アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
うーむ、やっぱり難しい。
まず用語ですが、私は「生得」「獲得」と「生得説」「獲得説」を区別して使っています。
そして私自身は「生得説」論者でも「獲得説」論者でもありません。
強いて言えば「生得・獲得共存説」とでも言いましょうか。
「生得」で記述されるものと「獲得」で記述されるものが組み合わされているという考えです。
> その「獲得説」がなぜ「心の理論」という形でのさばっているかというと、それは人間の推論形式についての誤解があるからだと思うのですよ。
「心の理論」は「雛形」のデータベースの中に情報を埋めて行くことによって「獲得」されるもので、「獲得説」とは違います。
> 推論形式としては「帰納」と「演繹」が代表的ですが、これ以外に「アブダクション」というものがあります。いわゆる「心の理論」は、「無意識のうちに得た結論を理性によって解釈した結果を、あくまで理性のみによって推論したかのように記述する」ところに問題があると思うのですよ。
これは間違っています。
「理性のみによって推論したかのように」ではなく、「理性を援用した法則に基づいて」です。
物理現象を数式で表すのと同じです。
> で、人間の場合は勘が勘で終わってしまっては困る、という点があります。なんでかっていうと修正が利かなくなっちゃうから。「絶対にあいつが犯人だ!」「だけどアリバイがあるんですってば」みたいな、見込捜査の弊害、みたいなものが顕著に出ちゃうのね。
> そんな訳でいわゆる「健常者」は自閉症方面の人間やADDやLDの人間に対してすぐ腹を立てます。彼らの「人間の行動予測に対する勘」というのは同種の人間にしか働かないもんだから、まず間違った結論に飛びつき、粗雑な推論によってそれを裏付けて(裏付けられてないんですけど)しまうからです。
> あるいは自分の感情を説明するときに、自我の防衛機構が働いて、その推論を歪めてしまう。虐待をしつけと信じてみたりするのは、こうした「認知の歪み」が起きるからです。
この辺はほぼ同じ意見ですが、なぜこれが「生得」「獲得」と関係あるのかは今一つ分からないです。
> 戸田さんの理論の面白さは、「環境に対する適応プログラムとしての感情」と「情報処理の効率」というものを問題にし、処理効率を上げる要素としてアージやムードという要素を持込んだところにあると思います。セルフ・コミットメント理論がミクロ経済学の分野で発展したというのも興味あることです。
面白いだけでは科学にはならない訳ですね。
最初にアージという言葉を定義したところまではいいとして、アージの中身を分化しいく過程や、アージと別にムードなどを定義したところなどに、体系として首尾一貫していないものがあると思うのです。
> 「生きるため」という目的に即しているぶん、あたしはそうした理論に魅力を感じます。
こういうのを論理的な話の中に入れるのは止めましょうよ。
#頭に#を付けるならいいでしょうけど。
>あのHAL9000だって、
「2001年宇宙の旅」のことですよね。
>とチャンドラ博士は申しておりました。
これ、誰でしたっけ?
武田好史 さんへ
こんにちは。
台風の影響かこちらでも雨がひどくて
病院にタクシーで行きました。
往復2千円もかかった。
領収書もらえば良かった。
たしか通院の交通費も税金で落とせるケースもあるんだよね?
最初に余計なことを片付けてしまいましょう。
シュッツさん wrote:
>>考えたら「最近の若者はキれやすい」とか言ってる大人って、そういう「隠れた
>>メッセージ」に鈍感なだけじゃないんだろーか、とか思いますね。
>はい、私は鈍感です。
シュッツさんは『「最近の若者はキれやすい」とか言ってる大人』なのかも知れないけど、あたしのこの部分の記述には、シュッツさんに対する「隠れたメッセージ」は含まれておりません。むしろ、あたしが「キれやすい最近の若者」と見られていた、という事実に基づいています。
で、本題。
>この文章から私が読み取るのは、
>「ある精神的状態(mental state)や行動を記述するのに、『獲得説』に基づく
>ものと『生得説』に基づくものがあり、どちらか一方が答えである」
>なのですが、合ってますでしょうか。
そう受取られることを予想はしつつも、じつは本音は違うところにあったりします。
>違うのであれば、以下の話は見当はずれになるので、無視するかまたは独立した
>議論だと思って下さい。
独立した議論だということで、進めようと思います。
>私の考えは、厳密な区分は長くなるので大まかにまとめますが、一つの行動や精
