった時点ですでに<自己の一部>という認識を離れて、すなわち「異化」されているわけですから、それは他者に期待した自分の問題ではなくて、期待に応えてくれない他者の問題として認識されているわけです。
「ねぇ、あなたの足って二本足りなくない? それに、妙に太いし。」
「あのー、私、烏賊じゃなくって蛸なんですけど。」
「あと、全体的にぐにゃぐにゃしてる感じがするのよね。あなたにも骨っていうものがあるでしょう?」
「ですから、私は烏賊ではなくて蛸だと言うておろうに。」
「そんな狭いところに引きこもってないで、もっと広い世界に泳ぎ出ようという気持があなたにはないの?」
「だーかーらー、私は蛸なんですってば。」
「ひ……ひどいっ! あなたなんか烏賊じゃないわっ!」
「……だから蛸なんだってばさ。」
「社会化された自閉症方面の人」と「いわゆる『普通の人』」をめぐる状況というのは、これに近いものがあると思うのね。で、蛸が烏賊のように振舞うのには無理があったりするわけですよ。世の中には「蛸も烏賊も似たようなもんじゃねーか」みたいな意見はあるかもしれないけど、当人にとってみれば、それは自己の本質にかかわる重要な問題だったりもするわけです。
私たち自閉症方面の人間は、いわゆる「普通の人」がロボットを理解するような形で他者を理解しているわけです。これがいわゆる「心の理論」的なアプローチなのですね。
ですが、いわゆる「普通の人」はこうしたやりかたではなくて、「自己」を「異化」した「他己」として他者を理解しているわけですね。ところがいわゆる「普通の人」といのは、このような他者理解の方法から脱することが非常に難しく、動物やロボットやコンピュータといった本質的に自己とは異質なものにまで「他己」貼りつけてしまって癇癪を起してみたりパニックを起こしてみたりするわけです。私たちに「この気狂い!」なんていう言葉を浴びせる、というのも同じことですね。相手が自分のように感じ、自分のように考えないのが理解できない。はっきりいって幼稚な感性です。
では、私たちはいわゆる「普通の人」のように、「他己」として他者を理解することは不可能なのでしょうか?ということになるんですが……「ある程度は可能」なんですよ、確かに。ですが、私たちに苦手なのは、むしろ「異化」のプロセスだったりするわけです。「自己であって自己でない」という中途半端な存在としての「他者」という概念が、実感として得られない。「心の理論」に基づいた課題がうまくクリアできないのは、「心の理論」が厳密に構築されていないためというよりも、対象となる他者に貼りつけるべき「他己」が、自己とはっきりと分化されず、自己をそのまま「他己」として貼りつけちゃうからなんじゃないかな、とも思うわけです。
だから、「伝える」「隠す」「いじめる」とかいった概念を理解するのが、むつかしい。お互いがすべての情報を共有し、全員が一つのパーソナリティとして存在する世界が、自閉症方面の人間にとっての「本来の世界」だったりするわけです。諸星大二郎というひとが描いた『生物都市』というマンガに描かれている世界が、これに近かったりします。
自閉症方面の子供が時に「わがまま」だと見なされるのは、他者を「他己」ではなく「自己」とみなしているからではないだろうか、とも思えます。
……で、ここに到ってあたしたち(自閉症方面の人間である私たちと、いわゆる「普通の人」を含めたあたしたち)は、けっこうとんでもない課題にぶつかってしまいます。それは「自分以外の対象に(いかなる形でも)自己を貼りつけない状態と、すべての他者に自己を貼りつけている状態というのは、区別できるのだろうか?」です。
たとえば、大勢の人の中で裸になっているにもかかわらず、恥ずかしさを感じていない人がいるとします。これは、「自分」以外の「誰か」が存在していないからなのか?それとも他のすべての人を、「自己」と見なしているのか?
……こうなると、「そもそも<他者>とは何なのだろうか」という根源的な疑問に、行き当たらざるをえません。これは同時に「そもそも<自己>とは何なのだろうか」という疑問でもあります。
自閉症方面の人間はコンピュータに対する親和性がとても高い、というのは広く認められるところです。これはたぶん、コンピュータがこれ以上明確にしようがないくらい、はっきりとした「他者」であるからだろうと思います。となると、自閉症方面の人間は、動物との親和性も高いんじゃないかな?という気がするんですよね。自分とははっきりと違う存在だから。
電子ペットが今よりもずっと進歩したときに、自閉症方面の子供とどういう関係を作るのか。あるいは、『二〇〇一年』に登場するHALのような、高度な自然言語インタフェースをそなえたコンピュータが実用化されたとき、自閉症方面の子供はそれにどう対応してゆくのか。ちょっと興味深かったりします。
(Maria)
いし wrote:
> だから、このようなことも、やはり個人情報なのでかかないほうがいいと思います。
浅見 淳子(あさみじゅんこ)
株式会社花風社 代表取締役
出版プロデューサー、文芸翻訳家
(http://www.fellow-academy.com/FMC/honorary/a.html より)
というような情報は公開されているものであり、「個人情報」とはいえません。
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