アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Tien wrote:
>一穂(いちほ) wrote:
>なんか拝見していて、吉本ばななの書く小説みたいな関係?(勘違いしてたら
>ごめんなさい)ですごくうらやましくなりました。
なんか。関係ないんですが。。私吉本ばななの小説みたいな世界に生きています。
さっきから発言ばっかでうるさくって。。はははです
一穂(いちほ) wrote:
>相手は、
>「つきあってるんじゃない、わしはわし、あんたはあんた。」
>と言い放つ。なので、つきあってる人はいないってことになるのか???
>でも、もう3年いっしょにいる。彼は、わたしの頭がおサルだからって、責めたり>しない。だからいっしょにいられる。感情はどこから湧き出たんだろう。
>わからない。気付いたときにはそこにあった。
>彼のそばはとても居心地がいい。
なんか拝見していて、吉本ばななの書く小説みたいな関係?(勘違いしてたら
ごめんなさい)ですごくうらやましくなりました。
>いっしょに歩いているとき...中略
>これがほかの人とだとそうはいかない。
>「いちいち立ち止まらないで、ほら。」と叱られたり、
>「植物が好きなんだねぇ、うちにもアロエがあってね・・」なんて話しはじめた
>り。わたしは相手の言葉に意識が向いて、アロエ屋敷を堪能できない。
私の今の友達もそういう感じでしょうか。決して私の話しを遮らない。
私を遮る事の出来るひとはそうそう居ないらしいが。(友人談)
>どうやって判断したんだろう。
>でも、そんな不思議なことは、そのあとも起こり続けた。
>それまで、だれにも自分は理解されない、と思っていたのに、
>なぜか彼にはわたしの気持ちがわかってしまうみたい。
大袈裟には言いたくないですが、ソウルメイトあるいはすごく似たもの同士
なのではないですか?
>女友達には言われる、そのひとといっしょにいて、何かメリットはあるのか?と。
それって、ありがちだけどすごく失礼な言葉。
メリットデメリットの少しのお金の問題・生活の安定を秤にかけて付き合って、
愛のないカップルになっちゃうのって最高の不幸だと思う。
>彼は一生結婚しないと言ってるし。(もう34歳だ。)
>しかも、つきあってるんじゃない、って言い張ってるし。
>でも、好きだからいっしょにいる、それじゃだめなのかな?
>わたしもときどき不安になるけど…。
>好きなもんは好き。会いたいから、会う。
>わたしはわたし、彼は彼。
いい事を聞かせてもらったみたいで嬉しいです。
恋愛は絵空事ではすまないし、かすみを食べて生きては行けないけど、
それでもいいじゃないかとも思います。好きだから一緒に居て良いじゃないですか。
私は長年の念願なんだけど、料亭なんかに行くんじゃなくて、
丘の上でサンドイッチを食べたりするピクニックデートみたいなのをしたいなあ♪
るおうさんwrote:
>目が綺麗な人は本当に綺麗です。
>何年も生きてきた人などで、見比べるととてもわかりやすいです。
>その人がどんなものを見てきたのか、、何を考えてきたのか。
>そこまでわかりませんが。
>そんなものまで目が透き通る感じなんですよ。
私の目は家系的なもので、ヘーゼルブラウンっぽい目です。
視線がきついと時々言われます。この次の福岡オフ会には参加したいですね。
Maria さんwrote:
>このやりとりは、チャンドラ博士が地球を発つ前、HALの機能修復のための予備実
>験として行なったオペレーション「PHENIX」についてHALの姉妹機SALに説明した
>ときの会話。 HALがチャンドラ博士に宇宙船からの退去をリコメンド(勧告という>か、推奨というか)したときは、“May I dream?”(「私は夢を?」)。それに
>対して博士は「……わからない。」と答えています。
すみません、すごくあてずっぽうな事を書いてしまって。ごめんなさい。
チャンドラって「月」っていうヒンドウー語ではなかったでしょうか?