>神的状態について2種類の表現があるのではなく、それぞれの行動や精神的状態
>が「生得」か「獲得」かのどちらかの属性を持っている、ということなのです。
>そしてそれらを記述するために、それぞれ別の理論が存在していると考えます。
>その代表として、アージ理論(これで容易な推測ができるとは思えないのですが、
>それはまた別の時に)であったり、「心の理論」に関する理論であったりするの
>です。
ぶっちゃけた話(←ああっ、黒Mariaだ)、「獲得説はクズだ」とあたしは思っています。獲得説は、たしかに理論上は可能ではあるものの、実際には人間の脳の処理能力を超えているように思うんですよ。
その「獲得説」がなぜ「心の理論」という形でのさばっているかというと、それは人間の推論形式についての誤解があるからだと思うのですよ。
推論形式としては「帰納」と「演繹」が代表的ですが、これ以外に「アブダクション」というものがあります。いわゆる「心の理論」は、「無意識のうちに得た結論を理性によって解釈した結果を、あくまで理性のみによって推論したかのように記述する」ところに問題があると思うのですよ。
将棋や碁なんていうのは記号的手続きの集積ですが、プロ棋士というのは一手一手を読んでいるのではなく、まるでスライドが切り替わるように、局面がガシャッ、と「降って」くるのだそうです。こういうことは、コンピュータで真似しようと思ってもできないのね。「完成図をイメージしてそこへ寄せてゆき、同時に完成図そのものも修正してゆく」という「協調的な処理」というものを、手続き的なシステムを用いて記述するのは非常に困難です。まあ、できないと証明されてる訳じゃないけど。あのHAL9000だって、ヒューリスティック(H)とアルゴリズム(AL)の組合わせで動いてるからHALなのであってね、IBMの綴りを一文字づつずらしたわけではありません、とチャンドラ博士は申しておりました。
で、この協調動作を、シュッツさんは
>ただし、「生得」と「獲得」の間の境界は明確ではなく、あいまいではないかとも
>思っています。
という形で表現されているのではないかな?
あたしの場合、たとえば『シめショめ問題にハマる』でも、最初に「なんか違うぞ?」という印象があって、その感覚を文法的知識で裏付けてゆく、といった過程を経ています。ですから、
>雛形だけでは実用的な言語にはなれないことはあきらかでしょう。
>言語の中の「雛形」の部分の大きさの違いで、「生得説」と「獲得説」の違いが
>生まれていると考えます。
の、「雛形」の部分が言語感覚、「獲得」した部分は文法的な知識。で、それが有機的に結びつき発達して「言語表現に対する勘」というものに成長する、ということなのね。
で、人間の場合は勘が勘で終わってしまっては困る、という点があります。なんでかっていうと修正が利かなくなっちゃうから。「絶対にあいつが犯人だ!」「だけどアリバイがあるんですってば」みたいな、見込捜査の弊害、みたいなものが顕著に出ちゃうのね。
そんな訳でいわゆる「健常者」は自閉症方面の人間やADDやLDの人間に対してすぐ腹を立てます。彼らの「人間の行動予測に対する勘」というのは同種の人間にしか働かないもんだから、まず間違った結論に飛びつき、粗雑な推論によってそれを裏付けて(裏付けられてないんですけど)しまうからです。
あるいは自分の感情を説明するときに、自我の防衛機構が働いて、その推論を歪めてしまう。虐待をしつけと信じてみたりするのは、こうした「認知の歪み」が起きるからです。
ところが社会性が発達した自閉症方面の人間は、その勘の覆域(ふくいき。英語ではカバレッジ)が広いのですよ。だから、ヘンなことを思いついたりするわけです。これに対し、未発達な自閉症方面の人間はその覆域が「見当外れ」だということができます。
戸田さんの理論の面白さは、「環境に対する適応プログラムとしての感情」と「情報処理の効率」というものを問題にし、処理効率を上げる要素としてアージやムードという要素を持込んだところにあると思います。セルフ・コミットメント理論がミクロ経済学の分野で発展したというのも興味あることです。
「生きるため」という目的に即しているぶん、あたしはそうした理論に魅力を感じます。
(Maria)
タレイヌさん wrote:
>タレイヌは、いつもおもっているのだけれど、もったいないなぁ……って。
>Mariaさんの書き込みは、プリントアウトして、売ったって、いい位だわ!!
>でも、「研究者」と、お書きになっていらっしゃるってことは、正式の場(?)で
>書物になっているという事ですよね……?