私も昔ペットに付けていた名です。
>Tienさんとあたしの基本的立場がどこか違うな、と思っている部分が、なんとなく>分かってしまったような気がします。Tienさんの場合、「同じ」であることがまず>前提としてあるように思うのですが、あたしの場合、たとえば男と女のように、基>本的に「別のいきもの」であることと、「愛しあうこと」「信頼しあうこと」とい>うのは基本的に無関係だ、と思っているのですね。
人間同士、同じと言う事が確率的にはほとんどありえない事と分かってはいるんですが、時に嫌い合いながらも、基本的に家族が私のシェルター=大友克洋氏のAKIRA
のBABY ROOMのようなものなので、(結局全て許されてしまう)これが無くなったらどうなるのかと言う不安も私の中に実際あると思うのです。自分の弱さがよく分かるので、庇護的人物が欲しい気持ちがいつまでもあるのだと思います。自立せんか!と言われそうですけど。遠くで一人暮らししていた、若気の至りの昔に比べてずいぶん弱気になっているのも事実です。
>「普通の人」たちが、「普通」であるがゆえに「自分」であることもできず、どろ>ーん、と生きているのを見ると、「ああ、あんなふうに生まれなくてよかった」と>思います。少なくともあたしはあたしだもんな。だから、自分の子供が「健常者」>に生まれて、「自分」というのを見つけられなくて、どろーん、と生きてたらヤだ>なぁ、と思ってしまいます。「ラーメン屋」でも「お嫁さん」でもいいから(べつ>にラーメン屋や専業主婦を蔑視しているわけではありません。総理大臣や東大名誉>教授でも別にかまいません)「自分」というものを見つけてほしい、と思いま
>す。
「普通」が良く分からないのですけど、(-_-;)
私はいろんな事に興味があって最近の興味対象は生態系等に続々新発見のある「恐竜」です。よほど私暇人なのかーとも思いますが、興味があるとハリウッド女優の最新メークから整形、パーキンソン病まで雑ですけど、調べてしまいます。
一度家族に、
「他の人は淡々と過ごしてて、なんとなく(失礼ですけど)結婚して、適当な数の子どもが生まれて、定年まで働いて、おうちの借金を30年ぐらいで返していっていて、私達のこんな疑問持たないのかねえ。」、と言ったら、「私達は向学心がありすぎるのかもねえ。」と言っていました。
>バリエーションは多いほうが楽しい。そう思いません?
最近、私の事でずいぶん悩み続けたはずの母がそう言ってくれました。
各々別々に取る朝食の席で、新聞見ながら、私の言う「アルゼンチノサウルスは100トンらしいわよ!そのうち旅かけてアルゼンチンのパタゴニアに見に行きましょうよ!」というのに付き合う家族って、大変なんでしょうけど。←多分、行ってしまったりするんですよね、これが。(爆笑)
★ほんとにここを見つけて良かった、つくづく痛感します。★
★Mariaさんにも出会えたし★
追伸
「人間にしては、やるじゃないか(Not too bad, for human.)」by Bishop
、私も好きです。ALIEN SERIESは大好きです、私。
Tien wrote:
>ミッドランドさんwrote:
>このオフ会知らなかったので、残念です。、「目がきれい」と言う表現を、どういった時に言われた方がいらっしゃるのか分かりませんが、私も良く言われます。
>私は天然ボケ系なので、「たまに誉められるとうれしいなあ。」と思いますけど。
me 目が 綺麗な 人は 本当に 綺麗です。
何年も生きてきた人などで、見比べるととてもわかりやすいです。。
その人がどんなものを見てきたのか、、何を考えてきたのか。。
そこまでわかりませんが。。
そんなものまで 目が 透き通る漢字なんですよーーーーーーーーーーーーーーー
ミッドランドさんwrote:
ほかにも「リタリンは九州の病院では禁句」なんて話も出たり、「目がきれい」という表現をどう思うか(実際、皆さんはどう思われますか?)といったことを話したりしました。帰りの電車の都合で、今回はやむなく途中で退出しましたが、いい体験ができたと思っています。 これから、このような会合があれば、できるだけ参加しようと思います。
このオフ会知らなかったので、残念です。、「目がきれい」と言う表現を、どういった時に言われた方がいらっしゃるのか分かりませんが、私も良く言われます。
私は天然ボケ系なので、「たまに誉められるとうれしいなあ。」と思いますけど。
「AS系の顔ですね。」ってどういう顔か、ぜひ知りたいんですけど。
なんとなく分かるけど、爬虫類系なのかしらん???
pocks wrote:
>物事をありのままに見ることができない非自閉脳は可哀想。
ほんとう!!!
昨日も、そうだった。まともに話しが通じないんだもの。。まいったよ。
そしてまともにつうじない相手のほうが、自分は正しいとかまともとか思うのも
おかしいよね。。
>> 僕は今、普通の脳みそが欲しくてウズウズしている・・・・・・
>> 普通の脳みそをよこせ・・・・・・・・・・・・・
>> 僕の脳みそは腐ってる・・・・・・・・・・・・・
>> だから社会に適用できないんだ・・・・・・・・・
>> 今の脳みそなんていらない・・・・・・・・・・・
>> 早く普通の脳みそが欲しい・・・・・・・・・・・
>
>意外と、腐ってるのは普通の人間の脳みその方だったりするかもよ!
#4行目の「適用」は「適応」の誤変換?←アスペ的細かい指摘
自閉人の脳というか感じ方にバイアスがかかっている、という考え方が非自閉
世界では有力ですが、先天的に社会性が欠落している自閉人の行動に、本来
ありもしない社会的意味を与えて解釈することがよくある非自閉人の脳の方が
バイアスかかりまくり、というのが事実でありまして、自閉人の脳こそ物事を
フラットに観察出来るすばらしきハイファイ(高忠実度)・ノーミソなんで
あります。
物事をありのままに見ることができない非自閉脳は可哀想。
他にRes.する人が出てこないので、高校時代に使っていたアンチョコを
出してきた。
有理数同士の四則演算の結果が有理数になることの証明は載っていないが、
有理数は整数/整数という形で表わせるということは載っていた。
n1 n2
有理数1=―― 有理数2=―― (n1,m1,n2,m2は整数)とおくと
m1 m2
n1m2±n2m1
有理数1±有理数2=―――――――――
m1m2
n1n2 n1m2
有理数1×有理数2=――――、有理数1÷有理数2=――――
m1m2 m1n2
よって、有理数同士の四則演算の結果は有理数となることがわかる。
#しかし、これでいいのでしょうか?
>Aタイプは遺伝子的にはどうなっているのでしょうか?
>普通の人と同じなのかな?
自閉症の一部には脆弱X症候群のような遺伝子の異常が見られることが
ありますが、異常が見つかるのは自閉症全体の10数%のオーダーと言われて
おり、遺伝子が非自閉者と同じかどうかはよくわかっていないのが現状です。
家系集積が見られることなどから遺伝の関与があると言われておりますが単純に
遺伝するものでもないので、自閉症が遺伝するとすると複数の遺伝子が関与して
いるのは間違いないと言われています。
マザー wrote:
>一穂(いちほ)さん wrote:
>
>>(oTwTo)←サルの脳味噌人間の図
>>早く人間になりた〜い(わたしのテーマ)
>
> えっ!一穂さんって人間じゃなかったの?なんてレスではありません!
>”早く人間になりたぁ〜い”と言えば『妖怪人間』ベム・ベラ・ベロ
>実は我家の愛唱歌なんです。私には、17歳と15歳の息子が居るんです
>けど『妖怪人間ベム』に結構はまりました。一人が♪〜闇に隠れて生きる・・・
>と唄いだすと、のりにのりまくって皆で唄いまくります。特に”早く人間に
>なりたぁ〜い!”は、思い切り叫んでしまいますね。(私たちは人間じゃな
>いんかあーい)なんて思いつつ唄い終わった後はすっきりします。
>
> 全然的外れなレスになってしまって、ごめん!
> なんとなく一穂さんに元気を貰った気がします。
> マザーでした。。
マザーさんレスありがとう。
とてもうれしかった。
マザーさんち、いいなぁ!
たのしそう。
みんなでのりにのってうたうなんて、
サウンドオブミュージックみたい。
妖怪人間ベムのうたいいよね〜。
ジャズなんだよね。
かっこいい♪
わたしもよくカラオケで歌います。
Tien wrote:
>酷い質問かと思いますが、皆さんのなかで、付き合っている人がいらっしゃる方は
>「どうしてもその人と一緒に居たい」というのは、(尺度というか)
>感情はどこから湧き出て、また相手の判断をされているんでしょうか?
>私は他の人が、付き合っているのを見ても、いつも分からないことだらけです。
>...「どうして一緒にいるんだろう?」...
相手は、
「つきあってるんじゃない、わしはわし、あんたはあんた。」
と言い放つ。
なので、つきあってる人はいないってことになるのか???