この場をお借りして皆様にお詫び申し上げます。原稿、遅れております。ごめんなさいm(_ _)m。
非・専門家にも分りやすい解説書を執筆するとお約束しておきながら、そして七月中には原稿をまとめると申しておりながら、現在に到っても原稿が上がっておりません(T_T)。
えー、なんでかっていうと、書けば書くほど内容が増える!んです。おおむね書き上がったところからこの『アスペルガーの館の掲示板』にuploadしているのだけど、それにresponceがつくのでまた掘り下げて……を繰返しているものだから、原稿が自己増殖しているという……
そんなわけで、「叩き台」のつもりでなるべく早期に原稿をまとめ、とりあえず配布する、ということでご納得いただきたいと思います。「用兵は拙速を尊ぶ」そうだし。
そんなわけで、あたしがこの『アスペルガーの館の掲示板』に書いた文章に関しては、すべて著作権フリーです。プリントアウトして売っちゃってもかまいません。ただ、他のメンバーの方の文章との絡みがあるので、あくまであたしの書いた文章については、です。論旨を損ねない範囲で修正していただいても結構です。
ただし、現在上に述べたような事情でまとめつつあるものが存在しますので、さしあたり周囲に自閉症方面のことで困っている/関心があるかたがおられるならこの掲示板の文章をそのままお見せして、最終的にまとめたものをご希望のかたはあたし宛メールを送信くださるようお伝えください。タレイヌさんを含め、数名の方にはドラフト版をメールで送信(テキストファイル)いたします。
その後Adobe Indesignかなにかを使って本にするための原稿を作り、この段階でバージョン0をAdobe Acrobatかなにかを使って電子本にし、これも無償配布。で、同時にパーソナル・コンピュータをご利用でないかたのために、印刷したブックレットを実費で配布するサービスを開始。これで部数が捌けるようなら、明窓出版という出版社が「千部程度の予約があれば、流通に乗せてペイする」と言ってくださっているので、出版を考えています。
さあ、ここまで言っちゃったらもう逃げ道はないぞ。わはははは(^_T)。(←泣き笑い)
>長男もさることながら、タレイヌ自身も、多くの “かたがた”から、変わって
>いると、言われております。(もう、いまや、年齢が年齢ですが)理由のひとつ
>は、多分、「悪意が、読み取れなかった」のだと思います。
いわゆる「健常者」の多くは、自分の「悪意」を奇妙に歪んだ形で保持している、と哲学者の中島義道さんは指摘しておられます(『ひとを<嫌う>ということ』)。悪意を発していながらその悪意が自分に返ってくると、狼狽したり逆上したりするんですね。
「相手の何から何まで好きになることなんかできない」ということが分かっているオトナの人間は、人を嫌いになることもあるし人から嫌われることもあり、それがお互いの全面否定にはつながらず、その人の嫌いな部分を含めて人を好きになるということが人としてあたりまえだということを心の底から理解しています。だからこそ「陰険な漫才」が可能になるわけで、そういう信頼感がどちらか一方に欠けていたならば、ただただ雰囲気は険悪になっちゃうわけですよ。
タレイヌさんを「変わっている」と評価した人というのは、単にオトナになりきれていない、人を「好きな人/嫌いな人」のどちらかのカテゴリーに押し込めることしかできない人だったんじゃないでしょうか。そういう人にとっては、「悪意」は「絶対的なノー」以外の何物でもありませんから。
(Maria)
みなさんおはようございます。
今日明日と大型の台風11号が東海・関東地方を通過していくようです。
現在(正午前)、私が住んでいる埼玉県の入間市は、徐々に雨が強くなり始めています。
静岡や三重ではだいぶ雨がひどいようです。
みなさんの所はどんな様子ですか?
まず話の前提を確認させて下さい。
Maria wrote:
> で、「心の理論」というのは、言語学でいう「獲得説」に相当し、あたしの支持する(アージ理論などを含めた)「感情による推論」は「生得説」に相当するわけです。つまり、人間が生まれながらに「感情の文法」を持っているのだと。
>『「心の理論」よりも「感情による推論」のほうが、人間の行動をより適確かつ容易に推測しうる』
この文章から私が読み取るのは、
「ある精神的状態(mental state)や行動を記述するのに、『獲得説』に基づくものと『生得説』に基づくものがあり、どちらか一方が答えである」
なのですが、合ってますでしょうか。
違うのであれば、以下の話は見当はずれになるので、無視するかまたは独立した議論だと思って下さい。
私の考えは、厳密な区分は長くなるので大まかにまとめますが、一つの行動や精神的状態について2種類の表現があるのではなく、それぞれの行動や精神的状態が「生得」か「獲得」かのどちらかの属性を持っている、ということなのです。
そしてそれらを記述するために、それぞれ別の理論が存在していると考えます。
その代表として、アージ理論(これで容易な推測ができるとは思えないのですが、それはまた別の時に)であったり、「心の理論」に関する理論であったりするのです。
ただし、「生得」と「獲得」の間の境界は明確ではなく、あいまいではないかとも思っています。
言語の話と関連づければ
> そんなわけで、人間は決して「データとして与えられた会話から、文法を抽出している」わけではなくて、「すでに文法の雛形を身につけていて、それを現実の会話をうまく説明するようにモディファイしている」のではないか、ということが考えられるわけ。つまり、人間は生まれながらに「汎文法(コモン・グラマー。CGと略します)」というものを身につけているのだと。