でも、もう3年いっしょにいる。
彼は、わたしの頭がおサルだからって、責めたりしない。
だからいっしょにいられる。
感情はどこから湧き出たんだろう。
わからない。
気付いたときにはそこにあった。
彼のそばはとても居心地がいい。
いっしょに歩いているとき
わたしが"アロエ屋敷"を発見して、おもわず、「わぁ〜っ!」
と言って立ち止まると
彼も「!」という顔をして立ち止まる。
わたし「アロエ屋敷だ!!」
彼「すごいな!」
ふたり、しばしアロエ屋敷を堪能。
そのあと、歩きながら、「あそこまで育てるのに何年かかったんだろう。」なんて話しをする。
これがほかの人とだとそうはいかない。
「いちいち立ち止まらないで、ほら。」
と叱られたり、
「植物が好きなんだねぇ、うちにもアロエがあってね・・」
なんて話しはじめたり。
わたしは相手の言葉に意識が向いて、
アロエ屋敷を堪能できない。
相手の判断
どうやって判断したか。
・・・
どうやって判断したんだろう。
知り合ったきっかけはバンド。
わたしはコーラス、彼はドラム。
2ヶ月ほど、お手伝いで参加。
彼はときどき冗談を言う以外は、ほとんどしゃべらない人だったけど、
家で飼っている猫の写真をわたしに見せてくれた。
わたしも猫を飼っているのでなんだか親しみがわいた。
偶然彼とは家が近所だったので、練習のあとはいつも同じ電車で帰った。
はじめて一緒に電車に乗ったとき
わたしが、電車のドア付近でうろたえていると、
彼は、わたしと世間との間に、そっと壁をつくるかのように
大きな体で、背景をさえぎるような位置に立った。
まるでわたしの不安を察したかのようだった。
偶然なのか、それとも彼はよほど女の子の扱いに慣れているのか、どっちかだろう、と思った。
でも、そんな不思議なことは、そのあとも起こり続けた。
それまで、だれにも自分は理解されない、と思っていたのに、
なぜか彼にはわたしの気持ちがわかってしまうみたい。
その後バンドは解散し、
しばらく彼と会うこともなかった。
彼からも連絡はなかった。
けれど、また会うことができ、そして今に至る。
彼のうちに遊びに行くと、
彼はいつも、ドラムのスティック練習をしている。
わたしはその横で、いっしょにテレビを見ながら、猫たちと遊んでいる。
彼はサッカーおたくなので、だいたいテレビは外国のサッカーの試合。
わたしがサッカーのことで素朴な質問をすると
彼はとても詳しく説明してくれる。
サッカー好きの男の子はたくさんいるけど、彼ほど詳しい人をわたしはほかに知らない。
1年以上前のことだが、
わたしは自分のうちにいるとき、突然、
「インゲソン」という言葉をつぶやいた。
「インゲソン!?インゲソン!?」
なんだろう、わからない。
彼なら知っているような気がして、会ったときに、
「ねぇ、インゲソンって、なに?」
と聞いてみたら、サッカー選手の名前だという。
スウェーデン代表の選手っで、うんたらかんたら・・・・。
(こないだ引退したらしいが)
わたしは彼のうちでサッカー番組をいつも見ているので、
試合中に番組司会者が呼んだその名前を、どうやらおサルの脳みそが勝手に記憶していたらしい。
しかし、サッカー好きなほかの男の子に、インゲソンのことを聞いても、誰ひとり名前すら知らなかった。
女友達には言われる、
そのひとといっしょにいて、何かメリットはあるのか?と。
彼は一生結婚しないと言ってるし。(もう34歳だ。)
しかも、つきあってるんじゃない、って言い張ってるし。
でも、好きだからいっしょにいる、
それじゃだめなのかな?
わたしもときどき不安になるけど…。
好きなもんは好き。
会いたいから、会う。
わたしはわたし、彼は彼。
>Xanadii wrote:
>> ごめんなー、人の気持ちまるで理解しない奴で。
ごめん。。という男はカッコイイ。
おんなも素敵だ。
こちらが謝っても絶対に謝らないのはとても嫌だ。
自殺したいくらいのイジメにあって、いじめないでくださいと菓子折りをいじめっ子にもっていくくらい。そんな思い出。くだらない。
Xanadii wrote:
> ごめんなー、人の気持ちまるで理解しない奴で。
>
> でも私みたいの、許す必要なんてないのさ。
>
> “好感度”なんてそんなもの、軽すぎて地獄へだってもってゆけやしない。
>
> Just you, hurt me more...
Xanadii さん コメント有難う。
これを書いたときは、一寸悲しかったから書いただけです。
掲示板でどう思ったからというわけでもなくて。
でもきっとそのことはXanadii さんには、通じている感じがします。
ずっと書こうと思っていたけどやっと今アップできた。
Tienさん wrote:
>HALの言葉ですごく印象に残っていた言葉を お陰で思い出しました。HALが
>組み込まれている宇宙船を放棄する際HALが、 "Do you think I can dream?"
>邦訳「私は夢を見ますか?」と問い、それに対し、確か生みの親の博士は
>"Maybe, I think so."(邦訳「ああ、多分ね。」)だったと思います。
このやりとりは、チャンドラ博士が地球を発つ前、HALの機能修復のための予備実験として行なったオペレーション「PHENIX」についてHALの姉妹機SALに説明したときの会話。
HALがチャンドラ博士に宇宙船からの退去をリコメンド(勧告というか、推奨というか)したときは、“May I dream?”(「私は夢を?」)。それに対して博士は「……わからない。」と答えています。
>常に人からずれている、人がいつかは離れていく、と思う私の思考回路は、
>逆に、「絶対私から離れて欲しくない、ずっとそばに居て欲しい。」という
>叫びの裏返しではないだろうか、と最近気づきました。
>これはもしかすると私のものすごいエゴイズムではないでしょうか?
Tienさんとあたしの基本的立場がどこか違うな、と思っている部分が、なんとなく分かってしまったような気がします。Tienさんの場合、「同じ」であることがまず前提としてあるように思うのですが、あたしの場合、たとえば男と女のように、基本的に「別のいきもの」であることと、「愛しあうこと」「信頼しあうこと」というのは基本的に無関係だ、と思っているのですね。
レナード・ニモイ演ずるところの『宇宙大作戦(スター・トレック)』のドクター・スポックは、自分が「人間でない」ことにまったく悩んでいません。ランス・ヘンリクセン演ずるところの『エイリアン2』のビショップさんも、人間と友好的な関係を結べないことを嘆きこそすれ、自分がアンドロイドであることを苦にはしていませんでした。
あたしはビショップさんの、「人間にしては、やるじゃないか(Not too bad, for human.)」というセリフにけっこうゾクッときます。それはあたしがソフトウェア開発の現場の空気に慣れ親しんでいたからかもしれません。その力を決して破壊的なことには使わないタフ・ガイ。その雰囲気は、ウィザードと呼ばれる一流のシステムエンジニアによく似ています。
あたしは、善し悪しを抜きにして、「違う」んです。そして、その「違い」はあたしそのものなんです。で、あたしにはその「違い」ゆえの制約というのもいっぱいあるんだけど、それよりあたしには、そのことによる「力」があるんです。で、その「力」こそが、あたしをあたしにしてくれたものなんですね。
「普通の人」たちが、「普通」であるがゆえに「自分」であることもできず、どろーん、と生きているのを見ると、「ああ、あんなふうに生まれなくてよかった」と思います。少なくともあたしはあたしだもんな。だから、自分の子供が「健常者」に生まれて、「自分」というのを見つけられなくて、どろーん、と生きてたらヤだなぁ、と思ってしまいます。「ラーメン屋」でも「お嫁さん」でもいいから(べつにラーメン屋や専業主婦を蔑視しているわけではありません。総理大臣や東大名誉教授でも別にかまいません)「自分」というものを見つけてほしい、と思います。
その点ASだったら面白いだろーな、と思います。なにしろ「自分」というものを見つけようと七転八倒する人生が最初っからおいでおいでをしているわけですから。まあ、最初っから悩まないような自閉症の子供だったら世間のお役に立つような仕事(ピアノの調律師とか、科学捜査研究所の技官とか)めざして頑張ってもらうし。あたしもなりゆきで日本語処理システムの開発なんていう仕事についちゃったけど、なんか、「天の導き」みたいなものを感じてたりするのですね。「天職」という気がします。
……だけどこれ、ASじゃなかったらたぶん勤まんない仕事だぞ。これ、アスペっ子とつきあって分かったけど、もう感性いっしょ。もう子供の頃から『大言海』とか『国語大辞典』とか読ませて英才教育しちゃおうかな、ふっふっふ、みたいに虎視眈々と狙ってしまったりするのですね。
「あんたはASとしての程度が軽いからそんなことが言えるんだ」とか、「それだけの才能があるからそんなことが言えるんだ」とか言われちゃいそうだけど、そんなことでもないんですよね。あたしは別に商業的に成功してる訳でもなんでもないし。ただ、「世の中には自分にできることがある」っていうのに出会っただけ。
ASのためのユニオンを作る、とかいうのだって、面白いと思います。『アスペルガー共和国』の構想はちゃんと生きてるし、なべつかみの開発だって別に忘れてるわけじゃないし、自閉症方面の子供も視野にいれたバリアフリーの教育ソフトの開発だって、ちゃんと企業化を視野にいれて考えてるし。
違ってていいじゃないですか、と思います。あたしたちでなきゃできないことだって、けっこう多いし。べつに多数派に媚びる必要はありません。「少数意見の尊重」が民主主義の基本だっていうのは学校で教えてるハズです(でなかったらナチスによるユダヤ人虐殺だっていじめだって認められちゃいます。「少数派は多数決で『殺していい』と決まったら殺していい」ってことになっちゃいますから)。「そんなのはタテマエでしかない」とか言われたとしても、タテマエはタテマエであくまで守らせる、っていうのが法治国家なのね。
あたしは「自分がASであること」では悩まないぞ。それは自分に対する冒涜だとおもう。それよりも、「ASが世の中で不当に扱われてること」を怒るほうに体力と気力を使います。
バリエーションは多いほうが楽しい。そう思いません?