「雛形」の部分と、「現実の会話」の部分とに相当します。
雛形だけでは実用的な言語にはなれないことはあきらかでしょう。
言語の中の「雛形」の部分の大きさの違いで、「生得説」と「獲得説」の違いが生まれていると考えます。
個体の「予測」には各個体それぞれの情報が必要です。
「雛形」は個体ではなく総体を記述対象としているのことから、「予測」は難しい(集合の予測なら可能)というのが私の意見です。
発達心理学は「発達」という言葉が使われているのですから、生得を無視しているのではなく、生後に獲得して行く心理を中心的対象としているだけで、その土台としての生得的性質は情報として必要なものという位置付けになると考えています。
>考えたら「最近の若者はキれやすい」とか言ってる大人って、そういう「隠れたメッセージ」に鈍感なだけじゃないんだろーか、とか思いますね。
はい、私は鈍感です。
くると wrote:
> わ〜、konetamaさん、こちらでもよろしくです。(喜)
くるとさん、よろしくです。
> ここは特に了承というのはないみたいです。(笑)とりあえず、関心のあ
>る人は誰でも書きこんでいるという状態です。
そうなんですか。それでは、こちらでも私は、たどたどしい文章になりそうですが、よろしくお願いします。
Tien wrote:
>こんにちは。質問ばかりのペシミスト、Tienです。私なんか見ていただいたら
>分かりますが、くだらない拙問専門です。でも周りに相談できる(アスペ関係の事を)なかなかいないので、ここは私のオアシス♪です。
>私が言える立場なんかではないのですが、困った時はお互い様で、助け合いましょう。またおいでください☆
Tienさん、こんにちわ〜。はじめましてです。^^
レスとてもうれしかったです。^^
私は、実は、結構「問い合わせ魔」な節があります。(汗
そして、私も普通人に相談できる人が極力少ないという事もあります。。
ASの人は、とても親切だなぁと思っています。
私は、4ヶ月前診断された後、軽度発達障害の本を読みはじめましたので、
知識も豊富なほうではないのですが、よろしくおねがいします。
konetama
障害者欠格条項をなくす会の講演会のお知らせを転載します。
あきらめから挑戦へ、開かずの門をこじ開けよう!
9月8日(土)1時開会〜4時半
参加費1,000円 点字・手話・要約筆記・磁気ループあり
文京シビックセンター4階シルバーホール
営団丸の内線・南北線「後楽園」駅直結の高層ビル
都営三田線・新設の大江戸線「春日」駅徒歩P分
◆シンポジスト
高岡正さん (社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会理事長)
福井典子さん (社団法人日本てんかん協会常務理事)
岩崎晋也さん (法政大学現代福祉学部助教授)
里見和夫さん (NPO法人大阪精神医療人権センター代表理事)
ゲスト・早瀬久美さん
コーディネーター 金政玉さん(DPI障害者権利擁護センター所長)
◆さぁ、細い道はついた!これからだ
障害や病気がある人を一括りにした見方で、その排除を法律に明記してきた欠格条項は、1999年の政府方針「障害者に係る欠格条項の見直しについて」によって、2002年度末を期限に見直し作業が始まりました。今年1月開会した通常国会では、医師法など医薬安全衛生関連27本の法律、および道路交通法の改正の法案審議という山場をむかえました。法案は、附則や附帯決議を加えて、6月に成立しました。障害者団体・関係団体をはじめとする活動の盛り上がりと世論の力があって、百年以上続いている差別偏見にもとづく法令の一部が変わりつつあります。1998年に国家試験に合格し、欠格条項により免許申請を却下されてきた早瀬(後藤)久美さんに、7月17日、薬剤師免許が交付されました。やっと、"あかずの門"のカンヌキがはずれ、細いながらも道ができました。多くの人が門を通り、ともに歩き固めることで、メインストリートになります。「必要な支援を、個々人が権利として得て、学び、仕事をもち、働き続ける」ことができる道をつけましょう。
完全撤廃に至った欠格条項もありますが、「試験に合格しても免許を与えないことがある」等、合理的な理由もなく障害者や病者をいぜんとして法律や政省令の欠格条項の対象とするものがまだ多数を占めています。今後を切り開くためには、到達点と課題をふまえた継続した取組が必要です。
今国会に至る山場で行動されてきた方々においでいただき、障害や立場の違いをこえて率直に話しあおうと、この企画を開催します。シンポジウムでは、今国会までの経過と成立法令に対する評価とともに、法令の実際運用の問題、教育や雇用における支援技術の開発と普及など、当面の課題とこれからの取組について議論します。ぜひご参加ください。
共催 障害者総合情報ネットワーク 障害者欠格条項をなくす会
お問い合わせ 「障害者欠格条項をなくす会」事務局まで。
TEL 03-5297-4675 FAX 03-5256-0414
メール nakusu@bk.iij4u.or.jp
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3-2-11総評会館内
DPI障害者権利擁護センター気付
http://www.butaman.ne.jp/~sakaue/restrict/