(Maria)
さる8月5日、福岡で行われた「福岡A−type」のオフ会に参加しました。簡単ではありますが、その報告を。
会の参加者はわしを含めて7名。その中にはくるとさんもおられました。
今回、わしは初めてくるとさんにお会いしました。くるとさん、わしを初めて見て一言「AS系の顔ですね。」そしてアイ・コンタクトがとれていないと初対面で早くも鋭い指摘。自分ではそういった認識が全くなかったんですが。
会が始まって最初のテーマは「A−type本人たちの会をつくるべきか」。運営の面や親御さんたちとの関係など、いろいろ話して、結果「当分はメーリングリストで現状維持」となりました。
その後、いろいろと話題が出てきましたが、皆さん結構自分から進んで話をするので、正直圧倒されかけました。わしはというと、話を振られるとそれなりに話はできたのですが、自分から話を持ちかけるというのが少々苦手で、総じてあまりうまく話せませんでした。
そんなわしに比べ、くるとさん、弁が立つお方ですねー。その「話す技術」、少しでもわしに授けていただきたいです。
あと、参加者の多くがわしのメールやこの掲示板の投稿を読んで、わしは「優しい調子の文章を書く人」と思われていると知りました。
ほかにも「リタリンは九州の病院では禁句」なんて話も出たり、「目がきれい」という表現をどう思うか(実際、皆さんはどう思われますか?)といったことを話したりしました。
帰りの電車の都合で、今回はやむなく途中で退出しましたが、いい体験ができたと思っています。
これから、このような会合があれば、できるだけ参加しようと思います。
片道2時間はちときつい ミッドランド
武田好史 wrote:
>みなさんこんばんは。
> 何かMSNのアンケートで、「日本の若者が刹那的で希望が持てないのはどうしてか?」などという問いが出ていました。
> 全ての若者がそうだというふうに、早計してしまうのには、ちょっと閉口しますが・・・・
> でも、引きこもり者が10万〜80万人はいる・若くても失業してしまう人が多い・学校がおもしろくない・・・ETCということから見て、何となくそんな傾向が出てしまうということでしょうか?
>
>そこでみなさんに質問します。
>
>10年後日本はどうなっていると思いますか?
>
>
たぶんアメリカや中南米みたいな貧富の差が激しく治安が悪く政情が不安定な国になるでしょう。これからどんどんホームレスやスラム街が増えてアメリカより治安が悪くなってくると思います。また、僕達に対する差別や偏見もどんどん増えるでしょう。それから障害者(AS、LD、ADHD含む)のホームレスもどんどん増えるでしょう。
Xanadiiさん、こんばんは。HALの言葉ですごく印象に残っていた言葉を
お陰で思い出しました。HALが組み込まれている宇宙船を放棄する際HALが、
"Do you think I can dream?"邦訳「私は夢を見ますか?」、と問い、
に対し、確か生みの親の博士は
"Maybe, I think so."邦訳「ああ、多分ね。」だったと思います。
常に人からずれている、人がいつかは離れていく、と思う私の思考回路は、
逆に、「絶対私から離れて欲しくない、ずっとそばに居て欲しい。」という
叫びの裏返しではないだろうか、と最近気づきました。
これはもしかすると私のものすごいエゴイズムではないでしょうか?
みなさんこんばんは。
何かMSNのアンケートで、「日本の若者が刹那的で希望が持てないのはどうしてか?」などという問いが出ていました。
全ての若者がそうだというふうに、早計してしまうのには、ちょっと閉口しますが・・・・
でも、引きこもり者が10万〜80万人はいる・若くても失業してしまう人が多い・学校がおもしろくない・・・ETCということから見て、何となくそんな傾向が出てしまうということでしょうか?
そこでみなさんに質問します。
10年後日本はどうなっていると思いますか?
Tien wrote:
>酷い質問かと思いますが、皆さんのなかで、付き合っている人がいらっしゃる方は
>「どうしてもその人と一緒に居たい」というのは、(尺度というか)
>感情はどこから湧き出て、また相手の判断をされているんでしょうか?
>私は他の人が、付き合っているのを見ても、いつも分からないことだらけです。
>...「どうして一緒にいるんだろう?」...
「たとえブスにでも、“好き”って言われたらウレシクなるもんだ」
人間の脳ってダマサレやすくできているらしく、たとえばまずい料理を食べた後でも、「ああおいしかった」と口に出していえば、本人の中で自覚がなくとも脳の方で勝手に「おいしいものを食べた」として、認識・処理してくれるものなんですよ。
不思議だね 思い出の中
泣いていても 幸せに見える
ってオフコースの歌があったでしょう。まさにそれ。
Punxを自認するやつが、オフコースなんて出してきてエエんか!!と突っ込まれそうだが、いや私まじでオフコースの音楽は好きなの。というよりは、小田和正の作るメロディーが好きってことかな。歌詞の方は、まるで共感しないんだけどね。ラヴソングを理解しない人間が、“愛”を獲得することは果たして可能なのだろうか?って問題とも違うような気がするんだけど、まあもうすこしだけお付き合いくださいませm(__)m。
今までの人生でさんざっぱら、孤立・排除・迫害・否定・裏切り等々、もはや言葉を失ってしまうほどの惨めですさまじい過去を隠し持っている、A-typeな人たちにとって、自分のことを「変」だなどと言わない人物との邂逅は、まさに鮮烈なものなんだなっていうのが、自分の過去を振り返ってみていえることなんですよ。
自分のごとき存在など、まるでゼロ以下、もう息をしてもいじめられる、一歩歩いても笑われる、突き飛ばされてよろけていった先でさらに突き飛ばされる、いわば“人間サンドバッグ状態”のやつが、こんどは大学行って文学士の称号を得、実社会に出て数年でリタイア、いまでは地元でしがない飲食店アルバイト、ってくれば、だれもが「あ〜あ、アレね」とわけ知り顔でうなずくような人生やね。いわゆる「食い詰めもん」、もう少しカッコ良く表現するならロシア文学で言う「余計者」とでもいうべき存在だ。自分には先天的自閉傾向があるらしいということに、気づかないまま大人になってしまった人間のなれのはてだ。私は自分をそんなふうに了解している。
それでも私が本格的にグレたり自殺他殺に走ったりしなかったのはなぜか。それはそういう人たちとの出会いからだったりするんだろうな。「グニラ」にとっての「ケルスティン」、「ドナ」にとっての父親や「アンジー」、「ウェンディ」にとっての「レスリー」、みんなみんなそうだ。“理解者”すべてが同じ自閉者同士とは限ってないじゃん?たいていは「ドナ」にとっての「ヴァネッサ」みたいな貧乏籤を引いてしまうことになったりして、それはそれでショックで辛いことなんだけど、それだってひとつの“勉強”でもある。今ちょっと気になったことがあるんだけど、自閉症者自身による自伝って、なぜか女性が圧倒的だよな。なんでだろ。
「いつも一緒にいる」は、イコール「かけがえのない存在」ではない。
女の子同士の関係ってそうだよね。三人でいつでもどこでも、トイレに行くにもおててつないで、あああの子達仲がいいんだなって、思ってたら、そのうちの一人がいない時に、あとの二人が「あの子いつもウチらにつきまとってるよね」「仲間だと思ってんじゃないの」とか言い合っていたり。職場の同僚で、ある人のいない所で、「あの人さあ、ウチらに合わせられないんだったら、もう出てってほしいよね」とかさ、もう耳の腐りそうなこと平気で言い合ってる。で、本人たちはてっきり自分が正しいこと言ってると信じて疑わないんだよね。男同士の関係には、さらに立場やら階級闘争やら絡んでくるんで、始末に負えなくなってくるんだけど。こういう発想ができあがっちゃってる人は、はっきり言って、人間のデキ悪いです。人を呪ってるのと同じことだ。