◆参加申込をお願いいたします。ビギンで一括して受け付け中です。
参加申込み先 ビギン TEL 03-3251-3886 FAX 03-5297-4680
お名前 ご所属
TEL FAX
ご住所 〒
企画当日に必要なことなど
マルをつけてください→ ・点字 ・手話 ・要約筆記 ・磁気ループ
◆メッセージ
高岡 正(たかおかただし)さん 社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会理事長
6月22日、衆議院でも欠格条項の法改正が成立しました。多くの障害者団体や個人の方のご努力に敬意を表します。今後、個々の障害者の状況に合わせた環境整備や事業所、企業に障害者の雇用を忌避することのないような制度の確立、個々人のサポート体制の確立などを進める必要があります。政府が中心になって、アメリカのリハ508条の発効に合わせて情報処理機器などのユニバーサルデザイン化を進める動きがあり、これともリンクさせて、障害者の就労環境の一変を図りたいと考えています。
福井典子(ふくいのりこ)さん 社団法人日本てんかん協会常務理事
昨年6月から現職についているてんかん患者、当事者です。特に協会としては「道路交通法」の改正に伴う自動車運転免許の取得にかかわって、この間、運動を展開してきました。衆議院内閣委員会の参考人質疑にも招致されました。「欠格条項」の廃止にむけて、いっそう力をつくしていかなければ、と思いを新たにしているところです。
里見 和夫(さとみかずお)さん NPO法人大阪精神医療人権センター代表理事
弁護士。「障害者欠格条項をなくす会」よびかけ人。宇都宮病院事件に大きな衝撃を受けた患者、家族、医療従事者、弁護士、一般市民の手で、1985年、人権侵害から精神障害者を救済する目的で大阪精神医療人権センターを設立しました。「病院から地域へ」を次の目標に活動を展開中、「大阪精神病院事情ありのまま(第二版)」など刊行しています。
「何度その話しをもちだしたら気が済むの?これで三度目だ」といって、、女は泣き出した。私は彼女からきちんとした、謝罪をもらった記憶がない。女が私に虐待をしたことに。そして記憶では女はいつも、あの時は自分が辛かったからと。。泣出し。。話しにならなかった。かぶりをふって過剰な演技で泣き出す。それは謝ったことにならないのでは,,認めたことにはならないのでは,と私はいつも思っていた。50半ばの年にもなったその女が泣いている姿をみてそれ以上は,問わなかった。しかし釈然としない気持ちがいつも残っていた。だから先日は、女の孫の前で、幼児期にきつい言葉でもなんでも傷を受けると絶対駄目だからと言う,,理屈を私にしていたので、、そういう理屈をきちんとわかるならばと思い,,私もあなたから幼いころにそういうことをされましたが、、というとまた泣いて,あの時は自分が辛かったからといって泣いて誤魔化された。そしてその夜、何かのおりにまたその話しが出た。そしたら女は自分の子供にも虐待をしたのだから、、と今度はそういういい訳をする。。エゴというものなのだろうか?人の子供,,女をいじめた人の血が少し入っている私には何をしても良いという話が前提にあるから、、謝罪をしないのだろうか?アナタの論点はおかしいですよ..と言いたかったけれど。。その女が泣いたら、その女の夫が、、怒り狂いだしたので、、もう話はできなかった。そして女にきちんと話そうとしてもかぶりをふって、、私を拒否した。。怒るべき人間は私であるのに。。まったくおかしい話である。そして女は、、いまだに私のことを面白くなく思っているようであるが。
不思議な話である。。「何度その話しをもちだしたら気が済むの?これで三度目だ」。。。。。
私は少しだけ戦争の問題で、日本を許せないと言っている国の人のことを思い出した。。ここに書いただけの話だけではないほかにも,,小説に出来そうなほどの,,話があるからなのだが。。
一度でも謝った気持ちになっているのだろうか?そしてちょっとでもごめんなどといえば。。あとは反省しないでも良いのだな。。そしてその女は大人になってからとても私に親切にしてくれたので、そのことは有難いと思いつつ、親切にしてやったのだから、、文句を言われるなんて。。などという気持ちになっているのなら,,尚更おかしい。。親切にされたら、、もうその時点から自分の意見をいえない、謝罪も請求できないのはおかしなことだと思います。でも普通の世界ではそうなんでしょ??貸し借り。。。
どうも、、一般の人は、、そういう論理では動いていないらしい。。感情が全てであるらしい。
筋道というものは、存在しないらしい。
そいつらのせいで、、今はまだ書いていない事件がきっかけでやはり私の家庭は崩壊したらしい。。しかしそいつらは、頭ガ悪すぎて理解できない。そのことを認めない。私の母は、もう良いんだよ。。と言った。。母はずっとそのことも私にだまっていた。。いかにも日本人的な配慮である。
そしてヤンキー夫婦とその子孫は、、そのことを知ったら、、,,普通だったら恥ずかしくて生きていけないんだけどね。。アタマと皮膚があついのでしょう。。
1つわかった。。その女は、政治的な人なんだ。。だから謝罪を正式にしない。
その女は友人も多いようだが。。見ていると支配的である。。
卑怯だな。。卑怯だということは相手につたえたけどね。
しかし、、こちらが悪くないのに、、相手が怒っている話って私達には良くありませんか?そういうこと。。何がどうなんだろうか?
ps
これを丸ごと返信マークをつけて引用しないでください。以前館のHPの主人もそういっていたのに。皆さん。。さいきん、、また丸ごと引用しているもんね。。館の主人もお願いしていたよ。
Maria さんwrote:
> まずもって問題なのが、『「心の理論」よりも「感情による推論」のほうが、人間の行動をより適確かつ容易に推測しうる』
ああ、そういうことだったんですね。
> で、非・自閉症方面の人間と自閉症方面の人間の差は、フェスティンガー防衛機構にかかわる部分の理解の度合の差なんではないか、という気はするのですよ。
だからこそ、LDの長男は、英語にこだわり、英文法にこだわり、語学にこだわった。「フェスティンガー防衛機構」という定義(?)は知らないまでも、言葉の裏で発せられてくる「もの」を、言葉として、理解、納得したかったに、違いないと、このMariaさんの説明で、よくわかりました。
> まあ、べつに『アスペルガーの館の掲示板』は学術専門誌でもなければ学会誌でもないんだから、思いつきで喋ってると思われようがなんだろうが関係ないんだろうけどさぁ・・・・(略)
>
> だけど、これは単にあたしが研究者の立場で発言しているというあたし自身の問題であって・・・・(略)
タレイヌは、いつもおもっているのだけれど、もったいないなぁ・・・って。
Mariaさんの書き込みは、プリントアウトして、売ったって、いい位だわ!!
でも、「研究者」と、お書きになっていらっしゃるってことは、正式の場(?)で
書物になっているという事ですよね・・?
> ……とまあ、ここまでは周知の話なんだけど、同時にここまでの話は白Mariaさん状態で喋ってたりするわけです。
>
> で、黒Mariaさん状態で言わせていただいちゃうんだけど・・(略)・・
この辺が、実に絶妙で、ある「事柄」を少なくとも二方向から、重複説明していただくと、タレイヌは、48年ちかく“謎!”と、思っていた事が、すごくよく、わかるのです。(手間がかかるやつで申し訳ありません)
> で、その『そこはかとない「悪意」』が・・・・・(略)・・・・・・・
> とはいえ、この「悪意」というものが、しばしば通じなかったりするわけですね。なにしろ、「てめーは俺に喧嘩売ってんのかよ(-_-X)」「あーら、そういうふうに読めまして?(-_^)b」みたいな陰険な関係を想定しておりますので、どうしても婉曲な表現になってしまうわけです。
長男もさることながら、タレイヌ自身も、多くの “かたがた”から、変わっていると、言われております。(もう、いまや、年齢が年齢ですが)理由のひとつは、多分、「悪意が、読み取れなかった」のだと思います。
> そんなわけで、
>>昔から国語の成績が悪かったです。(⇒これは、シュッツさんね)
>といったところに逃げこんでしまってはいけないのですよ(←シュッツさんにしてみれば、べつに「逃げこんで」いるつもりはないのでしょうけど)。
はい、まさに、これで、逃げ切ってました。(上手くかみ合わない対人関係においては、もめると、言葉が出ませんから。‐‐‐うっ、と詰まって、涙・・・になると、「泣けば済むと思って!!」とやられます。女だから(?)通用したけど、長男は、しっかり攻撃=反撃に出ていました。母は、当たり前だわなぁ・・と思っていましたが、口が裂けても、そんなこと言いませんでした。今だからいえる・・)
有難うございました。
(タレイヌ)
I wrote:
> このように、「他人に頼ること」に対して絶望しちゃった人間は、「冷淡
>な態度を示す(14)」ように見えるでしょうし、
pocksさん wrote:
>一見説得力のある説明ですが、このポイントは疑問があります。
>この(14)に対する説明は、自閉症ではなく情緒障害に対応するはずです。
>
>覗き趣味の下劣なワイドショーが視聴率をあげる(支持される)ことからも
>わかるように、非自閉者には、他人のことに異常に強い興味を示す(自閉者
>比)という特性があります。
>
>対して自閉者の興味の持ち方はヒトにもモノにも中立的ですから、非自閉者
>から見れば自閉者は「冷淡な態度を示す」ように見えることになります。