辺見 たとえば、ウガンダあたりの人間とEメールの交換をしたとする。でも、その人間が、あした自分の家の戸口に立っていたら、嫌がると思うんですよ。そういう関係の乖離というのはじつは依然あるような気がするんですね。ウガンダの男が濃いアフリカのにおいをたっぷり運んできたら、日本のメールフレンドは嫌がるかもしれない。ツルツルのパソコン画面、Eメールの無臭のほうがいいというのが本音じゃないかな。国際化なんていったって、日本人はまだ異人種のにおいにすら慣れていない、“異臭”を学習していないあぶない人種だと思うな。さっきもいったけど、その心性のそこには、ゼノフォービアという闇がある。それを隠し、あるいは忘れて、無臭の二次的つき合いをしたいと言うことでしょう。この前、地下鉄に乗っていたら、うんこのにおいを消す飲み薬の広告があったんです。臭くもないうんこを垂れて、人生なにがおもしろいんですかね。あれなんかは、一次的な身体の破壊だと思いますね。(辺見庸『新・屈せざる者たち』角川文庫1998年刊・桑山紀彦・章タイトルは“日本って対人恐怖社会ですね”)
けだし正論なんだけども、あえて突っ込むなら、辺見さん、OS関係にはあまり携わったことがないのかな。たとえばパソコンも同じものを長く使っていると、キーは擦り減って垢じみてくるし、本体も黄ばんできて画面なんかは静電気でほこりっぽくなってくるし、永久にセイケツなままってわけにはいかないってことは、これを読んでおられる皆さんにも覚えがあることではないでしょうか。はっきりいってキーボードなんか、「クサク」なってることだってあるしな(^_^;)。
まあそれをすぐ「キタナイ」とかいって、クリーナーかけまくったり買い換えたりする日本人の愚を、辺見氏は指摘したかったのかも知れないんですけどもね。そういった「キズ・ヨゴレ」とか「擦り減り」は、そのまま使った者の「クセ」でもあり「体臭」でもあり「歴史」が乗り移ったものでもある。そう考えれば、なんとなくそういう「ケガレ」も、捨てがたいものとなってくる気がしやしない?しないかー(^o^)。
楽器なんかも、「人に貸したり使わせたりしちゃいけない」といわれるのは、そういうところでもあります。永遠におろしたてのまっさら、なんていう楽器は、存在しません。みんな、使っていくうちにその人の、いわば“魂”みたいなものが乗り移ってくる。銀製の楽器ならば、指先からでる汗で溶け出し、刻印がかすれてくる。指紋がついたり、汗や呼吸の水蒸気で、錆や緑青が浮いてくる。あるていどは防いだり修理できても、製造したての状態に戻すことは不可能です。だからといって、よほど致命的な損傷がないかぎり、捨てたりということはしない。“楽器は使えば使うほど味が出る”というのは、その素材の性質もあるだろうけど、もうひとつ、「人間」のみが持つことのできる、重要なファクターというものもあろうかと思う。ここではあえて言わない。ていうか、そもそも私ごときにエラソーに語れることじゃない。
自分の鼻くそは
なぜかすぐに
捨てられない
っていう、東君平の詩があったっけか。(ドナ・ウィリアムズも、自伝の中で「鼻くそ」の話をしてたなー)
って、んんんんんっ?これではまるでTienさんへのレスにはなっていませんか(-_-)。恋愛うんぬんについては、これだけは私には予言できないことだ。ほかの皆さんに語っていただこうか。
「2001年宇宙の旅」で、HALは“君には感情があるのか”という問いに対して
“そう努めている”
と回答した。なんかこの言葉を聞いた時、ひじょうに静かな畏怖のようなものが、身に迫ってきたように感じた。
自分でもおかしいんだけど、高校時代、アーサー・C・クラークの原作で、ボーマン船長がスターシップを手動に切り換えるくだりだけ、何度も何度も読み返してしまった。ありゃ人間によるロボットへのレイプだな。
HAL、君も人間がうらやましかったのかい?
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