>
>このことに関してはドナ・ウィリアムズさんの「自閉症だったわたしへ」冒
>頭の兄妹一緒に写った写真における彼女の兄の態度に付けられた解説が参考
>になるでしょう。
えー、あたしはまさしく自閉症ではなく情緒障害について言っておるのですね。ですから、
> なお、
>
>>3.「どこへいくの?」と聞かれて「どこへいくの」と答えるようなオウム返し
>>4.耳が聞こえないような振る舞いをする
>>9.あやしても反応がない
>>13.視線が合わない
>
>の四つについては、自閉症本来のメカニズムに由来するものと考えます。
こっちの方へは含めなかったのですよ。(4)(9)(13)で言うべきことは言い尽くしているような気がします。
「冷淡」がどういう単語の訳語なのかは分かりませんが、pocksさんのいう自閉症者の特性は、ふつう「無関心」と表現されそうに思います。これに対して「冷淡」というのは、一般的にいって、相手の悲嘆などの感情を理解したうえで、なおかつ相手にかかわらない、という態度のように思われます。こういった特性は自閉症方面の人間に本来的に存在するものではなく、二次被害の結果としての情緒障害である可能性が高いように思います。
pocksさんも「覗き趣味の」「下劣な」「異常に強い」といったような不快感を露にした形容をしていらっしゃるわけで、そこには他者(これは非・自閉症方面の人間そのものなのですが)に対する嫌悪が感じられます。ですが、それは「自閉症」における「自閉」とは別物であり、なおかつそこんところをごっちゃにしてもらいたくないものでもあるわけです。
非・自閉症方面の人間には、「無視されるくらいなら嫌われたほうがマシ」という奇妙な特性があります。不良だのやくざだのはこの類です。あるいはトラブルを起こすことの結果としての敵意を「笑い」「媚び」で中和しようとするアテンション・アディクトな存在、いわゆる「お調子者」というものが存在する理由がこれです。
自閉症方面の人間にとっては、非・自閉症方面の人間は鬱陶しい。その「鬱陶しさ」が、非・自閉症方面の人間にとって、「冷淡さ」と感じられる。そういう意味です。
(Maria)
Maria wrote:
>シュッツさん wrote(in No.6615):
>>例えばMariaさんが支持しているアージ理論も、私には「思いつき」に見えて
>>しまいます。
>
>という発言があったので、あたしは「シュッツさんはあたしが<思いつき>で発言をするような人間だと判断している」と解釈し、研究者としてのプライドをいたく傷つけられたわけです。「どうせ思いつきで喋ってるんだろ?」とか思われてしまったら、評価を受けることができなくなってしまいますから。
なるほど、そう言う風に受け取られてしまってたんですね。
私が「思いつき」と書いた相手はMariaさんではなくて、戸田氏なんです。
戸田氏の理論体系は、私から見ると「体系」になっていないと見えるのです。
もっとも、一冊の本を読んだだけなのでアージ理論の全てを理解した訳ではないですが、現時点で得られた情報の範囲内では
「ある心理状態を記述する、それと違う状態を例外として記述してから内部に取り入れる、そこにも入らないものを再び例外としてまた内部に取り入れる」
のくり返しで組み立てられている理論に思えます。
つまり「記述しやすいが予測しにくい」理論ではないかということです。
その意味で「思いつき」と感じる訳です。
> シュッツさんがASかどうかはさておいて、自閉症方面の人間は、利害関係において個人的な好き嫌いを横に置いて、人間関係を操作的に考えることに長けているように思います。そうした「老獪さ」「陰険さ」を身につけておくのも、悪くありませんよ。
身に付けたいですが、難しいんですよね。
私は「好き嫌い」に基づいた話とか、「人間関係を操作する」とかをすると中身がぼろぼろになって、矛盾だらけの話になってしまいます。
そのため、自覚はないけど理論ばかり重視した話になってしまい、端から見ると感情がなくて堅苦しい、冷たい言い方だと見らるようです。
某所で恐竜展示を見に行って来ました。楽しかった!!!
骨好きな私...。
konetama wrote:
>こんばんわ。はじめまして。ADD LD 非言語性LDのkonetamaといいます。
>こちらの掲示板はいつもロム専門なのですが、みなさんがとても丁寧な事と、みな>さんの知識が豊富ということ、頭が下がります。とても私個人感謝しております。
こんにちは。質問ばかりのペシミスト、Tienです。私なんか見ていただいたら
分かりますが、くだらない拙問専門です。でも周りに相談できる(アスペ関係の事を)なかなかいないので、ここは私のオアシス♪です。
私が言える立場なんかではないのですが、困った時はお互い様で、助け合いましょう。またおいでください☆
Makichanさん wrote:
> ネチケットに反するのだったらゴメンナサイ。
いえいえ、全然!(笑)
> ただ医学的解釈体系というのもないように思えます。医師の見解の相違とい
>うのが大きすぎます。医学会自体混乱してるんじゃないですか。そうとしか思
>えない。
全くない訳ではなくて、どの範囲までを障害と認定するのかについて、合意
がないということだと思います。いちおう、現行のASの診断基準はほとんど
の専門家が把握しているでしょう。
> そんな感じしますね。今の医者見てると。ビジネスマンが営業努力するのと
>同じ感じですかね。(例えが悪いかなあ。笑)
成人本人が発達障害の診断を受けに行くのはまさに営業努力が必要です。面
接や商談をしにいくぐらいの準備が必要だし(笑)
> 私は大雑把な人間ですから、こんなふうにしか言えないんですが、医学的で
>あれ、哲学的・倫理的であれ、解釈体系つくること自体無理だし、しない方が
>むしろいいのかなあって思ってるんです。いかなる定義づけをしてもいつか訂
>正修正する時が来ると思うんです。
修正されることは別に構わないんです。じっさい、哲学的な学説のほとんど
はその後、本人によって否定されていますから。全ての解釈体系はあくまでた
たき台としての意味を持っていると思います。
例えば、現行のAS,LDの説明にはまだ欠陥がたくさんあります。でも、
「知的障害を伴なわない発達障害者」という問題を提起した点はやはり大きな
功績だと思います。
pocksさん wrote:
>小学生のころ特殊学級に行けとののしられて涙していた私ですが、ここのとこ
>ろ、「知的障害を見下す価値観」にしっかり巻き込まれていたことがフラッシ
>ュバックしていて心が悲鳴を上げています。
わたしもPTAで級友の保護者からよくそんな風に言われていたみたいです。
でも、言語IQだけは平均以上だったので、当時の規定では特殊学級に行くこと
ができなかった…。で、今じゃ障害がなかったことのように扱われてしまう。な
んか理不尽です。
konetamaさん wrote:
>こんばんわ。はじめまして。ADD LD 非言語性LDのkonetamaといいます。
わ〜、konetamaさん、こちらでもよろしくです。(喜)
>上手く表現する事が苦手ではありますが、もし皆さんが、よろしかったら、
>こちらにも書き込みをちょくちょくさせていただきたいのですが、
>ご了承を得たく、書き込みしました。
ここは特に了承というのはないみたいです。(笑)とりあえず、関心のあ
る人は誰でも書きこんでいるという状態です。
Makichanさん wrote:
> 途中で文章ぶち切ってすみません。「医学的に認められた障害に分類(診断
>)された人が障害者」というところがひっかかるんです。20年の通院経験上
>感じるんですが、診断基準というのは医師によってかなり違うんですよ。
ふたつの原因があります。
(1)この20年間の間に主要な診断基準(WHOとアメリカ精神医学会)の
基準が何度か変わっている
(2)Makichanさんが指摘するように、どの範囲までをASとするの
かについては合意がない
このうち(1)の問題はわたしには深刻でした。わたしが子供の時には知的
障害がない限り発達障害の診断がされなかったのですが、現在ある特異性発達
障害やASならば診断基準を満たしていた可能性があります。つまり、かつて
の発達障害の診断基準には当てはまらないが、今の基準には当てはまるという
人がたくさんいる訳です。
(2)も当然のことながら問題です。検査をした医療機関によって、同じぐ
らいの困難を抱えている人が診断されたりされなかったりするのはやはりおか
しいと思います。
>そんなこと聞いてどうするんだなんて言われ、そりゃ自分におこった異変は
>なんなのか知りたいでしょう、と答えたら今の医学界は過渡期にあると一言
>でいわれました。まあ自分自身周りを見渡したらそのとおりだなと思ってい
>ます。(無茶苦茶な句読点の打ち方ですみません。)ただ学会が混乱してた
>ら患者さんの方も混乱すると思うんですね。
もちろん、この世界の診断基準がうつろいやすいのは確かですが、それは
ひとまず現行の診断基準通りに診断しておけば済む問題です。そして診断基
準が変わって、その患者が別の診断基準に該当するということになれば、そ
のことを書き加えておけば問題なかろうと思います。
患者が一生つきあっていく障害がなんであるかを教えないのは、本人に出
発点を与えないという意味ですごく問題です。
> こんな時は知的障害を見下す価値観に巻きこまれないようにすることが大切
>です。
小学生のころ特殊学級に行けとののしられて涙していた私ですが、ここのところ、「知的障害を見下す価値観」にしっかり巻き込まれていたことがフラッシュバックしていて心が悲鳴を上げています。
(この話題がきっかけでフラッシュバックが起きているわけではありません。)
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